September 15, 2004

光庭考: 三鷹金猊居の庭

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9/18(土) に設計者による駄目工事チェックが行われるついでに豊田さんと母の間で光庭についての打合せもするそうである。というわけで、それより前に私個人の光庭に構築したいイメージをまとめておかなければならなくなった。まあ、ここ最近は庭に関する書物や写真を幾つか手に取って色々イメージしてはいたのだが、もともとガーデニング趣味のない(というよりも如何にもガーデニング的なガーデニングが嫌いである)ことから自ずと雑草をどう見せるかとかそんなことの書かれてる本の方ばかりに目が向いてしまう。しかし、あれこれ考えたのち、やはりうちの場合は原点に立ち返って、なるべく三鷹金猊居のときの庭の様子に従うという考え方が一番妥当ではないかというところに落ち着いている。まあ、しかし、それなりに作庭ということを意識するのであるならば近年のよりかは祖父=金猊が生きていた20年前当時の金猊居の庭のイメージを借りる形にした方がよかろう。

ただ、残念ながら祖父は私が9歳時の1979年に亡くなっており、私の中で庭の確かなイメージは当時の写真からしか引き出すことができない。その上、そうしたアルバムは実家にすべて置いてあるので、今、それを引っ張り出して模索するということはできないのだが、取り敢えず母には打合せ時にはアルバムを引っ張り出して検討するようメールで伝えておいた。

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金猊居からの持ち込みアイテムには私が記憶しているかぎりでは、
石灯籠備前壺、瓦、石があり、まず瓦以外はすべてを組み合わせて使うことが前提だ。その意味で三鷹金猊居の庭を参照するのは全く以て間違った選択ではないだろう。

なお、光庭の立地条件は「光庭考」(※) のエントリーでも書いていたように決して庭として良い場所と言えるところにあるわけではない。右の写真(庭を上から撮った)からも伺えるように三角形の三辺が塀と壁に囲まれ、この写真では日が差し込んでいるが、家の北側に面するため、実際のところは日陰の湿りがちな空間であることの方が多いであろう。

ただ、大きなメリットもないわけではない。北西側1.5m弱のブロック塀の向こうにはA見邸の木々が緑生い茂っているのだ。特にうちの敷地にまで葉を伸ばしそうな柿の木は素晴らしく、それは応接室からも悠々見上げられて、そのまま借景にできるといった按配なのだ。それを活かさない手はなく、そうした意味でも私はこの三角コーナーには是が非でも庭を造りたかったのだが、実際真夏日に背後に青々と茂る緑を見て、そうなって本当によかったと思った。

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さて、三鷹金猊居に戻るが、金猊居にも後庭とでもいうべき、家の後ろに位置するあまり光の差さない庭が母屋の西側にあった。その庭は縁側を挟んで私の部屋の横にあり、ひなびてはいたが、私自身にとっては愛着のある庭だった。谷中に持ってくることはしなかったのだが、お地蔵さんがあり、グミや杏の木もあって、地面には苔が生えていた。また、手入れがあまりされなくなってからは朽ちてしまったが、鹿威しの音も雨の日にはカーンと鳴り響いていた。

裏寂れた庭ではあったが、私の中では後庭のイメージをベースとして、他に石灯籠は石灯籠があった場所の雰囲気(母屋側中庭のある意味中心的な位置に立っていた)を借用しといった具合に進めていくのがよいのではないかと思う。

最初は玉砂利敷いての枯山水的なことも考えはしたが、掃除の大変さのこともあるし、土に苔がベースでいいんじゃないだろうか。2つあったうちのうちが持ってきた石灯籠がどちらかというと灯籠自体が苔生した感じになってるいるので、なおさら玉砂利とは合わない気がするのだ(ちなみにもう一つの従兄弟の家に行った灯籠は割と輪郭がはっきりとして玉砂利にも合う感じだ)。


by m-louis : September 15, 2004 06:33 AM
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