2006年05月19日 (金)
曙ハウス†スウハ曙
わきた・けんいちさんの Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」のエントリー「根津と谷中を訪れる(1)」で冒頭を飾る neonさんの描かれた曙ハウス作品を撮影する masaさんの後ろ姿(カフェノマドにて)。それを見ていて、先にエントリーした「余剰の夕暮れ谷根」でこの日のことは片づけてしまったつもりでいたのだが、どうもそれだけでは気が済まなくなってきてしまった。
masaさんの後ろ姿をトラックバックしたくなってしまったのである。
この写真の中で masaさんが撮ろうとしているものとは、今年の2月まで存在していた曙ハウスの建っていたその空間である。それを単純に曙ハウスの跡地写真としてブログで公開することにはどこか憚れるものがあったが、曙ハウスの最期を看取られた他ならぬ masaさんと一緒ならばそれも許されるだろう気がしたのだ。masaさんにはまたまたびっくりさせることとなってしまうかもしれないけど(^^;)
ところでこの日、曙ハウス7人衆(わきたさん命名)は曙ハウスのすぐ近くにある東京都指定食堂「かめや」でちょっとしたミーティングを開いていた。その席で neonさんが masaさんの曙ハウス内部写真やご自身で近所の聞き取り等して得られた情報を基に描かれた曙ハウスの平面図と周辺図を持ってきてくださった(これがまた neonフォント同様に味があって素晴らしい!)。これを基にもっと本格的な図面なり、あわよくば模型なりが作れないか?というのがこの日の会合の主題だったわけだが、そのためにももう少し広範かつ詳細な情報が必要となる。
そこで neonさんの承諾を得て、この図面をネット上で公開することにした。
とりあえず7人衆の持ち寄った情報としては masaさんがすでに「曙ハウス」のエントリーで公開されてる内部写真がもっとも有用な情報なので、平面図上に eye point を設け、クリックするとその視点の写真にリンクするような仕掛けを施した。また周辺図は多くの方が外観写真を撮られているので、そういった写真にも同じくダイレクトリンクを張ることを考えている(現在は平面図のみで準備中)。これらの図面や写真をきっかけに特に内部のことで何か思い当たることなどあったら、「曙ハウスBBS」という掲示板を併設しているので、是非情報提供のご協力をお願いします。
平面図+周辺図はこちら→「曙ハウス†スウハ曙」
excerpt: 今回の個展は、銀座でやったときに比べたら、画のサイズも小さく、家からも近距離のところが会場だったため、かなり楽の筈だったが、終わってみればいつもと同様...
weblog: N的画譚
excerpt: 先日、わきた・けんいちsanが、「曙ハウス」関連記事を総まとめするエントリーをアップなさったのをかわぎりに、neonさんもご自身の作品をネット公開なさり、...
weblog: Kai-Wai 散策
「どうもそれだけでは気が済まなくなってしまった」っていうのがよろしいですね〜。このエントリーのmasaさん、なんだか迫力がありますね。masaさんが撮影されいたのは、「曙ハウスが建っていたその空間である」というのも、ちょっと鳥肌もので、ゾクゾクしました。
by わきた・けんいち : 2006.06.04 22:58>わきた・けんいちさん
わきたさんの撮られた masaさん後ろ姿にせよ、私のにせよ、とにかく曙ハウスの匂いのするものがあれば、そこに masaさんの後ろ姿があるのは必然という気がしてしまってます(笑)
いや〜、何しろあのときあの柵に乗ったのは masaさんだけでしたからね〜。
一番ご高齢だったのに(^^;) もうただただ感服してる次第です。
ところで図面の方に masaさん以外の人の撮られた写真も追加しました。
その中でも私の写真は資料性を重視して、これまでどこにも出してなかった写真も加えています(つまり満足な写真ではないということなのですが)。あくまで資料という視点で、ご覧いただければ幸いです。
ここから、また色々拡がっていくといいですね。あの図面(とゆーほどのものではないんです、いやお恥ずかしい・・・、どなたか私の方が上手く書ける!っていう方、これを叩き台にお願いします)
しかし、このお方は後ろ姿がいつでもサマになってますねえ〜!
コインパーキングと化したところも、お撮りになっていらっしゃいましたよ。。。
うひゃ〜、こちらにも後ろ姿を晒してしまいました〜(^^; 曙ハウスはもう無くなったのだから、早く二代目(^^;を探さなくちゃ…なんて思おうとしていましたが、やはり、惜しい・淋しい感はぬぐえませんよね。
しっかし、高齢とは…(^^; 僕、自慢じゃありませんが、特に精神年齢・知能につきましては、なかりガキ・若年のままでございます(^^;
こんにちは、先週の土曜日にここの跡地を訪れましたが、コインパーキングになっていました。ハウスの吐息のような後ろの壁のしみのみがその痕跡を強く残していました。
by カーク : 2006.06.05 19:23>neonさん
個人的な希望としてはやはり元住人の方がどこかで辿り着いて、あ、ここは!という声があがってくることです。そのとき、図面が出てるとアレコレ言いやすいと思うんですよね。
ただ、masaさん曰く、最後の方は外国人の方が多く住まわれていたようですので、そう思うようには行かないかもしれませんね(まあ、最近は日本語の達者な外人さん、多いですけど)。
>masaさん
曙ハウスは確かに根津の主って感じでしたからね〜。
あれを引き継ぐ存在感を他に期待するのは、ちと荷が重すぎるかもしれません。
しかし、わきたさんのコメントで高齢と書いてたのは言うまでもなく反語で、心持ちは一番若い人だ!と思いながら、後ろから撮ってました(^^;)
いや〜、あそこでの柵乗りはホントにインパクトありましたよ。
>カークさん
こちらにもコメントありがとうございます。
私はふだんは大阪に住んでるもので、そう簡単に様子を見に行くことができないのですが、幸いにも masaさんのブログでコインパークの様子も確認できました。まあ、コインパークなので「幸い」って話でもないんですが(^^;)
中谷礼仁と申します。
曙ハウスを愛しておられた皆様にお願いがあります。財団法人住宅総合研究財団が発行している機関誌「すまいろん」に曙ハウスのレポートを書いていただけないでしょうか。
どなたにご連絡すべきか迷い、投稿させていただきました。締め切りも充分あります。ぜひ曙ハウス解体にまつわる活動をご記録下さいませ。
「すまいろん」につきましては以下をご参照下さい。
http://www.jusoken.or.jp/sumaiparent.htm
巻末の「すまい再発見」へのご寄稿のお願いです。ご内諾いただけるようでしたら、財団の方より正式な依頼状と見本をお送りします。ぜひよろしくお願いします。
>中谷礼仁さん
大変興味深いお話ありがとうございます。
この件に関しましてはメールにて。