2006年05月22日 (月)
プチオフから帰宅後、酔いも醒めてまだ余力があったので、迷惑か?とは思いつつも、夜22時過ぎに突如池之端にお住まいの Pruscillaさんに電話する。こういう思い切りが持てるのは、在京中ってのが半ば「旅の恥は掻き捨て」状態というか、この瞬間逃すと次が当分ないよという切迫感があるからだろう。大阪でもそんな気持ちでいれば、もう少し引きこもりにならなくて済むのかもしれないが、どうにも家にいることに安住してしまう自分をそれ以上掻き立てることはできそうにない(笑)
で、電話で呼び出した Pruscillaさん(ちなみに彼女も携帯持ってない人)とはノマドに行った。さすがに「再々ノマド」ともなると店員さんにも顔覚えられてしまったようでというか「この人、毎回別の人と来るけど一体何者?」と思われたことだろう。それも一緒に行った人たちの方が常連さんで、店側からすれば私の方が連れて来られてる客のはずなのに、なぜか連日常連を連れて来ているのである。これは謎という他ない。
さすがにこの日ばかりは neonさんを呼び出すことはしなかったが、ある意味でそれは正解だったかもしれない。なぜならこの晩が一番しっかり作品を観られたからである。引きこもりに加えて、相手の顔を見て話もできないダメ人間であることを自認している私は、実は作品と対峙するときもそこに人の目があるとなかなかそれを観ることに集中できなくなってしまう。言わんやそれがその作品の制作者であれば尚更である。そういう意味でこの日、ようやく制作者の目から開放された状態で作品と向き合えたのだ。
ちなみに Pruscillaさんと私の一番気に入った作品は偶然にも(?)一致していた。
ノマド閉店後は Pruscillaさん宅へ行った。Pruscillaさんが「アニメーション会議」という仲間たちと作った『The Selfish Giant』というアニメーション作品を是非観て欲しいということでの訪問だった。Pruscillaさんはテレビモニタの前にアンティークの椅子をドカッと置いてそこに私を座らせ、電気を消して私を部屋に一人きりにする。おそらくこれまでにも友人を招いてはそのようにされてたのだろうが、なかなかその観賞の時間と空間は不思議な緊張感がありつつも、落ち着いて観られて心地よいものだった。
オスカー・ワイルド著『わがままな巨人』を原作とするこの作品。原作はネットで検索するとほぼ全文掲載されたサイト「5月のお話 わがままな巨人」「わがままな巨人」等が幾つか出てくるので、それらを参照されたい。一応ここではアニメーションを紹介しているページに掲載されたあらすじを転載しておく。
あらすじ
巨人が長らく留守にしていた家に帰ってみると、庭で子供たちが遊びまわっていた。
彼は怒ってみんなを追い出したが、それからその庭には春が訪れなくなった。
けれどもある日、小さな男の子に出会った。巨人は心が溶けるのを感じた。
何というか、私はこのアニメーションに世界のすべてが詰め込まれているような、そんな感覚に誘われた。それがアニメーション自体の絵やコマ割り、それとも物語によって感じさせられるものなのかはよくわからない。ただ、その紹介ページでプレビューされてるムービーやカット画像を見てもわかるように、画面構成上の一番奥にあるレイヤーがほとんどの場面において半透明というか、さらにその背後が透けて見えてるような感じで映されていて、つまりそれは万華鏡を見ているような錯覚に囚われるのである。
興味を持たれた方は是非こちらまで!
