ただ、残念ながらというべきか、そのモチーフとなった建物は6年前に neonさんが橋本を再訪された時点ですでになく、neonさんの言葉を借りれば「保存とか修復とかいう言葉は、この町には無縁のもののよう」に郊外型の戸建分譲住宅が遊郭だったスペースを何もなかったかの如く覆いつつある状況だった。
ところでふと考えてみると私はこれまで「遊郭」と呼ばれる地をまともに歩いたことがなかったかもしれない。京都に住んでいたときには上七軒など近所にあったが、あれは芸事を中心に据えた「花街」であって、肉体を目的とした遊郭とは趣を異にしている。
だから橋本を歩いていて、異国とまでは言わないものの、どことなくこれまで歩いたことのないような場所を歩いている感を強くした。たとえそこが旧遊郭跡地であって半滅状態にあろうとも、遊郭だったという歴史が持つ特異な空気感はそう簡単に消えるものではないのかもしれない(中沢新一著『アースダイバー』だったら「そこに流れた精子の霊が・・」みたいな書き方になりそうではあるが>笑)。
さて、ふつうに歩けば10分掛からず回れるだろう区画を我々は1時間半掛けて回ったところで、駅を降りてすぐのところにある「やをりき」という洋食屋に入った。入り口のところに階段があることからそこも遊郭の一つだったのでは?と neonさんは思われていたが、お店のおばちゃんに話を聞くとそうではないことが判明。
1924(大正14)年、そのおばちゃんの生まれた年に建てられたその建物は1Fが食堂で2Fはカフエーとして営業していたのだという。当時は入り口が今とは違う階段正面の位置にあってそこに美しい図柄のタイルが張られていた(何の図柄だったか忘れた)という。そして、それに続く階段、2Fのカフエーまでもタイルで敷き詰めていたそうだが、2Fを住居として使うようになってタイルは1Fの現スペースのみとなってしまったらしい。外装も手を加えられていて、かつての佇まいを残すのは1Fの食堂スペースのみとなっていた。
あいにく階段部分の写真を撮ってくるのを忘れてしまったが、店内の様子は左右の写真から幾分かは伺えるであろう。
そういえばその写真を見て思い出したが、当時はこの界隈で大型冷蔵庫を持っているのはうちだけだったと自慢されてたことも付け加えておこう。失われ行く記憶を手繰ろうとするとき、人々の中に宿る「自慢の心」というのはそれを強烈に記憶の縁へと呼び戻す可能性を持つものであり、何とも重要なのである。
ちなみに昼食を済ませて来ていた3人は表が暑かったこともあってサイダーのみ注文。
neonさんは橋本の昔の様子を収めた写真を持参されていて、おばちゃんやもう一人いたおばちゃんと同年代くらいのお客さんにも見てもらっていた。その様子を見ているとおばちゃんたちの受け答えが面白い。面白いというか、厳密に言ってしまうと記憶がいい加減なのだ。だから本気で彼の地を調査しようとしている者にとっては困った話かもしれないが、私はおばちゃんたちと neonさんのやりとりを微笑ましく見守っていた。
町の記憶とはおそらくはそんなものなのだ。「景観喚問」のエントリー以降、このブログでも「景観」についての問い掛けは何度かし始めているが、住民ほどに自分の町を記号化して見てしまっている(=見ないでしまっている)ということは往々にしてあり得る話なのではないだろうか。だから彼女たちは見ているはずの昔の建物の写真を見ても「こんなのあった?」と言うこともあれば、軒より下の方に視線を集中してもらうことでようやく思い出してもらえるなんてこともある。それは彼女たちが建物を建物全体として見る必要がなかったのだから当然の話である。
他方で「やをりき」を出て、neonさん&ちはるさんと別れ、私がもう一度一人で橋本をぐるっと回っていたときに話し掛けてきたおばちゃんは「ここも京都市内の町家のように、古い建物を活かすような改装をして、カフェやショップなどのような形で人を呼べればいいのに」と言われていた。それは私がカメラを持って如何にも物好きしか撮らないようなものを撮っていたからそんな発言になってたのかもしれないが、しかし、そのおばちゃんの発言からある種の景観意識のようなものを読み取ることはそう困難なことではない。ただ、私はその発想が「正」なのか?と問われたら、何も答えられないのが現状である。つまり、私はそれを「悪」だとも言い難いし、また「やをりき」のおばちゃんたちのようにかつての橋本の情景を懐かしみつつも、景観に対して無意識であることによって、時の流れとともに自然に自分たちの記憶を押し流してしまってることも「悪」だとは言えないと思うのだ。
橋本遊郭の建物そのものや町並みの話からは逸れてしまったが、それらについては冒頭でリンク張った neonさんのエントリーおよび作品に触れていただくのが一番だろう。
あとは flickr の方の「橋本遊郭」タグで20〜30枚程度、今回撮った写真をちびりちびりアップしてくつもりなので、たまに覗いてもらえたら幸いである。というか、それに乗じて個別の建物についてのエントリーの可能性も大かもしれない。
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もう少し期日が迫ったら改めてエントリーする予定ですが、neonさんが5月に根津の cafe NOMAD で作品展示をされます。ご興味ある方はまずはこちらまで。
Exhibition
ピアニシモな建築たち〜小さく音楽がきこえてくる
2006.05.11(木)〜05.30(火)(但し、5/16、17、24は休業)
cafe NOMAD(〒113-0031 東京都文京区根津2-19-5 tel. 03-3822-2341)
open*14:00-24:00(カフェですので、1オーダーよろしくお願いします)
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