2006年07月06日 (木)
前々からあってもいいかと思っていた「ツール・アイテム 」のカテゴリを追加した。
もちろんメインは日曜大工道具的なものでありたいと思っているが、カメラ関係の遊び道具や、果ては Movable Type 関連のブログツールまで含めたカテゴリにしようかと思っている。まあ、その辺は紹介というよりも備忘録としてのエントリーね。
しかし一応、新カテ作るに当たって、辞書で「 tool」の意味を調べてみたんだけど、一般的に知られる「道具」絡みの意味以外に「(人の)手先」「男根(penis)」なんて意味も持っているのね。ま、どっちも「道具」といえば道具なんだけど(^^;)
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2006年07月04日 (火)
本来、火曜日は私がTV権を握っている日なので(ロンドンハーツ〜リンカーンと続く黄金デー)、ドラマ好きな妻にチャンネルを譲ることはないのですが、今クールから、なぜか私の方でドラマチェックが必要になりました。阿部ちゃん好きの妻には嬉しい話かもしれません。
何やら関西テレビ『結婚できない男 』というドラマで、建築家や建築プロデューサーが登場人物となるらしい。いや、厳密には高島礼子演じる住宅プロデューサーということらしいけど、やはりそんなニューカマーな職業なだけに、そのググって最初に出てくる我らが建築プロデューサー朝妻さんはそのアドバイザーとして製作の手伝いをされたとのこと(詳しくは彼の「建築プロデューサーがドラマに登場!? 」のエントリーへ)。
どんな話になるのかはわかりませんが、まずは告知しておきます。
タイトルを考えるとあまりない話のようにも思いますが、世俗を反映するなら構造建築家とかも出てきちゃうのでしょうか?(汗)
意外にこういうドラマって今後の建築家の営業に微妙に響くような気もします。
【関連エントリー】
・ちはろぐ:建築するとドラマかも (2006.05.27)
・建築プロデューサー朝妻義征:建築プロデューサーがドラマに登場!? (2006.07.01)
・ノアノア:「結婚できない男」 (2006.07.04)
・建築プロデューサー朝妻義征:ドラマ 『結婚できない男』 (2006.07.05)
・家づくり、行ったり来たり:「結婚できない男」を見た (2006.07.05)
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2006年07月02日 (日)
当初はこのために上京も考えていたのだが、時間&交通費の工面が難しく、代理で母に行ってもらった。芸工展サイトの「説明会のお知らせ 」にもあるように期日・場所は
【期日】2006年7月2日(日) 19:30〜20:30/2006年7月3日(月) 19:30〜20:30
【会場】不忍通りふれあい館(文京区根津2-20-7)
で、母の電話によれば、参加したのは7、8組。実行委員のメンバーは5、6人来ていたとのこと。基本的には募集要項の提出とそれについての質問、後はサイトに掲載されている説明内容通りで、母に言わせると、わざわざこれのためだけに上京までしなくてよかったんじゃない?ということだったが、個人的には芸工展の公式サイト が今年はどのように展開するのかを知りたかった(あるいは内容次第では提案したかった)ので、その点で行けなかった不満は大きい。それともこの際、スタッフ募集もしてるので応募してしまおうか? でも、さすがに提案のみスタッフじゃ要らんだろな(^^;)
「谷中芸工展の紹介文 」のエントリーでも書いたけど、提出した募集要項の主な情報を再度掲載しておく(追加情報+微妙な変更アリ←中日を休日にすることにした)。
・日付:10/15(日)〜10/22(日)
・時間:14:00〜18:00(10/20(金) は20:00まで)
・休日:10/18(水)
・企画(店舗)名:谷中M類栖──丸井金猊リソース ver1.0
・参加者名:谷中M類栖/1f
・紹介文(70字厳守):竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾は昭和8年東京美校日本画科卒の丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年06月30日 (金)
