2014年08月04日 (月)
すっかり更新ご無沙汰してしまいましたが、ひさびさにこちらでも告知!
谷中M類栖/1f は今年も「芸工展2014 」に参加します。
芸工展2014 参加プロジェクト
「金猊馬考」展 Kingei Resources vol.19
日時:2014年10月11日(土)~13日(月・祝)・24日(金)〜26日(日) 13:00〜17:00
会場:谷中M類栖/1f
〒110-0001 東京都台東区谷中1-6-3(Google Map )
午年に因んで今年は日本画家・丸井金猊が繰り返しモチーフとした馬の絵を展示。
なぜ金猊は馬を好んで描いたのか? さらには人はなぜ絵を描いてきたのか?
また、焼失した東宝劇場壁画「薫風(騎馬婦人群像圖) 」下絵(1937年作)を観ながらの塗り絵ワークショップを開催。戦前の画家は壁画にどんな色を使おうとしたのか?
想像の翼を広げて考えてみましょう。
2014年07月27日 (日)
金猊サイト でもご案内の通り、
現在、配本中の小学館「日本美術全集」 第18巻「戦争と美術」
監修:河田明久(2015年4月24日発行)に
丸井金猊「壁畫に集ふ」1938年作の掲載が決定!
第18巻のテーマは「戦争と美術」の以下6章立て。
1. 人々の戦い
2. 都市の体験
3. 抽象と幻想
4. 昭和と肉体
5. 国土の姿
6. 描かれた大東亜
「2. 都市の体験」で「壁畫に集ふ」は取り上げられるとのこと。
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2009年11月02日 (月)
今年も「ですます」調を「である」調に差し替えるのが面倒で(文意が変わることもあるし)、そのまま丸井金猊公式サイトで書いた記事を転載してしまうが、芸工展としては4回目となる丸井金猊「生誕百年」展 を終え、今年何よりも感じたのは金猊が谷中にだいぶ定着してきたな〜ということだった。
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芸工展参加としては四回目を数える丸井金猊「生誕百年」展 も無事終えることができました。谷中M類栖/1f まで足をお運びいただいた皆様、大変ありがとうございました。
今年は金猊「生誕百年」ということから、同じ「生誕百年」で話題になっている太宰治に便乗した思わせぶりなメッセージを芸工展マップの70字以内の企画概要に掲載。そのため会期前ににわか仕込みで太宰の中短編を何篇か読み、なぜ太宰?と聞かれても良いように、三鷹時代の表札を玄関前室に置いて、母には去年三鷹に出来た太宰治文学サロンまで行ってもらって太宰に関する資料を数冊買ってきてもらい、太宰と金猊の生涯比較年表も用意していました。[PDF: 140KB ]
が、それも取り越し苦労だったようで、会期中、太宰についてのツッコミは特になし(´-`;)
とはいえ、この機会に多少なりとも太宰を囓ったおかげで、彼への歪んだ先入観はだいぶ変わりました。最初に手にした『ヴィヨンの妻』は半分くらい読んで、まるっきり頭に入らなかったのですが、そこで太田光が推薦する『富嶽百景』に切り替えたらこれがなかなか面白く、それを読み終えてから『ヴィヨンの妻』に戻ると、太宰のある種、落語のようにも感じられる語調に乗せられるように読めるようになりました。
『女生徒』は文句なしにうまい!と唸らされながら読みました。ただ、どうもそれを女性が読むとおねえ口調のようでわざとらしいって感じられるようで、なかなかその辺の解釈は人によりけりのようです。
ともあれ、金猊と太宰の共通点と言ったら、その同じ年生まれと三鷹在住ということ以外は特に見当たらず(せいぜい気取り屋なところくらいか?)、それは準備前からの想定通りで、なぜ太宰?と聞かれたら、同時代同地域作家ながらまるで方向性の違う人間が太宰とは別に存在したのだということを見てもらいたい展示なのだと説明するつもりでいました。ですので、特に展示物に太宰との共通性を考える必要もなかったのですが、ただ、『富嶽百景』の何ページかを読んだときには、晩年作の『青龍老栖富嶽の図 』を愛知県は稲沢の親戚方から借りようかと一瞬迷いました。結果的に時間がなくて、借りるには至らなかったのですが。。
さて、事実上太宰とは無関係な展示の方は、それでも太宰には存在しなかった「晩年」(小説『晩年』があるので話がややこしいですが)の画を一つは出したいと思い、「洋蘭図 」を入口左手のスペースに展示しました。この「洋蘭図」は1997年に三鷹市美術ギャラリーで開催した「丸井金猊とその周辺の人たち」展で、美術評論家の椹木野衣氏に一番興味深いと言われた画で、当時晩年作は身内の間でも評価がいまいちだったので「なぜに洋蘭図?」と思ってたのですが、自分の中でも見ているうちにだんだんと面白く感じられるようになった画です。特にマーク・ロスコを思わせる背景の描き方、金猊はこのときアメリカの抽象表現主義絵画をどのくらい見ていたのか定かではありませんが、まずそれへの意識があったのかどうか知りたいところです。そして今年も観に来てくれた画家の今村仁氏が「そのロスコ風をぼかすんじゃなくて、オレは全部描くよって気概で一本一本線描写に入ってるんだよね」という画家ならではの興味深い言葉を残して帰りました。
続いて毎年出している「さだゑ図」、初年度に出した「*芥子花圖 」をいつもの位置に掛け、その下の水屋箪笥に今年は引き出しを開けてその上に三鷹金猊居の設計図を展示しました。箪笥の上には同じく設計図面の展開図冊子を、その横には金猊の詩集を置き、箪笥の前には金猊作の六脚箱 を置きました。そして正面には「壁畫に集ふ 」の定番屏風。
収納扉スペースには谷中初出の「寿 」。この切り貼りデザインに関心を寄せるのはやはり若い人に多く、しかし、さきの今村氏はこの画も画家の仕事だということを強調してました。確かに箔を張り、切り紙も紙によっては筆で色を塗った紙が張られていて、ある種、パピエ・コレ的なアプローチに近いと言える面もありそうです。
その隣に「鷺圖 」。これはいつもと違うスペースでの展示で、今年は例年よりも少し展示位置を下げたので、いつもより画の上の方が見やすかったはず。
そして、今年の目玉が完全初出の下絵「*柿と八手と猫 」でした。これは母もその存在を忘れていたくらいの、あまり金猊らしくないタッチの完成作不明の下絵なんですが、どちらかというと犬好きな金猊が猫を描いている という点でも注目に値します。それもその猫がまた切り貼りで張り直してあるという(下絵なので、そういう操作は珍しくはありませんが)(^^;) 実際、本作がどのような描写になったのかは想像がつきませんが、この下絵段階の特に八手の配置が非常に複雑で、まずこの下絵を出そうと考えたことから同じ並びの「寿」「鷺圖」は同じ構成要素の強い、かつ複雑なものにしようという判断が生まれました。ちなみに母が偶然にもその画の脇に置かれる備前壺に柿を活けていたのは思わぬシンクロでした。
谷中へ行く前のイメージとしてはこれで主な展示は終わりのつもりだったのですが、いざ北側壁面を見ると毎年出している軸物が一点もないことに気づき、額だと額の下のスペースが妙に空いています。ということで、今年はそのスペースを活用して、これまで1点ずつくらいしか披露できなかった美校一年生時に学校の課題で描いた植物画を5点並べることにしました。
これによって今年はなかなかバラエティに富んだ見応えのある展示になったのではないかと思っております。当初は毎年そう代わり映えしないし、けど、お知らせしないのも何だかな〜だしということで、一応お知らせはするけど、わざわざ来てもらわなくてもいいですよ〜的なメールを流してたんですが、いざ終わってみると案外貴重な展示だったかな〜と。特に「*柿と八手と猫」は下絵なだけに次の展示機会が何年後になるかわかりません。
ともあれ、今年で四回目の芸工展参加で、金猊がだいぶ谷中に定着してきたな〜ということを実感した展示機会となりました。何人かのお客様は毎年秋に金猊に会えることを楽しみにしてると言ってくださってます。また、教え子の皆様方の間では何となく谷中M類栖/1f が同窓会の場的な雰囲気にもなっていて、是非是非今後とも活用していただきたいところです。今年も金猊がレタリングの授業では特に「R」の描き方に厳しかったことや、資生堂「花椿」の木偏が撥ねるのは間違っているということをしつこく授業で話していたことなど、オモシロエピソードを幾つか聞かせていただくことができました。
本当はもうちょっと長い会期を取ってやれると良いのでしょうが、なかなか遠隔地からの出張だと時間を作るのが難しく、来年も2〜3日の会期ということになってしまうかもしれませんが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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2009年09月06日 (日)
谷中界隈の地元で毎年秋に開催されている町ぐるみの展覧会「芸工展2009 」に
谷中M類栖/1f は今年も丸井金猊リソース の展示で参加します。
芸工展2009 参加プロジェクト [EM-014]
日本画家・丸井金猊「生誕百年」展 Kingei Resources vol.11
日時:2009年10月16日(金)〜18日(日) 13:00〜17:00
場所:谷中M類栖/1f(Google Map )
生誕百年に湧く太宰治と同じ年に生まれた日本画家丸井金猊。終の栖となる三鷹に住み始めたのも同じ年。ところが両者の共通項は不思議と少ない。はて...
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以上が芸工展実行委員会に7月に提出した申込情報。
今年は去年よりも1日長く、時間は開始・終了ともに1時間早い。
「はて…」と思わせぶりな企画内容については、実は太宰治の桜桃忌が話題になっている頃に申込入力していたので、つい SEO対策を!とあらぬ欲が出てしまった。が、実のところ、ほとんどノープランに近い(汗)
実際、太宰と金猊は時空間的には重なる要素が多い割に、まるっきり共通性が見えないというか、そもそも金猊は三島由紀夫の生理的嫌悪ほどではないにせよ、太宰を好ましくは思っていなかったとも伝え聞く。「生まれてすみません」の太宰が入水自殺してしまった戦後間もない1948年、金猊は新制神奈川県立神奈川工業高校の工芸図案科で本格的な教員生活をスタートさせた。しかし、それは金猊が画業で生きることを諦めた、云わば「画家としての死」を完全に受け入れた瞬間でもあった。
その後、金猊は教職にのめり込み、厳しい学生指導に当たった。誰が選んだか知らないが、私が flickr にアップしていた金猊が教鞭に立つ姿の写真のスキャン画像が「学校教育現場の情景」として Wikipedia「教育 」に掲載されている(魚拓 )。
後から顧みれば「画家としての死」の後の生を、画業以上に強い意欲を持って美育に生きたようにも伺える金猊(参考:神工デザイン科ルネッサンス )。生誕百年となる今年は、いつもの展示リソースにそんな眼差も紛れ込ませられたら面白いかもしれない。
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2009年04月21日 (火)
当ブログ人気アクセスワードの一つでもある「橋本遊郭 」の存在を教えていただいたり「曙ハウス 」の件で何かとお世話になったN的画譚 の neonさんと谷中銀座の脇にあるステンドガラス工房「nido 」さんとのコラボ展示企画のお知らせ。
期間中の上京が難しそうなので(て、もう半年くらい東京行ってないけど)伺えそうにないのが残念ですが、お近くの方は是非! DM手にしてるだけでも幸せな感じ♪
nido x neon collaboration exhibition
色硝子の町
2009年4月27日(月)〜5月6日(水) 会期中無休 11:00〜20:00
〒110-0001東京都台東区谷中3-13-6(map ) TEL&FAX: 03-3824-2257
□◇
なつかしくて、浪漫的で、ちょっぴり切ない・・・
そんな雰囲気の、色硝子に飾られた記憶の中の町。
忘れかけていた夢のかけらを、丁寧に拾うように作品に凝縮しました。
昨年も大好評だった大倉ひとみ×nidoのコラボ展です。
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2009年02月18日 (水)
去年の夏に幡ヶ谷にあるポポンタ というレストランで開催された写真展の連続告知 エントリーをしたが、今回はマダム・ポポンタによる「poponta×flickr 」コラボレーションプロジェクト・part-6 の告知である。ポポンタ界隈に住んでいる猫たちを、猫の夢を見て眠る ya_ma さんが撮られた絵はがきサイズの写真展。
"ya ma" mini photo exhibition
ポポンタ界隈ねこ横町
2009年2月18日(水)〜 平日18:00〜22:00 日曜18:00〜21:30 月・火定休
ポポンタレストラン(京王新線幡ヶ谷駅北口から徒歩6分)
〒151-0072 東京都渋谷区幡ヶ谷3-8-7-1F(map ) tel/fax: 03-3373-0507
□◇
「なにしてるのかにゃぁ」裏口のぽこより
「それが好きにゃんです」落ちてる猫より
yamaはなにかを見つめている猫を見つけると、
カメラのシャッターを切ります。
横町にはいつまでだって見つめていたい猫がいっぱいだから。
そんな猫たちが、絵はがきサイズになって、あなたに話しかけてきたら……!
words by mistubako
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2009年02月07日 (土)
2006年の告知エントリー では十数年来の友人と書いたが、もう十五年来にはなりそうな今村仁の個展 が渋谷のギャラリー ニモード で開催されるという案内が届いた。
今回は銅版画にもチャレンジしているようで行けるものなら行きたいが、この年度末、東京行く時間を作る余裕がまるで出来そうにないのが残念なところ。私に代わって渋谷・原宿方面にお出ましの方は是非覗いてみてください。
案内に掲載されていた「アカハゼ」という作品などは、ゆるキャラ好きな女子高生にも渋好みのオッチャンにも好まれそうな気がします。
今村 仁 展
JIN IMAMURA EXHIBITION gallery ni modo
2009年2月10日(火)〜2月15日(日) 12:00〜19:00(最終日17:00まで)
ギャラリー ニモード(初日17時頃からオープニングパーティー)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-23-3 tel/fax 03-3407-2623
メトロ渋谷駅13番出口/メトロ明治神宮前駅4番出口 共に徒歩約7分
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□◇案内より作家(今村仁)の言葉
自分自身で「絵」という限定された枠組みのなかの空間を選んだのだから、そのなかでは自由でありたいと思う。観ていて心地よい絵だけではなく、時には不愉快な感情を催す絵も必要とあらば描きたい。描いている過程で起きる失敗や、意図しない出来事を拾い上げる事でさらに失敗したり、自分でも意外なものが出来る時がある。そのような「飛躍」を失う事なく全うさせたいし、楽しみたい。
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2008年10月31日 (金)
2008年10月20日 02:02, 東京/谷中M類栖/1f, Nikon D300/16mm
一応 Google の2ページ目に掲載されてるので、もう少しアクセスあっても良いと思うのだが、ベスト10はおろかベスト100にも入ってこなかった「芸工展」。地域としての範囲が広がっているという事情は知りつつも「谷中芸工展」の「谷中」は出発点として外してほしくなかったような気がする。何よりも人に説明するのが面倒くさい。
ところで今年は三鷹金猊居の廊下梁として使用されていた丸太の列柱に、芸工展の鞄をぶら下げてみた。来年は今年の分を引っかけることになるかもしれない。
軍艦アパート 14.7% 谷中 2.2% 上棟式 2.1% グヤーシュ 1.8% 臭突 1.4% 高過庵 1.3% 橋本遊郭 1.2% 若人の広場 1.0% 地鎮祭 0.9% 針江 0.8%
先月(2008年9月)の解析結果はこちら から。
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2008年10月30日 (木)
芸工展2008 が終わってもう10日も経っている(芸工展本体の終了日は10月26日)。
ブログ更新の習慣を失って以降、こうした展示活動の記録もつい億劫になりがちで、思えば一宮市博物館 での特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」の総括も未だにできていない。まあ、あれは大展示だったので、期間中に考えたことの色々はその後も頭の中を巡っていて発酵しつつあるので構わないが、こちらの小展示での些細な出来事というのはもう何日かするときれいさっぱり記憶の彼方に消えてしまいそうなので、何とか仕事の隙間(でもないんだが)を見つけて記録しておくことにした。といっても、まるまる丸井金猊公式サイト で書いた記事の転載ではあるが(写真の配置が少しだけ違う)。
あと、リソース展のタイトル変更を会期直前に行ったが、どうもしっくり来ないので、もう一度バージョン表記を復活させ、丸井金猊展を一から数えたボリューム表記の方はシャープ(#)で短縮して、バージョン表記の後に付けることにした。
-- 以下、丸井金猊「丸井金猊リソース ver3.0 #10 を終えて 」より転載 -----
芸工展2008 「丸井金猊リソース ver3.0 #10 」で谷中M類栖/1f までお越しいただいた皆様、大変ありがとうございました。前エントリーでご案内したように今年は4月末から約1ヶ月、愛知県の一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が開催されました。展覧会図録や講演会では美術史家の山本陽子さんが金猊作品について触れられ、とりわけ屏風絵「*観音前の婚姻圖 」についての作品分析が強く印象に残っています。そこで今年の芸工展は「*観音前の婚姻圖」をメインに据えた展示にしようと特別展開催中から考えていました。
「*観音前の婚姻圖」は谷中では初展示ということになります。これまで展示してきた「壁畫に集ふ 」も人物を中心とした屏風でしたが、「*観音前の婚姻圖」には観音様という人物の並びの中に似て非なる違和が入り込んだことによって、それが人物画だという意識がかえって強烈に働き、であれば、今回は人物画を中心とした展示にしようという考えに至りました。
そこで最初に思いついたのが、特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」では作品の傷みが激しいという理由で展示を見送られた江南の叔父のところにある「*聖徳太子二童子像 」2点を展示しようということでした。これによって、愛知県まではるばる足を運んでいただいた方にも未見の作品があるという楽しみをお持ちいただけたのではないかと思います。
そして、もう一つの目玉として、所在不明となっている「ハープとピアノ 」という作品の下絵を展示しました。この「ハープとピアノ」の下絵は2点あり、完成作の様子はアルバムに残されていたセピア色の写真1枚によってしか知り得ないのですが、今回展示した下絵はその完成作とは異なるものの方です。見較べていただければ一目瞭然ですが、ピアノを弾いている人物が今回展示した下絵は男性、完成作では女性で、完成作には犬も描かれています。もう一つの下絵はその完成作と同じもので、一宮市博物館でも展示の計画はあったのですが、スペースの都合から見送られました。尚、うちで完成作でない方の下絵を選んだのは、そちらの方が下絵の上部がしっかりしていて、画鋲で留めやすかったこと。もう一つは下絵の線が濃く描かれていて、他の実作と比較されても見劣りしないで済みそうだと思えたからです。
一宮市博物館の特別展含め、これまで下絵の展示は何度か行ってきましたが、谷中では初めての試みだったので、ギャラリーとはいえ、居室でもある空間で合うかどうか、実際に展示してみるまでは若干心配でもありました。しかし、その心配は杞憂に終わったと言えそうで、今後も下絵をある種の「新作」として随時公開していきたいと考えています。
他、今年の展示作品は去年も展示した軸の「浴女 」と毎年展示している版画の「さだゑ圖」、そして谷中では初出となる「婦女圖 」、菊池契月の模写画「稚児圖條暢 」を展示して人物画としてまとめました。しかし、人物画とは言っているものの、それらの人物たちはどれもリアルな肉感を携えた描写とはほど遠く、金猊の妻・さだゑの言葉を借りれば「霞を食べて生きている」ような人物像ばかり(「さだゑ圖」の版画は除く)。基本的には金猊が若い時分に何度となく模写を繰り返した仏像や歴史画の人相をしています。そんな中、ぽつんと人間としては描かれていない観音様がおわしまして、ところがその顔を見つめると誰よりも人間味を帯びているように見えてくるという、そんな不思議感覚を楽しんでいただけたらと思っておりました。
しかし、こういう展示でなかなかそうしたコンセプチュアルな主旨を伝えるというのは容易ではなく、美術史家の山本陽子氏が図録で書かれた「*観音前の婚姻圖」の作品分析も一部抜粋して会場で読めるようにしておいたのですが、会場内の他のお客さんという人物が結構たくさんいらっしゃる中でテクストをお読みいただくというのはなかなか難しく、そういう話はなるべく口答で話しかけるようにしていった方がよさそうだという今後の課題も見えました。
去年の無告知展示で知人の中では唯一お越しいただいた flickr 仲間の otarakoさん のアドバイスに従って、今年は最初から玄関ドアを全開にしたので、以前よりはだいぶ入りやすくなったのでは?と思います(今年も招き猫ならぬマネキオタラコスモスの効果絶大でした!)。
また、一宮市博物館の特別展で使われた年表や写真などの展示パネルを譲り受けたので、今回の展示から金猊の横顔が以前にも増して伝わりやすくなったのでは?と思っています。ただ、年表は横幅が180cmあり、それを展示空間に持ってくると2作品分くらい取ってしまうので、玄関前室に設置する以外なく、年表と「菊花讃頌 」パネルの組み合わせは毎年定番ということになりそうです(ポートレイトを華燈窓に持ってくると葬式写真みたいなので辞めました)。
来年は金猊生誕100年ということで、10月19日という金猊の誕生日もちょうど芸工展期間内となるので、今年よりは会期に余裕を持たせての展示を行いたいと思います。
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2008年10月15日 (水)
さて、今年も「谷中芸工展」改め「芸工展 」の季節である。と、
ふと、このエントリーを書き出す段になって、これまで芸工展シリーズとしてカウントしてきた今時な小数点バージョン表示を辞めて、純粋に丸井金猊リソースの展示機会を一から数えて行こうという気になったので、急遽タイトル変更しての告知である。
谷中芸工展 参加プロジェクト
丸井金猊リソース ver 3.0 〜知られざる日本画家 丸井金猊〜
↓ ↓
芸工展2008 参加プロジェクト [B-30★]
丸井金猊リソース vol.10 〜知られざる日本画家 丸井金猊〜
日時:2008年10月18日(土)・19日(日) 14:00〜18:00
場所:谷中M類栖/1f(Google Map )
URL:http://kingei.org/
と、芸工展期間中(約3週間)たった2日の展示を今年も開催することにした。
それも開催3日前の告知(Bcc: メールもさきほど送ったばかり)。告知さえしなかった去年よりはだいぶマシだろうが、今年は印刷に出したDMが見事に失敗し、それで出すべきか迷っているうちに会期は迫り、Bcc: メールとブログでの告知という形を取ることになった。ひさびさのメールで Undelivery mail もたくさん返ってきているし、住所しか存じ上げない方にはお知らせすることもできなくなってしまった。
以下はその Bcc: メールで書いた後半文章の転載である。前半は芸工展のことなどについて触れているので、このブログでは無用だろうということで。
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今年は4月26日から6月1日まで金猊の故郷となる愛知県の一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が開催され、金猊の遺作が約10年ぶりに一堂に会しました。
展覧会図録や講演会では生前の金猊と面識のあった美術史家が鋭い作品分析を繰り広げ、私自身も知らなかった/気づいていなかった発見が多々あって大変貴重な機会となりました。その美術史家が着目した法隆寺の百済観音をモチーフとした屏風絵「観音前の婚姻圖 」を本展では谷中で初披露し、他、特別展では展示されなかった聖徳太子二童子像 含む人物画を中心とした展示を行う予定です(特別展の展示風景もスライドショーで流す予定)。
期間は2日と短いですが、この週末、谷根千散策がてらに芸工展巡りでも♪なんて気分でしたらお立ち寄りいただけると幸いです。
PS. 芸工展巡りでのオススメは‥‥
A-6)阿部建築【木で遊ぼう】 貸はらっぱ音地
B-7)谷中ボッサ【はとイラスト展「黒ネコのタンゴ」】
B-31)イコアン【マクケノエン】
B広告)アトリエ アラン ウエスト
C-9)中原絵亜【詩展 空の日記】
D-6)コジマユウジ【コジマユウジキチ vol.1】 美容室CLASSICAL
E-8)グループ phase『phase(フェイズ)』 ギャラリーTEN
番外編)芸工展とは関係ありませんが、根津でのご近所写真展:)
写真=松村大輔(nodoca) 俳句=中村正則 お野菜=晴れ晴れ屋
【写真と俳句と秋のお野菜 みちゆき──the road to somewhere】
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2008年05月31日 (土)
2008年5月30日 12:29, 一宮市/妙興寺駅南出口, Nikon D300/20mm
5月は一宮市博物館で開催された特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」一色で終わってしまったと言いたいところだけど、必ずしもそうではない。不在中に仕事が重なり、それに追われて、思ってたほど足繁く博物館に通うということはできなかった。それが残念でならない。
ともあれ、収穫も色々あったので、それはいずれ丸井金猊サイトの方で纏めようと思っている。ランクは8位→3位と上昇したが、来月いきなり圏外だと寂しいな。
軍艦アパート 9.1% 田植え 4.5% 丸井金猊 1.9% 谷中 1.6% 上棟式 1.4% 高過庵 1.3% グヤーシュ 1.2% 遊郭 1.1% 無印の家 1.1% 山門不幸 1.0%
先月(2008年4月)の解析結果はこちら から。
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2008年05月18日 (日)
2008年5月18日 12:29, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/90mm
一宮市博物館 の特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」も折り返し地点を過ぎ、後半戦に突入。これまで私は開会式、講演会と自分が関与する日にしか訪問できていなかったので、18日(日)はようやく落ち着いて会場を回ることができた。といっても、新聞社の取材があったりで決して自由な身というわけでもなかったのだが‥‥。
ちなみにその日は学芸員による二度目のギャラリートークの日で、取材が長引いて最初の方は見られなかったけど、たくさんのお客さんを引き連れてギャラリートークしている様子を背後からこっそり覗かせてもらった。何は言っても祖父・丸井金猊はまだまだ知られざる 存在なだけに、ギャラリートークの意義は有名作家の展覧会よりも大きいということは、その聞きやすくわかりやすい解説を傾聴しながら改めて実感した。トークを終えたばかりの学芸員の伊藤さんも「今日は緊張しました」と言われながらもその必要性は強く感じておられたようで、チラシでの告知はないが、今後も週末は人数が集まっていればギャラリートークされるおつもりのようである。
