2005年06月13日 (月)

倉沢集落@奥多摩スリル

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豊田さんの誘いで、坪庭開拓団主催の奥多摩山歩きに参加した。
案内役はランドスケープアーキテクトの河合さん。他、河合さん繋がりの学生さん数名に今回初めてお会いした初音すまい研究所の手嶋さんの奥さん、そして毎度の私の旧友CT氏と総勢13名で奥多摩駅9時過ぎ集合。山歩きは実質10時のスタートとなった。

登山道入口の階段には「倉沢のヒノキ」と書かれていて、30分も歩かないうちにちょっと独特な積み方をされた石垣の上に聳え立つヒノキの木が現れる。幹周6.3m、樹高約33m、推定樹齢600年(伝承1000年)。東京都指定天然記念物に指定されている御神木である。こういうものを見るとついエロい想像力しか働かない私なのであるが、行く行くこの木が私たち一行の守り神となるのである。その話はまた後ほど。

そこから10分と歩かぬうちに人の住んでるらしき家が1軒谷側に見えてくるが、その先には全壊した木造住宅がすでに自然に呑み込まれつつある。そして山側に目を向けるとそこには倉沢集落と言われる数十棟の廃屋が階段状にポツポツと立っていた。
倉沢集落については検索でいろいろ見つかるので手短なものを一つ引用しておく。

アルプス登山の玄関口 笠井家「奥多摩・倉沢集落 古来、炭焼きを生業とした山村集落。昭和30年代、石灰鉱山の社宅が造成され、最盛期は数十の家庭が暮らしていた。  その後、鉱山の衰退に伴い住民は離散。現在は、95歳のお爺さんが一人だけ暮らしている。つまり、たたずまいは廃村であるものの、れっきとした住宅街である。

050524_kurasawa.jpg建築系の学生が多いので、しばらく見学&撮影タイム。廃墟フェチの人には溜まらない場所であろう。学生時分に廃墟ブームなるものがあり、一通りその手の特集記事は目を通していた私だが、昔のように廃墟をスタイリッシュに捉えようとする視点はいつの間にか自分の中から抜け落ちていた。台所がどこにあり、水汲み場や公衆浴場がどのような位置にあるのか生活動線を気にしながら、そこで人々が生活していたときの暮らしを意識する。この思考は遺跡においても同様で、家づくりをしたからそういう見方になったのか、それとも歳を取ったからなのは自分でもよくわからない。ただ、いずれにしても廃墟や廃屋を「廃墟」とカッコに括って見るような見方をしなくなってしまった。むしろそれは「家」であり「建物」のままなのだ。

050524_wasabida.jpg集落で1時間くらい過ごしてから、いよいよ山登り。
坪庭開拓団の山歩きだけあって、要所要所で足を止め、河合さんの動植物に関するミニレクチャーがある。沢ではヤゴを捕まえられて皆に見せてくれたが、本人としては山椒魚を捕まえたかったらしい。私はてっきり沢ガニを探しているのかと思った。
ただ、その沢から先は河合さんも未踏の地ということで地図で確認しながらひとまず数百mはあると思われる段々畑状のワサビ田の脇を抜ける。ところがワサビ田を抜けてしばらくすると段々あるべきはずの道が見えなくなってしまう。

やむなく河合さんの判断で強引に山の道なき道を駆け上がり、次の尾根を捜そうということになった。山道よりも道になってないところを歩く方が、地面が柔らかくて足に負担が掛からないので私にとっては好都合だったが、踵の浅いスニーカーを履いてきてしまったので、一歩ごとに踵が抜けそうになるのに不便した。
総領ならば、こうした山に入るときにはいつも地下足袋を履くのだが、そのことを河合さんに言うと奥多摩では地下足袋よりも登山靴の方が向いているらしい。倉沢集落の説明文でも引用しているようにこの辺一帯は石灰が多く、草や土の上だけを歩くわけではないので、地下足袋だと足を怪我する可能性が高いそうなのだ。

050524_one.jpgしかし、河合さんの読みに反して上に登れど登れど一向に山の尾根は見えてこない。そのあたりから河合さんも半分冗談で万一帰れなくても1日分の食料は持ってるからなんてことを言われ出したり(^^;)  結局14時過ぎにようやく尾根っぽいところが見つかり、そこで腰を下ろして弁当タイムとなった。学生さんたちは皆おにぎり等を食べてるようだったが、豊田さんからお湯沸かせるのでカップラーメンの類を持って行くと身体暖まりますよと言われていた私は、コンロでお湯を沸かした河合さんからお湯をいただき、カレーヌードルを啜る。それにしても湯を沸かす河合さんの手捌きは見事だった。

ただ、さきほども「尾根っぽいところ」と書いたように、その尾根は筋を見せたり隠れたり非常に曖昧で、食後は尾根づたいに下山という予定だったが、かなり山中を彷徨い歩くこととなった。っていうか、斜面もどんどん急になってくるは、雨は降り出すは、暗くなってくるは、落石はあるは、河合さんは途中で一度斜面を滑り落ち掛けるは(河合さんによるとそれは想定内とのこと)と、半ば半遭難状態(^^;)  実は豊田さんからは最初に母も誘われていたのだが、とりあえずここに母が来なかったのは正解だったといえよう。というか、母が居たらこのコースは選ばれなかったかもしれない。

