2009年06月30日 (火)
通常ランク外の「川端」「針江」「滋賀」「琵琶湖」というキーワードがドドッと入り込んできた。これは琵琶湖北西部の高島市新旭町針江地区の川端 (かばた)のことがテレビ朝日系列の「素敵な宇宙船 地球号」という番組で<「日本こころの百景」〜其の三 琵琶湖水物語〜 >で6月7日に放送されたからだろう。
最初にこの地を取り上げた NHK の番組に較べると軽い作りではあったが、それでもこの素晴らしい集落の持つ力というべきか、懐かしい気持ちで番組を見ることができた。良いのか悪いのかわからないけれども、この集落の水や生き物や人や風景がどれも強烈なキャラクターを持っていて、2ch の実況を追っていると、お!あの川端の鯉!あそこの水車!三五郎さん!といった具合にパーツパーツで盛り上がれてしまう。三五郎さんのことを指してパーツと書くのは失礼かと思いつつも、しかし彼は確実にあの集落の一風景として存在している。まずご健在であるところが見られたのが嬉しかった。
軍艦アパート 5.7% 川端 4.4% 針江 3.4% 上棟式 3.2% グヤーシュ 2.1% 滋賀 1.7% 谷中 1.5% 琵琶湖 1.3% 高過庵 1.1% 臭突 1.0%
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2009年05月31日 (日)
今月もほぼ代わり映えなし。軍艦アパートの比率が少し落ちた程度か。。
写真は仕事の打合せで生野区の南巽に行ったときのもの。
予定の時刻より少し早く着いたので、周辺をふらふら歩いていたらバイクがSMプレイ中 であるかのようにぶらさがったショップに出くわした。背後の壁に moonfactroy.cc と URL があったので確認すると、インポートバイク&スクーター販売およびメンテナンスなどをやっている店らしい。それもそのインポート先は中国限定で、社員が現地に赴き、商品を厳選してメーカ契約を行っているとのこと。今後この業種に限らず、安いだけでなく良い物を中国からという発想の業態は増えていきそうだ。
ただ、ショップの前に止めてあった錆び錆び自転車載っけた車は何なんだろか(^^;)
軍艦アパート 7.0% グヤーシュ 2.4% 谷中 2.2% 上棟式 2.0% 高過庵 1.7% 橋本遊郭 1.3% 山門不幸 1.1% 臭突 1.0% 庇 0.9% 蟻鱒鳶ル 0.8%
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2009年04月30日 (木)
今月もおなじみの検索ワードのノミネート。もしやこのパーセンテージが上がっての固まり様は、アクセス検索ワードランキングのエントリーだけが毎月なされることによって余計強固なものになりつつあるとも言えるのか。それを考えると月末報告の場と化している、このエントリー自体も見直した方がよいのかもしれない。
写真は天神橋筋三丁目の商店街から路地入ったところにある定点観測ポイント。放置されたバイクの位置はもう何年も前からほぼ変わらない。植物のレイアウト だけが季節と共に変わって、、何となくいつの間にかアロエだけに純化されてきた気がする。ちょっとこのブログのアクセス結果と同じではないか(汗)
軍艦アパート 11% 上棟式 3.9% 谷中 2.7% グヤーシュ 1.9% 高過庵 1.5% 臭突 1.3% 山門不幸 1.1% 橋本遊郭 1.0% 若人の広場 0.9% 庇 0.8%
先月(2009年3月)の解析結果はこちら から。
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2009年04月21日 (火)
当ブログ人気アクセスワードの一つでもある「橋本遊郭 」の存在を教えていただいたり「曙ハウス 」の件で何かとお世話になったN的画譚 の neonさんと谷中銀座の脇にあるステンドガラス工房「nido 」さんとのコラボ展示企画のお知らせ。
期間中の上京が難しそうなので(て、もう半年くらい東京行ってないけど)伺えそうにないのが残念ですが、お近くの方は是非! DM手にしてるだけでも幸せな感じ♪
nido x neon collaboration exhibition
色硝子の町
2009年4月27日(月)〜5月6日(水) 会期中無休 11:00〜20:00
〒110-0001東京都台東区谷中3-13-6(map ) TEL&FAX: 03-3824-2257
□◇
なつかしくて、浪漫的で、ちょっぴり切ない・・・
そんな雰囲気の、色硝子に飾られた記憶の中の町。
忘れかけていた夢のかけらを、丁寧に拾うように作品に凝縮しました。
昨年も大好評だった大倉ひとみ×nidoのコラボ展です。
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2009年03月31日 (火)
上棟式のパーセンテージが高い。三月は上棟式の多い季節なんだろうか? そういえば谷中の家の上棟式 も三月だった。しかし、年度末となる三月は毎年〆切地獄に襲われ、身も心もボロボロになる(せめて確定申告提出を四月にしてほしいんだけど)。
そんな三月に大相撲大阪場所 は開催され、ここ2年は泣く泣く行けず仕舞いだったが、今年は無茶を承知で一日空けて、な、なんと!九日目に枡席にて観戦。高見盛 を筆頭に贔屓の力士が概ね勝って満足な一日だったが、ドルジは把瑠都との一戦で精魂尽き果ててしまったのかもしれない。物凄い形相で抱え上げようとしていたから。
軍艦アパート 9.3% 上棟式 3.5% 谷中 2.7% グヤーシュ 1.8% 臭突 1.6% 高過庵 1.4% いろはに木工所 1.2% 庇 1.1% 橋本遊郭 1.0% 若人の広場 0.9%
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2009年02月28日 (土)
地鎮祭と床の間が入れ替わった以外、先月とほとんど代わり映えのない2月。
その並びはグヤーシュを除くと「和」の色合いが強い。ってことから強引なこじつけでバレンタインデーの日に京都の磔磔で「ニッポン・ガールズ 」という邦楽女子ユニットのライブを観たので、その写真を貼り付けておく。オリジナル楽曲 から津軽じょんがら節、アンコールではキューティーハニー と和楽器演奏ながら多様な世界を堪能できた。
曲名リンクで動画も観られるので、興味持たれた方は是非♪
軍艦アパート 7.8% グヤーシュ 2.6% 臭突 1.8% 上棟式 1.6% 谷中 1.6% 山門不幸 1.3% 高過庵 1.2% 橋本遊郭 1.1% 床の間 0.9% 庇 0.8%
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2009年02月18日 (水)
去年の夏に幡ヶ谷にあるポポンタ というレストランで開催された写真展の連続告知 エントリーをしたが、今回はマダム・ポポンタによる「poponta×flickr 」コラボレーションプロジェクト・part-6 の告知である。ポポンタ界隈に住んでいる猫たちを、猫の夢を見て眠る ya_ma さんが撮られた絵はがきサイズの写真展。
"ya ma" mini photo exhibition
ポポンタ界隈ねこ横町
2009年2月18日(水)〜 平日18:00〜22:00 日曜18:00〜21:30 月・火定休
ポポンタレストラン(京王新線幡ヶ谷駅北口から徒歩6分)
〒151-0072 東京都渋谷区幡ヶ谷3-8-7-1F(map ) tel/fax: 03-3373-0507
□◇
「なにしてるのかにゃぁ」裏口のぽこより
「それが好きにゃんです」落ちてる猫より
yamaはなにかを見つめている猫を見つけると、
カメラのシャッターを切ります。
横町にはいつまでだって見つめていたい猫がいっぱいだから。
そんな猫たちが、絵はがきサイズになって、あなたに話しかけてきたら……!
words by mistubako
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2009年02月07日 (土)
2006年の告知エントリー では十数年来の友人と書いたが、もう十五年来にはなりそうな今村仁の個展 が渋谷のギャラリー ニモード で開催されるという案内が届いた。
今回は銅版画にもチャレンジしているようで行けるものなら行きたいが、この年度末、東京行く時間を作る余裕がまるで出来そうにないのが残念なところ。私に代わって渋谷・原宿方面にお出ましの方は是非覗いてみてください。
案内に掲載されていた「アカハゼ」という作品などは、ゆるキャラ好きな女子高生にも渋好みのオッチャンにも好まれそうな気がします。
今村 仁 展
JIN IMAMURA EXHIBITION gallery ni modo
2009年2月10日(火)〜2月15日(日) 12:00〜19:00(最終日17:00まで)
ギャラリー ニモード(初日17時頃からオープニングパーティー)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-23-3 tel/fax 03-3407-2623
メトロ渋谷駅13番出口/メトロ明治神宮前駅4番出口 共に徒歩約7分
大きな地図で見る
□◇案内より作家(今村仁)の言葉
自分自身で「絵」という限定された枠組みのなかの空間を選んだのだから、そのなかでは自由でありたいと思う。観ていて心地よい絵だけではなく、時には不愉快な感情を催す絵も必要とあらば描きたい。描いている過程で起きる失敗や、意図しない出来事を拾い上げる事でさらに失敗したり、自分でも意外なものが出来る時がある。そのような「飛躍」を失う事なく全うさせたいし、楽しみたい。
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2007年3月18日, 東京都文京区本郷, Nikon D50/46mm
「曙ハウス 」関連展示でお世話になった文京ふるさと歴史館 から平成20年度収蔵品展「蔵出し!文京ゆかりの絵画 ─逸品・珍品、勢ぞろい─ 」という展示案内が届いた。
個人的には長谷川雪旦「昇竜図」(1824年)を観たいところだが、根津・千駄木界隈を描いた画も多く出品されるようで、昔日の風景を知る意味でも楽しめそうだ。
企画展「蔵出し!文京ゆかりの絵画 ─逸品・珍品、勢ぞろい─」
会期:2009年2月14日(土)~3月22日(日)
主催:文京区・文京ふるさと歴史館
開館時間:午前10時~午後5時
休館日:毎週月曜日
入館料:一般個人100円・団体(20人以上)70円 ※65歳以上・中学生以下は無料
展示解説:2月19日(木)、3月12日(木) 午後2時~30分程度 担当学芸員
ところで一つ余談にはなるが、ちょうどテレビ朝日の開局50周年記念ドラマスペシャルということで、「警官の血 」という戦後60年に渡る警官三代を描いた大河ミステリーのドラマが2夜連続放送されていて、昭和32年に焼失した谷中・天王寺の五重塔が一つの舞台となっていた。谷中は文京区ではないし、町としての意味合いもだいぶ違うけど、それでも時代の空気感としては近しいものが描かれていたはずだ。キャストも豪華で、そんな中、阿藤快さんがキャイ〜ンのウドちゃんに見えて仕方なかった(笑)
冒頭の写真は2年前に撮影した文京ふるさと歴史館のすぐ近所の写真。
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2009年01月31日 (土)
2006年3月4日 14:04, 大阪市天王寺区下寺町, Nikon D50/31mm
家づくりブログとしては不本意ながら(?)ずっとトップを快走する軍艦アパートのパーセンテージがいつも以上に高いのは、おそらくビジュアルアーツギャラリー東京で、山下豊写真展「軍艦アパート」 が開催中だからだろう。リンク先の説明にもあるように氏は1989年頃から軍艦アパートを撮り続けて来られた方で、私のように解体間際にちょろっとのぞき見した程度の野次馬とは比較するのもおこがましい。Google も彼を紹介するようなサイトがトップ表示されるよう最適化を心掛けるべきである。
軍艦アパート 11.2% グヤーシュ 3.0% 上棟式 2.0% 谷中 1.5% 臭突 1.4% 高過庵 1.3% 橋本遊郭 1.1% 山門不幸 1.1% 庇 0.9% 地鎮祭 0.8%
先月(2008年12月)の解析結果はこちら から。
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2009年01月13日 (火)
以前「長居公園テント村跡地にて 」のエントリーで、代々木公園でテント生活をしている友人・小川てつオ氏のことに触れたが、年末年始の派遣村の一件で彼がどういう所感を持っているのか気になっていた。するとどうやら彼は一日だけ派遣村にお邪魔して、ボランティア活動をしていたようだ。そのときの様子がホームレス文化「あけましておめでとうございます 」にて記されている。
マスコミのような上から目線でも、今回の当事者である派遣労働者でもない視点から現場を捉えた彼の受け取り方は非常に興味深く、是非一読することをオススメしたい。
2008年12月31日 (水)
2008年11月11日 12:45, 大阪市西成区太子, Nikon D300/70mm
「床の間」が入って「針江」が落ちた以外、先月とほとんど変化なし。
そりゃこのアクセス解析以外、更新してないのだから、当たり前の結果である。
何度も書いてきたことだが、やはり家づくりが終わって、その作った「家」からも離れた生活をしていると、そのコンセプトまわりで何か書くというのは非常に難しい。それをポジティヴに受け止めるならば、自分は現場主義の人間と言えるのかもしれないが。
一応、来年もアクセス解析投稿は続ける予定だが、もう少し工夫したいところである。
軍艦アパート 7.8% グヤーシュ 2.8% 谷中 1.6% 臭突 1.4% 上棟式 1.3% 高過庵 1.3% 橋本遊郭 1.2% 若人の広場 1.1% 床の間 0.9% 藤森照信 0.7%
先月(2008年11月)の解析結果はこちら から。
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2008年11月30日 (日)
寒くなってきたこの季節、例年通り「グヤーシュ 」がまた順位を上げてきた。定番の高過庵 ではなく、藤森照信氏の名前が久々にランクインしたが、これは編集出版組織体アセテートから『藤森照信 グランド・ツアー 』(全5巻3,990円 各巻903円)が発売されるからだろう(12月24日発売予定・予約受付中・直接購入は消費税不要)。
ところで上記ネタとは関係ないけど、12月14日頃、Google のカバー画が0系新幹線 になってたので、記念にキャプチャしておきます。背景には富士山も描かれてる。
軍艦アパート 8.2% グヤーシュ 2.9% 谷中 1.8% 臭突 1.4% 高過庵 1.3% 上棟式 1.2% 橋本遊郭 1.2% 若人の広場 1.0% 藤森照信 0.9% 針江 0.8%
先月(2008年10月)の解析結果はこちら から。
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2008年10月31日 (金)
2008年10月20日 02:02, 東京/谷中M類栖/1f, Nikon D300/16mm
一応 Google の2ページ目に掲載されてるので、もう少しアクセスあっても良いと思うのだが、ベスト10はおろかベスト100にも入ってこなかった「芸工展」。地域としての範囲が広がっているという事情は知りつつも「谷中芸工展」の「谷中」は出発点として外してほしくなかったような気がする。何よりも人に説明するのが面倒くさい。
ところで今年は三鷹金猊居の廊下梁として使用されていた丸太の列柱に、芸工展の鞄をぶら下げてみた。来年は今年の分を引っかけることになるかもしれない。
軍艦アパート 14.7% 谷中 2.2% 上棟式 2.1% グヤーシュ 1.8% 臭突 1.4% 高過庵 1.3% 橋本遊郭 1.2% 若人の広場 1.0% 地鎮祭 0.9% 針江 0.8%
先月(2008年9月)の解析結果はこちら から。
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2008年10月15日 (水)
さて、今年も「谷中芸工展」改め「芸工展 」の季節である。と、
ふと、このエントリーを書き出す段になって、これまで芸工展シリーズとしてカウントしてきた今時な小数点バージョン表示を辞めて、純粋に丸井金猊リソースの展示機会を一から数えて行こうという気になったので、急遽タイトル変更しての告知である。
谷中芸工展 参加プロジェクト
丸井金猊リソース ver 3.0 〜知られざる日本画家 丸井金猊〜
↓ ↓
芸工展2008 参加プロジェクト [B-30★]
丸井金猊リソース vol.10 〜知られざる日本画家 丸井金猊〜
日時:2008年10月18日(土)・19日(日) 14:00〜18:00
場所:谷中M類栖/1f(Google Map )
URL:http://kingei.org/
と、芸工展期間中(約3週間)たった2日の展示を今年も開催することにした。
それも開催3日前の告知(Bcc: メールもさきほど送ったばかり)。告知さえしなかった去年よりはだいぶマシだろうが、今年は印刷に出したDMが見事に失敗し、それで出すべきか迷っているうちに会期は迫り、Bcc: メールとブログでの告知という形を取ることになった。ひさびさのメールで Undelivery mail もたくさん返ってきているし、住所しか存じ上げない方にはお知らせすることもできなくなってしまった。
以下はその Bcc: メールで書いた後半文章の転載である。前半は芸工展のことなどについて触れているので、このブログでは無用だろうということで。
--
今年は4月26日から6月1日まで金猊の故郷となる愛知県の一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が開催され、金猊の遺作が約10年ぶりに一堂に会しました。
展覧会図録や講演会では生前の金猊と面識のあった美術史家が鋭い作品分析を繰り広げ、私自身も知らなかった/気づいていなかった発見が多々あって大変貴重な機会となりました。その美術史家が着目した法隆寺の百済観音をモチーフとした屏風絵「観音前の婚姻圖 」を本展では谷中で初披露し、他、特別展では展示されなかった聖徳太子二童子像 含む人物画を中心とした展示を行う予定です(特別展の展示風景もスライドショーで流す予定)。
期間は2日と短いですが、この週末、谷根千散策がてらに芸工展巡りでも♪なんて気分でしたらお立ち寄りいただけると幸いです。
PS. 芸工展巡りでのオススメは‥‥
A-6)阿部建築【木で遊ぼう】 貸はらっぱ音地
B-7)谷中ボッサ【はとイラスト展「黒ネコのタンゴ」】
B-31)イコアン【マクケノエン】
B広告)アトリエ アラン ウエスト
C-9)中原絵亜【詩展 空の日記】
D-6)コジマユウジ【コジマユウジキチ vol.1】 美容室CLASSICAL
E-8)グループ phase『phase(フェイズ)』 ギャラリーTEN
番外編)芸工展とは関係ありませんが、根津でのご近所写真展:)
写真=松村大輔(nodoca) 俳句=中村正則 お野菜=晴れ晴れ屋
【写真と俳句と秋のお野菜 みちゆき──the road to somewhere】
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2008年09月30日 (火)
2008年7月13日 11:25, 東京/谷中M類栖/光庭, Ricoh GR Digital/28mm
今月代わり映えしたところがあるのは「インテリア」のみ。しかし、そのキーワードだけでこのブログが高ランクに付けるとは思えず、何のキーワードと検索フレーズで絡んだのか確認すると、先月ランクインしていた「床の間 」とのセットだった。
床の間──現実的に我が実家でそれが「床の間」として活かされるのは、祖父の命日の日だけな気がする。その日は遠い親戚でもあるお坊さんが実家を訪れ、お経をあげてくださる。そして、そのときだけ仏壇が床の間の方に移され、そのときだけ荷物置き場と化していた床の間が本来の姿を現すというわけだ。その一日のためだけにある床の間が無駄なのかどうかはわからないが、私個人はそのお坊さんと1年に1回話ができるのが楽しみで、無理をしてでもその日は東京に出向くようにしている。今年で御年86歳。
冒頭の写真はその床の間ではなく、お坊さんが来られた7月13日の光庭。
軍艦アパート 7.0% グヤーシュ 1.7% 谷中 1.7% 上棟式 1.5% 針江 1.4% 高過庵 1.3% 遊郭 1.2% 臭突 1.2% 川端 1.0% インテリア 0.9%
先月(2008年8月)の解析結果はこちら から。
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2008年08月31日 (日)
2006年5月22日 16:22, 東京都渋谷区広尾, Nikon D50/200mm
これは迂闊だったというべきか?(汗)
「ストリートビュー 」について書いたエントリーに「女子高生」という語を織り交ぜてしまったため、そのフレーズ検索で当下流ブログにも「ストリートビュー」という人気用語でのアクセスがあるらしい。ま、訪問者には期待外れもいいところだろうが(笑)
ところで「ストリートビュー 女子高生 」を確認がてら(暇人!)で気づいたのだが、不適切画像の指摘のあった画像の修正はすでに始まっているようで、そこは差し替えではなく、真っ黒画面に「この画像はなくなりました 」と記されている。いずれ撮り直し画像が掲載されるんだろうか? ちなみにこの場面で掲載されてた画像は、こんな「なんとも羨ましい瞬間 」の画像であるが、顔にぼかし入れるくらいならその時点で削除してもよかろうに?と思うところをしてないところが何とも Google らしい。
とまれ、期待外れ訪問者のために一応思わせぶりなサービス画像は提供しておく。
軍艦アパート 7.5% ストリートビュー 1.9% 谷中 1.8% 高過庵 1.6% グヤーシュ 1.4% 上棟式 1.3% 臭突 1.2% 女子高生 1.1% 遊郭 1.1% 床の間 1.0%
先月(2008年7月)の解析結果はこちら から。
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2008年08月05日 (火)
やっちまったな〜! てか、一体いつから機能追加されてたんだ?
というのは、 Google Map でも NY あたりならば、だいぶ前から機能搭載されていた
Street View こと、ストリートビューの話。谷中の実家も大阪の自宅も両方とも自分の家がまんま見られるようになってしまっている。もちろん妻の実家の総領町はまだ当分写りそうにはないんだけど(笑)
しかし、この Street View に関しては米国でも幾つかプライバシーの侵害で裁判沙汰になったというニュースを見ているが、モンスター何とやら増殖中と言われるこの日本ではどうなることやら? 実は大阪自宅の方の写真には通学途中の女子高生が二人写っていたりして、撮った輩をうらやましく思っていたりもするのだが(汗)
あと、その他で、写真と Wikipedia 情報も載っかるようになって、こうなるとますます flickr は Yahoo ではなく、Google に買収されてほしかったと思ってしまうが、それについては Panoramio にサインアップするしかありまへんな。
2008年6月8日 16:19, 谷中M類栖, Nikon D300/16mm
ちなみに谷中の写真には「いまあざやかに 丸井金猊展 」のポスターが写っているので4〜6月の間に撮影されたということになるのだろう。
□◇ストリートビュー関連エントリー
・ちはろぐ:Google ストリートビュー (2008.08.05)
・建築プロデューサー朝妻義征:Googleマップ ストリートビュー (2008.08.05)
・家づくり、行ったり来たり:ストビューの遊び方を考えてみる (2008.08.06)
・ノアノア:Google Maps ストリートビュー (2008.08.06)
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2008年07月31日 (木)
2008年7月25日 20:42, 大阪/自宅, Nikon D300/35mm
間違いなく今月だけ浮上するキーワード「花火 」に「天神祭 」。例年は友人が集まって広島/大阪風のお好み食べながらという感じになるのだが、今年は忙しさも手伝って、身内だけで静かに眺める花火だった(といっても下は人だかりで超うるさいが)。
ついでに先月のアクセス解析 も今頃更新。
軍艦アパート 8.7% 花火 3.2% 天神祭 3.1% 上棟式 1.5% 谷中 1.4% 高過庵 1.3% 川端 1.2% 地鎮祭 1.1% グヤーシュ 1.0% 臭突 1.0%
2008年7月25日 21:11, 大阪/自宅, Nikon D300/105mm
先月(2008年6月)の解析結果はこちら から。
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2008年07月28日 (月)
前エントリーでも紹介した ya ma さんのレストラン「ポポンタ 」での flickr 仲間たちによる展覧会はその後も続き、いよいよ第5弾 mistubakoさんの「ポポンタ de sky 」を以て最終回を迎えようとしている。私個人は祖父の法事がてら、第2弾 otarakoさん「おたらこ印 」に立ち寄らせてもらったが、1サイクル1週間ではなく1ヶ月くらいのんびりやっててくれたら、他のも観に行けたのにな〜と思わないでもない。
フライヤーは第1弾の nodoca氏が基本デザインを手掛けられたもので、これを並べて観ているだけでも flickr メンバーそれぞれの個性が引き出されて楽しく、数年後にこの企画が溜まったらフライヤーを一斉に並べた展示などがあっても面白いだろう。
以下そのフライヤーを並べてタイトルのご紹介。
poponta×flickr コラボ写真展 part-4
Green Planet / Chizu* photo exhibition
2008.7.23〜7.27
poponta×flickr コラボ写真展 part-3
路的 - 幡ヶ谷篇 / McCOCK mini photo exhibition
2008.7.14〜7.20
poponta×flickr コラボ写真展 第2弾
おたらこ印 / otarako photo "mini" exhibition
2008.7.9〜7.13
2008年07月02日 (水)
2006年1月、「無邪気な Kai-Wai フリッカーズ 」で一緒に谷中散策した nodoca さんが flickr 仲間の ya ma さんのレストラン「ポポンタ 」にて、「食堂車」松村大輔/写真展 を開催されている。
6月30日(月)〜7月6日(日) までと期間が短く、残念ながら私は駆けつけられそうにないのだが、写真展タイトルや flickr 上で ya maさんが作家本人付き で紹介されてる写真を見る限りでも、単に写真展というよりはレストランという空間をガラッと変えそうな(それでいて、そこが「食堂車」であるという関連状況がまたたまらない)コンセプチュアルな展示のようで、個人的に非常に興味をそそられる。本当に駆けつけられないのが残念でならない。
ちなみにその後も flickr 仲間による展示は続くので、幡ヶ谷方面においでの方は是非!
part 2☆7/ 9 ~ 7/13 otarako
part 3☆7/ 14 ~ 7/20 McCOCK
part 4☆7/23 ~ 7/27 Chizu*
part 5☆7/28 ~ 8/ 3 mistubako
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2008年06月30日 (月)
2006年11月11日 13:25, 滋賀県高島市新旭町, Minolta DiMARGE G400
一宮市博物館で開催された特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」も6月1日を以て無事終了。と終わってみたら、あっという間に「丸井金猊」キーワードは圏外14位に転落。
先月 の予感的中で、やはりまだまだ企画あってのものなんだな〜と実感。
その一方で「針江」「川端」と出てきたのは、6月6日に NHK のアンコール放送「ふるさとをもう一度愛せますか〜琵琶湖畔・水を守る農家の6か月〜 」があったからだろう。また行きたいな〜。新旭町 。
軍艦アパート 6.5% 田植え 4.0% 谷中 1.6% 上棟式 1.4% 臭突 1.3% グヤーシュ 1.2% 無印の家 1.1% 針江 1.1% 山門不幸 1.0% 川端 0.9%
先月(2008年5月)の解析結果はこちら から。
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2008年06月10日 (火)
2008年6月7日 18:08, 大阪/自室, Nikon D300/26mm
祖父の遺作展で慌ただしくてたもので、時差ボケはおろか三週差ボケの祝辞である。
Kai-Wai 散策 の masaさんこと、村田賢比古氏が写真集を出版された。そのタイトルは『時差ボケ東京 』。Kai-Wai 散策ではご本人の人柄よろしく控えめな紹介に留められているので、より詳しく写真集の情報をお求めの方は、もはや masanager とも言えそうな、わきたさんのエントリー「村田賢比古・写真集『時差ボケ東京』 」を随時チェックされることをオススメする。
また、写真集を見ているとどうしても知りたくなってしまうその撮影手法については masaさんの盟友である玉井一匡氏の「「時差ボケ東京」を開く 」のエントリーを読まれると幾つかのヒントが見えてくるだろう。ただ、そのエントリーを読まれるタイミングは実際に写真集を手に取られてからの方が良いかもしれない。そういう意味では『時差ボケ東京』を一家に一冊まだお買い求めでない方は、まず一番に LOVEGARDEN の「『時差ボケ東京』当店にて発売中! 」にアクセスすべしだろう(^^;)
冒頭の写真は『時差ボケ東京』を書棚に収めたところなのだが、見ての通り、収めたというよりは飾られたという方が相応しい。収めるスペースがなかったという理由はあったにせよ、それ以上に『THE PICASSO PAPERS 』と並べて飾りたくなる表紙だったということの方が大きい。いろんな意味で大きな写真集である。必見必携の書!