もともとこのブログでは根強い検索ワードである「上棟式 」が久々トップに返り咲き。それも今月のパーセンテージはふだんよりも随分と高い。この時期に上棟式って多く行われるものなのかしら? 梅雨シーズンに剥き出しの構造材濡らしちゃってあまり良い季節とも思えないのだけれども。。それとせっかく「上棟式」でアクセスいただいてもまるで参考にならない話しか掲載されてなくて、スンマセン。まあ、施主挨拶は長いとハズすよ!というのはむしろ有益な情報と言うべきかもしれんが(汗)
上棟式 9.5% 軍艦アパート 2.8% 谷中 2.4% 田植え 1.4% 遊郭 1.2% 高過庵 1.1% 写真 1.1% 谷中ボッサ 1.0% グヤーシュ 1.0% 曙ハウス 0.9%
2006年5月の解析結果はこちら から。
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2006年06月18日 (日)
妻と大阪歴史博物館 に初めて行ってみた(詳細は LBGO「大阪歴史博物館 」へ)。
本当はチャングムグッズを求めて NHK大阪放送局に行くのが目的だったのだが、グッズコーナーにはチャングムの携帯ストラップしか置いておらず、5分と時間を必要としなかったので、隣接する大阪歴史博物館に入館したのである。ところがここが思いのほか面白く、閉館1時間前に入館したのは失敗だったと思ってしまったくらいだった。
とりわけ興味深かったのが難波宮に関する資料である。恥ずかしながら私は今年になるまで難波宮の存在すら知らなかったのだが、4月に玉造神社への行き掛けに遺跡を思わせる広場に出くわし、その存在が気になり出したのである。大阪市都市協會 が歴史散策 というページでも紹介しているが、ここでは Wikipedia 冒頭の文章を引用しておく。
ちなみに現在では宮殿のあった場所は若者のダンス練習台と化していた(^^;)
Wikipedia「難波宮 」 難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿。それまで史書には載っていたが、所在地は不明なままであった。1961年(昭和36)、山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の(後期)難波宮・大極殿跡が発見されその存在が確認された。さらにこれより古い飛鳥時代の宮殿址も見つかっており、これは前期・難波宮と言われる。
山根は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり」という発言を残した。
ところで大阪歴史博物館の7階・近代現代フロアは当時の代表的な住まいや暮らしを再現したセット空間だった。こういう大正・昭和レトロ再現空間って最近流行ってるらしいけど、私個人は古いものが好きな割にそれほど心動かされることがない。むしろ私が興味を抱くのは当時の書籍とか新聞、紙幣、または映像といった情報資料である。これをちゃんと見ていくと、この博物館は丸1日掛けても足りないくらいに充実している。7階の近代現代フロアもセットだけだったら素通りだったろうが、当時の映像が映し出されるモニタが数カ所置かれていたので、閉館時間が迫ってるのが惜しくてならなかった。そんな近代現代フロアは一部吹き抜けになっていて、8階からも見下ろすことができる。その8階を先に歩いてたときに妻に指さされたのが冒頭の写真だった。
つまり、既に在りし日のうめだ阪急百貨店が組み込まれたコラージュ写真である。
もうその阪急も今では解体工事のパネルで外観も完全に覆われ、伊東忠太の壁画も取り払われ、ゴリモンな日々「梅田の街は“白い壁”でいっぱい 」によれば 7月11日からはいよいよコンコース自体が通行止めになるのだそうである。
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2006年06月17日 (土)
竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。
目指すは谷中芸工展参加!
