2007年03月31日 (土)

アクセス検索ワード2007.03

Gunkan Apartment, OsakaGunkan Apartment, Osaka

おそらく今頃更地と化したであろう軍艦アパートが先月に続き、高いアクセス数を堅持しているので、今月も軍艦アパートからの写真をピックアップしておこう。他、川端で知られる滋賀県は新旭町の針江区と千駄木のファーブル昆虫館がどちらもエントリーからはだいぶ経つのにランクインしてきた。

2007年03月29日 (木)

わての住宅建築占い

インフルエンザ(A・B両方併発のレアケース)を患い、すっかり乗り遅れてしまったが、最近住宅関連のエントリーが欠乏しているので、栄養補給も兼ねて住宅建築占い

2007年03月26日 (月)

まちの木霊プロジェクト2007

今年は豊田さんからのDMが届く前に、N的画譚「飛び入り参加の展示のお知らせ」で知ることになった「まちの木霊プロジェクト2007」。neonさんも参加ということで是非とも行きたいところではあるのだが、またまたバッドタイミングで行けそうにない。
というわけで、告知だけでものエントリー。

2007年03月18日 (日)

文京ふるさと歴史館のスウハ曙

文京ふるさと歴史館企画展「文京・まち再発見2−近代建築 街角の造形デザイン」に最終日ギリギリで行ってきた。関連企画の江戸東京フォーラムと合わせて行ったため、実質的に展示物を観賞できたのは正味30分。曙ハウスの展示だけはしっかり観てきたものの、他の展示は流し見する程度で、幾つかあった映像展示も5秒と観られず。やはり根津教会での連携展示が行われていた時期に行っておくべきだったと後悔は大きい。

2007年03月07日 (水)

曙ハウス間取り図の下図

文京ふるさと歴史館で現在展示中の neonさんの描かれた曙ハウスの間取り図については、N的画譚「曙ハウス 間取り図を描く」にその制作経緯が詳しくまとめられているが、拙ブログではその制作前段階の下図作成がどのような手順で行われたか(ある意味どういう情報を書き落とし書き損ねてるかに重点を置いて)触れておくことにしたい。

2007年02月28日 (水)

アクセス検索ワード2007.02

Gunkan Apartment, Osaka

臭突がじわじわと勢力を伸ばし始め、何だかブログ界でもすっかり市民権を得た感じがする。軍艦アパートはその最後の最後を見に行けなかったが、完全になくなってしまったようだ。曙ハウスは13位と惜しくもトップ10圏外。それと先月、突如逆転現象を起こしたヤフー vs グーグルは今月は52%:42%と再びヤフーが盛り返していた。

2007年02月22日 (木)

由良タイルハウスと淡路瓦

Yura*CWVF, Sumoto

戦没学徒記念 若人の広場」で記したように、仕事で初上陸した淡路島。残念ながら車窓風景以外にプライベートで撮れた写真は少なかったが、仕事が終わって車に乗り込む直前に唯一撮れた淡路島の家の写真がこれである。場所は洲本市由良の由良大橋の袂。もちろん淡路島の家はみんなこんな感じというわけでは決してない。ただ、さすがにこのタイル&臭突は、、撮らずんば男が廃るという気がして撮ってきた(汗)

2007年02月15日 (木)

戦没学徒記念 若人の広場

Wakodonohiroba, Awaji

仕事の取材だったものの、淡路島に初めて行くことになり、同行取材者にお願いして、ほんのわずかな時間ながら丹下健三が1966年に設計した「戦没学徒記念 若人の広場」を見てくることができた。「若人の広場」は一昨年の3月22日、丹下氏の訃報に接し、「丹下健三氏、没」という追悼エントリーを書いたとき、akanemさんが撮られた写真を借りて感想メールと共に紹介した場所である。あれからもう2年が経つんだなぁ。

2007年02月09日 (金)

曙ハウス・リターンズ

ESUOH AKEBONO

根津の曙ハウスが取り壊され、その地が更地と化したのが去年のちょうど今頃。
そのとき「曙ハウス」という実体のほとんどはこの世から姿を消して行ったが、それでも曙ハウスを強烈に印象づけていた看板役者「スウハ曙」の看板プレート、1階階段の手摺り支柱は、処分される前に「Kai-Wai 散策」の masaさんの手によって救い出され、古物商の協力を得ながら、文京ふるさと歴史館に収蔵されている(その経緯については Kai-Wai 散策「曙ハウス・プレートの行方」「曙ハウス - 再び」に詳しい)。

