2004年08月13日 (金)
引越前の慌ただしいときにも母は一刻も早くダイニングテーブルとして想定されているEL(エル)が欲しいとヒステリックなまでに言い立てていた。だが、もし母の希望を叶えてその時期に注文し、引越前後で搬入されていたらば本当に大変なことになっていただろう。ダイニングは1〜2F、2〜3Fへと上がる階段の中途に位置し、乱暴な見方をすれば階段の踊場であると言ってもいい、そんな機能を与えられた場所なのである。
当然そこは引越時には荷物を上下に振り分ける場所となり、また床がフローリングでがっしりしてることもあって、荷物を高く積み上げておいても差し支えのない場所であった。そうした一時的溜め置きスポットにダイニングテーブルがあったら邪魔以外の何物でもないことくらい容易に想像が付くであろうが、母にはそれよりも物欲の方が先立つのである。と、その切り捨て方ではさすがに冷たすぎるので多少フォローするなら、父や私が多少購入に反対の素振りを見せていることから、早めに既成事実を作ってしまいたいという気持ちがあったのだろう。物と人の関係というのは本当に難しい。
父や私の反対理由は以前にも書いた通り(※)、約26万という価格が第一にある。やはりそれだけの大金を払ってあまり良くなかったとなったときの打撃は大きい。それ以外で私が気になっていた点は、確かに eye レベルが低いことで空間的な広がりは感じられるのだろうが、事実上の専有面積は標準的なダイニングセットよりもかなり大きく取ってしまうので、実際置くものの多い我が家にとっては少しでも有効スペースを残しておいた方がいいのでは?と思われること。それからもう一つは非常に単純な表現にはなるがまさにソファの硬さにおいてファミレスと言っていたように、本当にファミレスのようでちょっとダサい。まあ、ダイニングのサッシを通してデニーズの看板も見えたりするので、ちょうど対になっていっか!と冗談でムリヤリ自分を納得させるという手もあるが。。
ただ、そうした言い争いが引越最中に起きていたものだから、その後、ダイニングテーブルについて話し合う機会は失われてしまっていた。そうしてしばらくの後、私の上京予定を数週間前に控えた頃だろうか、、母から買ったからという報告を別の話の次いでとして聞かされる。確かその言い訳として、自分だけ専用のデスクがないということを挙げていただろうか? ただ、それによってあれだけ畳を傷めることを注意されていた和室が段ボール山積み置き場となっていくのである。
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2004年08月11日 (水)
そういえば谷中滞在中、1回目の引越が終わってまだ和室に段ボールがほとんど置かれてなかった時分、思わず疲労から新調畳(※) にゴロンと寝ころんで背中の汗で汗染みを作ってしまったのだが、妻がそれに対する対処法を教えてくれたので、ここに。
1リットルのぬるま湯に大さじ2杯の抹茶を溶かし、雑巾を浸して固く絞り、畳の目に沿って拭くと、数日で新品同様の青い畳に戻ります。また、レモン汁を数滴雑巾につけて拭くと、畳の黄ばみを防ぎ、長持ちさせてくれます。バケツ7分目くらいの水にさかずき1杯ほどの酢を入れて、雑巾を浸して固く絞ったもので、畳を拭いても黄ばみが落ちます。
明日からしばし妻の実家に帰省です。総領は涼しいので嬉しい。
2004年08月05日 (木)
建築登記のために必要な書類等の在処を聞く必要があって母から電話。
先日の電話ではまだ不在のために両隣2軒しか済んでなかったご近所挨拶も道路挟んで向かい側4軒は全て終え、あとは裏の永松さんだけとのこと。ここは夫婦共に働いておられるので、週末を待つしかないだろう。
ところで実家の面々が谷中に寝泊まりするようになって1週間。そろそろ馴れてきた頃かと思いきや、どうも全員、車の騒音に苦しんでいるらしい。仮住居時には100mも程ない近くを走る電車の騒音に驚くほど動じなくなっていた彼らだというのに。。
電車は夜間通らなかったからな〜。