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2006年05月21日 (日)
この日は豊田さんと家で一緒に夕食をということで、実家の居間での打合せとなった。
主な打合せ内容は相変わらずの「エアカルテット」問題と、母が希望している追加工事をすべきか否かの話。「エアカルテット」問題はこれから梅雨の時期に去年との比較をしてみないと何とも言えず、その結果待ちということで、もう少し決着までには時間が掛かりそう。ただ、応急処置として、場合によっては扇風機をピアノ下に置いて風を循環させる工夫をしてもいいかもしれないという話にはなった。
追加工事の方は前庭にも水道を回す(倉庫の中には既にある)という工事は行うこととし、その代わり、電気コンセントを外にも付けるという話はなしということになった。
あと、2階のサッシに紫外線防止フィルムを張るのも工事費が高いことと、網ガラスに張るとガラスが割れる例があるということで、現時点では控えることになった。
ただ、この打合せ的な話はほんの数分程度で終わってしまい、残る時間はほとんど両親の旅行自慢話大会。母が言うには前日、母の友人宅を訪ねたときには父はほとんど喋らず半分恥掻かされたとのことなのだが、この日はべらべらとよく喋るもんで、豊田さんなら喋るのねとちょっと呆れて果てていた。
食後は二人でカフェノマドへ。そこで neonさん、それから谷中から千駄木に引っ越された lislenさん+naoさんと会う。neonさんはありがたいことに曙ハウス作品前の席を取っておいてくださった。ノマドは客の座ってるテーブル上の作品をじっくり見るのにはちょっとばかり勇気がいるのである。しかし豊田さん、メールで伝えておいたはずなのに「曙ハウスなくなっちゃったんですか?」なんて言い出すオオボケぶり、、って私も人のこと、まったく言えた立場ではないんですが(^^;)
・・とそれはともかく、neonさんが先に帰られたあと、naoさんと豊田さんがイタリアの同じ大学に留学していたことが判明し、話はめっちゃ遠い世界のローカルな話となって lislenさんと私は「ココはどこ?」の人状態になってたのでありました(^^;)
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谷根千を歩き馴れてる人がこの写真を見れば、それがどこかすぐわかるはず。
日暮里駅北口下車して、夕焼けだんだん〜谷中銀座へと階段降りる手前のY字路です。
しかし、この写真を見て、アレ?と首をひねることがなければ、あなたもまだまだ谷根千マニアとは言えないでしょう。なぜならこの写真は約15年ほど前のものだからです。
当時学生だった私は美大の建築科に在籍していたのですが、つい全館エアコンの効いた 新校舎に釣られて、新設の映像学科に3年次に途中編入してしまったのです。で、そのときになぜかゼミで選択したのが、街中散策ばかりしている藪野ゼミコース。今にして思えば写真でもアニメでももっと専門性の高いゼミを選択しておけばよかったと思うのですが、当時は楽そうだからという理由で呑気に遠足に付いて行ってました。
そんな遠足コースの一つとして、西日暮里から朝倉彫塑館までを歩くというコースの日があり、そのときに撮ったのがこの写真です。今回の上京中に昔のアルバムを開いたらこの写真が出てきたので、大阪に持ち帰って参りました。
で、下の写真が現在の同じ場所。質屋おぢさんと DOG ショップは健在ですが、DOG ショップの方はだいぶ店の看板が変わりました。それとその横のオノ堂カバン店は店を畳んでしまったのか、それとも看板が見えません。しかし、質屋おぢさんの方は看板を変えずに頑張ってるところは見上げたものです。
□◇
「余剰の夕暮れ谷根」でもリンクしてますが、J16さんが「だんだん」というブログを始められました。
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2006年05月20日 (土)
これまでにも幾度か書いたが、三鷹金猊居に住んでた頃、子供ながらの自慢は家の庭に実のなる樹がたくさんあることだった。葡萄、無花果、茱萸、金柑、蜜柑、木苺、苺、姫林檎、キウイ、ブルーベリー、、と思いつく限り書いてみたが、中でもとりわけ好きだったのが、ブドウとグミとキイチゴだった(今度はカタカナで書いてみた)。
特に葡萄は子供の頃、葡萄棚が駐車スペース後方一面に張り巡らされ、よく家の屋根にのぼって貪り食べていたものである。その後、いつだったかはよく覚えていないが、父が2台車を持った時期があって、そのとき葡萄が落ちて車が汚れるとかの理由で駐車スペース上の棚は刈り取られ、縮小化した棚を寂しく思った記憶がある(右の写真は2001年夏の縮小してだいぶ経ってからの写真。ちなみにその頃はまだ家を解体することになるなんて思ってもいなかった。奥に見えるのは現在光庭の石灯籠)。
