2005年01月17日 (月)
幻の家蘊蓄家
たまには閑話休題っていうか思いつきのアホアホ小話。
先ほど見つけた「★けんちく家のホンネ。」というブログの「建築家ってなんだ?(その壱)」というエントリーに「建築家」という呼称に対する疑問が書かれていて、これについては garaikaさんところの「「家(か)」の問題」などでも取り上げられているように建築系ブログではとかく取り上げられやすいテーマである。まあ、既成概念として受け入れるよりは一度は疑ってみる必要のある言葉ではあることには違いない。
と、しかし、ここではその話は横に置いておく。私が「★けんちく家のホンネ。」のブログを見ていて、咄嗟に反応してしまったのは別のところにあるからだ。それは「★けんちく家のホンネ。」のブログ作者が「建築家」という言葉の代用として選んだのがブログタイトルとしても使われている「けんちく家」で、で、たぶんこのサイトがベースフォントを明朝系にしているせいだと思うのだが、なぜだか私は見ているうちに「けんちく家」という明朝書体が朧気に「うんちく家」という風に錯覚して見えて来てしまったのである。
蘊蓄(うんちく)といえば、去年の前半くらいまでくりーむしちゅーの上田晋也の存在などによって空前の蘊蓄ブームが起こっていた訳だが、言うまでもなくその言葉自体はブームの終焉と共に廃れていくものではない。というか、私はその錯覚を遊び心に換えて、ちょっとした言葉遊びに興じてみたくなった。
「うん」と「ん」は発音上ほとんど同音なので、どっちで見立ててもいい。とにかく一度見落とした最初の「け」を「家」という漢字に置き換えて復活させてみるのだ。すると「家(う)んちく家」となる。すなわち「家」に関して「蘊蓄」のある人 ── 家蘊蓄家。う〜む、素晴らしい。上田晋也の蘊蓄ばりにこういう人が現れて、いつでも傍らで何に対してでも蘊蓄を傾けてくれたらどんなに便利なことか!?
だが、私はそのような「家蘊蓄家」など、絶対にあり得ないと考えている。なぜなら建築とは一個人の手には到底負えないほど手広く、雑多な諸事にまで通底している領域にあるものだからだ。そういう意味において私は逆説的なようだが、「建築家」とは自身が永遠にプロフェッショナルとはなり得ないアマチュアであることを絶望的なまでに自覚している人のことを指すのではないか?と考える。
ま、そうは言っても、建築家に何かでしてやられると「うわっ、さすがプロ!」とか思っちゃったりするんですがね(^^;)
excerpt: 「僕は自分のことを建築家だと思っているよ-------。」 1972年チャールズ・イームズは『ロサンジェルス・タイムズ』紙のインタビューでこう答えている。----そうだ。 今、世の中は建築・建築家ブームと。昔なら考えられない、コルビジェからミース、ライト…と巨匠達の名...
weblog: aki's STOCKTAKING
excerpt: Casa BRUTUS のチャールズ&レイ・イームズの特別号を見ている。 チャールズ・イームズの1977年のインタビュー記事が076ページに載っている。 その中でのイームズの「建築家」の話がすてきだ。 ------------ Owen Gingerich : たいていの人はきみをデザイナーと呼ぶわけだ...
weblog: aki's STOCKTAKING
あちらでコメント不要とのことなので、こちらに(笑)。
>「建築家」とは自身が永遠にプロフェッショナルとはなり得ないアマチュアであることを絶望的なまでに自覚している人のことを指すのではないか
この部分、ふむふむと納得。
プロになり得ないというか、完全無欠な設計はありえない、という気もしますが・・・。
画家、陶芸家などと同じく、常に現状に満足していてはいけない仕事をしている人々だとすれば、芸術家的に「家(か)」に重みをつけることは許されるようにも思えたり。
by garaika : 2005.01.17 08:40>garaikaさん
結局お手間取らせてしまいましたね。
完全無欠な設計はありえない──私が思ったのはまさにその通りのところで、何だか私のエントリーは話が遠回りし過ぎですね。でも、実はこのエントリーそのものが本当はもっと遠回りしたところから来ていて、それは rattleheadさんところの「今日の素人作図」で引用されてる文を読んで「何だコイツは?」と思ったところから始まっているのでありました。私も rattleheadさん同様TBどころか本文では rattleheadさんの記事についてすら触れなかった内弁慶ぶりですが、該当エントリーに直リンク張ってたら、garaikaさんのところ同様あやまってTBが行ってしまった可能性もあったので、内弁慶でよかったと思っているところです(笑)
by m-louis : 2005.01.17 15:04はじめまして、建築プロデュースをしております朝妻と申します。
勝手にTBさせて頂きました。
この『建築家とは?』の問題はいつも議論になる題材です。
“建築家とは建築術の長として、人間が生活における最高可能な状態を享受しうるように空間を秩序だて、人間が使用するための設計された場を創造し、生かすものである。”
またその資質として
“構成の術・材料の知識および材料の使用に関する技術と経験とを持っていなければならない。生来の才能と教育とによって生活の現実に直面したとき、彼はその時代精神を把握し、人々の要求を評価し、それに具体的な表現を与えることができなければならない”
(UIA:国際建築家連合 1954年総会で採択された定義)
また、JIA:日本建築協会のホームページもお時間があればご覧下さい。
(もう既にご存知ですよね?たぶん・・・)
まあ、なんにしましても、ものすごく曖昧ですよね。
私のところへも、つい最近大学院を卒業したばかりの人が「建築プロデュースとはどういうものか?」と訪れることがありますが、なんと!その時に『建築家』という肩書きがはっきりと書かれている名刺を、物怖じせずに堂々と差し出されることがあります。
未来の巨匠か?ただの世間知らずか?
