2005年06月18日 (土)

諏訪の山林

OUR MOUNTAIN6/18(土) は朝6時半に起床。
油屋旅館天空風呂を運良く貸切状態で満喫して、9時半前に泰大叔父邸(現在は長男の泰n叔父さん御夫婦が住まわれている)に向かう。
そこで次男の善n叔父さんとも落ち合い、善n叔父さんの運転する車で、まずは祖父母の眠る墓地へ行った。というのも、墓地の場所が所有する山林への山道入口脇にあるのである。そこから車で無理矢理山に分け入ること約10分。徒歩だと30分くらい掛かるということらしい(私は本当は歩きたかったが)。

母も私もこの山に入ったのは初めてのことであった。母によれば、持ち主だった祖母でさえ、実際に見ているかは疑問とのこと。ただ、この山林の木が切り落とされ、三鷹金猊居の丸太梁や床柱等の主要木材として利用されたことは確かである。つまり祖父は間違いなくこの地に足を踏み込み、どの木を使うか考えていたはず。

CONIFEROUS FOREST現場に到着して、まずは地図を片手に泰&善n叔父さんたちにおおよその境界を示してもらうことになった。近年、義父とM茸狩りをするようになって山に入る機会が増えているのだが、そこが自分の持ち物だという視点で山を見たことはなかったから、何とも不思議な感覚である。
ただ、うちの所有する区画というのは特にこれといった目印が付けられているわけではないものの、かなり容易に判別できるところだった。
というのも、うちのまわりの山林は皆、杉なら、桧なら桧という具合に均質に植林されているのに対し、うちだけ好き放題いろんな樹木が生えているのである(笑)
広葉樹が多いせいか、下草も青々と茂り、ところどころには蛇苺やグミのような赤い実なども見つけることができる。
まあ、これは私が山の素人だから思うだけの話かもしれないが、私はそういう色とりどりの野蛮な山の方が好きだし、そういうところもそれはそれで残ってないと!と安易に思ってしまうのだが、エコロジカルな観点からどちらが望ましいことなのかはよくわからない。もちろん将来的にこの山の木を何本か切り出して何かするということも考えないわけではないが、何はともあれこの山林を手放したくないという気持ちだけはより一層強いものとなった。

泰&善n叔父さんにこの山林が二束三文(1869m2=565坪:約7万円)でしか売れないとして、では逆に買おうとしたら同じように二束三文で買えてしまうものなのか?と質問してみた。すると答えは無理というか、まずそれ以前に売ってないだろう(売ってくれるところを探すだけで一苦労だろう)という返事。
ただ、この質問を投げ掛けたことによって、私がこの山林を手放したくないと思っていることは朧気に伝わったように思う。帰りの車では二人とも持っててどこに迷惑が掛かっているというわけでもないので、わざわざ手放す必要もないか〜というような口調に落ち着いていた。母も同様の判断であったようである。

by m-louis : 2005.06.18 10:48
comment

やっときましたね、山林ネタ。

手放さないというのに大賛成です。

山林は経済価値的に二束三文でも精神面ではとても大きな価値をもたらすと思っております。

せっかく持っているのだから、ぜひやることをおすすめするのは、木の伐採です。むやみに伐採しろとは言いません。用途を決めて1本だけでもいいですから。

自分の数十倍の容積を持ち、数十年を生きた木を倒す――。緊張しますし、その行為自体の是非を問いたくなるような気分になります。

木の伐採は、人間が文明を生み出すごく初期から経験した行為です。それは火を使うことを覚えたころとあまり変わりがない時期だったのではないでしょうか。

いろいろなことを考えさせられますよ。

by garaika : 2005.06.26 09:15

>garaikaさん

木の伐採というと、赤瀬川原平氏の『我輩は施主である』の割と最初の方で購入した敷地に生えてる木を切ることに葛藤し何かを悟った源門さんのことを思い出します(笑)

と、それはともかく「数十年を生きた木を倒す」という行為には色々な思考が駆け巡るのと同時にある種エロティックな感覚も生まれそうですね。昨日たまたま「ジュラシック・コード」という人間の脳をテーマにした番組やってました(人間の脳には爬虫類の脳が一番内側に備わっているという)けど、「木を倒す」という行為にはそうした人間の知性と爬虫類的衝動がない混じる瞬間があるのではないかと思います。

私も三鷹金猊居時代に何のイロハも知らずに庭の剪定はやってて、そこでも色々考えさせられたりはしましたが、あくまでそれは技法上の話で、山の木を切り倒すってのはまた別次元なのだろうと思ってます。少し先の話にはなるでしょうが、山に手を入れるときには是非またアドバイスよろしくお願いします。

by m-louis : 2005.06.26 14:53

山林を所有することって、経済価値以上に、その山林に生息する命の全てを所有(共有?いい言葉が浮かびませんが)することのような気がします。

羨ましいです。

by ノアノア : 2005.06.27 18:55

>ノアノアさん

変な話ですけど、山林って値段だけで言えば小遣いに毛が生えたくらいの値段で買えてしまう代物なんですよね。問題はどこで売ってるか探すのが難しい。

ちなみに日本には跡継ぎが居なくて名義だけ残ってしまった所有者不在の私有林が相当量あるという話です。その状況ってのは勿体ないようにも思うけど、ひょっとすると案外幸せなことなのかもしれないとも思います。

そうそう、余談ですが、叔父たちからも所有名義人はなるべく山から遠いところにいるってことになってた方が役所から呼び出されることがなくて望ましいなんてことも言われました(笑)

まあ、何にしてもいい加減ってことです。

by m-louis : 2005.06.27 21:55









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