生誕百年に湧く太宰治と同じ年に生まれた日本画家丸井金猊。終の栖となる三鷹に住み始めたのも同じ年。ところが両者の共通項は不思議と少ない。はて...
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以上が芸工展実行委員会に7月に提出した申込情報。
今年は去年よりも1日長く、時間は開始・終了ともに1時間早い。
「はて…」と思わせぶりな企画内容については、実は太宰治の桜桃忌が話題になっている頃に申込入力していたので、つい SEO対策を!とあらぬ欲が出てしまった。が、実のところ、ほとんどノープランに近い(汗)
実際、太宰と金猊は時空間的には重なる要素が多い割に、まるっきり共通性が見えないというか、そもそも金猊は三島由紀夫の生理的嫌悪ほどではないにせよ、太宰を好ましくは思っていなかったとも伝え聞く。「生まれてすみません」の太宰が入水自殺してしまった戦後間もない1948年、金猊は新制神奈川県立神奈川工業高校の工芸図案科で本格的な教員生活をスタートさせた。しかし、それは金猊が画業で生きることを諦めた、云わば「画家としての死」を完全に受け入れた瞬間でもあった。
その後、金猊は教職にのめり込み、厳しい学生指導に当たった。誰が選んだか知らないが、私が flickr にアップしていた金猊が教鞭に立つ姿の写真のスキャン画像が「学校教育現場の情景」として Wikipedia「教育」に掲載されている(魚拓)。

後から顧みれば「画家としての死」の後の生を、画業以上に強い意欲を持って美育に生きたようにも伺える金猊(参考:神工デザイン科ルネッサンス)。生誕百年となる今年は、いつもの展示リソースにそんな眼差も紛れ込ませられたら面白いかもしれない。
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