2007年02月15日 (木)

戦没学徒記念 若人の広場

Wakodonohiroba, Awaji

仕事の取材だったものの、淡路島に初めて行くことになり、同行取材者にお願いして、ほんのわずかな時間ながら丹下健三が1966年に設計した「戦没学徒記念 若人の広場」を見てくることができた。「若人の広場」は一昨年の3月22日、丹下氏の訃報に接し、「丹下健三氏、没」という追悼エントリーを書いたとき、akanemさんが撮られた写真を借りて感想メールと共に紹介した場所である。あれからもう2年が経つんだなぁ。

取材前日、日の暮れかかった頃に宿泊先の休暇村南淡路に到着し、その晩はまさかそのホテルから見えるとは思っていなかったのだが、翌朝、日の出前に部屋の窓から外を見やると、福良港を挟んだ向かいの大見山に▲のシルエットがぽっかりと浮かび、こりゃ尚更行かずんばなるまいという気にさせてくれたのだった(偶然にもホテルから近いところにあったおかげで行かせてもらえたとも言える)。それにしても早朝の福良港で漁船が先を争うように出航していく様子は、眺めていてなかなか楽しいものがあった。

しかし、肝心の若人の広場に関しては、本当に短い時間に早足で一通り見て回るだけで終わってしまったので、あまり感想らしい感想を書く気にはなれない。というか、2年前に akanemさんから借りた感想メール以上の言葉を自分では見つけられないというのが正直なところ。私が見せられるものといえば、これも早足のため雑にしか撮れてはいないのだが、2月始めの朝の若人の広場の空気を伝える写真くらいだろうか。

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ただ、幾つかのブログで丹下さんがこの記念館のことを公表しなかったという情報に触れ、それがなぜかということを知りたくなったので、「丹下健三氏、没」のエントリーでも余談で紹介した¥28,500- の大著: 丹下健三・藤森照信著『丹下健三』を閲覧しに天六の住まいのミュージアム・情報プラザまで行ってきた(やはり買えん>汗)。

すると、当時の設計担当だった神谷宏治氏と藤森氏が1998年に行った談話が掲載されていて、それによってなぜ丹下氏が公表を拒んだのかの理由を伺い知ることができた。その談話部分のみ抜粋することにしよう。

神谷:あの施設の主体は動員学徒援護会という文部省傘下の財団法人で、戦没学徒を記念し慰霊するというわけだから、丹下さんは意気込んで設計したわけです。いよいよ完成して引き渡し、そのオープンの記念式典の案内状が届いた。主催者として記されていた名前は、岸信介、奥野誠亮など、いずれもいわゆる右翼と呼ばれるような戦中に指導的な地位にあった政治家です。当日、岬の下を自衛艦が航行し、観閲式もある、と書いてある。全く予想もしてなかった内容だけに、丹下さんは“私は行かない”といって、オープンの式典に欠席です。だから、発表もされずじまいでしたね。

なるほど政治的背景によるものだったのかという感じで、しかし、それによって公表の機会まで自ら取り消すというのは、当時の思想的な時代情況もあったのかもしれないけど、やはり「学徒として戦争に‘生き残った’丹下」氏の直接的な個人体験がよほどの怒りへと繋がっていったのだろう。

ただ、「家づくり」という経験を通して、建築家の意志(魂)よりも、その建物がその建物として姿形を変えながらも逞しく生きていくその住/築歴(霊)を重んじるようになってしまった私としては、仮に岸信介の孫の安倍晋三が主導することになろうとも、この広場の復興(そして学徒のともしびが消えないこと)を願うばかりである。

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【参考リンク】
動員学徒記念 若人の広場復興委員会
・神戸観光壁紙写真集:戦没学徒記念 若人の広場 壁紙写真
・JANJAN:廃墟になった「戦没学徒記念若人の広場」(2005.06.21)
・ポリタン・コスモ:戦没学徒記念館_by_丹下健三(2005.01.08)
・あさみ新聞:戦没学徒記念 若人の広場(2005.04.30)
・ALL-A:戦没学徒記念館 若人の広場01(2006.2.14), 02(2.15), 03(2.17)
・東海秘密倶楽部: 未だ消えず、阪神淡路大震災の傷跡 〜戦没学徒記念 若○の広場〜 前編/後編
・おとなしやにっき。: 戦没学徒記念 若人の広場(2007.05.02)