また、個人的に申し込んでいただければ解説もしますとのことなので、もし解説付きの観覧をご希望の場合は、受付時に「学芸員の伊藤さんを」と尋ねてみてください。ただ、伊藤さんもお休みや外仕事の日もあるので、何が何でも解説付きでと考えられてる方は事前に博物館まで電話で問い合わせされた方がよいかもしれません(Tel. 0586-46-3215)。
あと、今頃気づくな!って感じだけど、以下に私と母の博物館滞在スケジュールを記載しておきます。もしかすると私の方はもう一日二日増えるかもしれません。
母:4/26(土)、5/4(日)、5/5(月・祝)、5/13(火)〜18(日)、5/31(土)、6/1(日)
m-louis:4/26(土)、5/4(日)、5/5(月・祝)、5/18(日)、5/30(金)〜6/1(日)
※最後の3日間は妙興寺が最寄り駅のビジネスホテル「サカイ」 に m-louis は宿泊。
※5/27(火) の予定が都合により行けなくなりました。
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2008年04月30日 (水)
2008年4月22日 13:43, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/18mm
19位→12位とランクアップしてきた祖父の名前「丸井金猊」が無事一宮市博物館での特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」開催と同時に8位にランクイン。ただ、「金猊」の「猊」の字がすぐに変換されないため、ひらがな検索や「貌」などの間違った文字で検索している人もいるようで、それらも加えたら「臭突」は抜かしていただろう。ちなみに「猊」の字は最近何かと話題のダライ・ラマ猊下の「猊下(げいか)」と書いて下をカットすると良いだろう。
他は季節が変わり、グヤーシュが消えて、田植えが出てきた。
軍艦アパート 8.3% 上棟式 3.6% 谷中 2.3% 高過庵 1.6% 田植え 1.5% 山門不幸 1.4% 臭突 1.3% 丸井金猊 1.2% 藤森照信 1.1% 遊郭 1.1%
先月(2008年3月)の解析結果はこちら から。
2008年4月22日 13:43, 一宮市博物館北側入り口, Nikon D300/42mm
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2008年04月19日 (土)
B3ポスター
これまで幾度か予告エントリーをしてきたように、祖父の故郷・愛知県の一宮市博物館 で、特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が開催されることになった。これまでの展示活動はずっと自主企画だったのに対し、今回は公的機関である一宮市博物館の主催で、チラシ・ポスターに加え、図録も作られることになっており、贅沢な限りである。
ただ、自主企画のときには自分でDMを拵え、ダーッとプリンタで直接葉書に印刷するだけで済んでいたのが、今回はチラシを折って封筒に入れ、宛名ラベルも別途用意しなければならないので(切手代も80円)、思いの外、その作業に苦心している。
チラシ・ポスター等のデザインも博物館側が決めたデザイン会社に委託し、フォントのことなど多少口は出したが、基本的にはお任せという形になった。なので、おそらく私がデザインしていたら絶対起こらなかっただろうことが一つ起きている。それは祖父の屏風をご存知の方ならすでにお気づきかもしれないが、屏風の折れ目が消えているのである。当初ゲラ刷確認のときには私はその屏風の折れ目位置についてばかり注文を加えていたのだが、最終確認段階でそれが消えてしまって、注文の必要がなくなってしまった。まあ、祖父の画は必ずしも屏風の折れ目というフレームを意識した構成になっているわけではないので、それほど重要ではないのかもしれないが、この辺が自主企画ではない展覧会なんだな〜という実感を強くしていた。
ただ、結果的には目が馴れてしまったというところもあるけれど、担当の学芸員さんが考えられた「いまあざやかに」という副題のひらがな赤字ともマッチして、その言葉との相乗サブリミナル効果を持ちそうなものに仕上がったなと大変満足している。
展覧会の詳しい情報等は丸井金猊公式サイト の方でご覧いただきたいが、ときどきこちらのブログでもちょっと余談的なエントリーというのはまたするかもしれない。
[左] B2ポスター/チラシ [右] チラシ裏面
【会 期】2008(平成20)年4月26日(土)〜6月1日(日)
【時 間】午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
【休館日】4月28日(月)・30日(火)、5月7日(水)・12日(月)・19日(月)・26日(月)
【会 場】一宮市博物館 〒491-0922 愛知県一宮市大和町妙興寺2390(Google Map )
【最寄り駅】名古屋より名鉄名古屋本線岐阜行きにて妙興寺駅下車南口より徒歩7分
東海道本線・尾張一宮駅からタクシーで行く方法もあります
【お問い合わせ先】0586-46-3215(一宮市博物館)
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2008年04月08日 (火)
本当は先月中に告知すべきだったし、もっと言うと、とうの昔に作っておかなければならなかったものなのだが、ようやく我が祖父・丸井金猊の公式サイト を再始動させた。それはここ最近連続している祖父関連のエントリーでも記した通り、4月末から愛知県の一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展 」が始まるため、それに合わせてというのが大きいのだが、作り始めたきっかけは「Mobable Type 4.1 でβ版サイト構築 」でも書いているように MT4.1 の様子見で空きスペースとなっていた kingei.org を使って色々試していたら、汎用テンプレートセットをそのまま使うんでも何とかなりそうということで、そのままβ版でリリースしちゃおうという運びになったのである。
この流れは実は谷中M類栖の始動時と一緒で、その経緯は「blog 開始 」に記してある。当初は妻の日記サイトを用意するつもりで MT をいじっていたら、これは家づくり記録にもってこいだということで、これまたデフォルトテンプレートにちょこっと味付けを加えた程度でスタートさせたのだ。その10ヶ月後 にはデザインを独自仕様に変えているので、今回も同様のことがあるかもしれないが、とりあえず当面はこの仕様で、中身を徐々に増殖させていきたい。
尚、トラックバックやコメントがあることからもわかるように、公式サイトといってもベースは完全にブログでできている。作品一点一点に対するコメント&TBも歓迎だ。サイト構築する上で特に心がけたのはあらゆる角度から作品との遭遇確率を高めるということで、デザインはデフォルトながら、その仕掛けには多様なプラグインを多数組み込んである。リスト一覧 で見るもよし、画像一覧 で見るもよし、とにかく「おっ!と思える作品に最小クリック数でアクセスしてもらえることができたなら幸いである。また、こちらのブログではこだわり続けた「作品」と呼ばずに「リソース」と呼ぶこと。このこだわりも一旦解除して「Artworks - 作品 - 」というカテゴリー名にしてしまっている。これも見る人が直線的に作品に触れられることを第一とし、それ以上の余計なノイズを与えたくなかったからである。
現在、トップページは一宮市博物館特別展対応の情報がメインとなっているが、ここでは当初に作成したトップページのイメージを貼り付けておくことにする。
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2008年04月02日 (水)
広報一宮に続き、一宮市博物館 の公式サイトでも「催し物のお知らせ>展覧会 」のページで、特別展「丸井金猊展」の情報が掲載された。館内マップ をご覧いただくとわかると思うが、今回の展示はギャラリー、ラウンジ、展示室と展示空間が分散され、回廊する感覚で観ることになる。これまで一室空間ばかりでの展示だったので、どのような展示になるのか待ち遠しい限りである。
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特別展「丸井金猊展」
■開催日時:4月26日(土)~6月1日(日)
丸井金猊(きんげい)(1909-1979)は一宮市北方町出身の日本画家です。昭和初期に和洋入り混じった画風で活躍しました。主な作品は、阪急電鉄創業者の小林一三委嘱による東宝劇場階段ホール壁画(火災により焼失)があります。一宮出身の知られざる画家の魅力あふれる表現の数々を展観します。
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2008年04月01日 (火)
4月になったら・・と仄めかしていた「アクセス検索ワード2008.02 」のエントリー。
とりあえずエイプリルフール時点で公開されている情報のみここで紹介しておこう。
その情報は祖父の故郷、愛知県の一宮市の広報紙「広報一宮2008年4月号 」に掲載されている。30〜39ページ「情報ボックス 」のPDF版をダウンロードし、37ページをご覧になられたい。と言わずとも本掲載画像を見れば一目瞭然だろうが、この度、一宮市博物館 企画による特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」が開催されることになった。
チラシが届き次第、改めて告知する予定だが、ひとまず表に出た情報をベースに小出しに伝えていく予定(その方がエントリー数稼げて、SEO対策にもなる)。
*
博物館特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」
丸井金猊(きんげい・1909〜1979)は、北方町に生まれた日本画家です。東京美術学校で学び、和洋が入り混じった独特の画風を生みだしました。
戦前に愛国生命保険(のち日本生命保険)壁画製作、東宝劇場階段ホール壁画製作(火災により焼失)など華々しい活躍をしました。戦後はほとんど創作に向かうことなく教育者として後進の育成指導にあたりました。
独特の美意識のもとで生み出された作品50点を地元で初めて展示します。魅力ある表現の数々をご覧ください。
▼日時/4月26日(土)〜6月1日(日) 午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
▼会場/博物館
▼料金/大人500円、高・大学生300円、小中学生200円
▼休館/期間中の4月28日(月)・30日(火)、5月7日(水)・12日(月)・19日(月)・26日(月)
▼電話/0586-46-3215(一宮市博物館)
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2008年03月24日 (月)
豊田さんから「まちの木霊プロジェクト2008」のDMが届いた。当初、今年は自分も参加予定だったのだが、結局年度末のドタバタで見送らざるを得なくなってしまった。来年もこの時期だとすると、なかなか参加は難しいかな〜。それと搬入・搬出で二度上京しなければならないのも経済的にしんどいと言えばしんどい。
ま、18きっぷの時期なので、時間があれば片道2,300円で済むのだが。。
それと今回「金猊リソース消ゆ? 」で匂わしたように、現在、谷中M類栖/1f から金猊リソースが出払った状態なので、本当言うとうちも会場提供できたとも言える。こんな時期そうそうないので、勿体なかったかな。
第5回 まちの木霊 プロジェクト 2007
私達の傍らに活きる自然の不思議・驚き笑いを作品にする展示会
【会期】2008年3月25日(火)〜3月30日(日)
【時間】通常日 12:00〜19:00 最終日12:00〜17:00
【会場】ギャラリーSD602 KINGYO 文京区千駄木2-49-10 Tel. 050-7573-7890
English Tea House Pokoe 台東区池之端4-22-8
【主催】谷中学校 坪庭開拓団
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2008年03月12日 (水)
2008年3月12日(水) 09:19, 東京都台東区谷中(谷中M類栖/1f ), Nikon D300/18mm
春の珍事か? 谷中に越してきてからずっと1階に鎮座していた金猊リソースの屏風や軸、額が一斉に梱包され、外に運び出されている。さて行き先や何処に?
2008年3月12日(水) 15:12, 東京都台東区谷中(谷中M類栖/車寄せ), Nikon D300/18mm
それにしても検分+梱包+搬出作業に朝9時から始まって16時くらいまで掛かった。
関係者の皆さん、御苦労様でした。
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2007年03月26日 (月)
今年は豊田さんからのDMが届く前に、N的画譚「飛び入り参加の展示のお知らせ 」で知ることになった「まちの木霊プロジェクト2007 」。neonさんも参加ということで是非とも行きたいところではあるのだが、またまたバッドタイミングで行けそうにない。
というわけで、告知だけでものエントリー。
gallery J2 が閉廊してしまったので、今年はどこでやるのかな?と思っていたら、ギャラリー Kingyo と English Tea House Pokoe の2つの会場を活用するということらしい。今後も複数の会場を使うということなら、谷中M類栖/1f も場の提供に吝かではないが、ただ、結局人員確保の面で難しいのかもしれないな〜。会場増えちゃうと逆に。
ともあれ、いつか谷中M類栖/1f で「豊田館」(車販売じゃないですよ)みたいなことを是非ともやってもらいたいものである。
まちの木霊 プロジェクト 2007
私達の傍らに活きる自然の不思議・驚き・笑いを作品にする展示会
【会期】2007年4月3日(火)〜4月8日(日)
【時間】通常日 12:00〜19:00 最終日12:00〜17:00
【会場】ギャラリーSD602 KINGYO 文京区千駄木2-49-10 Tel. 050-7573-7890
English Tea House Pokoe 台東区池之端4-22-8
【主催】谷中学校 坪庭開拓団
【追記】
その後に豊田さんから届いたメールで、来年私も参加しないかというお誘いがあった。自分が参加するということはなぜか全く考えてもみなかったが、年4、5回は谷中にも帰っているので、意識的に「まちの木霊」を拾うようにしていれば何かできるかもしれない。というか、個人的には植物系統の好きな母に何かやらせたい気もする。
あと、界隈を彷徨いてるご近所ブロガー仲間を誘って、第三会場「谷中M類栖/1f」をわかすというのもまたひとつのアイデアかもしれない。
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2007年03月18日 (日)
文京ふるさと歴史館 企画展「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形デザイン 」に最終日ギリギリで行ってきた。関連企画の江戸東京フォーラム と合わせて行ったため、実質的に展示物を観賞できたのは正味30分。曙ハウスの展示だけはしっかり観てきたものの、他の展示は流し見する程度で、幾つかあった映像展示も5秒と観られず。やはり根津教会での連携展示 が行われていた時期に行っておくべきだったと後悔は大きい。
企画展では、曙ハウスの展示だけが1階にあって、エントランス入ってすぐの券売所の手前で観られるようになっていた。つまり、そんな人が居たのかどうかは知らないが、曙ハウスの展示だけ観て帰るのなら、入場券要らず(100円だけど)とも言えるのだ。観覧料取らずに観られてるあたりが、如何にも曙ハウスらしくて笑けてしまった。
久々の「スウハ曙」プレートとの対面は、それを見る視座と距離感が違うので、一概に「久々」とも言い難い妙な感覚。話には聞いていたものの、とにかくデカい! よくぞこんな大きなものを解体現場から救い出し、ふるさと歴史館の収蔵 にまで漕ぎ着けられたものだと、改めて masaさんを始めとする関係者の方々には頭の下がる思いがした。
斜めに設置されたプレートの側に顔を寄せると、取り外されて1年というのに、未だに焼け焦げたような匂いがする。その匂いに何よりも胸を打たれた。建物(身体)は解体され、プレート自体(顔?)も屍として展示空間に収められているはずなのに、傍らのプレートは超然と生々しく呼吸し続けているかのようだった。畏るべし「スウハ曙」。
間取り図 に関しては、neonさんが仕上げられて本当に良かったと思った。もしそれが私が書いたものでなくとも CAD図面をプリントしたもので展示されていたならば、曙ハウスの遺品や masaさんの写真、neonさんの画によってもたらされる「古色を感じさせる、でも温かみのある雰囲気」(by neonさん)は台無しになっていたことだろう。
加えて地階では設計当時の古い手書き図面を展示しているところが多く(板図の展示もあった)、それに肩を並べられるという意味でも、neonさんの描かれる味わい深い線と文字は唯一&不可欠なものであった。微力ながら、その下図作成 段階で私も協力できたことは大いに光栄である。また、この魅力あふれる企画を立案され、こうした機会を与えてくださった文京ふるさと歴史館の学芸員さんにも深く感謝したい。
【写真】2006.01.22 13:26, 文京区根津・在りし日の「スウハ曙」プレート
【お詫び】「曙ハウス・リターンズ 」のコメントで、私は他のブログに会場内の写真が出ていたことから「会場内撮影可なようで 」と書いてしまったが、会場内にはしっかり「撮影禁止」の表示があり、迂闊にも誤った情報を流してしまっていたようである。一応前コメント上でも訂正追記しているが、この場を借りて深くお詫び申し上げたい。
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2007年02月09日 (金)
根津の曙ハウスが取り壊され、その地が更地と化したのが去年のちょうど今頃。
そのとき「曙ハウス」という実体のほとんどはこの世から姿を消して行ったが、それでも曙ハウスを強烈に印象づけていた看板役者「スウハ曙」の看板プレート、1階階段の手摺り支柱は、処分される前に「Kai-Wai 散策 」の masaさんの手によって救い出され、古物商の協力を得ながら、文京ふるさと歴史館 に収蔵されている(その経緯については Kai-Wai 散策「曙ハウス・プレートの行方 」「曙ハウス - 再び 」に詳しい)。
その命拾いした看板プレートと手摺り支柱がこの度、文京ふるさと歴史館の企画展「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形・デザイン」にて、収蔵後、初披露の機会を得ることになった。展示にあたっては、それらの収蔵品の他に masaさん撮影の曙ハウスの写真、また「N的画譚 」の neonさんが描かれた画「曙ハウス 」。そして、同じくneonさんの描かれた曙ハウスの間取り図が公開される(この間取り図については、私も微力ながら協力させていただいたが、neonさんが「曙ハウス 間取り図を描く 」のエントリーで図面起こしの経緯を詳しく書かれているので是非ご覧になられたい)。
ここから先の話は実際に展示を観てからということで。何とも待ち遠しい限りである。
文京ふるさと歴史館企画展
「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形デザイン 」
第1部 伝統の継承と西洋への憧憬
「5 木造2階建てのアパートメントハウス 曙ハウス 1920年代」
2007年2月10日(土)〜3月18日(日) 10:00〜17:00 月曜日休館
文京ふるさと歴史館 文京区本郷4-9-29
連携企画
「まちかどの近代建築写真展 IN 根津 」
日本基督教団根津教会 文京区根津1-19-6
2007年2月10日(土)〜2月17日(土) 10:00〜17:00(最終日は15:00まで)
【写真】2004.03.07 14:29, 東京都文京区根津・在りし日の曙ハウス
【参考】曙ハウス関連リンク集: 曙ハウス†スウハ曙
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2006年12月19日 (火)
アランさん のアトリエにはこのブログでもお馴染みの mitsubakoさん 、flickr 仲間でこの日が初対面だった(といってもまるでそんな気しなかったけど) ya maさん 、そして幼馴染みのRちゃんと行った。なぜこの3人と一緒に行くことになったかというと、以前にエントリーした「山門不幸 」がその引き金となっている。実はこの前日に長運寺の前を通ったらまだ「山門不幸」の立て札が立っていて、同エントリーを読んでくれてた3人が見たいということで、案内ついでにアランさんのところにも寄ったのだ(ちなみに同エントリーの補記で出てくる「その筋の友人」こそがRちゃんである)。
mitsubakoさんは Abejas e Colmenas「午後の谷中 」、ya maさんは posinega「秋の個展めぐり(1) 」でそれぞれこの日のことを書かれていて、mitsubakoさんがアランさんのアトリエでのことにも触れられているので、それを一部引用させてもらおう。
彼の床の間の考察は自由だ。日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろう と彼はいう。規格化された床の間からは個性が消失し、有用性もなくなってしまった からなのだろうか。
考えてみると、小さいころ、床の間がわたしの部屋だったことがある。本棚と机がそこにはめ込まれて、妙な空間だったことを覚えている。まがった床柱が邪魔で、薄暗い感じが嫌いだった。
アランさんの目線でアランさんのような作家によって、いったん床の間の概念が崩されて、また、新しい床の間という空間が息づいてくるのかもしれない。
この床の間の話はアランさんから聞けた興味深い話の一つだったわけだが(床の間が規格化した背景にはおそらく LDK 発想ってもんがあったように思える)が、それ以外にも何を筆置き代わりにするといいか?って話や、表装を無難に収めようとすると失敗するという話など、この3人と一緒だったからこそ聞けた話がたくさんあった(ちなみに「その筋の友人」であるRちゃんのご実家は表具屋さんで、実際、丸井金猊の未表装リソースの表装はほとんどこちらにお願いしている)。
アランさんご本人については「アランさんのアトリエ訪問 」を筆頭に幾つかエントリーしてるので、ここで改めて触れはしないが、今回は初めてうちにお越しいただき、祖父の画を生で観てもらえたのが何よりも嬉しかった。で、最後にそのときに聞くことのできた話を一つ。
テーマとして扱ったことはないものの、これまでにも何度か触れている「落款」の有無について。アランさんの場合、落款を押すのは大抵その作品が完成したときというよりも、その作品が売れて人手に渡るときなのだという。あくまで人にもよりけりとした上で、アランさんの場合は作品の完成は作家本人が一旦完成だと思ったとしても、後からまた手を加えたくなることはいくらでもあり、実際に手を加えることもある。だから、手許にある限りは落款は押さずにおいて、手を加えられない状況が来たとき(すなわち人手に渡るとき)に押すようにしているのだという。
なるほどこのことから考えれば、祖父のリソースも落款がないからと言って本人が作品としてまだ満足していないだろうと推測するのは判断が早急に過ぎるということになりそうだ。もちろんこれらも全ては推測に過ぎず、いずれにせよ祖父の画を「作品」とは呼ばずに「リソース」とする姿勢を崩すつもりはまだないが、一つ肩の荷が軽くなったというのは事実である。
尚、冒頭の写真は夜中の23時過ぎにアランさんのアトリエ正面から撮ったものである。本当はもう一度くらい訪問したかったが、どこの企画も1回まわるので精一杯。ただ、アランさんのアトリエは時間終了してても、こうしてまた別世界の表情を外からでも十二分に堪能できるので、夜中の訪問もオススメである。
谷中芸工展2006 【37(?) アトリエ アラン ウエスト: 谷中の床の間 】
普段は絵の制作に使っているアトリエを、いろいろな時代の床の間であしらいます。案内を片手に各々の床の間をご覧下さい。公開制作もしております。
期間中無休/12:00〜17:00(日曜は13:00〜) 台東区谷中1丁目
⇒公式サイト: ALLAN WEST:アラン ウェスト オフィシャルサイト
【写真上】2006.10.20 23:33, 台東区谷中1丁目 アトリエ アラン ウエスト前
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2006年12月05日 (火)
美容室 CLASSICAL は、千駄木駅から三崎坂を上ること3分。江戸千代紙「いせ辰 」の斜め向かいにある。ふだん三崎坂を上り下りするときは「いせ辰」の羽子板看板に目を奪われてどうしても死角となりがちだが、芸工展期間中は芸工展フラッグと共に店先に「谷中芸工展・コジマユウジ展・開催中」と三段組みの立て看板が「おいでよ」って感じに親しげな様子で構えていて、髪切る目的がなくても気軽に入って行けた。
会期中も美容室は営業していて、どちらかというとエントランス手前の方に作品は展示されているのだが、奥で営業中の美容サロンの方も額縁に入った鏡がイーゼルに架けられ、美容室自体が不思議な雰囲気。これは芸工展期間中の特別仕様か?とも思ったが、「美容室 CLASSICAL 」公式サイトを見てもわかるように、ふだんからイーゼル額縁鏡でカットやパーマは行われているようだ。トイレにもオーナーさんのナイショの展示があったりと美容室全体から芸工展を楽しもうとする雰囲気は伝わってきた。
タイミング良く作家のコジマユウジさんも見えていて、コーヒーをいただきながらしばし談笑。歳が私と一つ違いということもあってか、何だかとっても話しやすかった。彼は谷根千界隈在住の人というわけではないが、この美容室で毎年展示して今年で3回目だという。今回、このブログで芸工展の企画を幾つか紹介してきて、あまり表立って作品画像を見せるようなことはせぬよう心掛けてきたが、このコジマユウジ作品に限っては語るよりも見てもらいたい!という感じなので、以下に1枚アップする。
まあ、見せるといってもここに掲載してるのは展示されていた作品ではなく、展示中に配布されていた作家紹介のペーパーと、美容室で出されたコーヒーの入っていた紙コップを家に帰ってから撮影した画像である。ちなみに紙コップの方は私がもらってきたものではなく、母がもらってきたもの。目敏い方はコップの端に口紅が付いていることに気づかれるかもしれないが、母の口紅なので意味深なことは想像されぬよう。
とくだらない余談はさておき、この紙コップと用紙に描かれた何とも言えないキャラクター、それがコジマユウジという作家を象徴していると言っても過言ではないのだろう。線画を中心とした彼の作風もさることながら(キャラクターの有無に関わらず)、まず何よりもこのキャラクターの風貌がどう見ても彼にそっくりなのである(笑)
また、このキャラクターの胸のあたりにはおそらく心臓(心)と思われる、やや尖ったハートのマークが付いている。紹介用紙に「ココロはどうやって作るの?」をテーマに創作活動をされているとある通り、このキャラクターがただカワイイってだけではない雰囲気を漂わせるのは、そうした問題意識を持たれているからなのかもしれない。ちなみに美容室サイトの「RING RING RING 」ではページを捲ると、期間中「一番人気のオブジェ 」や「段ボール素材のオブジェ 」の画像を見ることもできる。
個人的には「公園に行く道 おかし屋に行く道 かくれんぼの道 この町のひみつの道」と書かれた絵(このひょーひょーとした文字がまた何とも言えない)と、天井の描かれた絵がかなり気に入り、私にしては珍しく非常に激しい所有欲に掻き立てられた。残念ながらそれらのポストカードは売ってなかったので、何も買わずに帰ってしまったのだが、後になって他のでも買っておけばよかったな〜とちょっと後悔。だったもんで、後日、コジマユウジさんから新たな展示のお知らせDMが届いて、大変ありがたかった。コジマさん、多謝!
