2004年10月08日 (金)

光庭考: F森教授の中庭却下

赤瀬川原平著『我輩は施主である』文庫版124ページから始まる「中庭をめぐるウニドロ問題」の章。ここでは土地も決まり、間取りもあーだこーだしながら(それを赤瀬川氏はアメーバーや将棋に喩えるが)だいぶ見えてきた段階で、赤瀬川氏の奥さんから中庭がほしいという希望が出る。それには赤瀬川氏も積極的に賛同し、設計のF森教授に進言するのだがすぐさま却下されたのだそうである。少し長くなるが、そのときのやりとりをここに引用してみたい。

 で中庭なんだけど、
「シロートの人はすぐ中庭が欲しいというけど、やめた方がいい」
 F森教授にはすぐ却下された。
「え? だっていいじゃない、勝手な空間で。裸で日光浴もできるし。別にしないけど。何で駄目なの」
「中庭でも大きけりゃいいけど、どうせ小さいわけでしょう、中庭願望は。どうしてもじめついてくるんだよ。日本じゃやめた方がいい」
「でも日本家屋ではよくあるでしょう、中庭。坪庭というやつ」
「うん、だからあれはじめついてるじゃない。暗くて。写真で見ると良さそうに見えるけど、大変だよ、必ず後悔するから」
 断言された。そうかなあ。
 京都の町家などでよく坪庭がある。一坪の坪で、家の中の小さな庭。手水鉢に柄杓が置いてあったりして、苔むした庭石があったりして、緑の葉っぱがちょっと生えたりして、庭下駄が揃えてあったりして。
「だから苔むして、じめついてるでしょ」
「でも風情があるじゃない」
「それはね、写真では風情だけど、住んだら駄目だって」
「駄目?」
「後悔する」
 建築史の人である。あらゆる建物を見てきている。その人にこうもいわれたら、やっぱり駄目なのか。
だいたいイメージなんだよ。写真のイメージ。だから見た目にはいいけど、源門さん(赤瀬川氏)だって見てるだけで、実際に住んだことはないでしょう」
「うん」
 たしかに坪庭付きの風情のある家になんて住んだことはない。でも路上観察のみんなで泊まった京都の旅館には、中庭があったじゃない。たしか二つもあったよ。
「だから旅館ていうのは、いわば写真のイメージでしょ。そりゃ一日か二日泊まるけど、自分で住むわけじゃない。一日か二日見るだけ」
「まぁ、そりゃたしかに」
行った時だけ見るというのと、住むというのはぜんぜん違うんだよ。だって自分で掃除したり、維持して、管理する物件なんだよ」
「物件かぁ」
 たしかにそれはわかる。旅行者の目と住民の目はどうしても違う。生活がかかってくる。そうすると見るだけの美学じゃなくて、機能性というのがぐーんと問題になってくる。といって機能だけで出来上がっているものも味気なくてつまんないんだけど。
 諦めきれないでいると、F森教授が講義した。
 日本家屋というのは物凄く贅沢なんだということ。座敷や床の間、濡れ縁、欄間、露地、茶室、木戸、とかいうのは、空間があってこそ生きるんだという。床の間とか濡れ縁とか、その物に限って見れば質素だけど、それが風情として生きてくるのはそれを囲む空間があってのことだという。
 なるほど。
 空間が贅沢でも何でもない時代には、日本家屋も質素な建物だったのかもしれない。でもいまみたいに空間そのものが贅沢になってしまうと、日本家屋の質素さをあらわすことが贅沢になってしまった。
「だからね、空間のゆとりのないところに日本家屋の物件だけ持ってくると、質素というより、貧相になるんだよ」
「うーん」
 それはわかる。そうすると、
「あれだね、召使いとか『使用人』のいない日本人が、ルイヴィトンのバッグだけ持って見ても、かえって貧相に見えるというのと同じだね」
「そうそう」
 いや別にルイヴィトンに他意はない。でもたしかに日本家屋の空間意識は、借景という言葉にもあらわれている。借りるわけで、借景という美学そのものは質素さからきているけれど、借景でこそ生きていた庭というのは、借りる景がなくなったこんにち、それごと全部造らなければいけないので、これは大変な贅沢である。

と以上、この章の余談であるウニドロ問題の話より前のところをほぼ全文引用する形になってしまったが、まあ、何にせよこのF森教授の頭からの中庭否定に思い起こさずにはいられないのが、光庭考(※) のエントリー後半でも書いた前任建築家MH氏との坪庭論議である。そちらのエントリーを読んでもらえればわかると思うが、閉塞空間に対する危惧、京都云々とかジメジメとか施主シロート対クロート建築家のやりとりはほとんどそっくりである。

これでMH氏から上記引用文赤字で示した建築家講義でもあれば、我々も坪庭願望から降りてしまっていたのかもしれない、、って、でも、どうだったろうな? 源門こと赤瀬川氏もこうした講義にもめげず食い下がって中庭を南面オープンにした半中庭案をF森教授から勝ち取っているのだ。それに我々の場合、引用文緑字で示してる箇所などF森教授に否定された中庭願望とは条件的に異なる面もあり、それはむしろ光庭採用積極策にシフトできるようにも思わずにはいられない。

うちの計画を初期段階から野次馬後見人として見てきたCT氏(このブログでも幾度かコメントしている)からは「建築を勉強して」きた建築家が「今回の、三鷹->谷中の条件にあってすら」光庭を「しりぞけた根拠については、たんに」自分「には想像できないという理由から積極的に興味がある」などとも言われているのだが、実際問題当時において赤瀬川氏がF森教授の講義を引き出したくらいにもっと踏み込んだ議論をすべきだったという反省は残る。私が聞き出せたのは否定項の代理として、ではMH氏が認める庭とは何か?(その答えはカラッと晴れた青空のもとでカーッとビールでも飲めるようなところというものであったが)というところまでであった。なぜ駄目なのかというもう一歩踏み込んだところを今からでも聞けるものならば聞いてみたいところだ。

ちなみに先の引用文緑字やCT氏の指摘にもあるように、私が光庭を希求した根拠は
・借景にしないとどう考えても勿体ないA見邸の庭がある
・住人がもともと庭と共に住むことに慣れている(三鷹金猊居がそうだった)
の2つで大局的なところは語り得ているだろう。まあ、1F応接室がギャラリー&ピアノ室ともなり、フツウの住宅よりかは見せ物としての光庭の効果も高いんだろうが、それはオマケといってもよい。

by m-louis : 2004.10.08 19:10
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