「鷺圖 (仮)」は (仮) が示すようにタイトル不明、作品として完成しているのか、未完成なのかも不明なリソースである。「鷺圖」という仮のタイトルは分類のために私共遺族が仮に付けている。そうしないとタイトル不詳ばかりで整理が大変だからである。
サイズはW1,300×H1,300mmで、絹本に着彩の額装。ひょっとすると祖父は軸想定で描いたのかもしれないが、130cmの本紙に地の余白スペースを考えると相当横幅を広く取られることから表具屋さんのアドバイスにより額装となった。
制作年も同じく不詳だが、線描写に余裕と遊びが感じられること、また鷺という単一モチーフではあるものの、それを複雑に絡ませて画面を構成していることから、屏風や壁画などの複数モチーフを扱った大作を描くより前のもの(1930〜35年・20〜25歳)ではないかと思われる。ただ、構成という側面のみで見るならば「鷺圖」の方が単一モチーフで色数が少ない分、構成そのものの醍醐味はダイレクトに伝わるだろう。
と同時に画面中央の鷺が混み入ってるあたりは鷺の頭・胴体・足の繋がりが目で追っていくうちにどんどんわからなくなってくるので、それもまた興味深いところである。一見すると鷺の群れを描いたように思えるだろうが、頭数と足数が厳密に揃わないところを鑑みるに、これは群れを描いていたのではなく、一羽の鷺を複数の時間軸において捉え、それを一画面に落としたと空想してみるのも面白いかもしれない。
すると「兵庫県美のジャコメッティ展」のエントリーで、ジャコメッティの絵画について書いたのと同様の高速アニメ一コマ落としの原理(「鷺圖」の場合は低速だけど)がここに見出され、レイヤー上の奥行きとは別種の、動きの中から生まれる空間が読み取れるようになってくるだろう。
・・と、そんな妄想に至ったのは、そもそも鷺って群れでいることあったっけ?と思うほど、私が街や田舎で出くわす鷺はいつも一匹狼鷺だったからなのだが(^^;)、ところが試しに「鷺の群れ」でググってみたらあっさりイメージ検索で幾つも写真が出て来るではないか! 祖父はやっぱりフツウにただ群れを見て描いてただけなのかもしれない。
ちなみにこの「鷺圖」、落款もなければ、そもそも見つかったときの状態もいい加減極まりないものだった。なんと!三鷹金猊居のお蔵の天井下、梁と梁の間に渡した板の上に要らなくなったポスターやカレンダー同然の扱いでポイっと置いてあったのである。実物を見れば幾つか黒目がないことに気づかれると思うが、それは発見直後に丸まった絹本を開いたら、ポロッと落ちてしまったのであった(汗)
ついでにこぼれ話を一つ。flickr contact の otarakoさんの写真で知ったのだが、この世には「鷺草」なる植物もあるらしい。
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