まず garaikaさんは施主を CEO(最高経営責任者)に喩えるが、私もそのことには同感である。いや、厳密にいえば、私の場合、最初から同じ考え方で臨めていたのではなく、諸々の変遷を経た上でようやくその考えに辿り着いた、言ってしまえば「ヘタレ施主」であった。であるからこそ、そうなってしかるべき失敗を繰り返し、必要以上のお金と時間、それに迷惑を掛けてしまったという事実がここにある。
実際、私の場合、まず自分の立っている立場からして施主としては甘いものなのだ。
まず第一に今回の家を私は自分の稼いだお金(あるいは住宅ローン)で建てていない。母方の祖父母が築いた三鷹の家と土地を、都市計画などの事情によって引き払わざるを得なくなり(この辺の事情も歪んでいるのでまた別の機会にエントリーしたい)、それによって生じたお金で新しく谷中に家を建てただけなのである。もちろん谷中に越して家を建てるにあたっては祖父母の遺志と思われるものを最大限引き継いだつもりで計画はスタートさせたが、それでも現実問題としてやはり身代を切ってないということが危機意識や緊張感の薄さといったものを所々で露呈していた。それは谷中の家にまず当面の間は住まう両親や妹にしても同様で、敢えて言うなら家族の誰もがただ先代からの貰い物を横に転がしていただけなのである。
だが、私個人はこうして概ね2年半近くも掛けてどうにか終えた家作りプロジェクトに関して後悔の念はない。もちろんその感慨は上記の甘さがあるからこそなのかもしれないが、失敗も含めて良い経験だったと思っているし、そうした失敗があったからこそ生まれたカタチや産物を家の随所に見られることを大変喜ばしく思っている。豊田さんとプロジェクトをリスタートさせるときに豊田さんから求められた設計カルテで私は自分の新居への夢として「色んな人の顔が見えてくる家」と回答したが、その言葉には解約した前任建築家とのプロセスを活かすばかりか可能ならばそこで生まれたアイデアを実質的なカタチとして残したいという想いがあった。だが、それはそうした想い、意志を持たずとも自ずと表に現れていたようだ。前任建築家たちによって我々は「施主」として成長させてもらっていたのである。
garaikaさんは施主が自ら施工ミスなどについてわざわざブログで書き立てるのは「社長(施主)がプロジェクトメンバーの社員(施工者・建築家)を公衆の面前で、さらしものにしているのに近い行為のように見える」(カッコ内は引用者による)と書かれている。確かに家作りを一大プロジェクトと見立てれば、それは間違いなく愚かな行為と言えよう。ただ、私のブログではこれまでのエントリーを見ればわかるように、そうした愚かさに足を踏み入れてしまっている部分が多分に見つかるだろう。そうした禁を犯してしまうのには、おそらく私のこれまでのミスだらけの人生というものが大きく左右している。「人」という以前にまず「自分」がミスをするのは当たり前で、だが、そうしたミスった状態からどう立ち直るか、どうやり直すか、どう修繕するか、どう克服するか、どうも私個人はそうしたプロセス自体に興味の的が向かってしまうのだ。施工者の技能も如何に完璧なものを最初から作れるかよりも、ミスが生じたときに如何なる対処対応を示すかで問うていた節がある。それらを自身のことまで含めて傍観者的に記録していくということへの欲求に抗うことはなかなかできなかった。
おそらくその傾向は家作りを終えた今後、より深まっていくだろう。それはそろそろ前任建築家との経緯についても触れなければならないと思っていることに加え、家族の問題がこの家作りとどうしても切り離せないからだ。家族というか、すでに亡くなっている祖父母の代からの家族関係の捻れが今回の家作りにも深く影を落としており、それを記述することは私自身の使命のように感じ取られてしまっている。それは社長(施主)一家の闇部を公衆の面前でさらしているだけの行為と捉えられるかもしれないが、そこに「住宅建築と施主」という「家作り」のフィルターを通すことで、単なる暴露話で終わらないようにしたいとは思っている。
garaikaさんや赤瀬川原平氏ともまた違ったあらわれ方にはなるのだろうが、私自身もこの家作りが楽しかったことに変わりはない。それは「blog 開始」という最初のエントリーで書いていた所信/初心の表明と何ら変わることはなかった。ひょっとすると garaikaさんのエントリーも年が明けて気持ちを新たに書かれた所信表明だったのかもしれないが、このエントリーもそれに倣うものである。ちょっと遅いですが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
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