2006年03月08日 (水)

飛行機ライフ窓側編

flying over BALTIC

飛行機の座席で私は絶対窓側派だ。もし同行者が同じように窓側派であるなら、それが妻であろうと恋人だろうと私は「なら、離れた席に座ろう」と言うだろう。そのくらいに機上からの眺めは楽しく刺激に充ち満ちている。だから万一窓側に座れなかったときは航空運賃半分返せ!と言いたいくらいにブルーな気分なのだ。

by m-louis : 13:30 | comments (4) | trackbacks (0)

2006年03月06日 (月)

虫の詩人の館*ファーブル昆虫館

横浜への出張ついでに谷中に一泊することを実家に伝えたら、それから程なくして母のところから『うえの』という小冊子(上野のれん会発行)の2006年3月号が届いた。
冊子にはフランス文学者・奥本大三郎氏の書かれた「ファーブル昆虫館」のページに付箋が貼られ、彼が千駄木の元実家のあったところに新しく昆虫館を建て、3月6日(月) にオープンさせるという記事が掲載されていた。

by m-louis : 14:32 | comments (7) | trackbacks (0)

2006年02月19日 (日)

電線の景観*補遺

Y*aizome st.+akaji slope

前エントリー「電線の景観*N的画譚」では画家の視点・撮影者の視点を借りて谷中の電線を好意的に捉えてみようとした。家づくりに集中していた頃には工事・引越・建築撮影と何かと障害物となっていた電線なだけに、その試みには些かこじつけ的な感もなかったとは言えない。ただ、それでも電線を「景観」の一つとしてポジティヴに見られたのは、やはりそこが「谷中」という場所だったという点が大きい。

谷中は敢えて乱暴に言ってしまえば「観光地」なのである。
観光地とは余所者から見られることを宿命づけられた場所、即ち「景観」としての特性に自覚的足らざるを得ないところである。ただし、そうした観光地でも行政主導で観光化を目的とした地域もあれば、自然発生的に人々が集まるようになった場所もある(最初は自然発生でそれに行政が飛びつくケースも当然ある)。その点で言うと谷中は後者でさらには行政はそれを放っておいているような印象が強い(その証拠に曙ハウスの解体でも特に区で何か考えようとする動きは特に見られなかった)。

by m-louis : 19:28 | comments (0) | trackbacks (0)

2006年02月13日 (月)

電線の景観*N的画譚

Y*nmm

谷中や根津の風物詩の一つに縦横無尽に入り組んだ「電線」がある。
谷中の半住人どころか年間で10日も谷中に滞在してない私は、つい最近までそのことに割と無頓着だった。というか、それ以前に家の建築写真を撮ることにおいて邪魔くさいとすら思っていたところもあり、ポジティヴ・シンカー garaikaさんの「電信柱って」のエントリー・コメントでも結構散々なことを書いてしまっている。

ところが、先月「無邪気な Kai-Wai フリッカーズ」で一緒に散策した nodocaさんが flickr にアップされた「雪融け谷中」の写真についたコメントを読むと、電線のことが住民・家主の視点からでないせいか、決して悪印象では捉えられていないのである。
悪い景観100景「街並みを汚くしている電線・電柱」では電線ケーブルが「視界をますます低く圧迫している」と悲観しているが、nodocaさんは「とにかく電線は多くて低い位置にある気がする」と言うだけで、決してそれが良いとか悪いとかは言わない。そのことにアレ?っと思っていたところに更なる決定打が現れた。

2006年02月12日 (日)

景観喚問

あさみ新聞でシリーズ化している「悪い景観100景を考え直す」のエントリー。
実は先日からこのブログでも何か書こうと思ってアレコレ書き留めてはいるのだが、どうもエントリーするまでには至れない。すでに検索すれば「悪い景観100景」を公表した「美しい景観を創る会」に対する批判的エントリーは山ほど出てくるし、今更その組織とテーマに対する批判をこのブログでやってても生産的ではない気がする。

ところでヤフーで「悪い景観100景」を検索すると、その4ページ目に「景観100景」というブログがヒットする(2006年2月12日現在)。このブログ、どうやら「悪い景観100景」で取り上げられた情報をまるごとコピーして、コメント+トラックバック歓迎の体制を取って行こうとしているもののようである(作者不明)。
実は最近、ブログの可能性というのは情報発信のそれと同時に情報の受け皿としての機能も重視すべきと考えているのであるが(っていうか、実は一つお仕事でもうそういうことしてるし、阪急コンコースのブログだってある種その路線だし)、このブログも云わばその延長線上のブログと言える。

で、現実を見れば「美しい景観を創る会」も最初からこの仕組みを作ってしまっていれば、そんなに全体枠としての批判を受けることもなかったろうし、純粋に一個一個の個別事例に対して、賛否両論をデータベース化して行けたのだ。その意味で考えるならばこの「景観100景」というブログは「美しい景観を創る会」に対する嫌がらせとして存在しているのではなく、むしろ真性のフォロー部隊と言ってもよいのではないか?