中でもとりわけ深刻なのが妹のようで、夜は寝付けず朝は5時前には目が覚めるで睡眠不足に悩まされているらしい。滞在中、妹のA部屋だけは本人に嫌がられるので部屋の寝心地を確認しなかったのだが、父のY部屋以上に風通しが悪く寝苦しいらしい。ベッドの手前の方は24時間空調の通路となってエアコンなしでもそれなりに涼しく感じていたのだが、母曰く、父のY部屋の方がまだM部屋と開け放しに使ってればマシということで、しかし、ってことはつまりYM夫婦は仕切戸を開け放してベッドと布団を隣り合わせて寝ているということか?(笑)
それとこの件に関するツッコミは聞かれなかったが、私が滞在中に気になっていたのがトップライトだ。3Fにあがったときにムワッと熱い空気が澱んでる感じになっていて、それは間違いなくトップライトを通した熱気のせいだと思う。早いうちに簾など何某か日差しを遮るものでトップライトを覆うか日が入らぬよう工夫した方がいい。内側でやるのと屋上で一工夫するのとどちらがよいのだろうか? そこに私が居ればいろいろ試せるのだが。。
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2004年08月01日 (日)
ところでご近所挨拶のために西川リビングでタオルセットを買ったのはいいとして、そのとき「セール中だったので無圧敷布団も一緒に買ったから」と電話で母が付け加えたのにはさすがに驚きを隠せなかった。
確かに母が自分用に購入した無圧敷布団のことを私はベッドマットよりも数段良いと言いはした。そしてセール中で単価が単価(母のは5万以上したらしい)なだけにかなりの割引額が母の目に飛び込んで来たのかもしれない。
だが、この荷物の全く片付いていない、ばかりか布団だけでも相当数持ち込んで(布団袋たっぷり2袋←それも圧縮済)、これらを一つしかない押入にどう格納するのか大問題の状況下で、さらに新しく布団を買うなど言語道断というほかない。母の弁としては我々夫婦が泊まったときに布団が2組ないけどどうするんだ?ということなのだが、あれだけ大量に布団やマットレスを持ち込んで、その中に敷布団は含まれてなかったというのであろうか? それに事実上、私の妻は今後よほどの用でもない限り、谷中に出向くことはないだろうし、私にしたところで次回の屏風搬入のための上京が終わればもう建築費から交通費を出す訳にも行かなくなるだろうから、ほとんど東京に行く機会もなくなってしまうことだろう。
まあ、母に言わせれば母の大事な友人が泊まるときのためという言い訳でも成立するのだろうが、実際のところ何割引になったかは知らないが5万近くする無圧敷布団に人が寝る回数など年にたかだか10日程度しかないだろう。あるいは母自身が和室で寝たいという願望から買ったものなのか?(それならまだ話はマシだが、しかし、そうなると私が谷中の家を訪れる気はますます失せていくだろう) せめて買うにしても、現在の布団類が押入からどれくらいあぶれるのか、またそのあぶれたものを他の収納にどれくらい回すことができるか見当付いてからにしてほしかった。
しかし時期早計の弁を電話で切り出すと、母は「一言感謝の言葉を言えば済むのに、気分悪い」と逆ギレしてしまい、もう本当にどうしたらいいんだろうね〜の状況である。ところでこのうちでは何かと「ムアツシキフトン」と呼ばれてきた敷布団ですが、西川のは「ムアツふとん」って言うんですな。それと私自身はココで漢字で「無圧敷布団」と書くまでは漠然と「無圧式布団」かと考えちゃっておりやした(^^;)
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母からの電話で気掛かりだったご近所まわりを始めた由、聞く。
何しろ引越すること計3回。で、その1回目の引越が終わった時点から私一人、谷中の方に滞在し始めたため、約3週間近く人の気配がありながら、引っ越しましたのご挨拶がなかったことになる。
こういうことって待たせてる側にとってはあっと言う間でも、待ってる側からすれば何で来ないんだ?の長〜い3週間である。もちろん私が一人で挨拶に行くことも考えはしたが、住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」に最初のご挨拶はなるべく家族全員でとあったので、そこに住まない私が行くよりはやはり家族が揃ってからの方がよいだろうと考えたのだが、しかしやはり今思えば、ちょい顔出し挨拶ってのでいいんで行っとくべきだった。
なお、ご近所まわりの際には西川リビングのタオルセットを手土産にしたらしい。
2004年07月30日 (金)