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2008年05月31日 (土)
2008年5月30日 12:29, 一宮市/妙興寺駅南出口, Nikon D300/20mm
5月は一宮市博物館で開催された特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」一色で終わってしまったと言いたいところだけど、必ずしもそうではない。不在中に仕事が重なり、それに追われて、思ってたほど足繁く博物館に通うということはできなかった。それが残念でならない。
ともあれ、収穫も色々あったので、それはいずれ丸井金猊サイトの方で纏めようと思っている。ランクは8位→3位と上昇したが、来月いきなり圏外だと寂しいな。
軍艦アパート 9.1% 田植え 4.5% 丸井金猊 1.9% 谷中 1.6% 上棟式 1.4% 高過庵 1.3% グヤーシュ 1.2% 遊郭 1.1% 無印の家 1.1% 山門不幸 1.0%
先月(2008年4月)の解析結果はこちら から。
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2008年05月18日 (日)
2008年5月18日 12:29, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/90mm
一宮市博物館 の特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」も折り返し地点を過ぎ、後半戦に突入。これまで私は開会式、講演会と自分が関与する日にしか訪問できていなかったので、18日(日)はようやく落ち着いて会場を回ることができた。といっても、新聞社の取材があったりで決して自由な身というわけでもなかったのだが‥‥。
ちなみにその日は学芸員による二度目のギャラリートークの日で、取材が長引いて最初の方は見られなかったけど、たくさんのお客さんを引き連れてギャラリートークしている様子を背後からこっそり覗かせてもらった。何は言っても祖父・丸井金猊はまだまだ知られざる 存在なだけに、ギャラリートークの意義は有名作家の展覧会よりも大きいということは、その聞きやすくわかりやすい解説を傾聴しながら改めて実感した。トークを終えたばかりの学芸員の伊藤さんも「今日は緊張しました」と言われながらもその必要性は強く感じておられたようで、チラシでの告知はないが、今後も週末は人数が集まっていればギャラリートークされるおつもりのようである。
また、個人的に申し込んでいただければ解説もしますとのことなので、もし解説付きの観覧をご希望の場合は、受付時に「学芸員の伊藤さんを」と尋ねてみてください。ただ、伊藤さんもお休みや外仕事の日もあるので、何が何でも解説付きでと考えられてる方は事前に博物館まで電話で問い合わせされた方がよいかもしれません(Tel. 0586-46-3215)。
あと、今頃気づくな!って感じだけど、以下に私と母の博物館滞在スケジュールを記載しておきます。もしかすると私の方はもう一日二日増えるかもしれません。
母:4/26(土)、5/4(日)、5/5(月・祝)、5/13(火)〜18(日)、5/31(土)、6/1(日)
m-louis:4/26(土)、5/4(日)、5/5(月・祝)、5/18(日)、5/30(金)〜6/1(日)
※最後の3日間は妙興寺が最寄り駅のビジネスホテル「サカイ」 に m-louis は宿泊。
※5/27(火) の予定が都合により行けなくなりました。
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2008年04月30日 (水)
2008年4月22日 13:43, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/18mm
19位→12位とランクアップしてきた祖父の名前「丸井金猊」が無事一宮市博物館での特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」開催と同時に8位にランクイン。ただ、「金猊」の「猊」の字がすぐに変換されないため、ひらがな検索や「貌」などの間違った文字で検索している人もいるようで、それらも加えたら「臭突」は抜かしていただろう。ちなみに「猊」の字は最近何かと話題のダライ・ラマ猊下の「猊下(げいか)」と書いて下をカットすると良いだろう。
他は季節が変わり、グヤーシュが消えて、田植えが出てきた。
軍艦アパート 8.3% 上棟式 3.6% 谷中 2.3% 高過庵 1.6% 田植え 1.5% 山門不幸 1.4% 臭突 1.3% 丸井金猊 1.2% 藤森照信 1.1% 遊郭 1.1%
先月(2008年3月)の解析結果はこちら から。
2008年4月22日 13:43, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/42mm
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2008年04月19日 (土)
B3ポスター
これまで幾度か予告エントリーをしてきたように、祖父の故郷・愛知県の一宮市博物館 で、特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が開催されることになった。これまでの展示活動はずっと自主企画だったのに対し、今回は公的機関である一宮市博物館の主催で、チラシ・ポスターに加え、図録も作られることになっており、贅沢な限りである。
ただ、自主企画のときには自分でDMを拵え、ダーッとプリンタで直接葉書に印刷するだけで済んでいたのが、今回はチラシを折って封筒に入れ、宛名ラベルも別途用意しなければならないので(切手代も80円)、思いの外、その作業に苦心している。
チラシ・ポスター等のデザインも博物館側が決めたデザイン会社に委託し、フォントのことなど多少口は出したが、基本的にはお任せという形になった。なので、おそらく私がデザインしていたら絶対起こらなかっただろうことが一つ起きている。それは祖父の屏風をご存知の方ならすでにお気づきかもしれないが、屏風の折れ目が消えているのである。当初ゲラ刷確認のときには私はその屏風の折れ目位置についてばかり注文を加えていたのだが、最終確認段階でそれが消えてしまって、注文の必要がなくなってしまった。まあ、祖父の画は必ずしも屏風の折れ目というフレームを意識した構成になっているわけではないので、それほど重要ではないのかもしれないが、この辺が自主企画ではない展覧会なんだな〜という実感を強くしていた。
ただ、結果的には目が馴れてしまったというところもあるけれど、担当の学芸員さんが考えられた「いまあざやかに」という副題のひらがな赤字ともマッチして、その言葉との相乗サブリミナル効果を持ちそうなものに仕上がったなと大変満足している。
展覧会の詳しい情報等は丸井金猊公式サイト の方でご覧いただきたいが、ときどきこちらのブログでもちょっと余談的なエントリーというのはまたするかもしれない。
[左] B2ポスター/チラシ [右] チラシ裏面
【会 期】2008(平成20)年4月26日(土)〜6月1日(日)
【時 間】午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】4月28日(月)・30日(火)、5月7日(水)・12日(月)・19日(月)・26日(月)
【会 場】一宮市博物館 〒491-0922 愛知県一宮市大和町妙興寺2390(Google Map )
【最寄り駅】名古屋より名鉄名古屋本線岐阜行きにて妙興寺駅下車南口より徒歩7分
東海道本線・尾張一宮駅からタクシーで行く方法もあります
【お問い合わせ先】0586-46-3215(一宮市博物館)
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2008年04月15日 (火)
2005年「家づくりは、はじめてですか? 」のエントリーで、業界唯一完全独立系建築プロデューサーの朝妻義征 氏が出された同タイトルの自費出版著書を紹介したが、その後に氏は改訂版を出されたあと(その改訂版では上記エントリーでツッコミ入れてた背表紙タイトルも追加された)、さらにバージョンアップさせた本格書籍を幻冬舎ルネッサンスから発行された。
タイトルも新生『 家づくり物語』へと変わっている。ちなみに梅田ジュンク堂で書籍検索すると、なぜか「文芸」のカテゴリで出てくる。物語ってタイトルだからなのか、それとも幻冬舎だからなのか、書店の検索機も複数カテゴリ指定の機能は搭載していてもらいたいものである。
レビュー(感想文 )は、我が家づくり仲間の仲間内では、
・ちはろぐ: 『家づくり物語』
・家づくり行ったり来たり: 「家づくり物語」──友人が書いた本をオススメする
・あさみ新聞: 家づくりのススメ
と強力なエントリーが続き、正直それに続くには尻込みしてしまうというのが本音だ。
そのくらい上記エントリーは強力(なぜかここで最初「協力」と変換されてしまったのだが、ある意味で「協力」的でもある)なので、同書籍をお持ちの方、心惹かれてる方はそれを読まれるより先に『家づくり物語』を読まれた方がいいかもしれない。そして読後にそれらエントリーを読むと、『家づくり物語』が如何にスゴイ本だったかを改めて実感されることだろう(て、読んでる途中で気づく人は気づいちゃうだろうけど)。
さて、朝妻さんが心待ちにされてるような感想文だけど、スンマセン。2005年のエントリーで内容面についてはそれなりに書いてしまっているので、今回は少々斜めからの切り口で捉えさせてもらいます(ある意味直接的な内容には触れない)。
それで今回『家づくり物語』を読みながら、というよりも読む前から朝妻さんがブログなどで漏らされてた言葉 を聞きながら思ったのは、この本において朝妻さんははじめて(?)施主(クライアント)という立場に立たれて、本づくりと向き合うことになったんだろうなということである。これまでの自費出版は云わば「DIY」で作られていたようなもので、特に改訂前の版では誤字脱字なども結構あって(笑)、でも、おそらくは自分の作りたいように自分の中から湧き出る言葉を紡ぎ出して来られたのだと思う。
ところが、今回は編集者(建築家?)が間に入り、装丁・イラスト(左官?)と色々な人たちとの共同作業のなかで、本づくりのリーダーとして、ときには迷子になったり、もしかすると本づくりの妖精とどこかで出会って、その共同作業ゆえに編み出された一つの形となったものがこの『家づくり物語』なのだろうなと思った。なので、朝妻さん本人と直接お会いしたことのある者としては、ここは自分が知ってるはずの朝妻さんぽくないなと思うところがないわけではない。しかし、私にとって家づくりが面白かったのはそういう「100%純然たる自分」ではないところが、建築家や工務店、家族とのやりとりのなかで紛れ込んでくることであった。そして、もう一つ面白いのがそうして紛れ込んできた新たなる要素が気づかぬうちに、それもまた「自分」の一部であるかのように感じられるようになっているということである。
実は私自身、ふだんはクリエイターの側の立場にあるので、実家の家づくり自体がはじめての施主(クライアント)体験だったと言っていい。しかし、その経験は言うまでもなくその後の本業活動において大きな糧となっている。おそらくは建築プロデューサー朝妻さんにとっても、本づくりというクライアント体験は本業の実績を踏むこととは別の意味で大きな糧となったに違いない(家づくりの迷子にとっては、より一層朝妻さんが身近で親しみの持てる妖精となっていることだろう)。
書籍配本直前、朝妻さんは某所で「孫の誕生を待つおじいちゃんのような心境かも? うん?なぜ子供じゃなくて孫なんだろう? 」と語られていた。その心理は自費(DIY)ではなく、より多くの仲間(家族)に囲まれて迎える産声だったからではないだろうか。よく孫の誕生は我が子よりも嬉しいなんて話聞くし。。
以上、本エントリーでは著作本編の具体的な部分には一切触れずに書いてしまったが、ブログ迷走中 の身にとって『家づくり物語』は家づくりの過程を想起するネタ満載なので、祖父の展示が終わって落ち着いたら、本文中の唐突な一行をきっかけに妄想を繰り広げるようなエントリーを小出しにできたらと思っている。
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2008年04月08日 (火)
本当は先月中に告知すべきだったし、もっと言うと、とうの昔に作っておかなければならなかったものなのだが、ようやく我が祖父・丸井金猊の公式サイト を再始動させた。それはここ最近連続している祖父関連のエントリーでも記した通り、4月末から愛知県の一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が始まるため、それに合わせてというのが大きいのだが、作り始めたきっかけは「Mobable Type 4.1 でβ版サイト構築 」でも書いているように MT4.1 の様子見で空きスペースとなっていた kingei.org を使って色々試していたら、汎用テンプレートセットをそのまま使うんでも何とかなりそうということで、そのままβ版でリリースしちゃおうという運びになったのである。
この流れは実は谷中M類栖の始動時と一緒で、その経緯は「blog 開始 」に記してある。当初は妻の日記サイトを用意するつもりで MT をいじっていたら、これは家づくり記録にもってこいだということで、これまたデフォルトテンプレートにちょこっと味付けを加えた程度でスタートさせたのだ。その10ヶ月後 にはデザインを独自仕様に変えているので、今回も同様のことがあるかもしれないが、とりあえず当面はこの仕様で、中身を徐々に増殖させていきたい。
尚、トラックバックやコメントがあることからもわかるように、公式サイトといってもベースは完全にブログでできている。作品一点一点に対するコメント&TBも歓迎だ。サイト構築する上で特に心がけたのはあらゆる角度から作品との遭遇確率を高めるということで、デザインはデフォルトながら、その仕掛けには多様なプラグインを多数組み込んである。リスト一覧 で見るもよし、画像一覧 で見るもよし、とにかく「おっ!と思える作品に最小クリック数でアクセスしてもらえることができたなら幸いである。また、こちらのブログではこだわり続けた「作品」と呼ばずに「リソース」と呼ぶこと。このこだわりも一旦解除して「Artworks - 作品 - 」というカテゴリー名にしてしまっている。これも見る人が直線的に作品に触れられることを第一とし、それ以上の余計なノイズを与えたくなかったからである。
現在、トップページは一宮市博物館特別展対応の情報がメインとなっているが、ここでは当初に作成したトップページのイメージを貼り付けておくことにする。
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2008年04月02日 (水)
広報一宮に続き、一宮市博物館 の公式サイトでも「催し物のお知らせ>展覧会 」のページで、特別展「丸井金猊展」の情報が掲載された。館内マップ をご覧いただくとわかると思うが、今回の展示はギャラリー、ラウンジ、展示室と展示空間が分散され、回廊する感覚で観ることになる。これまで一室空間ばかりでの展示だったので、どのような展示になるのか待ち遠しい限りである。
*
特別展「丸井金猊展」
■開催日時:4月26日(土)~6月1日(日)
丸井金猊(きんげい)(1909-1979)は一宮市北方町出身の日本画家です。昭和初期に和洋入り混じった画風で活躍しました。主な作品は、阪急電鉄創業者の小林一三委嘱による東宝劇場階段ホール壁画(火災により焼失)があります。一宮出身の知られざる画家の魅力あふれる表現の数々を展観します。
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2008年04月01日 (火)
4月になったら・・と仄めかしていた「アクセス検索ワード2008.02 」のエントリー。
とりあえずエイプリルフール時点で公開されている情報のみここで紹介しておこう。
その情報は祖父の故郷、愛知県の一宮市の広報紙「広報一宮2008年4月号 」に掲載されている。30〜39ページ「情報ボックス 」のPDF版をダウンロードし、37ページをご覧になられたい。と言わずとも本掲載画像を見れば一目瞭然だろうが、この度、一宮市博物館 企画による特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」が開催されることになった。
チラシが届き次第、改めて告知する予定だが、ひとまず表に出た情報をベースに小出しに伝えていく予定(その方がエントリー数稼げて、SEO対策にもなる)。
*
博物館特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」
丸井金猊(きんげい・1909〜1979)は、北方町に生まれた日本画家です。東京美術学校で学び、和洋が入り混じった独特の画風を生みだしました。
戦前に愛国生命保険(のち日本生命保険)壁画製作、東宝劇場階段ホール壁画製作(火災により焼失)など華々しい活躍をしました。戦後はほとんど創作に向かうことなく教育者として後進の育成指導にあたりました。
独特の美意識のもとで生み出された作品50点を地元で初めて展示します。魅力ある表現の数々をご覧ください。
▼日時/4月26日(土)〜6月1日(日) 午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
▼会場/博物館
▼料金/大人500円、高・大学生300円、小中学生200円
▼休館/期間中の4月28日(月)・30日(火)、5月7日(水)・12日(月)・19日(月)・26日(月)
▼電話/0586-46-3215(一宮市博物館)
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2008年03月31日 (月)
1962年1月, 奈良県生駒郡斑鳩町
まだトップ10までは入らないが、先月の19位に続き、祖父の名前「丸井金猊」が12位まであがってきた。来月にはいよいよトップ10ランクインしてくれるだろうか。
軍艦アパート 8.8% 上棟式 3.7% 谷中 1.8% グヤーシュ 1.7% 無印の家 1.6% 高過庵 1.4% 山門不幸 1.3% 遊郭 1.2% 臭突 1.1% 藤森照信 1.0%
先月(2008年2月)の解析結果はこちら から。
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2008年03月24日 (月)
豊田さんから「まちの木霊プロジェクト2008」のDMが届いた。当初、今年は自分も参加予定だったのだが、結局年度末のドタバタで見送らざるを得なくなってしまった。来年もこの時期だとすると、なかなか参加は難しいかな〜。それと搬入・搬出で二度上京しなければならないのも経済的にしんどいと言えばしんどい。
ま、18きっぷの時期なので、時間があれば片道2,300円で済むのだが。。
それと今回「金猊リソース消ゆ? 」で匂わしたように、現在、谷中M類栖/1f から金猊リソースが出払った状態なので、本当言うとうちも会場提供できたとも言える。こんな時期そうそうないので、勿体なかったかな。
第5回 まちの木霊 プロジェクト 2007
私達の傍らに活きる自然の不思議・驚き笑いを作品にする展示会
【会期】2008年3月25日(火)〜3月30日(日)
【時間】通常日 12:00〜19:00 最終日12:00〜17:00
【会場】ギャラリーSD602 KINGYO 文京区千駄木2-49-10 Tel. 050-7573-7890
English Tea House Pokoe 台東区池之端4-22-8
【主催】谷中学校 坪庭開拓団
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2008年02月29日 (金)
1975年4月, 東京都三鷹市, 三鷹金猊居前にて
「いろはに木工所 」のランクイン以外は特に目新しい変化のない今月。ブログ再開したものの、大したエントリーを書く間もなく終わってしまったのだから当然といえば当然だが、ただ、それとは全く関係なく、これまでアクセス解析画面をスクロールしないと出てこなかった祖父の名前が19位まで浮上してきたのが何とも喜ばしい。
これは現在水面下で動いている企画を知る人がアクセスしてくれているのだろう。感謝したい。その水面下の企画は諸般の事情により4月に入るまで告知できないが、4月に入ったらすぐこのブログ上でも告知する予定である。4月1日にというのも何やけど。
軍艦アパート 10.8% 上棟式 2.8% 谷中 2.0% グヤーシュ 1.6% いろはに木工所 1.5% 遊郭 1.4% 高過庵 1.2% 山門不幸 1.1% 臭突 1.1% 無印の家 1.0%
先月(2008年1月)の解析結果はこちら から。
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2008年02月02日 (土)
2008.02.01 17:31, 大阪市西区九条(シネ・ヌーヴォ ), Nikon D50/24mm
前エントリーで「家づくり」に立ち返って‥‥と方針転換を示唆しておきながら、いきなり何だが、学生時代からの友人がユニット監督・撮影を担当した(総監督は別)映画『 東京ソーダ水』が東京・大阪でロードショー中なので紹介しておく。
東京ソーダ水
めくるめく東京。変わりゆく8人の女の日常(ライフ)ドキュメンタリー。
東京:渋谷 アップリンクX 2月15日(金)まで
大阪:九条 シネ・ヌーヴォ 2月7日(木)まで
前売り価格で鑑賞できる当日精算券予約はこちら
まだ放映中なので内容に踏み込むのは控えるが、個人的に新鮮だったことを一つ。
途中スクリーンを4分割するシーン(つまり4人分の女の日常)が何度か出てくる。当然最初それは違和感をもって迎えることになるのだが、そんな違和感を抱きながらもそれら4つのシーンが観れてしまっている(ら抜きだが、何か「観れて」と言いたい)。それがこの映画の目方なんだろうなと観ている途中から思っていた。
とっころで、この8人の女の中にうちの妹が入ってるってのを観てみたかったな。
‥‥とここで無理矢理「家」絡みの話を挿入。「変わりゆく東京」という以前の谷中M類栖なら取り上げそうなネタもあったのだが、仮に方針転換を図ってなかったとしてもあまりここで取り上げようという気にはなれない。ただのフリのようにも思えた。
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2008年02月01日 (金)
2008.01.07 16:54, 大阪市北区天満(桜ノ宮橋), Nikon D50/35mm
「blog 開始 」のエントリーから4年が経つ。ここ半年くらい更新をサボッていたので余計にそうなのかもしれないが、その間に自身のブログというメディアの受け止め方は随分変わったし、また日常的に見ているブログの傾向もすっかり変わってしまった。
「家づくり」という高揚感は、当時の自分を、その志向から周辺環境(交友関係)まで大きく変えたが、年月とともにそれが冷めてきたとき、どこか家づくりを始める前の自分に舞い戻っているような気がしなくもない。そんな折、20代の自分という存在に大いなる影響を与えてくれた友人が死んだ。その出来事は自分にとっては不思議と出来事感を一切感じることなく自然と受け止めることが出来たが、それが回り回ってきたなりの30代の経験の垢ということなのか? そこはまだよくわからない。
Custom Field 標準搭載の Movable Type 4.1 がリリースされたが、この谷中M類栖でそこまでの機能拡張は不要なので、ver3 台の最終形である MT3.35 に MT3.21 からスモールバージョンアップして、リスタートを切ることにした。ただし、このバージョンアップにおいても、タグの標準搭載という結構な変化があり、それまで Tagwire のプラグインで無理矢理宛がっていたタグは一旦捨てて、面倒ではあるものの、徐々に再入力していこうかと考えている。何せ、前タグリスト はあまりにぐちゃぐちゃだから。
それともう一点。過去エントリーにタグを再入力する過程で、当時のことを振り返るエントリーをしても良いかな〜と思っている。どうもネタ切れから、家づくりとは近しいようで、実は反対の方向を向いていた「まち・建物探訪 」のカテゴリーを安易に作ってしまったところからこのブログに対する意欲は落ち始めており、もう一度立て直すには「家づくり」とがっぷり四つだった頃の過去エントリーを見つめ直すところから着手した方が賢明と踏んだ。その流れで、過去エントリーよりもさらに過去の経緯についても触れられたら、それは当初このブログで目論んでいたことと一致する。
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2008年01月31日 (木)
2005.10.24 16:14, 徳島県徳島市(徳島港), MINOLTA DiMAGE G400
「無印の家 」がランクイン。それにしても最近は近所の100円ショップがどこも充実してしまっているので、無印良品行く機会ってまるでない。まあ、谷中から東京港→徳島→和歌山とフェリーで経由し、和歌山からは漕いで帰った無印の電動アシスト自転車 のお世話には日々なっているのであるが‥‥。
軍艦アパート 9.2% 上棟式 2.2% 遊郭 1.7% グヤーシュ 1.5% 谷中 1.4% 無印の家 1.3% 写真 1.2% 臭突 1.1% 山門不幸 0.9% 板塀 0.8%
先月(2007年12月)の解析結果はこちら から。
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2007年12月31日 (月)
2007.12.19 15:30, 大阪市北区天満(桜ノ宮橋), Nikon D50/38mm
「軍艦アパート 」の8.5%はこれまでの最高数値ではないだろうか。エントリー増がないため、いよいよ検索結果が純化されて来ているということか。「結婚できない男 」のひさびさランクインは阿部ちゃんへのご祝儀検索ということかもしれない(笑)
検索ランキングとは関係ないが、以前にエントリーした新桜ノ宮橋が開通し、その横に並ぶ元桜ノ宮橋(愛称・銀橋)が解体または修復工事中で、橋のど真ん中を歩けるようになっている。年の瀬。ゆく鳶くる年。2007年末はちょい運が悪かった。
軍艦アパート 8.5% 上棟式 3.5% 谷中 1.6% グヤーシュ 1.5% 遊郭 1.3% 写真 1.1% 高過庵 1.0% 臭突 0.9% 結婚できない男 0.9% 板塀 0.8%
先月(2007年11月)の解析結果はこちら から。
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2007年11月30日 (金)
2007.10.07 14:55, 広島県庄原市総領町(妻実家), Nikon D50/50mm
ここ半年、なかなか安定した感じで「臭突 」が常時ランクインしている。と言っても、谷中の実家に臭突はあるまでもなく、私がふだん臭突のお世話になるのは専ら総領町の妻の実家においてである。10月に帰省したときには、彼岸花と一緒に屹立していた。
軍艦アパート 6.8% 上棟式 2.7% 谷中 2.0% 高過庵 1.7% グヤーシュ 1.7% 臭突 1.4% 遊郭 1.3% 写真 1.1% 地鎮祭 0.9% 板塀 0.8%
先月(2007年10月)の解析結果はこちら から。
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2007年10月31日 (水)
2007.10.14 18:41, 東京都台東区谷中(谷中M類栖/1f より), Nikon D50/50mm
谷中芸工展 開催月だが、今年は最終3日間のみ参加はしたものの、DMでもネットでも無告知での参加であったため、それをそのまま反映してというべきか、「谷中芸工展 」検索ワードでのアクセスは46位で0.2%しかなかった。それにしても「軍艦アパート 」がどこまでも高い検索率を誇っていることにびっくりする。
軍艦アパート 6.6% 上棟式 2.7% グヤーシュ 1.8% 谷中 1.7% 高過庵 1.1% 遊郭 0.9% 写真 0.7% 臭突 0.6% 板塀 0.6% 山門不幸 0.6%
先月(2007年9月)の解析結果はこちら から。
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2007年09月30日 (日)
2006.08.23 15:45, 大阪市北区(自宅), Nikon D50/50mm
利用しているアクセス解析が直近4ヶ月分のログしか残さないもので、迂闊にも8月分のログを取りこぼしてしまった。しかし、9月もまだ夏の終わりというべきか(これを書いてるのは12月なのだが)、アカアシクワガタ がランクイン。
軍艦アパート 5.8% 上棟式 4.6% 谷中 1.5% グヤーシュ 1.4% 高過庵 1.1% アカアシクワガタ 0.9% 遊郭 0.8% 臭突 0.8% 針江 0.7% 川端 0.6%
先々月(2007年7月)の解析結果はこちら から。
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2007年07月31日 (火)
2006.07.15 09:51, 滋賀県近江八幡市(水郷巡り ), Nikon D50/18mm
今月も季節モノとして「天神祭」「花火」が上位ランクした。
ただ、そんな観光ネタ話題にしたことあったか?とサイト内検索してみると「近江八幡の葦と天神祭 」が出てきて、なるほどそっから来てたんか〜と滋賀県好きなだけに頬もゆるむ。さらに同じ滋賀圏内の湖北にある高島市新旭町の「針江 」も度々顔を覗かせてくれるのは、もっと頬がゆるむ。
軍艦アパート 5.2% 高過庵 2.6% 天神祭 2.3% 花火 2.0% 上棟式 1.8% 谷中 1.4% 針江 1.2% グヤーシュ 1.1% 川端 1.1% 遊郭 1.0%
先月(2007年6月)の解析結果はこちら から。
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2007年06月30日 (土)
2007.11.10 08:56, 長野県諏訪市(源泉の宿 緑水 より), Nikon D50/95mm
季節モノとしてか、「蛍・辰野 」が入ってきた。
すでに2年前の、母と土地処遇問題で諏訪に行ったときのオプション的話だが、何とも懐かしい。諏訪の宅地 の方は特に話は進んでないが、いずれはセルフビルドを!と考えていて、このブログをその妄想の場にできればと考えている。
しかし、グヤーシュ は全く季節モノではないはずだが、なぜまだ入ってるんだ?(汗)
軍艦アパート 4.2% 高過庵 2.1% 谷中 1.9% 上棟式 1.7% グヤーシュ 1.4% 遊郭 1.3% 蛍 1.2% 臭突 1.1% 川端 1.0% 辰野 0.9%
先月(2007年5月)の解析結果はこちら から。
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2007年05月31日 (木)
2007.04.13 13:48, 東京都港区三田(蟻鱒鳶ル), Ricoh GR Digital
「結婚できない男 」が再浮上。DVD でも出たのかな?(笑)
そして着目すべきは丹下健三と並んで岡さんの名前がノミネートされたこと。
そういえば先月久々に蟻鱒鳶ル 見に行って撮った写真がそのままになっているので、ここで数枚アップしておこう(写真クリックすると違う写真を表示)。
軍艦アパート 5.0% 高過庵 2.6% 谷中 2.4% 遊郭 1.8% 上棟式 1.5% グヤーシュ 1.3% 結婚できない男 1.2% 臭突 1.2% 丹下健三 1.1% 岡啓輔 0.9%
先月(2007年4月)の解析結果はこちら から。
2007.04.13 14:11, 東京都港区三田(蟻鱒鳶ル), Ricoh GR Digital
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2007年04月30日 (月)
2007.04.06 13:42, 大阪市都島区(桜ノ宮), Ricoh GR Digital
丹下健三の復活以外、特に大きな変化はなし。建物・地名情報が多いのは検索する絶対数が多いということもあるんだろうが、最近もう少しちゃんと住宅ブログらしい用語が検索されるブログでありたいと反省気味である。
と言いながら、今後アクセス解析のエントリーでオマケ掲載する写真は、本文内容に囚われず、その月に撮った写真などを適当にピックアップしていく予定。そうしておかないと毎月軍艦アパートの写真ってことになってしまう(汗)
無論関連した写真をアップする月もあるだろうけど。。
軍艦アパート 4.4% 谷中 2.4% 高過庵 2.3% 上棟式 1.9% ファーブル昆虫館 1.5% 遊郭 1.4% グヤーシュ 1.3% 臭突 1.2% 針江 1.0% 丹下健三 0.9%
先月(2007年3月)の解析結果はこちら から。
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2007年03月31日 (土)
おそらく今頃更地と化したであろう軍艦アパート が先月に続き、高いアクセス数を堅持しているので、今月も軍艦アパートからの写真をピックアップしておこう。他、川端で知られる滋賀県は新旭町の針江区 と千駄木のファーブル昆虫館 がどちらもエントリーからはだいぶ経つのにランクインしてきた。
軍艦アパート 3.1% 谷中 2.3% 遊郭 1.8% グヤーシュ 1.5% 高過庵 1.4% 針江 1.3% 臭突 1.2% フッコー 1.1% ファーブル昆虫館 1.0% 上棟式 0.9%
2007年2月の解析結果はこちら から。
【写真左】2006.02.27 16:02, 大阪市浪速区下寺町・軍艦アパート北棟東側にて
【写真右】2006.02.27 16:31, 大阪市浪速区下寺町・軍艦アパート北棟西側にて
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2007年03月29日 (木)
インフルエンザ(A・B両方併発のレアケース)を患い、すっかり乗り遅れてしまったが、最近住宅関連のエントリーが欠乏しているので、栄養補給も兼ねて住宅建築占い !
m-louisさんは 契約書 です! ●契約書さんは、センスが良く、とても洗練された人。品のあるもの、優雅なものを好むタイプで、あくせくした暮らしは好きではないでしょう。それにふさわしいだけの心の余裕や、品位を持っている人なのです。経済的な生活レベルは普通でも、美的感覚に優れているので、日々の生活に自然と美しいものを取り入れていけるはず。庭の花を一輪飾るにしても、あなたが飾ると、その場が急におしゃれな空間になるのです。そういった才能に早くから気づいた人は、インテリアやファッション関係、デザイン関係の道に進むかもしれません。恋愛面は、どちらかと言うと受け身でしょう。特に意識することはありませんが、相手に合わせた恋愛をしていきそうです。
●m-louisさんの開運一人称は、「わて」です!
とりあえずこの占い、血液型不明の項目があったおかげでやってみることができたのだが、もしそれがなければ、照明器具か設計図のどちらかという結果になっていた。というか、申告上は血液型不明の私も両親の子供であればA型かO型かのどちらかになるので、本当は照明器具 か設計図 のどちらかなのである。でも、ここでは契約書 として振る舞おうとしてるのだから、何ともおかしな話だ。
そして、そのそもそも本当ではない結果内容が私 と一致しているかは最早問題にもならないような気がするが、それ以前に気になるのがその本文内容が何で契約書 とイコールで結ばれるのか?ということである。事務関係の道でも進めるべきだと思うが?
それとも〆切来ないと腰を上げぬデザイナーは契約書 で縛っておけということか?(^^;)
ちなみに家づくり仲間の結果はこちら!
・照明器具 の garaikaさん: 住宅建築占い――「照明器具さん」でよかったか
・土台 のノアノアさん: 「住宅建築占い」
・柱 の finziさん: 住宅建築占い
・フローリング のちはるさん: 「住宅建築占い」、おいどんは・・・・
【写真】2007.03.19 08:30, 谷中M類栖/rf/タラップにて
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2007年03月26日 (月)
今年は豊田さんからのDMが届く前に、N的画譚「飛び入り参加の展示のお知らせ 」で知ることになった「まちの木霊プロジェクト2007 」。neonさんも参加ということで是非とも行きたいところではあるのだが、またまたバッドタイミングで行けそうにない。
というわけで、告知だけでものエントリー。
gallery J2 が閉廊してしまったので、今年はどこでやるのかな?と思っていたら、ギャラリー Kingyo と English Tea House Pokoe の2つの会場を活用するということらしい。今後も複数の会場を使うということなら、谷中M類栖/1f も場の提供に吝かではないが、ただ、結局人員確保の面で難しいのかもしれないな〜。会場増えちゃうと逆に。
ともあれ、いつか谷中M類栖/1f で「豊田館」(車販売じゃないですよ)みたいなことを是非ともやってもらいたいものである。
まちの木霊 プロジェクト 2007
私達の傍らに活きる自然の不思議・驚き・笑いを作品にする展示会
【会期】2007年4月3日(火)〜4月8日(日)
【時間】通常日 12:00〜19:00 最終日12:00〜17:00
【会場】ギャラリーSD602 KINGYO 文京区千駄木2-49-10 Tel. 050-7573-7890
English Tea House Pokoe 台東区池之端4-22-8
【主催】谷中学校 坪庭開拓団
【追記】
その後に豊田さんから届いたメールで、来年私も参加しないかというお誘いがあった。自分が参加するということはなぜか全く考えてもみなかったが、年4、5回は谷中にも帰っているので、意識的に「まちの木霊」を拾うようにしていれば何かできるかもしれない。というか、個人的には植物系統の好きな母に何かやらせたい気もする。
あと、界隈を彷徨いてるご近所ブロガー仲間を誘って、第三会場「谷中M類栖/1f」をわかすというのもまたひとつのアイデアかもしれない。
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2007年02月28日 (水)
臭突がじわじわと勢力を伸ばし始め、何だかブログ界でもすっかり市民権を得た感じがする。軍艦アパート はその最後の最後を見に行けなかったが、完全になくなって しまったようだ。曙ハウスは13位と惜しくもトップ10圏外。それと先月、突如逆転現象を起こしたヤフー vs グーグルは今月は52%:42%と再びヤフーが盛り返していた。
グヤーシュ 2.6% 遊郭 2.5% 上棟式 2.4% 軍艦アパート 2.3% 谷中 1.7% 臭突 1.5% 高過庵 1.4% 丹下健三 1.2% 桃林堂 1.0% 板塀 0.9%
2007年1月の解析結果はこちら から。
※先月から月末のアクセス解析エントリーにも写真を掲載!
【写真】2006.11.14 16:55, 大阪市浪速区下寺町・解体を前にした軍艦アパート
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2007年02月09日 (金)
根津の曙ハウスが取り壊され、その地が更地と化したのが去年のちょうど今頃。
そのとき「曙ハウス」という実体のほとんどはこの世から姿を消して行ったが、それでも曙ハウスを強烈に印象づけていた看板役者「スウハ曙」の看板プレート、1階階段の手摺り支柱は、処分される前に「Kai-Wai 散策 」の masaさんの手によって救い出され、古物商の協力を得ながら、文京ふるさと歴史館 に収蔵されている(その経緯については Kai-Wai 散策「曙ハウス・プレートの行方 」「曙ハウス - 再び 」に詳しい)。
その命拾いした看板プレートと手摺り支柱がこの度、文京ふるさと歴史館の企画展「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形・デザイン」にて、収蔵後、初披露の機会を得ることになった。展示にあたっては、それらの収蔵品の他に masaさん撮影の曙ハウスの写真、また「N的画譚 」の neonさんが描かれた画「曙ハウス 」。そして、同じくneonさんの描かれた曙ハウスの間取り図が公開される(この間取り図については、私も微力ながら協力させていただいたが、neonさんが「曙ハウス 間取り図を描く 」のエントリーで図面起こしの経緯を詳しく書かれているので是非ご覧になられたい)。
ここから先の話は実際に展示を観てからということで。何とも待ち遠しい限りである。
文京ふるさと歴史館企画展
「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形デザイン 」
第1部 伝統の継承と西洋への憧憬
「5 木造2階建てのアパートメントハウス 曙ハウス 1920年代」
2007年2月10日(土)〜3月18日(日) 10:00〜17:00 月曜日休館
文京ふるさと歴史館 文京区本郷4-9-29
連携企画
「まちかどの近代建築写真展 IN 根津 」
日本基督教団根津教会 文京区根津1-19-6
2007年2月10日(土)〜2月17日(土) 10:00〜17:00(最終日は15:00まで)
【写真】2004.03.07 14:29, 東京都文京区根津・在りし日の曙ハウス
【参考】曙ハウス関連リンク集: 曙ハウス†スウハ曙
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2007年01月31日 (水)
今月はこのブログにとっては至って順当な結果。ただ、1位獲得の「高過庵」のパーセンテージがエライ高い。またTVで放映されたりなどしたんだろうか?