しかし、ここがさすがはランドスケープアーキテクトで植物に詳しい河合さんなのである。あたりも暗くなってきた中で一瞬山間を見渡せる場所に出たとき、目敏くも冒頭で触れた御神木「倉沢のヒノキ」を斜め下方数百mのところに見つけられたのである。それによってどうにか下山ポイントの目星が付けられ、17時半過ぎに無事下山
河合さんによれば一番心配だったのが、トンネルの上を歩いて道路を通り越してしまうことだったという。そう、これが総領の山だったら、とにかく迷ったらひたすら下に降りていけばいつかは道路に辿り着けるが、奥多摩では道路が中腹にあり、そこから下が谷底となっているので、一歩踏み誤れば谷底へと歩いて行ってしまう可能性があったのである。とはいえ、どうにか無事帰れたことだし、東京では滅多に体験できないスリリングな山歩きだったとたぶん参加メンバー皆結構楽しく思っていたはずである。

ちなみに私は中1のときにも友人と奥多摩湖に釣りに来て、愚かにも帰りの最終バスを逃し、トンネルの多い車しか通らないような湖沿いの蛇行する道をトボトボ歩いて駅まで向かわねばならなくなったことがある。幸運にとでも言うべきか、そのときは駅まで車で乗っけて行ってあげるよという親切なオッチャンが現れ、無事その日のうちに帰宅できたのだが(といってもそのオッチャンのことは誘拐か?と疑ってて、友人と共に後部座席でタックルボックスの中からいつでもナイフを取り出せるようにしていた)、何だかそのときと云い、今回と云い、どうも奥多摩という場所はスレスレセーフのスリルを味わさせてくれるところのような気がしてならない。
当時は駅に立ち食い蕎麦屋があって、そこで食べた蕎麦が滅茶苦茶うまかったという記憶があるのだが、現在、駅構内に立ち食い蕎麦屋はなくなってしまっていた。

by m-louis : 2005.06.13 00:06
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2006年01月12日 05:21
まちの木霊2006
excerpt: まちの木霊『MACHINO KODAMA PROJECT 2006』のDMが豊田さんから送られてきたので、ここでも紹介...
weblog: 谷中M類栖
comment

こんばんは。お久しぶりです。

#とかいいつつ実は毎日チェックしていますが。

詳細な山歩き描画をたっぷり堪能させて頂きました。

風景や緊張感などが頭に浮かんでくるほどでした。

しかし・・・写真が凄く綺麗ですね。色とか構図とか。私はその辺素人なんですが、とても和む写真たちに思わず見入ってしまいました・・・。

#ポスターかカレンダーにしてしまいたいくらい、美しい・・・

廃墟の写真も絵になっていますね。私は子供のころ「探検」と称して廃墟見たことありますが、不気味なものしか感じなかったんです。今日見た写真は、昔そこで生活していた方の風景が見えてきそうで、昔とは違う「廃墟の感じ方」が出来ました。

by yoshi : 2005.06.14 00:41

>yoshiさん

週刊ペースのブログを毎日チェックしていただき、恐縮です。

まあ、週刊というのも眉唾で、実情は溜め込んだネタを纏めてアップして、それで週刊ペースであるように見えるだけなんですが、、自分でも思うけど、書くときと書かないときの落差がありすぎますね。

ところで廃墟写真で和んでいただき、感謝!です。

ただ、この倉沢の廃墟が和めるのは私の写真云々よりも、半分自然に呑み込まれ、ちょっとした宮崎アニメ状態になっているから不気味感が薄れてるってのはあるかもしれません。

でも、東京にもこんなところが残っているところがまだまだ侮れないなという感じが致します。

by m-louis : 2005.06.14 03:00

うひゃあ。奥多摩だ。

なんだか遠足めいていてうらやましい。

あぁっ!神戸から出たいっ!(かなり欲求不満ギミ)

しかし、凄くキレイな写真ですねぇ。

すごくこの写真を賞賛したいのですが、かなり感動すると

ボキャブラリーが貧困になる私としてはキレイというしかありません。

美しい海を見ると「海だぁ」とか、美しい山を見ると「山だぁ」とかね。

最近では「丹下さんだぁ」とか「安藤忠雄だぁ」ってのもありました。へへ。

by あさみ編集長 : 2005.06.14 21:34

>あさみ編集長さん

写真に対して以上にボキャブラリーの貧困さを感じるのが食べ物に対してですね。

最近そういうエントリーが多いので、その度に感じます。

でも、それを考えると味覚の演算化って案外簡単なのか?なーんて思ってしまったり(美食家は除く)。

しかし、神戸にだって六甲や丹波があるじゃないですか!?

でも、奥多摩ほどは遭難率高くなさそうですね(笑)

by m-louis : 2005.06.15 16:02

すいません
ひとつ教えてください

この記述にある立ち食い蕎麦ですが
食べたのは何時ごろでしょうか
私は現在立ち食い蕎麦の歴史を調査しておりまして
大変興味があります
もしご記憶なら教えてください

soba

by soba : 2011.02.05 21:26

>sobaさん
コメントありがとうございます。
もう30年くらい前の記憶ですのでかなり曖昧ではありますが、
確か最終バスが16:30くらいでそれを乗り逃しての時刻になりますので
18:00前後といったあたりだったのでは?と思われます。

by m-louis : 2011.02.06 00:37

大変ありがとうございました
駅は武蔵五日市駅ですね
1980年(昭和55)頃ということですね
実は駅の立ち食いそばやさんは、1960年代に出現してまして

それより前の状況がまったく不明なもので、もしやと思いコメントいたしました
ありがとうございます
私が今51歳なので同じ位でしょうか 笑
また寄らせてもらいます 宜しくお願いいたします

by soba : 2011.02.06 12:29









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