【写真】2007.02.05 09:00前, 兵庫県南あわじ市・戦没学徒記念 若人の広場にて

by m-louis : 2007.02.15 09:00
comment

藤森照信先生の講演会でこの話を聞きました。

ものすごく簡単に言うと、ピースセンターのような反戦施設だとおもって気合いを入れてつくったら、靖国神社/遊就館的施設だった。
だから、その存在を消そうとした。そういうことなのでしょうね。

この建物が、忘れ去られ、放置され、なかば廃墟になりかかっている現状こそが、丹下健三の戦没慰霊なのかもしれません。力強い建築だなぁ。

私としては、「公表されなかった」という履歴を尊重して、靖国的再建はご遠慮してもらいたいです。むしろ、右も左も無く、ただ単に「反戦・平和」な形にしてほしい。

まぁ、どちらにしても安倍さんは、時間的に無理っぽいですね。

by hira : 2007.02.21 02:31

「CasaBRUTUS」の今月号で絶滅建築リストに挙がっていましたね。
今年こそは訪れてみたいです。

ほかにも淡路島にはいくつか近代名建築が埋れています。

by ちはる : 2007.02.21 07:04

>hiraさん

反戦施設かと思ってたら靖国的施設だったというオチって単純化した話とはいえ、あるもんかな〜と思ってしまうところもあるんですが、丹下さんほどの存在ともなるとクライアントとの意思疎通が事務処理的になってしまうもんなんですかね〜。それとも本当に思いっきり最後のどんでん返しで騙くらかされてしまったのか?(汗)

ところで「若人の広場 復興委員会」のサイトを見ると、廃墟化とはいっても実際的には地元の有志が草刈りしたり、町からも予算措置が取られたりと、ギリギリのところで我々が訪ねることのできる状態が維持管理されているようですね。私の場合、アジアの辺境なら話はまた別ですが、少なくともこの日本という国においてはむしろそうした人の好意が寄せられ続けているというところにその建築の力強さを感じてしまいます。

ちなみに私が広場の復興を願うのは、あの場所を訪れる人が建築マニアと廃墟マニアだけであっては欲しくないからです。もちろん復興したとしても地の利が良いわけではないので、そんなに多くの人は来ないでしょう。それでも戦争を知る最後の世代(まさに学徒だった人たち)が消え去ろうとしている今、戦没した学徒のともしびをもう一度灯し、それを次の世代にも伝えていけるのは、やはりあの建造物が建造物として存在していてこそであると思います。極端なことをいえば、政治や思想は所詮は風化するとでも言いますか。。

>ちはるさん

「CasaBRUTUS」情報、感謝! しかし、絶滅建築リストですか〜(汗)

淡路島は今回ほとんど同行者の運転する車の中から外を眺めるってことしかできなかったのですが、まあ、停まってのんびりしたいな〜と思えるところが一杯ありました。

今度は自分の足で行ってみねば!です。でも、車じゃないと若人の広場は大変そう。

by m-louis : 2007.02.22 04:11

Flickrの更新で知りました。いろんな事情のあったことも、このブログで初めて知りました。
最初に訪れたのは1968年のちょうど2月、水仙見物の途中に立ち寄りました。
有名建築家の建築を見ても、心から感動することは稀ですが、このときは、同行数名とひとわたり見学したあと、シンボルの灯の場所までひとり戻り、しばし佇んだことを覚えています。何を想ったかは忘れてしまいましたが・・・

by e_fan : 2007.02.23 13:03

>e_fanさん

flickr でもコメントしましたが、1968年に行かれてるって本当に貴重だと思います。

実際、現在ブログで「若人の広場」情報を見ることはできますが、そのほとんどは震災以降のレポート(つまり慰霊碑にともしびの灯っていない)です。

それと「シンボルの灯の場所までひとり戻り、しばし佇んだ」というお話、私もあのときにここは一人でじっくり時を過ごしたいなと思ったのでわかるような気がします。仲間と一緒というのもいいですが、時に一人になる時間ってとても大事ですね。

by m-louis : 2007.02.24 04:36

現代の名建築、旧戦没学徒記念館の保全・再生をさせるよう関係方面へ呼びかけています。後世に悔いを残さないためにも都市遺産の保全・活用を、かけがえのない現代建築は開発的保全再生を図るようご支援をよろしくお願いします。

by 近現代建築史研究会 : 2008.07.27 08:38

空家で、放置されていますが、南あわじ市の旧戦没学徒記念館は、文化財クラスの優れた現代名建築です。現在保全・再生するよう要望しています。後世に悔いを残さないためにも優れた都市資産の保全活用を、かけがえのない現代建築は開発的保全再生を図るようご支援をお願いします近現代建築史研究会。

by no-name : 2010.09.14 22:20









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