すみません、長くなりそうですのでまずはこの辺で。
失礼しました。
by asazuma : 2005.01.17 15:50m-louisさん、
そのrattleheadさんのエントリ読ませてもらい、当該発言についての私の「甘い」読み方をばコメントでお披露目してみました。たしかに「何だ?」と言いたくはなりましたが、あえて・・・(笑)。
朝妻さん、大学院を卒業したばかりの自称「建築家」とやらに、まったくの興味本位で会ってみたいです。自称「作家」に限りなく近い感じがします。
by garaika : 2005.01.17 22:26>朝妻さん
ほとんど一エントリーできてしまいそうなコメント、ありがとうございます。
建築プロデュースの朝妻さんのことは garaikaさんのコメント欄で存じ上げておりました。「建築家とは?」ってのは本当に議題にしやすい話のようですね。
「日本建築協会」ってのは聞いたことがあるようなないようなだったもので、検索してみるとJIA以外にもAAJってのがあるようです。というか、JIAは「日本建築協会」ではなく「日本建築家協会」ということのようでありました。う〜む、いろいろあるものだなと勉強になりました。
ただ、私個人は今回のエントリーを冒頭で閑話休題としていたように、実はあまり「建築家」の定義ということを真剣には考えていません。確かに学生さんの「建築家」名刺は風刺のようにも思えますが、私自身、設計カルテのところでは Web Creator という肩書きにしてますけど、それは人から説明求められると面倒くさいからそうしてるだけで、本当は肩書きなんてどうでもいいんです。実際自分がやってること自体、説明不能なところもありまして。。
と身も蓋もない話をしてしまってスミマセン。ま、人が自分のことをどう主張してようとあまり関心ないということです。ただ、rattleheadさんの記事にあったような他人のあり方に対してつべこべ言うヤツは建築家であろうと施主であろうと腹が立つ!みたいな、、自戒の意も込めてではありますが。。
http://blog.livedoor.jp/rattlehead/archives/12360662.html
>garaikaさん
朝妻さんへのレス書いてる途中で garaikaさんからコメントが入ったというメールが届きました。なんだか思わぬ話の展開になりましたね(笑)
私も内弁慶に安住せず、rattleheadさんのところに参戦してみようと思います。
rattleheadさんのところはあれでまだ建てる前ってのがめっちゃ面白いですね。
by m-louis : 2005.01.17 23:25なんかこちらで弁明するのも変ですが
永田氏の建築に惹かれる部分があるのも正直なところでしで...
そのアクの強さは人(施主)を選ぶのでしょうが
建築家のスタンスとして全否定では無いのかもという風です.
これは施主の持つ資質と関係あるかもしれませんが
黙ってオレについて来いが通用するのをある意味悲しく思うと同時に
それに追随するようでは家作りはツマランのではないかと.
皆さんのBLOGを拝見させて頂いて決意を新たにする感です.
by rattlehead : 2005.01.17 23:36朝妻です。
大変申し訳ありません。
JIAは言うまでもなく、『日本建築“家”協会』です。よね!
最も大事な、大事な『家』が抜けてしまいました。
意識的? いやいや、ほんとうに打ち込みミスでした。
ほんとうにすみませんでした。
あー、ハズカシイ!
『建築家とは?』の回答をrattleheadさんが出してくださったようです。
ちなみに私は自称 “建築プロデューサー” です。
では!!
