2009年06月30日 (火)
アクセス検索ワード2009.06
通常ランク外の「川端」「針江」「滋賀」「琵琶湖」というキーワードがドドッと入り込んできた。これは琵琶湖北西部の高島市新旭町針江地区の川端(かばた)のことがテレビ朝日系列の「素敵な宇宙船 地球号」という番組で<「日本こころの百景」〜其の三 琵琶湖水物語〜>で6月7日に放送されたからだろう。
最初にこの地を取り上げた NHK の番組に較べると軽い作りではあったが、それでもこの素晴らしい集落の持つ力というべきか、懐かしい気持ちで番組を見ることができた。良いのか悪いのかわからないけれども、この集落の水や生き物や人や風景がどれも強烈なキャラクターを持っていて、2ch の実況を追っていると、お!あの川端の鯉!あそこの水車!三五郎さん!といった具合にパーツパーツで盛り上がれてしまう。三五郎さんのことを指してパーツと書くのは失礼かと思いつつも、しかし彼は確実にあの集落の一風景として存在している。まずご健在であるところが見られたのが嬉しかった。
2008年08月27日 (水)
空を川中から眺める
2008年8月17日 9:53, 広島県庄原市総領町/田総川, SANYO Xacti J4
家づくり、行ったり来たり「雨を下から眺める」にて、garaikaさんはご自宅のガラス屋根に落ちる雨粒がおりなす波紋を眺めながら、「池の中の魚はこのような風景を見ているのだろうかなどと想像」され、雨の週末を楽しむ方向に持って行かれている。何という大人の優雅さだろう(それが「貧乏性」と結びつけられるところがまた面白い)。
それに引き換え、お盆に妻の実家で自分のしてきたことと言えば、何とも子供じみたというか、Google Map のストビューじみた露見趣味である。川の中で魚が見ているだろう風景を、とあるオモチャを使って撮ってきてしまったのだ。
2008年06月30日 (月)
アクセス検索ワード2008.06
2006年11月11日 13:25, 滋賀県高島市新旭町, Minolta DiMARGE G400
一宮市博物館で開催された特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」も6月1日を以て無事終了。と終わってみたら、あっという間に「丸井金猊」キーワードは圏外14位に転落。
先月の予感的中で、やはりまだまだ企画あってのものなんだな〜と実感。
その一方で「針江」「川端」と出てきたのは、6月6日に NHK のアンコール放送「ふるさとをもう一度愛せますか〜琵琶湖畔・水を守る農家の6か月〜」があったからだろう。また行きたいな〜。新旭町。
2008年01月31日 (木)
アクセス検索ワード2008.01
2005.10.24 16:14, 徳島県徳島市(徳島港), MINOLTA DiMAGE G400
「無印の家」がランクイン。それにしても最近は近所の100円ショップがどこも充実してしまっているので、無印良品行く機会ってまるでない。まあ、谷中から東京港→徳島→和歌山とフェリーで経由し、和歌山からは漕いで帰った無印の電動アシスト自転車のお世話には日々なっているのであるが‥‥。
2007年02月15日 (木)
戦没学徒記念 若人の広場
仕事の取材だったものの、淡路島に初めて行くことになり、同行取材者にお願いして、ほんのわずかな時間ながら丹下健三が1966年に設計した「戦没学徒記念 若人の広場」を見てくることができた。「若人の広場」は一昨年の3月22日、丹下氏の訃報に接し、「丹下健三氏、没」という追悼エントリーを書いたとき、akanemさんが撮られた写真を借りて感想メールと共に紹介した場所である。あれからもう2年が経つんだなぁ。
2007年01月14日 (日)
ミカンと潮風
総領の義父は数年前から畑の焚き火場脇に種から育てたミカンとポンカンを植え、ワシが生きとる間に育つかの〜と言いながら、その発育具合を楽しんでいる。ただ、義父が言うには冬の寒さの厳しい総領では実を実らすのが難しいばかりか(実際、冬場は防寒用に上の写真のような袋を被せている)、仮に実がなったとしても、甘ない(あもーない)ミカンにしかならんだろうという。
2007年01月05日 (金)
初霜総領
総領に初霜が降りたから「初霜総領」というタイトルにしたわけではない。
毎年元旦明けて2日に帰省する総領で、初めて雪の降らない正月を過ごし、その代わりに初めて霜の降りた田畑を目にする機会を得たので、そういうタイトルになった。
それにしても大阪のアスファルトジャングルに住んでると、霜自体見る機会がまるでなくなってしまった。三鷹に住んでた頃は霜をザクザク踏み潰すのが好きだったのだが、ひょっとして温暖化により、都心部で土のあるところでも霜はもう降りてなかったり?
新幹線から低気圧を
10月22日の「雨音と共に終了す」のエントリーでも書いたように、芸工展自体の最終日は終日雨が降り続いていた。ただ、谷中M類栖/1f はその日を片付け日に当てていたので、雨のおかげでどこも出掛ける気にもならず片付け作業に集中できたとも言える。雨が降っていなければ、おそらくは近場で行き損ねていた時夢草庵と午後からしかやっていなかった谷中ホテルを見に行ってしまって、片付け作業も一日で済ませて24日の昼過ぎに帰阪の途に付くこともできなかっただろう。
2006年07月29日 (土)
朝鮮人街道、高麗橋まで
LBGO「近江八幡日帰りの旅・その3」で京街道商店街の丁稚羊羹で有名な紙平老舗のことが書かれているのを読んでいて、お店のご主人から教わった話を一つ思い出した。
それはその商店街のある京街道が近江八幡〜彦根あたりまでにかけて朝鮮人街道とも呼ばれているということについてである。ちょうど市立資料館を出て、商店街へと向かう途中に「朝鮮人街道」と書かれた石碑があり、その脇には近江八幡観光物産協会による以下のような説明書きがなされている。