この写真はチャングムテーマパークへ行くのに議政府北部駅から乗ったタクシーの中から撮影したもの。走行中なだけにかなりの無茶撮りではあるが、屋根裏部屋(?) 手前にあるバルコニーの、何とな〜くプリティな様子が気に入って flickr にアップしていた。
しかし、前々エントリーの「K的臭突」でもそうだったように、韓国の建物は日本のそれと較べて妙にスケール感の小さな建具や設備を見掛けることが多い。この写真の民家の場合でもバルコニーに出る扉がどう考えても小さい。日本の茶室の躙り口(にじりぐち)に毛が生えた程度の、肩を窄めて潜らないと出られないくらいの大きさである。
・・と書いたところで、試しに「茶室」を Wikipedia で確認してみたところ、
にじり口は、千利休が河内枚方の淀川河畔で漁夫が船小屋に入る様子を見てヒントを得た、とされる。朝鮮半島の民家からヒントを得て考案したという説もある。しかし、にじり口の原型とみられる入り口は、武野紹鴎の時代の古図にも見られ、また商家の大戸に明けられた潜りなど同類の試みは多種見られることから、利休の発明とは言えない。
と、諸説あるうちで「朝鮮半島の民家からヒントを得て考案した説もある」ことを知る。ま、だから「バルコニーの躙り口」というタイトルを付けたというわけではないのだが、私のように本格的な茶室で茶を嗜んだ経験のない者にとっては、この写真の戸口と茶室の躙り口が、ある点でそんなには違わないものに感じられてしまう。
要するに「狭い戸口を肩を窄めて潜る」という所作には、それが「出る」という行為であれ、「入る」という行為であれ、どこかしら子供の時分から持ち合わせている悪戯心を擽るようなところがあるように思えてならないのだ。秘密基地への侵入とでも言うともう少しわかりやすいだろうか? ただ、そのことを妻に話してもあまり理解は得られなかった。そのことからつい話がジェンダーへと傾きそうになるが、時の厚生労働相の二の舞は御免なので、ここで話は止めておくことにしよう。
それにしても彼の失言は、ル・コルビュジエの「家は住むための機械である」を知っててのものだったのだろうか。だとしたら、もうちょっと気の利いた言い訳でも考えついたようにも思うのだが‥‥。
【写真】2006.11.23 13:44, 韓国京幾道議政府市・タクシー走行中の車内より
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