ところで今月はアクセス検索ワードとは別に、検索エンジン利用度の当ブログ内解析において興味深い変化が現れた。これまで大方6:3:1の割合で「Yahoo:Google:その他」だったのが、なぜか突如、Yahoo と Google の比率が入れ替わってしまったのである。わきた・けんいちさんのブログで紹介されている「グーグル革命の衝撃 」という番組がNHKで放映されたせいとも思えないんだけど、一応、先進国とされている国の中では日本だけがヤフー利用率が高いという一匹狼ぶりを発揮してたのに、どうしちゃったんだろうねぇ。まさかソフトバンクのきみちゃんいじめ(仲間はずれ)CM がよっぽど評判悪くて、ヤフー離れしたなんてこともあるまいだろうし(汗)
高過庵 10.4% 上棟式 4.1% グヤーシュ 3.6% 遊郭 3.0% 谷中 1.8% 山門不幸 1.5% 軍艦アパート 1.4% 橋本 1.3% 板塀 1.0% 臭突 0.9%
2006年12月の解析結果はこちら から。
※今年からこの月末解析エントリーにも写真貼り付けることにします。
(たぶん、エントリー内容とはあんまり関係ないものになっちゃうだろうけど)
【写真】2006.10.29 12:38, 阪急京都線「相川」駅付近の車窓から神崎川
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2006年12月31日 (日)
先月も書いたが、トップランクインの検索ワードはちょっと勘弁して欲しい。試しにググってみても最初の数ページで出て来ないのだから、よほどその言葉自体がよく検索されているということだろう。ドラマ「結婚できない男」は年末再放送されてるので、再び盛り返してるのか? 結構見てしまっている。
ところで最近、このブログでコメントができないというメールを度々いただく。どうもサーバがおかしいのか何なのか、コメントができるときとできないときがあるようで、エラーが出てしまった場合はお手数ですが、ブラウザの「戻る」ボタンで戻って、再度[POST COMMENT]ボタンを押してみてください。
イナムラショウゾウ 3.5% グヤーシュ 2.5% 谷中 1.9% 遊郭 1.9% 高過庵 1.4% 上棟式 1.2% 結婚できない男 1.1% 板塀 0.9% 蟻鱒鳶ル 0.8% 軍艦アパート 0.7%
2006年11月の解析結果はこちら から。
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2006年12月05日 (火)
美容室 CLASSICAL は、千駄木駅から三崎坂を上ること3分。江戸千代紙「いせ辰 」の斜め向かいにある。ふだん三崎坂を上り下りするときは「いせ辰」の羽子板看板に目を奪われてどうしても死角となりがちだが、芸工展期間中は芸工展フラッグと共に店先に「谷中芸工展・コジマユウジ展・開催中」と三段組みの立て看板が「おいでよ」って感じに親しげな様子で構えていて、髪切る目的がなくても気軽に入って行けた。
会期中も美容室は営業していて、どちらかというとエントランス手前の方に作品は展示されているのだが、奥で営業中の美容サロンの方も額縁に入った鏡がイーゼルに架けられ、美容室自体が不思議な雰囲気。これは芸工展期間中の特別仕様か?とも思ったが、「美容室 CLASSICAL 」公式サイトを見てもわかるように、ふだんからイーゼル額縁鏡でカットやパーマは行われているようだ。トイレにもオーナーさんのナイショの展示があったりと美容室全体から芸工展を楽しもうとする雰囲気は伝わってきた。
タイミング良く作家のコジマユウジさんも見えていて、コーヒーをいただきながらしばし談笑。歳が私と一つ違いということもあってか、何だかとっても話しやすかった。彼は谷根千界隈在住の人というわけではないが、この美容室で毎年展示して今年で3回目だという。今回、このブログで芸工展の企画を幾つか紹介してきて、あまり表立って作品画像を見せるようなことはせぬよう心掛けてきたが、このコジマユウジ作品に限っては語るよりも見てもらいたい!という感じなので、以下に1枚アップする。
まあ、見せるといってもここに掲載してるのは展示されていた作品ではなく、展示中に配布されていた作家紹介のペーパーと、美容室で出されたコーヒーの入っていた紙コップを家に帰ってから撮影した画像である。ちなみに紙コップの方は私がもらってきたものではなく、母がもらってきたもの。目敏い方はコップの端に口紅が付いていることに気づかれるかもしれないが、母の口紅なので意味深なことは想像されぬよう。
とくだらない余談はさておき、この紙コップと用紙に描かれた何とも言えないキャラクター、それがコジマユウジという作家を象徴していると言っても過言ではないのだろう。線画を中心とした彼の作風もさることながら(キャラクターの有無に関わらず)、まず何よりもこのキャラクターの風貌がどう見ても彼にそっくりなのである(笑)
また、このキャラクターの胸のあたりにはおそらく心臓(心)と思われる、やや尖ったハートのマークが付いている。紹介用紙に「ココロはどうやって作るの?」をテーマに創作活動をされているとある通り、このキャラクターがただカワイイってだけではない雰囲気を漂わせるのは、そうした問題意識を持たれているからなのかもしれない。ちなみに美容室サイトの「RING RING RING 」ではページを捲ると、期間中「一番人気のオブジェ 」や「段ボール素材のオブジェ 」の画像を見ることもできる。
個人的には「公園に行く道 おかし屋に行く道 かくれんぼの道 この町のひみつの道」と書かれた絵(このひょーひょーとした文字がまた何とも言えない)と、天井の描かれた絵がかなり気に入り、私にしては珍しく非常に激しい所有欲に掻き立てられた。残念ながらそれらのポストカードは売ってなかったので、何も買わずに帰ってしまったのだが、後になって他のでも買っておけばよかったな〜とちょっと後悔。だったもんで、後日、コジマユウジさんから新たな展示のお知らせDMが届いて、大変ありがたかった。コジマさん、多謝!
「コジマユウジ展・4 TOYBOX」
2006年12月5日(火)〜12月10日(日) 12:00〜19:30(最終日のみ18:00まで)
〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3-60-6 Tel&Fax: 03-3313-8829
Url: http://sky.zero.ad.jp/tamago/
本当はもっと早くに紹介すべきだったのだが、韓国旅行やら何やらでブログ更新自体が滞り、期間中の告知となってしまった。お近くの方は是非!!
尚、コジマユウジさんと美容室のスタッフさんは後日うちの展示にも見えて、一応そのときに上の掲載画像を見せてアップする旨の承諾は得ている。それと帰りがけの記帳の際に氏名欄の余白にこのキャラの絵を描き残して行かれた。何とも心憎い限りである。
谷中芸工展2006 【69(想) 美容室 CLASSICAL: コジマユウジ展 】
こんにちは。コジマユウジです。美容室という場に会期中絵を展示します。ちょっとかわった空間をどうぞ見に来て下さい。
美容室は火休(展示は開催)/10:00〜20:00 台東区谷中3丁目
⇒公式サイト: 美容室 CLASSICAL
【写真上】2006.10.17 12:53, 台東区谷中3丁目/美容室 CLASSICAL 前
【写真下】2006.10.17 21:39, 谷中M類栖/2f 居間にて
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2006年11月30日 (木)
寒くなってきたからというよりも何かのテレビで紹介されたのだろうか?
ハンガリー料理のグヤーシュ が1位に急浮上。まあ、これは検索を意識して、完全なるレシピを載せているので、引っ掛かった方も外れた感はそうはあるまい。
ただ、ちょっとまずいのが上野桜木のケーキ屋パティシエ・イナムラショウゾウ も急浮上してしまったことだ。随分昔のエントリーなのだが、ちょっと悪口を書いてしまっている。まあ、超人気の店なので、それでへこたれることはないだろうが、逆にこっちが潰されたりして?なんて思ったりして、、いずれにせよ、秋はやっぱり食欲の秋ということなのだろう。ほしのあき ではなく(笑)
グヤーシュ 4.0% 上棟式 3.7% 谷中 1.9% 遊郭 1.8% イナムラショウゾウ 1.7% 高過庵 1.4% 軍艦アパート 1.3% 結婚できない男 1.2% ダイニングテーブル 0.9% 板塀 0.8%
2006年10月の解析結果はこちら から。
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2006年10月31日 (火)
今月はどうしてもベスト10にランクインしてほしい検索ワードがあったのだけど、無事9位に滑り込んでくれた。谷中芸工展…10月はこれに明け暮れた月だったと言ってもよい。それに「谷中芸工展」でググると公式サイトに次いで2番目にこのブログが出てくる状態なので、谷中芸工展の面目に掛けても登場してもらわないわけにはいかなかったのである。…と誰に気を遣う必要もないのに、ホッとしている自分って一体?(汗)
他方でここ数ヶ月ぶっちぎりでトップを快走してきたドラマ「結婚できない男」が放映終了と共にガタッとランクダウンしてしまった。ドラマのアドバイザー役もされていた建築プロデューサーの朝妻さんも「あ〜ぁ、やっぱりね! 」で似たようなこと書かれているが、こうした現象もまたテレビの力の裏返しとでも言うべきなのか?(^^;)
谷中 2.3% 上棟式 2.1% 高過庵 2.0% グヤーシュ 1.7% 結婚できない男 1.6% 遊郭 1.4% 軍艦アパート 1.3% 藤森照信 1.1% 谷中芸工展 1.0% 板塀 0.9%
2006年8月の解析結果はこちら から。
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2006年10月15日 (日)
谷中M類栖/1f 、なんとか告知した10月15日の14:00 までに片付け&展示作業を終え、無事オープンさせることができました。初日からお越しいただいた皆さん、大変ありがとうございます。ただ、せっかく初日にお越しいただいたのに大変申し訳ないことに、丸井金猊リソースの展示リストとプロフィールを記した用紙の準備が間に合わず、それをお渡しすることができませんでした。同用紙の PDF ファイル(2.7MB) をサーバ上にあげておきましたので、よろしければこちら からダウンロードしてみてください。
尚、以下は初日を終えての所感(以上で「ですます」調は終了)。
・予想通り、玄関ドアホンを鳴らして入ってもらうという状態は敷居が高すぎた。
・靴脱ぎ〜スリッパへの履き替え指示が難しい。スリッパは下にあった方がいいかも?
・スタンプラリーだけを目的にしてる人もいるので、入口すぐのところに置くべきか?
・スタンプラリー用のデスクが小さすぎた。
・芳名帳は思いの外、住所まで書いてくださる方が多かったが、やはりご近所ゆえか?
・撮影禁止の札を母が付けていたが、文字情報が絵と喧嘩してないか、ちょい疑問。
・3組以上のお客さんが入ったときの対応がなかなか難しい。
・入口脇の軸がドアの風圧で揺れる(neonさん のご指摘)。場所or押さえ要検討。
・思った以上に気を抜ける時間がない。うちは開館時間が短いから午前中に出まわれる
けど、終日オープンにしているところは他のところを見に行くことができなさそう。
と以上が概ね本日気づいた点。
明日は平日で art-Link も終わってしまっているので、客足もだいぶ遠のくのでは?ということで、誰も来ない時間を有効利用して、上記課題の修正をはかっていく予定。夜は芸工展参加者たちが集うパーティーで、そこで初めてのご挨拶ということになる。
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2006年10月14日 (土)
本日、谷中芸工展2006 が始まりましたが、
谷中M類栖/1f「丸井金猊リソース ver1.0」 は明日10/15(日) 14:00 からです。
本日ご訪問されても、まだ準備中ですので、お間違えのなきよう、、
というか、準備中=片付けが今なお終わらず、明日ホンマに始められるんかい?といった状況。これからオープンまでオフライン状況が続く可能性も高く、メールやコメント等ご対応が遅くなるかもしれませんが、その旨ご容赦ください。
それにしても会期前に丸井金猊リソース紹介とか、もう少ししたかったのだけど、1週間以上、家を空けるツケは大きく、ほとんど何もできぬままになってしまいました。会期中に余裕があれば、また展開していく予定です。
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2006年10月04日 (水)
1909年愛知県に生まれる。本名 丸井金蔵。1933年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒業。'35年同校研究科終了。市立川村女学院美術科、埼玉県立浦和第一高等女学校教諭を経て、'47年東京美術学校工藝科講師。'48年より以後20年以上に渡って神奈川県立工業高校工芸図案科(のち産業デザイン科)教諭を務める。
和洋エジプト入り乱れた独特の画風で、学生時代より旺盛な創作活動を見せるが、30歳に差し掛かる頃、時代は戦争へと暗転。以後ほとんど自作品の創作に向かうことなく、晩年を迎える。神奈川工業高校退職後、「死ぬ前に一度個展を」と再び絵筆を握り始めるが、1979年心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて急逝(享年69歳)。
1930年国際美術協会主催第一回美術展覧会入賞主席。主な仕事として'35年愛国生命保険(のち日本生命保険)壁画製作、'37年には阪急電鉄の創業者である小林一三氏の委嘱により東宝劇場階段ホール壁画製作 (火災により焼失)などを行っている。
以上は、1997年10月に三鷹市美術ギャラリーで開催した「丸井金猊とその周辺の人たち展」のチラシで掲載した祖父のプロフィールに一部加筆したものである(チラシをお持ちの方はどこを変更したか較べられると面白いかもしれない)。
この文章を書くにあたっては以下に転載する祖父本人が書き記した履歴書の他に、メモ帳や祖父のところに届いた手紙、また祖父の実娘である母や親戚の話などを参照した。
本来であれば、約40年に渡って連れ添った祖母に話を聞くのが一番なのであるが、事実上、祖父の遺作展を企図したのが脳梗塞で約3年間寝たきりを続けた(ほぼ喋ることもできなかった)祖母が亡くなってからだったので、どうにもならなかったのである。端から見れば何でもっと早くにと思われるだろうが、そもそも私が超無気力高校時代などを送ってしまって、祖父の早熟ぶりとは対照的にあらゆることに目覚めるのが遅かったのだからやむを得まい。だからといって、あの無駄に過ごした高校時代をやり直したいとも特には思わないのだが(無駄で馬鹿なりのよさがあったし)、やはり一つ惜しむべきは祖母からの情報収集がまるでできなかった点だろう。
「和洋エジプト入り乱れた独特の画風 」なんてのも今からするとかなり恥ずかしい表現だけど、まあ、事実でもあるので、そこはそのまま掲載した。でも、「入り乱れた」というよりは「異物をうまいこと構成した」と言った方が適当かもしれない(笑)
以下、転載する履歴書は基本的に祖父の記述をベースに西暦と年齢を添えただけのものであるが、最後の個人略歴と遺作展歴は私の方で新たに追加している。
□◇
丸井 金猊 履歴書
雅号 丸井金猊(キンゲイ) または 金臣(キンシン ※最初期)
本名 丸井金蔵 1909.10.19(明治42年10月19日)生
■学歴
1928.03(昭和 3年) 愛知県立工業学校図案科卒業
1928.04(昭和 3年) 東京美術学校日本画科入学
1933.03(昭和 8年) 東京美術学校日本画科卒業(修業年限5ヶ年)
1935.03(昭和10年) 東京美術学校研究科卒業(修業年限2ヶ年)
■画歴並びに業務略歴
1930.06 国際美術協会主催第一回美術展覧会に出品、入賞首席
昭和 5年・20歳(画題「菊」二曲屏風半双、東京平尾賛平氏買上)
1931.06 国際美術協会主催第二回美術展覧会に出品(無鑑査)
昭和 6年・21歳(画題「閑庭」二曲屏風壱双、公爵近衛文麿氏買上)
1933.03 東京美術学校卒業成績作品
昭和 8年・23歳(画題「菊花讃頌」二曲屏風二双連作、外務省政務次官瀧正雄氏買上)
1934.10 愛知社主催東都在住作家日本画展覧会出品
昭和 9年・24歳(画題「麗人散策」衝立、公爵近衛文麿氏買上)
1935.04 東京、私立川村女学院美術科講師並びに常任幹事職員
昭和10年・25歳(1941/昭和16年6月退職)
1935.11 愛国生命保険株式会社(社長原邦造氏)の委嘱に依り壁画製作
昭和10年・26歳(画題「奏楽」竪、幅共ニ十尺)
1937.05 (株) 東宝劇場(社長小林一三氏)の委嘱に依り同劇場階段ホール壁画製作
昭和12年・27歳(画題「薫風 」=騎馬婦人群像図、竪十尺、幅十八尺)
1942.01 東京、私立帝都学園高等女学校講師
昭和17年・32歳(同年3月退職)
1942.04 埼玉県立浦和第一高等女学校教諭
昭和17年・32歳
1945.12 埼玉県立浦和第一高等女学校勤務、高等官待遇(内閣)、地方教官二級
昭和20年・36歳
1946.10 浦和日本画家協会幹事並びに浦和市文化連盟会員
昭和21年・36歳
1947.04 東京美術学校講師を嘱託 工藝科勤務
昭和22年・37歳
1948.04 神奈川県立神奈川工業高校教諭 工芸図案科 勤務
昭和23年・38歳(1971/昭和46年3月退職・61歳)
■個人略歴
1909.10.19 愛知県葉栗郡北方村大字中島で丸井貝二・みわの三男として生れる
明治42年・0歳(現・愛知県一宮市北方町中島/兄弟は9人兄弟姉妹)
1928.04〜? 東京美術学校日本画科入学後、暫く谷中清水町に下宿
昭和 3年・18歳
1930.01.05 長兄・久右エ門、病没(享年28歳)
昭和 5年・20歳
1935〜 東京美術学校日本画科卒業 、この頃、親友・宮内秀雄 氏と知り合う
昭和10年・25歳(宮内氏はコンサイス英和辞典の編者で知られる英文学者)
1937.03.02 茅野さだゑと結婚
昭和12年・27歳(戸塚から下落合に転居)
1938.10.23 父・貝二、死去(享年70歳)
昭和13年・29歳
1939.03.23 弟・末太郎 、戦病死(享年24歳)
昭和14年・29歳
1939.11.03 三鷹金猊居、上棟
昭和14年・30歳(下落合から三鷹に転居/三鷹金猊居は金猊本人の設計)
1941.04.09 母・みわ、死去(享年63歳)
昭和16年・31歳
1942.04 戦争のため、一時的に三鷹金猊居を空けて浦和に疎開
昭和17年・32歳
1944.02 長女・美鷹 、誕生
昭和19年・34歳(妻さだゑの実家上諏訪にて)
1944.11.17 弟・了二、戦没(享年26歳)
昭和19年・35歳
1946.11 次女・鏡子、誕生
昭和21年・37歳
1970.11.24 初孫・隆人 、誕生
昭和45年・61歳(三鷹市村越産婦人科にて)
1972.03〜06 東村山市緑風荘に入院療養
昭和47年・62歳(病院からの手紙 )
1979.07.12 心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて死去(享年69歳)
昭和54年・69歳
1995.11.12 妻・さだゑ、三鷹市篠原病院にて死去(享年87歳)
平成 7年(脳梗塞から肺炎等を併発)
2003.08.05 妹・八恵、愛知県江南市の病院にて死去(享年91歳)
平成15年(金猊最後の兄弟姉妹)
■遺作展歴
1997.06.18〜06.22 「≪所有≫の所在」展(三鷹市美術ギャラリー)
平成 9年(屏風「壁畫に集ふ」の完成作とその下絵を並置)
1997.10.22〜10.26 丸井金猊とその周辺の人たち展(三鷹市美術ギャラリー)
平成 9年(当時発見済みの全リソース約60点をゆかりの人々の作品と共に公開)
1999.01.08〜01.17 飛高堂表装 丸井金猊 展(ぎゃれりぁ飛高堂)
平成11年(三鷹の飛高堂で表装した作品を展示)
1999.03.15〜03.19 丸井金猊展(東京丸の内・東京マリンギャラリー)
平成11年(副題:「閉ざされた成熟」のなかで/約50点展示)
2000.11.09〜11.13 浦和第一女子高等学校創立百周年記念美術・書道展
平成12年(伊勢丹浦和店7階アートホール/「白鷺圖」を出品)
2002.10.04〜10.13 家の中の金猊(三鷹金猊居)
平成14年(三鷹金猊居解体前の家そのものを展示空間とした展示)
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2006年10月03日 (火)
谷中M類栖の1階展示スペース名を「谷中M類栖/1f という名前 」にしたわけだが、
谷中芸工展に参加するプロジェクトの企画名は「丸井金猊リソース ver1.0」としている。これについても幾らかは説明を加えておいた方がよいだろう。
リソースとは「resource=資源」の意味で、現在にあっては IT 関連用語としての認知の方が圧倒的に強まってしまった感がある。実際、私が Web制作関連書籍で唯一影響を受けたと言ってもよい『スタイルシート Webデザイン 』の著者すみけんたろう氏のサイト名も「Ks Resource! 」であり、そのサイト内では「ホームページ」という和製用語の使用を批判し、その代案として「リソース」という言葉を提唱している。
まあ、その場合の「リソース」という言葉はあまり広まらなかったようだが、私は今回祖父の創作物をなるべく「作品」とは呼ばず、「リソース」として取り扱いたいという考えから「丸井金猊リソース ver1.0」というプロジェクト名を名付けることにした。
1997年に私は祖父の遺作展を初めて開催するに先立ち、「≪所有≫の所在」展という奇妙なタイトルの展示を行った。この展示では、祖父の屏風作品「壁畫に集ふ」とその下絵、また私の平面作品「おらないがみ」とそのプログラムを仕込んだPCという具合に、二つの完成作品とその創作過程を並置させ、作者と作品の間に生じ得る(あるいは幻想として生じているかに見える)所有関係を実験的に問おうとしていた。
しかし、それは事実上、そのあとに行う祖父の遺作展のための布石というか、祖父に対する言い訳のようなものだったのである。というのも、祖父が何も言わずに遺していった創作物の中には描き掛けのものもあれば、落款のないもの、また無造作に絹本のまま丸まって表装されてないものも多数存在していた。その中から私は祖父がどれなら自分の作品として認められて、どれなら認められないかという判断を厳密に行うことはできないと思ったし、そう思う以前に自分の感性に中途半端に頼って、曖昧な作品選別をするようなことだけはしたくないと思ったのである
そこで、半分は本気、半分は言い訳として行ったのが、祖父の手によるものと思われる遺品を出来得る限りナンバリング→データ化して、「作品」としてよりも、時代考証のための「資料・資源(リソース)」として提示するということだった。
そして、その考えは今もほとんど変わっていない。どころかインターネット時代の到来と共に、もはや祖父への言い訳として取り繕う必要性すら感じなくなってきている。
てなわけで、本展からはもう単刀直入に「丸井金猊リソース」と称してそれをシリーズ化し、今後は完全に自由なリソースの組み合わせとして展示機会を継続的に作っていきたいと考えている。ちなみにバージョンの小数点表示は、臨時の展示や企画延長なんてことを想定して融通を効かせやすいよう、設定したものである。
【冒頭画】「≪所有≫の所在」展で展示した丸井金猊 作『壁畫に集ふ』下絵・部分
※画像の上にマウスのカーソルを置くと、完成作の同部分が表示されます。
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2006年10月01日 (日)
9月29日(金) に谷中芸工展ガイドマップの折り込み作業「四季折々 」を手伝いに行った母が手伝い特典として早めに受け取ったマップをDMと一緒に送ってくれた。
まだマップの紹介は公式サイトでもされてないようなので、ネタバレになっても何だしまたの機会に譲るとして、このエントリーではDMの方を軽く紹介しておこう。
以前に紹介した「谷中芸工展2006 ポスター 」同様、DMにも楷書体の漢字が書き込まれている。ポスターでは少々ランダムにレイアウトされていた多数の漢字が、DMでは7×7−1で整列し、中央に「谷中芸工展」の文字が赤く浮かぶものとなった。パッと見た限りではポスターとDMの漢字は一致しているようで、おそらくは谷根千界隈をイメージする漢字を選んだのだろう。それとも漢詩であるとか、実は別のメッセージが織り込まれているのだろうか? ちなみに左下の空欄に「ここには好きな文字を!」とのことだが、うちは迷わず「栖」を選びたい。
ところで今年の芸工展参加企画数はぴったり100なのだそうだが、その100企画がどんな漢字を当て嵌めたのか、それを回収して並べ直してみても面白い気がした。ネットでならタグ機能を使って幾つ重なったのかを確認するのも面白いだろう。
なお、切手面の方には以下のように書いてある。
うちは芸工展の開催日と最終日はオープンしてないので、くれぐれもご注意のほど!
まちじゅうが展覧会場
谷中芸工展二〇〇六
十月十四日(土)〜二十三日(月)
谷中・根津・千駄木・上野桜木
池之端・日暮里界隈の
まちじゅうが展覧会場になります。
地図を片手に
いつもと同じまち
いつもと違うまちを
ぷらぷらしてみませんか?
あなただけの発見を探しに。
谷中芸工展事務局
ホームページ:http://www.geikoten.net/
※ガイドマップは本部・参加店等にあります
(谷中芸工展は谷中学校を母体として活動しています)
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2006年09月30日 (土)
もはや抵抗するつもりもない。というよりももう阿部ちゃん、っていうか金田の更新がもう見られないのかと思うとかなり寂しい。ちなみに「金田裕之のホームページ 」という検索ワードでのアクセスも3件ありました(笑) 続編希望します!
結婚できない男 6.6% 軍艦アパート 2.6% 無印良品 1.8% 遊郭 1.4% 高過庵 1.2% 谷中 1.1% 上棟式 1.3% 岡啓輔 1.0% グヤーシュ 0.9% 家 0.8%
2006年8月の解析結果はこちら から。
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2006年09月28日 (木)
開館以来、久々に安藤忠雄氏が設計した兵庫県立美術館に行った。
と建築系ブログのような書き出しだけど、見に行ったのは建物ではなくて、10月1日迄開催中の『アルベルト・ジャコメッティ展──矢内原伊作とともに 』である。神奈川県立近代美術館での開催中 に行けなかったので、兵庫県美でやることを知ったときには小躍りしたくなったものだが、そんな小躍りを遙かに上回る満足の得られた展示だった。
「谷中M類栖/1f という名前 」のエントリーで私は「告知も半径3kmくらいまでにしておこうか」とコメントしているが、ジャコメッティ展ならば半径120km(新快速からの乗り継ぎで来られる米原を想定)くらいまで告知したい気分である。
というわけで、会期もあとわずかなので取り急ぎの告知エントリーなのだが、今回面白かったのはジャコメッティといえばの印象が強い細長彫刻もさることながら、雑誌の表紙や紙ナプキンに描かれた落書き資料と共に多数展示されていた絵画作品だった。
館内では「アルベルト・ジャコメッティ展 かわら版」なるQ&A式の解説が裏表に書かれた一枚の用紙が配布され、その中でも絵画が沢山展示されていることに触れ、「人物を描いた絵画では、顔にタッチが集中して、まるで彫刻のような立体感が感じられるでしょう」とまとめられている。で、確かにタッチが集中していて、立体を見ているような感覚は得られるのだが(館内ではしきりにジャコメッティの有名な言葉「見えるものを見えるとおりに表わす」が掲示されている)、果たしてその立体感というのは、文字通りの3D的意味での立体感か?という点では少々疑問を感じないでもなかった。
むしろ私にはそのタッチの描き込みが一コマに無理矢理落とし込まれた高速アニメのように見えてしまって、基本的には静止しているはずのモデルのわずかな動きが時間軸をもって捉えられ、その動きによって立体的に見える、そんな印象だった。そして、それに慣れた目で再び彫刻を見るとこれがまた面白い。最初のうちは彫刻は絵画のように、絵画は彫刻のように見えるものだと思いながら見ていたが、彫刻には面ごとに高速アニメの上積み分がさらに載っているのである。ロダンも好きな彫刻家の一人だけど、彼の作品はどこかマッスの単位で見てしまうところがあって、それゆえにカラクリを見出すとついその先を見てないことがあるのだが、その点でジャコメッティはキューブの作品であってもずっと見続けてなければならない感覚に襲われる。そんなの私だけ?(汗)
かわら版では「枠」の話についても触れられているが、このブログは作品分析を目的にするものではないので、参考文献として、宮川淳 著『鏡・空間・イマージュ 』(白馬書房・¥2.625-)を、また、今回展示数が多かったわけではないけど、それでも数点見ることのできたキューブの作品については、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 著『ジャコメッティ──キューブと顔 』PARCO出版・¥3,600-)を挙げておく。
後者の本は絶版になってしまったのか、ユーズド価格¥8,500- ですと?!
なお、兵庫県立美術館が会期終了した後は、千葉の川村記念美術館 に巡回するようだ。
主催・東京新聞の紹介サイトはこちら 。
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2006年09月18日 (月)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」の「50,000 のキリ番・企画 」。
私が見たときにはもう 50,005で、一応その旨コメントしておいたら、キリ番ゲットのラッキー人物が現れなかったため、前後賞ならぬ五後賞にまで記念品が出るとの話。
「琵琶湖畔発にふさわしいもの」として今森光彦著『藍い宇宙 琵琶湖水系をめぐる 』が本日届いたのである。これは7月に近江八幡の水郷巡り をしてきたばかりの我々夫婦には非常にタイムリーな嬉しいプレゼントだった。わきたさん、多謝!
内表紙を捲ると琵琶湖水流図と琵琶湖面の写真。さらにもう1ページ捲ると近江八幡の
水郷地帯に残るヨシの集積場の写真が出てくる。朝靄の中といったところだろうか──その薄暗い集積場に葦の束ねられた写真に私は早速ノックダウンを喰らってしまった。
177ページには水郷巡りのときにその名を知ったカイツブリもしっかり載っていた。冒頭の写真は今森氏の写真には遠く及ばないが、水郷巡りの船から撮影したカイツブリである。「ヨシ原の際に巣をつくるカイツブリは、天真爛漫のように見えるが、わずかな風のそよぎにも敏感に反応して首をキョロキョロさせている。絶えず周りに聞き耳を立て、一瞬たりとも警戒を緩めない」とあるように、船からある一定の距離離れたところで潜っては浮き、潜っては浮きして、餌を探し求めていた。
その点、カモは人懐っこかった。
右上写真の一輪のカモはしばらく船の前を航路を案内するかのようにぷかぷか泳いでいたし、左の写真のカモたちは船がすぐ真横を通過しても飛んでるんだか跳ねてるんだかという感じでギャーギャーと井戸端会議でもしてるような雰囲気だった。
81ページには琵琶湖西岸にある針江大川河口の船着き場に集まる鳥たちが皆人懐っこいと書かれている。琵琶湖東で人懐っこいのはカモだけだったが、西の船着き場ではカモ以外の鳥たちも人懐っこい表情を見せるらしい。まだ琵琶湖の西側はあまり攻めてないので、この本を便りに琵琶湖西岸域の旅程も組んで行きたいものである。
ところでこの本の著者であり写真家でもある今森光彦氏のことを、私は氏が『昆虫記 』という大型本を上梓されたときから知っていた。アマゾンで発売年をチェックすると1988年。私が高校生のときだったわけだが、当時、昆虫図鑑といえば写真ではなく絵で描かれたものが主流だったので、その生写真版が出たということでちょっとした話題となり、私も吉祥寺のロンロンの本屋で何度も立ち読みしたことを覚えている。
ただ、買うことはなかった。まず高校生だった私にとって3000円の書籍というのはちょっと手を出すには高値過ぎたというのが第一。また、その頃あたりから私の興味・関心は美術や建築といった文化的なものにシフトチェンジし始め、昆虫への思い入れが薄らぎ始めていた頃でもあった。そしてもう一つ買わなかった理由はおそらくその昆虫生写真が当時の私には少々リアル過ぎたのである。
人の顔同様、昆虫だって左右の形状が100%対称形である虫なんてどこにもいない。ところが従来型の昆虫図版に馴れてしまっていた私の目にはそれらの非対称が何ともグロテスクに映っていたのだろう。今の私であれば、むしろそうしたリアリティの方こそを求めるか、あるいは絵なら絵でとことんデフォルメされるかティピカルなものを喜びそうだが、当時の私はその辺でまだまだ初心な純情少年だったのである。
ただ、『今森光彦・昆虫記』を買わなかったことが心の奥底でずーっと引っ掛かっていたのも事実である。そうでなければ今回わきたさんからいただいたプレゼントに「今森光彦 」という名前を見つけて、すぐにハッとすることもなかっただろう。17年前の躊躇が琵琶湖のカイツブリと共に浮いて来ようとしているようだ。
50,001をゲットされた AKiさんも aki's STOCKTAKING「藍い宇宙 / 琵琶湖水系をめぐる 」で本が届いたことを報告されている。
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2006年09月01日 (金)
実家から「谷中芸工展2006 」のポスターが届いたという電話。
早速デジカメで撮影して添付で送ってもらった。母曰く、三崎坂を歩いていたらこのド派手な(といっても、決して鬱陶しいわけではない)ポスターを見つけ、あら?と思って家に帰ったら、うちのポストにも3枚入っていたらしい。
このブログでは縦長サイズの画像はサムネイルで見せるようにしているのだが、今回は特別にそのままベタ張り。すでに町中では張られているということだが、ひょっとしてネット上で最初に張られたのは谷中の看板背負った大阪発のブログだったりして(汗)
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2006年08月31日 (木)
このブログもとうとう完全に阿部ちゃんにうっちゃられてしまった(^^;)
これまで対抗馬だった「上棟式 」が5位に転落し、その代わりに「岡啓輔 」が急浮上。これは間違いなく、ほぼ日刊イトイ新聞に「ひとりでビルを建てる男。 」というタイトルで岡さんのセルフビルド連載が始まったからで、改めて人気サイトの力を実感。
他、興味深いところでは「家」という一文字漢字が初ランクイン。
一体何ページ目で検出されてるのやら?(汗)
結婚できない男 5.4% 軍艦アパート 2.2% 谷中 1.8% 岡啓輔 1,4% 上棟式 1.3% 家 1.1% 高過庵 1.0% 地鎮祭 0.9% 遊郭 0.8% グヤーシュ 0.7%
2006年7月の解析結果はこちら から。
余談。阿部ちゃんドラマの建築家「金田裕之のホームページ 」ホンマにあります(^^;)
ふと気づけば「結婚できない男」と「ひとりでビルを建てる男。」って微妙に似通った表現だけど、後者はひとりものではありません、一応(^^ゞ
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2006年08月18日 (金)
諏訪の高過庵 を見に行ったゴリモンさんのエントリー「木の上に住んでみたい♪ 」コメントで、X-Knowledge HOME 特別編集 No.7『ザ・藤森照信』 を紹介しておきながら自分は目を通してないというのも何なので、本日、堂島のジュンク堂で買ってきた。
まだパラパラと写真を見ながら、藤森照信×岡崎乾二郎=対談「最後に残る建築は?」しか読んでないのだが、藤森建築撮り下ろしと称する写真、これがふだん建築雑誌等で見掛ける写真とちょっと違う。というか、ゴリモンさんが Photoshop 加工して最近よく遊んでられる「箱庭梅田 」写真にそっくり? てゆーかゴリモンさん、それらの写真を指して"本城直季もどき"って書かれてたんだけど、『ザ・藤森照信』の撮影者とはまさしく本城直季氏ご当人だったのである。
高額な建築雑誌を買えない身分の藤森ファンの一人としては、建築雑誌でしか見られなかった藤森建築写真も所収されているということで、フツウの建築写真(写真としての作品色の強くない)を期待していたのだが、それはあくまでプチマニアックな個人的所有欲ということで本城直季氏の写真を採用した編集方針の是非についてはさておく。
しかし、私が興味深かったのは藤森×岡崎対談の中で、藤森氏が神長官守矢史料館 の実物をオープン前に見たらそれが模型に見えてしまって恐怖を覚えたと告白していることである。この告白があって本城直季氏が撮影者として選ばれたのかはわからないが、この実物/模型についての話は建築論としても写真論としても面白く読めるので、以下に引用しておく。
藤森照信×岡崎乾二郎=対談「最後に残る建築は?」(『ザ・藤森照信』P.126) 神長官守矢史料館(1991)を作った時にものすごいショックを受けたのは、作ってオープン前ですけど、見ているとなんか実物が模型に見えた。ものすごい恐怖でさ。それは実は草の生え方の問題だったんです。地べたと土蔵のほうの外壁は、湿気の問題で切ってあるんですよ。スーと線で空いてた。あわててそこへ土を盛ったらちゃんと地べたに生えた。で、要するにそのことだけで実物になったり模型になったりするということがえらく恐怖で、ちょっとしたことで付いたり離れたりする本質を僕の建物は持っている ということに、もう初期に気づいたのね。
本城直季氏がどのように撮影→現像してるのかは知らないので、あくまでここではゴリモンさんの「もどき」話に限定するが、彼は「箱庭梅田」写真を Photoshop で「コントランストを強めにして上でピンボケ加工する」ようにして作られている。その際の加工技術は「箱庭」の持っているリアリティに近づくべく費やされている。しかしながら考えるまでもなく、その「箱庭」のリアリティとは「箱庭」自体が現実の世界のリアリティを得ようとして得損ねた部分にこそ現れているのである。そしてその得損ねた部分を得るために必要とされる技術がコントラスト強めだったりピンボケだったり、、そして『ザ・藤森照信』の大半の写真がそんな感じで模型の複写なのだか、現物の複写なのだかよくわからないのである。
しかし、おそらく藤森氏はこの刷り上がった『ザ・藤森照信』を手にしてもその実物だか模型だかわからない建築写真に「ものすごい恐怖」を感じることはないだろうという気はする。それは本城直季氏の写真の質の問題とは無関係に、それが写真であること、そして藤森氏が建築家であることに起因すると見るのは純朴すぎるだろうか?