「コジマユウジ展・4 TOYBOX」
2006年12月5日(火)〜12月10日(日) 12:00〜19:30(最終日のみ18:00まで)
〒166-0003 東京都杉並区高円寺南3-60-6 Tel&Fax: 03-3313-8829
Url: http://sky.zero.ad.jp/tamago/
本当はもっと早くに紹介すべきだったのだが、韓国旅行やら何やらでブログ更新自体が滞り、期間中の告知となってしまった。お近くの方は是非!!
尚、コジマユウジさんと美容室のスタッフさんは後日うちの展示にも見えて、一応そのときに上の掲載画像を見せてアップする旨の承諾は得ている。それと帰りがけの記帳の際に氏名欄の余白にこのキャラの絵を描き残して行かれた。何とも心憎い限りである。
谷中芸工展2006 【69(想) 美容室 CLASSICAL: コジマユウジ展 】
こんにちは。コジマユウジです。美容室という場に会期中絵を展示します。ちょっとかわった空間をどうぞ見に来て下さい。
美容室は火休(展示は開催)/10:00〜20:00 台東区谷中3丁目
⇒公式サイト: 美容室 CLASSICAL
【写真上】2006.10.17 12:53, 台東区谷中3丁目/美容室 CLASSICAL 前
【写真下】2006.10.17 21:39, 谷中M類栖/2f 居間にて
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2006年11月07日 (火)
区画は違うが実家から歩いて1分もないところにある台東桜木郵便局では「絵手紙展」と称して、手描きの絵葉書が壁一面に飾られていた。マップの解説文に「へたで良い・へたが良い」と書かれているが、結構一つ一つ見ていくと味があって面白い。とりわけおばあさんが「動けなくなった(つまりは死んじゃった?)カブトムシは描きやすい」と書き添えて描かれていたカブトムシの絵には笑えた。
郵便局のような場所がこうした芸工展のような催しに参加するのは日に日に難しい世の中になりつつあるような気もするが、良い意味での鈍感さを持って、今後も参加し続けてもらいたいものである。
谷中芸工展2006 【34 台東桜木郵便局: 絵手紙展 寺田純子 他 】
へたで良い・へたが良い<素直に心の感じるままに>そんな絵手紙展を今年も桜木郵便局からお届けします。
10/14〜22/9:00〜17:00頃 台東区上野桜木1丁目
⇒公式サイト: 台東桜木郵便局
【写真上】2006.10.17 10:54, 上野桜木1丁目/台東桜木郵便局前
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2006年11月04日 (土)
根津藍染町の丁子屋 さんの通りを挟んで向かいにキウイ棚のあるお宅があり、その脇の路地を入っていくと大阪屋荘という、なぜに谷中で大阪や?とツッコまずにはおれない集合住宅が出てきて(って、そのツッコミをいつも受けてるのはこのブログでありますが>汗)、その1階に金継ぎ「nico 」はあった。
実は最初、前回エントリーしたステンドグラス工房「nido 」のつもりで行ってみたらば「nico」だったという、、「d」「c」違いだったわけだが、そもそも私が「金継ぎ」の意味をちゃんとわかってなかったから、このような勘違いは生まれたのである。
「金継ぎ」とは芸工展マップの金継ぎ「nico」説明冒頭にもあるように「割れた陶磁器を漆で直す技法」のことである。読み方は「かなつぎ」ではなく、「きんつぎ 」であることもググっているうちに知った。「かなつぎ」という風に読むと、如何にも額などを作ってそうなところに感じられないだろうか?(汗)
展示は内外両方にあって、外は終日入り口前のブロック塀に金継ぎした陶磁器などの写真展示パネルを、中は土日と最終日のみの展示で、金継ぎした陶磁器を展示して、それらに触ってもよいことになっていた。もともと割れた陶磁器を継いだものとはいえ、デジタル一眼レフを肩からぶら下げていたので、別のところを傷つけてしまわないかと結構緊張した(いや〜、こーゆー場にごっつぇぇデジ一はホンマに鬱陶しいです)。
会場では「漆直しセット」なるものが 3,000円で売っていた。「漆直しと金継ぎの違いについて 」は金継ぎ「nico」サイトの同エントリーを読まれるとよいだろう。とにかく「漆直し」の技術だけで陶磁器の補修は可能ということのようだ。ご興味あられる方は同「販売しています! 」のエントリーまで。ちょっと面白いのが、同エントリーで紹介されてる「漆直しセット」の写真を見てると、芸工展マップが想起されること(笑)
尚、10月17日付の Kai-Wai 散策「nico 」のエントリーで紹介されてる「湯島のnico」というお店は輸入雑貨メインのお店ですので、くれぐれもお間違えなく!
あと、全然関係ないけど、Velvet Underground の nico は1938年10月16日生まれのようで、偶然にも私が金継ぎ「nico」に初めて行った日と一致していた。まあ、休みだったのだけど(泪)
谷中芸工展2006 【51(逢) 金継ぎ nico: 金継ぎの展示 】
割れた陶磁器を漆で直す技法「金継ぎ」を展示します。
また小さなカケならご自宅で簡単に直せる「漆直しキット」を販売します。
期間中は予約不要です。
10/14, 15, 21〜23/11:00〜18:00頃 台東区谷中2丁目
⇒公式サイト: 金継ぎ nico
【写真上】2006.10.16 11:44, 谷中2丁目/nico 前の路地
【写真下】2006.10.16 11:42, 谷中2丁目/nico の入り口看板
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2006年11月03日 (金)
ステンドグラス工房「nido 」は neonさんが今年の5月にノマドカフェで行われた個展「ピアニシモな建築たち 」で一部の画の額を作られ、「nido×neon 」って形でコラボレーション展示されていたので、前から気になっていた場所だった。neonさんご自身も、去年の芸工展をきっかけに「nido」を見つけられ、そこからコラボ展示へと話が展開していったことを「てのひらサイズの画 」というエントリーで書かれている。
確かに芸工展のような機会でもないと、谷中ぎんざのすぐ脇にあるとはいえ、細い路地の一歩奥に入ったところにある nidoは、若い女性などには入っていくのにちょっと勇気の要る場所かもしれない。
入り口に「ファミリー服装学院」「マキシマ研究所」といった看板があるってことも、最初から目的にして行く人でないと、深追い散策人でもない限りは私有地に侵入するような感覚に陥りそうである(笑)
ところで公式サイトの「about us 」によると「nido」とはスペイン語の「巣」の意味であるらしい。
ということは、谷中M類栖の「栖」と意味を同じくす るというわけだ。
芸工展バッヂの一文字漢字には「蝉」が割り当てられていたが、もし自由に漢字を決めることができたならば、nidoさんはきっと「巣」にされていたにちがいない。
ちなみにうちだったらば迷わず「栖」だった。が、実際に割り振られたバッヂは「遊」と「懐」だった。なぜか間違って二つ配られていたのである。
展示物としては手前のギャラリースペースではフォトグラファー中藤毅彦さんの写真展『atmosphere 』が、奥の工房スペースではNゲージの模型電車にステンドグラスを被せた「nido特製花電車 」が置いてあって、夜7時からの気まぐれキャンドルタイムではあかりのついたキャンドルハウスの間を花電車が走るらしい。生憎私は昼時に行ってしまったので花電車が動くところだけ見せてもらったが、一回くらい夜に見に行っておくべきだったと今にしてちょっと後悔している。
谷中M類栖/1f で今回展示した祖父が祖母を描いた小さな肖像画などは安物の味気ない額に入っているので、いつか nidoさんと一緒に作ってみるのも面白そうである。
谷中芸工展2006 【92(蝉) nido: 明かりの時間 】
細い路地の奥へ入るとキラキラと幻想的な光が漏れる手作りガラス工房 nido があります。夕暮れ時から気まぐれキャンドルタイムが始まります。
水休/11:00〜20:00 台東区谷中3丁目
⇒公式サイト: contemporary glass nido
⇒ブログ: nido
【写真上】2006.10.21 11:54, 谷中・よみせ通り/nido への路地入り口
【写真下】2006.10.21 11:54, 谷中・よみせ通り/nido の入り口看板
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2006年11月02日 (木)
「94. 中原絵亜: 空の日記(詩展) 」を見た後、すずらん通りを不忍通りに抜けて、まだ昼までに少し時間があったので寄ってみたのがこの古書ほうろう。まだまだ谷根千モグリなだけにこの古本屋に入ったのも恥ずかしながら初めてだったのだが(前を通ったことはあって気にはなってたのだけど)、谷中を生活拠点にし出したら間違いなく何度となく通うことになるであろう私にとっては充実した品揃えだった。
展示の方はUZOメンバーによる原画や絵が店頭・店内の至る所に飾られている。というか、お!こんなところにもあったぞ!と書店内でどこに作品が置かれているのかを探す楽しみもちょっとある感じだった。それだけ作品が古書店の日常風景(インテリア)に溶け込んでいるとも言えるわけだ。個人的にはポケットティッシュに入ってる絵、というか、そうした絵がポケットティッシュに入って置かれてるその雰囲気が好きだった。
尚、時間がなかったこともあって、店番されてた方にはうちのDM渡すだけであまりお話しなかったのだが、そのとき話した女性が「古書ほうろうの日々録 」というブログをされてるのかどうか? 芸工展絡みでも「UZO展が始まってるよ。 」「UZO展大盛況です! 」「谷中芸工展、あと3日。 」とエントリーされている。大通りなれども、不忍通りも掘り出していくとまだまだ侮れないものが見つかりそうである。
谷中芸工展2006 【98(鯉) 古書ほうろう: オルタナマンガミニコミUZO展 】
芸工展期間中、田中六大編集ミニコミUZOメンバーによる原画や絵の展示。
新作もあり。期間外10/9, 18:00〜友部正人ライブ「夜の本屋」(要予約)。
第三火曜休/平日10:00〜23:00 日祝12:00〜20:00 文京区千駄木3丁目
⇒古書ほうろう - 谷根千ねっと
⇒古書ほうろうの日々録
⇒漫画ミニコミUZO
【写真上】2006.10.21 11:38, 千駄木・不忍通り/古書ほうろう前
【写真下】2006.10.21 11:41, 千駄木・不忍通り/古書ほうろう店頭 UZO作品
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2006年11月01日 (水)
さて「谷中芸工展2006巡り 」で「個人的に印象の強かったところを幾つかピックアップして、追々個別にエントリー」としてみたものの、どのように紹介していくべきか?
私にとっては芸工展巡りのほとんど一番最後の方で回った場所であったが、まずは千駄木のすずらん通りの一角を利用して展示されていた中原絵亜 さんの「空の日記(詩展)」から取り上げてみたい。この企画、捉えようによっては今年の芸工展で唯一(?)芸工展そのものをモチーフとした非常にメタ色の強い企画なのである。
すずらん通りという名称は芸工展マップ上に明記されていない(以前のはあったらしい)のだが、よみせ通りを谷中ぎんざよりもさらに北上して向かって左手3本目の不忍通りとの間の道のことを言う。東京の商店街を歩こう「文京区/千駄木3すずらん通り商店会 」の言葉を借りれば「夜の店」の商店街とも言うべき、スナックや料理屋の並ぶ小さな街路で、おそらく私は今回初めてここを通ったはずだ。午前中だったので閑散としていたが、夜は下町の中の一つ裏に入った世界の小さな賑わいを見せているにちがいない。
中原絵亜さんの企画は、そんなすずらん通りの少し奥まったところのスペースを利用してトタン塀には今年の「空の日記」を、その向かいのドアを開くと階段のみが存在する不思議なスペースでは去年の芸工展での日記や詩、また今年の芸工展で開催中の他の企画のDMが階段をうまいこと利用して展示されていた(谷中M類栖/1f のもあった)。
「空の日記」というのは、芸工展期間中の「毎日の空」の写真に「毎日の詩」を書き込んでいくというものである。つまりそれは毎日一枚ずつ増えていくというわけだ。ただ、詩の書かれてない空の写真が二日分すでに吊されてたけど、あれはスペース確保用だったのだろうか?
