そこから10分と歩かぬうちに人の住んでるらしき家が1軒谷側に見えてくるが、その先には全壊した木造住宅がすでに自然に呑み込まれつつある。そして山側に目を向けるとそこには倉沢集落と言われる数十棟の廃屋が階段状にポツポツと立っていた。
倉沢集落については検索でいろいろ見つかるので手短なものを一つ引用しておく。
集落で1時間くらい過ごしてから、いよいよ山登り。
坪庭開拓団の山歩きだけあって、要所要所で足を止め、河合さんの動植物に関するミニレクチャーがある。沢ではヤゴを捕まえられて皆に見せてくれたが、本人としては山椒魚を捕まえたかったらしい。私はてっきり沢ガニを探しているのかと思った。
ただ、その沢から先は河合さんも未踏の地ということで地図で確認しながらひとまず数百mはあると思われる段々畑状のワサビ田の脇を抜ける。ところがワサビ田を抜けてしばらくすると段々あるべきはずの道が見えなくなってしまう。
やむなく河合さんの判断で強引に山の道なき道を駆け上がり、次の尾根を捜そうということになった。山道よりも道になってないところを歩く方が、地面が柔らかくて足に負担が掛からないので私にとっては好都合だったが、踵の浅いスニーカーを履いてきてしまったので、一歩ごとに踵が抜けそうになるのに不便した。
総領ならば、こうした山に入るときにはいつも地下足袋を履くのだが、そのことを河合さんに言うと奥多摩では地下足袋よりも登山靴の方が向いているらしい。倉沢集落の説明文でも引用しているようにこの辺一帯は石灰が多く、草や土の上だけを歩くわけではないので、地下足袋だと足を怪我する可能性が高いそうなのだ。
しかし、河合さんの読みに反して上に登れど登れど一向に山の尾根は見えてこない。そのあたりから河合さんも半分冗談で万一帰れなくても1日分の食料は持ってるからなんてことを言われ出したり(^^;) 結局14時過ぎにようやく尾根っぽいところが見つかり、そこで腰を下ろして弁当タイムとなった。学生さんたちは皆おにぎり等を食べてるようだったが、豊田さんからお湯沸かせるのでカップラーメンの類を持って行くと身体暖まりますよと言われていた私は、コンロでお湯を沸かした河合さんからお湯をいただき、カレーヌードルを啜る。それにしても湯を沸かす河合さんの手捌きは見事だった。
ただ、さきほども「尾根っぽいところ」と書いたように、その尾根は筋を見せたり隠れたり非常に曖昧で、食後は尾根づたいに下山という予定だったが、かなり山中を彷徨い歩くこととなった。っていうか、斜面もどんどん急になってくるは、雨は降り出すは、暗くなってくるは、落石はあるは、河合さんは途中で一度斜面を滑り落ち掛けるは(河合さんによるとそれは想定内とのこと)と、半ば半遭難状態(^^;) 実は豊田さんからは最初に母も誘われていたのだが、とりあえずここに母が来なかったのは正解だったといえよう。というか、母が居たらこのコースは選ばれなかったかもしれない。
しかし、ここがさすがはランドスケープアーキテクトで植物に詳しい河合さんなのである。あたりも暗くなってきた中で一瞬山間を見渡せる場所に出たとき、目敏くも冒頭で触れた御神木「倉沢のヒノキ」を斜め下方数百mのところに見つけられたのである。それによってどうにか下山ポイントの目星が付けられ、17時半過ぎに無事下山。
河合さんによれば一番心配だったのが、トンネルの上を歩いて道路を通り越してしまうことだったという。そう、これが総領の山だったら、とにかく迷ったらひたすら下に降りていけばいつかは道路に辿り着けるが、奥多摩では道路が中腹にあり、そこから下が谷底となっているので、一歩踏み誤れば谷底へと歩いて行ってしまう可能性があったのである。とはいえ、どうにか無事帰れたことだし、東京では滅多に体験できないスリリングな山歩きだったとたぶん参加メンバー皆結構楽しく思っていたはずである。
ちなみに私は中1のときにも友人と奥多摩湖に釣りに来て、愚かにも帰りの最終バスを逃し、トンネルの多い車しか通らないような湖沿いの蛇行する道をトボトボ歩いて駅まで向かわねばならなくなったことがある。幸運にとでも言うべきか、そのときは駅まで車で乗っけて行ってあげるよという親切なオッチャンが現れ、無事その日のうちに帰宅できたのだが(といってもそのオッチャンのことは誘拐か?と疑ってて、友人と共に後部座席でタックルボックスの中からいつでもナイフを取り出せるようにしていた)、何だかそのときと云い、今回と云い、どうも奥多摩という場所はスレスレセーフのスリルを味わさせてくれるところのような気がしてならない。
当時は駅に立ち食い蕎麦屋があって、そこで食べた蕎麦が滅茶苦茶うまかったという記憶があるのだが、現在、駅構内に立ち食い蕎麦屋はなくなってしまっていた。
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