ゴリモンさんには是非この冊子を手にする前に、高過庵箱庭にも挑戦してもらいたい♪
【写真】『ザ・藤森照信』表紙をスキャンしたものの部分掲載(撮影:本城直季氏)
【追記】後でググってみたところ、本城氏の写真は「大判カメラを用い、アオリによって擬似的に浅い被写界深度を表現することによって、実際の風景をまるでミニチュアの接写であるかのように見せる手法が特徴的」(by はてな )とのことで、Photoshop 加工を積極的に取り入れた写真ではないようだ。「Tokyo Source: 012 本城直季(写真家) 」で彼のプロフィールと自作品についてのインタビューが掲載されている。
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2006年07月31日 (月)
「ブログの力」よりも「テレビの力」の方がまだまだデカいってことを実感させられた今月。上位常連ワード「上棟式 」が辛うじて施主ブログの面目を保ってくれた(汗)
「フランクフルト空港 」が10位に入ってきたのは、ドイツワールド杯の名残か?
例年だと「不忍池 」「蓮」といったアクセスワードがこの月だけ上位ランクインするのだが、今年それがなかったということは検索サイトで後の方のページに回されてしまったということだろう。まあ、全然それで構わないんだけど‥‥。
上棟式 4.9% 結婚できない男 4.7% 軍艦アパート 2.8% 谷中 1.6% 天神祭 1.5% 遊郭 1.4% 高過庵 1.2% 写真 0.8% 橋本遊郭 0.7% フランクフルト空港 0.6%
2006年6月の解析結果はこちら から。
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2006年07月06日 (木)
前々からあってもいいかと思っていた「ツール・アイテム 」のカテゴリを追加した。
もちろんメインは日曜大工道具的なものでありたいと思っているが、カメラ関係の遊び道具や、果ては Movable Type 関連のブログツールまで含めたカテゴリにしようかと思っている。まあ、その辺は紹介というよりも備忘録としてのエントリーね。
しかし一応、新カテ作るに当たって、辞書で「 tool」の意味を調べてみたんだけど、一般的に知られる「道具」絡みの意味以外に「(人の)手先」「男根(penis)」なんて意味も持っているのね。ま、どっちも「道具」といえば道具なんだけど(^^;)
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2006年07月04日 (火)
本来、火曜日は私がTV権を握っている日なので(ロンドンハーツ〜リンカーンと続く黄金デー)、ドラマ好きな妻にチャンネルを譲ることはないのですが、今クールから、なぜか私の方でドラマチェックが必要になりました。阿部ちゃん好きの妻には嬉しい話かもしれません。
何やら関西テレビ『結婚できない男 』というドラマで、建築家や建築プロデューサーが登場人物となるらしい。いや、厳密には高島礼子演じる住宅プロデューサーということらしいけど、やはりそんなニューカマーな職業なだけに、そのググって最初に出てくる我らが建築プロデューサー朝妻さんはそのアドバイザーとして製作の手伝いをされたとのこと(詳しくは彼の「建築プロデューサーがドラマに登場!? 」のエントリーへ)。
どんな話になるのかはわかりませんが、まずは告知しておきます。
タイトルを考えるとあまりない話のようにも思いますが、世俗を反映するなら構造建築家とかも出てきちゃうのでしょうか?(汗)
意外にこういうドラマって今後の建築家の営業に微妙に響くような気もします。
【関連エントリー】
・ちはろぐ:建築するとドラマかも (2006.05.27)
・建築プロデューサー朝妻義征:建築プロデューサーがドラマに登場!? (2006.07.01)
・ノアノア:「結婚できない男」 (2006.07.04)
・建築プロデューサー朝妻義征:ドラマ 『結婚できない男』 (2006.07.05)
・家づくり、行ったり来たり:「結婚できない男」を見た (2006.07.05)
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2006年07月02日 (日)
当初はこのために上京も考えていたのだが、時間&交通費の工面が難しく、代理で母に行ってもらった。芸工展サイトの「説明会のお知らせ 」にもあるように期日・場所は
【期日】2006年7月2日(日) 19:30〜20:30/2006年7月3日(月) 19:30〜20:30
【会場】不忍通りふれあい館(文京区根津2-20-7)
で、母の電話によれば、参加したのは7、8組。実行委員のメンバーは5、6人来ていたとのこと。基本的には募集要項の提出とそれについての質問、後はサイトに掲載されている説明内容通りで、母に言わせると、わざわざこれのためだけに上京までしなくてよかったんじゃない?ということだったが、個人的には芸工展の公式サイト が今年はどのように展開するのかを知りたかった(あるいは内容次第では提案したかった)ので、その点で行けなかった不満は大きい。それともこの際、スタッフ募集もしてるので応募してしまおうか? でも、さすがに提案のみスタッフじゃ要らんだろな(^^;)
「谷中芸工展の紹介文 」のエントリーでも書いたけど、提出した募集要項の主な情報を再度掲載しておく(追加情報+微妙な変更アリ←中日を休日にすることにした)。
・日付:10/15(日)〜10/22(日)
・時間:14:00〜18:00(10/20(金) は20:00まで)
・休日:10/18(水)
・企画(店舗)名:谷中M類栖──丸井金猊リソース ver1.0
・参加者名:谷中M類栖/1f
・紹介文(70字厳守):竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾は昭和8年東京美校日本画科卒の丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年06月30日 (金)
もともとこのブログでは根強い検索ワードである「上棟式 」が久々トップに返り咲き。それも今月のパーセンテージはふだんよりも随分と高い。この時期に上棟式って多く行われるものなのかしら? 梅雨シーズンに剥き出しの構造材濡らしちゃってあまり良い季節とも思えないのだけれども。。それとせっかく「上棟式」でアクセスいただいてもまるで参考にならない話しか掲載されてなくて、スンマセン。まあ、施主挨拶は長いとハズすよ!というのはむしろ有益な情報と言うべきかもしれんが(汗)
上棟式 9.5% 軍艦アパート 2.8% 谷中 2.4% 田植え 1.4% 遊郭 1.2% 高過庵 1.1% 写真 1.1% 谷中ボッサ 1.0% グヤーシュ 1.0% 曙ハウス 0.9%
2006年5月の解析結果はこちら から。
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2006年06月17日 (土)
竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。
目指すは谷中芸工展参加!
ちなみに例年通りに art-Link と芸工展の開催時期が重なってたのであれば、
両方の参加も検討したいところだったのですが、どうも今年は
・谷中芸工展 :10/14(土)〜10/23(月) <10日間>
・art-Link :9/23(土)〜10/9(月) <17日間>
というスケジュールなもんで、残念ながら art-Link の参加は見送ることにしました。
うちの場合、企画内容的には art-Link 向きなのかもしれませんが、参加費が少し張ることと私のスケジュール的な問題、そして芸工展の方には豊田さんも一枚噛んでるということから、今年は芸工展のみで大人しく様子を見ようと考えています。
芸工展の申込締切は7月31日(月)。
それまでにガイドマップ掲載情報の必要項目を考えておく必要があります。それで
・企画(店舗名)名:
・企画者名:
・紹介文(70字厳守):
の3項目と所在地情報等をどこまで掲載するかで、やや頭を悩ましています。
まず所在地情報等に関して、昔であればほとんど気にも留めなかったのですが、最近はそうした情報自体が売買されるようになって悪用される可能性もあり、いずれにしても自宅で開催するものなので、どこまで出すべきかで迷っています。
そして企画名や紹介文。ここでの出品作家である祖父が有名人であるなら名前だけでも充分なんですが、まず祖父が何者なのか?というところから始めて70文字以内に収めなければならないのが難しいところ。そしてさらに厄介なのが本人が既にこの世にいないということです。そうすると案外、企画者の立場というのも重要なんですね。ところがその企画者たる私個人が谷中には住んでいない。てか、遠い遠い大阪にいる(汗)
そこで現在考えているのが、まずこの企画の主体(企画者名)をこのブログ、すなわち「谷中M類栖」にしてしまうということ。実は展示スペース名も同じく「谷中M類栖」のつもりではあるんだけど、ブログ自体が主体であるという考え方にすると意外と話の辻褄が合わせやすいんですね。それに現段階では谷中において身内絡みで一番有名なのは祖父よりも断然このブログ「谷中M類栖」なのです(笑) そういう意味でも、工事が始まってからではあったものの、このブログを始め ておいてつくづく良かったな〜と思います。というか、ブログなしで大阪に住んでるだけだったら、昔からの知人以外で谷中界隈仲間なんて誰一人出来なかっただろうし、展示活動の指針となるものもほとんど見えないままスタートを切ることになっていたでしょう。
と考えが及んだとき、紹介文はとことん図々しく偉そうに書いてしまうってのも、この際アリなのかもしれないなと思いました。それが冒頭の文章に繋がっていきます。
・企画名:谷中M類栖/1f──丸井金猊リソース ver1.0
・企画者名:谷中M類栖
・紹介文:竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾に昭和8年東京美校日本画科卒=丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年05月31日 (水)
月末に「あさみ新聞 」の景観問題ネタが朝日新聞で取り上げられ、アクセス急上昇という話を聞いていたので、ひょっとしてのこのブログにもリンクで流れてくるのかな〜と思っていたら期待するほどの数字はあがらない。と思っていたら、どうもリンクではなく、アクセス検索ワードにおいてその影響は現れた恰好だ。
やっぱり全国紙の影響力ってまだまだ大きいのね。
軍艦アパート 3.2% 悪い景観100景 3.1% 谷中ボッサ 2.7% 谷中 2.4% 遊郭 2.1% トタン 1.6% 上棟式 1.5% 高過庵 1.0% グヤーシュ 0.8% 写真 0.7%
2006年4月の解析結果は
こちら から。
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2006年05月21日 (日)
GW明け間もなく、工務店の阿部建築から封書が届く。
開封すると、所長の阿部さんが辞任して相談役となり、我々の家を主任役としてずっと見てくださった山本さんが新所長に就任されたという挨拶状が入っていた。それでこの日、山本さん、じゃなくて、山本所長おられるかな〜と家族との昼食後に阿部建築方面まで歩いてみたところ、あいにくの休みで(って後から考えれば日曜日だから当たり前だったのだが)残念ながらお会いすることはできなかった。
しかし、家の前を横切るとちょうど阿部さんの奥様が出て来られたので、山本所長によろしくお伝えくださいとご挨拶。改めましておめでとうございます。
ただ、一つだけ残念なのは、山本所長のブログ「谷中の住人 」が「not found」になってしまったようであること。 今後はブログではないけど、「谷中ごよみ 」でスタッフ日記をチェックという感じです。やっぱりブログは更新は楽だけど、スパムが多いという点で扱う手間が大きいのかな〜。祝TBが送れないのがちょっと残念。
また次の上京機会に今度は土日じゃない日を選んでご挨拶に行きます!
【写真】2005.05.21 13:39 阿部建築の脇の道にて
【追記】山本所長のブログ「谷中の住人 」閉鎖してませんでした。よかったぁ。
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2006年05月19日 (金)
わきた・けんいちさんの Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」のエントリー「根津と谷中を訪れる(1) 」で冒頭を飾る neonさんの描かれた曙ハウス作品を撮影する masaさんの後ろ姿(カフェノマドにて)。それを見ていて、先にエントリーした「余剰の夕暮れ谷根 」でこの日のことは片づけてしまったつもりでいたのだが、どうもそれだけでは気が済まなくなってきてしまった。
masaさんの後ろ姿をトラックバックしたくなってしまったのである。
この写真の中で masaさんが撮ろうとしているものとは、今年の2月まで存在していた曙ハウスの建っていたその空間である。それを単純に曙ハウスの跡地写真としてブログで公開することにはどこか憚れるものがあったが、曙ハウスの最期を看取られた 他ならぬ masaさんと一緒ならばそれも許されるだろう気がしたのだ。masaさんにはまたまたびっくりさせることとなってしまうかもしれないけど(^^;)
ところでこの日、曙ハウス7人衆(わきたさん命名)は曙ハウスのすぐ近くにある東京都指定食堂「かめや」でちょっとしたミーティングを開いていた。その席で neonさんが masaさんの曙ハウス内部写真やご自身で近所の聞き取り等して得られた情報を基に描かれた曙ハウスの平面図と周辺図 を持ってきてくださった(これがまた neonフォント同様に味があって素晴らしい!)。これを基にもっと本格的な図面なり、あわよくば模型なりが作れないか?というのがこの日の会合の主題だったわけだが、そのためにももう少し広範かつ詳細な情報が必要となる。
そこで neonさんの承諾を得て、この図面をネット上で公開 することにした。
とりあえず7人衆の持ち寄った情報としては masaさんがすでに「曙ハウス 」のエントリーで公開されてる内部写真がもっとも有用な情報なので、平面図上に eye point を設け、クリックするとその視点の写真にリンクするような仕掛けを施した。また周辺図は多くの方が外観写真を撮られているので、そういった写真にも同じくダイレクトリンクを張ることを考えている(現在は平面図のみで準備中)。これらの図面や写真をきっかけに特に内部のことで何か思い当たることなどあったら、「曙ハウスBBS 」という掲示板を併設しているので、是非情報提供のご協力をお願いします。
平面図+周辺図はこちら→「曙ハウス†スウハ曙 」
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2006年05月11日 (木)
「橋本遊郭の記憶 」でも予告しましたが、「電線の景観*N的画譚 」等にてご紹介したneonさんの個展「ピアニシモな建築たち 」が根津のカフェノマドで始まりました。私も来週末、上京の用事が複数出てきたので観に行くつもりでいます。
N的画譚の最新エントリー「小さな個展 」が芳名帳レスポンスの場になっていて、昔は芳名帳といえば次の展示機会でDM出すのに利用するくらいのものだったのに、即レスができちゃうというあたり、時代の変化を感じさせます。開催期間は結構長いので、お近くの方、また谷根千界隈にご用の方は是非ノマドで一服どうぞごゆるりと!
ちなみにうちの母は neonさんの書かれる字のファンです。開催情報の地図も必見!
Exhibition
ピアニシモな建築たち 〜小さく音楽がきこえてくる
2006.05.11(木)〜05.30(火)(但し、5/16、17、24は休業)14:00〜24:00
cafe NOMAD(カフェですので、1オーダーよろしくお願いします)
〒113-0031 東京都文京区根津2-19-5(地図 ) tel. 03-3822-2341
2006年05月09日 (火)
またまた展示のお知らせ。ここのところ、このブログのアクセス検索ワード1位が続く軍艦アパート ですが、それをテーマとした「ぐんかんびより 」という企画展示が大阪の南船場にあるギャラリー・アビィ で開催されます。flickr contacts の sympathy さんも出展されるとのこと(sympathy 〜共感〜「ぐんかんびより 」より)。
軍艦アパート追悼企画「ぐんかんびより」
2006年5月9日(火)〜5月14日(日) 12:00〜18:30
ギャラリー・アビィ 入場無料
〒542-0081 大阪市中央区南船場2-2-28-212(地図 ) Phone: 06-6261-7383
出展作家:朝田秀司 イクラジュンヤ Suna tearoom 俵 里美 福永貴之
吹雪大樹 松原正武 ミズグチミホコ MISTY YUKI
・・と出展作家名書いて sympathyさんが誰だかわからないことに気づいた(^^;)
【写真】2006.03.04 13:54 大阪市浪速区下寺町・軍艦アパート東棟にて
【関連リンク】
・mixi*軍艦アパート: 「軍艦アパート」イベント (2006.05.01・コミュニティトピ)
・アビィ日誌: ぐんかんびより (2006.05.09: ギャラリー・アビィ日誌の展示風景)
・sympathy 〜共感〜: 軍艦アパート展 (2006.05.02: 出展作家ブログ)
・sympathy 〜共感〜: ぐんかんびより (2006.05.07: 出展作家ブログ)
・Blog-tea: 企画展「ぐんかんびより」出展のお知らせ (2006.05.06: 出展作家ブログ)
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2006年05月08日 (月)
大塚製薬の「アミノバリュー BCAA 」という清涼飲料水のCMで、谷中界隈の映像が使われてることを発見! まだ気づいてから2回しか見てないので、はっきり確認できてないけど、夕焼けだんだん、みかどパン脇のヒマラヤ杉三角コーナー、不忍池が映っていることは確実。あと、最初の方で何が映ってたのかがわからない。何しろ、夕焼けだんだんが出てくるまではそのCMだってなかなか気づけないもんで(汗)
早くサイトのCM情報ページ 更新してくれへんかな〜。
(Flash バカ使いしてて、めっちゃイライラさせられるページやけど)
単に気づかなかっただけかもしれないけど、CM情報ページ 更新されてました。
「ウォーキング」30秒篇と15秒篇があって私の見てたのは15秒篇のようです。
30秒篇には最初に挙げた以外にも色々出てくるので是非チェックしてみてください。
ふだん健康飲料って飲まないけど、1回は買ってみようかな〜。
【関連リンク】
・Kai-Wai 散策: 大樹とパン屋 、大樹とパン屋 (つづき)
・環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発: 谷中とアミノバリューCM (2006.07.14)
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2006年05月02日 (火)
十数年来の友人の今村仁が今日から熊谷守一美術館 の中のギャラリー榧で個展を開いている。5月に個展やると聞いたときには neonさん の展示とハシゴできてちょうどいいと思っていたのが、まさかGW中とは思わなかった。GW中って交通費も跳ね上がるし一番動きたくないときなのよね。加えて今年のGWは前から福岡の友人が遊びに来ることになっていたので、どっちにしてもGW中の上京は無理。というわけで、せめて告知だけでもとこのブログでもDMを紹介させてもらうことにした。
今村 仁 展
2006年5月2日(火)〜5月7日(日) 10:30〜17:30(金曜日のみ20:00まで)
熊谷守一美術館3F ギャラリー榧
〒171-0044 東京都豊島区千早2-27-6(地図 ) Phone: 03-3957-3779
有楽町線要駅下車(2番出口)徒歩8分/西武池袋線椎名町駅北口下車 徒歩10分
彼にはいずれ谷中M類栖のギャラリーでも展示してもらいたいと思っている。
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2006年04月30日 (日)
エントリーした時点でランクインの予想がなかったわけではないのだが、「橋本遊郭 」の「遊郭」が初登場3位に入り込んできた。ピンク用語(古い臭い言い方だが)のネット上での威力を改めて実感。他、個人的に嬉しかったのは「谷中ボッサ」が2位に、そして「トタン」が8位に入ってきたこと。
尚、このアクセス解析をしている NINJA Tools がバージョンアップしたおかげで、今月からどの検索システムを利用してアクセスしたかもわかるようになった。が、そこは従来通り総計数でカウントしていくこととする。
軍艦アパート 4.3% 谷中ボッサ 2.9% 遊郭 2.0% 谷中 1.9% 玄関アプローチ 1.3% 赤穂 1.2% 高過庵 1.1% トタン 1.0% パーゴラ 0.9% ファーブル昆虫館 0.8%
2006年4月の解析結果は
こちら から。
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2006年04月29日 (土)
5回にわたってエントリーしてきた「耐震強度偽装問題への提言」のシリーズ。
その全編にいつもの私の悪い癖(長文化)は出まくってしまったので、このエントリーではそれらを目次形式にしてもう少しコンパクトにまとめておきたいと思っている。
耐震強度偽装問題への提言1
・前置き(素人の妄想的暴論が持つ可能性について)
・参照書籍(多田英之著『建築の設計と責任 』+『法律と科学技術 』)の紹介
・被害マンションの「耐震構造→免震構造」化の再考を提言
耐震強度偽装問題への提言2
・耐震建築と免震建築の歴史的背景とその立場について
・免震化が困難と言われる一番の理由(免震建築はコストが高くつく)について
耐震強度偽装問題への提言3
・免震建築事例(六本木ヒルズ・首相官邸・中之島公会堂)の紹介
・建築業界の既得権益層が「免震建築は高くつく」というイメージを喧伝していること
耐震強度偽装問題への提言4
・業界の耐震・免震に対する既得権益意識を産官学の「学」を中心に検証
・耐震建築はあらゆる意味で「金」の生る美味しい木になっているということ
耐震強度偽装問題への提言5
・耐震強度偽装事件に関与する人物たちの一斉逮捕の報
・全被害マンション免震化へ向けての戦略1(被害住民のネットワーク構築)
・全被害マンション免震化へ向けての戦略2(逮捕者たちやマスコミの活用法)
・建築の設計と責任、そして施主の位相(消費者に留まるか当事者として考えるか)
以上がこのシリーズの話の流れを目次形式にまとめたもので、それだけでこちらの思惑がどれだけ伝わるのかは自分でもよくわからないが、興味のあるエントリーなどあればそのタイトルをクリックしていただけると幸いである。
尚、このシリーズでは全編にわたって被害マンションの免震化を唱えており、当然それを書いた私が免震建築推奨の関係者か信者と思われてもやむを得ないところはある。しかし、私個人としては、ここで免震化を主張したのは、一つには素人目に考えてそれが常識として言われてるのとは逆に、最もコストを抑えてこの問題を解決できる方法だと思ったこと。そしてもう一つはその常識と言われている「免震建築は高くつく」というイメージ自体が実は建築業界内外の利権維持体質から生まれているものであり、今回のような事件で国民的関心を集めているときこそ、その堆積した膿を白日の下に晒す絶好の機会になると思えたからである。
この歪んだ常識を覆すことが出来れば、被害者住民にとっては一番無難に元通りの生活を取り戻すことができるだろうし、また一般市民にとってもこれまで一部の特権階級のものでしかなかった免震建築を安全な住まいを考える上での一つの選択肢として数えることができるようになるだろう。耐震強度偽装事件において免震化の再考を提言するということは、ただ、局所的な解決を求めること以上に、業界の体質改善を明確な具体策に寄って立って図っていこうとするものなのである。
さて、ここまでこのシリーズを続けてきて、しかし、私はこれまでの5つのエントリーからはどこにもトラックバックを送信したりしていない。それはこのエントリーの冒頭でも触れたように一つ一つ見るとかなり脈略のない長文なだけのエントリーなので、そこからTBしても何のこっちゃ?なものになってしまうと思えたからだが、それとは別にもう一つ理由があったことをここに記しておく。
実は今回のシリーズを書くにあたって、私はほとんど関連ブログの渉猟をしなかったのだ。ふだんのエントリーではなるべく裏を取ることを心掛けているが、このシリーズに限っては「素人の思いつき(妄想的暴論)」であることを最重視したかったので、ほとんど情報源は多田氏の著作2冊に限定することとした。そのため、大きな勘違いや偽りの情報を書いてしまっている可能性も充分あるので、もしおかしいと思うところがあれば、遠慮なくコメント等でのご指南・ご指摘お待ちしている(匿名でも歓迎)。
ついでだから関連ブログを渉猟しなかった理由も記しておく。
それはこの耐震強度偽装問題に対する情報があまりに多すぎるということだ。ニュースにせよ個人ブログにせよ、関連する用語で検索すればあまりに大量に検出されるので、それらを精査して書く気力が持てなかったというのが実情である。それと本音を言えば私はこの問題の当事者ではないので、そこまで深い関心を寄せられなかったという現実もある(例えば旧阪急梅田駅コンコース でやれたようには)。
しかし、このエントリーではこれから先、興味を持った関連ブログには有名無名問わず積極的にTB送信していくつもりである。というのも、この提言を各所に散りばめて、できることならマンション住民の目に触れるところまで送り届け、あわよくば免震化を再考するよう促すことこそがこのシリーズの実践的目的であるからだ。ただ、如何せん先ほども申し上げたように当事者でない私の意欲はそんなに深いものではない。なのでこの私の素人の思いつきを面白いと共感されたり、もう何ひねりかしたら実践も可能と思われるような方がおられたら、それをもっと精巧な論に仕立て上げて、どんどん公表するなりブログで書くなりして膨らませて行ってほしい。
また、それとは別にこのサイトやブログで面白いこと書かれてるとか、そういう情報をご存知ならばコメントしていただけると幸いである。もちろん我こそは!という記事を書かれているなら、このエントリーへのトラックバックも歓迎している。
一応このエントリーでも関連リンクリストはこれから作って行く予定なので。。
【耐震強度偽装問題・関連リンク 】←随時追加予定
・家づくり、建物づくり: マンション問題 (2005.11.21)
・家づくり、建物づくり: 建築基準法 (2005.11.29)
・家づくり、建物づくり: 建築士の役割 (2006.02.01)
・家づくり、建物づくり: 建築士の役割 2 (2006.02.07)
・家づくり、行ったり来たり: 「経済設計」とは何か--欠陥マンション問題で考えた (2005.11.27)
・家づくり、行ったり来たり: 基準すれすれのリスク (2005.11.28)
・家づくり、行ったり来たり: 構造計算をチェックするのにふさわしい組織――今後のために (2005.11.30)
・ちはろぐ: 『建築の設計と責任』 (2006.05.25)
・板倉雄一郎事務所: Deep KISS第24号「商流と責任」 (2005.11.27)
・真理を求めて: 耐震強度偽装問題の事実は何か
・高山峯夫のホームページ: 建築物の耐震安全性について (2006.03.13・PDF)
・高山峯夫のホームページ: 姉歯事件と免震構造 (2006.03.13・PDF)
・高山峯夫のホームページ: 地震力からの解放をめざして (2006.03.13・PDF)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 構造計算の偽造 (2005.11.18)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 構造計算の偽造(その3) (2005.12.01)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 構造計算の偽造(その4) (2005.12.03)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震計算の偽造(その5) (2005.12.06)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: アカウンタビリティ (2005.12.06)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: はかる (2005.12.20)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 話題のマンション (2005.12.23)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 緊急集会 (2005.12.26)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: デベロッパーに保険加入? (2006.01.28)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震強度偽装問題についてシンポジウム (2006.01.28)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 建築物の安全性確保のための建築行政のあり方について (2006.02.06)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: TV取材 (2006.02.08)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震偽装が10000件? (2006.02.10)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: シンポジウムのご案内 (2006.02.12)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 多田先生ビデオ出演する (2006.02.13)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震偽装から日本を立て直す会 (2006.02.18)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: シンポジウムの報告 (2006.02.19)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震偽装問題 (2006.03.09)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 建築学会の中間報告会 (2006.03.20)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 耐震偽装の真実 (2006.03.21)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: イーホームズ立件? (2006.04.20)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 亡国マンション (2006.04.22)
・高山峯夫 - 教授のひとりごと: 住宅建築と施主 (2006.05.20)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 耐震強度偽装問題 (2005.11.26)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 「崩壊の危機」に直面する住民の苦悩 (2005.11.27)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 耐震強度偽装問題参考人招致 (2005.11.28)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 事実の確認 (2005.11.30)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 「事実の確認」からの逃避!? (2005.12.01)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 再度の参考人招致質疑 (2005.12.03)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: ウェークアップ!ぷらす (2005.12.03)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 奈良の耐震偽装問題現場視察 (2005.12.04)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 二転三転の参考人 (2005.12.06)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 民主党耐震強度偽装問題対策本部 (2005.12.07)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 主役たちのいない舞台 (2005.12.08)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: ヘナチョコ「喚問」決定 (2005.12.10)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 不穏な周辺の動き (2005.12.10)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 怒涛の証人喚問(その1) (2005.12.16)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 怒涛の証人喚問(その2) (2005.12.16)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 怒涛の証人喚問(その3) (2005.12.16)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 身辺警護と祭 (2005.12.20)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 幕引き許さず (2005.12.20)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 前人未到の荒野 (2005.12.20)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 与党、幕引き完了 (2005.12.21)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 政権不信! (2005.12.22)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 国民の声が届く (2005.12.23)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 証人喚問打ち合わせ (2005.12.29)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 二度目の証人喚問 (2006.01.11)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 転がりだしたか?! (2006.01.13)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: ストレスのたまる証人喚問 (2006.01.17)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 証人喚問の反響 (2006.01.19)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 反省と新たな決意 (2006.01.27)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 住民の目線 (2006.01.29)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 波状攻撃 (2006.02.13)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 政倫審 (2006.02.13)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 耐震強度偽装集中審議 (2006.02.20)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 優しい(?)質疑 (2006.03.14)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 終わらない耐震偽装問題 (2006.03.29)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 大詰めか、耐震偽装捜査 (2006.04.14)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 160日目の逮捕 (2006.04.26)
