2006年12月24日 (日)
2f/居間/床の間
前エントリーでは mitsubakoさんのブログから「日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろう」というアランさんの言葉を引用した。このエントリーではもう少しその床の間について、うちを実例にして考えてみたい。
まずうちの場合、前任建築家との計画初期段階から、すでに床の間は図面上に書き記されている。これにはおそらく三鷹金猊居から持ち込んだ行器(ほかい)・鏡等の古道具を置くスペースとして床の間を活用するのが妥当だという判断が、三鷹金猊居時代の住まい方に倣って我々(施主側)のうちにあったものと思われる。そして床の間の導入はその後、特に大きな疑問を持たれることもなくそのまま採用されることになった。
しかし、2階の居間の現状を見る限りにおいて、それはなくても良かったと言える状況にあることは認めざるを得ない。その最大の要因は母が自分用の居室として用意された3階個室を完全に物置きとしてしまい、居間兼客間と想定されていた2階共有スペースを居間兼寝室にしてしまったことにある。その部屋が住人のベッドスペース(布団敷きだけど)となってしまったことによって、客間であれば求められたはずのところの遊び感覚(おもしろさ)が完全に別のベクトルを向いてしまったのだ(簡単にいえば、モノによって床の間前の空間が無為に埋められてしまったということ)。
ただ、こうした住宅事情というのは狭小スペースを余儀なくされやすい都内においてはうちが特殊ケースとは言えない面もあろうかと思う。Wikipedia「床の間」では、その冒頭で「床の間とは、日本住宅の畳の部屋に見られる座敷飾りの一つ。ハレの空間である客間の一角に造られ」と記されるが、うちのように「ハレの空間」と「ケの空間」を混在させざるを得ない住環境にある家というのは決して少なくはあるまい(うちの場合は住まい方の拙劣さにおいてそうなってしまっているわけだが)。
としたとき、形骸化しただけの床の間が無思慮に導入されるくらいなら、ない方が良いというのは賢明な選択である。正直、これは自分で図面を書いてしまった本人も含めての話なのだが、どの図面であっても「床の間」は何となく空いたスペースに嵌め込まれでもするように書き込まれるケースが多く見受けられた。Web/DTP のレイアウトでいえば、ここ空いちゃったから埋めとくか!ってノリにちょっと近い。しかし、そういう部分に「おもしろさ」ってなかなか現れはしないものである。
その代わりと言っては何だが、意欲的な設計者がハレとケの混在空間を前にしたならば床の間という形式にはこだわらずとも床の間的「おもしろさ」を演出するような空間は頼まずとも作り出すことだろう。うちの場合はそれが1階の階段〜濡れ縁あたりの三鷹金猊居から再利用した丸太梁を絡めた空間にしっかり実現されているように思われる。ただ、その空間はやはり余白に何となく嵌め込まれたのではなく、吟味に吟味を重ね、しっかり議論の持たれた場所であった。
以上、アランさんの論からはだいぶズレたところでの話の展開になってしまったが、床の間そのものの「おもしろさ」については機会を改めてまた考えてみたい。
【追記】
今回珍しく写真なしでのエントリーとなってしまったのは、完成直後に撮影して以降、ロクに床の間の写真を撮っていなかったためである。そのことからも我が家の床の間に対する私の関心の度合いが透けて見えそうである。他方で、床の間的「おもしろさ」が演出されているとした「1階の階段〜濡れ縁」の方は写真に撮ってはいるのだが、いまいちその空間的おもしろさの伝わる写真が撮れてないのでアップしていない。広角レンズが欲しくなる今日この頃である(宝くじでも当たらない限り買わないだろうけど)。
明治時代以降、庶民にも広まったと言われる「床の間」ですが、既に大正時代、m-louisさんのような意見で「床の間無用論」が叫ばれていたそうです。
by ちはる : 2006.12.29 09:51>ちはるさん
Wikipedia にも「江戸時代には、庶民が床の間を造るのは贅沢だとして規制されていた」とありますね。しかし、明治に入って庶民の洋風化がすすむ中、なぜに和の贅沢だった床の間が広まるようになったのかは結構不思議な気もします。
ちなみに今回私はどちらかというと無用の向きを示しましたけど、図面の余白に嵌め込むのではなく、主体的に描き込むということであるならば、むしろあった方が面白い(おそらく精神的にも良い)と思ってます。なので、更なる極論を言うならば、床の間を生活に取り戻すためにも、都市部の人口を半減させるべきなんてこと考えてたりします。