2006年03月11日 (土)

赤穂と日生〜古さ考

最近にわかに温泉&城めぐり趣味を持った妻に付き合って青春18きっぷで赤穂日生に日帰りで行った。赤穂は言うまでもなく赤穂浪士と塩田の有名な城下町で、赤穂城跡と赤穂温泉の宿「潮彩きらら 祥吉」を中心にレンタルサイクル(1日200円)で回った。
個人的に赤穂浪士や忠臣蔵に特に思い入れがないので、感慨を持っての観光は難しい。加えてこの日、天気予報では日中20度近くまで気温が上がるということだったのに、実際は物凄い濃霧で気温がまるで上がらず、春の装いで寒空のもとをチャリで風を切って走らなければならないという、非常に苛酷な一日となってしまった。

さくら組のピザだから妻が事前にチェックしていた赤穂で人気のピザ屋「さくら組」に入ったときにはその店がピザを石窯で焼いているだけに店内が非常に暖かく、もうずっとそこに居たいと思ってしまったくらいである。とはいえ、人気店なだけに外で待ってる客も居るので長居をするわけにもいかず、ピザ一枚を二人で分けて食べ終えたら早々に店を出るしかなかった。ちなみにこのピザ屋で食べた100%水牛のモッツァレラの入ったマルゲリータ インテグラーレはこれまで食べてたピザって何?って思いたくなるくらいに超激ウマ♪ 値段は2300円とそれなりだけど、それも充分許せる味。たぶんこの100%水牛ってところがミソなんだと思う。これから100%水牛にはこだわってしまいそうだ。

続いて行った日生は妻の実家に18きっぷで帰省する際、播州赤穂線に乗ると途中で停車する駅(赤穂と岡山の間にある)で、日生(ひなせ)という読み方がまずは気になり、あとは駅のホームからでもそこがひなびた港町であることが伺え、以前から一度下車してみたいと思っていたところなのである。

ここも事前に妻がこの町は牡蠣のお好み焼き「カキオコ」が有名ということをチェックしていて、夕飯を食べる場所探しの延長で町中散策をしていたのだが、想像通りのひなびたぶりで、大いに私の撮影欲を掻き立ててくれた。まあ、夕方暗くなりかけていたのが一つ残念なところではあったが。。

ところで「虫の詩人の館*ファーブル昆虫館」のエントリーで私は「現代建築にはほとんど興味がない」と施主ブログにはあるまじき言明をしていたが、この赤穂と日生の旅を通して少しその言い方を改めなければならないと思ったのだった。それは次のような形で書き表すことができるだろう。

私は「現代建築にはほとんど興味がない」
     ↓
私は「新しく建てられたばかりの建物の外観にはほとんど興味がない」
私が「新しく建てられたばかりの建物で興味があるのは主に内装である」
現代建築の多くは「まだ新しく建てられたばかりの建物である」
現代建築でも「築後30年経ったものであれば、興味の湧く建物になる可能性は高い」
私が「古い建物に興味を持つのはそこに人が残した染みや垢が積もっているからだ」

以上、言語ゲームめいた記述になってしまったが、こうした言辞を大いに実感させられたのがまず赤穂の城下町として再整備された目抜き通りを見てであった。それは去年の夏に彦根に行ったときにも同じ印象を持たされたのだが、この二つの町が観光PRを意識して都市計画の基準においたのが「城下町」としての都市再生ということであろう。

ところが私はそれによって再創造された「古さ」を新しく装った町並みにまるでカメラのレンズを向ける気になれないのである(実は冒頭の写真はブログ用にと渋々撮っておいたものである)。このことは都市部で新しく建てられた現代建築に対してもほぼ同様なのであるが、いずれにせよ、そこで私が写真を撮るか撮らないか、つまりは興味や愛情を持って接することができるかどうかは、建築物のタイプや性質といったものよりも建物の年季によって決まってくるということがはっきりとわかった。

それをさらに実証してくれたのが、ひなびた港町・日生である。先述したようにこちらに到着したときはすでに夕方で徐々に暗くなり始めていた頃だったのだが、海岸通りを歩くと斜面には無理無理増改築を繰り返しながら現存している野蛮な住居群が見えて来たり、路地を歩けばそこに住む人々の生活上の知恵や工夫から汲み取られていったであろう意匠や小細工を至るところで見掛けることができる。それに対してはもうたとえ暗くてぶれてしまってもカメラを向けずにはいられなかった。

もちろんここで「写真を撮る」という行為が建築論(またはまちづくり)とどう関わるかという問題は別にあるということは承知しておいた上で、私は私自身の問題として断言しておきたい。私は新しく建てられた建物の外観上の良し悪しを言うためには少なくともその建物が建ってから2、30年は経ってくれないと何にも言えない。それは現代建築だろうが「古さ」を装った建物でも同様で、とにかく30年経って勝負に来い!と言いたいし、谷中M類栖も30年経ってからが勝負だと思っている。