別に家族内で取り決められていた訳でもないが、家族全員分(父・妹のはごく一部)の書籍関係整理を請け負ってきた私はどうにか段ボール箱8個を残すところまで本棚に格納して帰阪の途についた。引越直後の写真を撮っておかなかったのが悔やまれるが、ダイニングのスペースは2度にわたって本の入った重たい段ボール箱の山が出来ていたのだ。
階段脇本棚に収まり切らなかった残り8箱はすべて書斎に移したので、私が去ったあと、そこを生活空間として活用することは可能だし、母お望みのダイニングテーブルを入れることもできるはずだ。
ちなみに本棚に収まり切らなかった残り8箱分は、棚板待ちになってる書斎本棚や2Fトイレに設置した金猊作書棚に詰められるだけ詰めて、それでも漏れるなら余った棚板を組み合わせて3F本棚上スペースに新たに本棚を積み上げるしかない。やっぱり最初から手の届かないところまでも本棚にしておいてもらうべきだった。
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谷中に暮らして数日。その数日生活体験で最も必要と感じたアイテムが電動自転車。
何しろ、うちの敷地は言問通りでも一番高いところに位置し、何かと買い物に出掛けるスーパー赤札堂が一番低いところにあるのだ。「行きはヨイヨイ帰りはツライ」をこれほど地でいくところもないだろうというくらいにその坂道は辛い。
実際、何度行き掛けて躊躇したことだろう。
と思ってた矢先、足りない本棚補うためにカラーボックスでも!と近くに無印良品がないかとサイトで場所確認しようとしたら、無印のトップページに電動アシスト自転車 7/29(木) 新発売って出てるじゃないですか!
ましてやまだまだスポーツタイプは10万前後はしてしまうご時世下で¥52,290-。さっそく母に相談して試乗して大丈夫そうだったら買おうという話になりました。写真は上野の無印良品で試乗中の母。スポーツタイプに不馴れなため、ちょっとふらついてますが、サドルが低いので大丈夫だろうと、、ただ、カゴやらカギやらライトやらオプション付けて行ったら、あと5千円近く掛かってしまった(^^;)
店員からは受け取りにあたって18時前に電話するという話だったが、18時半過ぎまで電話がなく、こちらから掛けるとちょうど今装備取り付けられたって話(本当か?)。この日、帰阪予定の私は慌てて上野まで歩いて受け取りに出向いた。
で、私は帰り道に三段坂の方を通って早速昇ってみたのですが、確かにアシスト、しっかり効いてくれました。
っていうか、恥ずかしながら私は電動アシスト自転車のアシストの意味を当初理解してなくて、ペダル踏まなくても電動にすれば勝手に走ってくれるもんだと思ってたんですが、「それじゃバイクと変わらないですよ!」と矢原さんにもツッコまれた通り、まあ、要は
http://www.muji.net/new/electric_bicycle/
ペダルをこぐ力をセンサーが感知し、必要に応じた動力をモーターから補助する、電動アシスト自転車。
走り出しや上り坂など大きな力が必要な時に威力を発揮します。
ってことですね。平坦な道を走ってるときにはあんまりアシストしてくれなさそうではあります。でも、これなら赤札堂に行くのが厭にならなくて済みそう♪
【追記】
結局自転車は私が大阪に持ち帰り、自分で乗ることにしました。
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2004年07月21日 (水)
我が家のトイレは2F以外はコスト削減のためにウォシュレットだけ別メーカー(松下製)の割安商品を施主購入&取付するということにしていたのだが、母が不器用な父の取付作業に対して心配を口にし始めて、結局施主取付は主に父が使うということになってる3Fのみ。1Fは商品自体は施主支給ではあるが、取付工事は本工事期間中に別途費用を払って業者にやってもらっていた。
というわけで、3Fのみは父が自分でということでこの日の11時頃にそれを取り付けるためにやってきたのだが、まあ、何となく予想はできたんだけど、母の不安は見事的中。トイレ水浸し事件が勃発したのである。
