2005年09月07日 (水)

「らしさ」について

朝妻さんの「石川淳氏 設計の家 見てきました。」というエントリーで書かれていた「いつもながら“ 石川さんらしい ” 家でした。」を読んで思ったこと。

この場合の "石川さん" とは建築家であって施主ではない(そういえば昔、石川淳という作家はいたが...)。そして外観から内部の様子に至るまで計10枚、おそらくは家の見せ場であろう写真が掲載されており、何となくそれを見るだけでも "石川さんらしさ" は充分伝わってくる。石川淳氏の公式サイトで過去の作品を幾つか見てみたが、朝妻さんの "石川さんらしい" というコメントはなるほど頷けるものであった。

ところでこうした「らしさ」というものは施主という観点で見るとどうなるのだろう。

実をいうと私は自分の家を「自分らしい家」だとは思っていない。それは家づくりにおいて実質的に私と同等の権限を握っていた母についても同様で「母らしい家」でもなければ「父/妹/妻らしい家」でもないという風に現時点の私には見えている。

こうした話を建築家の豊田さんとは話したことがないので、豊田さんがそれを聞いてどう思われるのかはわからないし、もし「私たちの家族らしさ」を考えて設計されたのだとしたら、この話は耳を背けたくなるだろう(スミマセン、豊田さん>汗)。

ちなみに豊田さんと取り組むことになる以前、つまり前任建築家たちの解任劇が続いた頃のプランというのはある意味で「私たちの家族らしい」家としての空気感を持ち合わせていた。というのも解任前に進められていたプランというのは実は父が書いた図面をベースにしたものであり、さらにそのもう一段階前の時点では私の書いた図面も検討されていて、それがそのまま実現ということになっていたとしたら、それはかなり「私らしさ」が前面に出てしまった建物となってしまっていたことだろう。

ところが結果的にそうした自分たちらしさを表象したプランを推さず、豊田新案で再スタートしようと思い立った背景には、むしろ私の中で「らしさ」を家の表現として追求することの危険性を感じていたからに他ならない。私にとっては父らしい家や私らしい家であるよりも、誰かを特定しない家であった方が、少なくとも「家族」という単位が暮らす場所としては住みよいのではないか?と思ったのである。同じ「らしさ」を追求するのなら「谷中らしい」家であることの方が重要だった。

ただ、冒頭で引き合いに出した建築家の場合はやはり逆のベクトルということになるのだろうか。それこそ「作風」という言葉があるように、そしてそれは実質的に建築家の実績=営業ともリンクするので、簡単には否定し難いはずのものである。

by m-louis : 2005.09.07 03:37
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2005年09月07日 08:40
“ らしい ” 家について ちょっと思ったこと
excerpt: 論客施主ブロガー 谷中M類栖 m-louisさんの 「らしさ」について にTB。 昨日、紹介した石川淳氏設計の家について、 私は、『石川さんらしい』と書いた。 これについて、m-louisさんは 『施主の観点から見たらどうなのだろう』  という疑問を書かれている。 この...
weblog: 建築プロデューサー 朝妻 義征
2005年09月07日 21:11
「らしい家」考
excerpt: 谷中M類栖のエントリ「らしさについて」にTB。 谷中M類栖のエントリは建築プロデューサーの朝妻さんのエントリ「石川淳氏 設計の家 見てきました。」へのTBエントリであり、朝妻さんがそれを受けて「“ らしい ” 家について ちょっと思ったこと」というエ...
weblog: 家づくり、行ったり来たり
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コメント&TB、ありがとうがざいます。

こちらからも、TBしちゃいました。

by asazuma : 2005.09.07 08:46









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