2004年10月05日 (火)
一ヶ月住んでみて: 電気編(※) で書いていた和室のシーリングライトのスイッチ位置が悪く、リモコン付きにしておけばよかったという話だが、部屋の整理中に溜まったカタログ類を処分しようと松下電工「LIGHTINGMODE 2003-2004」のカタログを見ていたら、うちで取り付けていた「水月」が最初からリモコン対応になっていることがわかった。もっともリモコンは別売とのこと。
当初、別売ならばTVやビデオにも対応する「あかリモコン(¥8,715-)」ってのを購入してもいいかと思ったが、リモコンに調光機能まで付くことを考えるとライト専用の「ダイレクト切替・調光用リモコン(¥2,940-)」の方が直感的にわかりやすくていいのかもしれない。値段もだいぶ違うしね。
まあ、この辺は<物>としてのリモコン一杯状態と一つのリモコンに<機能>ありすぎで頭一杯状態とどっちが良いか、住人の判断に任せるのがよかろう。
右の画像は敢えて 2003-2004年度版のカタログをスキャンしたものを載せておく。当時は新商品だったせいか最新版カタログよりも扱いがちゃんとしてるのだ。
それと「水月 松下電工」で検索掛けたら、激安特価!とか書いてある通販サイトがたくさん出てくるんだよね。ひょっとしてそれで買ってた方がお買い得だったりして??(汗)
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2004年10月04日 (月)
7月末まで引越前後の後始末で谷中に滞在して以降、約2ヶ月ぶりの上京となったが、今回も終わりの見えない後片付けに追われ、暇という暇はほとんど作ることができなかった。建築関係外で人に会ったのも所用あって出向いた三鷹で3組ばかし。art-Link/谷中芸工展(※) も帰阪日夕方にチャリで急いで近場2軒回っただけだったという。。
しかし、予想通り片づけはまだまだというか、7月末ここは自分の荷物だから触らないでくれとまとめておいたものが方々に散らされ、かえって混乱を招くような仕舞われ方をされていたり、明らかに片付けていくべきものの順番が違う。ふだんそこに住まない息子の荷物よりも優先すべきものなどいくらでもあるだろうに(それもそれらが散らかってるならともかく、一箇所にまとめておいたのだ)それが出来ないというところには何かある種の病理が潜んでいるような気がしてならない。
ともあれ、この話題はさておく。それ以上に不安を募らせることがあったからだ。それは母の衰弱ぶりがより一層際立ってきたことだ。今回の上京中もいつもの例に漏れず、侃々諤々幾度かやり合ってしまったのが、そのうちの1回、口論後の何時間かのちに明らかに母はおかしくなっていた。父に聞くとこれまでにも何度かあったそうなのだが、云わば脳梗塞にでも陥ったかのような症状で、目はうつろ、ときどき意味不明の言葉を発し、こちらが話し掛けても気づきもしない。そのときは10分程度でその容態は納まり、蒲団に寝かせしばらく休ませるといつやら復活してたのだが、本人はそのときのことをまったく覚えていないという。元来、心臓は弱い方だが、今回のケースは家族と家での儘ならぬことだらけの状態から来る精神的圧迫=ストレスが最大要因になってることは紛れもない。そして、そのストレスの素が、何かといえば食い違う私と父であることは明白である。
それともう一つ、工事の遅れがストレスの要因になってるらしいことを本人は何度か口にしていた。実は今回こそ私は完成像が拝めると思い、その工事スケジュール(※) に合わせて出向いて来たのだが、結局、台風やら予想外の事件(雨漏り)やらで、またしてもそれを見ず帰阪の途に付かねばならなかった。
