2005年05月25日 (水)
今回はちょこっと穴場のレストランを御紹介。
私はこれまで国立西洋美術館には絵以外に目的などなかったが(まあ、書籍コーナーも結構使えるけど)、さすがに谷中に住んでもうじき1年となる両親はいろいろ美味い店を探りまくっているようで、西洋美術館のカフェ「すいれん」にも舌をのばし、そこのステーキランチ(1570円)がオススメだと言っている。
で、帰阪する日に母と二人で「すいれん」行ってきました。
言われるままにステーキランチを注文するとこれがボリュームも結構あって肉も柔らか、充分満足できる味。ちょっとした店探すよりもここの方が美味いかもしれない。ただ、知ってる人は知ってるらしく、それなりに行列も出来てるので、行くなら本当は11時半くらいまでに朝食べずに行くのがちょうどいいと母は得意げに話していた。
あと、中庭に面するカフェからは前川圀男氏が1979年に増築した新館側が見えるのだが、何かとル・コルビュジエの設計部分ばかりが注目されがちな西洋美術館ではあるものの、ご飯食べながらガラス越しに眺めてる分には非常に心地よい光景になってたと思う。ふだんも入れるようになってりゃいいのにな〜(って入れるのか?)。
□◇
去年(2004年)夏場に「建築探検−ぐるぐるめぐるル・コルビュジエの美術館って企画を西洋美術館がやってたのは知ってたけど、さすがにあんとき美術館に行ってる余裕はまるでありませんでした。三太・ケンチク・日記「ぐるぐるめぐるル・コルビュジェの美術館」で細かくその模様がレポートされてます。
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2005年05月22日 (日)
5/21(土) と 5/22(日) の2日にわたってブログ仲間の訪問を受けた。
5/21(土) はまったく想定外だったのだが、梅丘の「橡の家−特別見学会」で施主仲間と集まったとき、ふと garaikaさんは遠路はるばる出て来られてる訳だし(行ったり来たりの毎日には慣れられているとはいえ)せっかくの機会だから片付けも何もしてないけどお招きしてしまおうと思い当たったのである。ちょうどこの日は母も妹も出掛けているということだったので、そのことが招く側招かれる側どちらにとっても余計な気遣いがなくて済むなという判断も働いていた。
加えて梅丘から最寄り駅の千代田線根津駅はうまく乗れば一本で行けるってのも何となく自分から誘いやすい恰好の理由付けになってくれた。まあ、何はともあれ、ふだんほとんど人と会うことのない私は、人と話すのも誘うのも、まずは自分を納得させられるだけの動機を見つけられないとなかなか行動にまでは出られないのである(汗)
「橡の家」で朝妻さんとおさらばして garaikaさん、bsideさんと谷中へ。bsideさんは「ささやかなお披露目」のとき以来、二度目の訪問である。1Fから屋上まで手短に案内(というよりは誘導)して、その後、谷中ボッサへ行った。ここがフツウの施主と私の大いに異なるところだろうが、要は私はこの家に住んでないのでこの家がまったく使い切れていないのである。珈琲一杯入れようにもどこに何があるのかさっぱりわからない。どこに座ってもらったらいいかもパッとは思い付かないくらいなのだ。
そういう意味で、私は家が完成したときまでは施主だったかもしれないが、今はただの客とそんなに替わらない立場にいるようなものである。だから、事実これは一人のときでもそうなのだが、友人を招いても一番落ち着ける場所が家族がほとんど利用してない屋上ってことになってしまうのである。ただ眺めが良いとか風が気持ち良いという以外にも屋上が居心地良い理由が悲しくもあるのである。
5/22(日) の訪問は「田植え」コメントを見ればわかるように mitsubakoさんに苗を渡す目的で最初から想定されたものだった。mitsubakoさんは古くからの友人。ブログのおかげで互いの近況が見えやすくなり、前から谷中界隈の仲間を集めてオフ会やりましょうという話が持ち上がっていた。そんなことから「田植え」コメントでも書いてたようにうちの建築家の豊田さん、それから mitsubakoさんと親しい私も古くからの友人である池之端在住の Pruscillaさん、そしてお二人の友人で谷中在住の ayaさんと、ayaさんの言葉を借りるなら「合コンみたい♪」な夕食会になったのである。
豊田さんには事前に谷中界隈の友人紹介しますとは言ってたものの、性別までは伝えてなかったので、女性ばかりがお店で待ち構えていてちょっと驚いていたようだ。しかし食事の席では当然、私の知らないご近所ネタ噴出。あとはちょうど Pruscillaさんがヨーロッパ旅行に行かれたばかりだったこともあって海外の話が多かっただろうか?
