2005年05月01日 (日)
忍者ツールズ のアクセス解析が無料利用だと4ヶ月分しか保存できないので、ここでまた「検索ワード」の解析結果をまとめてみた。
前回まとめたのが2004年9月17日〜12月31日 分の解析結果。今後も年3回4ヶ月置きに前・中・後期という形でまとめてみようかと考えている。
上棟式 4.9% ← 上棟式 4.9% DIY 4.3% ← 藤森照信 2.5% 上棟式挨拶 3.4% ← 無印良品 2.4% 丹下健三 1.9% ← DIY 1.8% 無印良品 1.8% ← 挨拶 1.7% 谷中 1.3% ← サーモフロア 1.6% ファサード 1% ← 谷中 1.5% 電動自転車 1% ← 上棟式挨拶 1.2% 止水板 0.9% ← 不忍池 1.1% 家具 0.8% ← 取っ手 1%
以上の推移を見ると前回2位だった「藤森照信」が25位までランクダウンして「丹下健三」が4位にランクインしているのが何とも興味深い。丹下氏の場合、訃報ニュース のエントリーで言わずもがな(それも短期間のうちで)だが、同エントリーにも名前を出してた藤森氏のランクダウンは前回が「スロー建築のススメ 」というTV番組告知でエントリーしてただけに、如何にTVの影響力が未だ根強いものかということを如実に示している。ついでに如何に飽きっぽいかということも(汗)
しかし、前回に続いて「上棟式」「上棟式挨拶」が依然として高順位に来てるってのはやっぱり施主はまず挨拶言葉で悩むんですな。しかし、私の挨拶はものの見事な失敗事例なんで、訪問者は来なきゃよかったと後悔するか、あるいは長いのはやめとこうと再確認していくか、ひとまず後者が教訓になっていけば私の失敗も無駄ではなかったということになりそうです(笑)
ところで先月くらいから MT の調子が今イチおかしくてちょいとへこんでます。バージョンアップさせるべきなのかもしれないんですが、ファイル名とか変わるとリンク修正とか面倒くさいし、特にカテゴリーの調子が悪くて再構築時のエラーがひどいので応急処置として、カテゴリーページをタイトルリスト表示に変更してみました。
まあ、それでも完璧に修復してくれてるわけではないんですが(幾つかカテゴリーリストが表示されてないページもある)。
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2005年04月30日 (土)
4/27(水) にNHKの「課外授業ようこそ先輩」ってシリーズ番組でやってた
「過激な家で元気を作れ!」建築家…荒川修作 を見逃した方(=私)、朗報です♪
今夜4/30(土)01:55(もうあと約1時間後)から再放送されまっせ!!
もっと早く書いておけばよかった。
しかし、上記でリンクした URL、ファイル名が「list1.html」なんですけど、毎週ファイル名書き換えてるんだろうか???