一応、その葡萄は母が気を利かせてくれて、差し木によって今は谷中の家のバルコニーで植木鉢上で再生している。が、実を付けることを期待するならどこかに植えなければならないだろう。父が高齢でそろそろ車を手放すかと言っているので、車がなくなったら玄関前からパーゴラを葡萄棚とする可能性は高い。葡萄棚といえば、もう15年以上前に中国奥地ウイグル自治区のトルファンという町に行ったことを思い出す。この中国でも有数のワインの特産地であるこの町は、町全体が葡萄棚といっても過言ではないくらいにどこにでも葡萄棚が張り巡らされていたのだ(今は違うかもしれないが)。
さて冒頭の写真は根津の曙ハウス跡地から少し北東に歩いたところにある、家壁に葡萄蔓が這う集合住宅である。実は前日、曙ハウス会合のあとに masaさんの案内で通ったところで、もう一度じっくり見に行ってみたくなっていたのである。10月の谷中芸工展の時期にはおそらく谷中にいると思うので、その頃、再チェックしに行ってみねば!である。問題は誘惑に駆られて食べないように注意せねばならぬところではあるが(笑)
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生まれも育ちもトキョモンにとって、まともな蕎麦を食わせる店が生活圏内にあるというのは、オサカモンにとってのお好みやたこ焼き屋が近所にちゃんとあるのと同じくらい重要なことである。ただし、ここで「まともな蕎麦」と言ってるのは特に味の好みをどうこう言おうというようなものではない。ただ、ちゃんと自分のところで挽いた蕎麦を打って出している店ということだ(まあ、大抵そういう店はうまいが)。
幸いにも関西で暮らすようになって7年。東京に較べれば蕎麦屋の少ない大阪でも2軒ばかりまともな蕎麦屋をチャリ圏内で見つけているので、蕎麦で欲求不満が溜まる心配はいらない。それよりも気掛かりだったのが、谷中の実家界隈でそれが確保できるかということだったが、幸いにも上棟式の日の昼食に豊田さんに案内されて行った「鷹匠」という蕎麦屋が十分すぎるほどにまともな蕎麦屋だったので、ホッと一息撫で下ろしたのだった(というのも実家の家族も蕎麦へのこだわりは強いので)。
その後、私も上京の機会に何度か行っているし、実家家族にとっては昼のレパートリーの一つでお客さんをもてなすのに連れていくことも多いようだ。私はまだ行ったことがないのだが、朝7:30〜9:30にも営業していて朝から蕎麦を決め込むこともできる。
ところでこの店に友人を連れて行って、蕎麦とは別にもう一つ、我々には自慢の逸品がある。それは店内奥の壁に掛けられたバナナの葉っぱのオブジェ(右の写真)である。この作品、実はうちの建築家の豊田さんの手によるものなのだ。2005年から2年続けて行われている「まちの木霊」というプロジェクトの展示でも出品されているのだが、お店に行かれることがあれば、是非奥の壁にも目を向けて欲しい。まあ、店内の設えも随所に工夫が凝らされているので、そうした興味があれば否応なく目にされるだろう。
この日は母と二人で12時少し前に行って昼からの開店一番乗りだった。それで今まで座ったことのなかった裏庭に唯一面した座席に座ることが出来た。この座席で窓の外を見上げると見られる光景が左の写真である。季節が良いこともあって新緑からの木漏れ日が気持ちいい。というか、それ以上に心吸い寄せられたのが、隣家と思われる木造2階建ての古い家屋である。ところどころ土壁が剥き出しになっているところもあって、人が住んでいるのか定かではないが、一度正面から見据えてみたい建物だった。
鷹匠を出て間もなく、突然見知らぬ二人組から「m-louisさんですか?(ニックネームではなく本名で)」と声を掛けられ、たじろいでいるとしばらくしてそれが flickr コンタクトの sympathyさんであることがわかった。ニックネームで呼ばれ、ニックネームを名乗られたらすぐわかったんだろうけど、最近初めて会う人とはニックネームで呼ぶべきか本名にすべきか、少々悩ましいところだ。ちなみに sympathyさんのこの日のことは「偶然だらけ」で書かれてます。
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さて果て、うちの母というのはつくづくこういうもんが大好きな人なのである。
めぐりん──台東区の循環バスで2001年から運行開始。当初、山手線の内側がルートに入ってなかったため、利用する機会がまるでなかったが、それがこのほど4月に開通し、我が実家のすぐ側の交差点も通ることになったのである。運賃は100円で、ルート間の相互乗り継ぎは自由。15分間隔で循環しており、重たい荷物があったときには便利なのよ、使ってみて!と、これはルート開通前後での母からの電話の弁である(笑)