その辺、私も父に似てるところがないわけでもないのだが、父はあまり取扱説明書を精読するタイプではない。だから、それによる失敗も多く、その度に母や妹からお小言言われるのだが、どうもまるで懲りてないようで、今回もときどき作業の様子を覗くと箱の中の細かい部品をあたりに散らかしてゴチョゴチョやっている。で、一度、覗きに行った折に呼び止められて、ここのパイプがうまく嵌らないからちょっと試してみてもらえないか?と言われ、言われるままに嵌めるべきところを嵌めてみると、そう造作なく嵌めることはできた。ただ、そのとき気になったのがそのパイプの下に何らかの部品と思われるものが落ちていたこと。が、父はそれには気を掛けず、とりあえずパイプが嵌ったので安心したのか、一旦作業のために大元の栓を閉めていた水道を開栓してデニーズに昼食に行ってしまったのだ。
で、その間、私は2Fでお湯を沸かしてカップラーメンを食べていたのだが、どうも上の階からずーっとトイレの水が流れっぱなしのような音が聞こえてくるので、不審に思って階段を上がると、すでにトイレ床面は完全に水浸しとなり、脱衣室の方にまで水は流れ出ようとしていた。やはり私が気にしていた部品がないことによってか、とにかく水の堰き止め機能が失われてしまっているようであった。何にしても私は慌てて脱衣室にあったタオルを手に取り、まずは水浸しとなったトイレの床を拭く。しかし、便器後ろの配管部分からは続々と水が流れ出し、拭いても拭いてもまたすぐに水は溜まってくる状態。ひとまず私は水の滴り落ちる部分にタオルを敷き、トイレ手前の脱衣室に水を溜められるものがないか探す。本来であれば風呂場には手桶の類が幾つかあってそれが役立ったはずだったのだが、まだ家族は皆、仮住居で寝泊まりしており、生憎そうした道具はこちらには持ち運ばれていないのだ。そんなわけで私はトイレの水漏れ具合に気を取られつつも手当たり次第脱衣室にある箱などを開けて、何とか水受けに出来るものがないか探し、ようやく一つクリスタルグラスなる未開封のちょっと高価そうなコップを見つけ、一瞬躊躇はしたものの、そんなこと言ってる場合ではなく、それで急場を凌いだのである。とはいえ、グラスに水はほんの十数秒もしないうちに溜まってしまうので、まだまだ悠長なことはしていられない。元栓を止めない限り、この状態は収まらないわけであり、しかし、元栓を閉めるためには3Fから1Fまで降りねばならず、ましてや私自身は水道栓の場所をちゃんと確認していたわけではなかったので、どこにあるのか探すところから始めなければならない。その間に水がトイレ室内から溢れて脱衣室、さらには廊下や階段にまでこぼれ出す可能性がないとは言い切れなかった。
そこで、ひとまず思い付いたのが3Fの父の部屋に行ってコードレス電話を取ってきて、父の携帯に電話するということであった。何しろ父は歩いて3分もないデニーズで昼食を食べているのだ。で、片手で水の処理をしながら電話するとまずは出てくれたのでホッとした(父は携帯の電源を切ってることが多いので)が、事情を話すと「だったら下に降りて元栓閉めればいいじゃないか」と父。それができる水量ならとっくにしてるのだが、どうやら父はまだ食べている途中であるらしい。食いしん坊の父には途中で食べるのをやめて戻ってくるなどということは考えられないことであった。というわけで、とりあえず食べ終わるまで水受け作業を続けていてくれということで、十分ほどのちに帰ってきた父が元栓を閉めたことによってどうにかこのトラブルは収まった。
しかし、こんな状態になってしまって、ウォシュレットの取付作業をしたところで、水道本体の接続を誤ってしまっている可能性もあるので、水道屋を呼んで見てもらうことにしたところ、夕方やってきた水道屋さんは親切にパイプの修復をしたあとに無料でウォシュレットまで取り付けて行ってくれたのである。結果的にはコストの面では一番お得な方法が選べたことにはなったが、しかし、これだけ水浸しにしたとなるとフローリングのことが心配である。特にうちの場合、フローリングにはよくある業者の専用コーティングをせず、オスモのクリアを薄塗りしただけなのだ。だが、矢原さんに早速電話で尋ねてみたところ、塗って間もない時期なので、材が変色・腐敗するような心配はないだろうとのこと。だが、とはいうものの、こうした天然木は将来どういう変化が起こるかわからない。そうした変化が起きたときに母がまた心配の声を撒き散らすとそれが一番疲れるので、父には今日あったことは母にちゃんと話すように!ときつく言っておいた。きっと家に帰ったら「やっぱり」と言われているはずだ。