2005年04月25日 (月)
福知山線尼崎駅付近での列車事故だが、事故前日ドミニク・シャニョンのライブ を観に宝塚まで出向いた私は50円安いことからJR福知山線ではなく阪急宝塚線を利用したものの、一つ間違えれば同じ線に乗っていてもおかしくなかったと言える。
そして今日一日報道の続いた事故ニュースを見ていて思ったのだが、もちろん諸々の事故責任は明確にし得るところまで追及しなければならないのは当然として、しかし事故原因の一つと言われる運転士の制限速度オーバーの話を聞くと、ある種、日本人の国民性、また会社という組織の体質そのものが引き起こした事故のようにも見えてしまう。
私自身もそうなのだが、日本人は数分の遅れでもイライラしすぎなのだ。そしてそれがすぐ怒りだとか苦情に結びつき、今度はそれに脅えた会社が社員に対し無言のプレッシャーを与え、挙げ句の果てには責任逃れのための露悪な虚偽行為にまで及んで、最終的に見たくない結末へと導かれていく。
私はこうした悪い流れを堰き止めるのに考えられる現実的な唯一の方法は、やはりただ忠実にいち早く事実を伝えるという方法しかないのではないかと考える。ただ、もちろん「事実」というのは常に確定したものとして捉えるのは難しく、ときに全く異なるような解釈が生まれることもあるだろう。その場合は、それも忠実にそこに見出された二つの異なる解釈を伝えればいい。今回のケースであれば、特別反目し合うような解釈もないので、ただ単に運転士か車掌が無線を利用するなり掲示板を利用するなりして「宝塚駅で8mのオーバーランがありました関係で1分30秒程度各駅の到着が遅れます」と車内および以降の各停車駅で焦ることなく繰り返しアナウンスすればよかっただけの話だ(個人的には車両開発よりも先に全線全車両でしっかり即時情報を流せる電光掲示板やモニタの設置を望みたいところ)。
さて、こうした問題を取り上げたのはすでに察しの付いてる方もおられるとは思うが、シックハウスだなんだとすぐに苦情や責任論に持ち運ぼうとする施主というのがこれと似たケースで多いように思われるからである。もちろん万事が万事のんびりやらせればよいというものではないが、これまた私含む多くの施主は何かと工事を急かしたがりすぎるきらいがあるのではないだろうか?
家づくりというのもまた鉄道と同じく一歩間違えれば大惨事にもなりかねないリスキーな事業なのである。そこで必要以上に業者を急かしてしまうことは、結局は業者からの抑圧で職人を慌てさせるだけであり、ひいてはトラブル住宅なりシックハウスなるものに繋がっていくというわけだ。
ただ、ここでも列車事故同様、業者からは明確な虚偽のない遅延説明がほしい。場合によっては若い職人が何かを反対に打ち間違えたからということだって、ちゃんと説明してもらえればそれについてはどういう考え方をしようといった軌道修正もしやすくなるはずである。というか、まず施主が(あるいは国民が)そうした事実を伝えられたときに、ただ被害者意識に駆られるのではなく、それをどう解釈しどう判断するかのリテラシーを持っていること、それこそが求められているはずのものなのであるが、生憎ニッポンの学校教育は肝心の部分を抜き落として偏差値イライラ国民を増殖させることばかりにご執心のように見受けられるのが残念でならない(私が朝妻さんの著書『家づくりは、はじめてですか? 』を日本の教育批判の本だと思って読んだのも、その本が徹底して「自分で考え判断する」ことに向き合わせようとしていたからである)。
尚、最後にはなってしまいましたが、今回の事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
【追記】
その後、色々と事実が明るみになり、本文でも幾つか訂正すべき箇所も出て来ているが(オーバーランが8mとされているところなど)、これについては事故当日に書かれたものとしてそのままにしておきたい。
ちなみに事故前夜、ドミニクライブのあとに三宮で一緒に飲んでたあさみ新聞 のあさみ編集長、ポリタンコスモ の hira さんもこの件についてエントリーされているので、トラックバック受けた aki"s STOCKTAKING と共に以下にリンクしておく。
hira さんのエントリーでは事故車両に乗車していた学生さんの話も収録されている。
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2005年04月14日 (木)