とまあ、そんな細かいことはさておき、それらが洗濯鋏で干されたようになっているところが何とも愛嬌があって楽しかった。
また、向かいのちょっと入っていいのかな?って感じの2つ並んだドアのうちの一つも開けて中に入れるようになっていて、さきほども書いたように入っていきなり階段があって、階段を上がるとそのまま行き止まりになっている(もちろん上った先にはドアがあって、平常は居住空間用の階段として使われているのだろう)。
その階段一つ一つに並べられた他の企画のDMを見ていると、この作家さんは会期中に芸工展をいろいろと回られて、そうして回った経験それ自体を作品化されてるんだなぁということがしみじみと感じられる。マップ上では隅っこなのだが、今年の芸工展が濃縮されてここにあるといっても過言ではないだろう。そして、それが5年間続いてきてるというところが何とも感慨深い。
作家ご本人とはその場では会えなかったが、そこから程ないところで偶然出くわし、挨拶を交わした。なぜ互いに顔を知っていたかといえば、すでにご本人は谷中M類栖/1f ご訪問済みだったからである(笑)
谷中芸工展2006 【94(躍) 中原絵亜: 空の日記(詩展) 】
すずらん通りの一角で詩を展示します。皆さんも書いていってください。
家の前のトタン塀と中の階段で行います。どうぞ扉を開けてご覧ください。
期間中無休/11:00〜19:00 文京区千駄木3丁目
⇒中原絵亜さんの公式サイト?: 中原絵亜のページ
【写真上】2006.10.21 11:28, 千駄木・すずらん通り/94.中原絵亜: 空の日記(詩展)
【写真中】2006.10.21 11:24, 千駄木・すずらん通り
【写真下】2006.10.21 11:26, 千駄木・すずらん通り/94.中原絵亜: 空の日記(詩展)
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2006年10月26日 (木)
1932(昭和7)年に描かれた『南天絵圖 』は、サイズ W725×H1,200mmで、絹本に着彩・軸の仕様。保存状態は前回紹介した『鷺圖 (仮) 』よりはマシな環境といえるだろうか? 一応は桐の絵具箪笥の下段抽斗の中に絹本を丸めた状態にして包装紙で包んで収められていた。タイトル・年数情報はその包装紙に祖父がペン字で書き記していたものによる。表装は昔から何かとお世話になっている三鷹の飛高堂にお願いした。
1932年というと祖父が東京美術学校の日本画科を卒業する前年にあたり、学内の課題として描いていた可能性も高い。そう思って同期の花である杉山寧氏のアーカイヴを調べてみたところ、『南天図 』という作品を1929(昭和4)年に描かれていることがわかった(鎌倉大谷記念美術館 蔵)。しかし、3年早く描かれている上に葉の色付き方もまるで違う。学内の課題で描いたと早急に結論づけるのはちょっと難しそうだ。
右の画像が『南天絵圖 』の表具を除いた全体像を複写したもので、丸井金猊リソースの中でもとりわけ描写の細密度が高いものであることは画像をクリックしてこちら にアクセスすれば、実物をご覧になられたことのない方でもある程度は理解できるはずだ。実際、この時期の動植物を中心とした静物画を、コンセプチュアルな画題を求めた活動期後半(といっても20代後半だけど)の大作よりも好まれる方は意外と多い。それは画のリアリティをどこに求めるかによっても違ってくるのだろう。
私個人が興味深く見ているのは、冒頭で掲載した南天が実を付けた部分のディテールである。これもほとんど実物大となる Largeサイズ にして見てもらうとより一層わかりやすいだろうが、実の幾つかの塗料が剥離し、下塗りした明るい朱色が浮き出ててるように見える部分があることにお気づきいただけるだろうか? 私にはその塗料の剥離した調子がより一層南天の実をリアルに見せることに貢献しているように感じられるのだ。それは祖父が最初から剥離を想定して描いていたのか、それとも剥離したように敢えて見せかけて描いたのか(つまり剥離していないということになる)、そこのところはよくわからない。ただ、どうも out of control のボーダーラインをさまよう事象に心吸い寄せられがちになってしまうのは私の体質とでも言うしかない(汗)
ところで今回の展示では大作屏風『壁畫に集ふ』に、新しく出てきた『霜晨』『芥子花圖(仮)』、あとは常設状態になってる『鷺圖(仮) 』を出すということが決まっていた以外は現場判断で展示物を決めようということになっていた。それで芸工展の行われている秋だからということで、季節に合わせて南天、百合、椎茸、西洋芙蓉といったモチーフの画が選ばれることになった。まあ、芸工展の行われる季節は毎年秋なので、毎回秋モノを選んでいたらすぐネタ切れになってしまうとも言えるのだが。。
ともあれ実家には三鷹金猊居から持ってきた南天の鉢が、2Fのバルコニーに置いてあり、展示期間中、まだ『南天絵圖』のような実までは付けなかったが、徐々に葉を色づかせ始めていた。いよいよ秋も本格的に深まっていきそうな気配だ。
【写真】2006.10.22 10:21, 谷中M類栖/2f バルコニーにて
【補遺】展示終了後に、祖父が遺した下絵を再確認していたら、この『南天絵圖』の下絵も出てきたのだが、驚いたことに上記の軸装した『南天絵圖』はその下絵の左半分で、実は鳥の描かれた右側半分があったことが判明したのだ(下絵画像 参照)。以前に下絵もすべてチェックしたつもりでいたのに、すっかりその事実を忘れていた。こういうものはしっかり情報整理して書き残しておかないといけない。
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2006年10月22日 (日)
谷中芸工展はここ2年、雨に祟られていたらしい。終了後のアンケートでも雨が降らなきゃ…という声が多かったらしく、今年は台風シーズンを避けた2週遅れの10月14日スタートとしたことが大正解だったようだ。実行委員日記「芸工展最終日 」にもあるように最終日前日22日の16時過ぎくらいから最終日終了までは降られてしまったが、それ以外の日は概ね晴れやかな日が続いてくれた。開催時期をずらしたことで、例年は同時開催的だった art-link とは14日・15日の2日間しか重複しなかったが、それを差し引いたとしても、マップ片手に回る芸工展にとって天気という条件は大きい。
谷中M類栖/1f は私が大阪から出向かねばならない都合上、芸工展の会期より1日遅く始まり、1日早く終了というスケジュールにしていたため、幸運にも雨に祟られたのは終了間際のほんのわずかな時間のみ。というか、土日はうちの展示スペースの面積からするとどう考えても定員オーバーの状況がずっと続いてしまっていたので、終了間際を静かに収めてくれたのはむしろ恵みの雨だったと言えるのかもしれない。
会期だけでなく、開始時間もうちは14時からと遅めの設定にしていたが、それは午前中に他の参加企画を見に行けるという点で正解であり、午前中にうちの近くを通った人を拒むことになってしまったという点で失敗だったと言えるだろう。まあ、うちが初めての参加で、まずは様子見のつもりで臨んでいたということからすると全体を見通せたという意味では正解要素の方が強かったかもしれない(もう一つは体力的な面でも)。
おおよそ準備の片が付いた10/16(月)〜20(金) まではなるべく積極的に他の参加企画を回るようにした。まあ、積極的にとはいっても、一企画を見る時間が思いの外長くなってしまって、そんなにたくさん回れたわけでもないのだが、、これはうちも企画参加してるせいか、とにかくどこへ行っても話が長くなってしまうのだ(笑)
というか、うちに来てくれたお客さんも企画参加していなくても、長居して行かれる方が多かったので、一企画で長居というのは芸工展ならではの特色なのかもしれない。まあ、スタンプラリーだけして帰って行く方ってのもそれなりにいたのだが(汗)
後半になると増えたのが「ココには凄いモノがある」という噂をどこかで耳にしてやってきてくれたお客さんだった。噂元が幾つあるのかはわからないが、こういう噂が立つということ自体なかなか嬉しいものだ。まあ、こんな感じで、丸井金猊リソースが徐々に谷中という場所で定着していってもらえればと思っている。
会期中、結局できなかったリソース紹介や、午前中に見て回った他の参加企画については幾つか気になったものなどを改めて個別にエントリーしていきたいと思っている。また、見に来てくれたブログ仲間の何人かが谷中M類栖/1f「丸井金猊リソース ver1.0」をネタにエントリーしてくれている。我が家のケヤキの把手を引いてくださった皆様、差し入れをくださった皆様と共にここにリンクにて謝辞とさせていただきたい。
・sympathy 〜共感〜: 谷中M類栖/1f (2006.10.08)
・Abejas e Colmenas: 谷中M類栖/1f (2006.10.09)
・Barcarolle: 写真と絵と食の魅惑の谷中ツアー (2006.10.15)
・sympathy 〜共感〜: 谷中M類栖/1f と谷中芸工展 (2006.10.16)
・Abejas e Colmenas: 午後の谷中 (2006.10.17)
・posinega: 秋の個展めぐり(1) (2006.10.17)
・谷中芸工展実行委員日記: 芸工展6日目 (2006.10.19)
・Kai-Wai 散策: 谷中M類栖 /1f (2006.10.20)
・家作りその他つれづれなく: 谷中M類栖/1f[丸井金猊リソース ver1.0]/谷中芸工展つれづれ (2006.10.22)
【写真】2006.10.21 23:56, 谷中M類栖エントランス(この写真は前日夜のもの)
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2006年10月21日 (土)
明日で谷中M類栖/1f は谷中芸工展よりも一足お先に(一日早く)終了。
で、あと一踏ん張りということで、ちょっと一服って感じのエントリーを一つ(笑)
谷中M類栖/1f は芸工展マップでは38番という番号が割り当てられてるんだけど、一つ間を空けて40番のマクケノエンでは図画工作愛好家の佐藤直樹さんの粘土人形(?)が気持ちよさそうにお灸で一服中 。
いっきゅうさん に いっぷくさん
あわてない あわてない
ひとやすみ ひとやすみ
イコアン
あと1日。こんな感じ で過ごせたらな〜と思うけど、無理やろな(^^;)
ちなみにマクケノエンのフラッグバッチは「蝶」。
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2006年10月20日 (金)
時すでに遅しの感もないでもないが、芸工展マップを玄関先に貼ってみることにした。展示が始まる前の午前中を利用して、なるべく他の参加企画も見に行くよう心掛けるようにしていたのだが、芸工展マップは地図が企画説明の裏面になっているため、町中で両方を照合するのに結構苦労することが多い。サイズが大きいので、マップを広げたときに風が吹くと思い切り煽られるし、細い路地や小さなお店のなかでも、広げるのにはちょっと向かないサイズなのだ。そんなとき、本部の蒲生邸脇や初音すまい研究所 前にマップが貼ってあったのは非常に重宝した。この状態なら、企画説明の解説をマップを見ながらちゃんと確認できたのである。
そんなわけで前日訪問された実行委員さんにうちでもマップを貼りたいので、真ん中に切り込みのないマップを購入できないか聞いてみたら、本部に残部があったはずなので取りに行ってほしいとのこと。本来マップは企画参加者も購入することになっているのだが、公的に貼る用だということで無料で一枚いただけた。
早速貼ってみると結構通り掛かりの人でマップを見ていく人は多い。・・ということが確認できるのはうちの玄関ドアには採光用のスリッドガラス を入れていて、ちょうど展示スペースのデスクに腰掛けるとその間からマップを見に来た人が覗ける恰好になっているのだ。こんなことならもっと早くにマップを貼っておくんだったという以上に、企画参加者にも切り込みなしのマップをそれぞれ配って、なるべく表に貼って貰うようにしてもよかったのではないか?と思う。そうすると次の企画に梯子するのがかなり便利になったはずだ。
尚、谷中M類栖/1f ではマップを貼る段階で自分のところがスタンプラリーをやってることを知らせるために、広島のもみじ饅頭で有名なにしき堂 の焼き餅咲ちゃん の協力を得て「スタンプラリーやってます」と記している。
【写真】2006.10.22 11:39, 谷中M類栖エントランスにて
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2006年10月19日 (木)
本日、谷中芸工展2006 の実行委員さんが見え、ひょっとするとうちのバルコニーの外壁に張られたポスターが今芸工展中、一番高いところに張られたポスターじゃないか?とのお話。なるほど、そんなことは全く考えたことがなかったけど、谷中は全体的に低い建物が多いので、その可能性は高いのかもしれない。加えてうちは谷根千でも最も海抜の高い立地にあるので、海抜で考えても一番高いのかもしれない(笑)
ただ、写真からもわかるように、こういうのを見るともう一回り大きなポスターを作った方がよかったかもしれませんねということを実行委員さんの方から言われた。どうも町のポスターを張らせてもらえる掲示板のサイズ規定があるらしく、それ優先で大きさは決まってしまっていったらしい。個人的には A4サイズのチラシがあったらな〜とは思ったが(それを何枚も張るって手もあるので)、そこは予算の都合もあるのだろう。
ポスターのデザインに関しては初見時のエントリーで「ド派手な 」と書いたけど、それ故に町中ではそれが目印としてしっかり機能して、非常に良かったのではないかと思った。もちろんディテールを見れば漢字が散りばめられて渋いところもあるんだけど、基本的にこういうもんは渋さよりも少し派手過ぎるくらいを追求した方がよさそうだ。
この日のことは実行委員会日記「芸工展6日目 」でも取り上げられ、「自宅を公開して参加をして下さっている方々には本当に感謝」ということは訪問中にも言われていた。意外と自宅公開の数は少ないらしい。言われてみればそんな気もする。数年前に回ったときに印象深かった自宅公開のお宅も今年は参加していなかった。まあ、実際に今回、初めて自宅の1階を公開という形で参加してみて、それなりの難しさ(課題)を感じなかったわけではない。それについてはまた改めてエントリーしていきたい。
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2006年10月15日 (日)
谷中M類栖/1f 、なんとか告知した10月15日の14:00 までに片付け&展示作業を終え、無事オープンさせることができました。初日からお越しいただいた皆さん、大変ありがとうございます。ただ、せっかく初日にお越しいただいたのに大変申し訳ないことに、丸井金猊リソースの展示リストとプロフィールを記した用紙の準備が間に合わず、それをお渡しすることができませんでした。同用紙の PDF ファイル(2.7MB) をサーバ上にあげておきましたので、よろしければこちら からダウンロードしてみてください。
尚、以下は初日を終えての所感(以上で「ですます」調は終了)。
・予想通り、玄関ドアホンを鳴らして入ってもらうという状態は敷居が高すぎた。
・靴脱ぎ〜スリッパへの履き替え指示が難しい。スリッパは下にあった方がいいかも?
・スタンプラリーだけを目的にしてる人もいるので、入口すぐのところに置くべきか?
・スタンプラリー用のデスクが小さすぎた。
・芳名帳は思いの外、住所まで書いてくださる方が多かったが、やはりご近所ゆえか?
・撮影禁止の札を母が付けていたが、文字情報が絵と喧嘩してないか、ちょい疑問。
・3組以上のお客さんが入ったときの対応がなかなか難しい。
・入口脇の軸がドアの風圧で揺れる(neonさん のご指摘)。場所or押さえ要検討。
・思った以上に気を抜ける時間がない。うちは開館時間が短いから午前中に出まわれる
けど、終日オープンにしているところは他のところを見に行くことができなさそう。
と以上が概ね本日気づいた点。
明日は平日で art-Link も終わってしまっているので、客足もだいぶ遠のくのでは?ということで、誰も来ない時間を有効利用して、上記課題の修正をはかっていく予定。夜は芸工展参加者たちが集うパーティーで、そこで初めてのご挨拶ということになる。
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2006年10月14日 (土)
本日、谷中芸工展2006 が始まりましたが、
谷中M類栖/1f「丸井金猊リソース ver1.0」 は明日10/15(日) 14:00 からです。
本日ご訪問されても、まだ準備中ですので、お間違えのなきよう、、
というか、準備中=片付けが今なお終わらず、明日ホンマに始められるんかい?といった状況。これからオープンまでオフライン状況が続く可能性も高く、メールやコメント等ご対応が遅くなるかもしれませんが、その旨ご容赦ください。
それにしても会期前に丸井金猊リソース紹介とか、もう少ししたかったのだけど、1週間以上、家を空けるツケは大きく、ほとんど何もできぬままになってしまいました。会期中に余裕があれば、また展開していく予定です。
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2006年10月13日 (金)
谷中芸工展スタンプラリー 用の印肉、紫色のを大阪の100円ショップで買って行ったんだけど、少々色付きが悪い。やはり安物は安物ということか?(泪)
紫色を選んだのは、マップの地色に緑が多いので、そこから少々遠い色の方がよいかと思ったからだ。ただ、保護色の赤まで行くと行き過ぎかな?と。。
ちなみに私が押して回った中では黒が一番多く、そして一番しっかり発色していた。安物でない黒は家にあったので最初からそちらを使えば良かったとちょっと後悔。
それにしてもスタンプラリーをゲットするためだけにチャリで界隈を走り回ってるガキんちょ共がいたとはね(^^;)
何となく彼らの元気ぶりに押されて、最初は靴脱いで家に上がらないと押せなかったスタンプを玄関すぐの靴履いたまま押せる場所に移動してしまった。さてはて、どっちがよかったんだか??
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2006年10月07日 (土)
これから会期までの間に今回展示予定の金猊リソースを何点か紹介していこうと思う。
まず最初に展示が確定しているものとして、この「鷺圖 (仮) 」から取り上げてみたい。
「鷺圖 (仮)」は (仮) が示すようにタイトル不明、作品として完成しているのか、未完成なのかも不明なリソースである。「鷺圖」という仮のタイトルは分類のために私共遺族が仮に付けている。そうしないとタイトル不詳ばかりで整理が大変だからである。
サイズはW1,300×H1,300mmで、絹本に着彩の額装。ひょっとすると祖父は軸想定で描いたのかもしれないが、130cmの本紙に地の余白スペースを考えると相当横幅を広く取られることから表具屋さんのアドバイスにより額装となった。
制作年も同じく不詳だが、線描写に余裕と遊びが感じられること、また鷺という単一モチーフではあるものの、それを複雑に絡ませて画面を構成していることから、屏風や壁画などの複数モチーフを扱った大作を描くより前のもの(1930〜35年・20〜25歳)ではないかと思われる。ただ、構成という側面のみで見るならば「鷺圖」の方が単一モチーフで色数が少ない分、構成そのものの醍醐味はダイレクトに伝わるだろう。
と同時に画面中央の鷺が混み入ってるあたりは鷺の頭・胴体・足の繋がりが目で追っていくうちにどんどんわからなくなってくるので、それもまた興味深いところである。一見すると鷺の群れを描いたように思えるだろうが、頭数と足数が厳密に揃わないところを鑑みるに、これは群れを描いていたのではなく、一羽の鷺を複数の時間軸において捉え、それを一画面に落としたと空想してみるのも面白いかもしれない。
すると「兵庫県美のジャコメッティ展 」のエントリーで、ジャコメッティの絵画について書いたのと同様の高速アニメ一コマ落としの原理(「鷺圖」の場合は低速だけど)がここに見出され、レイヤー上の奥行きとは別種の、動きの中から生まれる空間が読み取れるようになってくるだろう。
・・と、そんな妄想に至ったのは、そもそも鷺って群れでいることあったっけ?と思うほど、私が街や田舎で出くわす鷺はいつも一匹狼鷺だったからなのだが(^^;)、ところが試しに「鷺の群れ」でググってみたらあっさりイメージ検索で幾つも写真が出て来るではないか! 祖父はやっぱりフツウにただ群れを見て描いてただけなのかもしれない。
ちなみにこの「鷺圖」、落款もなければ、そもそも見つかったときの状態もいい加減極まりないものだった。なんと!三鷹金猊居のお蔵の天井下、梁と梁の間に渡した板の上に要らなくなったポスターやカレンダー同然の扱いでポイっと置いてあったのである。実物を見れば幾つか黒目がないことに気づかれると思うが、それは発見直後に丸まった絹本を開いたら、ポロッと落ちてしまったのであった(汗)
ついでにこぼれ話を一つ。flickr contact の otarakoさん の写真で知ったのだが、この世には「鷺草 」なる植物もあるらしい。
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2006年10月04日 (水)
1909年愛知県に生まれる。本名 丸井金蔵。1933年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒業。'35年同校研究科終了。市立川村女学院美術科、埼玉県立浦和第一高等女学校教諭を経て、'47年東京美術学校工藝科講師。'48年より以後20年以上に渡って神奈川県立工業高校工芸図案科(のち産業デザイン科)教諭を務める。
和洋エジプト入り乱れた独特の画風で、学生時代より旺盛な創作活動を見せるが、30歳に差し掛かる頃、時代は戦争へと暗転。以後ほとんど自作品の創作に向かうことなく、晩年を迎える。神奈川工業高校退職後、「死ぬ前に一度個展を」と再び絵筆を握り始めるが、1979年心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて急逝(享年69歳)。
1930年国際美術協会主催第一回美術展覧会入賞主席。主な仕事として'35年愛国生命保険(のち日本生命保険)壁画製作、'37年には阪急電鉄の創業者である小林一三氏の委嘱により東宝劇場階段ホール壁画製作 (火災により焼失)などを行っている。
以上は、1997年10月に三鷹市美術ギャラリーで開催した「丸井金猊とその周辺の人たち展」のチラシで掲載した祖父のプロフィールに一部加筆したものである(チラシをお持ちの方はどこを変更したか較べられると面白いかもしれない)。
この文章を書くにあたっては以下に転載する祖父本人が書き記した履歴書の他に、メモ帳や祖父のところに届いた手紙、また祖父の実娘である母や親戚の話などを参照した。
本来であれば、約40年に渡って連れ添った祖母に話を聞くのが一番なのであるが、事実上、祖父の遺作展を企図したのが脳梗塞で約3年間寝たきりを続けた(ほぼ喋ることもできなかった)祖母が亡くなってからだったので、どうにもならなかったのである。端から見れば何でもっと早くにと思われるだろうが、そもそも私が超無気力高校時代などを送ってしまって、祖父の早熟ぶりとは対照的にあらゆることに目覚めるのが遅かったのだからやむを得まい。だからといって、あの無駄に過ごした高校時代をやり直したいとも特には思わないのだが(無駄で馬鹿なりのよさがあったし)、やはり一つ惜しむべきは祖母からの情報収集がまるでできなかった点だろう。
「和洋エジプト入り乱れた独特の画風 」なんてのも今からするとかなり恥ずかしい表現だけど、まあ、事実でもあるので、そこはそのまま掲載した。でも、「入り乱れた」というよりは「異物をうまいこと構成した」と言った方が適当かもしれない(笑)
以下、転載する履歴書は基本的に祖父の記述をベースに西暦と年齢を添えただけのものであるが、最後の個人略歴と遺作展歴は私の方で新たに追加している。
□◇
丸井 金猊 履歴書
雅号 丸井金猊(キンゲイ) または 金臣(キンシン ※最初期)
本名 丸井金蔵 1909.10.19(明治42年10月19日)生
■学歴
1928.03(昭和 3年) 愛知県立工業学校図案科卒業
1928.04(昭和 3年) 東京美術学校日本画科入学
1933.03(昭和 8年) 東京美術学校日本画科卒業(修業年限5ヶ年)
1935.03(昭和10年) 東京美術学校研究科卒業(修業年限2ヶ年)
■画歴並びに業務略歴
1930.06 国際美術協会主催第一回美術展覧会に出品、入賞首席
昭和 5年・20歳(画題「菊」二曲屏風半双、東京平尾賛平氏買上)
1931.06 国際美術協会主催第二回美術展覧会に出品(無鑑査)
昭和 6年・21歳(画題「閑庭」二曲屏風壱双、公爵近衛文麿氏買上)
1933.03 東京美術学校卒業成績作品
昭和 8年・23歳(画題「菊花讃頌」二曲屏風二双連作、外務省政務次官瀧正雄氏買上)
1934.10 愛知社主催東都在住作家日本画展覧会出品
昭和 9年・24歳(画題「麗人散策」衝立、公爵近衛文麿氏買上)
1935.04 東京、私立川村女学院美術科講師並びに常任幹事職員
昭和10年・25歳(1941/昭和16年6月退職)
1935.11 愛国生命保険株式会社(社長原邦造氏)の委嘱に依り壁画製作
昭和10年・26歳(画題「奏楽」竪、幅共ニ十尺)
1937.05 (株) 東宝劇場(社長小林一三氏)の委嘱に依り同劇場階段ホール壁画製作
昭和12年・27歳(画題「薫風 」=騎馬婦人群像図、竪十尺、幅十八尺)
1942.01 東京、私立帝都学園高等女学校講師
昭和17年・32歳(同年3月退職)
1942.04 埼玉県立浦和第一高等女学校教諭
昭和17年・32歳
1945.12 埼玉県立浦和第一高等女学校勤務、高等官待遇(内閣)、地方教官二級
昭和20年・36歳
1946.10 浦和日本画家協会幹事並びに浦和市文化連盟会員
昭和21年・36歳
1947.04 東京美術学校講師を嘱託 工藝科勤務
昭和22年・37歳
1948.04 神奈川県立神奈川工業高校教諭 工芸図案科 勤務
昭和23年・38歳(1971/昭和46年3月退職・61歳)
■個人略歴
1909.10.19 愛知県葉栗郡北方村大字中島で丸井貝二・みわの三男として生れる
明治42年・0歳(現・愛知県一宮市北方町中島/兄弟は9人兄弟姉妹)
1928.04〜? 東京美術学校日本画科入学後、暫く谷中清水町に下宿
昭和 3年・18歳
1930.01.05 長兄・久右エ門、病没(享年28歳)
昭和 5年・20歳
1935〜 東京美術学校日本画科卒業 、この頃、親友・宮内秀雄 氏と知り合う
昭和10年・25歳(宮内氏はコンサイス英和辞典の編者で知られる英文学者)
1937.03.02 茅野さだゑと結婚
昭和12年・27歳(戸塚から下落合に転居)
1938.10.23 父・貝二、死去(享年70歳)
昭和13年・29歳
1939.03.23 弟・末太郎 、戦病死(享年24歳)
昭和14年・29歳
1939.11.03 三鷹金猊居、上棟
昭和14年・30歳(下落合から三鷹に転居/三鷹金猊居は金猊本人の設計)
1941.04.09 母・みわ、死去(享年63歳)
昭和16年・31歳
1942.04 戦争のため、一時的に三鷹金猊居を空けて浦和に疎開
昭和17年・32歳
1944.02 長女・美鷹 、誕生
昭和19年・34歳(妻さだゑの実家上諏訪にて)
1944.11.17 弟・了二、戦没(享年26歳)
昭和19年・35歳
1946.11 次女・鏡子、誕生
昭和21年・37歳
1970.11.24 初孫・隆人 、誕生
昭和45年・61歳(三鷹市村越産婦人科にて)
1972.03〜06 東村山市緑風荘に入院療養
昭和47年・62歳(病院からの手紙 )
1979.07.12 心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて死去(享年69歳)
昭和54年・69歳
1995.11.12 妻・さだゑ、三鷹市篠原病院にて死去(享年87歳)
平成 7年(脳梗塞から肺炎等を併発)
2003.08.05 妹・八恵、愛知県江南市の病院にて死去(享年91歳)
平成15年(金猊最後の兄弟姉妹)
■遺作展歴
1997.06.18〜06.22 「≪所有≫の所在」展(三鷹市美術ギャラリー)
平成 9年(屏風「壁畫に集ふ」の完成作とその下絵を並置)
1997.10.22〜10.26 丸井金猊とその周辺の人たち展(三鷹市美術ギャラリー)
平成 9年(当時発見済みの全リソース約60点をゆかりの人々の作品と共に公開)
1999.01.08〜01.17 飛高堂表装 丸井金猊 展(ぎゃれりぁ飛高堂)
平成11年(三鷹の飛高堂で表装した作品を展示)
1999.03.15〜03.19 丸井金猊展(東京丸の内・東京マリンギャラリー)
平成11年(副題:「閉ざされた成熟」のなかで/約50点展示)
2000.11.09〜11.13 浦和第一女子高等学校創立百周年記念美術・書道展
平成12年(伊勢丹浦和店7階アートホール/「白鷺圖」を出品)
2002.10.04〜10.13 家の中の金猊(三鷹金猊居)
平成14年(三鷹金猊居解体前の家そのものを展示空間とした展示)
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2006年10月03日 (火)
谷中M類栖の1階展示スペース名を「谷中M類栖/1f という名前 」にしたわけだが、
谷中芸工展に参加するプロジェクトの企画名は「丸井金猊リソース ver1.0」としている。これについても幾らかは説明を加えておいた方がよいだろう。
リソースとは「resource=資源」の意味で、現在にあっては IT 関連用語としての認知の方が圧倒的に強まってしまった感がある。実際、私が Web制作関連書籍で唯一影響を受けたと言ってもよい『スタイルシート Webデザイン 』の著者すみけんたろう氏のサイト名も「Ks Resource! 」であり、そのサイト内では「ホームページ」という和製用語の使用を批判し、その代案として「リソース」という言葉を提唱している。
まあ、その場合の「リソース」という言葉はあまり広まらなかったようだが、私は今回祖父の創作物をなるべく「作品」とは呼ばず、「リソース」として取り扱いたいという考えから「丸井金猊リソース ver1.0」というプロジェクト名を名付けることにした。
1997年に私は祖父の遺作展を初めて開催するに先立ち、「≪所有≫の所在」展という奇妙なタイトルの展示を行った。この展示では、祖父の屏風作品「壁畫に集ふ」とその下絵、また私の平面作品「おらないがみ」とそのプログラムを仕込んだPCという具合に、二つの完成作品とその創作過程を並置させ、作者と作品の間に生じ得る(あるいは幻想として生じているかに見える)所有関係を実験的に問おうとしていた。
しかし、それは事実上、そのあとに行う祖父の遺作展のための布石というか、祖父に対する言い訳のようなものだったのである。というのも、祖父が何も言わずに遺していった創作物の中には描き掛けのものもあれば、落款のないもの、また無造作に絹本のまま丸まって表装されてないものも多数存在していた。その中から私は祖父がどれなら自分の作品として認められて、どれなら認められないかという判断を厳密に行うことはできないと思ったし、そう思う以前に自分の感性に中途半端に頼って、曖昧な作品選別をするようなことだけはしたくないと思ったのである
そこで、半分は本気、半分は言い訳として行ったのが、祖父の手によるものと思われる遺品を出来得る限りナンバリング→データ化して、「作品」としてよりも、時代考証のための「資料・資源(リソース)」として提示するということだった。
そして、その考えは今もほとんど変わっていない。どころかインターネット時代の到来と共に、もはや祖父への言い訳として取り繕う必要性すら感じなくなってきている。
てなわけで、本展からはもう単刀直入に「丸井金猊リソース」と称してそれをシリーズ化し、今後は完全に自由なリソースの組み合わせとして展示機会を継続的に作っていきたいと考えている。ちなみにバージョンの小数点表示は、臨時の展示や企画延長なんてことを想定して融通を効かせやすいよう、設定したものである。
【冒頭画】「≪所有≫の所在」展で展示した丸井金猊 作『壁畫に集ふ』下絵・部分
※画像の上にマウスのカーソルを置くと、完成作の同部分が表示されます。
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2006年10月01日 (日)
9月29日(金) に谷中芸工展ガイドマップの折り込み作業「四季折々 」を手伝いに行った母が手伝い特典として早めに受け取ったマップをDMと一緒に送ってくれた。
まだマップの紹介は公式サイトでもされてないようなので、ネタバレになっても何だしまたの機会に譲るとして、このエントリーではDMの方を軽く紹介しておこう。
以前に紹介した「谷中芸工展2006 ポスター 」同様、DMにも楷書体の漢字が書き込まれている。ポスターでは少々ランダムにレイアウトされていた多数の漢字が、DMでは7×7−1で整列し、中央に「谷中芸工展」の文字が赤く浮かぶものとなった。パッと見た限りではポスターとDMの漢字は一致しているようで、おそらくは谷根千界隈をイメージする漢字を選んだのだろう。それとも漢詩であるとか、実は別のメッセージが織り込まれているのだろうか? ちなみに左下の空欄に「ここには好きな文字を!」とのことだが、うちは迷わず「栖」を選びたい。
ところで今年の芸工展参加企画数はぴったり100なのだそうだが、その100企画がどんな漢字を当て嵌めたのか、それを回収して並べ直してみても面白い気がした。ネットでならタグ機能を使って幾つ重なったのかを確認するのも面白いだろう。
なお、切手面の方には以下のように書いてある。
うちは芸工展の開催日と最終日はオープンしてないので、くれぐれもご注意のほど!