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2004年07月19日 (月)
今回、主に父主導の判断で、我が家が2回(結果的には3回)に分けて引越をすることになったのには大きく3つの理由が挙げられる。
1)三鷹金猊居→仮住居への引越時も2度業者に頼むことになった。
2)仮住居から大きな家具類を出さないことには荷詰めするスペースが作れない。
3)市の規定で粗大ゴミや不燃物をいっぺんに一定量以上出すことが出来ない。
以上のことから引越業者2社と6月中旬に見積もり交渉。最終的には2社のうちで安い見積もりを出してきた方(父の弁では前回の引越時に母が推していた方)を選んだらしいのだが、竣工予定日から約2週間後の本日を1回目、そしてその1週間後にもう一回という形で2回分まとめて予約を入れたことが、結果的には二つの面で良くも悪くも働いてしまった。
一つは工事日程の問題。
引越予約後に外構吹付材のやり直しなどがあって大幅に竣工までの工事が遅れ、最終的には工事未済であるにもかかわらず引越予定日の2日前に無理矢理引き渡しをしてしまうという無茶なスケジュールになってしまった。こうした引き渡しのタイミングについては「第29回打合せ: スケジュール」(※) でも触れているように基本は駄目工事終了後が一般的である。当エントリーでは駄目工事どころか本工事完了前の引き渡しであったことをある種肯定的に書いてはいるが、本来ならばそうしたタイミングにしてしまったことは大変にまずい選択だったと言っていい。
ただ、それとは逆にこれは父がよく言うセリフだが、こうして〆切日をはっきりさせておかないとますます工事が延びていくんじゃないか?という不安があったというのもまた事実だろう。母はそれよりもあり得べき引き渡しのタイミングを望んでいたようだが、その辺の考え方の相違はそれぞれの金銭感覚に拠るところが大きい。一月遅れれば、当然仮住居+トランクルーム+美術倉庫+ピアノ倉庫+車庫分の家賃は一月分増していくのだ。
さてもう一つの良くも悪くもは同じ引越業者で2回分の引越を予約してしまったことである。
これまで計6回引越の現場を見ている私個人としては今回が初めての引越屋ハズレ体験だったのだが、とにかく遅刻してきたことから始まって何かとケチをつけたくなることの多い引越屋に当たってしまったのだ。業者名は「20X0マXー」とでもして半分伏せておくが、言ってしまえばその業者がまずいというよりはうちを担当した運び手のリーダー格の人物がちょっと厭なヤツだったということだ。何しろこちらとしては最初から2回に分けて考えているだけに運んでもらう順番が大事なのに、そうした説明も半ば無視された感じで彼なりの論理で勝手に積まれてしまった。初めから全員に説明できる状態をセッティングしてくれていれば、まだこうした事態にもならなかったろうが、説明を聞くのはリーダーだけ。そのあと、ミーティングと称してトラック内で15分ほど話していたが、本当に彼はその説明を他3人のメンバーたちに話していたのか甚だ疑問である。
しかし、いずれにしてもこちらの希望するものとは違うものをどんどん詰め込み、もう入りませんという態度。そして私が他のメンバーにこれをお願いしたいと言うと、そのリーダー格は「こちらは最善の方法でやってますんで!」と半分逆ギレした感じで詰め寄ってくるのだ。このとき2回目もこの業者に頼むということがなければ色々強くも言えただろうが、次に変な対応されては叶わんということで、どうも家族全員それに渋々従う感じになってしまった。
また、この業者は引越終了時までに引越の感想を書いて渡すようになっているのだが、次のことがあるので、母もひたすらおべっかの言葉を並べて提出していたようだ。
谷中到着後の荷下ろしでは運んでほしい部屋・階のマーキングはテープで色分けまでしてわかりやすく指定しておいたのに、かなり間違って運び込まれている。それと呆れたことに何も入ってない空箱を何箱か運んでいるのだ。ハンガーボックスも計12箱も積んできていたくせに使うかどうかも聞かずに空のままトラックに入れたままで搬送している。そして妹の可動棚用のビスも一つ紛失し、それに対しては妹に数百円渡して「コレで買えばお釣りが来ますよ!」などと言うのだ。とにかく人として鼻持ちならないリーダーが来てしまったわけで、これについては不運だったとしか言いようがないが、いまいち業者自体を責める気になれないのは、後日電話で次の引越のときにはこのリーダーだけ勘弁してくれ!と営業担当者にクレームをつけたら、途轍もなく良いリーダーが次の引越時には来てくれたのである。それについては引越2回目のエントリーで改めて書きたい。良くも悪くもと書いたのはそのためである。
