2006年02月19日 (日)

電線の景観*補遺

Y*aizome st.+akaji slope

前エントリー「電線の景観*N的画譚」では画家の視点・撮影者の視点を借りて谷中の電線を好意的に捉えてみようとした。家づくりに集中していた頃には工事・引越・建築撮影と何かと障害物となっていた電線なだけに、その試みには些かこじつけ的な感もなかったとは言えない。ただ、それでも電線を「景観」の一つとしてポジティヴに見られたのは、やはりそこが「谷中」という場所だったという点が大きい。

谷中は敢えて乱暴に言ってしまえば「観光地」なのである。
観光地とは余所者から見られることを宿命づけられた場所、即ち「景観」としての特性に自覚的足らざるを得ないところである。ただし、そうした観光地でも行政主導で観光化を目的とした地域もあれば、自然発生的に人々が集まるようになった場所もある(最初は自然発生でそれに行政が飛びつくケースも当然ある)。その点で言うと谷中は後者でさらには行政はそれを放っておいているような印象が強い(その証拠に曙ハウスの解体でも特に区で何か考えようとする動きは特に見られなかった)。

そして谷中が観光地化した最大の理由は、都内でも珍しく戦火を浴びなかったおかげで大正・昭和の薫りが温存された(悪く言えば取り残された)ことにある。「無邪気な Kai-Wai フリッカーズ」ならずとも土日ともなればカメラを手にした学生や老人たち(その中間層はあまり見ない)が町中をうろうろしている光景は珍しいものではない。
彼らが一様にレンズを向けているその先にあるものとは大正・昭和の息吹を感じさせるものである。その一つに電線や電線の踊る光景があることは言うまでもない。

ただし、それをもう一度「景観」という視座まで下がってみたときに、電線が観光的に持て囃されているから良いとか悪いとかという議論にはなり得ないと思う。ひとえに「景観」といっても、そこには住民の視点もあれば、単なる通行人、車に乗っている人、遠く離れたところから俯瞰している人、そして観光客と様々な視点が介在する。
そのような混在する視点の中から敢えて「景観」の良し悪しを指し示そうとしようとするならば、そこにその立地与条件や周辺環境、あるいはそれを選択した人間の名前および立場を明記してもらいたいものである。

当初、このエントリーは前エントリーの補遺として完結させるつもりのものだったが、前エントリーへのコメントを見ていると、単純に大正・昭和の名残とは別次元のレベルで人の電線に対する欲望は尽きせぬものがあるようで(って、それが自分にもあることは最初からわかってたんだけど)、その辺はまた別の機会に触れられたらと思う。
旧阪急梅田駅コンコースに対する私の思い入れというのは、案外そうした電線に対する欲望と近いところにあるものなのかもしれない。

注)写真は2006年1月22日に藍染大通りにて撮影

by m-louis : 2006.02.19 19:28
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