2009年11月02日 (月)

丸井金猊「生誕百年」展を終えて

丸井金猊「生誕百年」展

今年も「ですます」調を「である」調に差し替えるのが面倒で(文意が変わることもあるし)、そのまま丸井金猊公式サイトで書いた記事を転載してしまうが、芸工展としては4回目となる丸井金猊「生誕百年」展を終え、今年何よりも感じたのは金猊が谷中にだいぶ定着してきたな〜ということだった。

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三鷹時代の表札芸工展参加としては四回目を数える丸井金猊「生誕百年」展も無事終えることができました。谷中M類栖/1f まで足をお運びいただいた皆様、大変ありがとうございました。

今年は金猊「生誕百年」ということから、同じ「生誕百年」で話題になっている太宰治に便乗した思わせぶりなメッセージを芸工展マップの70字以内の企画概要に掲載。そのため会期前ににわか仕込みで太宰の中短編を何篇か読み、なぜ太宰?と聞かれても良いように、三鷹時代の表札を玄関前室に置いて、母には去年三鷹に出来た太宰治文学サロンまで行ってもらって太宰に関する資料を数冊買ってきてもらい、太宰と金猊の生涯比較年表も用意していました。[PDF: 140KB]
が、それも取り越し苦労だったようで、会期中、太宰についてのツッコミは特になし(´-`;)

芸工展2009とはいえ、この機会に多少なりとも太宰を囓ったおかげで、彼への歪んだ先入観はだいぶ変わりました。最初に手にした『ヴィヨンの妻』は半分くらい読んで、まるっきり頭に入らなかったのですが、そこで太田光が推薦する『富嶽百景』に切り替えたらこれがなかなか面白く、それを読み終えてから『ヴィヨンの妻』に戻ると、太宰のある種、落語のようにも感じられる語調に乗せられるように読めるようになりました。
『女生徒』は文句なしにうまい!と唸らされながら読みました。ただ、どうもそれを女性が読むとおねえ口調のようでわざとらしいって感じられるようで、なかなかその辺の解釈は人によりけりのようです。

ともあれ、金猊と太宰の共通点と言ったら、その同じ年生まれと三鷹在住ということ以外は特に見当たらず(せいぜい気取り屋なところくらいか?)、それは準備前からの想定通りで、なぜ太宰?と聞かれたら、同時代同地域作家ながらまるで方向性の違う人間が太宰とは別に存在したのだということを見てもらいたい展示なのだと説明するつもりでいました。ですので、特に展示物に太宰との共通性を考える必要もなかったのですが、ただ、『富嶽百景』の何ページかを読んだときには、晩年作の『青龍老栖富嶽の図』を愛知県は稲沢の親戚方から借りようかと一瞬迷いました。結果的に時間がなくて、借りるには至らなかったのですが。。

丸井金猊「生誕百年」展

丸井金猊「生誕百年」展さて、事実上太宰とは無関係な展示の方は、それでも太宰には存在しなかった「晩年」(小説『晩年』があるので話がややこしいですが)の画を一つは出したいと思い、「洋蘭図」を入口左手のスペースに展示しました。この「洋蘭図」は1997年に三鷹市美術ギャラリーで開催した「丸井金猊とその周辺の人たち」展で、美術評論家の椹木野衣氏に一番興味深いと言われた画で、当時晩年作は身内の間でも評価がいまいちだったので「なぜに洋蘭図?」と思ってたのですが、自分の中でも見ているうちにだんだんと面白く感じられるようになった画です。特にマーク・ロスコを思わせる背景の描き方、金猊はこのときアメリカの抽象表現主義絵画をどのくらい見ていたのか定かではありませんが、まずそれへの意識があったのかどうか知りたいところです。そして今年も観に来てくれた画家の今村仁氏が「そのロスコ風をぼかすんじゃなくて、オレは全部描くよって気概で一本一本線描写に入ってるんだよね」という画家ならではの興味深い言葉を残して帰りました。

丸井金猊「生誕百年」展続いて毎年出している「さだゑ図」、初年度に出した「*芥子花圖」をいつもの位置に掛け、その下の水屋箪笥に今年は引き出しを開けてその上に三鷹金猊居の設計図を展示しました。箪笥の上には同じく設計図面の展開図冊子を、その横には金猊の詩集を置き、箪笥の前には金猊作の六脚箱を置きました。そして正面には「壁畫に集ふ」の定番屏風。

収納扉スペースには谷中初出の「寿」。この切り貼りデザインに関心を寄せるのはやはり若い人に多く、しかし、さきの今村氏はこの画も画家の仕事だということを強調してました。確かに箔を張り、切り紙も紙によっては筆で色を塗った紙が張られていて、ある種、パピエ・コレ的なアプローチに近いと言える面もありそうです。

その隣に「鷺圖」。これはいつもと違うスペースでの展示で、今年は例年よりも少し展示位置を下げたので、いつもより画の上の方が見やすかったはず。

丸井金猊「生誕百年」展

そして、今年の目玉が完全初出の下絵「*柿と八手と猫」でした。これは母もその存在を忘れていたくらいの、あまり金猊らしくないタッチの完成作不明の下絵なんですが、どちらかというと犬好きな金猊が猫を描いているという点でも注目に値します。それもその猫がまた切り貼りで張り直してあるという(下絵なので、そういう操作は珍しくはありませんが)(^^;) 実際、本作がどのような描写になったのかは想像がつきませんが、この下絵段階の特に八手の配置が非常に複雑で、まずこの下絵を出そうと考えたことから同じ並びの「寿」「鷺圖」は同じ構成要素の強い、かつ複雑なものにしようという判断が生まれました。ちなみに母が偶然にもその画の脇に置かれる備前壺に柿を活けていたのは思わぬシンクロでした。

丸井金猊「生誕百年」展

谷中へ行く前のイメージとしてはこれで主な展示は終わりのつもりだったのですが、いざ北側壁面を見ると毎年出している軸物が一点もないことに気づき、額だと額の下のスペースが妙に空いています。ということで、今年はそのスペースを活用して、これまで1点ずつくらいしか披露できなかった美校一年生時に学校の課題で描いた植物画を5点並べることにしました。

丸井金猊「生誕百年」展

これによって今年はなかなかバラエティに富んだ見応えのある展示になったのではないかと思っております。当初は毎年そう代わり映えしないし、けど、お知らせしないのも何だかな〜だしということで、一応お知らせはするけど、わざわざ来てもらわなくてもいいですよ〜的なメールを流してたんですが、いざ終わってみると案外貴重な展示だったかな〜と。特に「*柿と八手と猫」は下絵なだけに次の展示機会が何年後になるかわかりません。

丸井金猊「生誕百年」展

ともあれ、今年で四回目の芸工展参加で、金猊がだいぶ谷中に定着してきたな〜ということを実感した展示機会となりました。何人かのお客様は毎年秋に金猊に会えることを楽しみにしてると言ってくださってます。また、教え子の皆様方の間では何となく谷中M類栖/1f が同窓会の場的な雰囲気にもなっていて、是非是非今後とも活用していただきたいところです。今年も金猊がレタリングの授業では特に「R」の描き方に厳しかったことや、資生堂「花椿」の木偏が撥ねるのは間違っているということをしつこく授業で話していたことなど、オモシロエピソードを幾つか聞かせていただくことができました。

丸井金猊「生誕百年」展

本当はもうちょっと長い会期を取ってやれると良いのでしょうが、なかなか遠隔地からの出張だと時間を作るのが難しく、来年も2〜3日の会期ということになってしまうかもしれませんが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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by m-louis : 2009.11.02 21:50
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