2007年02月06日 (火)

長居公園テント村跡地にて

2月5日、大阪・長居公園のテント村が市の行政代執行によって強制撤去されている。
当日は各種報道番組などでも盛んに取り上げられていたらしいのだが、生憎その日、私は大阪に居なかったもので、その撤去中の映像情報に生で接することはできなかった。
(といっても、YouTube で「長居公園」検索すれば幾つか出てくるので確認は可能)

ただ、その翌日、「ホームレス文化」の小川てつオ氏が「去りがたい夜」と題して、撤去の約2週間ほど前からテント村で描いた絵を展示するということで、それを見に行ってきた。とはいっても私、これまで長居公園という場所に行ったことがなく、加えて前日の撤去の映像もまるで見てないので、かなりピンボケ状態での訪問だったと言っていい。それでも公園内に入ると、昨日の出来事を話題にしていると思われる人たちの姿がそこかしこで見られ、まだ何となく前日の気配は残っているようにも感じられた。

テント村のあった場所はフェンスで囲われ、そこに「安全第一」と書かれた白い工事用シートが張られ、中が見えにくいようになっていた。てつオ氏はそのフェンスの手前に絵をビニール紐で括り付けて展示していた。聞けば警備の人に注意はされたらしいのだが、ねばり強く交渉したら諦めて立ち去っていってしまったらしい。私が到着したときにはちょうどギャラリーがたくさん居て、てつオ氏は質問を受けていたので、しばらく遠巻きにボーッと様子を眺めていた。するとまあ、人のよく通ること。夕方4時くらいの時間帯。もちろん通勤通学や散歩でここを通る人もいるのだが、ウォーキングというものがこれほど流行ってるとは知らなかった(ただし、ウォーキングの人たちは絵の前を通ってもほとんど立ち止まって見ようとはしない)。

その後、写真を撮らせてもらいながら話の輪に加わると、支援者の方が来られたり、昨日までそこでテント生活をされてた方も来られたり。その方が昨日と今日の各紙新聞を持ってられたので、それを見せてもらってようやく撤去時の状況を知る。といっても、そこでてつオ氏含む皆の話に耳を傾けていると、どうやら新聞に掲載された情報にはそれぞれ不満があるらしい。もちろん各新聞社によってそのスタンスは異なるわけだが、どの記事も撤去時の最も過激な側面ばかりを取り上げて、決まり切った騒動の枠組みに話を落とし込もうとしているということのようだった。

とりわけ舞台上では必ずしも抗議行動一辺倒ではない、「争いではなく、話し合いの場を」求めたユーモア溢れる表現活動が繰り広げられていたようなのだが、そうした側面に注目する記事は少なく、専ら抗争をベースにその是非を問う定型文ばかり(読売新聞では「同じことの繰り返し」という見出しが躍るが、そもそもその書き方において「同じことの繰り返し」をしているのが新聞メディアである)。結局、それが大手メディアの構造的限界を指し示してしまっているのかもしれないが、だとすれば、ブログなどの個人発信メディアの果たせる役割の一つは自明だと言ってもいいだろう。

ところで、てつオ氏の絵を見ていたら、彼が1998年に妻の実家のある総領町でやっていた「こんにちわテント」のことが思い出され、何だかとても懐かしい気分になってしまった。あの頃、居候ライフをしていた彼はその後いつしか代々木でテント生活を始め、その話を聞いたときには「アレ? ある意味、定住者になってしまったのか?」とどこか納得のいかない気分にもなったのだが、彼は別に定住/移住ということをテーマにしていたわけではなく、おそらくは誰もが単純に思うように、豊かな暮らしを求めてホームレスになったのだろうと最近は思うようになった。

それは「こんにちわテント」で、「コウホ地」と言って「テントを張りたい場所を探」し、その「利点・欠点」を考察していたのと基本的には変わらないことだったのかもしれない。というか、テント村に定住する(長期的時間軸を得る)ことによって、より社会化したというべきだろうか?

