2005年05月22日 (日)
5/21(土) と 5/22(日) の2日にわたってブログ仲間の訪問を受けた。
5/21(土) はまったく想定外だったのだが、梅丘の「橡の家−特別見学会」で施主仲間と集まったとき、ふと garaikaさんは遠路はるばる出て来られてる訳だし(行ったり来たりの毎日には慣れられているとはいえ)せっかくの機会だから片付けも何もしてないけどお招きしてしまおうと思い当たったのである。ちょうどこの日は母も妹も出掛けているということだったので、そのことが招く側招かれる側どちらにとっても余計な気遣いがなくて済むなという判断も働いていた。
加えて梅丘から最寄り駅の千代田線根津駅はうまく乗れば一本で行けるってのも何となく自分から誘いやすい恰好の理由付けになってくれた。まあ、何はともあれ、ふだんほとんど人と会うことのない私は、人と話すのも誘うのも、まずは自分を納得させられるだけの動機を見つけられないとなかなか行動にまでは出られないのである(汗)
「橡の家」で朝妻さんとおさらばして garaikaさん、bsideさんと谷中へ。bsideさんは「ささやかなお披露目」のとき以来、二度目の訪問である。1Fから屋上まで手短に案内(というよりは誘導)して、その後、谷中ボッサへ行った。ここがフツウの施主と私の大いに異なるところだろうが、要は私はこの家に住んでないのでこの家がまったく使い切れていないのである。珈琲一杯入れようにもどこに何があるのかさっぱりわからない。どこに座ってもらったらいいかもパッとは思い付かないくらいなのだ。
そういう意味で、私は家が完成したときまでは施主だったかもしれないが、今はただの客とそんなに替わらない立場にいるようなものである。だから、事実これは一人のときでもそうなのだが、友人を招いても一番落ち着ける場所が家族がほとんど利用してない屋上ってことになってしまうのである。ただ眺めが良いとか風が気持ち良いという以外にも屋上が居心地良い理由が悲しくもあるのである。
5/22(日) の訪問は「田植え」コメントを見ればわかるように mitsubakoさんに苗を渡す目的で最初から想定されたものだった。mitsubakoさんは古くからの友人。ブログのおかげで互いの近況が見えやすくなり、前から谷中界隈の仲間を集めてオフ会やりましょうという話が持ち上がっていた。そんなことから「田植え」コメントでも書いてたようにうちの建築家の豊田さん、それから mitsubakoさんと親しい私も古くからの友人である池之端在住の Pruscillaさん、そしてお二人の友人で谷中在住の ayaさんと、ayaさんの言葉を借りるなら「合コンみたい♪」な夕食会になったのである。
豊田さんには事前に谷中界隈の友人紹介しますとは言ってたものの、性別までは伝えてなかったので、女性ばかりがお店で待ち構えていてちょっと驚いていたようだ。しかし食事の席では当然、私の知らないご近所ネタ噴出。あとはちょうど Pruscillaさんがヨーロッパ旅行に行かれたばかりだったこともあって海外の話が多かっただろうか?
+微妙に幽霊話にも話は及んで、そうすると当然また谷中とも繋がってくるわけだ。
食後は最初に Pruscillaさん宅を訪問。スコーンなどをいただいて一服してから、みんなで我が家へ。この日は母に友人が数名立ち寄るのでお茶だけ出してもらえるとありがたいと伝えておいたら、案の定、何やら色々茶菓子の類が出て来やした(笑)
もうこういう人を招いたときの母というのは得意満面の独壇場になってしまうのである。そんなわけでこの日は夜空の屋上に皆を案内したものの、屋上よりも2Fダイニングテーブル滞在時間が一番長いという結果になった。無論そこには母個人の接待趣味に因るところも大きいのではあるが、やはり友人を家に招き入れたとき、そこにその家の住人がいるのといないのとでは何かが大きく違うような気がしてしまった。
母は私の友人というやや遠い関係でありながら、それでも短い時間の中で家のことをあれやこれや楽しげに話していたのである。その話し口調は実は私が garaika邸オープンハウスを訪問したときの garaikaさんのそれを思わせるものがあり、ところが今回の私はそんな案内の言葉を訪問してくれた友人たちに対してまるで発することが出来なかったのである。それはちょっと寂しくもあるが、しかし悲観に暮れる話ではない。むしろこの家の建築計画に私は建築当初から住まないにもかかわらず首を突っ込みすぎてしまったことで、最初に住むはずの住人たちがこの完成した家を自分たちのものとして愛着抱きづらくなるのでは?と不安視していたのだが、その心配が無用だったことをこの日の母が証明してくれたのである。
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