2004年05月26日 (水)

天然石&ピンコロ@ADVAN

前日の打合せで豊田さんから提示された床材を確認するため、母と原宿表参道のアドヴァン(ADVAN)へ行く。1F応接室の床材としてダントー傘下 dee plus 社VENIS/GERMANIA(VNS-401)のタイルで希望を固めて以降、工費的にもなるべく同じ業者のもので揃えた方がいいのだろうと考えて他社製品をそれほど見に行っていなかったので、アドヴァンは久し振り(原宿のは私は初めて)。

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2004年05月25日 (火)

第26回打合せ

仕事の都合で打合せ当日、直接大阪から出向く。
義父製作把手(約10kg)をキャリーカートで転がし、背中には PowerBook15'。
一度谷中墓地内交番脇のトイレに入るため、すべての荷を下ろしたら悟空やクリリンが修行中に亀の甲羅を外したときのように体が身軽になった気がした。

到着後、さっそく開封。
把手を取り出すと予想通り感嘆の声があがり、外にあるのが勿体ないとか、芸大の学生に盗まれないか心配といった風に、やはり把手としてこれ以上贅沢なモノはもうないだろうくらいの反応だった。

主な打合せ内容については追記の打合せ記録にて。現場見学は別稿にて。

−初音すまい研究所、現場、珍珍亭
−14:00〜21:30〜23:00
−山本さん、豊田さん、矢原さん、母、私
−タイル&石サンプル、ハンドルレバー&照明関係資料、打合せ記録
=ケヤキ把手

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2004年05月18日 (火)

1F照明: ウォールウォッシャ

ウォールウォッシャ数日前から検討の重ねられてきた1Fギャラリーの屏風を展示する壁面用の照明が大方固まった。
壁面全体を照射できるという利点によりある時点からウォールウォッシャ(※1)という照明器具に美博用蛍光灯を取り付けるという方向に的を絞って検討は続けられてきたのだが、破損係数・色温度・照度分布・調光機能・イニシャルコスト・ランニングコストといったレベルの話をこちらの都合よく満たしてくれる商品というのはなかなかないもので。。
ただ、このウォールウォッシャという考え方自体が初音すまい研究所でヤマギワの担当者と話し合ってる中で出て来たものだったせいか、そこでは松下電工製を使うという考えが抜けていて、私がそれを指摘してから話は急速に収斂して行ったのである。

要はヤマギワのが高くて(¥47,250-)松下電工は安かった(¥37,000-)のだ。
ま、相談に乗ってくれたヤマギワの担当者さんにはヒントだけもらった感じになってしまって、申し訳なかったけど。。

で、調光機能を付けるためにはどちらにせよ改造費が必要になってくるのだが、屏風側壁面に関しては万一明るすぎたときに照度を落とすのに有効というだけで、日々調節するようなことはないだろうということで付けないことにした。加えて後日矢原さんから照度分布を見ると当初の予定の3灯を付けなくても2灯で充分という話で、であればなおさら明るすぎることを心配する必要もなくなり、予算的にも最小限で抑えることができた。

−松下電工「ウォールウォッシャ」シリーズ
FHF32形×2 FSA42731(高出力型 PH9 ¥37,000-)

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2004年05月12日 (水)

第25回打合せ: 丸太再検証

第25回打合せ(※) の2段落目以降から話は続く。

で、日暮里で下車して、ひとまず初音すまい研究所へ。前夜の電話で豊田さんが不在の場合は矢原さんと現場へという話だったので、その通り、矢原さんと現場へ向かうことになった。
現場に到着したのは15:30。現場には1Fに3人、2〜3Fにも5、6人は職人さんが入っていて、忙しなく仕事に打ち込まれていた。そんな中で丸太を立てて検証するというのはちょっとお邪魔感もあり、ひとまず工事現場初訪問(工事前の空き地状態のときには一度来ているが)の wtct 氏を屋上まで各階案内。母の到着を待って丸太の検証に入った。
ところが、3本寄せて設置しようとすると天井配管が邪魔になって、どうしても3本目が望むべき位置にそれを配することができない。というわけで、写真のように大変中途半端な設置状態での列柱確認となってしまったわけだが、とりあえずその状態で見る限りは重々しすぎる印象も窮屈な印象も受けないんだよね。ただ、3本目の丸太が一番太いので、この2本の詰まった感じと同じように3本目を見られないような気もする。微妙に難しいところだ。
矢原さんに意見を求めると、少しギャラリーに様々な要素が多すぎることから2本くらいに抑えておいた方がいいのでは?とのこと。ピアノがなければ3本を前間隔で置いてもいいかもしれないがと言われていた。

