2004年01月09日 (金)

臨時会談: 黄色い家

地鎮祭から一月以上空いてることと、前回打合せに私が出席できなかったことから、本格工事がスタートする前日、豊田さんと個人的にお話しする機会を持たせてもらった。
しかし、臨時会談とはいえ、内容的にはかなり濃いものだったといえるかもしれない。まあ、二人が私の家族の存在に気を取られず建築のことをあれこれ話せたせいもあったが、この席で初めて建物の色調が提示されたことが何よりも大きいだろう。

040109_yellow.jpg豊田さんとしては生き抜き半分、色鉛筆を使ってお絵描きしてみました〜というような言い方をされていたが、ズバリ黄色で来た!というのは意外であると同時に、豊田さんならばあり得ない話でもないなという感じではあった。黄色い家という考え方は家作りが始まって、まだ豊田さんと出会う以前に計画されていた貫通案(※1)というプランのときに私と妻の間だけでイメージされていたことである。我々夫婦は殊の外、黄色という色に執着が強い(※2)のだが、だからと言って即座に好みの色を外観色に使いたいと言い出すほど建築をナメてはいない(笑) しかし、その貫通案においてはそのプランのヴィジョンと結びつく要素が黄色にあった。それは至って個人的動機によるものだが、私が初めて公に出した作品(※3)が全面黄色で覆われた箱型の作品で、箱の中央には思いっきり貫通孔が空いていたのである。だからそのプランを見るまで黄色い家ということは考えもしなかったが、ふと自分の作品との呼応ぶりから黄色い家も悪くないと思うようになり、そのことを妻に告げると、当時谷中の家作りに私が関わること自体がストレスとなっていた妻にも急に明るい兆しのようなものが見え始めてきて、それはそれで希望を与えてくれる色となっていたのである。もっともその色のことは当時の建築家たちに伝える前にそのプラン自体が頓挫してしまったが。。

その後、黄色い家のことはプランが変わって全く考えなくなっていたが、ここに来ての復活には何とも不思議な因縁みたいなものを感じさせられた。それと豊田さんならばあり得ない話でもないと感じたのは、あの立地条件に加え、何となく和風仕立てになってきているファサードにあって、黄色を使うというのは相当な挑戦心がないとできないことだと思ったからである。それは、これまでの取り組みの最中に幾度か豊田さんのその風貌からはちょっと想像できないようなマッチョ的(=良い意味で地中海のヒト的)とでも言うべき大胆なデザイン手腕を見せられてきているので、こうした挑戦も納得というか、任せてみたい気分になったのである。もちろん両親にでもわかりやすい説明をしてくれることや事業に対する誠実な対応にも信頼を置いているが、私が豊田さんという建築家と接して一番魅力を感じているのはこのパッと見の穏やかさに隠れた豪傑なところなのかもしれない。そういえば、ジュゼッペ・テラーニ(※4)が好きだって言ってたもんな(笑)

この日、豊田さんとは少しこれまでの経緯を振り返りながら互いの労をねぎらった。この計画の最大のミソは諸々要素を思い切り切り捨てたことによって出て来た2階のバルコニースペースにある。バルコニーに出て一乗寺やA見邸の緑を背に感じながら自分の家を見上げるとタラップの先には大きな空が広がっている。その空はこの上なく贅沢な我が家の一部として感じられるにちがいない。そんな話をしていたら、思わず涙腺が弛みそうになってしまったが、豊田さんも心なしか涙目になってたのは気のせいか?

−初音すまい研究所
−15:00〜18:30
−豊田さん、矢原さん、私
−ファサードのイメージ図、工事工程計画表、打合せ記録


□◇
※1)貫通案
この計画に関しては過去の記録が書き加えられていった段階で細かく記すことになると思う。
2002年9月半ばくらいにM氏から出されたプランで、中2階を持ち、車庫、リビング、書架廊下が各階でボコッ、ボコッと陥没穴でもできたかのように貫通している。
我々施主家族全員が気に入っていたプランだったが、予算と構造上の問題から却下された。

※2)黄色への執着
040214_usukesuke.jpg我々夫婦が黄色が好きなのは、NHK教育で夕方17:50から平日放映されている子供向けアニメ番組『おじゃる丸』に出てくる「子鬼のトリオ」の一員、キスケの色が黄色いという何とも他愛もない理由による。しかし、我々のキスケに対する愛情は絶大なもので、それまでキャラクターグッズなどにはまるで無関心だった我々夫婦が今ではたくさんのキスケ、いや、正確にはウスケ、ケスケ、キスケ、パスケといったキスケたちに囲まれ、海外旅行にまで連れて行ってひたすら写真を撮りまくっている。
その写真等を公開してるのが『くわる丸ハウス』。またキスケを通してできたキスケ仲間の『キスケスキ』『好き好きおじゃる丸』は我々夫婦の巡回サイトである。

※3)作品『目に見えない所有』
920401_invisible.jpgパルコ主催『TOKYO URBANART COMPETITION 1992』に出品し、審査員賞(長谷川逸子賞)を受賞した作品。ほとんど世の中のこと何も知らずに何となく出品してみたら入賞してしまった。確か審査コメントにも「黄色い箱」と記されてた気がするけど、文字通り見た目黄色い立方体でその中央部分に角度を付けた正方形型の貫通孔がある。当時の自作解説を読むとかなりこっ恥ずかしくなるが、箱の中は海綿やゴム、コルクといった複数の軟質素材が用いられ、貫通孔の切り口は襞状にざらついていて言ってしまえばそのモチーフは子宮である。色の選択は黄色人種というところからまず来ており、確か重さも3000g前後という出生児の平均体重。一見ミニマルアートの体裁を装っているように見えるが、思いっきり生肉っぽい作品仕様であった。

※4)ジュゼッペ・テラーニ Giuseppe Terragni [1904-1943]
ムッソリーニ政権下のイタリアファシズム期にモダニズム運動の旗手の一人としてインターナショナルなレベルでの建築を目指した合理主義建築家。代表作に「コモのカサ・デル・ファッショ」、「サンテリア幼稚園」や近年修復を終え美しい姿を取り戻したセーヴェゾの個人住宅「ヴィッラ・ビアンカ」がある。
1998年、水戸芸術館現代美術センターにて「ジュゼッペ・テラーニ ファシズムを超えた建築」展 が開催されている。

Centro Studi Giuseppe Terragni
米田 明「建築における内在性の硬度」

tags : , , , , , , ,
by m-louis : 2004.01.09 16:07
This Trackback No.
2008年01月27日 06:31
第1回現場見学
excerpt: 臨時打合せ翌日の工事見学を除くと地鎮祭が行われてからの公式的な現場見学は今回が1回目となる。現場は小雨がぱらついて予定されていた配筋調整の工事も小休止の様...
weblog: 谷中M類栖
2008年01月27日 06:45
第18回打合せ: ファサードの色調
excerpt: 第18回打合せのところでも書いたようにまず今回の打合せの席で豊田さんからこれまでの黄色ベースの暖かいイメージから白ベースで黒サッシというちょっと緊張感のあ...
weblog: 谷中M類栖
comment









cookie:






現在コメントはブログ管理者の承認後に反映される形を取っております。
▲PAGETOP