2007年02月22日 (木)

「戦没学徒記念 若人の広場」で記したように、仕事で初上陸した淡路島。残念ながら車窓風景以外にプライベートで撮れた写真は少なかったが、仕事が終わって車に乗り込む直前に唯一撮れた淡路島の家の写真がこれである。場所は洲本市由良の由良大橋の袂。もちろん淡路島の家はみんなこんな感じというわけでは決してない。ただ、さすがにこのタイル&臭突は、、撮らずんば男が廃るという気がして撮ってきた(汗)
洲本市由良は、向かいに成ヶ島という淡路橋立とも称される細長い砂州に覆われた形の漁港で、今もハマチの養殖などで知られている。おそらくこの全面タイル張りは漁から帰ってきた漁師達が長靴などを水場で流しやすいようにと設えられたのではないかと思うが、どうだろう。ただ、こんだけカラフルなのはここでしか見なかったので、ひょっとすると別の用途で建てられた家屋という可能性もある。背後との繋がりまで見てくる余裕もなかったが、何とも不思議なハイブリッド建築だった。
また、タイルハウスの右手奥に見える屋根瓦は、本葺き瓦(丸瓦と平瓦を組み合わせた瓦)というのだが、この界隈の古い家屋の屋根には本葺き瓦が乗っているところが多くて、なかなか重厚壮観なものがあった。と思ってちょっとググってみると、淡路島って「淡路瓦」で知られる瓦を伝統工芸的地場産業にしてるところだったのだ。次行くときはもう少し瓦を意識して見てまわると面白いかもしれない(というか、町並み視線って事実上屋根で構成されてるので、意識しなくても実は皆それで峻別してるのだが)。
【写真】2007.02.05 16:24, 兵庫県洲本市由良(淡路島)・由良大橋袂にて
≪ 閉じる
2007年02月03日 (土)

この写真はチャングムテーマパークへ行くのに議政府北部駅から乗ったタクシーの中から撮影したもの。走行中なだけにかなりの無茶撮りではあるが、屋根裏部屋(?) 手前にあるバルコニーの、何とな〜くプリティな様子が気に入って flickr にアップしていた。
しかし、前々エントリーの「K的臭突」でもそうだったように、韓国の建物は日本のそれと較べて妙にスケール感の小さな建具や設備を見掛けることが多い。この写真の民家の場合でもバルコニーに出る扉がどう考えても小さい。日本の茶室の躙り口(にじりぐち)に毛が生えた程度の、肩を窄めて潜らないと出られないくらいの大きさである。
・・と書いたところで、試しに「茶室」を Wikipedia で確認してみたところ、
にじり口は、千利休が河内枚方の淀川河畔で漁夫が船小屋に入る様子を見てヒントを得た、とされる。朝鮮半島の民家からヒントを得て考案したという説もある。しかし、にじり口の原型とみられる入り口は、武野紹鴎の時代の古図にも見られ、また商家の大戸に明けられた潜りなど同類の試みは多種見られることから、利休の発明とは言えない。
と、諸説あるうちで「朝鮮半島の民家からヒントを得て考案した説もある」ことを知る。ま、だから「バルコニーの躙り口」というタイトルを付けたというわけではないのだが、私のように本格的な茶室で茶を嗜んだ経験のない者にとっては、この写真の戸口と茶室の躙り口が、ある点でそんなには違わないものに感じられてしまう。
要するに「狭い戸口を肩を窄めて潜る」という所作には、それが「出る」という行為であれ、「入る」という行為であれ、どこかしら子供の時分から持ち合わせている悪戯心を擽るようなところがあるように思えてならないのだ。秘密基地への侵入とでも言うともう少しわかりやすいだろうか? ただ、そのことを妻に話してもあまり理解は得られなかった。そのことからつい話がジェンダーへと傾きそうになるが、時の厚生労働相の二の舞は御免なので、ここで話は止めておくことにしよう。
それにしても彼の失言は、ル・コルビュジエの「家は住むための機械である」を知っててのものだったのだろうか。だとしたら、もうちょっと気の利いた言い訳でも考えついたようにも思うのだが‥‥。
【写真】2006.11.23 13:44, 韓国京幾道議政府市・タクシー走行中の車内より
≪ 閉じる
2006年03月07日 (火)