検証後、再び初音すまい研究所に戻ると豊田さんも戻って来られていて、wtct 氏も交えて急遽ミニ打合せが行われることになった。何だかんだ丸太以外にも話は及んだので、詳しくは第25回打合せ: 追記(※) の工事監理打合せ記録にて。

丸太を詰めることに関しては、豊田さんは模型上でしか見ておられないのだが、割とこれなら条件満たした上で空間も維持できるのではないか?と乗り気な感じ。ところが私は模型で見ると模型の丸太が若干膨張した感じに見えてしまうせいもあるのだが、急に3本手狭に並んだ様が窮屈な感じに見えてしまい、再び迷妄の闇へと落ちて行ってしまった。

打合せ後、母・wtct・私で日暮里のダージリンで菠薐草カレーを食べながら、丸太について話す。その話し合いについては追記にて。

by m-louis : 19:05 | comments (0) | trackbacks (0)

第25回打合せ

前夜、丸太2本か3本かの家族内討議中、母が3本目の丸太位置によって部屋の奥行き感が損なわれるのなら、3本を詰めて置いてしまったらどうなの?と言い出し、なるほど詰めて置くと丸太の間を人は通りづらくなるがそもそもグランドピアノの設置する向き自体がすでにしてその周囲を通りにくくしてるので、であればそこは通らないという前提のもと、一つの案として考えてみてもいいのではないか?という話になっていった。そこで帰阪前に現場に立ち寄り、丸太を3本寄せて設置した状態を視認させてもらうことにした。

なお、当日は新宿で行われているK氏の写真作品展示を wtct 氏と観に行く予定にしていたので、観賞後、同氏も現場に誘い、また母も後から現場で落ち合うことになった。

で、丸太の検証作業が現場で行われたのだが、その後、初音すまい研究所でミニ打合せが開かれ、丸太以外の件でも幾つか話し合われたので、ここではひとまずその打合せ記録を追記。丸太に関しては別稿にて。

−現場、初音すまい研究所
−15:30〜18:00
−豊田さん、矢原さん、母、私(+ゲスト:wtct)
−ドアホンカタログコピー、打合せ記録

by m-louis : 15:54 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年05月11日 (火)

丸太列柱コメント求ム!

−クリックすると大きな画像で見られます−

取り急ぎこの写真の丸太の列柱に関して、2本と3本どっちがいいと思うかのご意見募集します。2、3日のうちにどちらかの本数に決定しなければなりません。細かい諸条件に関してはコメントレスや追記などで追々書き足して行きますが、とりあえずはパッと見どう感じるかっていう至って直感的な一行メントで構いませんので、聞かせていただけると助かります。
また、こうした列柱をイメージするにあたって参照項となるような建築物をご存知でしたら、それもお知らせいただけると大変助かります。

関連エントリー:
古材搬出
第23回打合せ: 丸太列柱
第25回打合せ: 丸太再検証

by m-louis : 17:04 | comments (4) | trackbacks (0)

2004年02月15日 (日)

ヤキバノカエリ

040215_kumagai.jpgNHKの新日曜美術館で熊谷守一(※1)の特集をやっていたのだが、「ヤキバノカエリ」という云わば彼の転機となった作品(熊谷スタイルとでもいうべきものが築かれた)を見ていて、ふと、このサイトと色調が似てるなと思った。ま、あくまで偶然ではあるが、下の comments (0) ってとこをクリックすればフォームの入力欄は白である(笑)
ま、肝心の境界線の赤はないのだけれど。。そういえば我が家の壁にほとんど壁と同化しかけた感じで貼ってあるブラックのポスター(※2)にいるブラックお得意の鳥が白いのだが、遺骨の白と同じように見えてしまう。そうやって改めて見返すと、あの鳥と遺骨はいったいどっちが生きててどっちが死んでいるんだろう? 見れば見るほど頭が混乱してきてしまった。

有楽町線で池袋の一つ先の要町という駅に熊谷作品のサイズにふさわしい大きさの熊谷守一美術館があるので、もう一度見ておいてもいいかもしれない。
なお、現在『熊谷守一展──超俗の画人、いのちのかたち』が名古屋、京都、大阪、静岡と巡回中(東京、やらないのね)で先月、名古屋に行った折にJR名古屋高島屋で母と見てしまったのだが、疲弊しきった状態で見ているので、3/31〜4/12の大阪展(なんば高島屋)を見逃さないようにせねば!である。

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2004年02月03日 (火)

