2006年02月13日 (月)

電線の景観*N的画譚

Y*nmm

谷中や根津の風物詩の一つに縦横無尽に入り組んだ「電線」がある。
谷中の半住人どころか年間で10日も谷中に滞在してない私は、つい最近までそのことに割と無頓着だった。というか、それ以前に家の建築写真を撮ることにおいて邪魔くさいとすら思っていたところもあり、ポジティヴ・シンカー garaikaさんの「電信柱って」のエントリー・コメントでも結構散々なことを書いてしまっている。

ところが、先月「無邪気な Kai-Wai フリッカーズ」で一緒に散策した nodocaさんが flickr にアップされた「雪融け谷中」の写真についたコメントを読むと、電線のことが住民・家主の視点からでないせいか、決して悪印象では捉えられていないのである。
悪い景観100景「街並みを汚くしている電線・電柱」では電線ケーブルが「視界をますます低く圧迫している」と悲観しているが、nodocaさんは「とにかく電線は多くて低い位置にある気がする」と言うだけで、決してそれが良いとか悪いとかは言わない。そのことにアレ?っと思っていたところに更なる決定打が現れた。

陋巷画日記Kai-Wai 散策の masaさんを通して親しくなった根津在住の画家 neonさんの作品がそれである。数日前に neonさんから『陋巷画日記』と題する作品のポストカードをいただいたのだが、それら陋巷をモチーフとした数点の画にはすべて電線が描かれているのだ。そして、その電線の線は画のほとんど絶対的要素と言ってよいほど、重要な構成因子となっている。このさり気なくもユーモラスに踊る電線のラインがなければ、私は節度なくパウル・クレーの名前を出していたかもしれないが(って出しちゃってるけど)、それをしれっと拒む力がこの電線の線にはあるような気がする。そしてまたそれが在り来たりな「電線」の線であるというところが何ともニクイ!

陋巷画日記こうして私は電線に対する考え方を少し改めなければならなくなってしまったのであるが、しかし、だからと言って突然電線賛美するようになるわけでもないし、依然として実家の前の電線を疎ましく思わなくなったわけでもない。ただ、一つ変わった点は電線を谷中や根津ならではの「景観」としても見られるようになったということである。

neonさんの作品はこれまでも Kai-Wai 散策「neonさんの絵葉書」で紹介されているのを見ることができたが、この程 neonさんご本人がブログ「N的画譚」を開設された。恥ずかしながら「陋巷(ろうこう)」という言葉を知ったのは今回のことをきっかけにしてなのであるが、N町在住の neonさんが描く陋巷の名も無き建築物たちをこれから楽しみにしていきたい。

注)写真は2006年1月22日に根津銀座界隈にて撮影

by m-louis : 2006.02.13 21:27
This Trackback No.
2006年02月14日 19:27
neonさんの絵葉書
excerpt: いかがです? これは、拙ブログにコメントをくださったneonさんがお描きになった絵を、絵葉書にしたものだそうです。千駄木の往来堂書店さんで、展示販売され...
weblog: Kai-Wai 散策
2006年02月15日 08:45
オンボロ*ハウス
excerpt: 今日はまずお知らせから。この拙ブログを立ち上げるのに力を貸して下さったm-louisさんの素晴らしいブログ、「谷中M類栖」で拙画のことを記事にして下さ...
weblog: N的画譚
comment

こんな素晴らしいサイトでご紹介いただきほんとにありがとうございます。電線について注目して書いていただいたのは初めてで、とても嬉しいです。私の画の中の電柱や電線は、言うならばリズムのようなものなのです。

by neon : 2006.02.14 20:16

むむぅ、こういう形でTBとは。
このような愛嬌のある絵を紹介されては、電柱の悪口が書きにくくなってしまったではないですか。
でもね、やっぱり富士山の前に思いっきり邪魔して立っている電柱だけは好きになれない(笑)。

by garaika : 2006.02.15 00:24

僕も「電柱を取り払って、電線は地下に」という派なんですが、どういうわけか、特に下町に居て、電柱と電線がゴジャーっと迫ってくるような景色を目にすると、嬉しくなってくるんですね〜。やはり「町並みとの相性」がある、ということなのでしょうか。

by masa : 2006.02.15 02:13

>neonさん
本当は単独で作品紹介と行きたいところなんですが、
一応テーマ性のあるブログなもので、こんな形での紹介となってしまいました(^^;)
しかし、電線と電柱が町を描くにあたっての「リズムのようなもの」になるというのは建設業界の大半の人間にとっては目から鱗なんじゃないかと思われます。新鮮なコメント、ありがとうございました。

>garaikaさん
ちょっと手法がずるかったですかね(笑)
まあ、私もこれで「電線と電柱」好事家になるかというとそれは微妙なところで、要するに「景観」を一律に見ようとするのは不可能ということを書きたかったわけです。これについては補遺としてもう少し視点を整理してみようかなと思ってます。