家作り最中は工事の様子は毎日でも見たいと言っていた母と私だが、さすがに住み始めた家の中で続く工事には職人さんとの時間調整や戸締まりのことなど気を遣う面も多く、気苦労の方がまさるのだろう。「完成にこだわることに意味はない」とは ETV特集(※) での石山修武の言葉だが、我が家の場合、母の体調を考えると「完成」の二文字は至急である。
10月半ばに把手(※) を作ってくれた義父のいる総領町に帰省予定なので、今度こそはファサード(エントランス)写真が見せられると思っていたが、それもまたお預け。そしてこの日の実家との電話で延期されこの日に予定されていたエントランス部コンクリート+タイル工事がまたしても雨で雨天順延になったことを知らされた。
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2004年10月01日 (金)
家族内での評判が頗るよろしくないのだが、現在のところ1Fの元々は祖父金猊が使っていた大型デスク上には初音すまい研究所から不要だというので貰い受けた21インチモニタが置いてある。まあ、確かにデスク自体極大な上にモニタもどっかり21インチではギャラリー空間が圧迫されていることは否めない。加えて母はそのモニタの如何にもPCって感じ(所謂昔ながらの肌灰色)の佇まいもが何とも気にくわないらしい。よって母はこれを現在2F書斎に置いてある iMac(これは主に母が利用する)とチェンジしたいらしいのだが、私はその交換条件として母に2F和室で寝るのを止め、3Fの自分の部屋でちゃんと寝るようにしてもらいたいということを話した。
母は引っ越して2ヶ月、引越直後に私が母の荷物が多い部屋でも寝るスペースだけは確保しておくようにしておいたにも関わらず、そこにまた別の荷物を持ち込んだり散らしたりと寝るスペースを自らなくして、それを理由に2F和室で眠るようになってしまったのだ。この件に関しては詳細を語るとかなり根深い家族間の問題を引き出さなければならないので、それはまた別の機会に譲りたいと思う。家族問題ではあるが、それは建築計画とも密接に関わる話なのでいずれ必ずエントリーしたい。
というわけで、ここではモニタの問題に引き戻すが、いずれにしても上記の交換条件を私が挙げたのはまず第一に母にちゃんと落ち着いて自分の部屋で寝てもらいたいということがあるのは言うまでもないが、残るところは私の個人的な事由による。
上京中、私は大阪から持参した PowerBook をその21インチモニタと接続して夜間仕事していることもあるのだが、もしそれ2F書斎で繋いだら、間違いなく母から睡眠の邪魔だ言われる以上に何かとちょっかいを出され、仕事どころではなくなってしまう不安があるからである。もともとこの2F書斎は私の仕事場兼母のたまのネット閲覧スペースとして考案されていた場所ではあった。だが、母が仕切のない隣の和室で寝、新たにもう一つモニタが加わったとなれば話はだいぶ変わってくるのだ。当面、1F応接室をギャラリーとして利用しない限りは現状のままでも構わないと思っているのだが、21インチモニタと iMac の設置場所移動を行うのは上記交換条件を母が満たしたときである。幸運にも母には21インチモニタを2Fに持ち運ぶだけの体力はない。モニタが立派な人質になってしまったというわけだ。
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2004年09月24日 (金)
当初、9/23(木) に予定されていた説惇さんの開眼式(※) だったが、私の上京スケジュールに合わせて翌9/24(土) 午後に日程を工面してくださった。おかげで5年ぶりくらいの再会を果たせた訳だが、80歳を越えてるとは到底思えない元気な様子で、谷中の家までも根津駅から坂道を一人歩いて来られている。通りがうるさいでしょうと言ったら、家は街から近いところにあった方がいい。このくらいのうるささぐらいがちょうどいいんですよと言われていた(笑)