2007年02月06日 (火)

長居公園テント村跡地にて

2月5日、大阪・長居公園のテント村が市の行政代執行によって強制撤去されている。
当日は各種報道番組などでも盛んに取り上げられていたらしいのだが、生憎その日、私は大阪に居なかったもので、その撤去中の映像情報に生で接することはできなかった。
(といっても、YouTube で「長居公園」検索すれば幾つか出てくるので確認は可能)

2007年02月03日 (土)

バルコニーの躙り口

Nov 23, 2006 at 13:44 KST

この写真はチャングムテーマパークへ行くのに議政府北部駅から乗ったタクシーの中から撮影したもの。走行中なだけにかなりの無茶撮りではあるが、屋根裏部屋(?) 手前にあるバルコニーの、何とな〜くプリティな様子が気に入って flickr にアップしていた。

2007年01月31日 (水)

アクセス検索ワード2007.01

Oct 29, 2006 at 12:38 JST

今月はこのブログにとっては至って順当な結果。ただ、1位獲得の「高過庵」のパーセンテージがエライ高い。またTVで放映されたりなどしたんだろうか?

2007年01月21日 (日)

K的臭突

Yangju, Korea

Kai-Wai 散策「N的家譚 (2)」の主題「N的」にではなく、その部分パーツ「臭突」に触発されてのエントリー。去年の韓国旅行2日目(妻の LBGO「久々の韓国・二日目(その3)」)、主目的の大長今テーマパークを見た帰り、最寄りのバス停で約1時間待ち惚けを喰ってる間、そのバス停の向かいに見えていたのがこの光景である。

flickr にアップしたら J16さんから日本の臭突よりも太いのでは?という指摘を受けたがどうなんだろう? 背後の住居のスケールが小さいもんで、それで太く見えるようにも感じられる。臭突比較文化論用ということで Korea 的臭突もアップしておく。

2007年01月14日 (日)

ミカンと潮風

総領の義父は数年前から畑の焚き火場脇に種から育てたミカンとポンカンを植え、ワシが生きとる間に育つかの〜と言いながら、その発育具合を楽しんでいる。ただ、義父が言うには冬の寒さの厳しい総領では実を実らすのが難しいばかりか(実際、冬場は防寒用に上の写真のような袋を被せている)、仮に実がなったとしても、甘ない(あもーない)ミカンにしかならんだろうという。

2007年01月08日 (月)

ソウルの□■□□▲□■

Yongsan-gu, Seoul

去年の10月にエントリーした「△▲△▲△△▲▲」とどことなく共通性を感じる。
ソウル市南部を流れる漢江に架かる東湖大橋を渡っているときにバスから撮った写真。
丘の上の乱立状態とでも言えばいいだろうか?(個人的にはこちらの方が好きかな)。

2007年01月05日 (金)

初霜総領

Soryo, Hiroshima

総領に初霜が降りたから「初霜総領」というタイトルにしたわけではない。
毎年元旦明けて2日に帰省する総領で、初めて雪の降らない正月を過ごし、その代わりに初めて霜の降りた田畑を目にする機会を得たので、そういうタイトルになった。

それにしても大阪のアスファルトジャングルに住んでると、霜自体見る機会がまるでなくなってしまった。三鷹に住んでた頃は霜をザクザク踏み潰すのが好きだったのだが、ひょっとして温暖化により、都心部で土のあるところでも霜はもう降りてなかったり?

