2004年12月18日 (土)

設計料について

Off Space で「建築士事務所の役割と設計料」というエントリーがあったのに乗じて、少し「設計料」について書いておきたい(いや、前々から書かなくてはと思っていたことなのだ)。

まずうちの場合、前任建築家のときも初音すまい研究所のときも設計料は工事費の何%という形での請求を受けた。このパターンは Off Space のエントリーを取り上げるまでもなく、建築業界の常識となっている形のようである。が、正直言うと私は本当はこれに「待った」を掛けたかった。もちろん私本人も Web の仕事をするときにギャラの話になると決まって困ることになるのだが、それは建築家もおそらく同じことで、つまりは妥当な見積もりを算出する目安が欲しい訳だ。これが工務店なら建材が幾らで人夫代が幾らでと算盤を弾きやすいが、設計料というのはそういう目に見える算出の材料を持たない。そこで工事費の何%という話が出て来るのだと思う。

by m-louis : 05:26 | comments (5) | trackbacks (1)

2004年11月05日 (金)

トラックバックの見本?

なぜだかこの谷中M類栖の「New Entries について」と aki's STOCKTAKING の「検索される blog ブログ」間で行われた相互トラックバックが、GEODESIC編著『ブログの力──Blogの可能性に気づいたユーザーたち』(九天社・1,680円)にてトラックバックの見本として紹介されてます。

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2004年10月08日 (金)

光庭考: F森教授の中庭却下

赤瀬川原平著『我輩は施主である』文庫版124ページから始まる「中庭をめぐるウニドロ問題」の章。ここでは土地も決まり、間取りもあーだこーだしながら(それを赤瀬川氏はアメーバーや将棋に喩えるが)だいぶ見えてきた段階で、赤瀬川氏の奥さんから中庭がほしいという希望が出る。それには赤瀬川氏も積極的に賛同し、設計のF森教授に進言するのだがすぐさま却下されたのだそうである。少し長くなるが、そのときのやりとりをここに引用してみたい。

by m-louis : 19:10 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年09月22日 (水)

光庭考: アートネイチャー

追記欄にて引用される西澤文隆(※)小林古径(日本画家)による2つの文は共に<自然>と対峙したときに求められる技巧について触れているので、ここに並置しておきたいと思う。
ジャンルこそ異なれ、ここに共通するのは<現実>というフレームに絶えず意識を働かせる視線である。そのフレームは常に<時制>によって脅かされているゆえ、決して形式として固定することが許されず、すなわちその都度違う解決法(=応用力)が求められる。

光庭において縮景・残山剰水といったレベルでの作庭を考えているわけではないが、ただ自然のままにというのではなく、誇張やデフォルメといった要素も取り込んだ庭づくりを楽しんでみたい。

右上の図版は
小林古径【三宝柑】1939年 絹本彩色・軸 60.0×72.0cm 山種美術館蔵

by m-louis : 06:17 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年09月15日 (水)

光庭考: 三鷹金猊居の庭

040915_court.jpg

9/18(土) に設計者による駄目工事チェックが行われるついでに豊田さんと母の間で光庭についての打合せもするそうである。というわけで、それより前に私個人の光庭に構築したいイメージをまとめておかなければならなくなった。まあ、ここ最近は庭に関する書物や写真を幾つか手に取って色々イメージしてはいたのだが、もともとガーデニング趣味のない(というよりも如何にもガーデニング的なガーデニングが嫌いである)ことから自ずと雑草をどう見せるかとかそんなことの書かれてる本の方ばかりに目が向いてしまう。しかし、あれこれ考えたのち、やはりうちの場合は原点に立ち返って、なるべく三鷹金猊居のときの庭の様子に従うという考え方が一番妥当ではないかというところに落ち着いている。まあ、しかし、それなりに作庭ということを意識するのであるならば近年のよりかは祖父=金猊が生きていた20年前当時の金猊居の庭のイメージを借りる形にした方がよかろう。

by m-louis : 06:33 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年09月12日 (日)