「祖父から祖母への手紙 」コメント欄の下の方をご覧になればわかると思うが、昨夜、私は一人であくせくしまくっていた。そこでも書いているように同エントリーの本文の文章がコメント欄に自分でコメントした文章にすり替わってしまっているのを見つけたのである。最初は表示上のバグかと思っていたのだが、編集画面のフォーム内を見てもそこにもコメントの文章が来てしまっていて、もはやどうにもならなさそうな状況が見えてきていた。
私はふだんエントリーするのもコメントするのも一旦別のエディタ上で書いたモノをコピー&ペーストする形で投稿しているので、原文が残っているといえば残っているのだが、しかしペーストして公開したあとにもう一度ブラウザ上でエントリーを読み直し、校正をかける。もちろんブラウザやプラットホームの環境差があるのは承知の上で、それでも私は Mac/Safari でもっとも読みよいように微妙に改行部分などの調整を掛けたりしている。
そんな中でも「祖父から祖母への手紙 」は公開後に文章そのものも相当に変更修正を加えたエントリーだった。だから、そのデータが消えたということを認めずには居られなくなったときの喪失感は非常に大きなものだった。エディタ上で下書きしたものを再アップはできるが、それは校正後の文章ではないのである。
もちろんこうした喪失体験はこれまでにも幾度も体験している。一番単純な例としては保存し忘れとか、誤ってデータ削除してしまったとか、、で、そうしたときもしばらくは茫然とするしかないのだが、しかしそれらのケースでは不思議と取り返し可能な力が自分の中に残っていた。もちろん文章をまるごとそっくり再現できるという訳ではない。だが、実際のところ、もう一度書き直したとき、喪失前に書いたものよりもグレードアップした文章に仕上がるのがそうした場合の常である。確かにデータとしては消えてしまったかもしれないが、自分の中で元の文章を書き上げたときの経験が上積み要素となってより優れた文章を書かせてくれるのである。
ところが今回の喪失においてはそうした期待がまるで持てなかった。まず第一にもう一度書き直すなんて気力はまったく持てないし、仮に書いたとしても相当端折ったものになったであろう。で、実際書く気力のない私はとりあえず下書きの文章をそのままペーストして写真についてはソースを自ら書き込んでどうにか体裁だけは復活させる形を取ってみた。だが、何ともやるせない気分になるのである。この際エントリーごと削除してしまおうかとも思ったのだが、すでにたくさんのコメントももらっているので、さすがにそれもしのびなく、如何ともし難い状態。
そこで考え始めていたのが、ネット上のどこかに何らかの形で旧データがまるごと残ってたりしないか?ということだったのである。で、いろいろ考えてふと思い当たったのが Google のキャッシュ 。ここには Google の検索ロボットが巡回時に読み取った情報(つまり何日か前のサイトの状態)が保存されている。だからもしや?と思ったら、案の定4/9(土) 時点のものが出て来てくれたのである。いや〜、このときの安堵感と言ったらそりゃなかったッス!
しかし、今回の経験をきっかけに考えたのが、今回私がデータ上の復活は考えても、頭の中からの書き直しを一切考えようとしなかったのはそれがブログ上の文章だったからではないか?ということである。他の方がどうかはわからないが、少なくとも私はブログの記事をもう一度書き直すというモチベーションをそう簡単には持てそうにない。
[R]Richistyles!「ブログと思考の濃度 」 ブログをはじめてから半年以上がたった。これだけ長い間、安定してものを書いていったのは生まれて初めて。
ニュース、ネタ、雑感、議論といろいろ書いていったが、感想としては特にそれで利口になったとは感じない。ただ、文章を書く作業は早くなったし、文章力はだいぶ伸びた。しかし、これは文章としての中身が良くなったというより、莫大な情報を処理して、それを簡単にまとめたり、適当な意見を書き上げたりする作業効率が上がっただけに過ぎない。
ここに書かれているブログ実感と似たような感覚を私も持つのであるが、どうもブログで書くという行為はこれまで文章を書いていたときのそれとはどこか感覚的に違う。まず、何よりも常に同じフォーマットに従ってエントリーしていくという一連の動作から駆り立てられるもの、richstyles 氏の言葉を借りるなら「処理」という感覚が強くあるのである。それが私にデータ上の復活は考えさせても、内面上の復活にまでは至らせなかった理由ではないだろうか?