・まぶちすみおの「不易塾」日記: 本会議代表質問 (2006.04.28)
・きっこのブログ: 建築界のゴールデントライアングル (2005.11.20)
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2006年04月18日 (火)
現状の耐震偽装マンションの構造を免震化するという手法はコストが掛かり過ぎて話にならないと私の見たワイドショーではパネル説明されていた(※1) 。ところが「耐震強度偽装問題への提言1 」で取り上げた多田英之氏のトークや著作ではまったくそれとは逆のことが言われている。つまりは「免震建築は耐震建築に比べてコストが安くなる」というわけだが、私にはそのどちらが正しいのかを判断することはできない。ただ、多田氏の著作を読み進めると実際どちらの言ってることも正しく捉えられそうな視点が存在することは想像でき、その両義性をこのエントリーでは繙いてみようと思うが、それを始める前にまずは前エントリーで予告してあった耐震建築と免震建築の置かれている立場の違いについて軽く触れておきたい。
耐震建築と免震建築の違いはその字義からもおおよそのところは推測可能だと思うが、前出の多田英之氏が代表を務める日本免震研究センター のサイトにその違いをわかりやすく見せたかわいい GIF アニメがあるので、それをまずは縮小転載させていただくこととする(尚、日本免震研究センターにはいずれリンクや画像転載の件で連絡取らせていただくつもりではいるが、それはもう少し議論の見えたところまでこのシリーズを続けてからにしたいと思っているので、先に見つけられたとしたらご勘弁である) 。
RSL免震システム : 1. 耐震・制振、免震構造について
詳しくはこの図の記されたページ をご覧いただくのが手っ取り早いが、その原理的な違いは耐震が「地震に耐える構造を考える」であるのに対し、免震が「空間そのものを地震から守る」ということにある。その結果として、耐震はどんなに頑丈に作って倒壊を免れたとしても激しい地震であれば家具が倒れたりということがあるのに対し、免震は揺れ自体がゆっくりなので家具損傷のおそれはほとんどない。
こうした説明を読むと私を含む多くの一般市民は免震建築の方がいいじゃん!って思うのではないだろうか? もちろんこの説明は免震建築を奨励するサイトのものなので、免震建築のメリットが引き立つようになってはいるのだろう。だが、そうした事情を差し引いたとしても、その原理から考えて免震建築に分があるように見えてしまうのは、そう外れた読み取り方ではないはずだ(一般的に考えれば考えるほど)。ところが現実的に国内の大半の建築物は耐震構造で作られているのである。
多田氏の著書『建築の設計と責任 』によれば「免震という概念自体は古くからあった」が、戦前は「解析技術が十分でない」ことから実際の建物への適用ができなかったと記されている。昭和初期には「柔剛論争」なる建築界を二分する大論争も起きていたらしい。そこで技術解決で先んじたことにより勝者となった「剛」たるところの耐震建築が建築業界の主流となり、「柔」たるところの免震建築は敗北するばかりかタブー扱いとなってしまう。そしてそれを決定的なものとしたのが、建築基準法だったという。
勘の良い人であれば、ここまでの話でそこから先、何が起きたかは想像できるだろう。
免震建築はその後「解析技術が十分」な時代となっても、そう簡単にそれを実現することができなかった。耐震建築が既に一つの「体制」として一人歩きし、産官学が民を顧みずに既得権益に預かろうとする図式(歴史)が成立してしまったのだ。こういった話はもうどの分野からも聞こえてくる社会の膿のような話だが、それが建築業界の場合、よく話題になる談合問題以外でも、免震建築から耐震建築を見つめ直すことによって焙り出し可能なのである。
以上、話は長くなったが、免震建築と耐震建築が単純に並列の選択肢として置かれているわけではないことはご理解いただけたのではないかと思う。さて、そこで冒頭のコストの両義性に話は戻るのだが、免震建築が高くつくというワイドショーコメントがなぜに生まれるかといえば、それはまさにこの免震建築の置かれた立場の弱さによるものではないのだろうか? というのも、先ほど耐震建築の既得権と書いたが、良くも悪くも耐震建築は既存の工法となっているため、生産ラインも安定していて、大量受発注が敏速に行える体制だけは整っている。それに対して免震建築は多田氏によればニセモノ免震も出回っているようで、思わぬところでのコスト増大ということも計算に入れておかなければならない。
何だかこうしたことを書いていると耐震建築が自民党で免震建築が民主党であるような気分になってくるのだが、まあ、しかし、上記でリンクを張った日本免震研究センターのページ に書かれた「免震建築は耐震建築に比べてコストが安くなる」というのは原理的に考えれば素人でも理解可能な話なのである。要はそこからそのための信用できる体制が作れているかの問題なのだ。
そこで次のエントリー(間に別テーマのエントリーが入ってくるかもしれないが)ではより実践的なレベルで免震建築の話をどう耐震強度偽装問題に切り込ませたらよいかについて考えてみたい。ただ、ここ数日、耐震強度偽装事件の主役級が一斉に事情聴取、立件という運びとなっており、みんな逮捕ということになってしまうと個人的にはこの人たちにも一役買って欲しいと思っていたので(この業界での信用ゼロ状態になってしまったからこそ怖いモノなしで出来ることもあると思うのだ)、ちょっと自分の提言しようとしていたアイデアも変更を余儀なくされそうである。
本当は彼らもただ刑事&賠償責任を負わされるだけでなく、一緒に解決すべき問題だと思うんだけどなぁ(それこそが本当の「責任」というべきものである)。住民は彼らの顔も見たくないんだろうけど、現実的に彼らほどメディアを動かせる顔を持ったキャラも他にはいないわけで、その利用価値を失うのは今後の大きな損失である。
□◇
※1)後日、検索チェック中に彼の問題人物と目されながらもうまく逃げおおせた感のある伊藤公介元国土庁長官が、実は小嶋社長から相談受けていたことというのが『免震技術のある大成建設を紹介してほしい』ということで、また伊藤氏も「自分も免震技術について勉強したいと思ったので出向いた」と話していたということを遅ればせながら知った。
これが事実だとすれば、仮に彼らが逃げの一手でこの話をしていたとしても、私は彼らにある一定の評価は与えたいと思う。というか、彼らに無理だと諭した技術者の根拠を再度問い直してみる必要があるのではないだろうか?(もちろんそれが「かなり難しい」と言われる業界の通念自体を見直す形で、かつ多田氏を交えた複数の専門家を招く形においてである)
読売新聞: 伊藤元国土庁長官、ヒューザー社長とゼネコンへ (2005.12.22)
読売新聞:「小嶋社長に同行も、国交省に紹介せず」伊藤元長官 (2006.01.19)
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2006年04月15日 (土)
これまでこのブログでは冗談程度にしか耐震偽装 の問題について触れてこなかった。
それは誰が悪いだの誰に責任があるだのと今更ここで書いてみても一般論の域を到底出るものではないし、きっこのブログ のような特別な情報を持ち合わせているわけでもないので、無闇に検出されるエントリー数を増やして本当に必要な情報を求めている当事者たち(マンション住民?)の邪魔をしたくないとも思ったのである(ってことは冗談でも触れるべきじゃなかったとも言えるけど)。
それともう一つ、これは他の社会現象とも大枠で繋がりそうな話なのだが、昨今の建築物に規制を与えているはずの建築基準法──その法制度のあり方そのものに対して以前から漠然とした疑問を抱いていて、ただ、その法令については何ら詳しい知識があるわけではないので、あまりいい加減なことも書けないと思っていたのである。
ところが、去年の秋から視聴し始めた丸激トーク・オン・デマンド「videonews.com 」の2月11日の回にゲスト出演した多田英之氏(日本免震研究センター代表・一級建築士)の話「耐震偽装の深層──安全な建物とは何なのか 」を聞いたことによって、それまで漠然としていた疑問の輪郭がかなり鮮明なものとなってきた。
そこで早速、彼の著書『建築の設計と責任──なぜ今も地震で建物が壊れるのか 』(岩波書店・¥2.310-)を購入。またトーク中に取り上げられた『法律と科学技術──第三者機関が消滅する 』という非売品書籍も入手。これらの書籍は共に耐震強度偽装問題が世で騒がれる前に書き下ろされたものであったが、まさにこうした問題が先の法制度上の問題として必然的に浮上することを説いた警告の書だったと言って間違いない。トークを聞き始めたときには、威勢の良い爺さんが出てきたもんだくらいの感じで見ていたのだが、聞き手の宮台真司氏も繰り返されるように目から鱗の話だらけで途中から釘付けとなってしまった。
なお、このエントリーではタイトルに〈1〉と付けているように、まずは耐震強度偽装問題への提言として、その結論だけ述べて、続くエントリーで多田氏の著作やトークを参照しながら、その結論に対する補足説明の形を取っていくつもりである。
もちろん多田氏の書籍を参照するからといって、私の提言が素人の域を出るものとなるわけでないことは心得ているつもりである。それを承知で提言という形でのエントリーをしようと思ったのは、一向に解決への糸口の見えてこない難題に対しては門外漢の妄想的暴論が思わぬところでヒントとなることもあるのではないか?と思ったこと。またそれと他にもう一つ理由があるのだが、それは今後のエントリーで自分の出した結論への説明を加えていく過程で伝わるのではないかと思っている。
さて、その結論だが、それは免震建築の第一人者である多田氏の影響をそのまま受けてしまったんじゃないか?と疑われそうだが、私の提言する結論とは、退去勧告の出された一連のマンションを耐震構造から免震構造に置き換えよ! というものである。
なんだ!素人の暴論と勿体ぶってそんなあり来たりな話か!と拍子抜けされるかもしれない。実際、免震構造化の話はワイドショーレベルでも取り沙汰されていて、コストが掛かり過ぎることを理由に選択肢から外される場面を私も何度か目にしている。だが、その「コストが掛かり過ぎるから」と諦められている、そこのところにこの問題の入口があるように私には見えるのだ。その入口をこじ開けるためにも、耐震建築と免震建築の国内で置かれている立場をもう少し見えやすくしておく必要がある。
それを次のエントリーでまずはなるべく平たく説明していきたい。
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2006年04月03日 (月)
以前このブログでは「石 求ム! 」と庭石を募集する告知をしたことがあったが、今回はそれとは逆に余った土いりませんか?の告知である。
「蟻鱒鳶ル初見学 」で紹介した岡さんの現場で、掘り出した土を収めた土嚢が山盛り状態らしい。最終的な処分のアテはあるようなので困ってるということではないが、東京近郊にお住まいで自分で取りに来られるという方おられましたら、こちらまでコメントもしくはコンタクトフォーム からお問い合わせください。岡さんに話繋ぎます。
岡さん曰く、日に日に掘り出す土が粘土化してるらしいので、もう畑には使えないだろうとのことですが、それでも用途があって欲しいという方。岡さん的には「土が欲しい」って人と出会ってみたいという好奇心は強く持たれてるようです。
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2006年03月31日 (金)
これまで1位にランクされてもせいぜい5%前後だったのが、3月は初登場ながらもいきなり8%を越える存在が現れた。「軍艦アパート 」である。まあ、確かに解体工事が始まって話題にもなったから高順位は予想していたが、これだけ差を空けての1位はおかしいと思って検索結果の詳細を確認すると、Yahoo! で検索した場合、谷中M類栖のエントリーが一番最初に出てくることがわかったのである(3月31日現在)。
なお、前回突如5.6%取得して一位に立った「玄関アプローチ 」は呆気なく転落。30位以内にも入っていない。一体何だったんだろ?(^^;)
軍艦アパート 8.2% 谷中 2.1% パーゴラ 2.0% 梅田 1.4% 灰塚ダム 1.0% 上棟式 0.9% 桃林堂 0.8% 高過庵 0.7% 阪急コンコース 0.7% ファーブル昆虫館 0.6%
2006年3月の解析結果は
こちら から。
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2006年03月06日 (月)
横浜への出張ついでに谷中に一泊することを実家に伝えたら、それから程なくして母のところから『うえの 』という小冊子(上野のれん会 発行)の2006年3月号が届いた。
冊子にはフランス文学者・奥本大三郎氏の書かれた「ファーブル昆虫館 」のページに付箋が貼られ、彼が千駄木の元実家のあったところに新しく昆虫館を建て、3月6日(月) にオープンさせるという記事が掲載されていた。
設計カルテの自己プロフィール では全く触れなかったが、何あろう、私の子供の頃の夢は昆虫博士になることであった。あるタイプの極めて一般的な夢の一つとも言えそうだが、その仕事を続けてもそう簡単には食ってはいけないということを知った頃にはその夢を口にすることもなくなり、いつしか昆虫少年時代を終えていた。
しかし、親というのは(それもたぶん異性の親)そういう子供時代に子供が語る夢というものを決して忘れてはいないようで、それが今回の付箋となって現れたわけである。というわけで、そのオープンの日に偶然にも谷中に居合わすことのできた私は、Fleur という洋食屋で両親+野次馬CT氏とランチしたあと、昆虫にはまるで興味のない父を残して3人で千駄木小学校のすぐ側にある「虫の詩人の館*ファーブル昆虫館 」へと向かったのである。
現代建築にはほとんど興味のない私としては(なんてココで言っていいのか?>汗)、建物そのものについてはノーコメントとしておくが、奥本氏の言葉をそのまま借りれば「地下一階、地上四階の、シルヴァー・グレーにレモン・イエローという、ちょっと目立つ建築物である」という感じで、まあ、まち歩きしててこの前を通っても写真を撮るようなことはなかっただろう(尊敬する奥本先生のお家なので、こんなこと本当は書きたくないのであるが>汗>汗)。
ともあれ、中の展示物に関しては私の心を踊らさずにはいられないものが待ち構えていた。基本的に元個人宅規模の昆虫館なので、例えばデパート等でやられる昆虫展のような派手さはないが、私個人としては国内の昆虫標本を中心とした展示の方が、子供時分の記憶が存分に蘇ってむしろ楽しい。それから甲虫標本の日本・フランス比較展示などもあって、フランスの甲虫が日本の甲虫以上に小さく地味であったことにはだいぶ驚かさせられた。ファーブルは幼少時代にこんな地味な昆虫たち相手に昆虫オタクになれたのかと妙な感心をしてしまった。というか、現在のフランスの子供たちの間にどのくらい昆虫少年っているんだろうか? 私は昆虫に関してだけは日本に生まれて良かったと思いっきりナショナリストになってしまうのである(笑)
ちなみに地下1階には生きたヘラクレスオオツノカブトムシやコーカサスオオカブト、ニジイロクワガタといった海外の甲虫類、またタイコウチやコオイムシ、ミズカマキリといった国内の水中昆虫が展示されている。最近は海外産の昆虫も手軽にペットショップで買える時代になってしまったので、決して珍しいものでもないが、それでもペット屋で見掛けるものよりも形も大きさも立派だったので見応え充分だった。でも、やっぱり昆虫ナショナリストな私は国産水中昆虫の方に心奪われてしまったな〜。記憶力が絶望的に悪いはずの自分なのに、すべての名前がすらすら出てくるし。。
なお、1階の展示コーナーは季節によって展示替えしていくらしい。
通常は金・土・日のみの13〜17時と開館時間は短いが、拝観料が無料なので今後も散歩がてら何度も足を運んでしまいそうである。
【写真】2006.03.06 14:32 千駄木5丁目・千駄木小学校より北に程なくの位置
道路を渡ろうとしているのは野次馬CT氏と母。写真に気合いがない。
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2006年02月28日 (火)
解体作業で伊東忠太の壁画にまで手を染め始めた「阪急コンコース 」が1位から陥落。
代わりに前回4位に割り込んできた「玄関アプローチ 」が首位に立った。こんな言葉で検索する人って結構いるんだね。「曙ハウス 」はランクインしそうな気がしてたけど、26位止まり。それとトリノオリンピックのフィギアスケートについてちょこっと書いてしまったせいで GEDEVANISHVILI 選手の名前が終盤激しい追い上げを見せた。
玄関アプローチ 5.6% 阪急コンコース 5.5% 上棟式 2.4% グヤーシュ 1.6% 谷中 1.2% 梅田 1.1% 地鎮祭 1.0% 高過庵 0.8% 根津 0.8% 外構 0.7%
2006年1月の解析結果は
こちら から。
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2006年02月23日 (木)
「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・ 」の有志・協力メンバーたちと初のオフ会をしてきました。まあ、オフ会というより、伊東忠太の壁画 も撤去作業に入ってしまった現在となっては残念会という方が相応しいものでしたが、こうした出来事を通して新たな人と人の繋がりが生まれ、また新たな活動の萌芽となりそうな予感もあって、全くの付け焼き刃な突貫起動ではあったけど、やってよかったとつくづく思ってます。
もちろん保存の訴え第一ではあったけど、活動を通してブログの展開法を模索する機会にもなったし、自分の仕事にフィードバックさせて考えても経験として非常に価値の高いものでした。あと、こうした活動を立ち上げたときにブロガー仲間たちが一斉に協力体制を作ってくれたのが本当に嬉しかった。これはここ数年で一番嬉しかった出来事と言ってもいいかもしれません。本当に皆さんには感謝しています。
しかし、オフ会に関しては私が発起人ということで幹事をやったんですが、携帯持ってない人間が幹事やるという点ですでに人選ミス的なところもあり、ネットで店予約する際に緊急連絡先と書かれた欄があったもんだから、メンバーの一人の携帯番号を書いておいたらそのことを本人に伝えるより先にそっちの方に確認の連絡が行ってしまったりして大いにヘマをやらかしてしまいました。改めてごめんなさい。
それからオフ会の席でも、まず自分が先頭切って自己紹介したら、その自己紹介がこのブログ同様長文化してしまって(阪急に対する想いとか話してしまったので)、私以降もその流れのまま、ほとんど自己紹介だけで3時間半過ぎてしまうという、それはそれで面白かったんだけど、端から見たら相当段取りの悪い会となってしまいました(汗)
まあ、集まったメンバーが個性派揃いで、私のダメ幹事ぶりも救われたと言いますか、梅田ウォッチングのスペシャリスト がいたり、景観プレイに走る性別不明編集長 がいたり、阪神間の近代建築にモッサ詳しい人物 がいたり、嘗てひたすら字限図とにらめっこしてた特派員がいたり、手塚治虫マニアック奥様 がいたりと、こう書き出しただけでも自己紹介だけで充分楽しめそうなことは伝わると思いますが、どうやらこの一見バラバラなメンバーで今後も集まれる一つのテーマは会の終盤でしっかり見出されました。
関西まち歩き・・そう、まさに私がこれからこのブログでやって行こうかと思っていたことが、そのまま実現することになり、これは充分関東のアースダイビング大会 にも対抗できそうです(って、何を勝手に対抗意識燃やしてるんだ?って話ですが>笑)。
おそらく第一回は手塚治虫記念館 を中心とした宝塚市ということになりそうで、ただ、アースダイビングのように最初からテーマを絞るのではなく、阪急コンコースブログ同様突貫的に何らかのテーマを複数見出せていければ楽しいんじゃないかと思っています(って、やっぱり謎の対抗意識を燃やしてるね>汗)。
近々専用カテゴリーも作成する予定。
【写真】2006.02.23 22:58 オフ会終了後に解体作業中のコンコースで記念撮影
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2006年01月31日 (火)
今回ちょっと嬉しかったのがハンガリー料理「グヤーシュ 」が6位に入ってきたこと。
「グヤーシュの作り方」というエントリーでは、最初からキーワード検索されることを想定して、エントリーがそのままレシピとして活用できるようにしておいた。
あと、10位にランクインした「写真 」って、そりゃー確かに最近その言葉よく書いてるけど、一体検索結果の何ページ目まで辿ってアクセスしたんや?(汗) 自分でもソレ確認しようって気にはなれへん(笑)
阪急コンコース 4.8% 梅田 3.5% 床の間 2.3% 玄関アプローチ 1.6% 谷中 1.3% グヤーシュ 1.1% ダイニングテーブル 1.0% 上棟式 0.9% 高過庵 0.8% 写真 0.8%
2006年1月の解析結果は
こちら から。
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2006年01月15日 (日)
まちの木霊『MACHINO KODAMA PROJECT 2006』 のDMが豊田さんから送られてきたので、ここでも紹介しておきます。しかし、これまた何ちゅーバッドタイミング。あと1週間遅く開催されてたなら行けたのに、、という話。残念!
まちの木霊『MACHINO KODAMA PROJECT 2006』
私達の傍らに活きる自然の不思議・驚き・笑いをアートにする展示会
【日付】2006年1月10日(火)〜1月15日(日)
【時間】11:00〜19:00(最終日は17:00まで)
【場所】『gallery J2 』台東区上野桜木1-7-5 Tel. 03-3824-1300
【主催】谷中学校 坪庭開拓団
【参加者】東明美/ani/池田祥/河合嗣生/川原理子/川村南方彦/工藤桜子/関純子
菅原なな/でう&尺八部/トーマス安田/豊田聡朗/中島尚史/武藤歌織
村山節子&アトリエてるてるの仲間たち
豊田さんだけでなく、奥多摩 一緒に行った河合さんやでうさんも参加されてます。
まちの木霊『MACHINO KODAMA PROJECT 2004』のエントリーはこちら 。
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2006年01月13日 (金)
「謹賀新年&休業のお知らせ 」文末でカメラの悩みではなくて結果報告のエントリーをすると書いたが、その報告のためのアイテムが本日届いた。ところが!である。
正月に妻の実家に帰省してた頃から花粉症の時期でもないのに目脂が妙に出るもんだと思っていると(尤も帰省先の総領町は毎春もの凄い量の花粉 が舞う)、昨日あたりから異様に左目が腫れ始め、眼科に行ったら両目ウィルス性結膜炎 と診断されてしまった。
というわけで、眼科医からは「家族と半径50cm以上近づくな!」「極力モノにも触れるな!」とのお達しが出てしまって、せっかく届いたブツのファインダーすら覗くことができない始末である(泪)
さて、そのブツとは見ての通り、Nikon のデジタル一眼レフカメラ D50 なのである。
新機種購入にあたり、散々迷いはしたが、購入の決め手となった最大の理由は1/15(日) までやっている「1万円キャッシュバックキャンペーン 」であった。何とこれを利用すれば「価格.com 」の最安レートでなくとも、送料込み5万以下の価格でデジ一眼本体が買えてしまう。この5万以下ってのが貧乏人一家の主にとっては何とも心休まるやさしい数字なのだ。気後れしなくて済むというか(^^;)
3年前に買った KONICA MINOLTA の DiMARGE G400 にさすがに厳しさを覚え始め(ある意味買った当初 から厳しくもあったけど)、新機種購入を考え始めた当初は Nikon D70 、Canon Kiss N 、Ricoh GR DIGITAL の間で揺れていた(ま、当初と言っても本当の当初は Nikon のフィルムカメラを持っていたこともあって Nikon しか頭になかったのだが、masaさんとの「ココア談義 」によって Canon にも心揺らされるようになっていたのである)。金銭的にはどれを買うにも7万の出費は必死で、揺れてはいたが結局買わずに SANYO の次期コンパクトデジカメあたりを買うことになるんだろうな〜と、言ってしまえばデジ一眼は言ってみるだけの儚い夢のようなものだった。
それに価格以外にも悩むべき点は幾つかあった。
まず D70 と Kiss N の、所謂デジ一眼に関しては当たり前のようだが重くてデカいこと(Kiss N はデジ一眼としてはかなり魅力的な小ささを実現してはいるものの)。ふだんチャリ移動が多く、そうでなくとも手ぶら行動を好む自分にとっては結局デジ一眼はお荷物なだけ。サッと取り出してサッと撮れる携帯記録性こそが重要で、それ以上のレベルの写真を撮る必要性というか能力(アウラとも言うべき)がそもそも私にはない。
そしてもう一つ悩ましい点が、デジ一眼にはライブビュー(モニタ撮影する)機能が付いていないことだった。当初、店頭で試し撮りする際にどうやってもモニタに映すことができなくて操作が相当難しいのかと思っていたら、そもそもコンパクトデジカメとデジ一眼は構造がまるで違っていて、その性能上ライブビューできないということらしいのだ(唯一 Canon の EOS 20Da にはその機能が搭載されているが、天体写真撮影向け の特殊設計カメラである)。ヨドバシの店員によれば電池の持ちが全然違うし、脇を固めてファインダー覗いた方がブレないから良い。それにファインダー覗く方が本格的な感じでしょ!という説明を受けたが、本格的である必要がない上に視力が低いのにふだん度の入った眼鏡を掛けていない私にとってはファインダー覗いてマニュアルでピント合わせようとしてもぼやけてしまうという方が余程大きな問題なのである。
となると秋山サンタクロース が繰り返し紹介していて、mistubakoさん も買われた GR の存在が頭を過ぎる。が、「価格.com 」最安レートでも約6万7千というところに手が出なかった。超広角21mmワイドコンバージョンレンズ(GW-1) というオプションレンズはあるものの、やはり拡張性の面でデジ一眼からはどうしても痩せ細りしてるし、それでほぼ同価格ってところが厳しかった。
そこにそれまで全く検討対象としていなかった D50 の存在が浮上してきたのである。
「1万円キャッシュバックキャンペーン」に加えて、メモリーがコンパクトフラッシュではなく、SDカードというのも中欧旅行のために 1GB を2枚購入している身としては非常に助かる話だし、レンズやストラップはほとんどお蔵入り状態の Nikon F801s のもので当座は凌げる。つまり、ほぼ5万でデジ一眼ライフが実現してしまうのである。
そして最後まで悩みの種であったライブビュー問題に関しては、頭を切り換えることにした。要は度入りの色眼鏡を買えば良いのである。なんか微妙に本末転倒な気もしなくもないが、とにかく5万以下のカメラという感覚が重要なのである(笑)
それに出だしからまさしくそのライブビュー問題のオチとも言えるウィルス性結膜炎でファインダー覗けない躓きようなんで、、、
というか、今日は年明け早々から13日の金曜日なのであった(汗)
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2006年01月10日 (火)
トラックバックスパムの襲来とサーバ障害に見舞われ、一時「開店休業 」という形を取っていた谷中M類栖ですが、どうにか復活です。2つのトラブルに関してはまた改めてエントリーしようと思いますが、その前に今回の復旧作業に当たって幾つか変更箇所と問題を残したところがあるので、それについて簡単にまとめておきます。
【変更・追加点】
1)URL変更 :トップページも個別エントリーもパス変更。旧URLでは閲覧のみ可。
[旧] http://yanaka.m-louis.org/blog/ → [新] http://yanaka.m-louis.org/
2)トップページにもページ分割機能を採用。但し新着50件分まで。
3)tags(キーワード集) ページを追加。現在は最新20件分のみ記入。
4)カテゴリをタイトルリスト表示からエントリー表示に戻した(正常サーバゆえ)
5)カテゴリに「海外建築・風景 」を追加。
6)個別エントリーフッタ部に「Amazon SEARCH 」を追加。
7)メニューに「Active Entries」を追加。
8)Movable Type ver2.661 → ver3.21a-2 にバージョンアップ。
【問題点】
1)URL変更に伴い、リンク切れ が発生。また一部に画像非表示の可能性も。
2)旧URLにアクセスした場合、コメント・トラックバックができない。
3)tags アーカイブリンクの URL を簡易形式に変更できない。
4)tags アーカイブリンクの日本語文字列が文字化けする(利用に支障はない)
5)コメント時の「五五一」パスワードはスパム対応が面倒なんでそのまま継続。
と以上、今回の変更はデザイン面でリニューアルしたというよりは、システム(MT)のバージョンアップを行ったという方が適切かと思います。まあ、何よりも気が楽なのはトラックバックスパムの襲来に逐一エントリー一つずつ開いて行かなくても、一括削除できる管理画面が用意されてるということでしょうか。
それにしても書き出したデータの読み込み作業には苦労させられました。最初、大容量トラックバックスパムが原因かとも思い、約3000個のスパムを1個1個チェックボタン押して削除して行ったのですが、それでキレイになった書き出しデータを読み込まそうと思っても途中でフリーズ。結局、書き出したデータを3分割してどうにか読み込ませました。340件でもそんなになっちゃうということは1000件越えてるブログとかってさぞかし大変そう。というか、そのトラブルもうちだけのものだったり?(汗)
しかし、そうした作業中、瞬間的にサーバに旧データをアップし直したら、そのタイミングで「Kai-Wai 散策 」の masaさんからコメントが届いてびっくり。そのコメントは「飾る棉 」のところにしっかり温存してやす(^^;)
そんなこんなで年末から年明けに掛けてはトラックバックスパム、サーバ障害、データ読み込み問題と三重苦を味わっていたのですが、それ以上に何ともやるせない気持ちになってしまったのが、rattleheadさんのブログ「家の記録の妄想 」が突然存在しなくなってしまったこと。朝妻さんは「寂しい 」と題するエントリーで「家の記録の妄想」が家づくりポータルとしてほとんど日常化していたことを書かれ、ノアノアさんも「家男、PLEASE, COMEBACK!!! 」と彼の復活を待ち望んでいる。
彼がなぜブログを辞めてしまったのか、あるいは辞めたくなったのか、それとも辞めざるを得なくなったのか、その理由はすべて推測の域を越えるものではない。ただ、私個人としては彼のブログは「家」が取っ掛かりになってはいるが、それがあってもなくても読みたいブログの一つであった。その意味で「家男」の冠が外れていたとしても私は rattlehead の復活を望む。I hope that rattlehead is the resurrection.
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2006年01月01日 (日)
明けましておめでとうございます。
と書いて、ふつうならここで「今年もよろしくお願いします」と続くところですが、
このブログ、これから数日ほど開店休業(コメント+トラックバック不可)します。
もう半年以上前から不具合を覚えていたのですが、このブログを置いてるレンタルサーバに何らかの障害があることが判明しました。当初はブログのエントリーが嵩んで、それが原因なのかと思っていたのですが、去年末に一度サーバ上のデータを真っ新にしてその上で MT3.2 をインストールしようとしたら、それもエラーで弾かれてしまい、どうやらこれはサーバ自体に問題があるらしいということになってきました。
というわけで、サーバ会社の方に問い合わせたところ、原因解明に時間を要するため、サーバを修復するのではなく、サーバ移転することで即時対応させてほしいという返事が返ってきました。しかし、その即時対応ってのが1月5日以降ってことらしく、とりあえずサーバ上には出力したエントリーデータのみ置いて、開店休業という形を取らせてもらいます。つまり、コメントやトラックバックが利用できません。
昨年末からモッサ激しいトラックバックスパムの襲来を受けており、Movable Type をバージョンアップさせて早いところその管理をしやすくしておきたいところもあり、このタイミングでの決断になりました。本当は年内に何とかしたかったんですけどね。
それと「カメラの悩み」というエントリーをするつもりでいたんですが、サーバのことであれやこれやしてるうちに悩みがある決断に一本化しつつある状況になってきてしまってまして、まあ、それはそれでそのうち結果報告のエントリーをするかもしれません。
そんなことでこのブログは当面は開店休業の状態で、1月5日以降に一時「Not Found」となるかもしれませんが、サーバ移転が完了すれば同一 URL で復活予定ですので、今後もご愛顧の程、よろしくお願いします。また緊急のご連絡・ご質問等はこちら まで。
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2005年12月31日 (土)
なぜかこの時期に「田植え 」が赤丸急上昇?
「阪急コンコース 」はトップ維持なれど、だいぶパーセントはが落ちてきました。
来月はもっと減るんやろな〜。しゃーないか。。
「床の間 」の初登場は施主ブログとしては嬉しいところ。10位までにはランクしませんでしたが、12位に「欄間 」も上がってきています。
阪急コンコース 3.6% 梅田 3.5% 田植え 2.9% 上棟式 2.2% 丹下健三 1.5% 床の間 1.3% 谷中 0.9% 不忍池 0.9% フッコー 0.9% DIY 0.8%
2005年12月09日 (金)
旧阪急梅田駅コンコース の話題がさらに続きます。
「大阪日日新聞にて 」のエントリーでは触れませんでしたが、新聞取材に同行してもらった活動有志メンバーの一人であるのりみさん が NHK総合 で12/9(金) 19:30から放映される『大阪のこれから──皆で話そや "街づくり" 』という生放送番組に参加されることになりました。
その詳細・経緯はこちら 。
のりみさんについては今回の大阪日日新聞の記事後半部で「手塚治虫ゆかりの地 」としてコンコースとの関係が語られ、また4月に同新聞の「街を奏でる人 」で取り上げられた記事の方には詳しいプロフィールが出ています。
まあ、何はともあれ、とにかく「超」の付く手塚治虫マニアの方です(笑)
あと、右上のような日本画を描かれる方でもあります。何とも不思議な繋がり。
* * *
のりみさんは手塚氏のデビュー以前の生い立ちを探って『虫マップ 』という研究誌を発行(2005年3月からは手塚治虫ファンクラブ会誌「手塚ファンマガジン」でも連載)。その活動を通じて手塚氏の実弟にあたる手塚浩さんと出会われ『新・虫マップ2003 』では浩氏からの手紙を中心にそれまで「記録」としてしか垣間見えなかった手塚兄弟の話が浩氏の「記憶」を元に繙かれています(「虫マップ」の経緯 参照)。
そして、その中に建築好き人間であればヨダレものの逸品が・・。
手塚浩氏が作画された旧手塚邸平面図 が掲載されているのです。超必見!!!