まちじゅうが展覧会場
谷中芸工展二〇〇六
十月十四日(土)〜二十三日(月)
谷中・根津・千駄木・上野桜木
池之端・日暮里界隈の
まちじゅうが展覧会場になります。
地図を片手に
いつもと同じまち
いつもと違うまちを
ぷらぷらしてみませんか?
あなただけの発見を探しに。
谷中芸工展事務局
ホームページ:http://www.geikoten.net/
※ガイドマップは本部・参加店等にあります
(谷中芸工展は谷中学校を母体として活動しています)
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2006年09月28日 (木)
開館以来、久々に安藤忠雄氏が設計した兵庫県立美術館に行った。
と建築系ブログのような書き出しだけど、見に行ったのは建物ではなくて、10月1日迄開催中の『アルベルト・ジャコメッティ展──矢内原伊作とともに 』である。神奈川県立近代美術館での開催中 に行けなかったので、兵庫県美でやることを知ったときには小躍りしたくなったものだが、そんな小躍りを遙かに上回る満足の得られた展示だった。
「谷中M類栖/1f という名前 」のエントリーで私は「告知も半径3kmくらいまでにしておこうか」とコメントしているが、ジャコメッティ展ならば半径120km(新快速からの乗り継ぎで来られる米原を想定)くらいまで告知したい気分である。
というわけで、会期もあとわずかなので取り急ぎの告知エントリーなのだが、今回面白かったのはジャコメッティといえばの印象が強い細長彫刻もさることながら、雑誌の表紙や紙ナプキンに描かれた落書き資料と共に多数展示されていた絵画作品だった。
館内では「アルベルト・ジャコメッティ展 かわら版」なるQ&A式の解説が裏表に書かれた一枚の用紙が配布され、その中でも絵画が沢山展示されていることに触れ、「人物を描いた絵画では、顔にタッチが集中して、まるで彫刻のような立体感が感じられるでしょう」とまとめられている。で、確かにタッチが集中していて、立体を見ているような感覚は得られるのだが(館内ではしきりにジャコメッティの有名な言葉「見えるものを見えるとおりに表わす」が掲示されている)、果たしてその立体感というのは、文字通りの3D的意味での立体感か?という点では少々疑問を感じないでもなかった。
むしろ私にはそのタッチの描き込みが一コマに無理矢理落とし込まれた高速アニメのように見えてしまって、基本的には静止しているはずのモデルのわずかな動きが時間軸をもって捉えられ、その動きによって立体的に見える、そんな印象だった。そして、それに慣れた目で再び彫刻を見るとこれがまた面白い。最初のうちは彫刻は絵画のように、絵画は彫刻のように見えるものだと思いながら見ていたが、彫刻には面ごとに高速アニメの上積み分がさらに載っているのである。ロダンも好きな彫刻家の一人だけど、彼の作品はどこかマッスの単位で見てしまうところがあって、それゆえにカラクリを見出すとついその先を見てないことがあるのだが、その点でジャコメッティはキューブの作品であってもずっと見続けてなければならない感覚に襲われる。そんなの私だけ?(汗)
かわら版では「枠」の話についても触れられているが、このブログは作品分析を目的にするものではないので、参考文献として、宮川淳 著『鏡・空間・イマージュ 』(白馬書房・¥2.625-)を、また、今回展示数が多かったわけではないけど、それでも数点見ることのできたキューブの作品については、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 著『ジャコメッティ──キューブと顔 』PARCO出版・¥3,600-)を挙げておく。
後者の本は絶版になってしまったのか、ユーズド価格¥8,500- ですと?!
なお、兵庫県立美術館が会期終了した後は、千葉の川村記念美術館 に巡回するようだ。
主催・東京新聞の紹介サイトはこちら 。
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2006年09月26日 (火)
すでに「谷中芸工展の紹介文 」の時点から記載してきたように、谷中M類栖の1F展示スペースはそのままベタに「谷中M類栖/1f 」という名前にすることになった。「1階」という意味での「1f」。実家からは「if =もしも」に見えるというツッコミもあったがURL「yanaka.m-louis.org/1f 」との連係から、ここは小文字にこだわることにした。
もし流通性といったことを考えるならば素直に「谷中M類栖ギャラリー」などとしておいた方が賢明だったかもしれない。しかし、どうも「ギャラリー」という言葉を用いることに、うちの1階スペースにおいては抵抗を感じてしまうのである。
Wikipedia「ギャラリー 」にも出ているが、ギャラリー=ガレリアは本来イタリア語で「回廊」を意味するものである。ところがうちの展示スペースにはあまり回廊っぽさがない。自立する巨大屏風の常設を想定して設計されたため、展示壁面の面積も少なく、事実上、一壁面の一室空間といっても過言ではない設えとなっている。つまり廊下的要素のあるところに展示物がまるでないのだ。それをギャラリーと呼ぶのってどうだろうか? 別に「言葉」なのだからどこまでも語源に忠実である必要もないのだが、どうも出来上がったうちのあの空間を見て、ギャラリーと言うのには違和感を覚えたのだ。
またギャラリーの対訳として日本では一般化している「画廊」という側面においても、当面の間はうちが画廊的機能・サービスを提供できるとは考えられない。これは私が東京に住むことになったとしても難しい仕事だと思うが、そんな運営者すら不在の現在にあって画廊なりギャラリーなりと銘打つのはちょっと烏滸がましい気もするのだ。
と同時にやはり何は言っても、我が家は住宅なのである。これも私が住んでいれば話はまた別だが、私的空間に公共性を持ち込む以上、セキュリティのことも相応に意識しておかなければならない。住所や電話番号の表記等、本当に迷いどころである。
そんなところから、今回、この展示スペースの名称を「谷中M類栖/1f 」という、ある意味1階という場所をただそのまま指してるだけの名前にすることになった。まあ、これで定着してくれるなら、それはそれでいいだろうし、状況にそぐわないようなら変更することもあるかもしれない。その辺の気軽さは自宅ならではである。
オチになるかは微妙だが、ついでにもう一つだけ、「谷中M類栖ギャラリー」を避けた理由を書いておこう。それは「作品管理・展示空間考 」のカテゴリに既に「gallery」というディレクトリを割り当ててしまっていたので、専用サイトを設けたときに URL が被るという問題があったのだ。その点で「1f」は語数も短く、URL 向きだった。
というか、この URL 問題が先にあって、そこから上述の理由が後付けられたのでは?という問いがあったとしても、決してそれは穿った見方だとは言えない(笑)
【写真】2005.03.09 18:35, 谷中M類栖1階, 正面の屏風は『観音前の婚礼圖(仮)』
(「谷中M類栖/1f──丸井金猊リソース ver1.0」で上記の作品は展示されません)
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2006年09月17日 (日)
家作りその他つれづれなく「クリエイターズ/世田谷美術館にて 」で『クリエイターズ - 長大作/細谷巖/矢吹申彦 』という企画展が世田谷美術館で行われているということを知った。期間は9月24日(日) までで残念ながら私は行けそうにないが、実家にはこの情報を伝え、時間をつくることができるならば観に行くようにと話しておいた。
というのも、この3人のクリエイターのうちの一人、細谷巖氏は私の祖父・丸井金猊が神奈川工業高校 工芸図案科(のち工芸デザイン科)の教鞭を取っていたときの教え子であり、また1997年に『丸井金猊とその周辺の人たち展』という展示をしたときには出品協力をお願いし、祖父へのメッセージもいただいているのだ。正直ここで「教え子」だなんて書くこと自体も烏滸がましい存在なのだが、当時の私は怖いもの知らずもいいところで、神工出身の名だたるデザイナーたちに無理難題な協力をお願いしていたのである。今思えばデザインの「デ」の字も知らない分際で、超一流のデザイナーたちによくもあんな無粋なチラシや発行物を平然と送っていたものである(汗)
細谷巖氏に関しては世田美の企画展プロフィールを読んでもらえればと思ったのだが、どうも世田美のサイトは期間が終わると次の企画展情報に切り替わってしまって、過去の企画展は概要のみしか記されなくなるようなので、以下に引用しておくことにした。
世田谷美術館・企画展『クリエイターズ』──細谷巖
日本で最初の広告制作会社である「ライトパブリシテイ」に高校卒業後、入社。現在に至るまで、独立せず、テレビCMではなく紙媒体を基本に広告制作を続ける。1955年日宣美展にて特選を受賞し、以降、田中一光、和田誠らと日本のグラフィックデザインの隆盛期を築いた。1975年よりキユーピーマヨネーズの雑誌広告、新聞広告等を手掛ける。写真、コピー、ロゴマークのみで構成するシンプルな作品は、時が経っても新鮮さを失わないものとなっており、ストレートな広告が長く力を持つことを再認識させる。
finziさんも書かれていたように、細谷さんの作品をご覧になると「ああ、あれもこれもみんなそうなんだ〜」ときっと多くの人が思われることだろう。記憶の片隅からほじくり出してくるというよりは、記憶の中心にどーんと座って一端を見せればすぐに蘇ってくるという感じの作品なのだ。気になる方は「タイムトンネルシリーズVol.19 タイムトンネル:細谷巖アートディレクション 1954→ 」のページを参照されるとよいだろう。
当時、細谷巖氏にいただいたメッセージはできればここで紹介したいところだが、本人確認が必要と思われるのでこの場では控えることにした。短い文章ではあるものの、祖父から正倉院御物の宝石箱の真珠にからめられた唐草の模写を課題に出されたときのエピソードなども書かれている。当時作った冊子の残部はまだ少々あるので、ご希望される方は谷中芸工展開催時の「谷中M類栖/1f 」会場でお申し出ください。
尚、右の書籍写真は2004年10月に白水社から出版された『細谷巖のデザインロード69 』という伝風半生記で、神工時代に思い出に祖父の名前も見つけることができる。
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2006年09月16日 (土)
さて、谷中芸工展2006 までいよいよ1ヶ月を切ってしまった。
差し当たってこれから約1ヶ月半くらいの間は、芸工展関連とその出展物作者である母方祖父=丸井金猊絡みのエントリーが増えてくると思う。祖父についてはこれまで結構色々なところでアウトプットしてきたせいか、思いの外、このブログで触れていないことに気づいた。そこで今回の展示を機に祖父の経歴等も改めて紹介していこうと思う(現在、祖父を紹介するサイトも閉鎖→再制作検討中状態にあるので)。
それと、ふと気づくと谷中芸工展サイトのリンクページ には既に「谷中M類栖/1f 」へのリンク(申込み時に申請した URL に)も張られているので、慌てて情報を詰め込んだページを作成。気づく人は気づくだろうが、ほとんど flickr のパクリ である(汗)
当座はこのページを「谷中M類栖/1f 」のトップページとして凌いで、行く行くは全面的にデザインチェンジして「谷中M類栖/1f」のギャラリーサイトとしていく予定である。
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2006年09月10日 (日)
ここのところ仕事の方が妙に忙しくて、ブログ更新してる余裕がまるで持てず。
で、ブログ更新はやむを得ないにせよ、谷中芸工展 の準備にまるで時間が割けないって方がちょっとピンチ。会期1ヵ月前にして未だDM作成すらできてない(汗)
とはいえ、実家の方も今回は様子見って感覚の方が強く、ないならないでもいいよ!と言ってくれてるので、気分的にはかなり楽というか、その甘い誘惑にノッてしまいそうな自分が今ここにいる。やはり家での展示ってのは緊張感ってもんが、まったく起きてこないもんなのだなぁ。これがどこかに場所を借りて賃料払ってのものだったなら、忙しかろうがDMくらいは作っていたことだろう。
てなわけで、とりあえず今回ここでお披露目するのは、7月末〆切ですでに提出済みとなってるスタンプラリー用の判子原稿。うちに遊びに来たことのある人はこの妙な形が何なのかはわかってくれるんではないかな〜。さて、朱肉の色は何色にしたものか?
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2006年09月01日 (金)
実家から「谷中芸工展2006 」のポスターが届いたという電話。
早速デジカメで撮影して添付で送ってもらった。母曰く、三崎坂を歩いていたらこのド派手な(といっても、決して鬱陶しいわけではない)ポスターを見つけ、あら?と思って家に帰ったら、うちのポストにも3枚入っていたらしい。
このブログでは縦長サイズの画像はサムネイルで見せるようにしているのだが、今回は特別にそのままベタ張り。すでに町中では張られているということだが、ひょっとしてネット上で最初に張られたのは谷中の看板背負った大阪発のブログだったりして(汗)
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2006年07月02日 (日)
当初はこのために上京も考えていたのだが、時間&交通費の工面が難しく、代理で母に行ってもらった。芸工展サイトの「説明会のお知らせ 」にもあるように期日・場所は
【期日】2006年7月2日(日) 19:30〜20:30/2006年7月3日(月) 19:30〜20:30
【会場】不忍通りふれあい館(文京区根津2-20-7)
で、母の電話によれば、参加したのは7、8組。実行委員のメンバーは5、6人来ていたとのこと。基本的には募集要項の提出とそれについての質問、後はサイトに掲載されている説明内容通りで、母に言わせると、わざわざこれのためだけに上京までしなくてよかったんじゃない?ということだったが、個人的には芸工展の公式サイト が今年はどのように展開するのかを知りたかった(あるいは内容次第では提案したかった)ので、その点で行けなかった不満は大きい。それともこの際、スタッフ募集もしてるので応募してしまおうか? でも、さすがに提案のみスタッフじゃ要らんだろな(^^;)
「谷中芸工展の紹介文 」のエントリーでも書いたけど、提出した募集要項の主な情報を再度掲載しておく(追加情報+微妙な変更アリ←中日を休日にすることにした)。
・日付:10/15(日)〜10/22(日)
・時間:14:00〜18:00(10/20(金) は20:00まで)
・休日:10/18(水)
・企画(店舗)名:谷中M類栖──丸井金猊リソース ver1.0
・参加者名:谷中M類栖/1f
・紹介文(70字厳守):竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾は昭和8年東京美校日本画科卒の丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年06月17日 (土)
竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。
目指すは谷中芸工展参加!
ちなみに例年通りに art-Link と芸工展の開催時期が重なってたのであれば、
両方の参加も検討したいところだったのですが、どうも今年は
・谷中芸工展 :10/14(土)〜10/23(月) <10日間>
・art-Link :9/23(土)〜10/9(月) <17日間>
というスケジュールなもんで、残念ながら art-Link の参加は見送ることにしました。
うちの場合、企画内容的には art-Link 向きなのかもしれませんが、参加費が少し張ることと私のスケジュール的な問題、そして芸工展の方には豊田さんも一枚噛んでるということから、今年は芸工展のみで大人しく様子を見ようと考えています。
芸工展の申込締切は7月31日(月)。
それまでにガイドマップ掲載情報の必要項目を考えておく必要があります。それで
・企画(店舗名)名:
・企画者名:
・紹介文(70字厳守):
の3項目と所在地情報等をどこまで掲載するかで、やや頭を悩ましています。
まず所在地情報等に関して、昔であればほとんど気にも留めなかったのですが、最近はそうした情報自体が売買されるようになって悪用される可能性もあり、いずれにしても自宅で開催するものなので、どこまで出すべきかで迷っています。
そして企画名や紹介文。ここでの出品作家である祖父が有名人であるなら名前だけでも充分なんですが、まず祖父が何者なのか?というところから始めて70文字以内に収めなければならないのが難しいところ。そしてさらに厄介なのが本人が既にこの世にいないということです。そうすると案外、企画者の立場というのも重要なんですね。ところがその企画者たる私個人が谷中には住んでいない。てか、遠い遠い大阪にいる(汗)
そこで現在考えているのが、まずこの企画の主体(企画者名)をこのブログ、すなわち「谷中M類栖」にしてしまうということ。実は展示スペース名も同じく「谷中M類栖」のつもりではあるんだけど、ブログ自体が主体であるという考え方にすると意外と話の辻褄が合わせやすいんですね。それに現段階では谷中において身内絡みで一番有名なのは祖父よりも断然このブログ「谷中M類栖」なのです(笑) そういう意味でも、工事が始まってからではあったものの、このブログを始め ておいてつくづく良かったな〜と思います。というか、ブログなしで大阪に住んでるだけだったら、昔からの知人以外で谷中界隈仲間なんて誰一人出来なかっただろうし、展示活動の指針となるものもほとんど見えないままスタートを切ることになっていたでしょう。
と考えが及んだとき、紹介文はとことん図々しく偉そうに書いてしまうってのも、この際アリなのかもしれないなと思いました。それが冒頭の文章に繋がっていきます。
・企画名:谷中M類栖/1f──丸井金猊リソース ver1.0
・企画者名:谷中M類栖
・紹介文:竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾に昭和8年東京美校日本画科卒=丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年05月11日 (木)
「橋本遊郭の記憶 」でも予告しましたが、「電線の景観*N的画譚 」等にてご紹介したneonさんの個展「ピアニシモな建築たち 」が根津のカフェノマドで始まりました。私も来週末、上京の用事が複数出てきたので観に行くつもりでいます。
N的画譚の最新エントリー「小さな個展 」が芳名帳レスポンスの場になっていて、昔は芳名帳といえば次の展示機会でDM出すのに利用するくらいのものだったのに、即レスができちゃうというあたり、時代の変化を感じさせます。開催期間は結構長いので、お近くの方、また谷根千界隈にご用の方は是非ノマドで一服どうぞごゆるりと!
ちなみにうちの母は neonさんの書かれる字のファンです。開催情報の地図も必見!