+微妙に幽霊話にも話は及んで、そうすると当然また谷中とも繋がってくるわけだ。
食後は最初に Pruscillaさん宅を訪問。スコーンなどをいただいて一服してから、みんなで我が家へ。この日は母に友人が数名立ち寄るのでお茶だけ出してもらえるとありがたいと伝えておいたら、案の定、何やら色々茶菓子の類が出て来やした(笑)
もうこういう人を招いたときの母というのは得意満面の独壇場になってしまうのである。そんなわけでこの日は夜空の屋上に皆を案内したものの、屋上よりも2Fダイニングテーブル滞在時間が一番長いという結果になった。無論そこには母個人の接待趣味に因るところも大きいのではあるが、やはり友人を家に招き入れたとき、そこにその家の住人がいるのといないのとでは何かが大きく違うような気がしてしまった。
母は私の友人というやや遠い関係でありながら、それでも短い時間の中で家のことをあれやこれや楽しげに話していたのである。その話し口調は実は私が garaika邸オープンハウスを訪問したときの garaikaさんのそれを思わせるものがあり、ところが今回の私はそんな案内の言葉を訪問してくれた友人たちに対してまるで発することが出来なかったのである。それはちょっと寂しくもあるが、しかし悲観に暮れる話ではない。むしろこの家の建築計画に私は建築当初から住まないにもかかわらず首を突っ込みすぎてしまったことで、最初に住むはずの住人たちがこの完成した家を自分たちのものとして愛着抱きづらくなるのでは?と不安視していたのだが、その心配が無用だったことをこの日の母が証明してくれたのである。
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2005年05月21日 (土)
父と二人で不忍通り沿いの「小松」という焼鳥屋に行った。
この店は夜しかやってないので父もまだ行ったことがなかったのだが、父の仕事先の仲間がわざわざここの焼鳥を食べに根津まで来るという話を聞いていたので、前から唾は付けていたらしい。割と最近改装されたと思しきやや敷居の高そうな門構えから多少の出費は覚悟していたが、140円からタン・はつ・はらみ・なんこつ・シロ・レバーなどあって、思ったほどの出血にはならなかった。それに何と言っても焼鳥が美味い!
これまで焼鳥屋といえば父も私も吉祥寺の激安店「伊勢屋」ぐらいしか思い浮かばないので、単に美味い焼鳥知らずなだけなんだろうが、こんなに焼鳥が美味いんならもっといろんな焼鳥屋に通ってみるべきだよ!と誠にアホらしい父子談議を繰り広げていた。
そんな最中である。父が母と私の妻に大顰蹙を買いそうな話をし出したのは!
父は6月中、行けるものなら一人クルマで東北旅行をしたいと計画しているのだが、それについては母はおろか私も歳が歳だし(74歳)あまり賛成できないと思っているということをこの場でも伝えた。そんなときである。父が「東欧に行きたい。でも、一人で行くと無駄に金が掛かってバカバカしいし、誰か一緒に行く人間は居ないもんか?」と言って、こちらにチラリと目配せしたのは!
そのときの答えを私はここに書くことは出来ない(笑)
とはいえ、このときの話の成り行きは概ね妻には話し、予想通り、怒り半分呆れ半分でその後その話が再び取り上げられてはいない。そしておそらく父は母には話していないだろう。というのも、我が家にとって東欧(特にハンガリー)は結構格別の地なのである。まず我が家で東欧に行ったことがあるのは母だけである。1969年に世界青少年交流協会ハンガリー班音楽係・記録係として派遣という形で、母の初めての海外旅行として東欧に行ったことについては彼女のプロフィールでも触れられている。
そんな音楽派遣された母にとっても、またオーディオマニアの父にとっても、また標本フェチの私にとっても、20世紀のハンガリーを代表する作曲家のベラ・バルトーク(1881〜1945)の存在は非常に特別なものなのである。つい先日の清真美さんの『新釈肖像写真』でもバルトークのアルバムがしっかりモチーフとして加えられていた。そのバルトークが生まれ、音の採集を行った地として、父がまだ足を踏み入れていない東欧に行きたいと思うのは至って自然な流れだ。父の中ではそれが最後の海外旅行になるんじゃないか?という気持ちもあるようだし。。
ただ、そこで父が一人で行く分には誰も文句がないのだが、その同行者に私が一人選ばれるというところに問題があるのである。実際、私もそれを面白く思えないどころか下手すりゃ憎々しくすら感じかねない我が家の女性陣の気持ちも私にはわからないではない。だが、これは後日豊田さんとも話して同感を得られたのだが、私個人としては行ってやりたい気がするし、行ってみたい気もしている。というか、何よりも行っておかないと非常に大きな後悔をすることになりそうな気がするというのが正直なところだ。
男のワガママと言ってしまえばそれまでだが、70歳過ぎた父親と二人で海外(それも憧れの東欧)を旅するというのは不思議とワイルドなイメージが抱けてしまう(笑)
少なくとも1年前にそんなことを思い描くことはありもしなかった。
