2005年11月01日 (火)
俄然阪急強しの月でした。てか、ほとんどそれしかエントリーせんかったし(汗)
- 梅田 7.9%
- 阪急コンコース 6.9%
- 上棟式 3.7%
- DIY 1.9%
- 丹下健三 1%
- 谷中 1%
- 庇 0.8%
- フッコー 0.8%
- 止水板 0.6%
- 不忍池 0.6%
ちなみに9月の解析結果は
こちら。
2005年10月01日 (土)
9月は当然の結果ってヤツですかな?(^^;)
- 阪急コンコース 6.3%
- 上棟式 4.5%
- 梅田 4.4%
- DIY 1.9%
- 丹下健三 1.6%
- 食洗機 1.3%
- フッコー 1.3%
- 不忍池 1.2%
- 谷中 0.9%
- 庇 0.9%
ところで、ここのブログはアイウエオ順だと谷中の「ヤ」で後ろから数えた方が早いのが原因なのか、割と検索ではあとの方に出てくることが多いのですが、なぜか阪急関連だけは概ね1頁目に検出される結果となってます。
ちなみに8月の解析結果はこちら。
≪ 閉じる
2005年09月27日 (火)
実家家族の都合により残念ながら今年も参加できなかった谷中芸工展ですが、今年は芸工展の方の Web が RSS 対応となり、去年より更新状況が見やすくなりました。
私個人がまだ谷中に住んでいないので、そんなに深いお付き合いが出来ているわけではありませんが、個人的に以下企画をこのブログでの告知という形で応援させていただきたいと思います。期間中に上京できたら、ここだけは回りたいってところです。
17. 谷中ボッサ 増田知己・秋本詩絵 → お店
34. 時夢草庵 ジム・ハサウェイ → ジムさん
35. 床の間巡りとアランウェストの公開制作 アラン・ウェスト → アランさん
37. マクケノエン イコアン → satoshinyaさん
93. ルーツ尺八『吹歩』 でう → でうさんインタビュー
しかし、どうせ RSS 対応にするなら、検索とトラックバックは欲しいな〜。
あと、山本さんの「谷中の住人」ブログでは「谷中芸工展」というエントリーで芸工展のポスター写真を掲載しての紹介がされてます。
≪ 閉じる
2005年09月19日 (月)
緊急告知!
阪急梅田コンコースを残したい・・
その一心から「阪急梅田コンコースを・・」という建造物の保存を切望する専用のブログを立ち上げることにした。
ここでやっててもよいのだが、色々混乱する要素も出てくるだろうし、それに「このブログについて」という最初のエントリーでも書いたように「中継ぎ〜セットアッパー的役目を果たせれば」というブログなだけに途中で管理者交替ということも考えられる。そうするとこことは一線を画しておいた方がいいだろう。
ちなみにライブドアのサービスを使うことにしたのは、阪急の買収球団であるオリックスが合併した近鉄を救おうとしてたのが他ならぬライブドアだったからである。それ以上の意味はないが、案外この問題は今度のことともまったく絡んでないとは言えないようにも思っている。
阪急については今後、新ブログを中心に展開していくが、必要に応じてこちらで告知的重複エントリーをすることもあるかもしれない。いずれにしても関西在住者、および建築関係者の方は新ブログも覗いていただけると助かります。
□◇
※)バナーは「Kai-Wai 散策」の masaさんを通じて「藍blog」の aiさんが作ってくれた。こういう状況下でのこうした協力は本当に嬉しい。そしてブログならではこそだな〜とつくづく思う。「ブログの力」か?
またこのブログを通して、「阪急梅田コンコースを・・」を告知してくださってる皆さん、本当に恩に着ます。
≪ 閉じる
2005年09月13日 (火)
今さっき、夕方のニュース見てたら、開いた口がふさがらなくなってしまった。
阪急梅田駅のコンコースがビルの建て替え工事に伴い、解体されるのだという。
壁画は残すというが、そういうもんじゃないだろう?!!!!!!(超激怒)
たまたま先月、Flickr! に阪急コンコースの写真をアップしたら、昔関西に住んでた人たちから「こんなステキなところだったんだ」的なコメントが寄せられた。確かに案外通勤通学路となっている場所って周りを見ていないものである。何せ遅刻したらあかんだけに、、が、20代の後半に1年間京都で一人暮らしをして、その後、所帯を得て現在の大阪に移り住んだ私にとって、このコンコースは関西に「してやられた」気分にさせられた一番のものだったかもしれない。これに対抗できる東京の駅と言ったら東京駅くらいか?、、いや、しかしその艶というか豊饒さで言えば、明らかに阪急の方が優っている。そういう意味ではヨソ者をたじろかす存在感を持った数少ない場所だったのだ。
本当に解体してしまっていいんだろうか?