実をいうとこの問題を私は最近 garaikaさんが書かれた「オーダーメイド 」とレディメイドとの関係、あるいはアナログとデジタルとの関係において平行させて考えたいと思っているのだが、どうもまだうまく纏められきれず(処理しきれず)にいる。
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2005年01月20日 (木)
Yanaka*M3c ── フォトログ1F編 をアップ。
ギャラリー 兼ピアノ室 メインの1Fはほぼ一室空間なため、仕切ることによって生まれる見せ場は少ないが、空間全体の雰囲気や華燈窓 ・丸太列柱 といった三鷹金猊居からの再利用古材を懐かしんでもらえたら幸いである。
届いたばかりの光庭 完成写真も追加。これで残すは外観のみ。
2005年01月12日 (水)
前回の3F編 から随分日が空いたが、Yanaka*M3c のフォトログ2F編 をアップ。
三角形バルコニー に始まり、三鷹金猊居からの古材を再利用したダイニング 〜居間 、それから階段脇本棚 、書斎 にキッチン 、洗面所 と3Fに較べて見所は多い。
2005年01月08日 (土)
garaikaさんのブログ「家づくり、行ったり来たり 」で元旦早々に「施主の心構え 」というエントリーがあった。翌2日から妻の実家に帰省予定だった私はそれにざっと目を通しただけで家を空けたのだが、帰省中もずーっとそのエントリーのことが気になってしょうがなかった。施主であった者ならば、施主でブログのような家作りの記録を Web 上で公開している者ならば、どう考えても見過ごさずにはいられない重たいテーマである。
まず garaikaさんは施主を CEO(最高経営責任者)に喩えるが、私もそのことには同感である。いや、厳密にいえば、私の場合、最初から同じ考え方で臨めていたのではなく、諸々の変遷を経た上でようやくその考えに辿り着いた、言ってしまえば「ヘタレ施主」であった。であるからこそ、そうなってしかるべき失敗を繰り返し、必要以上のお金と時間、それに迷惑を掛けてしまったという事実がここにある。
実際、私の場合、まず自分の立っている立場からして施主としては甘いものなのだ。
まず第一に今回の家を私は自分の稼いだお金(あるいは住宅ローン)で建てていない。母方の祖父母が築いた三鷹の家と土地を、都市計画などの事情によって引き払わざるを得なくなり(この辺の事情も歪んでいるのでまた別の機会にエントリーしたい)、それによって生じたお金で新しく谷中に家を建てただけなのである。もちろん谷中に越して家を建てるにあたっては祖父母の遺志と思われるものを最大限引き継いだつもりで計画はスタートさせたが、それでも現実問題としてやはり身代を切ってないということが危機意識や緊張感の薄さといったものを所々で露呈していた。それは谷中の家にまず当面の間は住まう両親や妹にしても同様で、敢えて言うなら家族の誰もがただ先代からの貰い物を横に転がしていただけなのである。
だが、私個人はこうして概ね2年半近くも掛けてどうにか終えた家作りプロジェクトに関して後悔の念はない。もちろんその感慨は上記の甘さがあるからこそなのかもしれないが、失敗も含めて良い経験だったと思っているし、そうした失敗があったからこそ生まれたカタチや産物を家の随所に見られることを大変喜ばしく思っている。豊田さんとプロジェクトをリスタートさせるときに豊田さんから求められた設計カルテ で私は自分の新居への夢 として「色んな人の顔が見えてくる家」と回答したが、その言葉には解約した前任建築家とのプロセスを活かすばかりか可能ならばそこで生まれたアイデアを実質的なカタチとして残したいという想いがあった。だが、それはそうした想い、意志を持たずとも自ずと表に現れていたようだ。前任建築家たちによって我々は「施主」として成長させてもらっていたのである。
