2004年07月18日 (日)

引越1回目前日

引越を翌日に控え、この日はデジカメで何か撮ってる余裕など全くなかろうと、谷中に置いて行ってしまったのだが、今にして思えばちょっとした休憩中でも撮ることはできたのだから、作業時刻の記録装置という意味でもやはり持参すべきだった。

ともあれ、この日の作業は我ら夫婦は仮住居に到着して一息入れさせてもらい、11時前くらいからスタート。夕方くらいまではトランクルームの整理、その後、仮住居に戻って主に2Fの段ボール群の分類やフトンの圧縮し直しなどする。当初の予定では夜に妻だけ谷中に戻るという話だったが、結局時間も遅くなってしまって妻も仮住居でこのまま一夜を過ごした方がいいという話になって行った。

ただ、今回の引越は最初から2回することを想定しているせいか、どこか皆まだ余裕があるというか、気の弛みみたいなものがあって、まさかこの日行くとは思ってなかったのだが、父の提案でお昼には父・妻・私の三人で妻が以前から何度か憧れを口にしていたレッドロブスターに行ってみたり、夜は夜で下連雀の弁当屋「いと半」の名物チキン南蛮やレヴェのショートケーキを買ってきて、この家では滅多にない団欒のひとときを過ごしたり。ヘンに優雅な一日だった。それにしても父がまったく別の話題をしてる最中、妻に向かって突然「な? いと半のチキン南蛮美味いだろ? 昔は胸肉使ってて大したことないと思ってたんだけど、腿肉使うようになってからはそんじょそこらの店で食べるより数倍美味い」と言い出したのには、いつものよくある話といえばそうなのだが、疲れた中でもたっぷり笑わせてもらった。

トランクルームでは主に私は祖父作成家具の梱包と段ボールの最終整理をし、妻にはその処理に一番困っていた三鷹金猊居から持ち込んだ天井板のキレイなのを8枚ピックアップし、それを近くの公園まで持って行き拭き掃除するという作業をお願いした。60年分の埃の溜まった天井板だけにさぞかし大変だったことだろう。

仮住居の方では母+妹は1Fで作業をしていたが、1、2Fで完全分業となっていたため(母の希望により)、彼女らの作業内容まではわからない。父はすでに自分の部屋の整理は概ね終えていたので、役所のゴミ出し日チェックやその他の交渉等、どちらかといえば事務的なことをやっていた。

この日、母は徹夜したそうだが、母以外は翌日に備え、ある程度の睡眠は取った。

by m-louis : 11:00 | comments (0) | trackbacks (0)

初めての朝@谷中

040718_morningbed.jpg妻は母のムアツふとんで、私は父のベッド(※) で寝た谷中初日の夜。エアコンが苦手な我々は当然窓という窓を開け放し、風通しを良くして眠ったのだが、一乗寺側窓が足下まで開く母の部屋は想像通り最高の風通しだったが、父の部屋は母の部屋との間の仕切戸を開けていたとしてもいまいち風の抜けが悪く空気が籠もりがちで、妻に較べ私は寝苦しい夜を過ごすことになった(右の写真は一回目の引越が終わった後のものだが手前が母のムアツふとん、奥が父のベッド)。

ただ、明け方、先に目覚めたのは妻。というのもまだカーテンが付いていないため、足下まで窓全開の母の部屋は朝日も見事全開に差し込んでくるのだ。ふと私が目を覚ましたとき、隣のムアツふとんで寝ているはずの妻の姿がなく、びっくりして部屋を出たら脱衣室の引き戸を閉じて光を遮り、床の上で寝ていたのである(笑)

車の騒音の方は、4車線の谷町筋に面したところに住む騒音馴れした我々ゆえか、音が近いという感じはあるものの、寝られなくなるほど気になるというでもなかった。

おそらくこの日、谷中に戻ってくることはないだろうとの予測のもと、引越屋がいつ来てもよい状態にまで全階整理をし、それと各階の写真を幾ばくか撮って、9時前に谷中を出た。もちろん行き先は引越を翌日に控える三鷹仮住居。だが、主に我々の準備作業はトランクルームの方で行われることになるだろう。ちなみにこの日の起床時刻は6時半。ふだんの私の就寝時間。

by m-louis : 06:59 | comments (0) | trackbacks (0)
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