どことなくその変遷が村人総出で手伝いに来た時代の家づくりを連想させます。「さなぶり」は云わば「棟上げ」にあたる行事だったのでしょう。しかし、近代化の波は過疎村の隅まで行き届き、我が実家の田植えもその例に漏れず、ほとんどの部分は田植機がやってしまい、手伝いといえば田植機に苗を移すとか運ぶとかその程度のものでした。
こちらは田植え前日の水田の様子。お隣りの水田はもう田植えが終わっていました。
前日夕方、ハウスを片付け、苗へ最後の水撒きです。相変わらず義父の専売特許。
そして当日、私たち夫婦が起きる前(朝7時前)にはすでに農薬が撒かれ(写真右の白い粒状のものが農薬)、準備万端の状態になっていました。
8時過ぎ、田植機が到着。義従兄弟のR三君が今年新しく買った田植機でやってくれることになっています。まずはトラックの荷台から田植機を降ろしました。
義父は苗のケースごとに底面に付いた土を払ってから田植機に載せていきます。
これが苗を田植機に載せた状態。背中の苗が少なくなったら手前の苗を補充します。
乗り切らない分は運搬車に乗せて田の畔に移動。義父はR三君に田植え位置を指示しなければならないので、ケースの土を払って運ぶ作業は途中から私が請け負いました。
田植えは水田の中程がやや深くなっているため、一部植え付けがちゃんとできずに同じところをやり直さなければならないこともありましたが、概ね順調のようです。
一往復すると補充分含めて田植機上の苗が切れる少し前の状態になるので、そこで新しい苗を畔から受け取って補充します。
田植機にセッティングされて不要になった苗用ケースを洗って乾かす作業は主に義母と妻がやってました。畔の横に水が流れているので楽チンです。
しかし、それらの作業が終わってしまうとあとはR三君の田植えの様子を見守るばかりで何もやることがありゃーせん状態です。昔は家族総出だったのに、田植機恐るべし。
二往復したところで10時のおやつ。とその前に私も田植機に乗せてもらってヤラセ写真を撮らせてもらいました。苗の受け渡し作業だけは本当にやってましたが。。
休憩後、再びR三君が残る列を順調に往復。完全カメラ目線で余裕のポーズ。
最後の列を終えてから手前と奥の隅を横列で往復させて田植機は11時でお役ご免。
帰り際にR三君と義父が「これで一段落付いたけぇ〜、あとは稲刈りまで一安心じゃ」と言ってたのが妙に印象に残りました。稲作って思ってたよりお気楽なんだろか?
残る作業は我ら家族で田植機が植えきれなかったところなどを手作業で埋め合わせ。
昔はこれをすべてやってたのかと思うと、そりゃ昔の老人は腰が曲がるのも頷けます。
作業は簡単な片づけを残して12時半で終わりました。
夕方、田んぼに出てみるとさすがにまだ田植機で掻き乱された水は濁っています。
が、翌帰阪前には濁りも落ち着き、透き通った瑞々しい水田となってました。
しかし、レポート途中でも書いたように、どうやらこの田植えが終わると本当に一段落付いてしまって秋の収穫までに一、二度、農薬を撒く程度の仕事しかないようです。その農薬も何やらボール状のダンゴを2、3個投げ込んでおけばそれで済むらしく、ましてや去年から水田まわりに猪等が入ってこないようにと部落ぐるみで感電性の電気柵まで設けているので、ホントに手が掛かりません。
こうした手間の掛からぬ状況を可能としたのがそれこそ知恵蔵からの引用で説明されている「水田」というシステムの威力なのだと思います。ある意味、建築基準法改正で条件付けられた24時間換気システムと似てるっちゃー似てるような、、水田ははるかに前から24時間換水システムを備えていたというわけですね(笑)
尚、余った稲を少しばかり持ち帰ったので、みつばこさんの「種子の時間」に倣って今度はベランダ田植えに挑戦してみるつもりです。それといつか田植機を自分で操作してみたい!!
≪ 閉じる