garaikaさんは施主が自ら施工ミスなどについてわざわざブログで書き立てるのは「社長(施主)がプロジェクトメンバーの社員(施工者・建築家)を公衆の面前で、さらしものにしているのに近い行為のように見える」(カッコ内は引用者による)と書かれている。確かに家作りを一大プロジェクトと見立てれば、それは間違いなく愚かな行為と言えよう。ただ、私のブログではこれまでのエントリーを見ればわかるように、そうした愚かさに足を踏み入れてしまっている部分が多分に見つかるだろう。そうした禁を犯してしまうのには、おそらく私のこれまでのミスだらけの人生というものが大きく左右している。「人」という以前にまず「自分」がミスをするのは当たり前で、だが、そうしたミスった状態からどう立ち直るか、どうやり直すか、どう修繕するか、どう克服するか、どうも私個人はそうしたプロセス自体に興味の的が向かってしまうのだ。施工者の技能も如何に完璧なものを最初から作れるかよりも、ミスが生じたときに如何なる対処対応を示すかで問うていた節がある。それらを自身のことまで含めて傍観者的に記録していくということへの欲求に抗うことはなかなかできなかった。
おそらくその傾向は家作りを終えた今後、より深まっていくだろう。それはそろそろ前任建築家との経緯についても触れなければならないと思っていることに加え、家族の問題がこの家作りとどうしても切り離せないからだ。家族というか、すでに亡くなっている祖父母の代からの家族関係の捻れが今回の家作りにも深く影を落としており、それを記述することは私自身の使命のように感じ取られてしまっている。それは社長(施主)一家の闇部を公衆の面前でさらしているだけの行為と捉えられるかもしれないが、そこに「住宅建築と施主」という「家作り」のフィルターを通すことで、単なる暴露話で終わらないようにしたいとは思っている。
garaikaさんや赤瀬川原平氏ともまた違ったあらわれ方にはなるのだろうが、私自身もこの家作りが楽しかったことに変わりはない。それは「blog 開始 」という最初のエントリーで書いていた所信/初心の表明と何ら変わることはなかった。ひょっとすると garaikaさんのエントリーも年が明けて気持ちを新たに書かれた所信表明だったのかもしれないが、このエントリーもそれに倣うものである。ちょっと遅いですが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
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2005年01月02日 (日)
あまりこのブログの趣旨とは関係ない話となるが面白かったので書いておく。
1月1日と2日のアクセス解析・検索ワードの検出結果を見ると共にダントツのNo.1に輝いたのが「初風呂」であった。確かにこのブログでは引越直後のエントリーで「初風呂 i-bath2003 」を書いていたが、正月元旦に検索される「初風呂」とはこれまた趣旨を異にしていたことだろう。残念!
しかし、正月には「初風呂」なんて検索しようと思う人がいるんだね。きっと「初夢」はもっと多いことであろう。ちなみに私はいつの夢を指して初夢というのかも知らないが、取り敢えず今年になって最初にその内容を言葉にできるレベルで記憶に残して目覚めた初めての夢としては、エベレスト級の高山になぜかタレントの関根勤と二人で登っていて、途中、かなり険しい崖をよじ登ると二人とも後にも先にも進めないような状況に追い込まれ、大いに足が竦むというものだった。オマケにそれで目覚めたあとも足が竦みっぱなしで眠れなくなってしまったのだから、今年の初夢は悪夢で始まったと言っても良さそうだ。
しかし、どーでもいいけど、ここで「関根勤」なんて書いてしまうと、今後はそのワード検出が増えてしまうかもしれないな〜。まあ、仕方ないか、、と書いてて、なぜに関根さんが出て来たかというと、大晦日のK-1で関根さんがボビー・オレゴンのセコンド務めてたからなのかもしれないとふと思った。
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2004年12月31日 (金)
aki's STOCKTAKING の「今年のブログの記録 」を真似て、谷中M類栖でもアクセス解析の状況をすこし纏めてみることにした。
アクセス解析の結果というのは一般にはそのサイトに関わる人たちしか見ない、云わば表には見えない身体の内部データみたいなもの(例えば血糖値がいくらであるとか)だが、隣人の血糖値がまったく気にならないとは言い切れないように余所のサイトのアクセス状況というのも知る機会があれば思わず覗きたくなってしまう邪な心が私の中に100%ないとは言い切れない。