植栽に至るまでこれほど詳細に渡る図面を、今の私は三鷹金猊居 において書き切る自信がありません(汗)←早いところ、模型を作っておかねば。。
* * *
のりみさんの番組参加(+新聞掲載)に際しては、コンコースブログを通じて出来た仲間達が各々のブログで後方支援してくれています。以下にそれら URL をリンク!
・あさみ新聞:旧阪急梅田駅コンコースを残したい活動のその後
・ゴリモンな日々:新聞。雑誌。そして今度はテレビかも?
・cinemazoo:梅田遺産のその後
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2005年12月07日 (水)
「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・ 」のブログとその活動が12/7(水) 付の大阪日日新聞 で紹介されました。
これまで新聞取材ってあんまり良い印象なくて、正直大した期待もしてなかったんですが、これが箱を開けてみて吃驚。約1時間半の取材で喋りまくったことをほとんど余すことなく、また下手な誇張もなく、しっかり取り上げてもらえました。
まずは取材された記者の浜さんに感謝!
そしてこの話を繋いでくださった maybe5さん、
大森さん にも謝意を表します。
あと、名前も何もわからないのですが、この記事のレイアウトを組まれたデザイナーさんにも声を大にしてありがとうと言いたい。
なぜならこの記事唯一の縦組明朝見出しで
「阪急の心変わり」期待
の一行が掲載されたからです。
この文言は私がこの活動を反対運動とは考えてないことを表明する核となるものです。それには当然「生ぬるい」という指摘もあるだろうけど、私の中ではあくまでクライアントのポジティヴな主体的判断により計画の変更は行われて欲しいという願望がありました。だから例えばマスコミや社会に訴えて、阪急を悪者扱いすることによって計画変更が余儀なくされるなんてのは以ての外の話。それと設計会社を日建設計 と決めた以上はこれも外部からの重圧によって変更なんてことは絶対あっちゃいけないと思ってました(もちろん阪急の主体的判断により、解約するというのなら構いませんが)。
こうした思考の背景には当然自分がクライアントとして取り組んだ家づくり経験と、平常のクリエイターとしての仕事観みたいなものが両翼から反映しています。それについてはタイトルを変えてまた改めてエントリーしましょう。
なぜか記事には小林一三に東宝劇場の壁画制作を委嘱された祖父 ばかりか、阪急ブレーブスの浜崎真二投手兼監督との縁故から父 の名前までが出てきますが、その辺はまあ、写真同様にご愛敬ってことで(汗)
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2005年12月05日 (月)
関西圏でしか発売してないかもしれないけど、『大阪人 』という雑誌の最新2006年1月号(vol.60)「発掘 the OSAKA」のコラムにて「阪急百貨店大阪うめだ本店」が取り上げられている。もちろんメインテーマはコンコースで、伊東忠太の四神モザイク壁画 の制作のエピソードについても触れられている。「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・ 」の歴史解説コラムで日間仁氏の書かれた力作「阪急ビルディングの建築に就いて 」では、伊東忠太の言葉を引用しながらより詳しく書かれているが、玄武・朱雀・鳳凰・白虎の四神を発想のもとに描かれたはずの壁画が龍・翼馬・獅子・鳳の四動物となってしまった経緯など、その説明は非常にわかりやすい。
コンコースこそを阪急ビルの「内なるファサード」と表現する執筆者の酒井一光氏(大阪歴史博物館学芸員)は、そのテクスト冒頭からこの場所に対する愛情溢れる記述を続けられるが、その文末で「建物が変わってしまうのは寂しいことだが、新しい時代の建物に期待したい」と結ばれている。それだけは本心だろうか?と勘ぐりながら読んでしまった。
「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・」では有志メンバー:のりみ さんの書かれた同誌に対するコメント を掲載しています。
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2005年12月03日 (土)
create your own visited countries map
Flickr! の chorickr さんのプロフィールに「Visited Contries 」というマップが張ってあって、何となく自分でも試したくなってやってみました。
つい最近3国追加したので visited 16 countries (7%) という結果(経由2国含む)。
・・と何となくこれから海外M類栖となりそな気配を漂わせておく(^^;)
2005年12月01日 (木)
ワイドショー&国会レベルでは空前の建築家(それも今まであまり陽の目を浴びなかった構造家←ATOK で一発変換できない)ブームが起きてる中、一応、建築系ブログなのに2回しか更新しなかった11月。
てなわけで今月はもうちょい書きたいと思ってますが、果たしてどうなることやら?
一つは完全に Flickr! のせい。もう一つは仕事絡みで別にブログ書かないとならん事情がこっちをより一層寂しくさせてしまっているのでありまする。
梅田 4.1% 阪急コンコース 3.3% 上棟式 3.6% 田植え 2.0% オイルヒーター 1.2% フッコー 1.0% 谷中 0.9% 丹下健三 0.9% 欄間 0.9% 設計料 0.6%
ちなみに10月の解析結果は
こちら 。
それと「
あさみ新聞 」でも始まった模様です(^^ゞ
2005年11月19日 (土)
5月にエントリーした「新釈肖像写真 」でフォトグラファーの清真美 さんが撮られた我が家および我が両親の写真が、この度、パルテノン多摩で開催される日本人若手作家6人の写真展「現在のポートレイト -You are here-」 で展示されることになりました。
清さんの作品は「人々・家族の肖像/People・Family」というテーマの中で紹介されていて、新作含む10点が出品されるとのこと。期間も長いのでお近くの方は是非!
日本人若手作家6人の写真展「現在のポートレイト -You are here- 」
【会 期】2005年11月21日(月)〜2006年1月22日(日) ※12/27〜1/3は休館日
【開館時間】10:00〜18:00(入場は17:30まで)
【場 所】パルテノン多摩 2F特別展示室
【出品作家】落合佐和子・澤田知子・長島有里枝・清真美・藤澤卓也・蔵真墨
【入場料】大人¥300 高校生¥150(高校生団体20名以上¥100)
中学生以下・65才以上・障害者手帳をお持ちの方 無料
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2005年11月01日 (火)
俄然阪急強しの月でした。てか、ほとんどそれしかエントリーせんかったし(汗)
梅田 7.9% 阪急コンコース 6.9% 上棟式 3.7% DIY 1.9% 丹下健三 1% 谷中 1% 庇 0.8% フッコー 0.8% 止水板 0.6% 不忍池 0.6% ちなみに9月の解析結果は
こちら 。
2005年10月01日 (土)
9月は当然の結果ってヤツですかな?(^^;)
阪急コンコース 6.3% 上棟式 4.5% 梅田 4.4% DIY 1.9% 丹下健三 1.6% 食洗機 1.3% フッコー 1.3% 不忍池 1.2% 谷中 0.9% 庇 0.9%
ところで、ここのブログはアイウエオ順だと谷中の「ヤ」で後ろから数えた方が早いのが原因なのか、割と検索ではあとの方に出てくることが多いのですが、なぜか阪急関連だけは概ね1頁目に検出される結果となってます。
ちなみに8月の解析結果はこちら 。
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2005年09月27日 (火)
実家家族の都合 により残念ながら今年も参加できなかった谷中芸工展 ですが、今年は芸工展の方の Web が RSS 対応となり、去年より更新状況が見やすくなりました。
私個人がまだ谷中に住んでいないので、そんなに深いお付き合いが出来ているわけではありませんが、個人的に以下企画をこのブログでの告知という形で応援させていただきたいと思います。期間中に上京できたら、ここだけは回りたいってところです。
17. 谷中ボッサ 増田知己・秋本詩絵 → お店
34. 時夢草庵 ジム・ハサウェイ → ジムさん
35. 床の間巡りとアランウェストの公開制作 アラン・ウェスト → アランさん
37. マクケノエン イコアン → satoshinyaさん
93. ルーツ尺八『吹歩』 でう → でうさんインタビュー
しかし、どうせ RSS 対応にするなら、検索とトラックバックは欲しいな〜。
あと、山本さんの「谷中の住人 」ブログでは「谷中芸工展 」というエントリーで芸工展のポスター写真を掲載しての紹介がされてます。
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2005年09月19日 (月)
緊急告知!
阪急梅田コンコースを残したい・・
その一心から「阪急梅田コンコースを・・ 」という建造物の保存を切望する専用のブログを立ち上げることにした。
ここでやっててもよいのだが、色々混乱する要素も出てくるだろうし、それに「このブログについて 」という最初のエントリーでも書いたように「中継ぎ〜セットアッパー的役目を果たせれば」というブログなだけに途中で管理者交替ということも考えられる。そうするとこことは一線を画しておいた方がいいだろう。
ちなみにライブドアのサービスを使うことにしたのは、阪急の買収球団であるオリックスが合併した近鉄を救おうとしてたのが他ならぬライブドアだったからである。それ以上の意味はないが、案外この問題は今度のことともまったく絡んでないとは言えないようにも思っている。
阪急については今後、新ブログを中心に展開していくが、必要に応じてこちらで告知的重複エントリーをすることもあるかもしれない。いずれにしても関西在住者、および建築関係者の方は新ブログも覗いていただけると助かります。
□◇
※)バナーは「Kai-Wai 散策 」の masaさんを通じて「藍blog 」の aiさんが作ってくれた。こういう状況下でのこうした協力は本当に嬉しい。そしてブログならではこそだな〜とつくづく思う。「ブログの力 」か?
またこのブログを通して、「阪急梅田コンコースを・・ 」を告知してくださってる皆さん、本当に恩に着ます。
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2005年09月13日 (火)
今さっき、夕方のニュース見てたら、開いた口がふさがらなくなってしまった。
阪急梅田駅のコンコースがビルの建て替え工事 に伴い、解体されるのだという。
壁画は残すというが、そういうもんじゃないだろう?!!!!!!(超激怒)
たまたま先月、Flickr! に阪急コンコースの写真をアップしたら、昔関西に住んでた人たちから「こんなステキなところだったんだ」的なコメントが寄せられた。確かに案外通勤通学路となっている場所って周りを見ていないものである。何せ遅刻したらあかんだけに、、が、20代の後半に1年間京都で一人暮らしをして、その後、所帯を得て現在の大阪に移り住んだ私にとって、このコンコースは関西に「してやられた」気分にさせられた一番のものだったかもしれない。これに対抗できる東京の駅と言ったら東京駅くらいか?、、いや、しかしその艶というか豊饒さで言えば、明らかに阪急の方が優っている。そういう意味ではヨソ者をたじろかす存在感を持った数少ない場所だったのだ。
本当に解体してしまっていいんだろうか?
まあ、三鷹金猊居の解体を選択した私が言えた立場ではないが、壁画を残したとしてもあの空間の艶まで伝えられるとは到底考えられない。今更遅いのかもしれないが、あのコンコース部分をまるごとそっくりくるむような設計プランでも新たに出て来ないものだろうか? 関西で自慢できるトップクラスのものが消えていく。
以下 Flickr! 写真と共に、関連記事を見つけ次第、ここに追加していきたいと思う。
それとコンコースの設計者である伊東忠太および阪急創設者の小林一三については相応の思い入れがあるので、また別の機会を設けてエントリーしたいと思う。
■関連ニュース
・建通新聞:梅田阪急ビル建て替え 月内に施工者を
・asahi.com:旧阪急梅田駅コンコース解体へ 壁画は残します (2005.08.10)
・産経新聞 ENAK:阪急百貨店「貝の化石」取り壊しへ (2005.08.25)
・YOMIURI ONLINE:“昭和モダン”の阪急コンコース、解体へ (2005.09.09)
・Sankei Web:消える阪急百貨店のコンコース 名残を惜しむ市民の声も (2005.09.12)
・gooニュース:姿消す阪急梅田のコンコース (2005.09.13)
■関連サイト・ブログ
・極私的建物探訪:阪急電鉄梅田駅 壁画
・LA CHAMRE DE COMTE:大阪健脚ツアー篇・其の一
・鉄道で行く旅/Kimura's Internet Home Page:阪急百貨店梅田本店
・ぽむ吉さんの近代建築と書評中心のblog:阪急梅田 いままでとこれからと (2005.06.18)
・TRA−VEL−BLOG:さよなら阪急梅田
・淡海の国から on blog:【大阪】旧阪急梅田駅コンコース解体 (2005.08.10)
・阪急にタイガースに高橋愛を語る江戸人:阪急梅田駅旧ホームコンコース解体 (2005.08.11)
・ひろの東本西走!?:阪急百貨店建て替え計画 (2005.08.24)
・.3:さようなら
・Dramatic☆Interior:梅田阪急の建てかえ (2005.09.14)
・あさみ新聞:ちょっと待って「阪急百貨店」 (2005.09.14)
・新「とっつあん通信」:またひとつ「大阪らしさ」が消えてゆく (2005.09.14)
・LBGO:。。。
・シティサイエンス:阪急梅田コンコース解体 (2005.09.14)
・シティサイエンス:阪急梅田コンコース解体 その2 (2005.09.15)
・安心立命:阪急 梅田 コンコース解体へ・・・ (2005.09.15)
・安心立命:ステンドグラスから動く歩道までの回廊はすでに・・ (2005.09.16)
・すずめの実験室:消える阪急百貨店のコンコース 〜その1〜 (2005.09.18)
・すずめの実験室:消える阪急百貨店のコンコース 〜その2〜 (2005.09.18)
・MADのキッチン:梅田阪急百貨店... (2005.09.13)
・楽しむYahoo!ブログの作り方♪:阪急百貨店建て替え計画(´・ω・`) ショボーン (2005.09.23)
・毎日がブエノス・ディアス!:うそ?!阪急梅田コンコース解体?! (2005.09.23)
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2005年09月01日 (木)
最近、自他問わずブログ時間減少気味で、4ヶ月置きにまとめてみようと思っていた「検索ワード」の解析結果 もついうっかり9月になってしまって5月分のデータを残し損ねてしまった。で、こうなってしまうと前・中・後期という形でまとめてみようなんて言ってた前回の意欲はもうどこへやら?である。
そこで代わりに今月からある意味作業量は増えるが、毎月、月毎の「検索ワード」解析結果をレポートしていこうかと思う。その方が見忘れてもその猶予は3ヶ月もあるのである。そんなわけで早速8月の検索ワード解析を。
ちなみに5月分の抜けた中期合計解析結果(参考までに括弧内で表示)では8月の2位ワードが断トツの1位だった。思いっきり季節モノなのである。
上棟式 5.1% (中期:不忍池 5.7%) 不忍池 2.5% (中期:上棟式 5.1%) DIY 2.0% (中期:丹下健三 4%) 谷中 1.7% (中期:睡蓮 2.6%) 西洋美術館 1.3% (中期:DIY 1.6%) 設計料 1.2% (中期:谷中 1.5%) 高過庵 1.2% (中期:フッコー 1.5%) フッコー 1.1% (中期:写真 1.1%) 丹下健三 1.1% (中期:止水板 0.9%) 写真 1% (中期:地鎮祭 0.8%)
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2005年08月15日 (月)
この画像 は見る人が見るとそれなりにショックの大きな画像のはずだ。
広島県北の山間部で進行する洪水調整用のダム建設計画に伴い、<ダム周辺環境整備にかかわる広大なエリアを、自然と文化の調和した永続的な魅力を持った「環境美術圏」にさせていく試みとして> 1994年から2002年まで灰塚アースワークプロジェクト なるアートプロジェクトが行われていた。1995年に初めてそのプロジェクトに参加した私は1998年からは Web構築係として関わっていた(実はコンテンツのベースとなる部分が1998年当時作ったもののまんまなんで、URL 晒すのはかなり恥ずかしいんですが...モニタサイズ 800×600 照準で作られちゃってるし)。
プロジェクト参加当時はここにダムなんてホンマに出来るんかい?という暢気なものだったが行政のハード事業というのはよほどの反対でもない限り、スケジュール通り着々と進んでいくもので、当初から予定された2006年には灰塚一帯は完全にダムの底に沈むことになりそうだ。というよりも、写真で見てわかるように2005年夏の段階で試験湛水も行われ、ダム機能は貯水を待つばかりの状況なのだ。
ちなみにアースワークプロジェクトの方はダムのまたがる三良坂町・吉舎町・総領町の3つの町が全国規模で広がる市への合併の波に呑み込まれ、それぞれ管轄が自立できなくなってしまったため、2002年を以て一旦休止状態になってしまった。その後、NPO 化の話なども出ているのだが、今のところはっきりとした動きは見えない(ただ、事務局が Web を残しておく意志だけは持っているので、今後何かしらの展開が期待できないこともないだろう)。
ところでこの3町のうちの総領町というのが、私の妻の生まれ故郷であり、つまり私はこのプロジェクトにたまたまバイトで駆り出されていた妻とこの地で出会ったという訳だ。ちなみに田植え で帰省した折、妻の実家でこのダム建設計画の直接の原因となった1972年の大洪水の話になり(それは当時7歳だった妻にとってはハッキリ記憶に残っている人生最初の大災害だったようだが)、考えてみればその洪水がなければダム建設計画もなかったかもしれず、ということは灰塚アースワークプロジェクトも当然なくて私と妻が出会うこともなかった。そして、そんなことを話しているその瞬間その空間もそこにはなく、妻と不思議な気分に陥っていたものだ。
9.11(なんちゅー日を選んでるんだよ!)の衆議院総選挙では、この袂を分けた3町を含む広島6区がホリエモンvs亀井静香の対決によって全国でもっとも注目を集める選挙区となることだろう。だが、そんなことはお構いなしに灰塚ダム 建設工事は静かに完成の日を迎えることになりそうだ。
ちなみに冒頭の写真はハイヅカ湖畔の森のコテージから撮影している。
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2005年07月23日 (土)
毎秋、谷中界隈の「まちじゅうが展覧会場」となる「谷中芸工展 」と「art-Link 」。
去年 も気付けばもう始まる寸前って感じで、やはりそこに住んでいないとうっかり忘れてしまいがちになるものである。が、今年は一応2ヶ月前の現段階で思い出したので、実家からの電話ついでに参加意志含めて聞いてみた。
そしたら回覧板のようなものがすでに回ってきていて、最初の説明会はもう終わってしまったんだとか。そして、どうも電話の様子だと今年もまだ参加したくないらしい。
結局、未だに家が片付いていないことと、1Fが何かとトラブル続きなもので、その1Fでギャラリー開く精神的余裕はとても持てそうにないということだった。
というわけで、どうやら年内のギャラリーオープンはなさそうです(謝)
まあ、私もここのところ仕事が結構詰まってきていて、長期谷中滞在は難しそうだし、それに10月末〜11月にかけて父とのTO計画 もあるので、来年からでもいいのかな?なんて妥協の気持ちの方が強くなり始めてしまっている。
尚、谷中芸工展はようやく独自ドメイン取得し、RSS対応になった模様。
ひょっとすると今年の私はネット上で谷中の秋なんてことになったりして?(汗)
□◇
谷中芸工展2005 :2005年10月1日(土) 〜10月10日(月)
art-Link 上野−谷中 2005 :2005年9月23日(金) 〜10月10日(月)
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2005年06月27日 (月)
ポリタン・コスモ でも紹介されてる Google Maps BETA 版 。
その Satelliete って機能が何とも不気味なのだが、ついグルグル色々見てしまう。
まだ衛星画像の詳細度に地域格差があって、私の住んでる大阪 なんかだと自分の家までははっきり確認できないが、谷中の敷地 はほぼどこだか特定できた。
ただ、そこが空き地のように見えるということは実は何年か前の画像なんだろうか?
でも、富士山 なんかは如何にも今の季節って感じの色合いなんだよな〜。
2005年05月20日 (金)
去年、建築写真 を撮ってもらったフォトグラファーの清真美 さんが、今回は彼女自身の作品制作プロジェクト『新釈肖像写真』として我が家を訪問。まあ、半分は私が頼んだものなのであるが、モデルは私の両親である。
彼女の制作スタンスとしてはモデル希望者の自宅に出向いて、その生活環境の中で絵作りをしてポートレート撮影をするというもの。基本的にその絵作りは彼女自身がここで撮らせてくださいと押しつけるものではなく、あくまでモデルとの対話の中でどこで撮るべきか、どんな家具を配置するか、どんな衣装を着るべきかなどが決められていく。即ちどことなくモデルとフォトグラファーの関係が施主と建築家の関係に近い。
1週間前にすでに両親と彼女の3人でロケハン&打ち合わせは行われていて、両親を結ぶ一番大きな要素は「音楽」だから1Fのグランドピアノの前で撮ろうという話でまとまっていた。それ以外にもふだん使われることのない骨董モノの古茶碗などが並べられ、こんな機会でもないと値打ちモノは陽の目を浴びないのだな〜と改めて実感。
結局、器の類ってがさつに扱って割れても気にならない安物の方が使い勝手も良くなってしまった時代なのである。
ちなみに私は撮影前後の準備と後片付けだけ手伝い、本番の撮影時間は2Fに退散。それは清さんから事前に撮影時はモデルと自分だけにさせてほしいと言われていたことでもあり、また私もそのつもりでいたことである。その感覚というのは、おそらく「家作りブログ三角形 」のエントリーでも触れた「人と人との間でモノを作るということがそう簡単なものではない」といったことと関係するように思う。
とはいえ、2F書斎の階段から一番遠い部屋に居たにも関わらず、ときおり3人が爆笑してる声が聞こえてきた。両親共にああいう形でモデルになるのは初めてのことだったに違いないが、清さんと清さんのカメラがそこに持ち込まれたことで濃密な楽しい時間を過ごしていたようだ。撮影終了間際に1Fに呼ばれ、なぜか私も加わった写真を撮られたり、あと私が清さんを撮ったりとしばし記念撮影タイム。ひとまず見せられたポラでも、我が両親がモデルながらかなりいい写真が出来そうだという予感たっぷり。現像後のレタッチで何ヶ月か掛かるとのことだが、仕上がりが非常に楽しみだ。
家が完成した施主の皆さん、または何らかの理由で家の解体を余儀なくされた方など、是非是非、清さんの『新釈肖像写真』モデルとなってみませんか? そこに住人がモデルとなって入ることでその空間がまたひと味違ったものとして(プロジェクトの性質上、ある種、濃縮還元されたような形で)切り取られ、そして後世まで残せるものとなることでしょう。サイトの Contact のページにもありますように、現時点では撮影協力のお礼ということでA3サイズ程度の完成写真ももらえるのだそうです。遠方の方は交通費などが応相談になるかもしれませんが、本人はどこでも行くよ!と言ってましたので。。
ちなみに冒頭の写真は撮影場所を反対側から撮った撮影準備中の様子です。
あと、清さんのモデル募集の件は私が仲介役になっても構いません。もしいきなりメールするのに抵抗ありましたら、ひとまず私の方にコメントください。
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2005年05月01日 (日)
忍者ツールズ のアクセス解析が無料利用だと4ヶ月分しか保存できないので、ここでまた「検索ワード」の解析結果をまとめてみた。
前回まとめたのが2004年9月17日〜12月31日 分の解析結果。今後も年3回4ヶ月置きに前・中・後期という形でまとめてみようかと考えている。
上棟式 4.9% ← 上棟式 4.9% DIY 4.3% ← 藤森照信 2.5% 上棟式挨拶 3.4% ← 無印良品 2.4% 丹下健三 1.9% ← DIY 1.8% 無印良品 1.8% ← 挨拶 1.7% 谷中 1.3% ← サーモフロア 1.6% ファサード 1% ← 谷中 1.5% 電動自転車 1% ← 上棟式挨拶 1.2% 止水板 0.9% ← 不忍池 1.1% 家具 0.8% ← 取っ手 1%
以上の推移を見ると前回2位だった「藤森照信」が25位までランクダウンして「丹下健三」が4位にランクインしているのが何とも興味深い。丹下氏の場合、訃報ニュース のエントリーで言わずもがな(それも短期間のうちで)だが、同エントリーにも名前を出してた藤森氏のランクダウンは前回が「スロー建築のススメ 」というTV番組告知でエントリーしてただけに、如何にTVの影響力が未だ根強いものかということを如実に示している。ついでに如何に飽きっぽいかということも(汗)
しかし、前回に続いて「上棟式」「上棟式挨拶」が依然として高順位に来てるってのはやっぱり施主はまず挨拶言葉で悩むんですな。しかし、私の挨拶はものの見事な失敗事例なんで、訪問者は来なきゃよかったと後悔するか、あるいは長いのはやめとこうと再確認していくか、ひとまず後者が教訓になっていけば私の失敗も無駄ではなかったということになりそうです(笑)
ところで先月くらいから MT の調子が今イチおかしくてちょいとへこんでます。バージョンアップさせるべきなのかもしれないんですが、ファイル名とか変わるとリンク修正とか面倒くさいし、特にカテゴリーの調子が悪くて再構築時のエラーがひどいので応急処置として、カテゴリーページをタイトルリスト表示に変更してみました。
まあ、それでも完璧に修復してくれてるわけではないんですが(幾つかカテゴリーリストが表示されてないページもある)。
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2005年04月30日 (土)
4/27(水) にNHKの「課外授業ようこそ先輩」ってシリーズ番組でやってた
「過激な家で元気を作れ!」建築家…荒川修作 を見逃した方(=私)、朗報です♪
今夜4/30(土)01:55(もうあと約1時間後)から再放送されまっせ!!
もっと早く書いておけばよかった。
しかし、上記でリンクした URL、ファイル名が「list1.html」なんですけど、毎週ファイル名書き換えてるんだろうか???
2005年04月25日 (月)
福知山線尼崎駅付近での列車事故だが、事故前日ドミニク・シャニョンのライブ を観に宝塚まで出向いた私は50円安いことからJR福知山線ではなく阪急宝塚線を利用したものの、一つ間違えれば同じ線に乗っていてもおかしくなかったと言える。
そして今日一日報道の続いた事故ニュースを見ていて思ったのだが、もちろん諸々の事故責任は明確にし得るところまで追及しなければならないのは当然として、しかし事故原因の一つと言われる運転士の制限速度オーバーの話を聞くと、ある種、日本人の国民性、また会社という組織の体質そのものが引き起こした事故のようにも見えてしまう。
私自身もそうなのだが、日本人は数分の遅れでもイライラしすぎなのだ。そしてそれがすぐ怒りだとか苦情に結びつき、今度はそれに脅えた会社が社員に対し無言のプレッシャーを与え、挙げ句の果てには責任逃れのための露悪な虚偽行為にまで及んで、最終的に見たくない結末へと導かれていく。
私はこうした悪い流れを堰き止めるのに考えられる現実的な唯一の方法は、やはりただ忠実にいち早く事実を伝えるという方法しかないのではないかと考える。ただ、もちろん「事実」というのは常に確定したものとして捉えるのは難しく、ときに全く異なるような解釈が生まれることもあるだろう。その場合は、それも忠実にそこに見出された二つの異なる解釈を伝えればいい。今回のケースであれば、特別反目し合うような解釈もないので、ただ単に運転士か車掌が無線を利用するなり掲示板を利用するなりして「宝塚駅で8mのオーバーランがありました関係で1分30秒程度各駅の到着が遅れます」と車内および以降の各停車駅で焦ることなく繰り返しアナウンスすればよかっただけの話だ(個人的には車両開発よりも先に全線全車両でしっかり即時情報を流せる電光掲示板やモニタの設置を望みたいところ)。
さて、こうした問題を取り上げたのはすでに察しの付いてる方もおられるとは思うが、シックハウスだなんだとすぐに苦情や責任論に持ち運ぼうとする施主というのがこれと似たケースで多いように思われるからである。もちろん万事が万事のんびりやらせればよいというものではないが、これまた私含む多くの施主は何かと工事を急かしたがりすぎるきらいがあるのではないだろうか?
家づくりというのもまた鉄道と同じく一歩間違えれば大惨事にもなりかねないリスキーな事業なのである。そこで必要以上に業者を急かしてしまうことは、結局は業者からの抑圧で職人を慌てさせるだけであり、ひいてはトラブル住宅なりシックハウスなるものに繋がっていくというわけだ。
ただ、ここでも列車事故同様、業者からは明確な虚偽のない遅延説明がほしい。場合によっては若い職人が何かを反対に打ち間違えたからということだって、ちゃんと説明してもらえればそれについてはどういう考え方をしようといった軌道修正もしやすくなるはずである。というか、まず施主が(あるいは国民が)そうした事実を伝えられたときに、ただ被害者意識に駆られるのではなく、それをどう解釈しどう判断するかのリテラシーを持っていること、それこそが求められているはずのものなのであるが、生憎ニッポンの学校教育は肝心の部分を抜き落として偏差値イライラ国民を増殖させることばかりにご執心のように見受けられるのが残念でならない(私が朝妻さんの著書『家づくりは、はじめてですか? 』を日本の教育批判の本だと思って読んだのも、その本が徹底して「自分で考え判断する」ことに向き合わせようとしていたからである)。
尚、最後にはなってしまいましたが、今回の事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
【追記】
その後、色々と事実が明るみになり、本文でも幾つか訂正すべき箇所も出て来ているが(オーバーランが8mとされているところなど)、これについては事故当日に書かれたものとしてそのままにしておきたい。
ちなみに事故前夜、ドミニクライブのあとに三宮で一緒に飲んでたあさみ新聞 のあさみ編集長、ポリタンコスモ の hira さんもこの件についてエントリーされているので、トラックバック受けた aki"s STOCKTAKING と共に以下にリンクしておく。
hira さんのエントリーでは事故車両に乗車していた学生さんの話も収録されている。
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2005年04月14日 (木)
「祖父から祖母への手紙 」コメント欄の下の方をご覧になればわかると思うが、昨夜、私は一人であくせくしまくっていた。そこでも書いているように同エントリーの本文の文章がコメント欄に自分でコメントした文章にすり替わってしまっているのを見つけたのである。最初は表示上のバグかと思っていたのだが、編集画面のフォーム内を見てもそこにもコメントの文章が来てしまっていて、もはやどうにもならなさそうな状況が見えてきていた。
私はふだんエントリーするのもコメントするのも一旦別のエディタ上で書いたモノをコピー&ペーストする形で投稿しているので、原文が残っているといえば残っているのだが、しかしペーストして公開したあとにもう一度ブラウザ上でエントリーを読み直し、校正をかける。もちろんブラウザやプラットホームの環境差があるのは承知の上で、それでも私は Mac/Safari でもっとも読みよいように微妙に改行部分などの調整を掛けたりしている。
そんな中でも「祖父から祖母への手紙 」は公開後に文章そのものも相当に変更修正を加えたエントリーだった。だから、そのデータが消えたということを認めずには居られなくなったときの喪失感は非常に大きなものだった。エディタ上で下書きしたものを再アップはできるが、それは校正後の文章ではないのである。
もちろんこうした喪失体験はこれまでにも幾度も体験している。一番単純な例としては保存し忘れとか、誤ってデータ削除してしまったとか、、で、そうしたときもしばらくは茫然とするしかないのだが、しかしそれらのケースでは不思議と取り返し可能な力が自分の中に残っていた。もちろん文章をまるごとそっくり再現できるという訳ではない。だが、実際のところ、もう一度書き直したとき、喪失前に書いたものよりもグレードアップした文章に仕上がるのがそうした場合の常である。確かにデータとしては消えてしまったかもしれないが、自分の中で元の文章を書き上げたときの経験が上積み要素となってより優れた文章を書かせてくれるのである。
ところが今回の喪失においてはそうした期待がまるで持てなかった。まず第一にもう一度書き直すなんて気力はまったく持てないし、仮に書いたとしても相当端折ったものになったであろう。で、実際書く気力のない私はとりあえず下書きの文章をそのままペーストして写真についてはソースを自ら書き込んでどうにか体裁だけは復活させる形を取ってみた。だが、何ともやるせない気分になるのである。この際エントリーごと削除してしまおうかとも思ったのだが、すでにたくさんのコメントももらっているので、さすがにそれもしのびなく、如何ともし難い状態。
そこで考え始めていたのが、ネット上のどこかに何らかの形で旧データがまるごと残ってたりしないか?ということだったのである。で、いろいろ考えてふと思い当たったのが Google のキャッシュ 。ここには Google の検索ロボットが巡回時に読み取った情報(つまり何日か前のサイトの状態)が保存されている。だからもしや?と思ったら、案の定4/9(土) 時点のものが出て来てくれたのである。いや〜、このときの安堵感と言ったらそりゃなかったッス!
