2005年06月28日 (火)

諏訪の宅地

山林では小一時間ほど過ごし、それから宅地に向かった。宅地は山林の麓の墓地から降りて行けば目と鼻の先にあるのだが、公道を通って行こうとすると結構迂回しなければならない。まあ、今回は車だったのであっと言う間だったが。。
ちなみにこちらの宅地は山林と違って一応は母も私も勝手知ったる場所で、墓参りの度に何をするでもなく立ち寄ってボケーッと見るだけ見て帰る。お隣さんにとして貸しているので、畑に踏み込むことは憚られたが、やはり自分たちの所有地だと思うと何となく確認だけはしておきたくなる、これまでの我々にとってはそんな場所だった。

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ただ、この土地は上記区画図を見てもわかるように、宅地として考えたときの土地形状は頗る悪い。とにかく道路に面する間口が狭すぎるのだ。祖母の話を伝え聞く母の話によれば昔はそれでも軽トラックが通るくらいの幅はあったということなのだが、持ち主の不在を良いことに隣地との境界線がどんどん浸食されていったらしい。
現在は計ってみたら実測約1.6mで、さらには入口すぐのところに石碑と灯籠が立っているので、その分を差し引くと1mもない間口ということになってしまう。つまりは何をするにも搬出入に苦心しなければならない立地というわけだ。

そんなことから泰n叔父さんの口からは「ここは処分した方がいいな」という声が早々にあがっていた。とりあえずその場で私は沈黙するしかなかったが、その言い分は充分理解できるものである。何しろ私たちがここに来るのは年に多くても2回。どう考えてもこの土地にこれから先「住む」ということは考えられないし、また決して地の利のよい場所でもないので、そこにアパートのようなものを建てて家賃収入を期待するのも難しい。というか、それより何より先ほども書いたように、まず土地形状が宅地として考えると悪すぎるのである。

しかし、私はここも山林同様、処分したくないと考えていた。
その考えは今回の諏訪訪問以前から既に胸の内にあったものたが、実際に再確認して尚更その意思は強まったと言えよう。それは一つには祖母がこだわった茅野家唯一の証しともいえる土地を継承すべしという意識が多少なりとも自分の中に働いているというのもあるのかもしれない。だが、それ以上に私が手放したくないと思った理由は、その宅地としては悪すぎると言われる土地形状にこそ魅惑を感じてしまったからだ。
確かに搬出入では不便するだろうけど、幾つかの既成概念を取っ払ってその土地を見直してみれば、魅力的なアイデアは幾らでも沸き上がってくる。というか土地を見ながら色々イメージが湧いてしまってしょうがなかったのである(やっぱり建築ってのは「土地」=「条件」あってのものだね、今更ながら)。

SHED & FIELD現場の確認をしていると、敷地をとして貸しているお隣さんがちょうど出て来て挨拶旁々お茶に招かれた。母以外の3人は実質、初対面である。その席でこれまでの土地貸借の経緯について聞くことになった。
もともとこの辺一帯は茅野家の土地で、母曰くお隣さんは小作人だったという話なのだが、1947年GHQ指導による農地改革でその関係が一変したのだろう。その頃祖母は東京で私の母を産み、子育てに忙しかったはずだから、茅野家の土地のことは養父や弟の泰大叔父に任せっきりになっていたにちがいない。とすればその改革による土地の割り振りで思うような結果が残せなかったのもやむを得ない話だ。

お隣さんによれば土地を借りることになった当初、貸借に関する直接的な交渉は祖母の養父が行っていたらしい。それが泰大叔父に引き継がれ、結局祖母は1995年に亡くなるまで自分の土地は諏訪の親族に任せっきりにしてしまった。そして祖母の死後、私が名義上の所有者になっても変わらず泰大叔父が面倒を見てくれていたので、私も私でお隣さんはおろか泰大叔父との交渉も母に任せっきりにしていたのである。ところが泰大叔父が去年の春に亡くなり、土地の処遇問題が不意に浮上するのだが、それについては「母方祖母の系譜」のエントリーで説明済みとなっている。

050618_akichi.jpg尚、お隣さんとしては処分するならするで仕方ない話だし(場合によってはお隣さんが買い取るということも考えられる)、処分せず当面何もする気がないのであればこれまで通り、畑として貸してほしいということだった。その場で即答はしなかったが、当面の間は私もそれで良いと思う。それとさきほど土地の形状について記したときには触れなかったが、この土地にはもう一つ問題があって、上記区画図からもわかるように土地が急斜面で二分されているのだ。そしてお隣さんに畑として貸しているのは右側の広い部分で左側の狭い区画は所謂空き地状態になってしまっている。何で全てを貸さなかったのかは聞いてないのだが、土地を見る限りその斜面がかなり急で日常的に気軽に上り下り出来るような場所ではないのである。ましてや西側面には手前の家の柵があるので云わば八方塞がりの状態。さすがに畑として使う気にもなれないだろう。

そして空き地ということは当然放っておけば雑草が生い茂ってくる。そこで泰大叔父がそこの手入れを年五千円でお隣さんに依頼し、年に一二度草むしりをしてくれていたらしい。しかし、その泰大叔父が亡くなったことによって支払いがなくなり、それからは目立つ草を刈るくらいでそんなにちゃんとは手を加えていないのだという。
ところが、これについてもここの近所に住む善n叔父さんがしばらくその場所を貸してほしいと申し出てくれて、当面の間は雑草の心配はしなくて済みそうである。

といったところで今回のエントリーは状況報告で留めておくが、すでに私の中で膨らみ始めている妄想の幾つかを披瀝するなら、そこには「小屋」「防空壕」「上から入る家」といったキーワードが浮上してくる。そしてその最初のターゲットとなるのは、出入り口のない八方塞がりになっている狭い方の土地だ。
これは私も rattlehead さんの「家の妄想の記録」に倣って「小屋の妄想の記録」なるブログでももう一つ作った方がいいのかもしれない。
いや、まあ、カテゴリ追加するくらいでいいか?(笑)

今後の参考書籍として『小屋の力』(ワールドムック社・¥3,800-)を挙げておく。

by m-louis : 2005.06.28 18:39
comment

こんにちは。

ふと、岡さんのmix よんでたら、諏訪 茅野の土地 とでてきましたね。

はい、すわ製作所のすわ は 長野の諏訪 と茨木の諏訪からきてまして

わたくし うまれもそだちも 諏訪郡茅野市でございます。

小屋なんかいっしょにたててみたいですね。

まずは御連絡まで。

ななな

なわけんじ

by なわけんじ : 2005.08.16 09:51

>なわけんじさん

岡さんのミクシィからわざわざありがとうございます。

残念ながら、今回の高山は行くこと出来ませんでした。

それにしても「すわ」には茨城の「諏訪」ってのもあったんですね。

知らなかったもので、マピオンで確認してしまいました(笑)

小屋の方は自分の時間が出来るまではしばらく妄想期間にしようと思ってまして、そのうち専用カテを作るつもりです。すでに「すわ製作所」はしっかりブックマークしてますので、その折には何らかの質問をさせていただいたりってこともあるかもしれません。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

by m-louis : 2005.08.17 02:29









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