彼が2005年に始めたブログの最初のエントリー「ホームレスということ」からは、すでにそうした方向性が酌み取れると同時に、なぜそのブログのタイトルが「ホームレス文化」というのかも理解できるものとなっている。また、彼はできることならば、また大阪に来たときや来年の2月5日に同様の展示を長居公園でやりたいと話していた。

【参考】「長居公園テント村強制撤去問題」に関連リンク含む詳細情報
【写真】2007.02.06 16:00前後, 長居公園テント村跡地前にて
【追記】下から二番目の写真の、人物が並んで描かれている絵は、てつオ氏と共に応援に来られていたいちむらみさこさんの描かれた絵です。彼女のブログや、てつオ氏のお兄さんが運営されてるキョートット出版でも長居公園のことが取り上げられてるので、是非ご覧ください。
ブルーテント村とチョコレート:長居公園テント村「劇団パニック」と、(2007.2.8)
キョートット出版:長居公園の芝居のこと(2007.02.18)

by m-louis : 2007.02.06 16:00
comment

どうもこんにちは。展示の時は来てくれてありがとう。そして、こうして書いてくれてありがとう。M類さんは、ヌターとして感じでやってきて、時を過ごし、さっていく感じが、変わんなくて、あえてうれしかったよ。
展示のことで補足しておくと、中の数枚はいちむらみさこさんの描いた絵です。人物が並んでかいてある絵とか。職員は思ったより、ゆるかったな。こんなことされたら困る、と言っていたけど、絵を飾っているだけ、6時ころには片付ける、というと、早く撤収してください、と言いながら立ち去り、後は何も言わなかった。フェンスに張ったシートをまくって中をのぞく人もけっこういて、翌日ということもなり、関心がある人が多かった。何時間も話しこんでいく人や、カンパをくれる人もいた。かなり手ごたえのある展示だったな。テント村がなくなったら、自分にとったら、急につまんない公園になっちゃった、という感慨があって、住んでいる人だけじゃなくて、テント村をなくすというのは、本当は実にもったいないことなのになぁ、と思う。すでに、ある意味名所なんだし、祭りをしたり野菜を売ったり、交流の場になっていて、それを利用していくくらいの発想が行政にもあれば、政治って面白くなるのに。と話はずれたが、撤去当日の警備員を前に上演した演劇は、めちゃくちゃ、面白かった!!。それに新聞は触れてなかったので、腹が立つやら呆れるやら。でも、これから、そこらへんのことは、小さなメディアの人たちが出していくと思うので、注目してほしい。ぼくもブログに、なんか書こうとして、日にちがたっているけど、書きます。

こんにちはテント、懐かしいねぇ。でも、先日、いままで作った手作り本の展示をしたから、その時読み返したよ。なんか繊細で、ちとナイーブで、ほほえましい感じがした。M類さんのいうような内容のこともさることながら、この状況の中で、自分のできることは何だろう、と考えて、それに向けて手探りでやってみる、という、その気分が、けっこう似ていたな。長居では、住んでいるテントを全部描くというのが、一番の課題だった。それには、関係もできてないと描けないし。当然だけど、撤去に近づくとテント村はピリピリしてきていた。とにかく、なかったことにはされたくないし、残すことで、それを使って、次につなげていけるようなことをしたかったし、またできたらいいなぁ。ささやかなんだけどね。

ではでは、また。お元気で。

by てつオ : 2007.02.23 14:30

>てつオ氏

ヌターとって(笑)

いや、でも、長居公園も長居駅も初めての場所で、帰り違う道を通って駅まで戻ろうとしたら、えらい安いたこ焼き屋が出てきて、それを買って差し入れに戻ろうか、それともTVが大事か?と、結局TVを選んでしまったんだが、結果的に見られなかったんでたこ焼きを選んでおけばよかったよ。

ともあれ、長居公園で立ち話してるフツウっぽい人の話を聞いてても、確かにそこがちょっとしたコミュニティの場になってたのに・・という残念感は感じられた。もちろんそれは長居が特に開かれていたというところもあるのかもしれないけど、割と大阪は市民とホームレスの距離が近いような気はする。最近いなくなっちゃったんだけど、我ら夫婦も前は大川沿いにテント張ってるオッちゃんに自転車の修理頼んでたし、いなくなったらなったで心配になるしという感じでね。あと、いちむらさんも絵を描かれてたことは話聞いてたのに書き落としていたので、追記しておきました。

こんにちはテントが展示されてた話はその展示写真と共にA氏から聞きました。

確かに今のてつオ氏からしたら初心な感じのするもんなのかもしれないね(笑)

ただ、今回の長居で「住んでいるテントを全部描くというのが、一番の課題だった」というのはすごく胸に響きました。それは本当に大変な作業だったと思う。と同時に今の世の中で最も重要なこと。ほとんど何の取っ掛かりもなく行ってしまったけど、それをこのブログで紹介できて光栄です。というか、全部ネットに挙げておくべきだね。

それはのちほど flickr という写真共有サイトでアップしていくつもりです。

by m-louis : 2007.02.24 05:51









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