Exhibition
ピアニシモな建築たち 〜小さく音楽がきこえてくる
2006.05.11(木)〜05.30(火)(但し、5/16、17、24は休業)14:00〜24:00
cafe NOMAD(カフェですので、1オーダーよろしくお願いします)
〒113-0031 東京都文京区根津2-19-5(地図 ) tel. 03-3822-2341
2006年05月09日 (火)
またまた展示のお知らせ。ここのところ、このブログのアクセス検索ワード1位が続く軍艦アパート ですが、それをテーマとした「ぐんかんびより 」という企画展示が大阪の南船場にあるギャラリー・アビィ で開催されます。flickr contacts の sympathy さんも出展されるとのこと(sympathy 〜共感〜「ぐんかんびより 」より)。
軍艦アパート追悼企画「ぐんかんびより」
2006年5月9日(火)〜5月14日(日) 12:00〜18:30
ギャラリー・アビィ 入場無料
〒542-0081 大阪市中央区南船場2-2-28-212(地図 ) Phone: 06-6261-7383
出展作家:朝田秀司 イクラジュンヤ Suna tearoom 俵 里美 福永貴之
吹雪大樹 松原正武 ミズグチミホコ MISTY YUKI
・・と出展作家名書いて sympathyさんが誰だかわからないことに気づいた(^^;)
【写真】2006.03.04 13:54 大阪市浪速区下寺町・軍艦アパート東棟にて
【関連リンク】
・mixi*軍艦アパート: 「軍艦アパート」イベント (2006.05.01・コミュニティトピ)
・アビィ日誌: ぐんかんびより (2006.05.09: ギャラリー・アビィ日誌の展示風景)
・sympathy 〜共感〜: 軍艦アパート展 (2006.05.02: 出展作家ブログ)
・sympathy 〜共感〜: ぐんかんびより (2006.05.07: 出展作家ブログ)
・Blog-tea: 企画展「ぐんかんびより」出展のお知らせ (2006.05.06: 出展作家ブログ)
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2006年05月02日 (火)
十数年来の友人の今村仁が今日から熊谷守一美術館 の中のギャラリー榧で個展を開いている。5月に個展やると聞いたときには neonさん の展示とハシゴできてちょうどいいと思っていたのが、まさかGW中とは思わなかった。GW中って交通費も跳ね上がるし一番動きたくないときなのよね。加えて今年のGWは前から福岡の友人が遊びに来ることになっていたので、どっちにしてもGW中の上京は無理。というわけで、せめて告知だけでもとこのブログでもDMを紹介させてもらうことにした。
今村 仁 展
2006年5月2日(火)〜5月7日(日) 10:30〜17:30(金曜日のみ20:00まで)
熊谷守一美術館3F ギャラリー榧
〒171-0044 東京都豊島区千早2-27-6(地図 ) Phone: 03-3957-3779
有楽町線要駅下車(2番出口)徒歩8分/西武池袋線椎名町駅北口下車 徒歩10分
彼にはいずれ谷中M類栖のギャラリーでも展示してもらいたいと思っている。
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2006年01月21日 (土)
以前告知した「現在のポートレイト -You are here- 」に会期終了前日に行ってきた。「雪降る言問通り 」でも書いたように東京の交通機関は雪に弱いので、多摩センターまで行って無事帰れるか心配ではあったが、行き帰り定刻通り電車は動いてくれた。それと根津駅から多摩センター駅へは千代田線と小田急線を直結する多摩急行が30分置きに出ているので、想像してたほど遠くなくて助かった(走行時間ぴったり1時間)。
さて、しかし、写真展に行くというのは前回行ったのは一体いつだっけ?というくらいの話で(実は美術展も限りなくそれに近い状態にあるが>知人や仕事絡みを除くと)、いずれにせよ展示空間という場所に何とも不慣れな人になってしまっていて、まずその場に自分を慣らすのに少々時間が掛かってしまった。
とはいえ、そこには我が実家・谷中M類栖の1Fピアノ室で、指先を同じ高さで向き合わせるようにピアノに手を掛けた両親がふだん絶対見せないような満面の笑顔で待ち構えているのである。それは館内に入った瞬間わかったが、私はまず顔を背けた。そして何食わぬ顔をしながら落合佐和子作品、澤田知子作品、蔵真墨作品、藤澤卓也作品と見て、ようやく清真美作品と向き合ったのである。しかし、そこまでの間、それまでの作品は見ているようで全く頭に入ってなかった気がする。そして、清作品も朧気に見つめていたところで当の清さん本人がやってきたのである。
そこからだったと思う。ようやく落ち着いて写真を見られるようになったのは‥‥。
そういう意味では結果的に最後に見ることになった長島有里枝作品だけが「作品」として初対面の待遇を受けることとなった。そして、私もそんなに写真に詳しい訳ではないが、今回の作家6名の中では長島さんがおそらく最もビッグネームであろうだけにと言うべきか、「これは作品だ」という認識を持って観ることができた。
その後、清さんからCT氏が後から来るという話を聞いたので、彼を待つ間、もう一度同じ順路(たぶんその順路はキュレーターの考える順路ではない)で回ってみた。その結果、清作品はここでは除外するとして、他に「作品」と思えたのは皇居前広場に訪れた人をモデルとしてひたすら撮影した藤澤卓也作品だった。ここで「作品とは?」の議論をするつもりはないが(ひょっとすると後日それに近いエントリーは flickr と絡ませてするかもしれない)、もし今回の作品群が flickr 上で見られたとしたら、コメントや FAVE を付けたのはおそらく藤澤・清・長島3作品に対してであっただろう。
CT氏が現れて間もなく、思いがけない人物が館内にいることを知らされる。それは私がムサビの学生時代、エアコンの効いた映像学科に編入してしまうまで、夏暑く冬寒い教室で製図板を並べて一緒に建築の勉強をしていたモリ君だった。
卒業して10年もすれば同じ学科の友人ですら数人としか付き合いがないのだから、編入で転出した学科の友人との付き合いまで続けるのはより難しい。ただ、結果的に私は「建築」に先祖返りすることとなるので、今にして思えばもう少しコネを残しておくべきだったとも言える(別の学年ならば後から思わぬ形でコネも出来てきたのだが)。
モリ君はインテリアデザイナーになっていた。もちろん話があれば住宅もやってみたいそうだ。住宅は大変だよ〜と吹き込んではおいたが、機会があれば是非挑戦してもらいたいし、施主相手に困ったときには相談に乗ります。こういう旧友との緩い付き合いに mixi はもってこいのツールなんだが、彼が mixi に入ってるのか聞くの忘れた。
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2005年11月19日 (土)
5月にエントリーした「新釈肖像写真 」でフォトグラファーの清真美 さんが撮られた我が家および我が両親の写真が、この度、パルテノン多摩で開催される日本人若手作家6人の写真展「現在のポートレイト -You are here-」 で展示されることになりました。
清さんの作品は「人々・家族の肖像/People・Family」というテーマの中で紹介されていて、新作含む10点が出品されるとのこと。期間も長いのでお近くの方は是非!
日本人若手作家6人の写真展「現在のポートレイト -You are here- 」
【会 期】2005年11月21日(月)〜2006年1月22日(日) ※12/27〜1/3は休館日
【開館時間】10:00〜18:00(入場は17:30まで)
【場 所】パルテノン多摩 2F特別展示室
【出品作家】落合佐和子・澤田知子・長島有里枝・清真美・藤澤卓也・蔵真墨
【入場料】大人¥300 高校生¥150(高校生団体20名以上¥100)
中学生以下・65才以上・障害者手帳をお持ちの方 無料
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2005年09月28日 (水)
父は阪急ブレーブスの元投手〜投手兼監督だった浜崎真二 氏と知り合い。
祖父はその履歴に「1937年(昭和12年)、株式会社東宝劇場(社長小林一三氏)の委嘱に依り同劇場階段ホール壁画製作」とあり、「薫風(騎馬婦人群像図) 」というタイトルの竪十尺(約3m)、幅十八尺(約4.8m)の壁画を制作している。残念ながらその壁画は1958年(昭和33年)東宝劇場の火災 により焼失したが、我が家にはその下絵と葉書サイズのモノクロ写真、B5サイズのセピアカラー写真が残されている。
そんな二つの縁故が東京で生まれ育った私にも「阪急」をずっと身近なものにさせてくれたのかもしれない。京都に引越して初めて阪急電車に乗ったときも「おぉ〜、これが阪急電車か〜」と鉄道マニアでもないのに一際大きな感慨に浸ったものである。まあ、そうでなくともあの臙脂色の阪急電車 ほどにカッチョええ電車を私は知らんが。。
ともあれ、東京に居ながらすでに「阪急」が特別なものだった私にとって、旧阪急梅田駅コンコースの印象はまさしく「ザ・阪急」とも呼ぶべき「阪急」イメージをMAXまで引き揚げてくれる象徴空間だった。あの金色のゴシック様式高天井にステンドグラスの取り付けられた薄暗い空間から一転、宝塚的な明るいヨーロピアン空間を抜け、地下鉄口へと降りていく。こんな場所、絶対東京にはないぞ!すげぇ関西!すげぇ大阪!と思って一年後に私はあっさり京都を捨てて大阪に移り住んでいたのである。
ただ、そのときの私にとってあのコンコースが「伊東忠太 の・・」ということはどうでも良かった。むしろクライアントである「小林一三 の・・」ということの方が俄然大きかったように思う。そんな個人的所感もまた gairaikaさんの「建てたのは誰か 」の一例として通底してこよう。ついでに言うとかつて建築「家(か) 」論で盛り上がったが、そもそも「Architect」の訳語を「建築家」としたのは伊東忠太であった。
ところで話は冒頭に戻るが、私にとっては実物を目にすることは永遠にあり得ない祖父が描いた東宝劇場の壁画だが、あの作品は私の中では他の祖父の作品とはどこか異質な印象が強い。もちろん祖父のいつも描いている線、よく取り上げるモチーフが描かれてはいるのだが、全体としての印象の中にそれこそ小林一三の色が入り込んで来てるように思えてならないのだ。小林一三本人に委嘱された祖父がどこまでのやりとりを氏と重ねてあの作品を描いたのかはわからないが、氏とのセッションなしにあの絵が生まれ得なかったことだけは確かだろう。そしてもちろんその壁画を見た多くの観客はそれを私の祖父の、としてではなく、やはり小林一三の、として見ていたはずである。
なお、せっかくの機会だから一つ便乗してしまうと、かつて有楽町の東宝劇場階段ホールにあった「薫風(騎馬婦人群像図) 」というタイトルの壁画に見覚えのある方、またはそれに関する何らかの資料等をお持ちの方、コメントでもいただけたら幸いです。
父繋がりの阪急ブレーブス関連の話はまた後日。
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2005年01月20日 (木)
Yanaka*M3c ── フォトログ1F編 をアップ。
ギャラリー 兼ピアノ室 メインの1Fはほぼ一室空間なため、仕切ることによって生まれる見せ場は少ないが、空間全体の雰囲気や華燈窓 ・丸太列柱 といった三鷹金猊居からの再利用古材を懐かしんでもらえたら幸いである。
届いたばかりの光庭 完成写真も追加。これで残すは外観のみ。
2004年12月21日 (火)
ギャラリー宙(※) の企画展「MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─ 」が始まった。
2005年3月14日(月) までと長期開催なので、福島近郊の方、また福島に行かれる予定の方は是非ともこの機会に。私も1、2月は仕事で忙しくなりそうだが、その後は今のところ予定がないので3月に青春18きっぷ でも使って今度こそ行ってみたいと思う。
それからギャラリー宙 のサイトを構築されてる MIZO氏のご友人=影の管理人氏(こう書くとまるで「影」にならないけど)が息子への手紙という形式で MIZO氏の作品論 を展開されている。手紙ながらなかなか興味深い論考である。
□◇
MIZO 1981/2005 ─溝口泰信作品展─
2004/12/18(土) 〜2005/3/14(月)
ギャラリー宙〈そら〉
正午〜午後7時/入場無料/会期中無休
Tel/Fax: 024-533-4884 福島市松木町2-9
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2004年12月10日 (金)
MIZO氏、来訪 のエントリーでも取り上げた私の母の従姉弟にあたる福島在住 MIZO氏が始められたギャラリー「ギャラリー宙(そら) 」のことを再度案内しておきたい。
MIZO氏は私が子供の頃に唯一、同じ視線で遊び相手になってくれる親戚筋の「お兄さん」であった。立場上は私の従姉弟叔父にあたるわけだが、「おじさん」という感覚はまったくなかった。母よりも10歳若いので、当時はまだ学生もしくは卒業したての頃だったはずで、もちろん見た目的にも「おじさん」という年齢ではない。だが、そうした実年齢的な問題以上に、これはちょっと失礼な言い方になるかもしれないが、とにかく子供時分の私にとっては唯一「大人」って感じのしない身内の大人だったってことが重要だったように思う。
彼には「お風呂」という抱っこ技があって、体を窄めて抱きかかえられ「アツーい熱い」といってぎゅーっと締められたかと思えば「ぬるーい温い」と開放される。ちょっと状況説明が難しいが当時の私はそんな動作を繰り返す「お風呂」が大好き(お風呂の中で行われていたわけではない)で、彼が三鷹の家に遊びに来たときにはいつも「お風呂やって! お風呂やって!」とまとわりついていたものだ。
その後、月日は流れ、私も「大人」といえるような年齢に達し、十数年振りくらいに再会したのは、祖母さだゑの葬儀のとき(1995年11月)であった。
MIZO氏は上記ギャラリーサイトのプロフィール ページには全く書かれていないが、私と同じ美術大学の日本画科の卒業生であり、一概に日本画家と括るのは難しいが、画業を志し、また一時期は福島県立美術館 の学芸員も務めてられた人である。だから、おそらくは私の家に寄られる理由は他の親戚のような、所謂親戚付き合いとしてのものとは異なるものだったに違いない。祖父・金猊に真っ向から芸術論を挑んでいたのか、あるいは直接的な技術指導を仰いでいたのか、それとも他愛もない話をするのを楽しんでいたのか、それは私の知るところではないが、いずれにせよ、MIZO氏にとって三鷹金猊居を訪問することにはある特別な意識が働いてただろうことは推察される。まあ、もちろん当時の私はそんなこととはつゆ知らず、遊べる大人が来たと喜んでいたわけだが、彼の存在を改めて意識し始めたのはやはり自分が学生時代の頃だっただろうか。
そして祖母の通夜の晩、親戚一同で食事をしたときには自然と彼と向かい合わせの位置に座っていた。
そのとき、何を話したかというのは覚えていない。だが、一つ言えるのはそのときの十数年ぶりの再会が「再開」となって現在に至るということだ。もちろん福島⇔東京、福島⇔大阪と距離の問題があってそう簡単にはお会いできないが、お互いに「ギャラリー」という場所を持ったこと、またプロフィール によると「目下、サイト管理人道猛特訓中」ということのようでもあるので、今後、コンタクトを取る機会も大いに増えそうである。また、これまでに開催した祖父の作品展のみならず今回の家作りにおいても MIZO氏が貴重なアドバイザーであったことはここに記して謝辞としたい。
以上、ギャラリーの案内というよりは、MIZO氏との思い出話に終始してしまったが、ギャラリーについてはまだ私が訪問していないので、福島まで行ったときに改めてレポートしたい。ちなみに現在、義兄の4人の子供たちに会うと「お風呂やって!やって!」とせがまれる自分がここにいる(長男は卒業したが)。
□◇
ギャラリー宙(そら)
所在地:福島市松木町2-9 松木町ギャラリービル2階
開廊時間:午後〜午後8時
入場無料/企画展開催中は無休
問い合わせ:tel/fax 024-533-4884
Webサイト:http://www.geocities.jp/jwgsq486/
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2004年11月21日 (日)
福島から母方祖母の血筋にあたる MIZO氏がご両親と来訪。残念ながら私はお会いできなかったが、後日、MIZO氏から家の感想に写真を添えたメールが届いた。訪問前にメールで薦めておいた屋上にも上られたとのこと。また、MIZO氏は今年5月にオープンされた自身のギャラリー「ギャラリー宙(そら) 」と<通りに面した、ギャラリーのある三階建ての、美術・音楽・建築関係の書籍が沢山あって、ピアノもある建物>として共通性を見られていたようだ。
1F応接室床に養生用に敷いてた段ボールを取っ払ったとは聞いていたけど、屏風、『観音前の婚礼の圖(仮称)』の方を出したんだね。こっち向いて写真撮ってるのはうちの父。
2004年11月01日 (月)
先月29日に家族でドイト に買い物に行ったときに母が「これをミニキッチンのパーテションに使ったらいいんじゃない?」と言った代物が住化プラステック株式会社 が出しているサンプライ/スミパネル という商品。この商品、本当は母が和室とダイニングの仕切戸として使いたがっていたポリカーボネイトに見た目ちょっと似てる。ただ、値段は1/10くらいであることが示すように一般的には梱包材・保護材として使われるようなもので、建材としての強度・実用性にはいささか欠ける、言ってしまえば脆くて安っぽい素材だ。
だが、ミニキッチン内に求められてる仕切りは作品に水が掛からないようにするという重要な役目を負わされてはいるものの、殊更その素材として精度の高いものである必要はない。実際その場所で人が激しく動いたりパーテションに寄りかかったりということも考えられないし、ただ、濡れないようにする機能さえ兼ね備えていればそれで充分なのだ。加えて私個人がこういう安手の素材をいろいろ組み合わせて使うのが好きな気質なもので、この母の意見には即座に賛成。さっそく1820×910mm の白を購入。11/1(月) 着の発送をドイトにしてもらうことにした。
で、この日、品が到着し、さっそくミニキッチンの戸棚の入り組んだ形態を活かして固定しやすいよう断面図を材に直接書き込んで行ってカッターでカット。概ね計算通りピッタリ嵌め込むことができた。これでミニキッチンの方にデッサン額類を入れても問題はない。床面には念のため、スノコも敷いた。
しかし、本当は母はこのスペースに作品類ではなく、ミニ冷蔵庫を置きたかったのだ。母が自らパーテション案を切り出してくれたので、議論もなくこうした形で収まってしまったが、本音は残念な気持ちを残しているのだろう。ま、さすがに収蔵庫に作品が収まりきらなかった現状において、それでも冷蔵庫が欲しいとは言いづらかったのだろうが。。
母はそれを表立って(例えば豊田さんの前とかでは)は主張しないが、本当は1Fでお茶とかちょっとしたお菓子まで出せるような半カフェ的ギャラリー&ピアノ室が本来の望みなのである。その辺、金猊作品を主体とし、それ以上の付加価値を積極的に望まぬ私とは意見が対立しているが、上記の表立って主張しない母の性質のおかげで1Fに関しては私の主張の方が通りが良いのである。
あ、それともう一つ、キッチン自体がもっと小さくてもよかったという話も出ている(これに関してはあまり深く検討せずに業務用のをお任せしてしまってたのだ)。
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2004年10月27日 (水)
第33回打合せ(※) で書いた1F収蔵庫右扉のマグネットラッチが甘いことの対応策は豊田さんの言われた通り、ラッチの角度を変えただけでしっかり扉が閉まるようになった。この件に関してはこうして工務店の手を煩わさずに済んだが、いずれにせよこうしたミニトラブルはなるべく自分らで解決方法を見つけるようにして行きたいものだ。阿部建築には何かとお世話になりっぱなしですからね(^^;)
2004年10月25日 (月)
第31回打合せ: スピーカー のエントリーで予想された通り、やはり屏風を展示する側の壁面梁下にはスピーカーは設置されないことになってしまった。そうなると既に設置済みのスピーカーコードがひょろっと顔を覗かせてるのはおかしいということでキャップが取り付けられたらしいのだが、ピクチャーレール同様に色が象牙色系で結構目立つ。というか、こういう何かしらやろうとしていて取り止めたものを蓋して隠そうとすると却って見苦しく見えちゃう気もするんだよね。上京したらいつの間にやらそうなってたので「あちゃ〜」としか言い様がなかったのだが。。
2004年10月01日 (金)
家族内での評判が頗るよろしくないのだが、現在のところ1Fの元々は祖父金猊が使っていた大型デスク上には初音すまい研究所から不要だというので貰い受けた21インチモニタが置いてある。まあ、確かにデスク自体極大な上にモニタもどっかり21インチではギャラリー空間が圧迫されていることは否めない。加えて母はそのモニタの如何にもPCって感じ(所謂昔ながらの肌灰色)の佇まいもが何とも気にくわないらしい。よって母はこれを現在2F書斎に置いてある iMac(これは主に母が利用する)とチェンジしたいらしいのだが、私はその交換条件として母に2F和室で寝るのを止め、3Fの自分の部屋でちゃんと寝るようにしてもらいたいということを話した。
母は引っ越して2ヶ月、引越直後に私が母の荷物が多い部屋でも寝るスペースだけは確保しておくようにしておいたにも関わらず、そこにまた別の荷物を持ち込んだり散らしたりと寝るスペースを自らなくして、それを理由に2F和室で眠るようになってしまったのだ。この件に関しては詳細を語るとかなり根深い家族間の問題を引き出さなければならないので、それはまた別の機会に譲りたいと思う。家族問題ではあるが、それは建築計画とも密接に関わる話なのでいずれ必ずエントリーしたい。
というわけで、ここではモニタの問題に引き戻すが、いずれにしても上記の交換条件を私が挙げたのはまず第一に母にちゃんと落ち着いて自分の部屋で寝てもらいたいということがあるのは言うまでもないが、残るところは私の個人的な事由による。
上京中、私は大阪から持参した PowerBook をその21インチモニタと接続して夜間仕事していることもあるのだが、もしそれ2F書斎で繋いだら、間違いなく母から睡眠の邪魔だ言われる以上に何かとちょっかいを出され、仕事どころではなくなってしまう不安があるからである。もともとこの2F書斎は私の仕事場兼母のたまのネット閲覧スペースとして考案されていた場所ではあった。だが、母が仕切のない隣の和室で寝、新たにもう一つモニタが加わったとなれば話はだいぶ変わってくるのだ。当面、1F応接室をギャラリーとして利用しない限りは現状のままでも構わないと思っているのだが、21インチモニタと iMac の設置場所移動を行うのは上記交換条件を母が満たしたときである。幸運にも母には21インチモニタを2Fに持ち運ぶだけの体力はない。モニタが立派な人質になってしまったというわけだ。
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2004年09月30日 (木)
設備担当の長田さんから指摘のあった(※) 収蔵庫+給湯室扉アンダーカットする工事が、先日の未済工事チェック時に母が訊ねるまで手つかずのままになっていたらしい。
ここがアンダーカットされてないと収蔵庫に空気が回らず、せっかくダイキンのエアカルテット で24時間調湿換気され室内が絵にとってベストの状態になっていても、肝心の収蔵庫にその空気が巡回していないのではしょうもない。というわけで、なるべく早く対応してもらいたかったところではあるのだが、、如何せんもうデッサン系の作品は収納されているだけに。。
その工事が本日ようやく完了した。収蔵庫の右扉がクラッチ閉めたときにときどき空いてしまうんだけど、あれは磁石が弱いのか、それとも接する位置が悪いのか? まあ、閉まらないというわけではないので、良しとするか。。
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まだ一向に片付きそうにない2F和室であるが、1F収蔵庫整理中の私は長らく箱をあけていない軸の状態も確認しておきたかったので、お試しで2F和室の床の間スペースに「芥子花圖」の軸を掛けてみた。どうやら状態は悪くなっていないようで一安心。ただ、軸を掛けるときに紐を留め具に掛けるための棒が見当たらないんだけど、あれはどこに置いておいた(仕舞っておいた)んだか?? 結局見当たらなかった。