建物の経年変化は家づくりを終えた者に残されたもう一つの家の楽しみと言えるものだろう。我が家の場合、当座の楽しみは玄関口の壁面一帯に張った杉縁甲板の壁面やパーゴラ用の檜材がどのように変化していくのかということなのだが、今のところ杉縁甲板の方に大きな変化は見られない。冬場はそれなりに日も差し込むが、材が焼けて色白んで(あるいは黒んで)来るまではまだまだ時間が掛かりそうな感じである。防火地域で準不燃材を利用しなければならなかったせいもあるのかもしれない。
それに対してパーゴラの方は上階部前面から突き出ている部分だけ、思いっきり色が変質してしまった。これは言うまでもなく太陽光ではなく雨が原因でなったことだ。酸性雨の影響もあると思うのだが、木の艶を完全に洗い流し、一人お先に!という感じで経年変化を邁進させた水の威力は凄まじい。とはいえ、自然環境の境界部に生じる表面上の差異というものはある程度の年数を経るとそれはそれで良い味わいになっていくことが多いので、そうなることを期待したいというのが本音だが、こればかりは成り行き任せにするしかないところが面白いところでもある。
谷中M類栖トップページのヘッダ画像に家が出来て間もなくの頃のパーゴラが映っているので、その色合いと較べればその変化は一目瞭然である。
≪ 閉じる
2006年03月05日 (日)

横浜への出張で新幹線のぞみに乗車。久々に晴れ間の富士山を見た。
家づくりを終えて東京方面へ行く機会がめっきり減ったせいもあるが、しかし、東海道を通って富士山の姿にお目に掛かれる確率って30%くらいしかない気がする。まあ、私の移動している時間帯が暗いときが多いせいもあるのだろうが。。
ところでこの日の富士山は「はなれ笠」と呼ばれる雲が頂上の上にぽっかり浮かんでいた。この「はなれ笠」って言葉を私は最初から知っていたワケではないが、富士山の上にできる雲の形状によって天候等が予測できるという話は何となく知っていて、それで「富士山 雲」でググってみたら、一発でそれが「はなれ笠」というのだとわかった。ちなみに「離れ笠は晴天の前兆…」と言われているそうだが、確かに週間天気予報で雨と言われていた 3/6(月) は春一番が吹いて雨は降らず、2つの外出用を予定していた身としては大いに助かったのである。ただ、富士市の「富士山の雲と天気」というページによれば、はなれ笠は「晴れた風の強い日に現れ、冷え込みが厳しくなり、快晴が続きます」と説明があり、春一番で風は強かったが、気温は妙に生暖かい感じで厳しい冷え込みとは合致しなかった。
【写真】2006.03.05 10:29 富士川を渡る新幹線車窓から
≪ 閉じる
2004年11月17日 (水)
石 求ム!(※) でコメントされた garaikaさんのブログ「家づくり、行ったり来たり」が面白い!
11/16(火) エントリーの「欄間を見直す──光、風、温度の共有」では当初想定外だった欄間が建築家からの提言(提図と言うべきか?)により再考され、そこから「プロの設計技術を感じる」瞬間が描かれるに至る。いや〜、この「プロの設計技術を感じる」瞬間というのが施主にとっては極上の愉悦とでもいうべきときである。