2007年01月01日 (月)

わがやのお雑煮大会

Jan 1, 2007 at 13:53 JST

わきた・けんいちさんの呼び掛けなどもあり、「My Place」の玉井さんが提唱される「わがやのお雑煮大会」にアースダイブ未参加ながらも参加してみることにした。

うちは妻が広島出身、私は東京の出身で、なぜか大阪に住んでいる。で、特にどちらの親とも同居はしていないので、基本的に作るのは妻ではあるものの、何となく住んでる場所同様、お互いの中間地点にあるようなお雑煮になっている。毎年恒例2日から妻の実家に帰省することになっていて、そこではもっと具だくさんで濃厚な雑煮が出る。他方、私の東京の実家は蕎麦つゆの濃さで有名な東京だけれども、至って薄口好み。

2006年12月31日 (日)

アクセス検索ワード2006.12

先月も書いたが、トップランクインの検索ワードはちょっと勘弁して欲しい。試しにググってみても最初の数ページで出て来ないのだから、よほどその言葉自体がよく検索されているということだろう。ドラマ「結婚できない男」は年末再放送されてるので、再び盛り返してるのか? 結構見てしまっている。

ところで最近、このブログでコメントができないというメールを度々いただく。どうもサーバがおかしいのか何なのか、コメントができるときとできないときがあるようで、エラーが出てしまった場合はお手数ですが、ブラウザの「戻る」ボタンで戻って、再度[POST COMMENT]ボタンを押してみてください。

tags : アクセス解析, TV
by m-louis : 23:45 | trackbacks (0)

2006年12月26日 (火)

シェルター大阪舘

Nov 22, 2006 at 14:17 JST

先月末、韓国旅行に行ったのだが(それについては妻が LBGO「久々の韓国・一日目」「久々の韓国・二日目(その1)」で連載エントリー中)、関空へ向かう南海空港線の電車の中、おそらくは貝塚駅を過ぎたあたりで見えてきたのが上の写真の光景だった。

2006年12月25日 (月)

メリーヒマラヤスギ?

cedar

クリスマスツリーというと、=モミの木だと思っていたけど、Wikipedia「クリスマスツリー」を読むと「常緑の針葉樹(主に幼木)が使われ、ヨーロッパではドイツトウヒだが、日本ではモミが主で」とあり、クリスマスの本場ではモミの木が一般的ではないということを今初めて知った。ついでなので「ドイツトウヒ」という耳慣れぬ木も調べてみるとマツ科トウヒ(唐檜)属の針葉樹で「樹形や葉の付き方はモミ属と非常によく似るが、樹皮は茶色で鱗状に割け、(中略)モミ属と異なっている」とあり、要はモミの木がドイツトウヒとパッと見で似ていたから日本ではモミの木がクリスマスツリーに使われるようになったんだろうな〜ということが伺える(但し別説もある模様)。

2006年12月24日 (日)

2f/居間/床の間

前エントリーでは mitsubakoさんのブログから「日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろう」というアランさんの言葉を引用した。このエントリーではもう少しその床の間について、うちを実例にして考えてみたい。

まずうちの場合、前任建築家との計画初期段階から、すでに床の間は図面上に書き記されている。これにはおそらく三鷹金猊居から持ち込んだ行器(ほかい)等の古道具を置くスペースとして床の間を活用するのが妥当だという判断が、三鷹金猊居時代の住まい方に倣って我々(施主側)のうちにあったものと思われる。そして床の間の導入はその後、特に大きな疑問を持たれることもなくそのまま採用されることになった。

2006年12月19日 (火)

アトリエ アラン ウエスト: 谷中の床の間

Atelier Allan West

アランさんのアトリエにはこのブログでもお馴染みの mitsubakoさん、flickr 仲間でこの日が初対面だった(といってもまるでそんな気しなかったけど) ya maさん、そして幼馴染みのRちゃんと行った。なぜこの3人と一緒に行くことになったかというと、以前にエントリーした「山門不幸」がその引き金となっている。実はこの前日に長運寺の前を通ったらまだ「山門不幸」の立て札が立っていて、同エントリーを読んでくれてた3人が見たいということで、案内ついでにアランさんのところにも寄ったのだ(ちなみに同エントリーの補記で出てくる「その筋の友人」こそがRちゃんである)。

mitsubakoさんは Abejas e Colmenas「午後の谷中」、ya maさんは posinega「秋の個展めぐり(1)」でそれぞれこの日のことを書かれていて、mitsubakoさんがアランさんのアトリエでのことにも触れられているので、それを一部引用させてもらおう。

2006年12月17日 (日)

