2006年10月07日 (土)

丸井金猊「鷺圖 (仮)」

egret

これから会期までの間に今回展示予定の金猊リソースを何点か紹介していこうと思う。
まず最初に展示が確定しているものとして、この「鷺圖 (仮)」から取り上げてみたい。

「鷺圖 (仮)」は (仮) が示すようにタイトル不明、作品として完成しているのか、未完成なのかも不明なリソースである。「鷺圖」という仮のタイトルは分類のために私共遺族が仮に付けている。そうしないとタイトル不詳ばかりで整理が大変だからである。

サイズはW1,300×H1,300mmで、絹本に着彩の額装。ひょっとすると祖父は軸想定で描いたのかもしれないが、130cmの本紙に地の余白スペースを考えると相当横幅を広く取られることから表具屋さんのアドバイスにより額装となった。

制作年も同じく不詳だが、線描写に余裕と遊びが感じられること、また鷺という単一モチーフではあるものの、それを複雑に絡ませて画面を構成していることから、屏風や壁画などの複数モチーフを扱った大作を描くより前のもの(1930〜35年・20〜25歳)ではないかと思われる。ただ、構成という側面のみで見るならば「鷺圖」の方が単一モチーフで色数が少ない分、構成そのものの醍醐味はダイレクトに伝わるだろう。

egretと同時に画面中央の鷺が混み入ってるあたりは鷺の頭・胴体・足の繋がりが目で追っていくうちにどんどんわからなくなってくるので、それもまた興味深いところである。一見すると鷺の群れを描いたように思えるだろうが、頭数と足数が厳密に揃わないところを鑑みるに、これは群れを描いていたのではなく、一羽の鷺を複数の時間軸において捉え、それを一画面に落としたと空想してみるのも面白いかもしれない。

すると「兵庫県美のジャコメッティ展」のエントリーで、ジャコメッティの絵画について書いたのと同様の高速アニメ一コマ落としの原理(「鷺圖」の場合は低速だけど)がここに見出され、レイヤー上の奥行きとは別種の、動きの中から生まれる空間が読み取れるようになってくるだろう。

egret・・と、そんな妄想に至ったのは、そもそも鷺って群れでいることあったっけ?と思うほど、私が街や田舎で出くわす鷺はいつも一匹狼鷺だったからなのだが(^^;)、ところが試しに「鷺の群れ」でググってみたらあっさりイメージ検索で幾つも写真が出て来るではないか! 祖父はやっぱりフツウにただ群れを見て描いてただけなのかもしれない。

ちなみにこの「鷺圖」、落款もなければ、そもそも見つかったときの状態もいい加減極まりないものだった。なんと!三鷹金猊居のお蔵の天井下、梁と梁の間に渡した板の上に要らなくなったポスターやカレンダー同然の扱いでポイっと置いてあったのである。実物を見れば幾つか黒目がないことに気づかれると思うが、それは発見直後に丸まった絹本を開いたら、ポロッと落ちてしまったのであった(汗)

ついでにこぼれ話を一つ。flickr contact の otarakoさんの写真で知ったのだが、この世には「鷺草」なる植物もあるらしい。

by m-louis : 2006.10.07 03:33
comment

胡粉の扱い方がとても丁寧で綺麗ですね。とても繊細で綺麗な絵です。羽の透明感や一本一本を丁寧に描けるのはやはり日本画ならではだなあ、と感じます。日本画の先生から「胡粉の百叩き」はとても重要だと教えられました。

そして…これ絹本なんですね!絹本でこの大きさって…めっちゃ大変ですよ!(^^;)小さいサイズで一度絹本を描いたことがありますが、絹本て岩絵の具を厚塗りできないから(=修正が難しい)最初から草稿段階をきっちりしておかなければならず、ズボラな私には大変でした(^^;)

あと、鳥というモチーフもスケッチすること自体が大変です。だって動くんやもん…(^^;)

by のりみ : 2006.10.07 23:03

あ、それと…落款が無い、とのことですが…人によりますが私は落款やサインはほとんど入れない主義です。なんかせっかく完成した絵に落款=サインという余計なものを入れたくなくなっちゃうんです。でもWEBで公開する場合、やっぱ入れたほうがいいかなあ、と思う時は度々ありますが。。

それから、自分の作品って案外ぞんざいに扱ってしまうものかもしれませんね。私の絵もほとんどが物置です。

by のりみ : 2006.10.07 23:13

>のりみさん
「胡粉の百叩き」のこと、教えていただき、ありがとうございます。
実は私、日本画の技術的な話というのはほとんど全くの無知に等しいもので。。
尚、祖父のリソースは活動期のものは屏風を除けばほとんどが絹本に薄塗りでした。
しかし、晩年の絵はすべて紙ですので、自分で衰えを感じてたのかもしれません。
落款については「丸井金猊リソース ver1.0」のエントリーでも書いているように作品の完成・未完成の判断を放棄したいというのが私の本心なのですが、敢えてその判断を下すとするならば、祖父は完成したものには概ね落款してたようです。まあ、その方が遺族にとっては見分けやすいとも言えますが、しかし、真相は藪の中だと思ってます。

by m-louis : 2006.10.10 02:44

>>要らなくなったポスターやカレンダー同然の扱いでポイっと置いてあったのである。

素敵な作品ですのにもったいないですね。
でも流石に描いた方はわかってらっしゃっていたのですね。

by 園田 : 2008.12.28 11:22

>園田さん
祖父の画にコメントありがとうございます。
祖父の画は薄塗りが多いので、絹本自体がダメになってさえなければ
割と持ちは良い方なので、その点では非常に助かってます。

by m-louis : 2009.01.02 03:05









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