2004年07月13日 (火)

第29回打合せ: スケジュール

この日から引き渡しは4日後、第1回引越予約日が1週間後というスケジュールを考えると明らかに工事は遅れている。
そうなった背景には施主側の決断遅延も含め、様々な理由があるのだが、大きなところではやはり歩道の切り下げ問題が再浮上したということの他に、外壁の ALC パネル用吹付材(※) が思うように吹き付かず、業者(株式会社フッコー)を呼んで再度やり直したことに伴って外構工事全体が遅れてしまったということもあるらしい。いずれにしてもこうした諸々の遅れによって、引き渡し→引越までの間隔がたったの2日となり、家の撮影や友人たちを招待するといった時間もほとんど持てなくなってしまった。

住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」には引き渡しのタイミングとして

 引き渡しは、駄目工事が終了して、最終確認がきちんと済んでから、カギなどを渡してもらうようにしましょう。急ぐからといって、駄目工事が終了する前にカギをもらい、引越してしまったあとでは、責任の所在が建て主側にあるのか、施工者側にあるのか曖昧になってしまいます。
 あとで壁の傷や汚れなどに気づいて補修をお願いしても、誰がつけたかはっきりしないため、建て主側が身に覚えがないと思っても、その部分についての手直しの要求を強くできなくなってしまうことがあります。引越早々に後悔してしまうことになりますから注意しましょう。

などと書かれていて、そういう意味では我々はその最も悪い例を実演してるようなものだが、正直、私自身の感覚としては結構「それでも、ま、いっか」って感が強かった。心配性の母はそうしたマニュアル本を片手に不満を連呼していたが、なぜ私が「ま、いっか」の心境でいられるかといえば、それはここまで阿部建築とは約17ヶ月、初音すまい研究所とは16ヶ月という付き合いの中で、今更責任の所在云々といった小さなことをちまちま突っつき合うような関係ではもうないような気がしていたからである。そうした工務店・設計事務所と出逢えたことを我々は幸運に思うべきだし、加えて彼らが近所にいて今後も関係が続いて行くというのは幸甚の至りとしか思えない。

なお、この日から引越後くらいまでのスケジュールを打合せ記録をベースに追記にて触れておく。

−初音すまい研究所
−14:30〜19:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、母、私
−見積書、打合せ記録

□◇
初音すまい研究所@打合せ記録より(記録者:矢原 一部加筆:丸井)

7/13(火) 施主検査、増減見積報告、打合せ
7/14(水) キズ、汚れについて設計者検査(2回目)
7/15(木) 10:00 歩道切下問題再申請(新富町第一建設事務所入口集合・父)
7/15(木) PM キッチンキャビネット搬入及びエアコン取付工事の立ち合い(父)
7/16(金) 10:00〜 初音写真撮影・家政大学生見学(豊田引率)
7/16(金) 13:30〜 丸井友人見学・清真美氏撮影
7/17(土) PM ベッド、PCデスク搬入立ち合い(母・妹)
7/17(土) 15:00 丸井夫人東京着
7/17(土) 16:30 引き渡し(阿部建築・阿部、山本、豊田、矢原、私)
7/17(土) 17:00〜 設備関連検査(近藤電気、長田、豊田、矢原、母、私)
7/19(月) 第1回引越(トランクルーム、三鷹仮住居)・丸井夫人帰阪
7/22(木) 和室畳敷き・丸井帰阪
7/26(月) 第2回引越(三鷹仮住居、アップライトピアノ)
7/28(水) グランドピアノ搬入立ち合い(母)

by m-louis : 2004.07.13 17:34
comment

ぼくはすっかり感心してしまった。
  なぜかというに、ここではすべてが頽廃していたから、(略)床板は減り、扉はむしばまれ、椅子は脚が曲がっていた。ただ、ここでは、まるで修繕はしないかわりに、掃除は行きとどいていた。すべて清潔に艶拭きされて光っていた。
  おかげで、客間の表情は、皺だらけの顔の老婆のそれのように、異常な緊張味を帯びていた。壁の亀裂も、天井の割れ目も、すべてがぼくを感心させた。中でも特にぼくは床板に感心した。それは、ここに穴があき、そこは船のタラップのようにぐらついているのだが、それでも、ちゃんとみがいて艶出しして、てらてらに光っていた。不思議な家ではあった。それはなげやりだとも無精だとも全然感じさせず、ただ異常な尊敬の念をおこさせた。たぶん、年々が新たな何ものかを、この家に趣に、その表情の複雑性に、その友誼的な空気の熱意に、また客間から食堂へ通う途中の危険に、加えつつあるのに相違なかった。
 「危ないですよ!」
  それは穴だった。家人はぼくの注意を呼びおこすのだった、なにしろご覧のとおりの大きな穴ですから、ぼくが、脚を一本折るくらいは造作もないことだ、と。この穴、これはだれの責任でもなかった、これは時間がやった仕事だった。この穴には王者のような風格が、あらゆる言いわけを頭から軽蔑する気風がそなわっていた。家人はぼくに向かって言わなかった、<こんな穴くらいなおすのは造作もないのですが・・・>とは。そうかといってまた、ーーーこれが事実なのだが、ーーー<市から三十年契約でこの家は借りているんです。だから修繕は市がすべきなのですが、なにしろ双方が頑固なので・・・>とも。家人は説明をいさぎよしとしなかった。そしてこの鷹揚さがぼくには非常に嬉しかった。 (略) 思ってもごらんなさい、左官と大工と指物師と漆喰屋さんの一隊が、てんでに冒?の道具を携えて、このような過去の中に乗りこみ、一週間もたたないうちにきみが見も知らない家、きみがよその家へ訪問に来ているとしか思えないような家に改造してしまったとしたら、いったいどうだろう? (略) 一種市役所の応接室みたいなものになってしまうのではないだろうか?
 この手品の家で、娘たちが姿を消したのは当然なことだった。この家の屋根裏の物置部屋ときたらどんなだろう、すでに客間が、こうして物置部屋の豊富さを見せているほどだから。

ISBN4-10-212202-8

by ct : 2004.08.18 01:00

< >は引用者の言葉かと思えばそうではないんですな。新潮文庫・P.84?
引用箇所とは関係ない話題書かれてますが、以下のような blog 記事を発見。
http://dablog.net/archives/2004/0408004138.html

by m-louis : 2004.08.18 22:52









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