平地→坂住まい

赤瀬川原平著『我輩は施主である』文庫版46ページあたりにA瀬川氏が子供時分、門司に住んでいたときの話が出てくる。門司は「港からぐんと切り立っている地形で、家の回りは上も坂道、下も坂道で、世の中はそういうものだというのが僕の基本に焼きついているのだろうか」と氏は言うのだが、そういう意味では私含め、長らく三鷹に住みついてきた我が家族は家の回りが平地であることが焼きついていることになるのだろうか。

A瀬川氏はその後、東京での活動期(氏はその時期を賃貸呼吸の頃と表現する)を中央線沿線の平地がちなところで過ごしたそうだが、その頃は忙し過ぎて子供の頃に焼きついた基本(デコボコ感覚)は忘れていたそうである。それが賃貸呼吸からローン呼吸へ変わる年頃になって再び子供の頃の感覚が蘇り始めたらしい。というか、実際のところデコボコ感覚が土地決定の決め手になったというくらいなのだ。

by m-louis : 17:06 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年09月10日 (金)

光庭考

まず光庭の具体的イメージを考えていく前に「光庭」という言葉自体に触れてみたい。
実は私自身「光庭」という用語を豊田さんの書かれた1F平面図を見るまでは知らなかった。いや、読み知った言葉ではあったかもしれないが、朧気ながらイメージできる言葉だったので、厳密な語義を知ろうとしていなかった。
確か打合せの席上では「ひかりにわ」と言って話もしていたので、その読み方に間違いないと思うのだが、広辞苑には出ていない。代わりに「こうてい」で探してみると「後庭」(※1) というのが出て来て、それはうちの庭を表現するのにある意味もっと適した言葉だったりする(笑) だが、その意味は「光庭」の活字が持つイメージとはだいぶ違う。もちろん「こうてい」で調べても「光庭」は出て来ない。

by m-louis : 20:29 | comments (0) | trackbacks (3)

2004年09月09日 (木)

回りくどい

我輩は施主である(※) のエントリーで同著を「回りくどい」と数ページ読んだだけの私は評していたが、その理由がもう数ページ読み進めることで不意にわかった気がした。
しかし、こういうことって本当に読み進めているうちに不意に見えてくるもので、決してどのページのどの行がそう判じさせたというものではない。と既にこのエントリー自体が回りくどくなってきているので本題に入るが、なぜに赤瀬川原平氏の『我輩は施主である』が回りくどく感じられたかと言えば、それは氏が施主であり、読者の私も施主だったからである。

by m-louis : 23:13 | comments (1) | trackbacks (1)

2004年09月06日 (月)

我輩は施主である

ずっと前から欲しいと思っていたのだが、古本屋回ってもなかなか見つけることの出来なかった赤瀬川原平著『我輩は施主である』(中公文庫)をやっとこさ Amazon のユーズド商品って形でゲット(99円+送料310円)。
ま、単行本でもいいなら定価でもいつでも買えたんですが、無闇に蔵書を増やしたくない関係で文庫の出待ちしてました。
まだ数ページしか読んでないけど、施主を2年もやってきた者にとってはちょっと回りくどい(そういう意味ではこの blog も同様だろうが)と言うか、いつもの赤瀬川節がなぜか小煩く感じられる。この印象は読み進めるうちに変わってくるだろうとは思うが。。

by m-louis : 12:38 | comments (2) | trackbacks (1)

2004年09月03日 (金)

住宅展示場にコルビュジエ登場?

allaboutjapan.jpgAll About Japan の「今日のイチオシ」のところに「住宅展示場にコルビュジエ登場」という記事を見つけ、どういうこっちゃ?と思わずクリックしてしまったのだが、よく見たら「住宅展示場にコンシェルジュ登場」の勘違いでした。

それにしても昔からずーっと疑問に思っていながら恥ずかしくて誰にも聞かずに来たんだけど、「コルビュジエ」って何で最後の「エ」が「ェ」じゃないんだろか? それにみんな「コルビジェ」って発声しますよね(笑)

by m-louis : 05:27 | comments (2) | trackbacks (2)
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