思えばうちでも欄間を介して建築家の「プロの設計技術を感じる」瞬間は訪れた。だが、それにはちょっとした紆余曲折も伴っている。実は現時点でこのブログは2004年6月のエントリーがごっそり抜け落ちているのだが、その理由は7/1(木) の「1Fタイル工事開始(※)」で書いていたこと以外にもあったのだ。
この6月は我が家の施工上、最後の追い込みで各種職人さんたちが入れ替わり立ち替わる最も忙しい時を迎えていた。私は私で月末に仕事の〆切を抱え、ブログも家のことも本腰入れられぬ状態にあったのだが、そんな中、週1、2回くらいのペースで工事見学に行っていた母からダイニングの天井に考えもしなかった板材(板目の杉縁甲板)が張られているという連絡が入る。それは図面通りの仕様なのだが、実はダイニングの天井板については同一製品のサンプル材を取り寄せての説明といったことがなく(初音すまい研究所のテーブルが杉板だったので、それを見てこんな感じという説明は受けていた)、あまり深く議論されてなかったということはある。しかし、母の驚愕(幻滅方向の)ぶりは相当なもので、まずはデジカメで撮ったという画像を送ってもらった。で、それを見ると私自身も確かに好ましい感じがあまりしない。母はそもそも節目のある材そのものを好まないところがあるが、私は別に節に対する拒否反応はない。いや、むしろ好意的といってもいいくらいである。にもかかわらず、私にとってその画像を見た印象があまりよくなかったのは材の色味それ自体とそのばらつき加減に帰するところが多かったように思う。
いずれにしてもこの時点で私はデジカメ画像しか見ていない状態だったが、父や妹も「このあとにまだ何かするんでしょ?」と言ってしまうような次第だったので、私の方から豊田さんにどうにかならないものか相談することになった。ところがそうした我々の心象を率直に伝えると豊田さんの方がえらくショックを受けられてしまって(豊田さんにとってその材は想定内のものとして現場確認済みだったこともあり)、その後、母と現場打合せの場など持ってもらったのだが、非常に厳しい顔をしてられたという。そのあたりの経緯はまた別エントリーに譲りたいと思うが、いずれにせよ、このとき我々はそれまでずーっと相性よく通してきた豊田さんと初めて意向の違いにぶつかってしまったのだ。それは私がこのブログでニューエントリーできない遠因ともなっていた。
ちなみにこの問題は、ひとまず現状のままとして我々が生活していく上でどうしても気になるというのであれば材を変えるなりクロスを張るなりということを考えましょうということで落ち着いたのだが、その後の工事で三鷹金猊居から持ち込まれた欄間がダイニング〜和室間に収まったことで我々の心象は一変するのである。
三鷹金猊居の欄間は縦桟が細かくあしらわれた繊細な意匠のものだが、60年以上の時を経ており、如何せん古い。その古さが新しいものと同居したとき、この場合にあっては意匠上の特質(繊細さ)は表には現れず、むしろ古さ=濃さ(経年変化による材質の色変化)ばかりが粗々しく目立つ形になってしまった。ところがその我々にとって予期しなかった粗さがもう一つの粗さの雄=縁側に用いられた丸太梁(こちらは粗さが想定されてる)と共に先のダイニング天井杉縁甲板と絶妙のトライアングルを形作ってしまうのである。
それを現場で見たとき、私は思わず「やられた」と感じずにはいられなかった。それこそがまさしく建築家の「プロの設計技術を感じる」瞬間にほかならない。何と言うでもなく、ニヤッとなってしまうのである。ここに辿りつくまで随分遠回りしたが。。
このエントリーは「欄間」自体を問う話ではないが、「欄間」を介して得られた一つの事例として、まさしく欄間を介するように「欄間を見直す──光、風、温度の共有」にトラックバックしておきたい。
ちなみに三鷹金猊居の欄間の濃さは当然ホコリの堆積分も加味されてます(笑)
≪ 閉じる
2004年10月27日 (水)
家族がこの家に住まい始めて3ヶ月が経とうとしているが、すでにこの家は到底新築とは思えぬ様相を示し始めている。私が時たま訪れる第三者的視点に立つからとも言い得るところもあるのかもしれないが、やはり私の実家家族は掃除が得意な人種とは到底言えそうにない。いや、掃除の得手不得手の問題よりも、おそらく汚れを汚れと気づかない部類の種族の集まりと言えるのかもしれない。

とりあえず今回の上京で最も目に付いたのが、もうキッチンに関してはどうにも手の入れようがないので放っておくが、それ以外の場所として3F脱衣室の洗濯機上のサッシ網戸とトイレの排気口であった。これらの場所は母の部屋:洋室-1(M) が大開口を持ち、風通しが非常に良いのでその風の出口としての役割を一手に握らされてしまっているようだ。2Fはバルコニーなどもあって何かと障害も多いが、3Fは道路からの細かいホコリ等が風に乗ってダイレクトに家の中を抜けて行くようだ。
まあ、この状態を見てよくも皆放っておいたな〜とも思ったが、このまま放っておけばいずれは汚れが油分と共に網戸にこびり付き、ちょっとやそっと洗ったくらいじゃー落ちなくなっていくので、ドイトにレンガを買いに行ったついでにクルー網戸ワイパーなるものも買ってきたのだ。商品説明の通り、ひとまず現時点においてはサッとひと拭きするだけで割としっかり汚れは落ち、元のピカピカ黒網に戻ってはくれたが、油断はできない。一応、家族には今後定期的に掃除をするように、またワイパーの使い方も説明はしておいたが、掃除をしてくれるという保証はない。また何ヶ月後かに上京した際には家の汚れ総点検が必要となるのだろう。
≪ 閉じる