祖父か祖母の命日前後にいつもはいらしていただき、お経をあげてくださるのだが、今回は新しい仏壇の開眼式ということもあって、さすがにいつものお経のあげ方とはちょっと違う。最初に両手を開いて手の平をお仏壇の方に向け、はぁぁぁーっと深い息のようなものを仏壇に向かって送り込む。式後、説惇さんにそれは気のようなものを送っているのですか?と聞いたら、そうすることでその仏壇に魂を導き入れていたのだという。
なるほど開眼式のことは別名「入魂式」とも呼ぶわけだ。詳しくは伊勢丹の儀式110番なるサイトの第6章 季節の主なご挨拶を参照するとよいだろう。
式後、いつものように「では帰ります」という説惇さんをどうにか説き伏せケーキで一服。といってもほんのわずかな時間で、帰りは母が言問通りではなく裏道を案内しながら駅まで見送った。まあ、見送られること自体も何度も断られるような方なのだが。。
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2004年09月12日 (日)
赤瀬川原平著『我輩は施主である』文庫版46ページあたりにA瀬川氏が子供時分、門司に住んでいたときの話が出てくる。門司は「港からぐんと切り立っている地形で、家の回りは上も坂道、下も坂道で、世の中はそういうものだというのが僕の基本に焼きついているのだろうか」と氏は言うのだが、そういう意味では私含め、長らく三鷹に住みついてきた我が家族は家の回りが平地であることが焼きついていることになるのだろうか。
A瀬川氏はその後、東京での活動期(氏はその時期を賃貸呼吸の頃と表現する)を中央線沿線の平地がちなところで過ごしたそうだが、その頃は忙し過ぎて子供の頃に焼きついた基本(デコボコ感覚)は忘れていたそうである。それが賃貸呼吸からローン呼吸へ変わる年頃になって再び子供の頃の感覚が蘇り始めたらしい。というか、実際のところデコボコ感覚が土地決定の決め手になったというくらいなのだ。
それを読むと、私たちの土地選択は果たして正しかっただろうか?という不安に駆られぬでもない。何しろ今度の谷中の家は千代田線・根津の駅から歩いて7分は続く坂道の頂上にあり、そこからまた坂道を下っていくような、いわゆる坂の天辺にあるのだ。地名は谷中だけど、どっちかというと谷上と呼びたくなるようなところなのだ。
ここで土地選択の理由を書き出すと長くなるので、それはいずれ書くであろう計画初期時のエントリーに譲るが、いずれにせよ、谷中という場所を一つのターゲットに決めて土地探しを始めたとき、この坂の天辺の谷上をここならいいんじゃないか!と最初に言った張本人はこの私なのだ。いや、別に責任逃れをしようというワケじゃーないのだが、こうした土地決定においてまだまだ賃貸呼吸真っ只中の若造の直感を信じてしまって良かったのか?という話である。
ちなみに私個人は三鷹を離れてから京都千本今出川・大阪天満と住んでいるが、いずれも大した坂のない平地に住んでいる。それは偶然、最初から坂のない町で不動産屋を回っていたから考えもしなかったことだが、もし坂の多い町を候補地としていたなら、そこでそのことに考え(躊躇)は及んでいたであろうか?──こればかりは結果論でしかないが、谷中の土地選択にあたっては先の賃貸呼吸に加え、私自身が当面はそこに住むことがないという「住む」ことに対するリアリティの薄さも、そうした問題を気に留めなかった要因となっていたことだろう。
ところで現住人からは今のところは坂に対する苦情は聞かれない。実は引越直後に何日か私が先にあの家に寝泊まりしていたとき、まず、いの一番の必需品として電動アシスト自転車(※) を思い、母に急ぎ購入させたのだが、それは思い切り余計なお節介の買い物となってしまった。欲しくもないのに買わされたと後になって言われ、諸経費はすべて私持ちとすることとし、今や1F前室を窮屈にするだけの無用の長物となってしまっている。ホントに誰か買ってくれないだろうか?