しかし、あの富士山前の電柱でムリムリではなくポジティヴになれる点を garaikaさんが発見されたら、そのときにはポジティヴ王の称号を贈ります(笑)

>masaさん
masaさんでも「電柱を取り払って、電線は地下に」派でしたか!
それはちょっと意外なコメントでした(笑)
しかし、ようやく谷中に実家があることにも馴れて、先日のような散策をするようになると、それまで家づくりにおいて存在していたファインダーとまるで別のファインダーになってることをまざまざと感じさせられます。
たぶんそれって家づくりにおいてだけでも施主と建築家できっとまたファインダーは違ってくるような気もするんですが、その辺は自分の家を作ったことのある建築家じゃないと実感的回答は得られないかもしれません。

いや〜、しかし私も以前に広島の路面電車用に張り巡らされた電線の交差する様を見て嬉しくなってきたことがありましたよ。住んでる場所とそうでない場所でもまた違ったりするんだろうなと思います。その辺、人間って身勝手なもんで(^^;)

by m-louis : 2006.02.15 03:37

m-louisさん、その路面電車用の電線の感覚、わかります! 昔は東京にもありましたもん。トロリーバス用の電線も…。あれって、交差点周辺では、格子になるのがなんともたまらん感じですね(^^;

by masa : 2006.02.15 04:18

>masaさん
そう!交差点周辺が一番たまらないポイントです(笑)
それっていうのはグリッドの魔力とやっぱり「リズム」なんでしょうかね〜。

by m-louis : 2006.02.15 19:09

拙いコメントの言葉を拾って頂きまして、なんか恐縮しております。。根津に来る前、10年近くつくばに住んでいました。あそこは地下ケーブルで電柱電線は基本的に無い町でした。確かにすっきりはしてました。でも、それが原因ではないけれど、好きになれない町でした。とにかく車でしか移動できない町でしたから・・・。ひとがあるくということを排除した町は、やはり寂しい町です。

by neon : 2006.02.15 19:53

>neonさん
根津の前がつくばですか、、
以前筑波大学に通ってた友人から聞きました。
あの大学は自殺者や自殺未遂者が在学中に多く出て、その原因が建物や街のつくりにあるような気がする(それは自分もそんな気分になることがあるから)というようなことを言っていたのを思い出します。私は行ったことないので、何とも言えないのですが、しかし、「ひとがあるくということを排除した町」ということはその反応も頷けないところはなさそうですね。

by m-louis : 2006.02.16 17:12

m-louisさん、私のコメントまで引用してくれてありがとうございます。

筑波の話を中断してしまいますがお許しください。

「電線/電柱に対する特別な思い」みたいなものはお察しの通り全くありません。

ただ、平均的な高さより低かったり、本数が多かったり、

たまたま見上げた電線のラインの描く構図が絵的に面白かったり…

そんなときに反応してしまいます。

写真においてはneonさんの言う「リズム」にまで昇華させるのは至難の業ですよね。

建物主体に考えると大概邪魔をするのは彼らですから(笑)

それでも電線にはツタなどの異物が引っかかっているケースも多く、

被写体としては無限の可能性を秘めているんだなと思いました。

▼どさくさに紛れて宣伝(^^)

http://www.flickr.com/photos/nodoca/91411848/in/set-72057594052112248/

http://www.flickr.com/photos/nodoca/93157325/in/set-72057594052112248/

http://www.flickr.com/photos/nodoca/87843137/in/set-1473756/

http://www.flickr.com/photos/nodoca/89116120/in/set-72057594061236643/

>トロリーバス用の電線

北海道の電車庫前にてそんな写真を撮っています(エヘン!)

http://www.flickr.com/photos/nodoca/57083993/in/set-1219083/

by nodoca : 2006.02.18 01:05

nodocaさんのこのトロリーバスの電線、すっごくいいですね!愉しくなります。
絵の場合「昇華」というより、何とでもなりますから・・・。現実は電線が目の前にあれば邪魔ですよね。。

by neon : 2006.02.20 21:32

以前、学生さんたち(理科大、だったかな)の写真展にふらりと入ったところ、電線が交差するだけの空を撮ったものがあって、不思議に惹かれたことがあります。

木の電柱にちょっと垂れた電線、はどうやら昭和のノスタルジックな風景のようですし。電線そのものよりもそれのある暮らし、なんでしょうけど。

そういえば子供の頃(昔々)、「未来に電線が地下になればまた凧揚げも思いっきりできるようになります」と電電公社(!笑)提供の科学アニメ番組で言っていたことがありました。当時は、電線が子供たちの空を狭くしている、と。

電線が無くなった空がぽっかり空いちゃうのか、広くなるのか。

広くなった空で、さあ何をしますかね。

by ich : 2006.02.21 01:33

neonさんの絵葉書、本当にもう少しでklee絵画のように見えます:)