そんな訳で施主にとって建築家ブログのアクセス解析結果というのも当然興味深いが、ときに建築家にとって施主ブログの結果というのも興味の対象となり得ることもあるかと思い、こうしたエントリーを考えた訳だが、実は私はここまでの前言をひっくり返すような話になるが、そんなには自分のブログのアクセス解析結果をこまめにはチェックしていない。たぶんその心理は1年間だけ働いたサラリーマン時代以降、健康診断を一回もしていないというのにちょっと似ているのかもしれない。要は性格的に自分自身に対してはずぼらなのである。
当初、アクセス解析は自前で CGI 弄って作った簡易なもの(1週間分の)を使っていたが、9月半ばから他のブログでもよく見掛ける忍者ツールズ なる無料サービスのプログラムを使うことにした。これだと4ヶ月分のアクセス結果をいろんな形で見ることが出来、たまにしかチェックしないずぼらな者にとっても便利なのである。ただ、手裏剣回ってるバナーが妙なところに出て来て、それはちょっと恥ずかしいのだが。。
そんな解析結果で私が最も興味を持っているのは「検索ワード」である。もちろんどこからのリンクで来たかとか、仕事柄ブラウジング環境とかにも興味がないわけではないが、今のところ「検索ワード」が見ていて一番面白い。そこでこの4ヶ月で検出されたキーワードの上位ベスト10を上げてみたい。
01. 上棟式 4.9%※
02. 藤森照信 2.5%※
03. 無印良品 2.4%
04. DIY 1.8%
05. 挨拶 1.7%
06. サーモフロア 1.6%※
07. 谷中 1.5%
08. 上棟式挨拶 1.2%※
09. 不忍池 1.1%※
10. 取っ手 1%
こうして見るとやはり施主のブログっぽい固有名が並ぶのである。まあ、施主っぽいというのは他ならぬ「上棟式」関連のものが幾つか入ってるからそう感じてしまう訳だが(笑)、実際、私も上棟式や地鎮祭前にはよくこうした検索ワードをチェックしていた。11位〜30位くらいに掛けてはメーカーの商品名や社名がズラリと並ぶので記載は控えるが、aki's STOCKTAKING でもそうだったらしいようにやはり「無印良品 」は強い。確か私のところでは電動自転車 の件で1回しかエントリーしてないはずだが、それでも堂々3位にランクインされている。というか、無印なんて検索したら無限に出てくるだろうに、そんな中から当ブログが出てくるまでページを捲り続けるユーザがいる訳で、単純に検索サイトでキーワードとして打ち込まれた数で見たら他とは比較にならないのであろう。
ちなみに%表示の隣に※印の付いているものは、たぶん私が1回は検索でチェックしたことがあるだろうキーワードである。10位に「取っ手」が滑り込んでるが、私はその言葉を検索しようとしたことはなかった。というか、そこから当ブログに流れ込んで来ても、あまりに把手 がオリジナル過ぎて参照材料にはならないだろうに(笑)
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2004年12月21日 (火)
ギャラリー宙(※) の企画展「MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─ 」が始まった。
2005年3月14日(月) までと長期開催なので、福島近郊の方、また福島に行かれる予定の方は是非ともこの機会に。私も1、2月は仕事で忙しくなりそうだが、その後は今のところ予定がないので3月に青春18きっぷ でも使って今度こそ行ってみたいと思う。
それからギャラリー宙 のサイトを構築されてる MIZO氏のご友人=影の管理人氏(こう書くとまるで「影」にならないけど)が息子への手紙という形式で MIZO氏の作品論 を展開されている。手紙ながらなかなか興味深い論考である。
□◇
MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─
2004/12/18(土) 〜2005/3/14(月)
ギャラリー宙〈そら〉
正午〜午後7時/入場無料/会期中無休
Tel/Fax: 024-533-4884 福島市松木町2-9
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