ちなみに例年通りに art-Link と芸工展の開催時期が重なってたのであれば、
両方の参加も検討したいところだったのですが、どうも今年は
・谷中芸工展 :10/14(土)〜10/23(月) <10日間>
・art-Link :9/23(土)〜10/9(月) <17日間>
というスケジュールなもんで、残念ながら art-Link の参加は見送ることにしました。
うちの場合、企画内容的には art-Link 向きなのかもしれませんが、参加費が少し張ることと私のスケジュール的な問題、そして芸工展の方には豊田さんも一枚噛んでるということから、今年は芸工展のみで大人しく様子を見ようと考えています。
芸工展の申込締切は7月31日(月)。
それまでにガイドマップ掲載情報の必要項目を考えておく必要があります。それで
・企画(店舗名)名:
・企画者名:
・紹介文(70字厳守):
の3項目と所在地情報等をどこまで掲載するかで、やや頭を悩ましています。
まず所在地情報等に関して、昔であればほとんど気にも留めなかったのですが、最近はそうした情報自体が売買されるようになって悪用される可能性もあり、いずれにしても自宅で開催するものなので、どこまで出すべきかで迷っています。
そして企画名や紹介文。ここでの出品作家である祖父が有名人であるなら名前だけでも充分なんですが、まず祖父が何者なのか?というところから始めて70文字以内に収めなければならないのが難しいところ。そしてさらに厄介なのが本人が既にこの世にいないということです。そうすると案外、企画者の立場というのも重要なんですね。ところがその企画者たる私個人が谷中には住んでいない。てか、遠い遠い大阪にいる(汗)
そこで現在考えているのが、まずこの企画の主体(企画者名)をこのブログ、すなわち「谷中M類栖」にしてしまうということ。実は展示スペース名も同じく「谷中M類栖」のつもりではあるんだけど、ブログ自体が主体であるという考え方にすると意外と話の辻褄が合わせやすいんですね。それに現段階では谷中において身内絡みで一番有名なのは祖父よりも断然このブログ「谷中M類栖」なのです(笑) そういう意味でも、工事が始まってからではあったものの、このブログを始め ておいてつくづく良かったな〜と思います。というか、ブログなしで大阪に住んでるだけだったら、昔からの知人以外で谷中界隈仲間なんて誰一人出来なかっただろうし、展示活動の指針となるものもほとんど見えないままスタートを切ることになっていたでしょう。
と考えが及んだとき、紹介文はとことん図々しく偉そうに書いてしまうってのも、この際アリなのかもしれないなと思いました。それが冒頭の文章に繋がっていきます。
・企画名:谷中M類栖/1f──丸井金猊リソース ver1.0
・企画者名:谷中M類栖
・紹介文:竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾に昭和8年東京美校日本画科卒=丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年06月12日 (月)
ドイツワールドカップ2006 開催を記念して、去年の中欧旅行 でトランジットのために立ち寄ったフランクフルト空港での数コマを軽く紹介してみたい。
まず最初は空港内通路スペースにずらっと設置されたベンチというか寝椅子。
上の写真を見てもわかるように、これがかなりクールなデザインしてて、つい日本とは違うな〜と思いたくなってしまうのだ。機上ではずっと足が下に下がってて、半ば血行障害のような状態になっているので、足を前に突き出せる椅子というところが嬉しい。私も乗り換えを待つ間、しばしこんな感じ で足をだらんと伸ばしていた(笑)
次いでもう一つクールデザインとして紹介したいのが右の写真の公衆電話。
携帯電話を持たない私にとって、最近の日本では駅や空港でも電話を探すだけでも一苦労。最近じゃーわざわざ目立たないところに設置しようとしてる風にも見えるのだが、ここフランクフルト空港ではしっかりここだぞ!とその存在感を主張していてくれた。まあ、実際に利用したわけではないので、使い勝手がどうだったかまでは言えないが、それでも電話機の下のところにちょこっと突き出した荷物置きがあったりと、クールな雰囲気は壊さずに気の利くところは利いているという感じだ。日本もこんな電話を導入してくれとは言わないが、もう少し公共の場で電話の所在がはっきりわかるように、そして一つ箇所に複数台置くよりも、そこそこ要所に分散して配置するようにしてもらいたいものである。