しかし、今回の経験をきっかけに考えたのが、今回私がデータ上の復活は考えても、頭の中からの書き直しを一切考えようとしなかったのはそれがブログ上の文章だったからではないか?ということである。他の方がどうかはわからないが、少なくとも私はブログの記事をもう一度書き直すというモチベーションをそう簡単には持てそうにない。
[R]Richistyles!「ブログと思考の濃度 」 ブログをはじめてから半年以上がたった。これだけ長い間、安定してものを書いていったのは生まれて初めて。
ニュース、ネタ、雑感、議論といろいろ書いていったが、感想としては特にそれで利口になったとは感じない。ただ、文章を書く作業は早くなったし、文章力はだいぶ伸びた。しかし、これは文章としての中身が良くなったというより、莫大な情報を処理して、それを簡単にまとめたり、適当な意見を書き上げたりする作業効率が上がっただけに過ぎない。
ここに書かれているブログ実感と似たような感覚を私も持つのであるが、どうもブログで書くという行為はこれまで文章を書いていたときのそれとはどこか感覚的に違う。まず、何よりも常に同じフォーマットに従ってエントリーしていくという一連の動作から駆り立てられるもの、richstyles 氏の言葉を借りるなら「処理」という感覚が強くあるのである。それが私にデータ上の復活は考えさせても、内面上の復活にまでは至らせなかった理由ではないだろうか?
実をいうとこの問題を私は最近 garaikaさんが書かれた「オーダーメイド 」とレディメイドとの関係、あるいはアナログとデジタルとの関係において平行させて考えたいと思っているのだが、どうもまだうまく纏められきれず(処理しきれず)にいる。
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2005年01月20日 (木)
Yanaka*M3c ── フォトログ1F編 をアップ。
ギャラリー 兼ピアノ室 メインの1Fはほぼ一室空間なため、仕切ることによって生まれる見せ場は少ないが、空間全体の雰囲気や華燈窓 ・丸太列柱 といった三鷹金猊居からの再利用古材を懐かしんでもらえたら幸いである。
届いたばかりの光庭 完成写真も追加。これで残すは外観のみ。
2005年01月12日 (水)
前回の3F編 から随分日が空いたが、Yanaka*M3c のフォトログ2F編 をアップ。
三角形バルコニー に始まり、三鷹金猊居からの古材を再利用したダイニング 〜居間 、それから階段脇本棚 、書斎 にキッチン 、洗面所 と3Fに較べて見所は多い。
2005年01月08日 (土)
garaikaさんのブログ「家づくり、行ったり来たり 」で元旦早々に「施主の心構え 」というエントリーがあった。翌2日から妻の実家に帰省予定だった私はそれにざっと目を通しただけで家を空けたのだが、帰省中もずーっとそのエントリーのことが気になってしょうがなかった。施主であった者ならば、施主でブログのような家作りの記録を Web 上で公開している者ならば、どう考えても見過ごさずにはいられない重たいテーマである。
まず garaikaさんは施主を CEO(最高経営責任者)に喩えるが、私もそのことには同感である。いや、厳密にいえば、私の場合、最初から同じ考え方で臨めていたのではなく、諸々の変遷を経た上でようやくその考えに辿り着いた、言ってしまえば「ヘタレ施主」であった。であるからこそ、そうなってしかるべき失敗を繰り返し、必要以上のお金と時間、それに迷惑を掛けてしまったという事実がここにある。
実際、私の場合、まず自分の立っている立場からして施主としては甘いものなのだ。
まず第一に今回の家を私は自分の稼いだお金(あるいは住宅ローン)で建てていない。母方の祖父母が築いた三鷹の家と土地を、都市計画などの事情によって引き払わざるを得なくなり(この辺の事情も歪んでいるのでまた別の機会にエントリーしたい)、それによって生じたお金で新しく谷中に家を建てただけなのである。もちろん谷中に越して家を建てるにあたっては祖父母の遺志と思われるものを最大限引き継いだつもりで計画はスタートさせたが、それでも現実問題としてやはり身代を切ってないということが危機意識や緊張感の薄さといったものを所々で露呈していた。それは谷中の家にまず当面の間は住まう両親や妹にしても同様で、敢えて言うなら家族の誰もがただ先代からの貰い物を横に転がしていただけなのである。
だが、私個人はこうして概ね2年半近くも掛けてどうにか終えた家作りプロジェクトに関して後悔の念はない。もちろんその感慨は上記の甘さがあるからこそなのかもしれないが、失敗も含めて良い経験だったと思っているし、そうした失敗があったからこそ生まれたカタチや産物を家の随所に見られることを大変喜ばしく思っている。豊田さんとプロジェクトをリスタートさせるときに豊田さんから求められた設計カルテ で私は自分の新居への夢 として「色んな人の顔が見えてくる家」と回答したが、その言葉には解約した前任建築家とのプロセスを活かすばかりか可能ならばそこで生まれたアイデアを実質的なカタチとして残したいという想いがあった。だが、それはそうした想い、意志を持たずとも自ずと表に現れていたようだ。前任建築家たちによって我々は「施主」として成長させてもらっていたのである。
garaikaさんは施主が自ら施工ミスなどについてわざわざブログで書き立てるのは「社長(施主)がプロジェクトメンバーの社員(施工者・建築家)を公衆の面前で、さらしものにしているのに近い行為のように見える」(カッコ内は引用者による)と書かれている。確かに家作りを一大プロジェクトと見立てれば、それは間違いなく愚かな行為と言えよう。ただ、私のブログではこれまでのエントリーを見ればわかるように、そうした愚かさに足を踏み入れてしまっている部分が多分に見つかるだろう。そうした禁を犯してしまうのには、おそらく私のこれまでのミスだらけの人生というものが大きく左右している。「人」という以前にまず「自分」がミスをするのは当たり前で、だが、そうしたミスった状態からどう立ち直るか、どうやり直すか、どう修繕するか、どう克服するか、どうも私個人はそうしたプロセス自体に興味の的が向かってしまうのだ。施工者の技能も如何に完璧なものを最初から作れるかよりも、ミスが生じたときに如何なる対処対応を示すかで問うていた節がある。それらを自身のことまで含めて傍観者的に記録していくということへの欲求に抗うことはなかなかできなかった。
おそらくその傾向は家作りを終えた今後、より深まっていくだろう。それはそろそろ前任建築家との経緯についても触れなければならないと思っていることに加え、家族の問題がこの家作りとどうしても切り離せないからだ。家族というか、すでに亡くなっている祖父母の代からの家族関係の捻れが今回の家作りにも深く影を落としており、それを記述することは私自身の使命のように感じ取られてしまっている。それは社長(施主)一家の闇部を公衆の面前でさらしているだけの行為と捉えられるかもしれないが、そこに「住宅建築と施主」という「家作り」のフィルターを通すことで、単なる暴露話で終わらないようにしたいとは思っている。
garaikaさんや赤瀬川原平氏ともまた違ったあらわれ方にはなるのだろうが、私自身もこの家作りが楽しかったことに変わりはない。それは「blog 開始 」という最初のエントリーで書いていた所信/初心の表明と何ら変わることはなかった。ひょっとすると garaikaさんのエントリーも年が明けて気持ちを新たに書かれた所信表明だったのかもしれないが、このエントリーもそれに倣うものである。ちょっと遅いですが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
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2005年01月02日 (日)
あまりこのブログの趣旨とは関係ない話となるが面白かったので書いておく。
1月1日と2日のアクセス解析・検索ワードの検出結果を見ると共にダントツのNo.1に輝いたのが「初風呂」であった。確かにこのブログでは引越直後のエントリーで「初風呂 i-bath2003 」を書いていたが、正月元旦に検索される「初風呂」とはこれまた趣旨を異にしていたことだろう。残念!
しかし、正月には「初風呂」なんて検索しようと思う人がいるんだね。きっと「初夢」はもっと多いことであろう。ちなみに私はいつの夢を指して初夢というのかも知らないが、取り敢えず今年になって最初にその内容を言葉にできるレベルで記憶に残して目覚めた初めての夢としては、エベレスト級の高山になぜかタレントの関根勤と二人で登っていて、途中、かなり険しい崖をよじ登ると二人とも後にも先にも進めないような状況に追い込まれ、大いに足が竦むというものだった。オマケにそれで目覚めたあとも足が竦みっぱなしで眠れなくなってしまったのだから、今年の初夢は悪夢で始まったと言っても良さそうだ。
しかし、どーでもいいけど、ここで「関根勤」なんて書いてしまうと、今後はそのワード検出が増えてしまうかもしれないな〜。まあ、仕方ないか、、と書いてて、なぜに関根さんが出て来たかというと、大晦日のK-1で関根さんがボビー・オレゴンのセコンド務めてたからなのかもしれないとふと思った。
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2004年12月31日 (金)
aki's STOCKTAKING の「今年のブログの記録 」を真似て、谷中M類栖でもアクセス解析の状況をすこし纏めてみることにした。
アクセス解析の結果というのは一般にはそのサイトに関わる人たちしか見ない、云わば表には見えない身体の内部データみたいなもの(例えば血糖値がいくらであるとか)だが、隣人の血糖値がまったく気にならないとは言い切れないように余所のサイトのアクセス状況というのも知る機会があれば思わず覗きたくなってしまう邪な心が私の中に100%ないとは言い切れない。
そんな訳で施主にとって建築家ブログのアクセス解析結果というのも当然興味深いが、ときに建築家にとって施主ブログの結果というのも興味の対象となり得ることもあるかと思い、こうしたエントリーを考えた訳だが、実は私はここまでの前言をひっくり返すような話になるが、そんなには自分のブログのアクセス解析結果をこまめにはチェックしていない。たぶんその心理は1年間だけ働いたサラリーマン時代以降、健康診断を一回もしていないというのにちょっと似ているのかもしれない。要は性格的に自分自身に対してはずぼらなのである。
当初、アクセス解析は自前で CGI 弄って作った簡易なもの(1週間分の)を使っていたが、9月半ばから他のブログでもよく見掛ける忍者ツールズ なる無料サービスのプログラムを使うことにした。これだと4ヶ月分のアクセス結果をいろんな形で見ることが出来、たまにしかチェックしないずぼらな者にとっても便利なのである。ただ、手裏剣回ってるバナーが妙なところに出て来て、それはちょっと恥ずかしいのだが。。
そんな解析結果で私が最も興味を持っているのは「検索ワード」である。もちろんどこからのリンクで来たかとか、仕事柄ブラウジング環境とかにも興味がないわけではないが、今のところ「検索ワード」が見ていて一番面白い。そこでこの4ヶ月で検出されたキーワードの上位ベスト10を上げてみたい。
01. 上棟式 4.9%※
02. 藤森照信 2.5%※
03. 無印良品 2.4%
04. DIY 1.8%
05. 挨拶 1.7%
06. サーモフロア 1.6%※
07. 谷中 1.5%
08. 上棟式挨拶 1.2%※
09. 不忍池 1.1%※
10. 取っ手 1%
こうして見るとやはり施主のブログっぽい固有名が並ぶのである。まあ、施主っぽいというのは他ならぬ「上棟式」関連のものが幾つか入ってるからそう感じてしまう訳だが(笑)、実際、私も上棟式や地鎮祭前にはよくこうした検索ワードをチェックしていた。11位〜30位くらいに掛けてはメーカーの商品名や社名がズラリと並ぶので記載は控えるが、aki's STOCKTAKING でもそうだったらしいようにやはり「無印良品 」は強い。確か私のところでは電動自転車 の件で1回しかエントリーしてないはずだが、それでも堂々3位にランクインされている。というか、無印なんて検索したら無限に出てくるだろうに、そんな中から当ブログが出てくるまでページを捲り続けるユーザがいる訳で、単純に検索サイトでキーワードとして打ち込まれた数で見たら他とは比較にならないのであろう。
ちなみに%表示の隣に※印の付いているものは、たぶん私が1回は検索でチェックしたことがあるだろうキーワードである。10位に「取っ手」が滑り込んでるが、私はその言葉を検索しようとしたことはなかった。というか、そこから当ブログに流れ込んで来ても、あまりに把手 がオリジナル過ぎて参照材料にはならないだろうに(笑)
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2004年12月21日 (火)
ギャラリー宙(※) の企画展「MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─ 」が始まった。
2005年3月14日(月) までと長期開催なので、福島近郊の方、また福島に行かれる予定の方は是非ともこの機会に。私も1、2月は仕事で忙しくなりそうだが、その後は今のところ予定がないので3月に青春18きっぷ でも使って今度こそ行ってみたいと思う。
それからギャラリー宙 のサイトを構築されてる MIZO氏のご友人=影の管理人氏(こう書くとまるで「影」にならないけど)が息子への手紙という形式で MIZO氏の作品論 を展開されている。手紙ながらなかなか興味深い論考である。
□◇
MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─
2004/12/18(土) 〜2005/3/14(月)
ギャラリー宙〈そら〉
正午〜午後7時/入場無料/会期中無休
Tel/Fax: 024-533-4884 福島市松木町2-9
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2004年12月17日 (金)
先日、フォトログ屋上編 として告知した Yanaka*M3c の3F編 をアップ終了。
しかし、この Fotologue.jp 、インターフェースとしてかっちょエエのはいいんやけど、CPU 低いマシンじゃストレス多すぎだし、それに投稿自体も Flash 画面での入力なせいか、コピ&ペはできない、ときどきタイプもできないとそれなりの難点もある。
ま、無料でサーバスペース借りれてるので文句はないのだけど、せっかくアップしたものの、初期 iMac を使ってる豊田さんには見てくださいと言うこと自体ストレス与える気がしてちょっと残念(^^;)
それと5MBまでの容量制限ってのは私の勘違いで1ファイルで5MB以内だった。
でも、全部で5MBまでの方がクオリティの高い写真は揃う気がする。それを知ってさっそくB級画像も追加しちゃったからね(^^;)
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2004年12月16日 (木)
家族の肖像を設計カルテ でまとめたついでで、この谷中M類栖のブログに登場する主な登場人物をまとめてみた。
家族構成
父(Y) :住人(画像は私が生まれる前のサラリーマン時代・当時三鷹/現谷中在住)
母(M) :第二施主住人(画像は私が小学生の頃に描いた絵・当時三鷹/現谷中在住)
妹(A) :結婚したら家出るかも?住人(画像は本人幼児期・当時三鷹/現谷中在住)
私(T) :施主筆頭者だが当面は住まう予定なし(画像は本人幼児期・大阪在住)
妻(K) :常に私(夫=T)と同居(画像は2000年に描いた本人自画像・大阪在住)
設計事務所 (初音すまい研究所 )
豊田さん :設計・監理全般の中心的存在(画像は設計者検査の日のご本人・谷中在住)
矢原さん:実施設計中盤からアシスタント的に設計・監理を担当。2005年春退社。
手嶋さん:計画全体のアドバイザー(谷中在住)
西村さん:構造設計者(初音すまい研究所で外注・東京在住)
長田さん:設備設計者(MT&TK氏/初音すまい研究所で外注・東京在住)
工務店 (阿部建築 )
阿部さん:工務店社長(谷中在住)
山本さん :工務店若頭・工事全般を陣頭指揮(谷中在住)
前任建築家
MT氏:最初に依頼した私の友人建築家(2003年1月解約・海外在住)
TK氏:海外在住MT氏と連携・共同設計者(2003年4月解約・東京在住)
TD氏:構造設計者(MT&TK氏による外注・東京在住)
その他
金猊:母方の祖父・三鷹金猊居設計(日本画家・三鷹在住・1979年69歳で没)
さだゑ:母方の祖母(主婦・三鷹在住・1995年87歳で没)
日野婆ちゃん:父方の祖母(主婦・日野市在住・2001年97歳で没)
みよば:伯母・日野婆ちゃん入院時まで同居(映画業界・武蔵野市在住)
義父:妻の父・玄関把手作成(大工・指物師・総領町在住)
義母:妻の母(看護士・総領町在住)
八恵さん:金猊の妹(俳人・主婦・愛知県江南市在住・2003年没)
勝彦さん:従兄妹叔父・八恵さんの息子・建築相談役(美術教師・江南市在住)
泰叔父:祖母の弟(長男)なので本当は大叔父(長野県諏訪市在住・2004年没)
泰nさん:泰叔父の長男。なので本当は私の叔父(長野県諏訪市湯之脇在住)
善nさん:泰叔父の次男。なので本当は私の叔父(長野県諏訪市四賀村在住)
茂叔父:祖母の弟(次男)なので本当は大叔父(元建築事務所経営・福島県福島市在住)
MIZO氏 :母の従姉弟・建築相談役(画家・ギャラリー経営・福島在住)
O崎さん:計画初期の相談役(美術家・東京在住)
N谷さん:計画初期の相談役(建築史家・大阪在住)
O野さん:計画初期の相談役(建築家・東京在住)
岡さん:計画初期の相談役(舞踏家・セルフビルダー・東京在住)
M夫くん:計画後半の相談役(建築科院生・東京在住)
A木さん :ブログで交流始まってからの相談役(建築関連・東京在住)
shinyaさん :ブログきっかけのご近所さん・工事レポーター(建築家・谷中在住)
清真美 :引き渡し直前の建築写真撮影者(フォトグラファー・東京在住)
CT氏:計画全般の野次馬(イラストレーター・東京在住)
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2004年12月14日 (火)
株式会社アマナ 提供 Fotologue.jp をフォトアルバムとして導入してみた。
タイトルは「Yanaka*M3c ── Yanaka M-Louis.(R) Completed 」。
そんな意味深でもなく、3人のMの付く撮影者による谷中M類栖の完成写真(概ね)といったところか。建築写真撮影 のエントリーで予告して長らくそのままになってた友人フォトグラファー清真美 氏の撮影した写真もこれでようやく表に出せる機会を作れたのである(但し、今回の屋上編 ではまだ彼女の写真はアップされていない)。
本当言うと、この機会は前々から考えていて、というよりも準備を進めてはいたのだが、とある理由から頓挫してしまっていたのである。その理由というのが、図面のWeb掲載って・・ のエントリーで不安視していた図面掲載による泥棒問題である。
当初は清氏および私が撮った建築写真はまとめて概観できるように3D型平面図にViewボタンを書き入れ、それをクリックすると写真が出るというような仕組みを Flash で作ろうと考えていた。ところが、図面掲載による泥棒責任問題を危惧して別の見せ方を考えようと方針転換。転換したまま良いアイデアが浮かばずの状態だったのである。
そんな折に Fotologue.jp の存在を知り、これならわざわざ作る手間を掛けずともハイクオリティなインターフェースで建築写真がサラッと見せられちゃうなと思い、それに自己サーバの容量を他で持たせられるというのも大きく(まあ、5MBという制限はあるが)こうして試してみたというわけである。
ただ、写真選択とかアップデートに意外と時間が掛かるんで、とりあえず屋上分がアップ出来たところでここでも告知することにした。暇を見つけて、他の階も加えて行きたい(屋上からになったのは全部アップしたときに玄関から見られるようにとの意図)。
なお、撮影者3Mとは、清氏(mami)、私(m-louis)、母(mitaka)である。
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2004年12月10日 (金)
MIZO氏、来訪 のエントリーでも取り上げた私の母の従姉弟にあたる福島在住 MIZO氏が始められたギャラリー「ギャラリー宙(そら) 」のことを再度案内しておきたい。
MIZO氏は私が子供の頃に唯一、同じ視線で遊び相手になってくれる親戚筋の「お兄さん」であった。立場上は私の従姉弟叔父にあたるわけだが、「おじさん」という感覚はまったくなかった。母よりも10歳若いので、当時はまだ学生もしくは卒業したての頃だったはずで、もちろん見た目的にも「おじさん」という年齢ではない。だが、そうした実年齢的な問題以上に、これはちょっと失礼な言い方になるかもしれないが、とにかく子供時分の私にとっては唯一「大人」って感じのしない身内の大人だったってことが重要だったように思う。
彼には「お風呂」という抱っこ技があって、体を窄めて抱きかかえられ「アツーい熱い」といってぎゅーっと締められたかと思えば「ぬるーい温い」と開放される。ちょっと状況説明が難しいが当時の私はそんな動作を繰り返す「お風呂」が大好き(お風呂の中で行われていたわけではない)で、彼が三鷹の家に遊びに来たときにはいつも「お風呂やって! お風呂やって!」とまとわりついていたものだ。
その後、月日は流れ、私も「大人」といえるような年齢に達し、十数年振りくらいに再会したのは、祖母さだゑの葬儀のとき(1995年11月)であった。
MIZO氏は上記ギャラリーサイトのプロフィール ページには全く書かれていないが、私と同じ美術大学の日本画科の卒業生であり、一概に日本画家と括るのは難しいが、画業を志し、また一時期は福島県立美術館 の学芸員も務めてられた人である。だから、おそらくは私の家に寄られる理由は他の親戚のような、所謂親戚付き合いとしてのものとは異なるものだったに違いない。祖父・金猊に真っ向から芸術論を挑んでいたのか、あるいは直接的な技術指導を仰いでいたのか、それとも他愛もない話をするのを楽しんでいたのか、それは私の知るところではないが、いずれにせよ、MIZO氏にとって三鷹金猊居を訪問することにはある特別な意識が働いてただろうことは推察される。まあ、もちろん当時の私はそんなこととはつゆ知らず、遊べる大人が来たと喜んでいたわけだが、彼の存在を改めて意識し始めたのはやはり自分が学生時代の頃だっただろうか。
そして祖母の通夜の晩、親戚一同で食事をしたときには自然と彼と向かい合わせの位置に座っていた。
そのとき、何を話したかというのは覚えていない。だが、一つ言えるのはそのときの十数年ぶりの再会が「再開」となって現在に至るということだ。もちろん福島⇔東京、福島⇔大阪と距離の問題があってそう簡単にはお会いできないが、お互いに「ギャラリー」という場所を持ったこと、またプロフィール によると「目下、サイト管理人道猛特訓中」ということのようでもあるので、今後、コンタクトを取る機会も大いに増えそうである。また、これまでに開催した祖父の作品展のみならず今回の家作りにおいても MIZO氏が貴重なアドバイザーであったことはここに記して謝辞としたい。
以上、ギャラリーの案内というよりは、MIZO氏との思い出話に終始してしまったが、ギャラリーについてはまだ私が訪問していないので、福島まで行ったときに改めてレポートしたい。ちなみに現在、義兄の4人の子供たちに会うと「お風呂やって!やって!」とせがまれる自分がここにいる(長男は卒業したが)。
□◇
ギャラリー宙(そら)
所在地:福島市松木町2-9 松木町ギャラリービル2階
開廊時間:午後〜午後8時
入場無料/企画展開催中は無休
問い合わせ:tel/fax 024-533-4884
Webサイト:http://www.geocities.jp/jwgsq486/
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2004年11月30日 (火)
昨日の予告 通り、新しいデザインのブログに更新。
デザインついでにシステム上の細かいところで幾つかカスタマイズを加えてみたが、事実上、ほとんどの作業時間はデザインにではなく、そのカスタマイズ血迷い時間に費やされてしまった。しかし、以前よりかは記事の時系列判断がしやすくなっているはず。その辺の主な改良点は追記にて。
デザインの方は思いっきり露骨だが、実際にファサード壁面に使われた吹付材サンプル を複写して壁紙として使ったり、他の配色も前回のイエローM類栖 同様、実際に構想された(今度は実際に建てられた)色を基調に構成した。特にカテゴリーページはそれぞれのカテゴリ毎にそのニュアンスをリプレゼントするようなヘッダ画像を布しているので、何となくページを捲りながら谷中M類栖を訪問してるような気分にでもなってもらえたら此れ幸いである。
サイドメニュー改正点 (リンクは最も参照した記事)
ヘッダ画像留意点 (リンクは最も参照した記事)
ページ分割型に移行 (リンクは最も参照した記事)
コメントウィンドウ修正 (リンクは最も参照した記事)
Search Results 修正 (リンクは最も参照した記事)
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2004年11月29日 (月)
えっと、、「ブログ閉じます」の告知ではありません。
今年1月末の「blog 開始 」から約10ヶ月、微妙な調整は加えたものの、「blog スタイル色 」でも書いたように面倒だからとずーっと放っておいたサイトデザインをやっと弄る気になりました。そういう気分にさせられたのは11/26(金) 午前中に実家の方で豊田さんと共に阿部建築までご苦労様の挨拶に行ったという話を聞いたからです。
まだ歩道切り下げ別途工事分の支払いとか完全には終わっていないらしいんですが、一応は形式上一区切りついたということで、ブログの方も出来上がった家のイメージに添ったデザインに糺したくなったのです。何せ、この黄色ベースのデザインは「臨時会談: 黄色い家 」で初提示されたファサードイメージに則って配色したもので、その後の変更可能性を踏まえ、至ってシンプルな作りのままにしておいたものなんですね。
まあ、だからと言って今度のデザインが複雑になるという訳でもないんですが、昨日一日(一日もかかってしまった)完成した家のイメージに添ったリニューアル版を準備しましたので、明日からそのデザインに移行させたいと思います。
とりあえず今日は一日、独りこのイエローM類栖を名残惜しみてこのままに(笑)
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2004年11月14日 (日)
光庭の土留め用石垣で使う石が不足している。
現在、使われているのが上の写真にも一部示されているように
・三鷹金猊居から持ち込んだ石:約20個
・ドイト で購入した買った三波石:中10個+小10個
で、最低でもあと同じくらいの数量(約40個)は欲しいと思っている。
希望サイズは写真の石もそうだが、概ね直径10〜30cm程度。
おじゃる丸 のカズマ ではないが、1個ウン万もするような庭石然とした高級石ではなく、河原あたりにごろごろしてそうな、どうってことないけど味があるといった石が望ましい。
ドイトで買った三波石(上記写真左から2番目と4番目)はホームセンターで売られているだけに形自体は微妙に異なるけれども、青っぽい色味、石質、表情といったものが揃いすぎていて面白くない。これが現在は全体のうちの半分を占めた状態にあり、なるべく隅に追いやり土台として隠れるようにしているものの、まだまだうるさい感じだ。
そういう意味ではあまり同じ店で一揃いに買わず、いろんな石を織り交ぜて使った方が面白い石垣になっていきそうだ。
そんなわけで石を募集。なるべく谷中に近いところで石をお持ちで持て余しているとか、譲っても構わないという方おられましたら、ぜひぜひこちらのコメント欄までご一報ください。近場であれば数は1個からでも受け付けます。またはこういうところに落ちてるよ!売ってるよ!といった間接情報でも構いません。よろしくお願いします。
2004年11月05日 (金)
なぜだかこの谷中M類栖の「New Entries について 」と aki's STOCKTAKING の「検索される blog ブログ 」間で行われた相互トラックバックが、GEODESIC 編著『ブログの力──Blogの可能性に気づいたユーザーたち 』(九天社 ・1,680円)にてトラックバックの見本として紹介されてます。
ブログを始める人が増えてくると、昔流行ったポケベルのように、直感的に使っているブロガーが多くなってきたように感じます。「私はここにいます!」と自分の存在を知らせている。たどっていくと、トラックバックされたエントリーとはまったく関係のない場合があります。苦笑いしますが、その数が増えてくるとトラックバックの機能が開発者の意図とは関係なく、すでに一人歩きを始めていると思うのです。
正統的なコミュニケーション論など、ここで説明するつもりはありませんが、現象としてすでに使われてしまっている使い方と、まさにトラックバックの理想的な使われ方だと感じた事例を紹介 する事にしましょう。
と、このあと、両エントリーをピックアップしてトラックバックマナーのようなことが論じられるのだが、電話の応対で無愛想すぎと何かとクレーム付けられがちな私がこうしたコミュニケーションレベルのところで理想の形として取り上げられるのは何とも気恥ずかしい。
当初、掲載許諾の問い合わせが来たときには Recent Updated Entries を記載するためのタグ紹介が目的で、そうすると人違い(それなら Toyoakiさん )だよな〜と思ってたんだけど、こういう話だったとはね〜(笑)
しかし、どうせ取り上げられるなら「aki's STOCKTAKING で 」⇔「 谷中M類栖 」エントリー間でトラックバックされた互いの掲載画面入れ子状態だったら笑えたろうに。
ちなみにこの書籍ではその aki's STOCKTAKING のエントリーが何かと参照項として取り上げられており、それゆえか同ブログで出版と同時にアップされたエントリー「ブログの力 」が本書の概要としては最も的確/適格かと思う。
また、書籍と連動した専用ブログ では読者サポートと共に「ブログならではの物語やエピソード」の紹介コーナー も設けているようなので、併せてご覧になられるとよいだろう。
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2004年10月28日 (木)
ただいま庭造りのため上京中。こういう作業してるとPC繋がなくなってきます。
2004年10月25日 (月)
一乗寺(※) に続き、A見邸でも境界塀の相談。こちらは第31回打合せ: 光庭(※) でも書いたように、現在A見邸の方で建てられたブロック塀に板塀を取り付けたいという話。
まあ、こちらの意図するところはこちらが話さぬうちにA見さんの方から言ってくれた。つまり「うちの塀があまり見栄えよくないから、それを覆っちゃいたいってわけですね!」と。。ある意味単刀直入には言いづらいことだったので、すぐに察して自ら切り出してくれたことは大助かりだったが、しかし、それとは別の予期せぬところで1点、注文を付けられてしまったのである。
それはこの絵 の板塀のところをご覧になるとわかりやすいと思うが、豊田さんが想定していた風通しと目隠し機能を持った上部庇についてである。A見さん曰く「うちはお宅さんの家が出来たことで相当の日照権を奪われてしまった。今では10時くらいまでしかまともに日が入らない。だからほんのわずかな日差しでも遮るようなものは避けたい。よってうちが建てたブロックより飛び出るようなものは一切付けないでほしい。それ以下であればブロックが壊れないものであるなら何を付けてもらっても構わない」というような主旨で、つまり塀に近いあたりの土盛りがかなり高くなっていて目隠しにしようと配慮のつもりで取り付けていた庇が不要と言われてしまったのである。もちろんその庇は機能的問題だけでなく、意匠上の要素もあったわけだが。。で、とりあえずその場には母と私と矢原さんしか居なかったため、矢原さんの判断でその条件でこちらも話を呑むことになった。翌日豊田さんはもし自分がその場に居合わせていたら一悶着起きてたかもしれないからかえって居なくてよかったかもしれないと言われたのだが(笑) 豊田さんにとってはうちがどれほど計画初期段階でA見邸の日照の問題に配慮したか理解してもらえてなかったことが殊のほか残念だったようだ。
ところでA見邸ではもう一つ話しておかなければならないことがあった。それは数日前に母が洗濯物をバルコニーで干しているときに発見したものなのだが、A見邸の柿の木に直径20cm前後のスズメバチの巣があったのだ。最近、柿の葉が落ちるようになって母は気づいたんだとか。そのことを私のデジカメ画像も交えて話すとA見さんはまったく知らなかったようだが、しかし、それについてはすぐに業者に頼んで一番良い方法を検討してもらいますと即座に対応を約束してくれた。ただ、スズメバチの巣自体が5mくらいの高さのところにあるため、A見邸の庭下からはまったくそれが見えないらしく、翌日、できれば業者に電話する前に確認させてほしいということで、ちょうどうちのバルコニーに干していた傘がA見邸庭に飛んでしまって連絡したついでに我が家を訪問された。谷中に越してきて、我が家に初めて足を踏み入れられたのがA見さんということになるんだろうか。
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2004年10月11日 (月)
母からの電話で一乗寺側階段だけでなく、丸太列柱底部にもこれまでなかったはずの染みが発生していることを聞く。それについても阿部建築&初音すまい研究所に連絡するよう伝え、山本さん、矢原さんに見てもらったらしいのだが、どうやらこの染みは雨漏りに拠るものではなく、コンクリートの水分を丸太が吸い取ったものじゃないか?とのこと。安藤忠雄設計「司馬遼太郎記念館 」の坂本龍馬の亡霊染み(※) は関西ではちょっと有名な噂話だが、いずれにしてもコンクリートは建てて1年くらい水が出るのは防ぎようがない。そういう意味では丸太の下に銅板のようなものを敷いておいた方がよかったとも言えるのだが、構造柱になってるわけではないので気にするほどのことでもないでしょうとのこと。どうしても気になるのなら、杉縁甲板塗り残し部分にオスモカラーを塗る際に一緒に塗装しましょうか?と矢原さんが言われていたらしい。ま、正直なとこ、こればかりは見てみないと何とも言えないんだが。。
2004年10月01日 (金)
深夜、1F応接室のデスクで PowerBook に向かっていたら、突然「ゴン」という激しい音が玄関先から聞こえる。いや、「突然」という以前に交差点の信号手前でないところ(つまり、うちの前)で急に車が停まるような音が聞こえたので不審には思っていたのだ。「ゴン」という音が鳴り響いたのはその何秒か後だった。それから数回「ドン」「ダン」という音は鳴り、明らかに我が家のエントランス軒下あたりに人が居るようだ。
応接室では照明は点けず、PowerBook の明かりだけが点っている状態だったので、それはそのままにして、まずは玄関前室まで何が起きているのか確認しに行ってみた。スリットから覗くと中年くらいと見られる男が一人いて、少しふらついてる様子。酔っぱらいなのか?