なんだかもう「アンタはめぐりんの営業か?」と疑いたくなるほど、大阪までマップを送ってきたり何だり、、実は我々夫婦は帝国ホテルの近所に住んでいて、梅田までは無料のシャトルバスを利用してたりするので、全然珍しくも何ともない(というか100円するという時点であまり乗る気もしない)せいで、ついその話が出てくると空返事での受け答えになってしまう。そして、今回の上京中も私にとにかく乗らせたいようだったが、特に重い荷物を持つようなこともなく、結局乗らないままで帰ることになった。
しかし、あれだけ「めぐりんめぐりん」と言われていると、さすがに実物に出くわしたときには「お!」と思ってシャッターを切ってしまうもので(^^;) それもちょうど実家の外観写真を撮っているときにファインダーに入り込んできたので、思いっきり慌てたタイミングでの写真になってしまった。しかも 必要ないのに RAW画像だし(汗)
5/23(火) の帰阪日にも、両親と上野方面に歩いていたら現れて、母が「めぐりん!コレがめぐりん!」と大騒ぎ。カメラを首からぶら下げていた私に「撮って!撮って!」とうるさいので撮った写真が↓。しかし、私はこの先、乗ることあるのかな?(笑)
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2006年05月19日 (金)
具体的事例をなるべくそのままタイトルにしようと心掛けているこのブログでは珍しい題の付け方かもしれない。そのくらいこの日はいろいろなことがあり、しかし、当の私はそれを「いろいろ」という以上に思い起こせるほどの余力を残していなかった。まさかN的画譚「個展にわか掲示板」で自ら提案したこの日に、仕事の〆切がかち合ってしまうとは・・結局一睡もせず(新幹線で寝られない質なのも痛い)に集合場所の根津駅2番出口に向かい、約6時間の「いろいろ」を経て、仕事の修正確認のため、家の近所の一乗寺裏手折れ角に来たところで皆と別れたのである。
というわけで、この日、根津と谷中で何があったかは、集まったブログ仲間たちの関連エントリーへのリンクで賄わせていただくこととする。・・と勿体付けて書いてるけど、要は手抜きか?(^^ゞ
・N的画譚: 皆様ありがとうございました(2006.05.19)
・Kai-Wai 散策: ピアニシモな建築たち(2006.05.19)
・みどりの大冒険: 根津の名所へ突撃!曙ハウスとneonさん個展(2006.05.20)
・環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発: 根津と谷中を訪れる(1)(2006.05.29)
・だんだん: はじめのエントリー(2006.05.30)
・Roc写真箱: ソース注しのある食堂(2006.02.19)
冒頭の写真はどうにか仕事の修正確認を終えて気晴らしに家の屋上に上がったら見えた夕焼けである。その頃、みんなは再びかめや食堂で2度目の定食だったらしい(^^;)
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よく建物の解体が行われるとその解体跡地に隣接していた家屋の側面が剥き出しに現れて無惨な印象を与えることがある。特に解体側の土地の建物が先にあって、隣接側が後に建てられ、互いに敷地目一杯に建ってる場合など、後に建てる側はさほどその外見を気にしなくてよい性質上、どうしてもなおざりになってしまいがちなものだ。
事実、三鷹金猊居も都市計画道路問題で背後がざっくりえぐられたときには納屋を増改築した部分が道路側に面してしまって、かなり情けない感じになってしまったし、現在の谷中の家も南西側のK山邸との境界壁面に排水管や雨樋等が集中し、決して見栄えの良い見た目とは言えない(今思えばもうちょっと仕掛けを考えるべきだった)。
しかし、上記写真の曙ハウス跡地のお隣さんはどうだろう? なかなか以て趣のある佇まいをしているではないか? 1Fには「さなえ」という居酒屋が入っていて、左手に見える道路面がその入口になっている。一見するとこの写真を正面としたとき、それなりに奥行きのある建物にも見えるかもしれないが、実際のところは奥行き一間強くらいの薄く平べったい建物なのだ。というか、正しくお店玄関を正面と見なせば鰻の寝床のような建物だといってもいいくらいである。
