2005年03月11日 (金)
日暮里駅へ向かうさなかに
実生活にまでは及んでなくとも、それ相応の日数、居候的生活を送っていると自ずと最寄り駅までの最短ルートや最も心地よい道のりといったものは探っているもの。この日は練馬区美術館で開催中の「創造のさなかに −ただ今制作中!−」展をIJ氏と見る約束で12時に西武池袋線中村橋駅で待ち合わせていたのだが、家を出たのが11:20。かなり大慌てで日暮里駅までの最短ルートと目される道を小走りに歩いていた。確かそのとき傘は差さなかったものの、小雨がぱらついていたように記憶している。
ちなみにそのルートの中間地点には初音すまい研究所があり、現場で工事が始まってからは何かとそのルートを往復することが多かった。つまり散策対象というよりは完全に日常の通い路としていそいそ歩く道となってしまったのである。ところがこの日、何を思ったのかいつもにも増して大急ぎのはずだったにもかかわらず、道すがらの路地で1枚だけ撮影していた写真があった。それが右の写真で、見ての通り半ボケ反ブレして構図もままならぬ公開に値しない写真だが、それをここに敢えて出す気になったのが偶然にも Kai-Wai 散策「古材の門」という3/12(土) 付エントリーでほぼ同じ場所の写真が撮られていたからである。
後日、豊田さんから聞かされた話によると Kai-Wai 散策の masaさんは1日に撮影する写真を基本的に1枚に限定してるとのことで、その話自体、無意識乱撮り後編集派の私には畏れ多き話なのだが(ちなみにそんな私のバカげた究極的撮影目標はファインダやモニタを覗かずに自分の思うような写真を撮れるようになることです)、言わずもがな「古材の門」で撮られている写真も私が今回撮影した写真とは較べるべくもない素晴らしいものである。そしてそれ以上に感心させられるのがそれを撮影した着眼点の方で
面白いことに、この家は、2階が増築されているようなのですが、2階を支える柱が1階部分の外側に通っているのです(写真でお分かりいただけますよね)。そして、2階部分は、全体が波形トタンで覆われています。したがって、古い平屋の上に、木造のピロティ式建物をぽんと被せたような感じがするのです。いったい、この2階を支える柱は、2階増築後に補強のために追加したものなのか、それとも本当に1階に負担をかけないために最初からこういう造りだったのか? 専門知識のない僕には???です。
という点に私はもう何度となくこの光景を目にしていながら、全く気づいていなかった。それに何故にこの日、日暮里駅までの道のりでここで急にデジカメ出して撮影してたのかも大いに謎なのである。
おそらく探せばこれよりももうちょいマシな写真も過去に撮影したものの中から出てくると思うが、ここでは1日違いの共時性を重視して、それと多少は「古材の門」記事の補足説明的写真にもなりそうなので、画像サイズを変更するのみに留めてそのまま無意識垂れ流しでエントリー&トラックバックしてしまおうと思う。