ただ、その翌日、「ホームレス文化」の小川てつオ氏が「去りがたい夜」と題して、撤去の約2週間ほど前からテント村で描いた絵を展示するということで、それを見に行ってきた。とはいっても私、これまで長居公園という場所に行ったことがなく、加えて前日の撤去の映像もまるで見てないので、かなりピンボケ状態での訪問だったと言っていい。それでも公園内に入ると、昨日の出来事を話題にしていると思われる人たちの姿がそこかしこで見られ、まだ何となく前日の気配は残っているようにも感じられた。
テント村のあった場所はフェンスで囲われ、そこに「安全第一」と書かれた白い工事用シートが張られ、中が見えにくいようになっていた。てつオ氏はそのフェンスの手前に絵をビニール紐で括り付けて展示していた。聞けば警備の人に注意はされたらしいのだが、ねばり強く交渉したら諦めて立ち去っていってしまったらしい。私が到着したときにはちょうどギャラリーがたくさん居て、てつオ氏は質問を受けていたので、しばらく遠巻きにボーッと様子を眺めていた。するとまあ、人のよく通ること。夕方4時くらいの時間帯。もちろん通勤通学や散歩でここを通る人もいるのだが、ウォーキングというものがこれほど流行ってるとは知らなかった(ただし、ウォーキングの人たちは絵の前を通ってもほとんど立ち止まって見ようとはしない)。
その後、写真を撮らせてもらいながら話の輪に加わると、支援者の方が来られたり、昨日までそこでテント生活をされてた方も来られたり。その方が昨日と今日の各紙新聞を持ってられたので、それを見せてもらってようやく撤去時の状況を知る。といっても、そこでてつオ氏含む皆の話に耳を傾けていると、どうやら新聞に掲載された情報にはそれぞれ不満があるらしい。もちろん各新聞社によってそのスタンスは異なるわけだが、どの記事も撤去時の最も過激な側面ばかりを取り上げて、決まり切った騒動の枠組みに話を落とし込もうとしているということのようだった。
とりわけ舞台上では必ずしも抗議行動一辺倒ではない、「争いではなく、話し合いの場を」求めたユーモア溢れる表現活動が繰り広げられていたようなのだが、そうした側面に注目する記事は少なく、専ら抗争をベースにその是非を問う定型文ばかり(読売新聞では「同じことの繰り返し」という見出しが躍るが、そもそもその書き方において「同じことの繰り返し」をしているのが新聞メディアである)。結局、それが大手メディアの構造的限界を指し示してしまっているのかもしれないが、だとすれば、ブログなどの個人発信メディアの果たせる役割の一つは自明だと言ってもいいだろう。
ところで、てつオ氏の絵を見ていたら、彼が1998年に妻の実家のある総領町でやっていた「こんにちわテント」のことが思い出され、何だかとても懐かしい気分になってしまった。あの頃、居候ライフをしていた彼はその後いつしか代々木でテント生活を始め、その話を聞いたときには「アレ? ある意味、定住者になってしまったのか?」とどこか納得のいかない気分にもなったのだが、彼は別に定住/移住ということをテーマにしていたわけではなく、おそらくは誰もが単純に思うように、豊かな暮らしを求めてホームレスになったのだろうと最近は思うようになった。
それは「こんにちわテント」で、「コウホ地」と言って「テントを張りたい場所を探」し、その「利点・欠点」を考察していたのと基本的には変わらないことだったのかもしれない。というか、テント村に定住する(長期的時間軸を得る)ことによって、より社会化したというべきだろうか?
彼が2005年に始めたブログの最初のエントリー「ホームレスということ」からは、すでにそうした方向性が酌み取れると同時に、なぜそのブログのタイトルが「ホームレス文化」というのかも理解できるものとなっている。また、彼はできることならば、また大阪に来たときや来年の2月5日に同様の展示を長居公園でやりたいと話していた。
【参考】「長居公園テント村強制撤去問題」に関連リンク含む詳細情報
【写真】2007.02.06 16:00前後, 長居公園テント村跡地前にて
【追記】下から二番目の写真の、人物が並んで描かれている絵は、てつオ氏と共に応援に来られていたいちむらみさこさんの描かれた絵です。彼女のブログや、てつオ氏のお兄さんが運営されてるキョートット出版でも長居公園のことが取り上げられてるので、是非ご覧ください。
ブルーテント村とチョコレート:長居公園テント村「劇団パニック」と、(2007.2.8)
キョートット出版:長居公園の芝居のこと(2007.02.18)
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