2005年09月10日 (土)

「らしさ」についての補遺たる困難

「らしさ」について」のエントリーでTB誤送信したら、朝妻さんからは新規エントリーで「“ らしい ” 家について ちょっと思ったこと」、そして garaikaさんからも「「らしい家」考」というTBが返ってきた。さらには朝妻さんのエントリーではノアノアさんのコメントもあって、TB誤送信というのも満更悪くないものである(笑)

それにしても「らしさ」という言葉は厄介なものである。いや、厄介だからこそ便利に使えると言うべきか? garaikaさんは〈「らしさ」とはあいまいな言葉だ。〉と書かれているが、実際のところ、人から何某かの評価を求められたとき、「〜さんらしい」と答えてしまうのが最も無難な回答となり得るのは言わずと知れた話である。なぜならその言葉は仮に答えた側にとってマイナス評価のものであったとしてもその含意は伝わらず、尚かつ言ってることにウソはない。もちろんプラス評価の場合も然りである。

「らしさ」とはおそらくどんな側面を指しても言えるものだろう。
garaikaさんも書かれているようにそもそも関わること関わらないことそれ自体が「らしさ」を示してしまっている。前回の自分のエントリーを反語的に言うならば、イメージとしての「私らしさ」が直接的に表現されていないプランを選んでいること自体が「m-louis らしい」とも言い得てしまう。そして garaikaさんは関わり方の深度に良い意味での「らしさ」を求められているが、前エントリーで私が懐疑的に捉えていたのは何か先験的に「らしさ」を表現に落とし込んでしまうことに対してなのであった。

by m-louis : 05:09 | comments (2) | trackbacks (1)
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