by m-louis : 23:55 | comments (0) | trackbacks (0)

2006年01月12日 (木)

鹿島焦土

KASHIMA STEELWORKS

この写真は中欧旅行の行きの飛行機、成田を飛び立ち北上して程なく眼下に見えてくる光景である。場所は鹿島港の入口で鹿島発電所、鹿島石油、住友金属工業鹿島製鉄所等がある。最初にそれが目に入ってきたとき、その色彩に目を奪われた。

地面が焦げている。

私は自分でさほど「廃墟フェチ」の嗜好性が強い方ではないと思っているが、それでもこうした凄惨な場所に好奇の目が向くことを隠すことはできない。というか、この場所は決して凄惨な場所ではなく、人が働いている工業地帯なのだ。

by m-louis : 02:37 | comments (2) | trackbacks (0)

2005年12月05日 (月)

『大阪人』で阪急が・・

osakajin0601.jpg関西圏でしか発売してないかもしれないけど、『大阪人』という雑誌の最新2006年1月号(vol.60)「発掘 the OSAKA」のコラムにて「阪急百貨店大阪うめだ本店」が取り上げられている。もちろんメインテーマはコンコースで、伊東忠太の四神モザイク壁画の制作のエピソードについても触れられている。「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・」の歴史解説コラムで日間仁氏の書かれた力作「阪急ビルディングの建築に就いて」では、伊東忠太の言葉を引用しながらより詳しく書かれているが、玄武・朱雀・鳳凰・白虎の四神を発想のもとに描かれたはずの壁画が龍・翼馬・獅子・鳳の四動物となってしまった経緯など、その説明は非常にわかりやすい。

by m-louis : 00:48 | comments (2) | trackbacks (1)

2005年10月08日 (土)

父の満州と阪急

CHAIN-STORE STREET, DAIREN

小林一三とのコラボ」でまずは母方の祖父がらみで阪急創設者の小林一三氏との縁について取り上げたが、今度は父がらみの関係で阪急との縁を見ていきたい。

前回「父は阪急ブレーブスの元投手〜投手兼監督だった浜崎真二氏と知り合い」と書いたが、もう少し正確に書こう。父は満州は大連で暮らした中学時代、浜崎真二氏の息子さんと同級生で、その縁で浜崎真二氏にもかわいがってもらっていたのだ。

by m-louis : 06:42 | comments (0) | trackbacks (1)

2005年09月10日 (土)

「らしさ」についての補遺たる困難

「らしさ」について」のエントリーでTB誤送信したら、朝妻さんからは新規エントリーで「“ らしい ” 家について ちょっと思ったこと」、そして garaikaさんからも「「らしい家」考」というTBが返ってきた。さらには朝妻さんのエントリーではノアノアさんのコメントもあって、TB誤送信というのも満更悪くないものである(笑)

それにしても「らしさ」という言葉は厄介なものである。いや、厄介だからこそ便利に使えると言うべきか? garaikaさんは〈「らしさ」とはあいまいな言葉だ。〉と書かれているが、実際のところ、人から何某かの評価を求められたとき、「〜さんらしい」と答えてしまうのが最も無難な回答となり得るのは言わずと知れた話である。なぜならその言葉は仮に答えた側にとってマイナス評価のものであったとしてもその含意は伝わらず、尚かつ言ってることにウソはない。もちろんプラス評価の場合も然りである。

「らしさ」とはおそらくどんな側面を指しても言えるものだろう。
garaikaさんも書かれているようにそもそも関わること関わらないことそれ自体が「らしさ」を示してしまっている。前回の自分のエントリーを反語的に言うならば、イメージとしての「私らしさ」が直接的に表現されていないプランを選んでいること自体が「m-louis らしい」とも言い得てしまう。そして garaikaさんは関わり方の深度に良い意味での「らしさ」を求められているが、前エントリーで私が懐疑的に捉えていたのは何か先験的に「らしさ」を表現に落とし込んでしまうことに対してなのであった。

by m-louis : 05:09 | comments (2) | trackbacks (1)

2005年09月07日 (水)

「らしさ」について

朝妻さんの「石川淳氏 設計の家 見てきました。」というエントリーで書かれていた「いつもながら“ 石川さんらしい ” 家でした。」を読んで思ったこと。

この場合の "石川さん" とは建築家であって施主ではない(そういえば昔、石川淳という作家はいたが...)。そして外観から内部の様子に至るまで計10枚、おそらくは家の見せ場であろう写真が掲載されており、何となくそれを見るだけでも "石川さんらしさ" は充分伝わってくる。石川淳氏の公式サイトで過去の作品を幾つか見てみたが、朝妻さんの "石川さんらしい" というコメントはなるほど頷けるものであった。

ところでこうした「らしさ」というものは施主という観点で見るとどうなるのだろう。

by m-louis : 03:37 | comments (1) | trackbacks (2)
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