2004年10月16日 (土)
義父の超絶技巧書院
鉄道の日記念西日本一日乗り放題きっぷを使うと片道3000円で西日本ならどこでも行けるということで、急遽、妻の実家の総領町に帰省。といってもまあ、実は去年も高速バス使って同じ目的でこの時期帰省してたのだ、、と云うその目的は松茸狩りだったりする。ま、その話題は別のブログでするとして、こちらでは松茸とは別にもう一つ、今回、建築的趣旨の帰省目的もちゃんとあったので、それを紹介したい。
それは夏の帰省時に話は遡る。義父に清氏撮影建築写真(※) や私の撮影したデジカメ写真等を見せていたら、2F和室で再利用された三鷹金猊居書院など見てるうちに「ワシも若けー頃はこのくらいの仕事してたけー」とムラムラと大工魂というか職人魂に火が点いてしまったのである。で、総領自宅の書院はまだ「甘めーんじゃが、下領家の稲迫さんちでやったのはワシも苦労したけー」ということで、今回その書院を見に稲迫さんちにお邪魔することになったのである。手土産には庄原のジョイフルで買った巨峰となぜか500円分の造花(義母が自分が好きじゃけーということで)を持って(^^;)
で、その稲迫さんちは築70年でそれ自体も大変素晴らしいのだが、義父がやった書院も確かに自分で自慢するだけのことはある超絶職人仕事であった。これに関してはアレコレ言うより、現物の写真を見てもらった方が早いだろう(左のGIFアニメをクリック!)。
とりわけ面白いのが書院欄間で、この手裏剣状に組まれた細かい紋様は見る角度によってまったく異なる表情を見せる。首を左右に動かして見るとそれがよくわかる。これだけの仕事は10年修行したくらいじゃできんのじゃと義父は自慢げに話していた。
ところで稲迫さんは気を利かせてわざと席を外し、我らだけで落ち着いて見学できる時間を作ってくれたのだが、義父母共に「早う、帰るけー」とちょこっと見るなり早々に「さ、帰ろ帰ろ」モードで、実はもう少し腰でも落としてその空間を愉しみたかったのだが、そういうことはまったくできなかった。まあ、何だかんだと庭先で義母と稲迫さんの話が長くなり、その時間も書院を見てたかったな〜と後から思ったりもした。