2004年01月17日 (土)

根切り工事

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初音すまい研究所@監理報告より

根切り(※1)がはじまりました。
ローム層を確認しました。
地盤調査通り水は出ませんでした。

新・金猊作品(稲沢・森邸)

2日ほど前に稲沢の森家(※1)の奥さんから、我々が見たことない金猊作品を一宮の今枝家(※2)から譲り受けたという驚きの連絡を受け、急遽、母と訪名する。

去年、八恵さん(※3)の四十九日の法要のときに今枝さんと森さんの間で金猊の話題が出て、金猊作品を数点持っているという今枝さんの話を聞いた森さんが今枝さんに譲ってほしいとお願いし、快諾されたらしい。我々は今枝さんのことは金猊の姉が今枝のところに嫁いでいるということを知っている程度で、その末裔のことまではまったく把握していなかった。だから、まさか今枝家に5点もの金猊作品が眠っていようとは考えもしなかったのである。

一方、森家とは2001年3月に亡くなられた哲夫さんと面識があったことから、母が年始の挨拶などで付き合いを続けていたし、私共夫婦も哲夫さんの葬儀には出席している。今回、母に連絡をくれたのは哲夫さんの奥様の洋子さんで、彼女からの連絡主旨は今枝のところから金猊作品を譲ってもらったことの報告と、一点、かなり傷んだ作品があるがそれをどうすべきかの相談であった。その傷んだ作品に関しては後述する。

洋子さんとしては丸井一族の大体の家が皆何某か金猊作品を所持しているのに、森家にだけそれがないということが幾ばくかの疑問として残っていて、それがそんな大袈裟に言うほどのものでもないけどちょっとした嫉妬(不満)みたいなものに結びついていたらしい。とりあえずそれに関しては我々にも当時のことがわからないので何とも返答のしようがなかったが、おそらく金猊が一族に作品を渡していたのは恣意的なものというよりは、単にそのとき世話になったとかそういった偶発的なものだったのでは?と推察できる。それがたまたま森家のところには渡す機会がなかったというだけの話だ。反対に今枝のところにたくさん残っていたのは、当時今枝家が一宮といえば有名な毛織物工場で一財産築いており、おそらく何某かの支援を金猊が仰いでいたことも想像に難くない。
ただ、森さんの中ではなぜうちだけ?という家同士の体面上のところで作品所有の所在が求められており、それが今回今枝さんに作品譲渡を申し込まれた直接動機となったという推測はあながち外れたものでもあるまい。しかし、そもそも今回の話は森さんが我々にこうした連絡を取ってくれなければそれら作品群が残っていたことすらわかり得なかったのだから、まずは何よりも森さんに大感謝である。

さて、東京から来る母とは稲沢の駅で朝9時半に待ち合わせ、駅まで迎えに来てくれた洋子さんの車で小雪の降る中、森家へと向かった。
挨拶もそこそこ絵の検分に入ったのだが、ここでは作品を見た順とは逆の順番で作品について触れることにする。

霜晨(そうしん)
この作品のタイトルがすぐにわかったのは、祖父の遺品に自作を単色刷のポストカードにしたものが幾つか残っていて、そのポストカード(右の画像左側)にしっかり作品タイトルまでが記されていたからである。しかし、見てすぐわかりはしたものの、その色づかいというか配色はおよそポストカードからは想像できないものであった。いや、鶏頭の花(※4)だとわかっていたのだからおおよその配色は想定できててもよかったはずなのだが、金猊作品でこれだけグレーを大胆に取り入れた作品というのは他になく、初見して度肝を抜かれてしまったのである。
洋子さんは今枝家から金猊作品を譲り受けるにあたって、さすがに譲ってもらう遠慮心から一番地味な作品を選びましたと言われていたが、それは見た目の色合いの話であって、今回出て来た作品の中ではこの作品が図抜けて研究価値の高いものであったことは間違いない。なお、冬枯れした鶏頭で季節的にもちょうどよくお正月には床の間に飾っていたらしい。一宮の由緒ある表具屋でかなりお金を掛けて軸装されたらしく、保管の面では問題なさそうだ。ただ、もう少しゆっくり時間を掛けて、できれば一人で作品と向かい合いたかったというのが正直なところである。

芥子花圖(仮題)
この作品が問題の傷みがかなり出てしまった作品。右の画像をクリック拡大して見てもらうとわかりやすいかと思うが、画面向かって右上の方に完全に染みが浮き出てしまっており、また、画面右半分は花びら部分の絵の具が赤も白も共にほとんど落ちてしまっている。他に気になるのはX地で絹本に刻まれた網目模様といったところか。それは画面中央下側あたりがもっとも目立った状態で浮き上がっている。
なお、この作品のタイトルを『芥子花圖』としたのは、これとたいへんよく似た作品(というより画面中央の部分のみ描いたと言いたくなるような)が一点我が家に所蔵されており(※5)、そのタイトルが『芥子花圖』だということはわかっていたので、それと同じ題で仮表記することとした。
この作品は今回見つかった作品のうちでもとりわけ描写力の確かさ(特に線の強さ)を確認すさせられる作品である。それは花の色が落ちてしまったことで尚更わかりやすく露見してしまった。洋子さんはこの作品を右半分切って左半分を軸装してはどうかと考えていたらしいが、それにはストップを掛け、こちらでも表具屋と相談させてほしいと願い出させてもらった。こうした場合、絵に求めているものがまるで異なるのだから、なかなか難しいところである。ただ、正直この作品は未表装の状態なので(つまり何らかのお金を掛けてしまった後ではない)、願わくばこちらで引き取ることはできないか?と折を見て相談してみるつもりである。
それにしてもこの作品である種決め手となっているのは、まさしく花を支える役割を果たしているグリッド状の竹の支柱ではないか? それが花だけでなく、余白を含めた画面全体を引き締めている。「井」の字の囲まれた中には何も描き込まれていない。

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