実は、わたしは人一倍電柱、電線を気にする人です。
できたらない方がいいと思うタイプです。ひとつは、うっとおしいと感じてしまうからです。
でも一番気になるのはそれをカメラのレンズの四角い枠の中にどうおさめたらいいのかいつもわからない時。結局あきらめるというパターンが多いです。
広い広いはらっぱとか、海とか線を気にしないで撮れるところを好んでしまいます。
その開放感がどうやら大好き。しばったり、しきられたり、境界線がくっきりあったりがなんとなく苦手のようです…。谷中を歩いていても線だらけだ…と実は感じていました。路地は電線がある方が路地っぽいのか、なければまたそこに違った場所感のようなものが生まれるのか、それはわかりませんけれど……。

ちょっと蛇足ですが、海外に長く住む姉は煙突の煙とか、電線とか電柱を嫌います。別にないわけではないのですが、ちょっと田舎の山などへ行くとまったくそうしたものが目に入らない場所で生活をしているのでただの障害物としか目にうつらないようです。
わたしは個人的に工場地帯の煙のシルエットなどに心うたれてしまうこともあるのでこうした主観のようなものって本当にいろいろだと思わされました。

m-louisさんの着眼点はおもしろいですね。そしてまさしく、わたしの世界観を変えてくれている写真がnodocaさんの中にはたくさんあって「ふぇ〜」っと声を出したりしています。(笑)

by mitsubako : 2006.02.21 21:07

>nodocaさん

投稿後、すぐ反映されない状態になってたみたいでスミマセンでした。

ひょっとすると宣伝 URL 件数が多くて、スパムコメント扱いされてたのかも?(^^;)

でも、これに懲りずにまた宣伝 URL 打ち込んでください。

仮に弾かれてもこちらでアップできますんで。。

で、粉飾日付でさきほど補遺をエントリーしたんですが、その中で被写体としての電線という話まで書き切れませんでした(それでなくとも長文やのに、そこにこの問題まで突っ込むと収集つかへん)。でも、まあ、だんだん写真ネタだらけとなりつつある谷中M類栖ですので、必ずや続編書くつもりです。

しかし、neonさんも書かれてますようにトローリーバスの電線、すごくいいですね!

って、flickr のコメントで書け!って話ですが(^^;)

>neonさん

>絵の場合「昇華」というより、何とでもなりますから・・・。

には思わず笑ってしまいました。

neonさんの絵も邪魔くさい電線まで全ては描かれてないですからね(笑)

>ichさん

コメントありがとうございます。

「昭和のノスタルジックな風景」と似たようなことは次の粉飾日付エントリーで私も書いています。そして「電線そのものよりもそれのある暮らし」というところは私も書きたかったのに書き切れなかったところで、まさしく仰る通り、そこにある暮らしが電線と重なって見えるところにおいて、ある種のノスタルジーを呼び込んでいるのだと思います。そうでなければ、電線もただの廃墟フェチになってしまう。

それにしても電電公社提供の科学アニメ番組のコメント、面白いですね!

でも、電線が地下に埋まっても、建物が高層化してしまって、結局凧揚げはお預けになってしまったのかも? という以前に凧揚げやる子供がほとんどいなくなってしまったし、さらに悲劇なのは子供に GPS 付けて〜なんて時代が来てしまっていること。

空がぽっかり空いたときには人間までがぽっかり消えているのかもしれない。

>mitsubakoさん

mitsubakoさんもクレー想起しましたか!

しかし、ご本人からこっそり聞いたところによると、影響受けてるのは「モン+私の好きな東南アジアフルーツ名」とのこと(このヒントでわかるかな?)。

nodocaさんへのコメントでも書いているように被写体としての電線についてはまた改めてエントリーしようと思っているんですが、私の場合はやっぱり出来た家の建築写真を撮るのに一番悩まさせられました。しかし、確かに mitsubakoさんの写真はマクロでないときにはスカッと抜けた感じの写真が多いですよね。日本のショボイところを決して写さないとでも言いますか、、その点で、nodocaさんや私は結構好きこのんでそういうところも撮影してるような気がします。

実は nodocaさんへのコメントでも仄めかしていた続編については「個人的に工場地帯の煙のシルエットなどに心うたれてしまうこともある」という話とも強く結びついていて、さらに言えば、neonさんが「錆朱の町」というエントリーで坂口安吾の「日本文化私感」を引き合いに出して実に明快にそのことを書かれているので、是非ご覧下さい。

http://neontica.blog51.fc2.com/blog-entry-6.html

by m-louis : 2006.02.22 03:00

あ、また拙文を引いて下さいましてありがとうございます。恐縮です。。
でも、やっぱりクレーを喚起しますかね〜。ん〜、どうも何だかそれを毀したくなってきた。・・・っていうのは天の邪鬼でしょうかね。クレーはもっと明るいイメージがあるんですけど(というかあんまり深く知らないんですよね・・・汗)。やっぱりモン・・・と松本竣介。です。

by neon : 2006.02.22 20:24









cookie:






現在コメントはブログ管理者の承認後に反映される形を取っております。
▲PAGETOP