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朝妻さんがプロデュースする「橡の家−特別見学会」に行ってきた。
場所は東京世田谷の梅丘。学生時代の友人Nノが住んでることや、「新釈肖像写真」で写真撮影に来られた清真美さんが2003年にグループ展をやっていたので多少は知っている街である。ただ、それらは共に北口にあり、梅丘の南口側を歩いたのは初めてであった。
もちろんどこを通るかでも街並みは全然異なるのだろうが、とりあえず案内に出ていた地図で「橡の家」までを最短距離で歩いてみると、何とも驚くべきことにそこに辿り着くまでの通りは「建築家住宅(by 大島健二)」が雨後の筍状態で軒並み林立している地帯であった。所謂「郊外」というほど都心から離れてもいない梅丘は新興住宅地にはなり得ない。むしろ古くから住んでいた住人が代替わりして、予算もそこそこある若いオーナーが家を建て替えるなら建築家と!という傾向になってるのだろう。
約束の時間に遅れ気味だったので、そんなにじっくりとは見てはいないのだが、ただ、これ以上「建築家住宅」が増えるとそれは壮観というよりはややもすれば食傷気味とでも言いたくなるような街並みに堕するのではないか?という懸念も感じられた。本来、周辺環境に馴染ませるなり溶け込ませるなり取り込むなりというのは多くの建築家の得意とするところだろうが(それどころかそれは家づくりの前提条件と言えよう)、周囲が「建築家住宅」だらけになってしまったらどうなるのか?──今の建築家ブームが今後も続くのであれば、そんな悩みの生まれる日もそう遠くはないのかもしれない。
「橡の家」のお施主さん夫婦は、奥さんの「幼少の思い出の地」ということで梅丘を選ばれたらしい。敷地自体もその「建築家住宅」通りからは一歩奥まったところにあり、周辺に新しい家もあるものの、所謂「建築家住宅」があるわけではないので、狭小変形敷地の立地位置を存分に生かした周辺のちょっとしたポイントとなるような外観に仕上がっていた。私は建物の東側の道から来てしまったのだが、北側の少し坂になった方からやってきたなら(上の写真が北側から来た場合)初めて来た人はすぐ「お!アレだアレだ!」って思うはずだろうし、住人および付近住民はそれが見えてくることによって「ほっ!帰ってきた!」とどこか安心させられるような存在感をこれから持って行きそうである。私は直接見てないので何とも言えないが、夜にはガラス張りの西側一面がほんのり優しい光を壁面全体に灯すようだから、そうした心の安らぎに加えて周辺一帯のセキュリティ面での安全性も高めてくれるかもしれない。
ちなみにこの日は施主&建築ブログ仲間の garaikaさん、bsideさんとも現地で落ち合う約束になっていて、早く来られた garaikaさんはすでにご覧になられていたようだが、待ち合わせ時刻に遅れた私を待っていただき内部見学の時間を共有した。そのとき、他にも数組お客さんは見えていたので、朝妻さんは私たちも含めたいろんな方々に挨拶&説明されて、それなりに忙しそうなご様子だった。建築プロデューサーも大変だ。
室内についてはすでに朝妻さんが「感じ方ー人それぞれ」で賛否両面それぞれの見方を自分で書かれてしまっているのでツッコミようがないのだが、『ガラス張りの家って熱くないの?』の疑問は、garaikaさんも書かれているように「光の透過性のある断熱材をうまく使って、採光しつつ、断熱」することで、5月なのに夏並みに日射しの強かった午後においても無事クリアされていた。ただ、朝妻さんだけが一人、扇子片手に室内外問わず、暑い暑いと汗を拭ってられたのが笑っちゃうところではありましたが(笑)
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以前から懸案事項であった1F光庭前の舞台式階段通路サッシにサンゲツのカーテン(Aria)が取り付けられました。実はこれまで前からあった丈足らずのブルーのカーテンが取り付けられていたのですが、さすがにここばかりはギャラリーの一面としても目に入ってくる場所なので、色のこともしっかり考え、生地の質も高い物に奮発してしまいました。しかし、ブラインドに関してはまずはカーテンを付けてみてそれから考えましょうという話になってたのに既に付いてる(汗)
母の話では工事の人が勝手に付けちゃったという話なんですが、まあ、その辺は話半分にしか受け止めてません。昔のピアノ室などもすべての窓にブラインドが取り付けられていたし、増築した部屋もブラインドだった。つまり、好きなんだろうな〜と。。
実際、実家家族が住み始めてしばらくは言いたいこともたくさんありましたけど、ある時期からもう言うのを辞めました。結局住んでない人間が何言っても始まらないし、好きなようにしてくれ!ともう諦めてます。心配なのは現在の乱費状態を続けてちゃんと老後のことまで考えてるのか?ってところでしょうか。
ま、救いなのは今回の箇所以外のカーテンはすべて昔の家で使ってたのの使い回しで、丈が合わないのは折り目を解いて延ばして使ってるってことかな〜(笑)
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