なお、軸はしばらく掛けておくまでもなく、床の間には一ヶ月住んでみて のエントリーで報告受けていた陽光が激しく差し込み、即刻取り下げ。
いや〜、和室南側サッシには障子が入ってて遮光カーテン引くわけにもいかないので、せっかく床の間に絵を飾れるようにしたものの、実際には複製品とか消耗しても構わないものしか掛けられそうにありませんな(^^;)
2004年09月28日 (火)
当初の計画では1Fギャラリーの展示壁面上部両角に ALR JORDAN 、ピアノ室側の梁高が低くなる手前の上部両角に BOSE と父所有のスピーカーを取り付ける予定で、配線もそうした具合で回してもらっていた。ところが父が取り付けようとしていたスピーカー、および父が買ってきた取付器具を見て、母がそのようなものは付けたくないと言い出してしまったのである。
そこで一応、打合せ時にスピーカーを1F応接室に持って行き、豊田さんとも相談してみることにした。ここでまず、私も豊田さんもそのスピーカーを見て悪い反応を示さない。というよりもシンプルでなかなか良い形ですねとか言い出しちゃったりして、母の眉間にはますますシワが寄るばかり。いや、別にここで母を貶そうとしているわけではない。単にそのスピーカーが心配するほど厳ついものでもなく、まあ、もちろんギャラリー壁面側上部にそれが取り付けられれば何もない状態よりはもちろん窮屈感あるだろうが、たぶん目は馴れるだろうといった範疇のものだ。実際のところ、豊田さんもそういう顔をしておられる。
しかし、母にはどうにもそれが気にくわないようで、先日屏風を開いたときにはピンと伸ばした状態になってないのに、ここまで来ていたからスピーカーと被るはずだとか、そんな物騒な取付金具を、しかも不器用な父が取り付けてスピーカー諸共落下して絵や床のタイルを傷つけたらどうするんだ?とか、とにかく難癖付けて何とかその取付を阻止したいようだ。取付に関しては豊田さんがその父が買ってきた商品を見てこれなら心配ありませんよ!とお墨付きをもらってしまったのだが(^^;)
しかし、こうなってしまった場合のいつもの倣いでこの件はやはり保留というか、取り止めということになりそうだ。結果から言えば展示壁面側は何も付けず、ピアノ室側の方にだけ展示壁面側の方に想定していたスピーカーを付ける。展示壁面側にはスピーカーのコードが延びてしまっているが、それは白く塗装して壁面に這わせておくしかないだろう。父も取り敢えず取付具は一組しか買ってきてなかったので無駄が出ずに済んだが、おそらく配線済みの工事費はそれなりの経費が掛かっていたはずだ(何せアンプからその部屋で一番遠くにあるのだから)。単純に言ってしまえば、打合せ時にもっと綿密にチェックしておくべきことだったのだが、母はそんなこと話した覚えがないというのだからやむを得まい。ま、このやむを得ないことによって生じる無駄がうちにはありすぎるという問題も残るのだが。。
それから母がここにスピーカーを取り付けるのを嫌う理由には別の根深い背景があることも見逃せない。それは父と母の結婚当初にまで戻らなければならないのだが、それについては機を見て別のエントリーで触れたい(こうした家族問題にどこまでこのブログで踏み込むべきか迷っているところなのである)。それとこれまで書いてきたことをまるっきりひっくり返すようだが、母は秋葉原の電気街で見掛けたらしき、BOZE の最新式の上から取り付けるタイプの洒落たスピーカーなら取り付けてもいいっていう以上に取り付けたいみたいなのだ。こうした論旨の矛盾が簡単に生じてしまうところに先のやむを得なさは容易に現れてくる。
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2004年09月27日 (月)
前回の上京時に詰め込むだけ詰め込み、開くのも怖いってくらいになっていた1F収蔵庫だが、カトーレック の美術倉庫 から屏風や軸が還ってきたわけで、それらも収まるようにしなくちゃならん(というか、それらの方がメインである)ということで、今回の上京では到着初日から収蔵庫内の再整理に取り掛かっていたのだが、ようやくその目途がついた感じになってきた。
再整理前には私や妹のデッサン他、無用な額なども入っていたのだが、それらを整理・処分し、軸は箱から出していつでも取り出しやすいようにして、何とか後は屏風を収めるだけ(一応そのスペースを計って空けてある)という状態にまで持って行くことが出来た。
また、私以外の誰かが何か作品を取り出したいというときにわかりやすいようにと3段に分けて収蔵分布図も書いておいたのだ。もちろん下段の作品を取り出すのは大変だが、このメモがあれば「あれ?あの作品どこ行ったっけ?」という話にはもうならないはずである。ちなみにこの方法は今年2月末に大阪市内で引越したとき(※) にも荷物の収納で試したもので、それは非常に役立っており、今回の片づけで多少時間が掛かってもそれはやっておくべきだと思っていた。念のため、今回書いた分布図はスキャンしてアップし、また箱ごとの作品名は追記にて記す。
□◇
デッサン額(1)
12. ダリア*
17. リンドウ+不如帰(ホトトギス)*
18. 浜菊(ハマギク)*
21. 兎(ウサギ)*
22. 鶉(ウヅラ)*
デッサン額(2)
02. 聖徳太子圖*(額のみ)
07. 宿根草(シュッコンソウ)*
08. カラー*
10. 白菖蒲(シロショウブ)*
11. 百日草(ヒャクニチソウ)*
デッサン額(3)
03. 草と花*
04. 菜の花*
13. おはぐろトンボ*
20. 伊勢海老と貝*
23. 鴛(オシ)*
24. 金魚*
25. 鱒(マス)*
26. 西洋芙蓉(セイヨウフヨウ)*
27. 椎茸(シイタケ)*
28. 鷺(サギ)*
39. 紅梅圖(コウバイズ)
色紙額
32. 赤松の山*
33. 松*
34. 松枝*
35. 夕日に松*
36〜38. 衣-1〜3*
晩年額
01. 聖徳太子圖*(額のみ)
58. 洋蘭図(ヨウランズ)
59. 白馬と埴輪の馬之図
晩年額 (バラ)
55. 天馬図(テンマズ)
56. 牡丹花図(ボタンハナズ)
軸 (バラ)
41. 鶯圖(ウグイスズ)
42. 芥子花圖(ケシハナズ)
43. 南天絵圖(ナンテンエズ)
46. 旭々波涛圖(キョクギョクハトウズ)
47. 稚児圖條暢(チゴズジョウチョウ)
48. 水辺の裸婦像*
49. 睡蓮の裸体女性像*
屏風・額
52. 観音前の婚姻之圖*
53. 壁畫に集ふ(ヘキガニツドウ)
61. 白鷺圖(シラサギズ)
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2004年09月24日 (金)
実家では説惇さんが見えるということもあって、先週末に豊田さんたちが未済工事チェックで来られた際に『壁畫に集ふ』の梱包を解き、私抜きで屏風を立てるのを手伝ってもらったらしい。私が到着したときには屏風は二曲二双30度/150度のW字状態で展示壁面側に立てられ、1、2Fはそれなりに体裁取り繕う感じで片付けられていた(母は体裁取り繕う片付けなら得意なのだ)。
さて、この家の計画当初から我々の希望用件に絶対必要なものとして第一義にあげていたのが「ギャラリー(1階:3.7×2.7m の丸井金猊屏風が何よりも映えるよう)」(※) である。そういう意味ではファサードの立ち上がりや古材の再利用以上に『壁畫に集ふ』がどう見えるかは最重要テーマで、それに臨む瞬間は固唾を呑まずにはいられなかった。まあ、実際のところは体裁取り繕って片付けられたといっても、床には養生用の段ボールが敷かれ、両サイドには1Fに置いておく他ない家具・建具類が残っていたので、まだまだ屏風が屹立したとき、その壁面側空間にどれほどの緊張感が生まれるのかといったレベルで見ることはできなかったが、照明を点けた段階でそれなりの満足感が得られたことは確かだ。
豊田さんらと屏風を立てたというその晩に母からもらった電話では、屏風を広げるまでの豊田さんは非常に険しい顔をされていて、いざそれが空間に落ち着いてようやくいつもの穏やかな表情に戻られたらしい。豊田さんにとっても、この1F空間は屏風があって初めて成立するものだという認識のもとにあったのだ。そうした理解の上で設計に臨まれているというのは、施主にとっても屏風にとっても本当に嬉しい話だ。
それにしても屏風専用で考えたウォールウォッシャ(※) の照明は大正解だったと思う。これまで幾つかのギャラリー等でこの屏風を展示してきたが、常に不満の種はスポットライトによる照明だったからだ。これだけの大きさの屏風だとどうしても一面均等に光を当てることができない。また白熱灯の暖かい光色がどうもこの絵にはそぐわない感じがあったのだ。そうした問題群をウォールウォッシャはまるごと解決してくれた。ましてや美博用蛍光ランプで紫外線もカットされ、ランニングコストもかからないのだから。。
夕方、雨漏りチェックで見えた山本さんが、屏風の前でしばし茫然。我に返ってから「すごいですね」と言ってくれた。何だかそのときの山本さんの顔がいつもと違ってちょっとおかしかった。言葉にはしなかったが、そういう反応もこれまた嬉しい。
翌日からまた室内工事が始まるので屏風は片付けておいた方がいいという豊田さんからの指示もあり、父が帰ってきてから屏風を家族4人で再梱包し、久々の『壁畫に集ふ』ともお別れする。
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2004年07月17日 (土)
阿部建築での引き渡し終了後、豊田さんと一緒に谷中の家に戻る。この日は17時過ぎから設備設計の長田さんによる設備点検&指導を受けることになっていたのだ。
長田さんは初音すまい研究所との計画が始まる以前からうちの設備設計を見てくれてきた人で、メールでは何度もやりとりしてたのだが実際にお会いするのはこの日が初めて。年賀状で「長田!突然変異する」といって設備設計の会社から某ブロードバンド系インフラ会社に転職されるという、今年最初のオドロキを味合わせてくれた人だけに、そのことも含めてお会いできるのを楽しみにしていた。
とりあえず点検の方はまだ未済工事の部分も残っていたものの、電気系統のチェック他、水回り関係もトイレの水をしばらく流しっぱなしにして、その排水音をチェックされたり、本来なら施主検査のときに我々がやっておくべきようなことまでしっかり見て廻られた。豊田さん、母、私(時々、妹、妻も)が後ろに付いて各所説明を聞きながらだったが、長田さんのテキパキと的確にアドバイスを加えて行く様は家族は言うに及ばず誰が見てても感心しちゃうんじゃないかと思う。途中、工事で居合わせた電気屋さんにも細かく指示を与え、電気屋さんの方がたじたじになっていたくらいだ。
しかし、そのおかげで心配事の一つだった LAN 配線の問題が丸く解決しそうだ。これまでの話の流れでは工事をするのは空配線を張るところまでで、そこから先の実際の LAN 配線は自分たちでやらなければならないような話になっていたのだが、そうした作業もすべて電気屋さんがやってくれるという手筈をその場で取り付けてくれた。そうした交渉手腕も見ていて天晴れであった。
尚、なぜに長田さんのような設備の専門家にうちのような個人住宅を見てもらうという話になったかといえば、それは今後エントリー予定の初音以前のプロセス上で何度か触れることになると思うが(だいぶ先の話だろうけど)、簡単にいえば1F応接室に展示する屏風作品にとって最適な空調換気システムを考えたいというところから話は始まっている。
その結果としてダイキン のエアカルテット を導入することはこれまた初音との計画が始まる前から決まっていたのだが、それはそのまま初音との計画でも引き継がれ、こうして1Fの全スペースは古材の再利用などで一見古風な佇まいを見せるものの、長田さんの言葉を借りれば「めちゃくちゃハイテクなシステムの仕掛けられた」空間(※1) となったのである。
そのハイテクな仕組みに関しても詳しい説明を受け、ホホ〜と感心することしきりだったが、それについてはエアカルテット のサイトでもフラッシュアニメによる説明があるのでそちら をご覧いただきたい。
ただ、このハイテク装置の特性(※2) として、例えばこの室内に入ったときにエアコンのよく効いたところに暑いところから入って「おぉ〜、涼しいな」と感ずる、あの直裁的なわかりやすい体感性はないということを付け加えておきたい。むしろ入ってしばらくは空調の効いた室内に入った割には暑いな〜くらいに感じられてしまうはずだ。しかし、しばらくするとそこが一年中暑くも寒くもない空気の浄化された心地よい空間であることに気づく人は気づくのである。まあ、こうした話も後日、空調システムを検討していた際のプロセスを記したエントリーで改めてすることになるだろう。
余談ではあるが、1年以上も前にエアカルテット導入の方向で話が固まったときに長田さんとはダイキングッズのぴちょんくん の話もしていて、何と!そのときお願いしていたぴちょんくん関連グッズを1年以上も取り置きしてこの日に持ってきてくれたのである。これには我ら夫婦も大感動。ましてや1年前のものゆえに逆に激レア物になってたりして、でも、ここで何をもらったか書くと世のぴちょんくんファンにやっかみを買いそうなので、ここでの記述は差し控えさせてもらいます。ららら〜ん♪
何やかや長田さんとは家族交えて記念撮影までしたりと20時近くまでお付き合いしていただくことになってしまい、母の提案で長田さん、豊田さん、我ら夫婦で晩御飯を食べに行くことに。お店は、豊田さんが以前から私の妻が上京した折には是非とも連れて行きたいと言われていた日暮里駅すぐ側の「ポドゥナム(柳) 」という韓国料理屋。ユッケ、ケジャン、キムチチヂミ、冷麺を注文し、ちょっと値段は高い感じだったが(夜だから仕方ないともいえる)韓国料理にはうるさい妻にも充分満足な味。店内の雰囲気も韓国の焼肉屋をそのまま持ってきた感じで今度はお昼に寄ってみたいお店だった。
その帰り路、長田さんが車を置いていたうちの近所まで戻ってきてから「鞄をお店に忘れました」と思い出したように言われ、自分も忘れ物が多い方ゆえあまり人のことは言えないのだが、ご愛嬌までしっかり持ち合わせた人なのか〜と最後のオチまで感心してしまった長田さんとの出会いだった(笑)
尚、上記内容をエントリー前に長田さんに確認したところ、幾つか補足(※3) と指摘をいただけたので、それを追記にて記しておく。
□◇
※1)「めちゃくちゃハイテクなシステムの仕掛けられた」空間
この件に関しては長田さんからの補足説明があるので、一部こちらで手を加える形で(その部分はグレー で表示)引用しておく。
> 上記 の点ですが 住宅としては
> ダクト空調を行っている、温湿度(除湿、加湿)を設備設置している。
>
> なかなか一般的な住宅では行っていません。
> これはしっかり言ってよいと思います。
※2)ハイテク装置=エアカルテットの特性
これに関してはそれに続く文章について長田さんから次のようなコメントを戴いた。褒められ文で気恥ずかしくもあるのだが、大切な内容を含むので一部こちらで手を加えて(その部分はグレー で表示)引用しておく。
> こ のくだりは大変感心することしきりです。
> 人間の感覚に対する空調というよりも 作品に対する安定した空調を目指している
> そこがうまく表現されています。
>
> 当然別の部分でも記載されていると思いますが
> 建築構造上での細心の断熱計画が豊田さんによってな されている点も
> 触れておくべきでしょう 。
※3)補足
これに関しては本文というよりは計画自体に対する長田さんの補足だが、
> この前の竣工検査でお願いしている点
> とくに心配はメンテナンスですが
> 豊田さんからしっかりいってもらってくださいね。
> 設備は使いきって10年後に評価されるものだと思います。
こうした先を見た言葉って施主にとっては至極嬉しいものだ。その点においては豊田さんも完全に同じ視点に立っておられると思う。建築写真に対する考え方(※) などはその典型的な例だと思う。
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2004年07月13日 (火)
1Fの屏風をメインに照射する照明器具:ウォールウォッシャー(※) が取り付けられた。工事は谷中銀座にある近藤電気の電気屋さん親子がやっていた。
2004年05月26日 (水)
前日の打合せ で豊田さんから提示された床材を確認するため、母と原宿表参道のアドヴァン (ADVAN)へ行く。1F応接室の床材としてダントー 傘下 dee plus 社 の VENIS/GERMANIA (VNS-401)のタイルで希望を固めて以降、工費的にもなるべく同じ業者のもので揃えた方がいいのだろうと考えて他社製品をそれほど見に行っていなかったので、アドヴァンは久し振り(原宿のは私は初めて)。
で、まず豊田さんから VENIS/GERMANIA の代案として推薦されたフェレマーブル パーラトン (MCA-4401)だが、豊田さんが推奨する理由としては以下の3点があげられていた。
1)VENIS/GERMANIA があくまで疑似素焼き物風のタイルであるのに対し、フェレマーブル パーラトンは天然石で緊張感のある高級な素材感が得られるのではないか?ということ。
2)屏風『壁畫に集ふ』に合わせたギリシャ風イメージを追求した場合、フェレマーブル パーラトンの方がより明るく白に近い色になるのではないか?ということ。
3)コスト的に影響力のある建材だけに(面積的な意味で)、平米当たり1000円程度の差額でも全体の事業費減に多少なりとも貢献できるのではないか?ということ。
ただ、こうした見解を出された豊田さんはアドヴァンから取り寄せたカタログとサンプルだけでの判断なので、実際、アドヴァンのショールームで現物展示を見てしまうと我々としてもそれとは異なる印象を持ってしまうのである。
まず、(1) の素材感であるが、これに関しては天然石の良さというのはもちろんあるものの、天然石の中でも最も安い類のものが選ばれており、むしろ我々の目には高級感というよりも、駅とかでよく使われているような床材という印象が得られてしまったのである。
そして、(2) の色味についてが最も違和感を強くしてしまったところなのだが、5cm角のサンプルで見たときには確かに白っぽい感じがあったのだが、ここで40cm角のサンプルで見ると、白ではなく明らかに黄色いのである。この黄色味はおそらく緊張感よりは柔らかさを演出するのに有効な色調で、そうするとどうしても『壁畫に集ふ』にはそぐわないような気がする。またサイズが40cm角で VENIS/GERMANIA よりも5cm小さいというのも微妙な差ではあるが、縮小感を与えるかな?と思ってしまった。それともう一つ気になる点は照明の光の反射 がきついということである。これが絵を見るときに気になるんじゃないか?という懸念もあった。
(3) に関しては安いに越したことはないのだが、逆にフェレマーブル パーラトンの倍くらい(つまり平米2万円弱)出せば良いなと思う天然石はアドヴァンにも幾つかあった。だが、やはりそれでは当初の予算をさらに大きな単位で厳しくしてしまうことであり、それとは別にタイルと較べて天然石の方がメンテナンスが大変ということから維持費的な面でも VENIS/GERMANIA の方がよいという判断に至ったのである。
と以上のようなことを見学後に豊田さんに伝えたら、確かにこういうことは考えていくと色々な考え方(悩み)が出て来てしまうが、そういうときにはファーストインプレッションに戻るのは良いことだということで、VENIS/GERMANIA の基本線のまま、話は進めようということになった。
で、もう一つの玄関前室〜表玄関エントランスアプローチ部分まで敷き詰める予定の10cm角ピンコロについては豊田さんから提唱されたボテチーノ (ADV-EDBO1010)で母も私も異存なしというか、2×3枚ではあるものの、割と無骨な感じで白目地の入ったボテチーノの並んだ様子 を見て私個人は色味・質感共にかなり気に入ってしまって、即刻ゴーサインを!という感じであったのだが、店員に聞いてみると在庫個数が足りず、次回入荷が6月末ということで、何と話は振り出しへ(泪) 他メーカー含め、再度検討し直すこととなった。
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2004年05月25日 (火)
仕事の都合で打合せ当日、直接大阪から出向く。
義父製作把手(約10kg)をキャリーカートで転がし、背中には PowerBook15'。
一度谷中墓地内交番脇のトイレに入るため、すべての荷を下ろしたら悟空やクリリンが修行中に亀の甲羅を外したときのように体が身軽になった気がした。
到着後、さっそく開封。
把手を取り出すと予想通り感嘆の声があがり、外にあるのが勿体ないとか、芸大の学生に盗まれないか心配といった風に、やはり把手としてこれ以上贅沢なモノはもうないだろうくらいの反応だった。
主な打合せ内容については追記の打合せ記録にて。現場見学は別稿にて。
−初音すまい研究所、現場、珍珍亭
−14:00〜21:30〜23:00
−山本さん、豊田さん、矢原さん、母、私
−タイル&石サンプル、ハンドルレバー&照明関係資料、打合せ記録
=ケヤキ把手
□◇
初音すまい研究所@打合せ記録(記録者:矢原)より
■
工程について
3F木工事終わり、ボード張り待ち。
2Fの木工事を中心に工事を進めている状態。
外装:板金屋さんと打合せ中とのこと。
5/26(水):SD枠取付予定
5/27(木):1F古材丸太建て(下足入れ前の手摺下地は、LGS に結んだ杉板張用の横胴縁を利用)
5/28(金)〜:左官屋作業入り
6/7(月):システムキッチン取付予定
6月末日まで工事予定
6月末〜7月初頭に設計者・区役所・施主検査を行う予定
検査後に直し工事を行う可能性あり
別途工事については引き渡し後(引越中〜引越後)と考える
■建具
【SD-1 】
シリンダー錠のうち、1つを上方にずらします(把手にぎり位置よりも上:下がFL+1m、上が 115cm)。
内側の把手は金属製のものとします。
【WD-1〜3 】
ガラス窓、アクリル棒埋込案をご了承いただきました。
【障子 】
桟のピッチを約150mmピッチとする案をご検討していただく事としました。
【襖紙 】
"山水(ルノン株式会社)" No.169 でご検討していただく事としました。
【畳縁 】
"浮(テイジン・テトロンの大宮縁)" No.13
■照明
【応接室 】
ピアノ上のダウンライトは天井埋込型空調機械との関係で変更する必要が生じました。
薄型白熱灯ダウンライトに変更する方針です。
ただし、それでも上手く行かない場合は露出型スポットライトとする事をご了承いただきました。
【屏風照明 】
屏風用ウォールウォッシャ照明について基本的には調光機をつけない事を確認しました。
ただし、現在選択している器具を一旦付けた後、調光機の改造可能かどうか、メーカー確認をした上で最終判断をする事とします。
【ダイニング 】
松下製 LB82515 ブラケット照明を採用する事をご了承いただきました。
ペンダントライト(引掛シーリング)は本工事から外し、引き渡し後にお施主様自身で買い求めていただき、取り付ける事をご了承いただきました。
■仕上
【応接室 】
床材として人造石(400角)を提案させていただきました。
【玄関前室 】
目地を深くできる石材(100角)を床材として提案させていただきました。
価格について、阿部建築さんに調べてもらい、減額要素となるようなら検討したいところです。
■WD 金物について
【WD-3 】
※プライバシーに関わる事項のため、筆記回避
【WD-6 】
グレモン錠を中止し、シリンダー錠とフランス落しで施錠する事をご了承いただきました。
【WD-11 】
上、下段の扉を一体にし、下段の扉を独立とする事をご了承いただきました。
【WD-20 】
平面図と建具表で幅が違っているので、平面図の方を優先した事をご了承いただきました。
【S-4 】
桑引手をほかの障子のものと合わせて、白木引手に変更する事をご了承いただきました。
【各把手 】
レバーハンドルについては、明日ユニオンのショールームにて施主自身で実物を確認した上で決定する事としました。
■テレビ
ケーブルテレビにしたいとのご要望をいただきました。
ブースターは2Fダイニング一ヶ所に設置とのご要望をいただきました。
■変更項目
これまでの変更項目について、一覧表にまとめました。内容についてご確認下さい。
■追加要望
廊下-1 ピアノ側の縁に沿ってスクリーンを吊す為の下地が必要とのご要望をいただきました(ヒートン取付)。
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2004年05月18日 (火)
数日前から検討の重ねられてきた1Fギャラリーの屏風を展示する壁面用の照明が大方固まった。
壁面全体を照射できるという利点によりある時点からウォールウォッシャ(※1) という照明器具に美博用蛍光灯を取り付けるという方向に的を絞って検討は続けられてきたのだが、破損係数・色温度・照度分布・調光機能・イニシャルコスト・ランニングコストといったレベルの話をこちらの都合よく満たしてくれる商品というのはなかなかないもので。。
