2005年01月03日 (月)

灰塚の石ころ

毎年恒例、義父との初釣りでもうじき灰塚ダムに沈む田総川(広島県北)に行ってきた。すでにその場所はダム工事で立ち入り禁止区域となっているのだが、工事事務所が正月休みの隙をついて最後の釣りを楽しんできたというわけだ(本年中に試験湛水が施行される)。残念ながら魚が竹藪前の足場の取れないところに集まってしまっていて釣果はあがらなかったが、おそらくそのポイントでは最後の釣りになるだろうからその瞬間を義父と過ごせてよかったと思う。

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ところでその釣りポイントは河原ではないが、光庭にお誂え向きの石ころはその辺にごろごろ転がっていた。正直、それを恨めしく見つめてしまった心情をここに告白しておきたい。もちろん私はケチくさい男であるから豊田さんが見つけてきてくれたサボ石が1個1500円で送料が一律5000円であることを高いと思う気持ちがあることも隠す気はない(あ、もちろん、忙しい中、探してくださった豊田さんには感謝!ですが)。だが、そうした金銭的な問題とは離れたところで何かまだ恨めしい気持ちが残っている気がするのである。

石 求ム!」でコメントしてくださった garaikaさんへのレスで私は尤もらしく「一級河川は国土交通省の管轄で、実際そこに転がる石ころを拾うのは違法にあたる」という豊田さんに言われたことを書いていたが、実際のところ、私の心は石を自ら拾いたい気分で一杯だったのである。というか、私自身の心情としては石を買うことの方が許せない、そんな気分が充満していた。どうもその気分は単なるケチくささとは別のところにあるように思う。

何というか「石ころ」なのである。「石」ではなく「石ころ」と「ころ」が付く。「石ころ」を広辞苑で引くと

いしころ【石塊】小石。いしくれ。

と出て来て、何だかうちの光庭で使ってるサイズの石に使う言葉としては適切でない気もするが、とにかくその辺にころころ転がっている石である。その中から自分の気に入ったものを探し出し、拾ってそれを家の庭に置く。どうもその行為にはそこにそれ以上のことが入り込んできてはいけないような気がしてしまうのだ(運送は致し方ないとして)。ケチな私でも最初から造園業者に頼んでどこぞの石を買ってきてという話であるなら、だいぶ高くつくだろうがお金を支払うことに特にこれといった抵抗はない。とにかく石ころというもんはその辺で拾ってくるもんじゃないのか?という感覚。どうもこれがいつまで経っても抜けないというか、この釣り場でごろごろ転がってる石ころを見ていると、その感覚というのは人が石ころを前にしたときの何か途轍もなくベーシックな感情と繋がっているのではないか?という大袈裟な思いと繋がる。拾って・投げて・置いて・割る──すべてが子供たちの遊びの中に含まれているではないか?

すでに実家からは去年末に購入したサボ石を矢原さんが石組みされたという報告は受けた。私はまだその様子を確認していないが、ただ、まあ、いずれ私が谷中に住むようになったときには色々なところで拾ってきた石をちょこちょこ加えて行きたい。

by m-louis : 2005.01.03 10:43
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2005年01月13日 02:40
アースワーク
excerpt: アースワークと言うと、ライアル・ワトソンの『アースワークス』を思い浮かべる人もい...
weblog: Abejas e Colmenas
comment

この灰塚の写真いいですね。なんだかこのごろ、ムショウに灰塚のことを思い出すんですよ。M類さんは、よく帰れるのでいいですね。工事がどんどん進んでいること、悲しいです。地灸もまたやりたいなぁ〜。

by mitsubako : 2005.01.18 20:19

昔は私も「灰塚」でしたが、今ではすっかり「総領」です。

フツウに帰省先という感じ(それも東京よりもその感覚が強くなった)で、アースワークを懐かしむというよりは、単にくつろぐために総領に帰るという感じかな〜。ただ、家人は総領が庄原に呑み込まれることにかなり胸を痛めているようですが。。

あ、ところで正月に総領行ったときの写真をこっそり↓にアップしてたりします。

http://fotologue.jp/triebem/entry/4001.blog

あんまダイレクトに灰塚だ!って写真はありませんが、上記写真から順番に見ていくと福山→府中→総領→庄原→灰塚の写真が出て来ます。その手前にあるのは大阪とか兵庫とか。。

by m-louis : 2005.01.19 01:42









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