まあ、三鷹金猊居の解体を選択した私が言えた立場ではないが、壁画を残したとしてもあの空間の艶まで伝えられるとは到底考えられない。今更遅いのかもしれないが、あのコンコース部分をまるごとそっくりくるむような設計プランでも新たに出て来ないものだろうか? 関西で自慢できるトップクラスのものが消えていく。
以下 Flickr! 写真と共に、関連記事を見つけ次第、ここに追加していきたいと思う。
それとコンコースの設計者である伊東忠太および阪急創設者の小林一三については相応の思い入れがあるので、また別の機会を設けてエントリーしたいと思う。
■関連ニュース
・建通新聞:梅田阪急ビル建て替え 月内に施工者を
・asahi.com:旧阪急梅田駅コンコース解体へ 壁画は残します(2005.08.10)
・産経新聞 ENAK:阪急百貨店「貝の化石」取り壊しへ(2005.08.25)
・YOMIURI ONLINE:“昭和モダン”の阪急コンコース、解体へ(2005.09.09)
・Sankei Web:消える阪急百貨店のコンコース 名残を惜しむ市民の声も(2005.09.12)
・gooニュース:姿消す阪急梅田のコンコース(2005.09.13)
■関連サイト・ブログ
・極私的建物探訪:阪急電鉄梅田駅 壁画
・LA CHAMRE DE COMTE:大阪健脚ツアー篇・其の一
・鉄道で行く旅/Kimura's Internet Home Page:阪急百貨店梅田本店
・ぽむ吉さんの近代建築と書評中心のblog:阪急梅田 いままでとこれからと(2005.06.18)
・TRA−VEL−BLOG:さよなら阪急梅田
・淡海の国から on blog:【大阪】旧阪急梅田駅コンコース解体(2005.08.10)
・阪急にタイガースに高橋愛を語る江戸人:阪急梅田駅旧ホームコンコース解体(2005.08.11)
・ひろの東本西走!?:阪急百貨店建て替え計画(2005.08.24)
・.3:さようなら
・Dramatic☆Interior:梅田阪急の建てかえ(2005.09.14)
・あさみ新聞:ちょっと待って「阪急百貨店」(2005.09.14)
・新「とっつあん通信」:またひとつ「大阪らしさ」が消えてゆく(2005.09.14)
・LBGO:。。。
・シティサイエンス:阪急梅田コンコース解体(2005.09.14)
・シティサイエンス:阪急梅田コンコース解体 その2(2005.09.15)
・安心立命:阪急 梅田 コンコース解体へ・・・(2005.09.15)
・安心立命:ステンドグラスから動く歩道までの回廊はすでに・・(2005.09.16)
・すずめの実験室:消える阪急百貨店のコンコース 〜その1〜(2005.09.18)
・すずめの実験室:消える阪急百貨店のコンコース 〜その2〜(2005.09.18)
・MADのキッチン:梅田阪急百貨店...(2005.09.13)
・楽しむYahoo!ブログの作り方♪:阪急百貨店建て替え計画(´・ω・`) ショボーン(2005.09.23)
・毎日がブエノス・ディアス!:うそ?!阪急梅田コンコース解体?!(2005.09.23)
≪ 閉じる
2005年09月01日 (木)
最近、自他問わずブログ時間減少気味で、4ヶ月置きにまとめてみようと思っていた「検索ワード」の解析結果もついうっかり9月になってしまって5月分のデータを残し損ねてしまった。で、こうなってしまうと前・中・後期という形でまとめてみようなんて言ってた前回の意欲はもうどこへやら?である。
そこで代わりに今月からある意味作業量は増えるが、毎月、月毎の「検索ワード」解析結果をレポートしていこうかと思う。その方が見忘れてもその猶予は3ヶ月もあるのである。そんなわけで早速8月の検索ワード解析を。
ちなみに5月分の抜けた中期合計解析結果(参考までに括弧内で表示)では8月の2位ワードが断トツの1位だった。思いっきり季節モノなのである。
- 上棟式 5.1% (中期:不忍池 5.7%)
- 不忍池 2.5% (中期:上棟式 5.1%)
- DIY 2.0% (中期:丹下健三 4%)
- 谷中 1.7% (中期:睡蓮 2.6%)
- 西洋美術館 1.3% (中期:DIY 1.6%)
- 設計料 1.2% (中期:谷中 1.5%)
- 高過庵 1.2% (中期:フッコー 1.5%)
- フッコー 1.1% (中期:写真 1.1%)
- 丹下健三 1.1% (中期:止水板 0.9%)
- 写真 1% (中期:地鎮祭 0.8%)
≪ 閉じる
2005年08月15日 (月)
この画像は見る人が見るとそれなりにショックの大きな画像のはずだ。