最後に簡単にこの日の引越の流れを書いておくと、
08:00 私+妻:トランクルーム待機(実際は予定の30分ほど前から)
08:30 トランクルーム搬出作業開始(3tコンテナに2/3くらい分)
09:00 仮住居ではアップライトピアノのみ同業者で別搬送
10:00 仮住居搬出作業開始(3tコンテナ1台+1/3くらい分)
12:30 搬出作業終了→谷中へ移動(私+妻+妹のみ電車で移動)
14:00 谷中着→養生作業(私+妻+妹はコンビニおにぎりで昼食)
14:30 1台目搬入作業開始(主に段ボール箱中心)
16:00 2台目搬入作業開始(家具中心・2Fデスクと3F長箪笥は吊り上げ)
17:30 両親自家用車で到着
18:00 搬入作業終了→1回分代金支払い
19:00 私+妻:日暮里「天や」で夕食→妻を日暮里駅で見送り
19:30 アップライトピアノ到着→搬入
といった具合で、搬入時の段ボールと家具の運ぶ順も逆の方がよいように思えたが、とにかく不満の多く残る1回目の引越であった(唯一褒められそうな点は作業が異様に早いことくらいか?)。本来なら1回目の引越が終わった時点で、書籍類をはじめとする私担当の荷物はすべて運び終え、2回目の引越時までにはそれらを所定の位置に収めて場合によっては2回目の前に帰阪することも考えていたのだが、そんなことはまるでできない状態になってしまった。
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2004年07月18日 (日)
引越を翌日に控え、この日はデジカメで何か撮ってる余裕など全くなかろうと、谷中に置いて行ってしまったのだが、今にして思えばちょっとした休憩中でも撮ることはできたのだから、作業時刻の記録装置という意味でもやはり持参すべきだった。
ともあれ、この日の作業は我ら夫婦は仮住居に到着して一息入れさせてもらい、11時前くらいからスタート。夕方くらいまではトランクルームの整理、その後、仮住居に戻って主に2Fの段ボール群の分類やフトンの圧縮し直しなどする。当初の予定では夜に妻だけ谷中に戻るという話だったが、結局時間も遅くなってしまって妻も仮住居でこのまま一夜を過ごした方がいいという話になって行った。
ただ、今回の引越は最初から2回することを想定しているせいか、どこか皆まだ余裕があるというか、気の弛みみたいなものがあって、まさかこの日行くとは思ってなかったのだが、父の提案でお昼には父・妻・私の三人で妻が以前から何度か憧れを口にしていたレッドロブスターに行ってみたり、夜は夜で下連雀の弁当屋「いと半」の名物チキン南蛮やレヴェのショートケーキを買ってきて、この家では滅多にない団欒のひとときを過ごしたり。ヘンに優雅な一日だった。それにしても父がまったく別の話題をしてる最中、妻に向かって突然「な? いと半のチキン南蛮美味いだろ? 昔は胸肉使ってて大したことないと思ってたんだけど、腿肉使うようになってからはそんじょそこらの店で食べるより数倍美味い」と言い出したのには、いつものよくある話といえばそうなのだが、疲れた中でもたっぷり笑わせてもらった。
トランクルームでは主に私は祖父作成家具の梱包と段ボールの最終整理をし、妻にはその処理に一番困っていた三鷹金猊居から持ち込んだ天井板のキレイなのを8枚ピックアップし、それを近くの公園まで持って行き拭き掃除するという作業をお願いした。60年分の埃の溜まった天井板だけにさぞかし大変だったことだろう。
仮住居の方では母+妹は1Fで作業をしていたが、1、2Fで完全分業となっていたため(母の希望により)、彼女らの作業内容まではわからない。父はすでに自分の部屋の整理は概ね終えていたので、役所のゴミ出し日チェックやその他の交渉等、どちらかといえば事務的なことをやっていた。
この日、母は徹夜したそうだが、母以外は翌日に備え、ある程度の睡眠は取った。