いろはに木工所: お茶の間家具展

irohani*W

芸工展マップで一つ場所を読み違えてしまったのが「いろはに木工所」だった。パッと見ると★マークがへび道沿いに表示されているので、ついそのつもりで探してしまったのだが、よく見ると「いろはに木工所」と書かれた枠から細くて短い線が伸びていて、それがへび道から一本外れた通りを指していた。なので、別の企画に向かおうとして出くわしたときには、自身のマップ読み違いに気づいてなかったもんで、へび道さえ迷う自分はまだまだ谷中モグリやな〜とプチ落胆したものである。

ただ、その「いろはに木工所」自体も谷中に根付いてまだ日は割と浅い。オープンしたのが2005年春ということなので、うちよりも半年後輩ということになる。とは言っても2004年の芸工展参加をきっかけにこの地で独立開業を考えられたというのだから、今年芸工展初参加のうちとは比較にならないくらい町には溶け込んでいそうである。

2006年12月12日 (火)

柿の味

akaji*K

のんびりペースとはいえ、あんまり律儀に芸工展巡りでの企画紹介ばかりしていると、さすがに書く方も飽きてくる。ということで、今回は芸工展巡りの最中に見つけた柿の写真でもアップしよう。この柿は大名時計博物館前の通りからあかぢ坂を下りて程なくのところにあるアパートの塀の上に、無造作にというよりはどちらかというと造作的な感じで置かれていた。※註・追記≫下の写真をご覧になるとわかるだろうが、一部囓られた痕があり、ひょっとすると住人が鳥の餌にでもと置いておいたのかもしれない。

2006年12月05日 (火)

美容室 CLASSICAL: コジマユウジ展

CLASSICAL

美容室 CLASSICAL は、千駄木駅から三崎坂を上ること3分。江戸千代紙「いせ辰」の斜め向かいにある。ふだん三崎坂を上り下りするときは「いせ辰」の羽子板看板に目を奪われてどうしても死角となりがちだが、芸工展期間中は芸工展フラッグと共に店先に「谷中芸工展・コジマユウジ展・開催中」と三段組みの立て看板が「おいでよ」って感じに親しげな様子で構えていて、髪切る目的がなくても気軽に入って行けた。

会期中も美容室は営業していて、どちらかというとエントランス手前の方に作品は展示されているのだが、奥で営業中の美容サロンの方も額縁に入った鏡がイーゼルに架けられ、美容室自体が不思議な雰囲気。これは芸工展期間中の特別仕様か?とも思ったが、「美容室 CLASSICAL」公式サイトを見てもわかるように、ふだんからイーゼル額縁鏡でカットやパーマは行われているようだ。トイレにもオーナーさんのナイショの展示があったりと美容室全体から芸工展を楽しもうとする雰囲気は伝わってきた。

2006年11月30日 (木)

アクセス検索ワード2006.11

寒くなってきたからというよりも何かのテレビで紹介されたのだろうか?
ハンガリー料理のグヤーシュが1位に急浮上。まあ、これは検索を意識して、完全なるレシピを載せているので、引っ掛かった方も外れた感はそうはあるまい。

ただ、ちょっとまずいのが上野桜木のケーキ屋パティシエ・イナムラショウゾウも急浮上してしまったことだ。随分昔のエントリーなのだが、ちょっと悪口を書いてしまっている。まあ、超人気の店なので、それでへこたれることはないだろうが、逆にこっちが潰されたりして?なんて思ったりして、、いずれにせよ、秋はやっぱり食欲の秋ということなのだろう。ほしのあきではなく(笑)

2006年11月11日 (土)

新旭町針江の川端ツアー

B*country

琵琶湖北西部に位置する高島市新旭町に、生水(しょうず)=湧き水を今も生活用水にしている針江という集落がある。川端(かばた)と呼ばれる水場が家の内外に作られ、そこには鯉や鱒が放たれ、自然と人が共存する「美しい日本」がここには確かにあるとさえ思いたくなるが、現首相が言ってるそれと通ずるものがあるのかは彼の著作を読んだことがないのでわからない。

小雨の降る一日だったが、その川端を見に妻と針江生水の郷委員会主催のエコツアーに参加してきた。ツアーを利用しないと人家の中に川端はあるだけに見ることができないのである。また、この地域では、こうした地域の特性を守るため、敢えてエコツアーを敢行して、外来種ともいうべき観光客の行動を限定している。このあたりの詳細は京都新聞で針江生水の郷委員会のことを紹介した「エコな挑戦」を参照のこと。