広島県北の山間部で進行する洪水調整用のダム建設計画に伴い、<ダム周辺環境整備にかかわる広大なエリアを、自然と文化の調和した永続的な魅力を持った「環境美術圏」にさせていく試みとして>1994年から2002年まで灰塚アースワークプロジェクトなるアートプロジェクトが行われていた。1995年に初めてそのプロジェクトに参加した私は1998年からは Web構築係として関わっていた(実はコンテンツのベースとなる部分が1998年当時作ったもののまんまなんで、URL 晒すのはかなり恥ずかしいんですが...モニタサイズ 800×600 照準で作られちゃってるし)。
プロジェクト参加当時はここにダムなんてホンマに出来るんかい?という暢気なものだったが行政のハード事業というのはよほどの反対でもない限り、スケジュール通り着々と進んでいくもので、当初から予定された2006年には灰塚一帯は完全にダムの底に沈むことになりそうだ。というよりも、写真で見てわかるように2005年夏の段階で試験湛水も行われ、ダム機能は貯水を待つばかりの状況なのだ。
ちなみにアースワークプロジェクトの方はダムのまたがる三良坂町・吉舎町・総領町の3つの町が全国規模で広がる市への合併の波に呑み込まれ、それぞれ管轄が自立できなくなってしまったため、2002年を以て一旦休止状態になってしまった。その後、NPO 化の話なども出ているのだが、今のところはっきりとした動きは見えない(ただ、事務局が Web を残しておく意志だけは持っているので、今後何かしらの展開が期待できないこともないだろう)。
ところでこの3町のうちの総領町というのが、私の妻の生まれ故郷であり、つまり私はこのプロジェクトにたまたまバイトで駆り出されていた妻とこの地で出会ったという訳だ。ちなみに田植えで帰省した折、妻の実家でこのダム建設計画の直接の原因となった1972年の大洪水の話になり(それは当時7歳だった妻にとってはハッキリ記憶に残っている人生最初の大災害だったようだが)、考えてみればその洪水がなければダム建設計画もなかったかもしれず、ということは灰塚アースワークプロジェクトも当然なくて私と妻が出会うこともなかった。そして、そんなことを話しているその瞬間その空間もそこにはなく、妻と不思議な気分に陥っていたものだ。
9.11(なんちゅー日を選んでるんだよ!)の衆議院総選挙では、この袂を分けた3町を含む広島6区がホリエモンvs亀井静香の対決によって全国でもっとも注目を集める選挙区となることだろう。だが、そんなことはお構いなしに灰塚ダム建設工事は静かに完成の日を迎えることになりそうだ。
ちなみに冒頭の写真はハイヅカ湖畔の森のコテージから撮影している。
≪ 閉じる
2005年07月23日 (土)
毎秋、谷中界隈の「まちじゅうが展覧会場」となる「谷中芸工展」と「art-Link」。
去年も気付けばもう始まる寸前って感じで、やはりそこに住んでいないとうっかり忘れてしまいがちになるものである。が、今年は一応2ヶ月前の現段階で思い出したので、実家からの電話ついでに参加意志含めて聞いてみた。
そしたら回覧板のようなものがすでに回ってきていて、最初の説明会はもう終わってしまったんだとか。そして、どうも電話の様子だと今年もまだ参加したくないらしい。
結局、未だに家が片付いていないことと、1Fが何かとトラブル続きなもので、その1Fでギャラリー開く精神的余裕はとても持てそうにないということだった。
というわけで、どうやら年内のギャラリーオープンはなさそうです(謝)
まあ、私もここのところ仕事が結構詰まってきていて、長期谷中滞在は難しそうだし、それに10月末〜11月にかけて父とのTO計画もあるので、来年からでもいいのかな?なんて妥協の気持ちの方が強くなり始めてしまっている。
尚、谷中芸工展はようやく独自ドメイン取得し、RSS対応になった模様。
ひょっとすると今年の私はネット上で谷中の秋なんてことになったりして?(汗)
□◇
谷中芸工展2005:2005年10月1日(土) 〜10月10日(月)
art-Link 上野−谷中 2005:2005年9月23日(金) 〜10月10日(月)
≪ 閉じる
2005年06月27日 (月)
ポリタン・コスモでも紹介されてる Google Maps BETA 版。
その Satelliete って機能が何とも不気味なのだが、ついグルグル色々見てしまう。
まだ衛星画像の詳細度に地域格差があって、私の住んでる大阪なんかだと自分の家までははっきり確認できないが、谷中の敷地はほぼどこだか特定できた。
ただ、そこが空き地のように見えるということは実は何年か前の画像なんだろうか?