ただ、どうも最近の住宅というのは耐久年数30年を目安として建てられているようで、それじゃ〜一体いつ勝負すりゃエエねん!とツッコみたくなってしまうのであるが。

by m-louis : 2006.03.11 10:00
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2006年03月26日 04:33
春の日帰り旅行・その1
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comment

冒頭の写真、m-louisさんっぽくないと思ったらそういうことでしたか。
最近、当方の近所にでかい和風建築(料理屋)ができたのですが、それが和風なのは、見事に外側だけ。中身は純鉄骨づくり(笑)です。「伝統」のうわっつらだけなぞるのはげんなりします。最初のうちはよくとも、そのうち、徐々にニセモノ感がでてくるのでは、などと思ってしまいます。

30年経ったら、という話はまさに私も考えるのですが、たまに、新築時点で、30年後を見てみたい、なんていう家もあるんですよね。
私にとっては金平糖さんのところなんかはソレです。

by garaika : 2006.03.28 23:01

>garaikaさん
新築時点で30年後を楽しみにさせる家というのは私が書いてた言語ゲームの定義からは外れますね。そうなると当然 garaika邸もその範疇に入ってきます(笑)

しかし、観光を目的とした都市計画で町並み保存と称して「伝統」のうわっつらだけなぞる状況はこれからむしろ増えて行きそうな気がしています。勘違い行政とそうでないところの差が広まるばかりなのでしょうか。地方の良さが妙な心意気で壊されないと良いのですが。。

by m-louis : 2006.03.29 14:15

どこまでが勘違いで、どこからが勘違いでないか。日々その境界線を見極めるべく仕事に邁進中のあさみです。
30年というかなり具体的な数字が、m-louisさんのどこから出て来たものかに大変興味があります。もしかして、あと数年して40になったら40年と修正しはるんだろうか、などと考えました。ま、そもそもが29じゃだめで31なら余裕でOKというような話ではないと思うので、こだわる方がおかしいとも思いますが。

by あさみ編集長 : 2006.04.11 19:33

>あさみ編集長さん
30年は上でコメントされてる garaikaさんもよく書かれてるところのものですが、このエントリーでその数字が出てきたのは WBC で活躍したイチローの「向こう30年は・・」発言に釣られてのものなのでした(笑)

何でしょう? 外観上で問うているのはおそらく周囲にどう馴染んでいるか?(あるいは馴染まずとも何か思わずにはいられなくなる存在感を持ち続けているか?)といったあたりなんだろうと思います。それを確認できるようになるまでには最低でも10数年、できれば20年、30年は欲しいなといったところなのであります。

ですので、現在真新しい赤穂の目抜き通りの町並みが30年後どうなっているかは、それはそれで関心を捨ててないところでもあります。

by m-louis : 2006.04.11 23:06

>現在真新しい赤穂の目抜き通りの町並みが30年後どうなっているかは、それはそれで関心を捨ててない

この議論の形に、m-louisさんの見識を感じます。なんていうか論理と感情に破綻がないところが理知的。論理と感情に破綻がないって当然と思われるかも知れませんが、世間を見渡していると、結構珍しいものです。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。

by あさみ編集長 : 2006.04.12 10:41

ちなみに、自己分析してみると、私は20年でも30年でもいいのですが、30年という数字をちょくちょく使うのは日本の住宅の「寿命」が約30年と言われていることを何となく意識しているように思います。

長く持ったモノは、その長さがもたらしたなんらかの価値があるだろう、という考えが底流にあります。
長さが生む価値は、当然プラス面だけでなくマイナス面もあり、マイナス面が大きく感じられるモノは寿命が短いだろうと思っております。
また、寿命が短いことに価値のあるモノもあるでしょうね。万博のパビリオンなどはそうかも。

by garaika : 2006.04.12 12:20

>あさみ編集長さん
まあ、最初からそういう思考法だったわけでもないのですが、例えば学生時代に散々バカにした隈研吾氏のバブル絶頂期 M2ビルが自動車ショウルームから葬祭場となったことで妙に味わい深い建物になったという経緯を経て、くだらんと直感的に思ったものでも疎かにはできないと考えるようになった次第です。
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000770.html

>garaikaさん
そうそう、30年という数字には昨今の住宅寿命年数の数字もありますね。
この数字、三鷹で築60年の家に住んでた者にとっては信じがたい話なんですが、、
だって、昔の家の方が何で今の時代に建てられた家よりも寿命が長いねん?
時代はすでに退化し始めてるということなのか?と。。
まあ、実際は性能を計る物差しが変化し、その変化によって現実的に30年持てば良いモノができてしまうという現状があるのでしょうが。。

ちなみに短いことに価値のあるモノといったら、万博のパビリオン同様、舞台の大道具なんかも似たもので、藤森照信氏がシラク大統領来日に備えて数週間で茶室を作ってほしいと細川護煕に頼まれたとき、俳優座の大道具を使って建てた「一夜亭」のことが思い出されます。しかし、寿命短い系の構築物は出来ることならリサイクル&移動可能性を兼ね備えてると+座布団10枚って感じはしますね(笑)

by m-louis : 2006.04.13 01:01









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