アランさんのアトリエ訪問

030119_allan.jpg節分の豆撒きに出掛けていたアランさん(※1)の帰りを待って、17時過ぎにアトリエを訪問。
アランさんの展示スペースを兼ねたアトリエが、うちよりも一回り大きいくらいなこと、また彼が日本画家であることなどから照明のことを中心にいろいろ伺った。アランさんのアトリエは元々自動車整備工場だったところを改装して作られているせいで、当然工場の趣を残しているが、もう何年も前から倉庫や工場跡を展示空間にした企画など当たり前になっているので、父でさえそうした空間に違和感はない。ただ、アランさんご本人が雨漏りが多くて困るとは漏らされていたが。。

床には畳地の茣蓙が畳状に敷いてあり、一見すると柔道場のようでもある。去年の art-Link のときのイベントで舞踊の先生に踊ってもらうということで敷いたらしいのだが、それ以降、その畳地の暖かさが気に入ってしまって外す気がなくなってしまったのだという。畳を敷いていると不思議と人を招きやすくなるんだとか。それと訪れる人の滞在時間が自ずと延びるらしい。うちもギャラリースペースを靴脱ぎにするかしないかで一時意見が分かれたが、とりあえず靴脱ぎで始めるという考えは間違っていないと思う。チャレンジする価値だけでもある。

照明に関しては工場の名残で付いてるらしき蛍光灯は一切使わず、ほとんどスポットの光だけで屏風や軸を照らされている。本当はUVカットのものを使った方がいいんだけどと言われながら、そうではない小ぶりのスポットを複数使って光を散らされていた。スポットを付けるためのレールの位置が案外難しいとのこと。屏風が大きいからといって離れたところに付けても、人が絵に近寄って見ようとしたときに影が出来てしまう。ただ、基本的に屏風はどんなところであれ、大抵はその場所に馴染んでしまうんだとか、、もともと屏風は室内に立てて風を避けたり、パーテション的役割を果たしていた建具の延長上のものなのである。しかし、その代わりと言ってはなんだが、掛け軸の飾る場所というのが難しいんだとか。元々は床の間に掛けられるものとしてあった訳だが、それを西洋的な展示壁に設置しようとするとどうしても違和感が残る。また、そばを人が通ると風で捲り上がりやすくなるという欠点もある。そういう意味で結局、柱と柱の間とか、どことなく床の間的空間に置くのが一番すっきりするというのが現時点での結論らしい。確かにうちでも軸の設置位置には難儀しそうだ。思えば三鷹市美術ギャラリーやトウキョウ・マリンギャラリーでの展示時にも自ずと軸はコの字型に囲われたところに展示していた。

照明に話を戻すと、アランさんはいつも秋葉原と上野広小路の間あたりの光東電気(※2)という特殊電球店でスポットを購入されてるとのこと。このお店はスポットの照り具合とかいろいろ確認させてくれて非常に親切に店員が対応してくれるんだとか。また、値段もお安いとのこと。

そういえば日本画の顔料である岩絵具は良いモノを使っていると変質しにくく(昔のものなら大抵良いモノが使われている)、そういう意味では絹本や紙本に地の塗り残しを多く取っている作品は逆にその岩絵具の載ってないところが傷みやすいんだとか。言われてみれば、確かに先月愛知の今枝邸から出て来た芥子の作品の傷んでる部分はまさしくその地の部分であった。

2004年01月17日 (土)

新・金猊作品(稲沢・森邸)

2日ほど前に稲沢の森家(※1)の奥さんから、我々が見たことない金猊作品を一宮の今枝家(※2)から譲り受けたという驚きの連絡を受け、急遽、母と訪名する。

去年、八恵さん(※3)の四十九日の法要のときに今枝さんと森さんの間で金猊の話題が出て、金猊作品を数点持っているという今枝さんの話を聞いた森さんが今枝さんに譲ってほしいとお願いし、快諾されたらしい。我々は今枝さんのことは金猊の姉が今枝のところに嫁いでいるということを知っている程度で、その末裔のことまではまったく把握していなかった。だから、まさか今枝家に5点もの金猊作品が眠っていようとは考えもしなかったのである。

一方、森家とは2001年3月に亡くなられた哲夫さんと面識があったことから、母が年始の挨拶などで付き合いを続けていたし、私共夫婦も哲夫さんの葬儀には出席している。今回、母に連絡をくれたのは哲夫さんの奥様の洋子さんで、彼女からの連絡主旨は今枝のところから金猊作品を譲ってもらったことの報告と、一点、かなり傷んだ作品があるがそれをどうすべきかの相談であった。その傷んだ作品に関しては後述する。