ただ、このウォールウォッシャという考え方自体が初音すまい研究所でヤマギワの担当者と話し合ってる中で出て来たものだったせいか、そこでは松下電工製を使うという考えが抜けていて、私がそれを指摘してから話は急速に収斂して行ったのである。
要はヤマギワ のが高くて(¥47,250-)松下電工 は安かった(¥37,000-)のだ。
ま、相談に乗ってくれたヤマギワの担当者さんにはヒントだけもらった感じになってしまって、申し訳なかったけど。。
で、調光機能を付けるためにはどちらにせよ改造費が必要になってくるのだが、屏風側壁面に関しては万一明るすぎたときに照度を落とすのに有効というだけで、日々調節するようなことはないだろうということで付けないことにした。加えて後日矢原さんから照度分布を見ると当初の予定の3灯を付けなくても2灯で充分という話で、であればなおさら明るすぎることを心配する必要もなくなり、予算的にも最小限で抑えることができた。
−松下電工「ウォールウォッシャ」 シリーズ
−FHF32形×2 FSA42731 (高出力型 PH9 ¥37,000-)
□◇
※1)ウォールウォッシャ
とりあえず Google 検索してみると、北九州市立美術館 、仙台メディアテーク 、武蔵野市民ギャラリー といったあたりがウォールウォッシャーを積極利用していることがわかった。
ちなみに北九州市立美術館は調光機能もしっかり付いてる模様。
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2004年05月12日 (水)
第25回打合せ(※) の2段落目以降から話は続く。
で、日暮里で下車して、ひとまず初音すまい研究所へ。前夜の電話で豊田さんが不在の場合は矢原さんと現場へという話だったので、その通り、矢原さんと現場へ向かうことになった。
現場に到着したのは15:30。現場には1Fに3人、2〜3Fにも5、6人は職人さんが入っていて、忙しなく仕事に打ち込まれていた。そんな中で丸太を立てて検証するというのはちょっとお邪魔感もあり、ひとまず工事現場初訪問(工事前の空き地状態のときには一度来ているが)の wtct 氏を屋上まで各階案内。母の到着を待って丸太の検証に入った。
ところが、3本寄せて設置しようとすると天井配管が邪魔になって、どうしても3本目が望むべき位置にそれを配することができない。というわけで、写真のように大変中途半端な設置状態での列柱確認となってしまったわけだが、とりあえずその状態で見る限りは重々しすぎる印象も窮屈な印象も受けないんだよね。ただ、3本目の丸太が一番太いので、この2本の詰まった感じと同じように3本目を見られないような気もする。微妙に難しいところだ。
矢原さんに意見を求めると、少しギャラリーに様々な要素が多すぎることから2本くらいに抑えておいた方がいいのでは?とのこと。ピアノがなければ3本を前間隔で置いてもいいかもしれないがと言われていた。
検証後、再び初音すまい研究所に戻ると豊田さんも戻って来られていて、wtct 氏も交えて急遽ミニ打合せが行われることになった。何だかんだ丸太以外にも話は及んだので、詳しくは第25回打合せ: 追記(※) の工事監理打合せ記録にて。
丸太を詰めることに関しては、豊田さんは模型上でしか見ておられないのだが、割とこれなら条件満たした上で空間も維持できるのではないか?と乗り気な感じ。ところが私は模型で見ると模型の丸太が若干膨張した感じに見えてしまうせいもあるのだが、急に3本手狭に並んだ様が窮屈な感じに見えてしまい、再び迷妄の闇へと落ちて行ってしまった。
打合せ後、母・wtct・私で日暮里のダージリン で菠薐草カレーを食べながら、丸太について話す。その話し合いについては追記にて。
wtct 氏は手前に来るピアノの存在をかなり強く意識しつつ、3本で良いのでは?という意見。ピアノの後ろに3本丸太が延びてる感じが面白いとか言ってたっけかな? それと打合せ中、あくまで野次とした上で、3本を線上に並べず囲むようにしたら子供は喜ぶんじゃない?と言って実際に模型で試してみると不思議とそこが林のような雰囲気になった。
母は昨夜、妹が2本だと橋みたいになると言ったことが引っ掛かりだし、ピアノ後ろの往来がしづらくなることを踏まえると2本でもいいのかもしれないという風に思い始めたようだ(ただし、母はこういうときに自分の意見という形でそういうことは決して言わない)。
私は3本を詰める案に異論はないが、その詰め方次第だなと考え始めていた。ただ、あの模型での窮屈な感じが3本にこだわる自分を問い詰める。なぜ私は3本にこだわるのか? 前夜の電話で豊田さんにも今日の矢原さんと同じように華燈窓、書院、丸太といった持ち込み組の訴える要素が強すぎないか?と言われたとき、作品や華燈窓は金猊爺さんのインテリ魂が詰まったものだが、丸太はさだゑ婆さんの故郷(諏訪)の山から切り出してきたものであり、見ての通り、野性的で祖父の知性的なものとはまたちょっと別の次元の象徴なのだと話した。それを詭弁として話したつもりは毛頭ないが、もしかすると自分の深層にそうした丸太を使い残してしまってはしのびない(勿体ない)といったケチ根性が宿っていたりするのかもしれないな?と、ふと、思ってみたりもする。
それと現場で丸太を立ち上げるときに実は右手の親指に棘が刺さってしまったのだが、それが祖父の2本にしとけ!という忠告なのではないか?と弱気な勘ぐりが始まったりもしている。
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前夜、丸太2本か3本かの家族内討議中、母が3本目の丸太位置によって部屋の奥行き感が損なわれるのなら、3本を詰めて置いてしまったらどうなの?と言い出し、なるほど詰めて置くと丸太の間を人は通りづらくなるがそもそもグランドピアノの設置する向き自体がすでにしてその周囲を通りにくくしてるので、であればそこは通らないという前提のもと、一つの案として考えてみてもいいのではないか?という話になっていった。そこで帰阪前に現場に立ち寄り、丸太を3本寄せて設置した状態を視認させてもらうことにした。
なお、当日は新宿で行われているK氏の写真作品展示を wtct 氏と観に行く予定にしていたので、観賞後、同氏も現場に誘い、また母も後から現場で落ち合うことになった。
で、丸太の検証作業が現場で行われたのだが、その後、初音すまい研究所でミニ打合せが開かれ、丸太以外の件でも幾つか話し合われたので、ここではひとまずその打合せ記録を追記。丸太に関しては別稿にて。
−現場、初音すまい研究所
−15:30〜18:00
−豊田さん、矢原さん、母、私(+ゲスト:wtct)
−ドアホンカタログコピー、打合せ記録
□◇
初音すまい研究所@工事監理打合せ記録より
■
応接室 :照明について
昨日の打合せではピアノ上のダウンライトを中止し、ライティングレールに変更したが、やはりダウンライトが欲しいとのご要望をいただきました。
ライティングレールを残したまま、ダウンライトを2灯追加する事にします(位置はピアノ鍵盤の上)。
丸太列柱3本のうち、中央を除いた2本に家具用コンセントを埋め込んでおき、工事後、スポットライトを取り付けられるようにしたい。
スイッチはコンセント2ヶ所に対して1台とし、調光機を設けるという要望をいただきました。
■建具について
応接室と階段室の間の戸幅(現状665mm)では、家具が入らないかもしれないとのご心配を伺いました。
通らないものは最悪2Fの窓から吊り込む事とし、応接室と階段室の間の戸幅は現状のまま工事を進めさせていただく事をご了承いただきました。
3F廊下-3 と洗面脱衣所の間の戸位置は、洗面脱衣所に置く家具を想定した上で、現状のまま工事を進めさせていただく事をご了承いただきました。
■仕上げについて
応接室東側壁面は、塗らないで仕上げる事をご了承いただきました。
応接室丸太列柱は、本日中に決定する事をご確認いただきました。
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2004年05月11日 (火)
取り急ぎこの写真の丸太の列柱に関して、2本と3本どっちがいいと思うかのご意見募集します。2、3日のうちにどちらかの本数に決定しなければなりません。細かい諸条件に関してはコメントレスや追記などで追々書き足して行きますが、とりあえずはパッと見どう感じるかっていう至って直感的な一行メントで構いませんので、聞かせていただけると助かります。
また、こうした列柱をイメージするにあたって参照項となるような建築物をご存知でしたら、それもお知らせいただけると大変助かります。
関連エントリー:
・古材搬出
・第23回打合せ: 丸太列柱
・第25回打合せ: 丸太再検証
□◇
条件(1)
丸太の後ろの壁の色味がまだ確定していません(材質は杉板甲板を張ることで確定)。
一応、2案出ていて模型のように木に墨のようなものを塗って黒っぽくするか、あるいは木地をそのまま見せて経年変化で茶色掛かって行くのを待つか。
また、前者で行く場合には写真右手の華燈窓を設置する壁や階段床材を同一色にしない(重たくなるため)という考え方も出ています。
条件(2)
丸太の手前にはワインレッド色のグランドピアノが置かれ、華燈窓設置壁側にはアップライトのピアノが置かれます。そのため、実質的には小階段の側面はほとんど見えません。
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2004年02月15日 (日)
NHKの新日曜美術館で熊谷守一(※1) の特集をやっていたのだが、「ヤキバノカエリ」という云わば彼の転機となった作品(熊谷スタイルとでもいうべきものが築かれた)を見ていて、ふと、このサイトと色調が似てるなと思った。ま、あくまで偶然ではあるが、下の comments (0) ってとこをクリックすればフォームの入力欄は白である(笑)
ま、肝心の境界線の赤はないのだけれど。。そういえば我が家の壁にほとんど壁と同化しかけた感じで貼ってあるブラックのポスター(※2) にいるブラックお得意の鳥が白いのだが、遺骨の白と同じように見えてしまう。そうやって改めて見返すと、あの鳥と遺骨はいったいどっちが生きててどっちが死んでいるんだろう? 見れば見るほど頭が混乱してきてしまった。
有楽町線で池袋の一つ先の要町という駅に熊谷作品のサイズにふさわしい大きさの熊谷守一美術館 があるので、もう一度見ておいてもいいかもしれない。
なお、現在『熊谷守一展──超俗の画人、いのちのかたち』が名古屋、京都、大阪、静岡と巡回中(東京、やらないのね)で先月、名古屋に行った折にJR名古屋高島屋で母と見てしまったのだが、疲弊しきった状態で見ているので、3/31〜4/12の大阪展(なんば高島屋)を見逃さないようにせねば!である。
□◇
※1)熊谷守一(くまがいもりかず)[1880-1977]
主作品のほとんどが60歳を過ぎてから描かれているという、それを思えばうちの爺さんももっと長生きすれば(69歳没)可能性がなかったわけではなかったのかも?とも思いたくなるが、そこはまあ、仙人といわれる熊谷守一だからこその話だろう。だって彼はその頃から池袋の15坪の庭のある自邸(現・熊谷守一美術館)にほとんど外出することもなく引き籠もっていたというのだから。だが、その庭での散歩を日々の楽しみとする熊谷がそこに無限の宇宙を見ていたことはその遺された作品からも容易に見て取れる。彼の詳しい画歴等は下記美術館の略歴紹介に任せ、ここでは彼が95歳のときに自宅でNHKの『スタジオ102 95歳の熊谷守一画伯』という番組に出たときのコメントを一部抜粋しておく。
⇒熊谷守一記念館 (岐阜・付知町)
⇒熊谷守一美術館 (東京・要町)
NHK総合テレビ、1975年3月25日放送
「絵なんていうのはねえ、そら何にも変わらない。白ほどきれいなものないですからねえ。けども人間というものは情けないもんで、絵を描いて遊ぼうというですねえ。白いのはねえ、何がきれいだっていわれたってねえ、キャンバスだってそれ以上はよくできないですわねえ。嫌ならよしてしまえばいいんだけども、それは人っていうのは情けない存在がねえ‥‥。もっといいことあればねえ、そんなことしやしません。」
※2)ブラックのポスター
アトリエ VI 1950-51年
カンヴァス、油彩 130×162.5cm
サン−ポール−ド−ヴァンス、マーグ財団蔵
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2004年02月03日 (火)
節分の豆撒きに出掛けていたアランさん(※1) の帰りを待って、17時過ぎにアトリエを訪問。
アランさんの展示スペースを兼ねたアトリエが、うちよりも一回り大きいくらいなこと、また彼が日本画家であることなどから照明のことを中心にいろいろ伺った。アランさんのアトリエは元々自動車整備工場だったところを改装して作られているせいで、当然工場の趣を残しているが、もう何年も前から倉庫や工場跡を展示空間にした企画など当たり前になっているので、父でさえそうした空間に違和感はない。ただ、アランさんご本人が雨漏りが多くて困るとは漏らされていたが。。
床には畳地の茣蓙が畳状に敷いてあり、一見すると柔道場のようでもある。去年の art-Link のときのイベントで舞踊の先生に踊ってもらうということで敷いたらしいのだが、それ以降、その畳地の暖かさが気に入ってしまって外す気がなくなってしまったのだという。畳を敷いていると不思議と人を招きやすくなるんだとか。それと訪れる人の滞在時間が自ずと延びるらしい。うちもギャラリースペースを靴脱ぎにするかしないかで一時意見が分かれたが、とりあえず靴脱ぎで始めるという考えは間違っていないと思う。チャレンジする価値だけでもある。
照明に関しては工場の名残で付いてるらしき蛍光灯は一切使わず、ほとんどスポットの光だけで屏風や軸を照らされている。本当はUVカットのものを使った方がいいんだけどと言われながら、そうではない小ぶりのスポットを複数使って光を散らされていた。スポットを付けるためのレールの位置が案外難しいとのこと。屏風が大きいからといって離れたところに付けても、人が絵に近寄って見ようとしたときに影が出来てしまう。ただ、基本的に屏風はどんなところであれ、大抵はその場所に馴染んでしまうんだとか、、もともと屏風は室内に立てて風を避けたり、パーテション的役割を果たしていた建具の延長上のものなのである。しかし、その代わりと言ってはなんだが、掛け軸の飾る場所というのが難しいんだとか。元々は床の間に掛けられるものとしてあった訳だが、それを西洋的な展示壁に設置しようとするとどうしても違和感が残る。また、そばを人が通ると風で捲り上がりやすくなるという欠点もある。そういう意味で結局、柱と柱の間とか、どことなく床の間的空間に置くのが一番すっきりするというのが現時点での結論らしい。確かにうちでも軸の設置位置には難儀しそうだ。思えば三鷹市美術ギャラリーやトウキョウ・マリンギャラリーでの展示時にも自ずと軸はコの字型に囲われたところに展示していた。
照明に話を戻すと、アランさんはいつも秋葉原と上野広小路の間あたりの光東電気(※2) という特殊電球店でスポットを購入されてるとのこと。このお店はスポットの照り具合とかいろいろ確認させてくれて非常に親切に店員が対応してくれるんだとか。また、値段もお安いとのこと。
そういえば日本画の顔料である岩絵具は良いモノを使っていると変質しにくく(昔のものなら大抵良いモノが使われている)、そういう意味では絹本や紙本に地の塗り残しを多く取っている作品は逆にその岩絵具の載ってないところが傷みやすいんだとか。言われてみれば、確かに先月愛知の今枝邸から出て来た芥子の作品の傷んでる部分はまさしくその地の部分であった。
□◇
※1)アラン・ウェスト ALLAN WEST[1962- ]
アランさんは谷中の我々の敷地から路地を少し入ったところにアトリエ兼画廊を構える日本画家。
土地購入を決めて周囲をほっつき回っていた頃から気になっていた場所で、去年の art-Link のときに一度お邪魔させてもらっている。
そのときは挨拶程度だったが、今回お会いしてみても日本人以上に物腰がやわらかく相手のことを嫌味なく気遣う気さくな人柄は変わらなかった。奥さんが日本人で奥さんの言葉遣いがそのまま移っているらしく、ちょっとオカマっぽい喋り方になってるんだとか(笑)
今後、家族ぐるみでお付き合いすることになりそうだ。美術に疎い父ですら気を許してる感じだった。
本人の略歴等はオフィシャルサイト で確認してもらった方が早いだろう。
※2)特殊電球 光東電気株式会社
お店のサイトはないみたいだが、安くて親切といったコメントの書かれたサイトは検出された。
東京都千代田区外神田4-5-1 Tel: 03-3255-3741 日曜定休
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2004年01月17日 (土)
2日ほど前に稲沢の森家(※1) の奥さんから、我々が見たことない金猊作品を一宮の今枝家(※2) から譲り受けたという驚きの連絡を受け、急遽、母と訪名する。
去年、八恵さん(※3) の四十九日の法要のときに今枝さんと森さんの間で金猊の話題が出て、金猊作品を数点持っているという今枝さんの話を聞いた森さんが今枝さんに譲ってほしいとお願いし、快諾されたらしい。我々は今枝さんのことは金猊の姉が今枝のところに嫁いでいるということを知っている程度で、その末裔のことまではまったく把握していなかった。だから、まさか今枝家に5点もの金猊作品が眠っていようとは考えもしなかったのである。
一方、森家とは2001年3月に亡くなられた哲夫さんと面識があったことから、母が年始の挨拶などで付き合いを続けていたし、私共夫婦も哲夫さんの葬儀には出席している。今回、母に連絡をくれたのは哲夫さんの奥様の洋子さんで、彼女からの連絡主旨は今枝のところから金猊作品を譲ってもらったことの報告と、一点、かなり傷んだ作品があるがそれをどうすべきかの相談であった。その傷んだ作品に関しては後述する。
洋子さんとしては丸井一族の大体の家が皆何某か金猊作品を所持しているのに、森家にだけそれがないということが幾ばくかの疑問として残っていて、それがそんな大袈裟に言うほどのものでもないけどちょっとした嫉妬(不満)みたいなものに結びついていたらしい。とりあえずそれに関しては我々にも当時のことがわからないので何とも返答のしようがなかったが、おそらく金猊が一族に作品を渡していたのは恣意的なものというよりは、単にそのとき世話になったとかそういった偶発的なものだったのでは?と推察できる。それがたまたま森家のところには渡す機会がなかったというだけの話だ。反対に今枝のところにたくさん残っていたのは、当時今枝家が一宮といえば有名な毛織物工場で一財産築いており、おそらく何某かの支援を金猊が仰いでいたことも想像に難くない。
ただ、森さんの中ではなぜうちだけ?という家同士の体面上のところで作品所有の所在が求められており、それが今回今枝さんに作品譲渡を申し込まれた直接動機となったという推測はあながち外れたものでもあるまい。しかし、そもそも今回の話は森さんが我々にこうした連絡を取ってくれなければそれら作品群が残っていたことすらわかり得なかったのだから、まずは何よりも森さんに大感謝である。
さて、東京から来る母とは稲沢の駅で朝9時半に待ち合わせ、駅まで迎えに来てくれた洋子さんの車で小雪の降る中、森家へと向かった。
挨拶もそこそこ絵の検分に入ったのだが、ここでは作品を見た順とは逆の順番で作品について触れることにする。
■霜晨 (そうしん)
この作品のタイトルがすぐにわかったのは、祖父の遺品に自作を単色刷のポストカードにしたものが幾つか残っていて、そのポストカード(右の画像左側)にしっかり作品タイトルまでが記されていたからである。しかし、見てすぐわかりはしたものの、その色づかいというか配色はおよそポストカードからは想像できないものであった。いや、鶏頭の花(※4) だとわかっていたのだからおおよその配色は想定できててもよかったはずなのだが、金猊作品でこれだけグレーを大胆に取り入れた作品というのは他になく、初見して度肝を抜かれてしまったのである。
洋子さんは今枝家から金猊作品を譲り受けるにあたって、さすがに譲ってもらう遠慮心から一番地味な作品を選びましたと言われていたが、それは見た目の色合いの話であって、今回出て来た作品の中ではこの作品が図抜けて研究価値の高いものであったことは間違いない。なお、冬枯れした鶏頭で季節的にもちょうどよくお正月には床の間に飾っていたらしい。一宮の由緒ある表具屋でかなりお金を掛けて軸装されたらしく、保管の面では問題なさそうだ。ただ、もう少しゆっくり時間を掛けて、できれば一人で作品と向かい合いたかったというのが正直なところである。
■芥子花圖 (仮題)
この作品が問題の傷みがかなり出てしまった作品。右の画像 をクリック拡大して見てもらうとわかりやすいかと思うが、画面向かって右上の方に完全に染みが浮き出てしまっており、また、画面右半分は花びら部分の絵の具が赤も白も共にほとんど落ちてしまっている。他に気になるのはX地で絹本に刻まれた網目模様といったところか。それは画面中央下側あたりがもっとも目立った状態で浮き上がっている。
なお、この作品のタイトルを『芥子花圖』としたのは、これとたいへんよく似た作品(というより画面中央の部分のみ描いたと言いたくなるような)が一点我が家に所蔵されており(※5) 、そのタイトルが『芥子花圖』だということはわかっていたので、それと同じ題で仮表記することとした。
この作品は今回見つかった作品のうちでもとりわけ描写力の確かさ(特に線の強さ)を確認すさせられる作品である。それは花の色が落ちてしまったことで尚更わかりやすく露見してしまった。洋子さんはこの作品を右半分切って左半分を軸装してはどうかと考えていたらしいが、それにはストップを掛け、こちらでも表具屋と相談させてほしいと願い出させてもらった。こうした場合、絵に求めているものがまるで異なるのだから、なかなか難しいところである。ただ、正直この作品は未表装の状態なので(つまり何らかのお金を掛けてしまった後ではない)、願わくばこちらで引き取ることはできないか?と折を見て相談してみるつもりである。
それにしてもこの作品である種決め手となっているのは、まさしく花を支える役割を果たしているグリッド状の竹の支柱ではないか? それが花だけでなく、余白を含めた画面全体を引き締めている。「井」の字の囲まれた中には何も描き込まれていない。
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※1)森家
金猊の一番上の姉・森よね[1897-1968]の長男が哲夫さん[2001年3月没]でその奥様が洋子さん。
愛知県は稲沢市の子生和(こうわ)に大きなお屋敷を建ててお住まい。
※2)今枝家
金猊の三番目の姉・今枝ゆう[1901-1973]の長男が定也さんでその奥様が正子さん。
愛知県は一宮市、今伊勢町(いまいせちょう)にお住まい。敷地にはかつて栄華を誇っていたであろう大きな工場も残っているが、近年取り壊し予定なんだとか。できればそのときにはお伺いしてお手伝いの一つでもしたいものである。
※3)佐藤八恵(さとうやえ)[1915-2003]
金猊の一つ下(四女)の妹。晩年は次男の勝彦氏とともに愛知県は江南に住まわれる。
波乱の人生だったが、詩・俳句をこよなく愛し、私がもっとも親しく思っていた金猊の兄妹である(ま、ほかの兄弟とは付き合う機会がなかったとも言えるが)。
晩年、体を悪くされて入退院を繰り返すようになってから、勝彦氏の勧めで自分史を書き始められ、総ページ数185頁というその厚みを遙かに越えた濃厚な内容の自分史『思い出──悲喜越えて今倖せに千草咲く』を無事書き終えられている。勝彦さんが製本され、亡くなられてしばらくしてから近しい一族に配られた。
筆致はいたって冷静な客観描写で、それと並行させながら詩・俳句を読み進めると猶のこと面白い。兄弟や身内が亡くなると献花ならぬ献詩を送られていて、金猊への献詩「四角四面」は「丸井金猊とその周辺の人たち」展のチラシに全文掲載させていただいた。
勝彦氏のワープロ・データ損傷が惜しまれる限りだが、いずれ再度デジタルデータ化させねばなるまい。
※4)鶏頭(ケイトウ)
ひゆ科の一年生植物。夏・秋にニワトリのとさかに似た赤い花が咲く。
英語でも cocks-comb(鶏のとさか)らしい。
※5)芥子花圖(けしはな-ず)
絹本/軸 45.5×51.8cm 三鷹市/個人蔵
(現在江東区の美術倉庫・カトーレック で保管中)
この作品は三鷹金猊居の蔵の前の廊下にあった絵の具箪笥の薄い引き出しに無造作にくるっと丸まった状態で入っていた。1996年に見つけ、翌年、飛高堂に表装を委託。制作年は不詳だが、1930年代前半、学生時代の頃のものではないかと思われる。落款がないので、場合によっては未完成かもしれない。
タイトルは作品を包装した半紙に書かれていた。見ての通りの芥子の花の絵な訳だが、母の話によると昔、我が家では写生用に芥子の花を栽培していて、警察に注意を受けたことがあったということを金猊に聞かされたとか。今だったらば逮捕沙汰の話である。
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