とそれはともかくとして、今後、子供の頃からのベースとしてきた平地感覚とは違うところで住み続ける住人のことが心配なことは心配である。特に高齢の二人には単純に感覚の問題だけでなく、身体的にきついということもあろう。ただ、A瀬川氏の家を設計したF森教授に言わせれば「やっぱりね、お城のてっぺんがいちばん気持ちいいんだよ、人間は」と天守閣こそ一級物件とのことなので、まあ、そちらの気持ちよさに馴染んでもらうしかない。確かに屋上なんか上がるとつい口を突いて出そうにはなるんだよね。北島康介の例のセリフが(汗)
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2004年09月11日 (土)
まず何よりもショックが大きかったのがキッチンのシンクである。引越直後にシンクに小さなサビがたくさんあることに気づき、山本さん&豊田さんにも見てもらい、業者のクリナップに伝えておいてもらっていたのだが、クリナップからはそのようなサビが納品直後から付いているということは考えられず交換には応じられないという返事が返ってきたらしい。
まあ、確かに新品でサビ付きの製品を売りつける業者がいたらもうとっくに倒産しているだろうが、おそらく原因は工事直後の掃除のときに他のところを拭いてる間に雑巾に金属片か何かが混じり、それがサビを引き起こしてしまったのではないか?とのこと。シンクだけ返品という訳にもいかず、一応、山本さんの方で一時的なサビ止め対策は練ってくださるそうだが、使い始めからサビ付きのキッチンと付き合っていかなければならないというのは何とも淋しい話だ。
他、バス、トイレの入り心地については何も言っていなかった。私も含め、基本的にモノを誉めることの少ない家族なのである。
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まずこれは「一週間住んでみて」(※) のエントリー時には書かなかったことを繰り返し聞くことになったのだが、全体的にライトの数が多すぎるそうである。とりあえず8月の電気代が1万円を越えてしまったらしい。んなバカな?って感じだが(大阪の我が家は2人住まいで3〜4千円)、基礎アンペア数をもともと多く取っている(40A×2)ことが原因してるのかもしれない。今度、上京したときに明細を見てみたい。
それから、これは私も引越直後に何日か暮らして感じたことだが、確かにキッチン〜ダイニングのダウンライトの数は多すぎたかな?と思った。私の滞在中はダイニングでは壁付きのプラケットだけ点けるようにしてたのだが(3Fにあがる階段のところにもスイッチがあって便利なので)、実家ではそちらの方がなくてもよかったと言っている。どうも壁付きプラケットよりは壁に絵を飾るためのピクチャーレールの方が欲しかったようだ。さらにはプラケットがあると絵を飾るにも邪魔になってしまうのだ。実はこの点に関しては母は計画中もそんなことを仄めかせてはいたのだが、ハッキリ言わなかったのでプラケットで押してしまったのだ。
あと、2Fトイレ+洗面室のダウンライトも2つもいらなかったという。これは確かに我が家族は以前から洗面台本体に付いてる蛍光灯をダイレクトに点ける傾向が強かった訳で(ただし、私の妻は室内照明を点けることの方が多いようだ)、そうした生活習慣をもう一歩深く洗い出していれば1個分のダウンライトは浮かすことができたであろう。その辺は完全に施主側の見落としである。
スイッチやインターフォンに関しても、その設置位置に対して幾つか不満が出ていた。
ただ、インターフォンに関しては打合せ時は私のみが2Fの部屋の中心部(カウンタ上の壁)にあるのが一番使いやすいはずだと主張していて、初音の方としては意匠的問題、また母もカウンターにはトースターや電気ポットなど置きたいものが山ほどあるということからキッチンと洗面室の間の突き当たりの位置にと確定したのだが、母はそんな経緯はすっかり忘れているようで、何でインターフォンをカウンターの上にしなかったんだ!と相当に後悔しているようだった。塗装も中霧島だから交換するにも厄介だしね。他、電話の位置も気に入らず、さらには電話自体も使いにくいとか言って新しいものを買いたいようなのだが、さすがにそこまで無駄遣いしてたら罰が当たりますよ。それに関してはこちらで考えがあるからと一応宥めてはおいたが、今度行ったら新しい電話に変わってたりしてね(^^;)
スイッチに関しては、さきほどのライトの数の問題と同じで、要は少し多すぎだったためにそれだけ混乱も多いという状態のようだ。それともう一つ、これは設計段階でもっと検討の余地があったのだろうが、和室のシーリングライトのスイッチをダイニング側に付けてしまったのは結構大きな失敗だったようだ。やはりその部屋の電気はその部屋の中で点けたいと思うのが、我が家族の共通の心情のようで、そういえば私も谷中にいたときにはちょっと不便だなと思っていた。シーリングライトだけは少し奢ってリモコン付きのものでもいいのでは?と松下電工のショールームに行ったときに思ったものだが、言わず終いにしてしまった。まあ、コスト削減の方向にあったからね。
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東京も7月前半から40日間連続真夏日が続いたというだけに、引っ越して直後の住人たちの家のイメージは暑さに彩られているのかもしれない。2Fバルコニーでは植木がコンクリートの熱で焼けないように!とウッドデッキパネルを11枚ほど用意したが、それでも南天の実のなる方の植木鉢が一つ死んでしまったそうだ。
そしてバルコニーと言わず、2Fダイニング〜和室と一乗寺側開口部からの朝日はかなり強烈らしく、和室でゆっくり寝ること考えたらカーテンでも付けたいくらいだという話だった。
心配していたトップライトについては何も文句言ってなかったなぁ(こっちから聞けばよかったのだが、遠慮してたのだろうか?)