洋子さんとしては丸井一族の大体の家が皆何某か金猊作品を所持しているのに、森家にだけそれがないということが幾ばくかの疑問として残っていて、それがそんな大袈裟に言うほどのものでもないけどちょっとした嫉妬(不満)みたいなものに結びついていたらしい。とりあえずそれに関しては我々にも当時のことがわからないので何とも返答のしようがなかったが、おそらく金猊が一族に作品を渡していたのは恣意的なものというよりは、単にそのとき世話になったとかそういった偶発的なものだったのでは?と推察できる。それがたまたま森家のところには渡す機会がなかったというだけの話だ。反対に今枝のところにたくさん残っていたのは、当時今枝家が一宮といえば有名な毛織物工場で一財産築いており、おそらく何某かの支援を金猊が仰いでいたことも想像に難くない。
ただ、森さんの中ではなぜうちだけ?という家同士の体面上のところで作品所有の所在が求められており、それが今回今枝さんに作品譲渡を申し込まれた直接動機となったという推測はあながち外れたものでもあるまい。しかし、そもそも今回の話は森さんが我々にこうした連絡を取ってくれなければそれら作品群が残っていたことすらわかり得なかったのだから、まずは何よりも森さんに大感謝である。

さて、東京から来る母とは稲沢の駅で朝9時半に待ち合わせ、駅まで迎えに来てくれた洋子さんの車で小雪の降る中、森家へと向かった。
挨拶もそこそこ絵の検分に入ったのだが、ここでは作品を見た順とは逆の順番で作品について触れることにする。

霜晨(そうしん)
この作品のタイトルがすぐにわかったのは、祖父の遺品に自作を単色刷のポストカードにしたものが幾つか残っていて、そのポストカード(右の画像左側)にしっかり作品タイトルまでが記されていたからである。しかし、見てすぐわかりはしたものの、その色づかいというか配色はおよそポストカードからは想像できないものであった。いや、鶏頭の花(※4)だとわかっていたのだからおおよその配色は想定できててもよかったはずなのだが、金猊作品でこれだけグレーを大胆に取り入れた作品というのは他になく、初見して度肝を抜かれてしまったのである。
洋子さんは今枝家から金猊作品を譲り受けるにあたって、さすがに譲ってもらう遠慮心から一番地味な作品を選びましたと言われていたが、それは見た目の色合いの話であって、今回出て来た作品の中ではこの作品が図抜けて研究価値の高いものであったことは間違いない。なお、冬枯れした鶏頭で季節的にもちょうどよくお正月には床の間に飾っていたらしい。一宮の由緒ある表具屋でかなりお金を掛けて軸装されたらしく、保管の面では問題なさそうだ。ただ、もう少しゆっくり時間を掛けて、できれば一人で作品と向かい合いたかったというのが正直なところである。

芥子花圖(仮題)
この作品が問題の傷みがかなり出てしまった作品。右の画像をクリック拡大して見てもらうとわかりやすいかと思うが、画面向かって右上の方に完全に染みが浮き出てしまっており、また、画面右半分は花びら部分の絵の具が赤も白も共にほとんど落ちてしまっている。他に気になるのはX地で絹本に刻まれた網目模様といったところか。それは画面中央下側あたりがもっとも目立った状態で浮き上がっている。
なお、この作品のタイトルを『芥子花圖』としたのは、これとたいへんよく似た作品(というより画面中央の部分のみ描いたと言いたくなるような)が一点我が家に所蔵されており(※5)、そのタイトルが『芥子花圖』だということはわかっていたので、それと同じ題で仮表記することとした。
この作品は今回見つかった作品のうちでもとりわけ描写力の確かさ(特に線の強さ)を確認すさせられる作品である。それは花の色が落ちてしまったことで尚更わかりやすく露見してしまった。洋子さんはこの作品を右半分切って左半分を軸装してはどうかと考えていたらしいが、それにはストップを掛け、こちらでも表具屋と相談させてほしいと願い出させてもらった。こうした場合、絵に求めているものがまるで異なるのだから、なかなか難しいところである。ただ、正直この作品は未表装の状態なので(つまり何らかのお金を掛けてしまった後ではない)、願わくばこちらで引き取ることはできないか?と折を見て相談してみるつもりである。
それにしてもこの作品である種決め手となっているのは、まさしく花を支える役割を果たしているグリッド状の竹の支柱ではないか? それが花だけでなく、余白を含めた画面全体を引き締めている。「井」の字の囲まれた中には何も描き込まれていない。

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