最後にもう一つ、公衆トイレについて触れておく。
アジア以外の海外を旅したことのある一般日本人男性ならば大抵経験したことあると思うのだが、男性用便器の位置がちょっと高いのだ。特にここフランクフルト空港の便器は左の写真からもわかるように便器が小さい上に受け口が上を向いてしまっていて、小用を足すのに微妙に背伸びが必要だった。とりあえず私は日本人平均身長はあるのでまだマシだが、160cm台の身長で足が短い人だとかなり大変だろう。というか、それよりも気になるのが子供はどうやっておしっこしてるのか?ということである。
しかし、このことを書いていてふと思い出したのが、「小便器は男の小宇宙である」という名言を呟かれた「家づくり、行ったり来たり 」の garaikaさんである。彼はこれまでにも
・トイレ自慢──男性限定
・小用姿勢の問題を解決する便器
というエントリーで、そのエントリー内外に小便器文化論を飛び散らして来られているが、その中でも興味深かったのが、男が立って用を足すのはオスとして危機対応能力から来てるのではないか?という説である。この説は別のところ にも飛び火して、男性機能の低下の要因に 「座り小便」 があるのでは?という話にまで展開し、すなわち立ち小便時の力む姿勢は「男」を強化するのに一役買ってるのではないか?という話にまで発展しているのである(後半の飛躍した文章はほとんど私の創作)。
それで私が思ったことというのは、日本人がこのフランクフルト空港の小便器を使えば更なる背伸び状態による力みも増して、すなわち更なる性能力の回復にも繋がり、昨今話題となりがちな少子化問題にも一役買うのではないか?ということである。
ただ、そんな私個人は日本が少子化していくことに賛成派なのであるが(汗)
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2006年05月31日 (水)
月末に「あさみ新聞 」の景観問題ネタが朝日新聞で取り上げられ、アクセス急上昇という話を聞いていたので、ひょっとしてのこのブログにもリンクで流れてくるのかな〜と思っていたら期待するほどの数字はあがらない。と思っていたら、どうもリンクではなく、アクセス検索ワードにおいてその影響は現れた恰好だ。
やっぱり全国紙の影響力ってまだまだ大きいのね。
軍艦アパート 3.2% 悪い景観100景 3.1% 谷中ボッサ 2.7% 谷中 2.4% 遊郭 2.1% トタン 1.6% 上棟式 1.5% 高過庵 1.0% グヤーシュ 0.8% 写真 0.7%
2006年4月の解析結果は
こちら から。
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2006年05月23日 (火)
当初より1日遅らせた帰阪日。午前中は荷物まとめと家の整理に時間を費やし、昼から奏楽堂のコンサートへ行くという両親と芸大学食で昼食を食べて、上野駅へと向かうことにした。ちなみに芸大学食〜奏楽堂は両親の生活サイクルに完全に組み込まれた一つのコースで、私はその動向を観察したかったので同行することにしたのである。
芸大の学食は私自身も昔、芸大に友人が居たりで美術・音楽共に食べたことはあった。しかし、学生時分に学食のレベルを問う暇などなく、どっちがウマイかなんて考えたこともなかった。しかし、ランチ巡りが趣味の両親は芸大学食もとことん食べ較べていて洋食や肉系を食べるなら音楽がうまくて、総菜ものならば美術がうまいというしっかりした結論を出していた。特に美術学部の雪花菜はうまいらしい(汗)
で、この日食べたのは音楽の方のトンカツ定食。確か600円でボリューム満点。これならどこのとは言わないが、近所のトンカツ屋の1500円の定食とも大差ない。それと笑えるのが、父はすっかり学食の券売員らとも親しくなっていて、呆れたことに「教授」と呼ばれているのだ(笑) まあ、その話は散々聞かされていた話ではあったのだが、実際呼ばれるところを見て、改めて両親はすっかり谷中ライフというよりも上野ライフに馴染んでしまったんだな〜という実感を得る。
食後は馴れた足取りで、奏楽堂 へ。奏楽堂では芸大の作曲・声楽・ピアノ・オルガン・弦楽・管打楽の各科から選ばれた優秀な学生による演奏会が毎日午前午後と開かれている。それをうちの両親はスケジュール表を仕入れて、好きな楽曲のときにしょっちゅう聴きに行っているのだ。とにかく家から5分程度のところなので、ツッカケ気分で、それもそこら辺の市民コンサートよりも全然レベルの高い演奏が聴けるのである。オーディオマニアだった父は家ではほとんど音楽を聴かなくなってしまったという話だ。