2006年11月07日 (火)

台東桜木郵便局: 絵手紙展

SAKURAGI POST OFFICE

区画は違うが実家から歩いて1分もないところにある台東桜木郵便局では「絵手紙展」と称して、手描きの絵葉書が壁一面に飾られていた。マップの解説文に「へたで良い・へたが良い」と書かれているが、結構一つ一つ見ていくと味があって面白い。とりわけおばあさんが「動けなくなった(つまりは死んじゃった?)カブトムシは描きやすい」と書き添えて描かれていたカブトムシの絵には笑えた。

2006年11月06日 (月)

nagomiya わぁい: 手仕事展

nagomiya

アジア雑貨を主に扱う「nagomiya わぁい」は藍染大通りへと繋がるあかじ坂を下って澤の屋旅館の手前十字路を右に曲がってしばらく歩いたところにある。「生活の中に 和<なごみ>の雑貨を提供」ということから店の名前が付いたようだ。

芸工展には『手仕事展』というタイトルで「手作り」であることをコンセプトに集められた雑貨が主に置かれていた。特に目を引いたのは、オーナーさん自らが作られた文庫用ブックカバーで、ご本人が本を読まれる際に不満に感じられていること(例えばヒモしおりが中途半端なところで折れてたり、読むのに邪魔になったりするなど)を解決すべく工夫が凝らされていて、ちょっと食指が動かされたが、何分ふだんの生活で文庫本を読む機会が激減してしまっているので、買うのは控えてしまった。

2006年11月05日 (日)

四天王寺ワッソの雨森芳洲

Amenomori Hoshu '雨森芳洲'

7月末に「朝鮮人街道、高麗橋まで」というエントリーで近江八幡に行った際に「朝鮮人街道」という石碑を見つけ、そこから「朝鮮通信使」の存在を知るに至る経緯を書いた。そのコメントでわきた・けんいちさんから推薦を受けた『「朝鮮人街道」をゆく』(サンライズ出版・¥1,020)という彦根東高校新聞部の調査結果を下敷きにして書かれた本を読み、朝鮮通信使について僅かながらもミニ知識を身につけてしまったもんだから、11月5日に難波宮で本祭の行われた古代アジアの国際交流を雅やかに再現するという「四天王寺ワッソ」では、妙なところで一人興奮せずにはいられなかった。

その最たるものが、雨森芳洲の登場である。

2006年11月04日 (土)

金継ぎ nico: 金継ぎの展示

nico

根津藍染町の丁子屋さんの通りを挟んで向かいにキウイ棚のあるお宅があり、その脇の路地を入っていくと大阪屋荘という、なぜに谷中で大阪や?とツッコまずにはおれない集合住宅が出てきて(って、そのツッコミをいつも受けてるのはこのブログでありますが>汗)、その1階に金継ぎ「nico」はあった。

2006年11月03日 (金)

nido: 明かりの時間

contemporary glass nidoステンドグラス工房「nido」は neonさんが今年の5月にノマドカフェで行われた個展「ピアニシモな建築たち」で一部の画の額を作られ、「nido×neon」って形でコラボレーション展示されていたので、前から気になっていた場所だった。neonさんご自身も、去年の芸工展をきっかけに「nido」を見つけられ、そこからコラボ展示へと話が展開していったことを「てのひらサイズの画」というエントリーで書かれている。

確かに芸工展のような機会でもないと、谷中ぎんざのすぐ脇にあるとはいえ、細い路地の一歩奥に入ったところにある nidoは、若い女性などには入っていくのにちょっと勇気の要る場所かもしれない。
入り口に「ファミリー服装学院」「マキシマ研究所」といった看板があるってことも、最初から目的にして行く人でないと、深追い散策人でもない限りは私有地に侵入するような感覚に陥りそうである(笑)

2006年11月02日 (木)

古書ほうろう: UZO展

secondhand bookstore 'horo'

94. 中原絵亜: 空の日記(詩展)」を見た後、すずらん通りを不忍通りに抜けて、まだ昼までに少し時間があったので寄ってみたのがこの古書ほうろう。まだまだ谷根千モグリなだけにこの古本屋に入ったのも恥ずかしながら初めてだったのだが(前を通ったことはあって気にはなってたのだけど)、谷中を生活拠点にし出したら間違いなく何度となく通うことになるであろう私にとっては充実した品揃えだった。