それから3Fタラップの床面はパンチングメタルになっていてその下にパーゴラはあるものの、光や水は筒抜け。よって雨の日などにバルコニーにちょこっと出る必要があるとき、そこに庇的機能を持つものがないのが結構不便なんだとか。。
母によれば3Fタラップ床面は穴の空いてない床の方がよかったという話だ。
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毎年祖父の命日前後でお経を上げに来てくださる説惇さん。今年はさすがに引越の前後する7月にお願いするのは無理だろうと話が先送りとなっていたのだが、その日程が 9/23(木) に決まったと実家から連絡が入った。仏壇も新しいのに変わったので、今年は開眼供養もしてもらわなければならない。
しかし、生憎にもその日は私が上京を考えていた前日。説惇さんは高齢ながら話のたいへん面白い方なので、たった一日遅れとはツイてなかった。
ところで実家からの電話で多少その後の谷中での住み心地についてなど聞けたので、前「一週間住んでみて」(※) エントリーの続編「一ヶ月住んでみて」ってことで、今回は少しエントリーを分散させて書いてみたい。
しかし、住み心地に対する住み手の声というのは前回もそうだったけど、厳しいもんですな。おそらくこれまでの生活習慣から外れるものはすべて不便と感じ、それに対し批判の声を上げてしまうのでしょう。設計・施工業者をフォローする訳ではありませんが、こうした前提条件が住み手の内部の声ではどうしても起こりがちであることを最初に宣しておきたいと思います。
何しろ引っ越してよかったこととして言っていたのが、芸大音楽部の学生コンサートが無料で観られる(母)、台東区立図書館の蔵書が案外良い(父)ってことくらいだと言ってた訳でして。。
ちなみに図書館まではチャリで20分くらい。父が三鷹の家から武蔵野市立図書館まで通ってたのと大体同じくらいの距離だそうです。
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2004年09月04日 (土)
たまたまお昼にボケーッと「プライスバラエティ ナンボDEなんぼ」という関西ローカルの番組を見ていたら、その中で紹介された豪快大金持ち=関口房朗さんの豪邸が、家の平面図をメディア上で公開されて以降、やたらと泥棒が入るようになったらしい。
まあ、クイズの解答でそういう話が出て来ただけなので、詳しい話までは聞けなかったのだが、やはり Web 上で家の平面図をアップしてしまうってのは危険なものなんだろうか?
思えば家作り系サイトで平面図を載せてるのってあんまり見た覚えがないんだよね。ただ、その代わりと言っちゃー何だけど、不動産絡みの建築系サイトでは売る目的があるために大抵載っている。そう考えるとその物件は売れる前の図面が出ている訳だから、売れる前に泥棒がプリントアウトしておいて、いざ人が住み始めたらそれを片手に侵入するってこともあってもおかしくないと思うのだが、どうなんだろか?
とこうしたことを書いたのは、実は「建築写真撮影」(※) で書いていた清さんの撮影による写真をアップするにあたり、平面図上に矢印入れてそれをボタン代わりに写真が切り替わるという見せ方をしようと考えていたのだが、やはり何かあったときにはいのいちばんに責任問われそうだよな〜と思い、留まっている次第。
しかし、思えば建築雑誌なんかだと平面図ばかりか断面図まで住宅でも出てることあるけど、それって当然施主の許可も取ってあるわけだよね? 泥棒については大丈夫と高を括っているのだろうか?
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