by asazuma : 2005.01.17 23:59「建築家」でずいぶんと盛り上がっていますね。
コメントしようか、新しいエントリーでトラックバックをと考えましたが、古いエントリーをトラックバックすることにしました。
この「建築家」って話題は、いつも定義づけに終始しますが、それよりも、こう考えたい、こう目指したいというところが、イームズの話にはあると思っています。
by 秋山東一 : 2005.01.20 07:56はじめまして。「けんちく家のホンネ」を書いてるコミュニティアーキテクトです。
やはり建築家の定義に関しては色々意見が出ますね。
そう言いつつ自分のnameは、といわれると赤面です。
garaikaさん同要、
>「建築家」とは自身が永遠にプロフェッショナルとはなり得ないアマチュアであることを絶望的なまでに自覚している人のことを指すのではないか
というコメントには頷いてしまいました。
by コミュニティアーキテクト : 2005.01.20 11:16私個人としては一つ前のエントリー「岡土建と無印良品の家」を気合い入れて書いて、こちらのエントリーはほとんどその余韻だけで書いてしまったものなんですが、コメントの付き方というのはわからないものですね(笑)
とうとう秋山さんにまでおいでいただいてしまって、、適切なトラックバック、ありがとうございます。住宅建築のブログでこれ以上話を広げる必要あるのかはよくわかりませんが、トラックバックされた「architect」の記事にもありますように「建築家」「芸術家」という問題を本源的なところから考え始めると「日本」「近代/現代」という問題項が外せなくなってくると思います。何だかこう並べると椹木野衣氏の「日本・現代・美術」という著作を想起しますが。。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104214019/
しかし、心ならずも私の建築外のことも含めて思い付いたことなどを書き留めてるノートには「国家」という文字が一つのキーワードとして書き殴られていまして「住宅建築と施主」という副題のブログにあっても国家、即ち「日本」という問題を抜きにしては語り得なくなるであろうことはここに予告しておきます。っていうか、国家=日本とイコールで結べるのかというところすらありますよね。しかし、ここには紛れもなく「家」という字が組み込まれています。朝妻さんがトラックバックされた記事に「注)日本に限ったことです。」という注があるのも掘り下げて行きたいところですね。
それからこの「家蘊蓄家」のエントリーの直接のきっかけとなった「コミュニティアーキテクト=けんちく家?」さんもおいでくださり、ありがとうございました。何だか話はここのコメントだけでなく rattleheadさんをはじめとする他のブログとも連動しながら激しく飛び火しまして、もはや収拾付かなくなっておりますが、こうなって来ると「アクセス解析・検索ワード」のコメントでみつばこさんが書かれた相互に自動コメントができないもどかしさが実感されますね。
http://yanaka.m-louis.org/blog/archives/000444.shtml#trackback
というわけで、一応、こちらでも rattleheadさんのところに書き込んだ「建築家」についての私ならではのオチを長くなりますが、以下にコピー&ペーストしておきます。
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遅ればせながら、こちら参戦です。
まず garaikaさんのポジティヴリーディング、以前エントリーされた電柱話同様、笑うと畏れ入るの両面で拝読させていただきました。施主の「中途半端な学習」が一番表層的に現れるのがまさに仰るようなハード面で、この話は garaikaさんの「プライスレスな家のスペック」というエントリーとリンクします。なんかこのコメントからトラックバックさせたいくらいです(笑)
で、なぜにこの部分に施主が引っ掛かりやすいかというと、それは端的にプライスという言葉で示されているようにそのものの価値を思考を介在させずに判断しやすいからですね。で、そうしたわかりやすさこそが企業の付け入る隙で、大した差もない多種多様な商品が生まれ、施主ばかりかおそらく設計・施工業者までをも迷わす結果を招いている。で、それについて建築家と一緒にあーでもないこーでもない言ってると、何だか一端に建築のこと囓った人間のような錯覚を施主は覚えます。それがまた無用な商品競争を生む。悪循環ですね。
また、こうした傾向をさらに扇動してるのが asazumaさんが「今宵のエモーショナル感染+アルコホル」の方のコメントで書かれているようなTVや雑誌などのメディアでしょうね。その影響で設計事務所の門をたたく人の多くは、建築家そのものをハード=プライスで捉えてしまっているのではないかと思います。ただ、私の家も実際に建ててみて、改めて振り返ってみると家族の誰もが建築家に依頼するのが向いていたというのではなかったなと思っています。そういう意味では最初の段階で踏み誤っていたところがあるかもしれないと思う今日この頃です。
それから rattleheadさんが「今日のエモーショナル感染」のエントリーで引用されてる文を読んで、私はいよいよ施工直前という段階に至ったとき、工務店の社長が「施主・建築家・工務店がバランス良い三位一体の形を取れるように」というようなことを言っていたのを思い出します。うちの建築家は後日「でも、その関係は施主と建築家が近い二等辺三角形な気がするな〜」と冗談交じりに話していたのですが、このことは計画の最後までずーっと頭の片隅にあることでした。
「建築家とは?」については rattleheadさんがもう答えを出されてしまったようなので、この辺で。。何だかこのコメント合戦、四方八方のブログにずいぶん飛び火しましたね。まあ、でも、何にせよ、rattleheadさんのブログはこれでまだ家を建てる前というのだから、本当に飛んでもないです(自分のブログコメントでも書きましたが)。失礼な物言いになっちゃいますが、成功失敗どちらも楽しみにしています。
http://blog.livedoor.jp/rattlehead/archives/12360662.html#comments
by m-louis : 2005.01.20 19:15