実をいうと私は自分の家を「自分らしい家」だとは思っていない。それは家づくりにおいて実質的に私と同等の権限を握っていた母についても同様で「母らしい家」でもなければ「父/妹/妻らしい家」でもないという風に現時点の私には見えている。
こうした話を建築家の豊田さんとは話したことがないので、豊田さんがそれを聞いてどう思われるのかはわからないし、もし「私たちの家族らしさ」を考えて設計されたのだとしたら、この話は耳を背けたくなるだろう(スミマセン、豊田さん>汗)。
ちなみに豊田さんと取り組むことになる以前、つまり前任建築家たちの解任劇が続いた頃のプランというのはある意味で「私たちの家族らしい」家としての空気感を持ち合わせていた。というのも解任前に進められていたプランというのは実は父が書いた図面をベースにしたものであり、さらにそのもう一段階前の時点では私の書いた図面も検討されていて、それがそのまま実現ということになっていたとしたら、それはかなり「私らしさ」が前面に出てしまった建物となってしまっていたことだろう。
ところが結果的にそうした自分たちらしさを表象したプランを推さず、豊田新案で再スタートしようと思い立った背景には、むしろ私の中で「らしさ」を家の表現として追求することの危険性を感じていたからに他ならない。私にとっては父らしい家や私らしい家であるよりも、誰かを特定しない家であった方が、少なくとも「家族」という単位が暮らす場所としては住みよいのではないか?と思ったのである。同じ「らしさ」を追求するのなら「谷中らしい」家であることの方が重要だった。
ただ、冒頭で引き合いに出した建築家の場合はやはり逆のベクトルということになるのだろうか。それこそ「作風」という言葉があるように、そしてそれは実質的に建築家の実績=営業ともリンクするので、簡単には否定し難いはずのものである。
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