「住空間 MUJI+INFILL」のページでは、そのコンセプトとして「可変性」「一室空間」「モジュール」という3つのキーワードが使われている。そのベースにあるのが暮らしや住まい方を施主本人が「編集」していくという考え方で、そうした方向性をより明快簡潔に効率よくコストも掛からず且つ自由に展開させられるツールとして、モジュール化(規格寸法に即した)された無印商品による無駄の少ない「インフィル」と一室空間を構成する「スケルトン」がある。と同時に、それら内外で扱われるアイテムが徹底してシンプルであることを追究していることによって、ある一定の洗練されたデザインレベルの維持を可能にするという狙いもあるのだろう。おそらく無印良品にはデザインそのものを徹底してシンプルにすることこそが人間とモノとの関係において一つの究極のカタチ(終局)を作り出すというくらいの野心もあるのではなかろうか。
一方、岡啓輔氏の「蟻鱒鳶ル」である。
これまで踊りをする傍ら、土木作業員→鳶職人→鉄筋工→型枠工→2×4大工→在来大工という実務修行を続けてきた彼が「セルフビルド岡土建」としてその第一作となる自邸「蟻鱒鳶ル ── Ari.Masu.Tonbi.Le(Arimasuton Building)」の建築に取り掛かり始めたのはいつ頃だったか。
冒頭にも書いたように計画途中で藤森照信氏から「生涯かけてつくり続けるよう願って」と特別賞を特別に出してもらって拍車がかかったかどうかは知らないが、いずれにせよこうした愛しむべきユニークな取り組みの計画過程が雑誌メディアで紹介され、しっかり記録として残ったのは喜ばしいことだ。本当言うと途中で止まってしまった岡氏本人による「レッツゴー岡土建!」Webサイトの復活が一番望まれるところだが。。
以前、岡氏が送ってくれた「蟻鱒鳶ル」のプロジェクトプランには次のような詩ともつかぬメッセージが添えられている。
セルフビルドで踊れ!
踊りで学んだ沢山の事を、この建築にそそぎ込む。
着工前に決定しとかなきゃいけない要素を極力へらし、多くを現場で即興的にセルフビルドで拵えてゆく。
デザインは「頭」だけに依らず、からだ全て、そして気分や勘、虫や月、太陽、音楽、サイコロ、友達、多くに依る。
心を開き、広がるイメージを見つめ、現れた「何か」を形に定着させる。
それが連鎖してゆく事によって、徐々に全体の姿が現れてくる。
汗を流し、筋肉軋ませ、全身で集中し、、この過程を楽しみたい。
そう、この作戦の要は「楽しんで作る」だ。
この事が実は最大の難問。簡単じゃない。
「楽しんでいるフリ」は最悪。それは瞬時に暴かれる。
欺瞞なく楽しめれば、出来たモノは自分にとって何より美しく、リアルなモノになる。
そして、人にも伝わる。この事は踊りに教わった。
アリマストンの現場は「楽しんで建築を作る」を学び直す稽古場なのだ。
工法的にも真新しいことに挑もうとしているプランの詳細は今後、工事見学に行った機会などに改めて紹介したいと思うが、このメッセージを読んでいると「無印良品の家」とは別の意味で「究極のカタチ」が見えてくるような気がする。それは無印良品が「究極のシンプル」という云わば無機的な零度(もちろん「何もない」という意味ではなく「ない」ことこそが意味を作り出す)を志向するのとは対極に、過剰なまでに雑多で肉感的な有機性に充ち満ちている。おそらく「蟻鱒鳶ル」ではすべての部材、すべてのインテリア、すべての外観、すべての工程がそれぞれに何某か主張し合い、それに纏わる記憶を住人たちはいつでも導き出すことができるだろう。岡氏は「建築」という行為それ自体で「人生」そのものを「編集」しているはずだ。それもまた一つの「究極のカタチ」と言えないだろうか。以前に彼からもらった手紙にはこんな一文があった。
ちくしょう。つくらず、死ねるか。
尚、このエントリーについてはさらに話を「エロス/タナトス」の対立概念へと飛躍させて、再エントリーの機会を設けたいと考えている。決して「無印良品」という検出率の高いキーワードでアクセス増を狙おうというものではありません(汗)
以下は本文でリンクされたもの以外でエントリーにあたって参照したサイトである。
「無印良品の家」に関して
・GALLERY−MA: 無印良品の未来(レポーター:河内一泰)
・SFC Design Systems: MUJI+INFILL 木の家
・NEUTRULE: 木の家 / 無印良品
「蟻鱒鳶ル」に関して
・おがてつ図書館: 岡画郎
・AKIRA-MANIA: 岡画郎
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