でも、富士山なんかは如何にも今の季節って感じの色合いなんだよな〜。
2005年05月20日 (金)
去年、建築写真を撮ってもらったフォトグラファーの清真美さんが、今回は彼女自身の作品制作プロジェクト『新釈肖像写真』として我が家を訪問。まあ、半分は私が頼んだものなのであるが、モデルは私の両親である。
彼女の制作スタンスとしてはモデル希望者の自宅に出向いて、その生活環境の中で絵作りをしてポートレート撮影をするというもの。基本的にその絵作りは彼女自身がここで撮らせてくださいと押しつけるものではなく、あくまでモデルとの対話の中でどこで撮るべきか、どんな家具を配置するか、どんな衣装を着るべきかなどが決められていく。即ちどことなくモデルとフォトグラファーの関係が施主と建築家の関係に近い。
1週間前にすでに両親と彼女の3人でロケハン&打ち合わせは行われていて、両親を結ぶ一番大きな要素は「音楽」だから1Fのグランドピアノの前で撮ろうという話でまとまっていた。それ以外にもふだん使われることのない骨董モノの古茶碗などが並べられ、こんな機会でもないと値打ちモノは陽の目を浴びないのだな〜と改めて実感。
結局、器の類ってがさつに扱って割れても気にならない安物の方が使い勝手も良くなってしまった時代なのである。
ちなみに私は撮影前後の準備と後片付けだけ手伝い、本番の撮影時間は2Fに退散。それは清さんから事前に撮影時はモデルと自分だけにさせてほしいと言われていたことでもあり、また私もそのつもりでいたことである。その感覚というのは、おそらく「家作りブログ三角形」のエントリーでも触れた「人と人との間でモノを作るということがそう簡単なものではない」といったことと関係するように思う。
とはいえ、2F書斎の階段から一番遠い部屋に居たにも関わらず、ときおり3人が爆笑してる声が聞こえてきた。両親共にああいう形でモデルになるのは初めてのことだったに違いないが、清さんと清さんのカメラがそこに持ち込まれたことで濃密な楽しい時間を過ごしていたようだ。撮影終了間際に1Fに呼ばれ、なぜか私も加わった写真を撮られたり、あと私が清さんを撮ったりとしばし記念撮影タイム。ひとまず見せられたポラでも、我が両親がモデルながらかなりいい写真が出来そうだという予感たっぷり。現像後のレタッチで何ヶ月か掛かるとのことだが、仕上がりが非常に楽しみだ。
家が完成した施主の皆さん、または何らかの理由で家の解体を余儀なくされた方など、是非是非、清さんの『新釈肖像写真』モデルとなってみませんか? そこに住人がモデルとなって入ることでその空間がまたひと味違ったものとして(プロジェクトの性質上、ある種、濃縮還元されたような形で)切り取られ、そして後世まで残せるものとなることでしょう。サイトの Contact のページにもありますように、現時点では撮影協力のお礼ということでA3サイズ程度の完成写真ももらえるのだそうです。遠方の方は交通費などが応相談になるかもしれませんが、本人はどこでも行くよ!と言ってましたので。。
ちなみに冒頭の写真は撮影場所を反対側から撮った撮影準備中の様子です。
あと、清さんのモデル募集の件は私が仲介役になっても構いません。もしいきなりメールするのに抵抗ありましたら、ひとまず私の方にコメントください。
≪ 閉じる