といったわけで、芸大をすっかり自分たちの庭としてしまった両親を尻目に私は帰途に着いたのだが、そういえば奏楽堂というのはてっきり都美術館の裏手にある古い建物だと思っていたら、それは旧奏楽堂で、新しい方は芸大音楽部の奥の方だったということをこの日知ったのである。その旧奏楽堂の写真が冒頭の写真。
【写真上】2006.05.23 14:25 旧東京音楽学校奏楽堂
【写真中】2006.05.23 13:37 東京芸大音楽学部の学食にて
【写真下】2006.05.23 14:16 奏楽堂ホールで「じゃ〜ね」と心はもう演奏会の両親
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2006年05月22日 (月)
プチオフ から帰宅後、酔いも醒めてまだ余力があったので、迷惑か?とは思いつつも、夜22時過ぎに突如池之端にお住まいの Pruscilla さんに電話する。こういう思い切りが持てるのは、在京中ってのが半ば「旅の恥は掻き捨て」状態というか、この瞬間逃すと次が当分ないよという切迫感があるからだろう。大阪でもそんな気持ちでいれば、もう少し引きこもりにならなくて済むのかもしれないが、どうにも家にいることに安住してしまう自分をそれ以上掻き立てることはできそうにない(笑)
で、電話で呼び出した Pruscillaさん(ちなみに彼女も携帯持ってない人)とはノマドに行った。さすがに「再々ノマド」ともなると店員さんにも顔覚えられてしまったようでというか「この人、毎回別の人と来るけど一体何者?」と思われたことだろう。それも一緒に行った人たちの方が常連さんで、店側からすれば私の方が連れて来られてる客のはずなのに、なぜか連日常連を連れて来ているのである。これは謎という他ない。
さすがにこの日ばかりは neonさんを呼び出すことはしなかったが、ある意味でそれは正解だったかもしれない。なぜならこの晩が一番しっかり作品を観られたからである。引きこもりに加えて、相手の顔を見て話もできないダメ人間であることを自認している私は、実は作品と対峙するときもそこに人の目があるとなかなかそれを観ることに集中できなくなってしまう。言わんやそれがその作品の制作者であれば尚更である。そういう意味でこの日、ようやく制作者の目から開放された状態で作品と向き合えたのだ。
ちなみに Pruscillaさんと私の一番気に入った作品は偶然にも(?)一致していた。
ノマド閉店後は Pruscillaさん宅へ行った。Pruscillaさんが「アニメーション会議」という仲間たちと作った『The Selfish Giant 』というアニメーション作品を是非観て欲しいということでの訪問だった。Pruscillaさんはテレビモニタの前にアンティークの椅子をドカッと置いてそこに私を座らせ、電気を消して私を部屋に一人きりにする。おそらくこれまでにも友人を招いてはそのようにされてたのだろうが、なかなかその観賞の時間と空間は不思議な緊張感がありつつも、落ち着いて観られて心地よいものだった。
オスカー・ワイルド著『わがままな巨人 』を原作とするこの作品。原作はネットで検索するとほぼ全文掲載されたサイト「5月のお話 わがままな巨人 」「わがままな巨人 」等が幾つか出てくるので、それらを参照されたい。一応ここではアニメーションを紹介しているページに掲載されたあらすじを転載しておく。
あらすじ
巨人が長らく留守にしていた家に帰ってみると、庭で子供たちが遊びまわっていた。
彼は怒ってみんなを追い出したが、それからその庭には春が訪れなくなった。
けれどもある日、小さな男の子に出会った。巨人は心が溶けるのを感じた。
何というか、私はこのアニメーションに世界のすべてが詰め込まれているような、そんな感覚に誘われた。それがアニメーション自体の絵やコマ割り、それとも物語によって感じさせられるものなのかはよくわからない。ただ、その紹介ページでプレビューされてるムービーやカット画像を見てもわかるように、画面構成上の一番奥にあるレイヤーがほとんどの場面において半透明というか、さらにその背後が透けて見えてるような感じで映されていて、つまりそれは万華鏡を見ているような錯覚に囚われるのである。
興味を持たれた方は是非こちら まで!
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