しばらくして姿も消え、音もしなくなったようなので、ドアを開けてみると誰もいなかった。とりあえず把手が無事だったのでホッとする。いや、しかし、今後もこうしたことが起こる可能性を考えるとスリットは付けておいてよかったし、またスリットから見える範囲外の軒下も見えるようになってた方がよいかもしれないので、パーゴラの表側からは見えないところに小さな鏡を取り付けたらどうだろうかと豊田さんに相談したら賛成してくれた。
2004年09月30日 (木)
ビクター蓄音機売ります!(※) の告知とほとんど同内容ですが、上京予定が大幅に変更となったため、再告知させてもらいます。期日は9月末日まで。値段は5000円〜を想定してますが、随時ご相談&お問い合わせ comment 欄にて承ります。
商品説明は追記欄でご確認ください。
□◇
ビクター(Victor)【SP盤蓄音機+チューナー】
実家の倉庫から出て来ました。SP盤の蓄音機とラジオとして利用されていたものだと思われます。
動作確認したかったのですが、電源コードのプラグ部分が壊れており、感電が怖くてちゃんとした確認はできませんでした。ただ、どうにかプラグを差し込むとブーッというノイズ音のようなものは鳴りました。年代等は不明。
現在商品紹介で使ってる画像はフタを閉じたものですが、撮影時にはフタが開くことに気づかず中がレコードプレーヤーの状態になってることも後になってから知りました。今週末に実家に行きますので、そのときにフタを開いた状態の写真を撮って後から追加したいと思います。
一応、動作確認云々の話を書きましたが、基本的にはこの商品の出品は電化製品としてはジャンクとしてであり、どちらかといえばアンティークの飾り物とお考えいただきたいと思います。蓄音機/ラジオの機能が満たせなくても、その件に関してはノークレーム&ノーリターンということで。。
私は大阪在住ですが、実家は東京の谷中になります。一度見に来ていただいてというのでも構いません。その場合はお早めに Q&A にご希望の日時とメールアドレスをお書き添えください。私は9/24(金)〜9/30(木)までは実家にいる予定です。
発送も谷中から。ヤマトの宅配便で着払いを想定しています。
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2004年09月27日 (月)
雨漏りテスト(※) した翌晩から雨が降り続け、とうとう本当に雨漏りしていることが確認される。当初の予定ではこの日にも塗膜防水工事をという話だったが、それも雨で見送り。そして今回の雨漏りは雨が長く降り続けているせいか、今までのよりもかなりひどい。今までは階段1段分にじわーっと垂れ染みがついていただけだったが、今回は数段にわたって垂れ染みがついた他、天井に換気用に設けられた窪みから直接滴が垂れて、階段をびしゃびしゃ にし始めてしまった。だんだん漏れる部分の穴が大きくなってきているのだろうか?
母は中の鉄骨が錆びて腐らないか、また電気も近くに配線されているのでそれによって感電を引き起こすことがないか心配し始め、私は私で断熱ウールって湿るとどうなるのかな〜と心配してみたりする。とりあえず山本さんに連絡すると天気がやんだらすぐに補修しましょうとのこと。またこうした雨漏りしている状態をまだ初音すまい研究所の方では未確認なので、矢原さんに来てもらってちょこっと見て行ってもらった(写真も何枚か撮られて行かれる)。あと、ついでに明日の打合せ前に未済・補修・追加工事のリストをこちらでも実地確認しておきたかったので、そのリスト表も持ってきてもらった。
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2004年09月25日 (土)
NHK−ETV特集 で「スロー建築のススメ 〜藤森照信流 家の作り方〜 」ってのが放送予定らしいですぞ。必見!
9/25(土) 22:00〜23:30 NHK教育テレビ
しかし、その日はもう東京。あぁ、落ち着いて大阪で見たかったなぁ。
2004年09月23日 (木)
開眼式に説惇さんが見えるということで母が1Fの床拭き掃除をしているときに発見したらしい。一乗寺側最初の上り小階段、上から2段目のところに明らかに水分質のものによると見られる染みがついているという。急ぎ初音すまい研究所および阿部建築に連絡を入れさせ、山本さんには翌日見に来てもらうことにしてもらった。
母によるとその染みはあまり古くから付いていたものには見えないという。そして前々日くらいに台風で雨量の多い雨が降ったので雨漏りというのが一番考えられるんじゃないか?とのこと。
ちなみにその階段部分というのは、一乗寺側通路に水屋箪笥を置いてしまったため、ふだん家人があまりその小階段をのぼらず(ギャラリー側からピアノ椅子を使ってダイレクトに光り側通路までのぼってしまう)、盲点となっていた場所ではある。
2004年09月21日 (火)
shinya さんの blog 記事 で気づいたんですが、そういえば今年ももう「art-Link 上野-谷中 2004 」「谷中芸工展 2004 」のシーズンである。
個人的な希望としては今年は人としてのギャラリーではなく、場所としてのギャラリーとして参加したかったのだが、今年の何月くらいだったろうか?──引越→片付で心身共に疲れ切った住人を蔑ろにそれでも参加しようとするのなら、それは私たちを殺そうとしてのものと考えると母から先陣切られ、もはや引き下がる他なかったのである。
両プロジェクトほぼ同時期に行われるため、この時期の谷中はマップ片手に首からカメラをぶら下げた人がいつも以上に徘徊する町となる(ふだんも土日は「谷中散策」と称してそういう人たちの集まるところであるが)。また、今年の art-Link は去年の「ガチャガチャ」プロジェクトの発展形として「ふくふくプロジェクト 」なる地域通貨の導入を掲げているようで、町ぐるみのプロジェクトとして地域通貨はすでに各所で実験されては来ているものの、その成果が気になるところである。
本当は無理にでも今年から参加していれば、家族も町のネットワークにも溶け込みやすくなるだろうと思ったのだが、私がそこに住んでない限りはそうした発想もすべて余計なお節介でしかない。そうしたことが最近骨身に染みて理解できるようになってきた。「住む」ということには何か侵犯し難い「家」それぞれの境界のようなものがあり、実家を出て6年経つ私はもはや完全に「別の家」の人間であって、その「家」の境界を跨ぐことはできない。
とりあえず私の上京スケジュールだと、art-Link は行けるが、芸工展の方は初日行けるかどうか?である。
art-Link 上野-谷中 2004 :9/25(金) 〜10/11(月) 事務局(080-5518-7008)
谷中芸工展 2004 :10/2(土)〜10/11(月) 事務局(03-3821-9118)
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2004年08月24日 (火)
屏風搬入のための上京を控え、実家にあるビクターのアンティークっぽい蓄音機をオークションに出品しようと思ったら、最近のヤフオクって出品にあたって住所確認用の暗号なるものを郵便で発行させないとならないのね。それも申し込み後3日から4日待たされるんだとか。。
ってなわけで、出品前にもしここで欲しいと言われる方が現れたら売っちゃいます。
一応、オークションでは開始価格5000円と考えていたので、それ同等もしくはそれ以上で買ってくれる方!! Comment で申告してください!
追記欄にヤフオクに記入予定だった商品説明文を載せておきます。ま、商品自体の説明には全然なってないんですが。。
□◇
ビクター(Victor)【SP盤蓄音機+チューナー】
実家の倉庫から出て来ました。SP盤の蓄音機とラジオとして利用されていたものだと思われます。
動作確認したかったのですが、電源コードのプラグ部分が壊れており、感電が怖くてちゃんとした確認はできませんでした。ただ、どうにかプラグを差し込むとブーッというノイズ音のようなものは鳴りました。年代等は不明。
現在商品紹介で使ってる画像はフタを閉じたものですが、撮影時にはフタが開くことに気づかず中がレコードプレーヤーの状態になってることも後になってから知りました。今週末に実家に行きますので、そのときにフタを開いた状態の写真を撮って後から追加したいと思います。
一応、動作確認云々の話を書きましたが、基本的にはこの商品の出品は電化製品としてはジャンクとしてであり、どちらかといえばアンティークの飾り物とお考えいただきたいと思います。蓄音機/ラジオの機能が満たせなくても、その件に関してはノークレーム&ノーリターンということで。。
私は大阪在住ですが、実家は東京の谷中になります。一度見に来ていただいてというのでも構いません。その場合はお早めに Q&A にご希望の日時とメールアドレスをお書き添えください。私は8/27(金)〜8/31(火)までは実家にいる予定です。
発送も谷中から。ヤマトの宅配便で着払いを想定しています。
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2004年08月09日 (月)
初音すまい研究所から残暑見舞いのハガキが届きました。
矢原さん、金魚はどこで撮ったんだろう? 谷中のどこかで見たような見てないような、、水泡がなかなかイイ感じです。
それと、とうとう初音すまい研究所の Webサイトが立ち上がったようで。。
http://www.h7.dion.ne.jp/~hatsune/
今後の更新(情報追加)に期待します。
2004年08月03日 (火)
サイドメニューの New Entries についてですが、これまではデフォルトの Recent Entries をタイトルだけ書き換えて(単に短くしたいという理由で)使ってました。
この Recent Entries というのは直訳通り「最新のエントリーたち」ということで新しく書き込んだ順にリスト化されていくんですが、その「新しく」というのがあくまで Movable Type の作成日時として刻まれた時系列上の「新しさ」であって、その作成日時を編集して過去の日付などに置き換えてしまうと、それは決して「新しい」エントリーではないという扱いを受けてしまうことになっています。
で、これまでも結構そうでしたが、この谷中M類栖では過去の出来事はその出来事のあった日にという具合に作成日時を変更してエントリーしていることが多く、今後ますますその傾向が強くなっていくことも考えられることから、そうした作成日時順のエントリーリストよりは aki's STOCKTAKING で採用されてる Recent Updated Entries のようなエントリーリストをサイドメニューに持ってきた方がよいと考え、New Entries のタイトル下に Recent Updated Entries が表示されている状態へと変更しました。尚、Recent Updated Entries を記載するためのタグは追記にて。
http://www.nonplus.net/software/mt/GlobalListings.htm
にて MTGlobalListings の plugin をダウンロード、インストール後、
<MTGlobalEntries lastn_modified="15" include_blogs="2" >
<a href="<$MTEntryPermalink$ >" ><$MTEntryTitle$ ></a ><br / >
</MTGlobalEntries >
毎度のことながら
Toyoaki さん 、多謝!
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2004年08月02日 (月)
上京中、何回かはエントリーできるかと思ってたけど、結局1回も出来なかった。
そしてこれはこの家作りが始まる前は想像もしてなかったけど、工事完了前に引っ越すことになってしまうとは、、と、しかし、案外こういうことって戸建ての注文住宅では珍しくないことなのかもしれない。うちの場合、竣工予定の1ヶ月前には第一回目の引越予定日を決めちゃってたし。。
それとこれは想像通りというべきか、引越は都合3回やることになりました(汗)
まあ、その辺のことは追々書いていくつもりだけど、そういや今回引越屋に初めて不審を抱いたな。2度目も同じ業者で予約してあったので、違う人を呼んでくれと営業担当者にクレーム付けたら、2度目は非常に良い人たちだったけど。。
ま、何にせよ、これからこの blog、どっちかというと溜め込んだ近過去を最初にこなして、ついで最初の方から一歩ずつ埋め合わせて行こうと思います。また、現在棲息中の家族の談話などもときおり交えて現在形で書くつもり。月末には屏風搬入でまた上京せにゃなりませんしね。そのときまでには完成してることを祈る(笑)
2004年07月13日 (火)
この日から引き渡しは4日後、第1回引越予約日が1週間後というスケジュールを考えると明らかに工事は遅れている。
そうなった背景には施主側の決断遅延も含め、様々な理由があるのだが、大きなところではやはり歩道の切り下げ問題が再浮上したということの他に、外壁の ALC パネル用吹付材(※) が思うように吹き付かず、業者(株式会社フッコー )を呼んで再度やり直したことに伴って外構工事全体が遅れてしまったということもあるらしい。いずれにしてもこうした諸々の遅れによって、引き渡し→引越までの間隔がたったの2日となり、家の撮影や友人たちを招待するといった時間もほとんど持てなくなってしまった。
住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」 には引き渡しのタイミングとして
引き渡しは、駄目工事が終了して、最終確認がきちんと済んでから、カギなどを渡してもらうようにしましょう。急ぐからといって、駄目工事が終了する前にカギをもらい、引越してしまったあとでは、責任の所在が建て主側にあるのか、施工者側にあるのか曖昧になってしまいます。
あとで壁の傷や汚れなどに気づいて補修をお願いしても、誰がつけたかはっきりしないため、建て主側が身に覚えがないと思っても、その部分についての手直しの要求を強くできなくなってしまうことがあります。引越早々に後悔してしまうことになりますから注意しましょう。
などと書かれていて、そういう意味では我々はその最も悪い例を実演してるようなものだが、正直、私自身の感覚としては結構「それでも、ま、いっか」って感が強かった。心配性の母はそうしたマニュアル本を片手に不満を連呼していたが、なぜ私が「ま、いっか」の心境でいられるかといえば、それはここまで阿部建築とは約17ヶ月、初音すまい研究所とは16ヶ月という付き合いの中で、今更責任の所在云々といった小さなことをちまちま突っつき合うような関係ではもうないような気がしていたからである。そうした工務店・設計事務所と出逢えたことを我々は幸運に思うべきだし、加えて彼らが近所にいて今後も関係が続いて行くというのは幸甚の至りとしか思えない。
なお、この日から引越後くらいまでのスケジュールを打合せ記録をベースに追記にて触れておく。
−初音すまい研究所
−14:30〜19:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、母、私
−見積書、打合せ記録
□◇
初音すまい研究所@打合せ記録より(記録者:矢原 一部加筆:丸井)
7/13(火) 施主検査、増減見積報告、打合せ
7/14(水) キズ、汚れについて設計者検査(2回目)
7/15(木) 10:00 歩道切下問題再申請(新富町第一建設事務所入口集合・父)
7/15(木) PM キッチンキャビネット搬入及びエアコン取付工事の立ち合い(父)
7/16(金) 10:00〜 初音写真撮影・家政大学生見学(豊田引率)
7/16(金) 13:30〜 丸井友人見学・清真美氏撮影
7/17(土) PM ベッド、PCデスク搬入立ち合い(母・妹)
7/17(土) 15:00 丸井夫人東京着
7/17(土) 16:30 引き渡し(阿部建築・阿部、山本、豊田、矢原、私)
7/17(土) 17:00〜 設備関連検査(近藤電気、長田、豊田、矢原、母、私)
7/19(月) 第1回引越(トランクルーム、三鷹仮住居)・丸井夫人帰阪
7/22(木) 和室畳敷き・丸井帰阪
7/26(月) 第2回引越(三鷹仮住居、アップライトピアノ)
7/28(水) グランドピアノ搬入立ち合い(母)
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2004年07月12日 (月)
gumoblog の方から「まだ見ぬ隣人 」というタイトルで trackback を受けた(trackback って「受けた」って言うのかな?)。実はこの gumoblog はどうやって漂着したのか覚えてないんだけど、既にブックマークしてた blog だったもんで、私からすると「もう見てた隣人」なのかもしれない(笑)
しかし、タイトル通り、家から歩いて2分と掛からないところにお住まいのようで(どっち方面だろ?)本当にこれから街中でばったりなんてこともあるんだろうな。ましてや
・・・我が家の塀をつくったのも阿部建築 で,現場監督も同じ山本さん.実は数日前に,yocoが道ばたで山本さんに出会い,もう引き渡しなんだけど外壁が終わらないとか何とか聞いてきて,山本さんご苦労さまと話題にしていたばかり・・・
って言うんだから本当に驚くばかり。
その後、コメント欄でのやりとりで、豊田さんに教えてもらうよりも早く仮囲いが取れたって情報を教えてもらってしまいました(笑)
明日行きます!
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2004年07月04日 (日)
6月末からスタートしたばかりのようなので委細は掴めませんが、Off Space って blog で
谷中M類栖
お気に入りの建築系ブログの谷中M類栖が最近更新されていない。
現場に見に行ってみようかと思ってしまう。
と書かれてました。
う〜む、更新滞ると知らないところでも心配されるのね(^^;)
現場、もしメールいただければ中もご案内致しますよ!
私は今月中旬からならしばらく東京にいます。
2004年07月01日 (木)
ここ1ヶ月、仕事が結構ハードスケジュールだったってこともあったんですが、引越を控えたことによってか実家間とのトラブルが何かと頻発し、blog に立ち向かう元気を完全に逸してました。今後、立ち直れるか不明ですが、あまり溜め込むとそれはそれでヤル気減少にもつながるので、実家から送られてきた写真を以下にアップしておきます。
もう屏風展示面の壁紙も張られた様子。
ライティングレールやピアノ用スポットも付いている。
丸太の入るところのタイルはどうやってカットしてるんだろう?
実際に見てないんで、それ以外のコメントは母からのメール(たぶん妹代筆)を引用。
昨日(7/1)の午後、現場を見ての写真を送ります。
前室の右と左のドアを間違って逆に取り付けられてしまったので(丸穴1と丸穴5)、豊田さんは頭を抱えていました。
和室はどんどんいい感じになってきました。
玄関の扉もついたけど、取っ手はまだです。
一見、このメールだけ見ると静穏な感じで受け取れます(笑)
2004年05月11日 (火)
取り急ぎこの写真の丸太の列柱に関して、2本と3本どっちがいいと思うかのご意見募集します。2、3日のうちにどちらかの本数に決定しなければなりません。細かい諸条件に関してはコメントレスや追記などで追々書き足して行きますが、とりあえずはパッと見どう感じるかっていう至って直感的な一行メントで構いませんので、聞かせていただけると助かります。
また、こうした列柱をイメージするにあたって参照項となるような建築物をご存知でしたら、それもお知らせいただけると大変助かります。
関連エントリー:
・古材搬出
・第23回打合せ: 丸太列柱
・第25回打合せ: 丸太再検証
□◇
条件(1)
丸太の後ろの壁の色味がまだ確定していません(材質は杉板甲板を張ることで確定)。
一応、2案出ていて模型のように木に墨のようなものを塗って黒っぽくするか、あるいは木地をそのまま見せて経年変化で茶色掛かって行くのを待つか。
また、前者で行く場合には写真右手の華燈窓を設置する壁や階段床材を同一色にしない(重たくなるため)という考え方も出ています。
条件(2)
丸太の手前にはワインレッド色のグランドピアノが置かれ、華燈窓設置壁側にはアップライトのピアノが置かれます。そのため、実質的には小階段の側面はほとんど見えません。
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2004年04月29日 (木)
以前(※) 、初外部 trackback した aki's STOCKTAKING の blog で谷中M類栖が紹介されました。その返信コメントにまだここではそれほど触れてなかった谷中M類栖のタイトルのことや副題について少し書いてます。これをきっかけに今後、副題絡みの話も書いていかないとな。
せっかくなので、私の方でも aki's STOCKTAKING の画面を以下に。このまま繰り返すとブラウザの入れ子状態ができるかな?(笑)
コメント内容は追記にて。
□◇
秋山さん、谷中M類栖 の blog 紹介、大変ありがとうございます。
"M-Louis" というのは実は私の祖父がときどき落款で使っていたもので、それを私が無断借用しています(笑)
"Louis" を仏語読みして "M" と繋げると、私の苗字になるんですね。"M類" というのは半ばその冗談でだいぶ以前からニックネームの一つとして使ってました。今回の家作りにあたっては、それに[(ある所に生物が)住んでいること]といった意味を持つ "栖" という文字を加えて、"Louis" をそのまま英語読みできる形にしてしまったというわけです。ちなみに "栖" という文字を選んだ経緯はいずれ blog で書いていくつもりですが、磯崎新の『栖十二』という本から直接引いたわけではありません。その本は blog 開始前から持ってはいましたが、"栖" という文字にこだわり出したのはその本の存在を知るよりも前の話でした。
と、名前の説明が長くなってしまいましたが、谷中M類栖の blog は御紹介いただいたように、東京の谷中に7月完成予定の実家の家作りの過程を blog を使って記録していこうというものです。ただ、trackback していただいた「blog 開始」(※) でも書いているように blog の有用性に気づくのが遅かったため、実際に blog をリアルタイムで活用し始めたのが設計段階からではなく工事開始後になってしまったことが、自分自身何とも悔やまれるところです。と同時に、そうした途中から始まってることが事情を知らない訪問者の方にはちょっと取っつきにくい不親切な blog になってるんだろうなと思っています。
また「住宅建築と施主」という副題は、ふだんは対施主という形で仕事をしている自分が、今回逆の立場にまわったことで、クライアントとクリエイターの関係について改めて考えさせられるところがあって、そうしたタイトルを付けました。「住宅建築と」としたのは扱う事例がそれだからということもありますが、「住宅建築」という仕事がどこか他のクリエイティブ系の仕事とは大きく異なるように見えてならなくて、その違いについても検証してみたいという気持ちがあったからです。ただ、これらの議論は「思考ノート」のカテゴリで書き綴っていくつもりだったんですが、今のところ工事記録等をまとめるのに手一杯でそこまで書いている余裕がありません。と言いますか、今回秋山さんに取り上げていただいたことで、初めてそれについて触れたというのが現状です。というわけで、これをきっかけにボチボチ副題絡みのことも書いていきたいので、こちらのエントリーに対しては谷中M類栖の方からも trackback させていただきたく思っております。
と以上、書き出すとキリがなくなってしまうので、とりあえずこの辺にて。多謝!
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2004年04月05日 (月)
溜め込んでた工事の進捗状況 1、2月分をまとめてアップしてます。
工事用語の解説はまだなので、それを付けたらまた改めてアナウンスしますが、ひとまずいきなり建方 になっちゃったって状態だけは何とかしたかったもので(^^;)
といっても、建方工事の日の写真がほとんど撮れてないので、いきなり感がなくなったとは言い難いんだけどね(泪)
2004年03月29日 (月)
いや〜な夢で目覚めた。
場所は谷中の工事現場。家族で見学に行くと、いつものシートが被ってないというか、ところどころにはボロボロになったシートが茶ばんだままひらひら残ってたりして、床にはALCパネルの飛び散った屑が散乱している。そう、何者かに爆発物でも仕掛けられ、まだ完成を見ぬ我が谷中M類栖が大破されていたのである。
私自身はしばし茫然。というよりも、その状態を認識する力すら失われていて、家族にどうするんだ?こんなになっちゃってと声を掛けられるまで、その事態を呑み込めないままでいたのである。
ハッと気づいてから即座に考えたことは再建できるのか?で、しかし、直後にもう金はないぞ、これって保険掛かってたんだっけ?という妙に現実的なレベルのことを頭の中で思い巡らす。
危険を顧みず現場に足を踏み入れてみると、現実レベルの自分がまだALCパネルを張ってる段階までしか知らないせいか、さほど痛々しい感じは受けない。そして、ふとかすかに残った棟飾の下に目をやるとそこには一枚の紙切れが貼り付けてある。
よく見るとア○カ○ダって書いてあるではないか!オイオイ!と大破のショックも忘れ、妙な興奮を覚え始めたところで目は覚めた。
この話、当初は blog のシステム問題用にと考えて設定した「アナウンス・ヘルプ」カテゴリに文字通りの「ヘルプ」で入れときます(笑)
2004年03月22日 (月)
坪庭開拓団 の団長をされている豊田さんが、3/23(火)からその坪庭開拓団のメンバーたちと『まちの木霊プロジェクト2004』 という展示を上野桜木のギャラリーJ2 でやられています。
以下はDMより
まちの木霊プロジェクト2004
2004年3月23日(火)〜28日(日)
AM11:00〜PM7:00(最終日PM5:00迄)
gallery J2
東京都台東区上野桜木1-7-5
Tel.03-3824-1300
主催:谷中学校 「坪庭開拓団」
助成:社団法人 住宅生産団体連合会
どんなに人工的な物に覆われた町でも生き物や植物は逞しく生活しています。しかしそれは人間との関わりあいの中になんとか命を繋いで生きているのです。私達は、楽観的にもそのような存在を「まちの木霊」と名付けました。その木霊をテーマにした時更に私達が触発された結果が今回の作品達だと考えています。
私達は単に環境問題をテーマにしている訳では有りません。町中で生き物達が命を繋ぐことが、望むも望まなくも人が関わっている事。そしてその結果の中で私達は暮し、何かを感じ動き始めること。生態の伝達・循環ではなく、心の伝達・循環が生き物の命をもって行われることに敬意を表したいのです。
参加者:トーマス安田、東明美、石井公二、関純子、川村南方彦、中島尚史、村山節子、河合嗣生、豊田聡朗
2004年03月15日 (月)
えー。どうも。ボクです。
帰阪後約1週間。ネットはおろか Mac にもほとんど繋がずの生活してました。
では、何してたか?というと引越後の片付けと DIY。
MDF やらラワン集成材やらスノコやらをコーナン で買ってきて、隙間棚やらデスクやら作ってました。
ノコギリが百円ショップで買ったショボ鋸だったため、スゲー切りにくかったりもしたけど、まあ、なんつーかやっぱり手仕事の魅力は何ものにも換え難い。メール返事しなきゃとか仕事しなきゃとか頭の片隅では感じつつも、体も頭も勝手に手作業に向かってしまうという、、そして夜は疲れて寝てしまうという、、だから最近は朝8時起き夜1時寝の健康爺でした。
とはいえ、このまま放っておくと肝心の上棟式のときのこととか忘れていきかねないので、ここらでそろそろ元の生活に戻さないとなとは思ってます(デジカメ画像もまだ落としてないし)。というわけで、各位言い訳も含めて復帰のアナウンス。
でも、まだ全然気持ちよく仕事できる感じには片付いてないのよね。本なんかもとりあえずぶっ込めるとこにぶっ込んだって状態だし、段ボールもまだいくつか残ってるし、それに今日は確定申告提出しないとならないじゃん(泪)
2004年02月27日 (金)
突然ですが、引っ越しました。
といっても至って近所。ほとんど道路挟んではす向かいのようなところで電話番号も変わりません。
いずれ転居のお知らせメール送るつもりですが、事前に新連絡先を知りたい方はこちら まで。
ところで今回の引越、引越屋のトラックをさほど大きくないのにケチったりしたもんで、積みきれない荷物もたくさん残って、後から台車で何往復もするハメに陥ってしまいました(泪)
さすがに疲れた。つーか、あの三鷹金猊居から仮住居へ移ったときの悪夢が再び想起されたというか。
来るべき三鷹仮住居→谷中引越時のために、今回の反省点を二三、メモっておこう。
1)見積もりを取りに来てもらう際に、できることなら配布される段ボールを持って来てもらう。それが無理なら最低でもサイズを聞いておく。段ボール箱ってホンマにピンからキリまであります。取っ手穴のあるのないの、紙質の頑丈なのと柔なのと。そしてCDや文庫、A4などの規格サイズが収まりやすいサイズの段ボールかも要チェック。
2)収納ノートをつける。特に我が家の箱好きというか、箱を取っておいていざというときに使おうと考える体質の者が多い家では、それをしっかり書き留めておかないと「いざというとき」が絶対に「いざというとき」にならない。特に箱のなかに箱を入れている場合はその階層までしっかり書き留めるべし。
3)これは引越屋への注文ですが、段ボールを閉じる用のガムテープってアレ、色分けしたものを用意する気はないのかね? それがあれば、各部屋の名前を書いておかなくてもこの部屋はこの色みたいな感じで仕分けできる。たいてい引越屋が準備する段ボール箱って側面に品名・設置場所等を書く欄が用意されてるけど、引越屋の兄ちゃんの動き見てるといちいち側面確認するの面倒のようだし、依頼側としても設置場所が書いてない段ボールなら次の引越時にも使い回しが利く。各部屋の入口のところにその該当する色のテープを貼っておけば、引越屋にとってもワカリイイと思うんだがなぁ。
2004年02月15日 (日)
NHKの新日曜美術館で熊谷守一(※1) の特集をやっていたのだが、「ヤキバノカエリ」という云わば彼の転機となった作品(熊谷スタイルとでもいうべきものが築かれた)を見ていて、ふと、このサイトと色調が似てるなと思った。ま、あくまで偶然ではあるが、下の comments (0) ってとこをクリックすればフォームの入力欄は白である(笑)
ま、肝心の境界線の赤はないのだけれど。。そういえば我が家の壁にほとんど壁と同化しかけた感じで貼ってあるブラックのポスター(※2) にいるブラックお得意の鳥が白いのだが、遺骨の白と同じように見えてしまう。そうやって改めて見返すと、あの鳥と遺骨はいったいどっちが生きててどっちが死んでいるんだろう? 見れば見るほど頭が混乱してきてしまった。
有楽町線で池袋の一つ先の要町という駅に熊谷作品のサイズにふさわしい大きさの熊谷守一美術館 があるので、もう一度見ておいてもいいかもしれない。
なお、現在『熊谷守一展──超俗の画人、いのちのかたち』が名古屋、京都、大阪、静岡と巡回中(東京、やらないのね)で先月、名古屋に行った折にJR名古屋高島屋で母と見てしまったのだが、疲弊しきった状態で見ているので、3/31〜4/12の大阪展(なんば高島屋)を見逃さないようにせねば!である。
□◇
※1)熊谷守一(くまがいもりかず)[1880-1977]
主作品のほとんどが60歳を過ぎてから描かれているという、それを思えばうちの爺さんももっと長生きすれば(69歳没)可能性がなかったわけではなかったのかも?とも思いたくなるが、そこはまあ、仙人といわれる熊谷守一だからこその話だろう。だって彼はその頃から池袋の15坪の庭のある自邸(現・熊谷守一美術館)にほとんど外出することもなく引き籠もっていたというのだから。だが、その庭での散歩を日々の楽しみとする熊谷がそこに無限の宇宙を見ていたことはその遺された作品からも容易に見て取れる。彼の詳しい画歴等は下記美術館の略歴紹介に任せ、ここでは彼が95歳のときに自宅でNHKの『スタジオ102 95歳の熊谷守一画伯』という番組に出たときのコメントを一部抜粋しておく。
⇒熊谷守一記念館 (岐阜・付知町)
⇒熊谷守一美術館 (東京・要町)
NHK総合テレビ、1975年3月25日放送
「絵なんていうのはねえ、そら何にも変わらない。白ほどきれいなものないですからねえ。けども人間というものは情けないもんで、絵を描いて遊ぼうというですねえ。白いのはねえ、何がきれいだっていわれたってねえ、キャンバスだってそれ以上はよくできないですわねえ。嫌ならよしてしまえばいいんだけども、それは人っていうのは情けない存在がねえ‥‥。もっといいことあればねえ、そんなことしやしません。」
※2)ブラックのポスター
アトリエ VI 1950-51年
カンヴァス、油彩 130×162.5cm
サン−ポール−ド−ヴァンス、マーグ財団蔵
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2004年02月04日 (水)
実はこの blog 本体のサイトカラーは豊田さんが最初に提示された黄色ベースの外観色 に合わせてってことだったんだけど、白ベースの黒サッシ という風に思いっきし変わってしまいました。
で、まあ、いまさら変更するのも面倒なんで、これはこれでこのまま行きます。
妻からは挽き茶の羊羹みたいと言われておりますが(^^;)
2004年01月31日 (土)
当初、自分には絶対向かないと思っていたのだが、なんとなく公開式の日記サイトみたいなものを作りたいと妻が言うので BLOG ≠ LBGO [Leaf Boat Gathers Ode] を準備してあげたら、作ってるうちにこれは谷中家作りの記録に最適のシステムだと思うに至り、勢い半分立ち上げてみました。
まあ、blog をどのように使おうと自由だと思うが、ここではエントリーの時間設定を実際にそのエントリー内容が起きていた時刻に変更してアップしていこうと考えている。
よって、これまでのメモ帳やメール等を見て、過去の経緯も徐々に書き加えていくつもりである。
それがアーカイブとなって、なおかつ、カテゴリー化できるという機能を買って、blog を始めたようなものである。おそらくこれが現在形の日誌意識で時制に気分的に追い込まれていくものだとしたら、私の性格からして3日も持つまい。
コメント欄には家作り経験者でも未経験者でも、プロフェッショナルでもセルフビルダーでも、ご批判、ご意見、野次、アドバイス何でも歓迎である。ただ、私のことを知ってる人というか、お友達の場合はできればそれとわかるようなネーミングにしてもらえるとありがたい。もちろん本名じゃなくてOKね♪
今回、この blog を開始するにあたっては、肩肘張らずというよりは、むしろ少し気張るくらいのつもりで始めようと思っている。自分にとってこんな意気込みが生まれるのは珍しいことだが、家作りってものがそのくらい面白いもんだからやむを得ないのである。もっと早くに blog の効用に気づいておくべきだったな。