さて、もう一度写真に撮った面に目を向けると、やはり何といってもこの予期せぬ形で現れた側面ファサードをユーモラスに仕立て上げているのが左右形を違えて突き出した2階の増築部分だろう。これを増築した住人や職人がどこまで意識したものかはわからないが、波板トタンの配し方といい(特に右手トイレ部分と思われる小窓に斜めに取り付けられたトタン、これが非常に効いている)、窓枠の位置バランスといい、トイレ小窓下のなぜか壁の外に出てしまった左右が反対の黒L字といい、全体の色味といい、とにかく絵として面白い(neonさんもこれを見て描きたいと言われていた)。そうそう、上階の増築突き出しという点では軍艦アパートの「出家(でや)」と共通するところもあるように思うが、それについてはまだちゃんと書いてないので、また後日。
ちなみに曙ハウス跡地に何が建つかはまだ未定(2006年5月現在)のようなので、今暫くはこの側面を半ばファサードとして見ることができるだろう。いつかの日か neonさんの作品にどこかで見たことがあるような・・と思っていたら、この建物がモデルだったな〜んてこともあるのかもしれない(笑)
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わきた・けんいちさんの Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」のエントリー「根津と谷中を訪れる(1)」で冒頭を飾る neonさんの描かれた曙ハウス作品を撮影する masaさんの後ろ姿(カフェノマドにて)。それを見ていて、先にエントリーした「余剰の夕暮れ谷根」でこの日のことは片づけてしまったつもりでいたのだが、どうもそれだけでは気が済まなくなってきてしまった。
masaさんの後ろ姿をトラックバックしたくなってしまったのである。
この写真の中で masaさんが撮ろうとしているものとは、今年の2月まで存在していた曙ハウスの建っていたその空間である。それを単純に曙ハウスの跡地写真としてブログで公開することにはどこか憚れるものがあったが、曙ハウスの最期を看取られた他ならぬ masaさんと一緒ならばそれも許されるだろう気がしたのだ。masaさんにはまたまたびっくりさせることとなってしまうかもしれないけど(^^;)
ところでこの日、曙ハウス7人衆(わきたさん命名)は曙ハウスのすぐ近くにある東京都指定食堂「かめや」でちょっとしたミーティングを開いていた。その席で neonさんが masaさんの曙ハウス内部写真やご自身で近所の聞き取り等して得られた情報を基に描かれた曙ハウスの平面図と周辺図を持ってきてくださった(これがまた neonフォント同様に味があって素晴らしい!)。これを基にもっと本格的な図面なり、あわよくば模型なりが作れないか?というのがこの日の会合の主題だったわけだが、そのためにももう少し広範かつ詳細な情報が必要となる。
そこで neonさんの承諾を得て、この図面をネット上で公開することにした。
とりあえず7人衆の持ち寄った情報としては masaさんがすでに「曙ハウス」のエントリーで公開されてる内部写真がもっとも有用な情報なので、平面図上に eye point を設け、クリックするとその視点の写真にリンクするような仕掛けを施した。また周辺図は多くの方が外観写真を撮られているので、そういった写真にも同じくダイレクトリンクを張ることを考えている(現在は平面図のみで準備中)。これらの図面や写真をきっかけに特に内部のことで何か思い当たることなどあったら、「曙ハウスBBS」という掲示板を併設しているので、是非情報提供のご協力をお願いします。
平面図+周辺図はこちら→「曙ハウス†スウハ曙」
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2006年05月11日 (木)
「橋本遊郭の記憶」でも予告しましたが、「電線の景観*N的画譚」等にてご紹介したneonさんの個展「ピアニシモな建築たち」が根津のカフェノマドで始まりました。私も来週末、上京の用事が複数出てきたので観に行くつもりでいます。
N的画譚の最新エントリー「小さな個展」が芳名帳レスポンスの場になっていて、昔は芳名帳といえば次の展示機会でDM出すのに利用するくらいのものだったのに、即レスができちゃうというあたり、時代の変化を感じさせます。開催期間は結構長いので、お近くの方、また谷根千界隈にご用の方は是非ノマドで一服どうぞごゆるりと!
ちなみにうちの母は neonさんの書かれる字のファンです。開催情報の地図も必見!
Exhibition
ピアニシモな建築たち〜小さく音楽がきこえてくる
2006.05.11(木)〜05.30(火)(但し、5/16、17、24は休業)14:00〜24:00
cafe NOMAD(カフェですので、1オーダーよろしくお願いします)
〒113-0031 東京都文京区根津2-19-5(地図) tel. 03-3822-2341