第33回打合せ(※) で書いた1F収蔵庫右扉のマグネットラッチが甘いことの対応策は豊田さんの言われた通り、ラッチの角度を変えただけでしっかり扉が閉まるようになった。この件に関してはこうして工務店の手を煩わさずに済んだが、いずれにせよこうしたミニトラブルはなるべく自分らで解決方法を見つけるようにして行きたいものだ。阿部建築には何かとお世話になりっぱなしですからね(^^;)
2004年10月26日 (火)
昨日の矢原さんとの打合せ(※)で大方、光庭造庭自体の説明は聞いていたので、この日は上京中の大まかなスケジュールというよりは天気予報や材料の手配日数なども踏まえた細かい段取りを決めて行く話し合いが行われた。それらについては追記にて。
また、未済/駄目/新規追加工事も再度チェック。収蔵庫扉アンダーカット(※) のエントリーでやむを得なしとしていた収蔵庫右扉のクラッチが甘い点に関しては扉下側の磁石が少し曲がっている点を豊田さんが発見され、向きを変えれば直るかもしれないとのこと。他、1Fトイレの引き戸の締まり具合が真ん中幅木に若干たるみがあって悪い点も判明。それについては阿部建築に指示を出すとのこと。
−谷中M類栖2F和室、光庭
−16:00〜19:00
−豊田さん、矢原さん、父、母、私
□◇
初音すまい研究所@打合せ記録より(記録者:矢原・一部編集了)
■
前庭
・斑入りヤブラン(25〜30株/平米)(120〜170円/株)×45ポット
・普通のヒイラギナンテン3本立ちで1株程度(1200〜1300円/株)×1株
以上を植える事をご了承いただきました(中高木は後日)。
■
光庭
・光庭レベル:光庭の奥をGL+1000mmくらい(現状より+約450mm)想定
・塀:ブロック塀より高くはしない事とします
・支持:コンクリートボンドでブロック塀に取付金物を接着する
・板材:応接室との意匠を合わせる意味でも杉(節あり)とする
以上、ご了承いただきました。
■
スケジュール
10/27(水) 植物発注、ドイトでレンガ、植栽用客土、支持金物、コンクリボンド等購入
10/28(木) 土作業、クラッシャーレンガ到着>敷込、レンガ建込
10/29(金) 三幸木材へ発注、オスモ等の塗料発注、植物到着>植栽?
10/30(土) 土、石の不足量購入
10/31(日)
11/01(月) 塀塗装、組立
11/02(火) 塀組立
11/03(水)
≪ 閉じる
2004年10月25日 (月)
丸太柱下にも染み?(※) で書いていた母の見つけた染みの問題だが、どうやら矢原さんが山本さんから聞いたところによると、材そのものから染み出たアクではないか?とのこと。タイル下のコンクリートから染みていたらまずいがアクならやむを得ない。気になるのであれば応接室室内杉縁甲板塗り残しの処理をするときに一緒にやりますが、、ということだったが、私はこのままで良い気がする。
それから丸太だけでなく、エントランス部アプローチ壁全面に張った杉板甲板からも同様にアクが出ていて、それは板自体ではなく、板の下の土台のコンクリートに板からアクが流れ出した感じになってしまっている。が、これに関しても特に材を傷めることにはならないので心配はいらないそうだ。要は見た目の問題。気にしていつも洗うのか、それとも放っておくのか。ま、玄関ドアが泥の跳ねで汚れ、さらには埃まみれになっていても差して気にせぬ実家のことだから、放っておかれることになるのだろう。大部分が車で隠れてしまうのもまたそれを助長している。
2004年10月18日 (月)

この玄関前アプローチ部分のタイル張り(厳密には天然石:ボテチーノ)工事で大方、本工事と呼べるものはすべて終了。あとは施主+建築家のDIYによる庭関連の工事を残すのみだ。
母メモ: コンクリート打工事でも書いたが、とにかく引き渡し後の残工事では何かというと天候不順で工事がどんどん先送りになって行った。それがようやく一段落付いたのだから、実家の家族にとっては喜ぶべき話であるに違いない。
なお、タイル張りの工事の様子は追記の母メモを参照してもらえればと思うが、どうも母はボテチーノという石自体が屋内用であることにかなり心配の種を宿しているようだ(豊田さんは問題ないと言われていたが)。早速汚れがついてなかなか落ちないこともそのせいだと言っているし、あと、石の欠けた部分がアプローチの中央に集まってしまったことにも不満を溜めていた。まあ、欠けてる部分には汚れが何かと付きやすいので、意匠的な意味でも尤もな不満なのだが。。
母のメモより(一部編集了)
10/18(月) 晴れ
8:30AM タイル屋(電源を引き戸側から延ばす。玄関ドア開放。内外との繋がりを見る為)
9:00AM過ぎ、
豊田さん、覗きに見える
セメント積み→水かける→
タイル載せる→
金槌の柄の方で調整
3:00PM頃 目地終了
10/19(火) 雨
10/20(水) 雨 台風23号接近
0:00PM 初音へ。豊田・矢原両氏、留守。
5:00PM 山本さんよりTel。車を返しに来る。
6:00PM 矢原氏、玄関砂利(ドイト)見本持ってくる(Tへも写真)
夜中、雨ひどし。
道路:車道側溝に排水溝があり、両方から水が勢いよく流れ込むので、歩道まで水が迫る。
光庭:低いところにかなり水が溜まる。
≪ 閉じる