2006年11月01日 (水)

中原絵亜: 空の日記(詩展)

air nakahara

さて「谷中芸工展2006巡り」で「個人的に印象の強かったところを幾つかピックアップして、追々個別にエントリー」としてみたものの、どのように紹介していくべきか?
私にとっては芸工展巡りのほとんど一番最後の方で回った場所であったが、まずは千駄木のすずらん通りの一角を利用して展示されていた中原絵亜さんの「空の日記(詩展)」から取り上げてみたい。この企画、捉えようによっては今年の芸工展で唯一(?)芸工展そのものをモチーフとした非常にメタ色の強い企画なのである。

2006年10月31日 (火)

アクセス検索ワード2006.10

今月はどうしてもベスト10にランクインしてほしい検索ワードがあったのだけど、無事9位に滑り込んでくれた。谷中芸工展…10月はこれに明け暮れた月だったと言ってもよい。それに「谷中芸工展」でググると公式サイトに次いで2番目にこのブログが出てくる状態なので、谷中芸工展の面目に掛けても登場してもらわないわけにはいかなかったのである。…と誰に気を遣う必要もないのに、ホッとしている自分って一体?(汗)

他方でここ数ヶ月ぶっちぎりでトップを快走してきたドラマ「結婚できない男」が放映終了と共にガタッとランクダウンしてしまった。ドラマのアドバイザー役もされていた建築プロデューサーの朝妻さんも「あ〜ぁ、やっぱりね!」で似たようなこと書かれているが、こうした現象もまたテレビの力の裏返しとでも言うべきなのか?(^^;)

2006年10月30日 (月)

谷中芸工展2006巡り

なんだかまたバタバタし出してきていて、丸井金猊リソース紹介はおろか、主に午前中に巡った谷中芸工展の他の参加企画のことも書くのが遅延して行きそうな気配濃厚である。とはいえ、幾つかの企画のところではエントリーさせてもらいますね!などと言ってきてしまっているので、とりあえずは遅れそうな旨、言い訳のエントリー(汗)

2006年10月26日 (木)

丸井金猊『南天絵圖』

kingei marui

1932(昭和7)年に描かれた『南天絵圖』は、サイズ W725×H1,200mmで、絹本に着彩・軸の仕様。保存状態は前回紹介した『鷺圖 (仮)』よりはマシな環境といえるだろうか? 一応は桐の絵具箪笥の下段抽斗の中に絹本を丸めた状態にして包装紙で包んで収められていた。タイトル・年数情報はその包装紙に祖父がペン字で書き記していたものによる。表装は昔から何かとお世話になっている三鷹の飛高堂にお願いした。

2006年10月24日 (火)

△▲△▲△△▲▲

Oct 24, 2006 at 15:35 JST

ふだんは所在地・時刻情報等をなるべく正確に記すよう心掛けている谷中M類栖であるが、このエントリーでは写真だけでノーコメントってことで(^^;)

新幹線から低気圧を

10月22日の「雨音と共に終了す」のエントリーでも書いたように、芸工展自体の最終日は終日雨が降り続いていた。ただ、谷中M類栖/1f はその日を片付け日に当てていたので、雨のおかげでどこも出掛ける気にもならず片付け作業に集中できたとも言える。雨が降っていなければ、おそらくは近場で行き損ねていた時夢草庵と午後からしかやっていなかった谷中ホテルを見に行ってしまって、片付け作業も一日で済ませて24日の昼過ぎに帰阪の途に付くこともできなかっただろう。

2006年10月22日 (日)

雨音と共に終了す

谷中芸工展はここ2年、雨に祟られていたらしい。終了後のアンケートでも雨が降らなきゃ…という声が多かったらしく、今年は台風シーズンを避けた2週遅れの10月14日スタートとしたことが大正解だったようだ。実行委員日記「芸工展最終日」にもあるように最終日前日22日の16時過ぎくらいから最終日終了までは降られてしまったが、それ以外の日は概ね晴れやかな日が続いてくれた。開催時期をずらしたことで、例年は同時開催的だった art-link とは14日・15日の2日間しか重複しなかったが、それを差し引いたとしても、マップ片手に回る芸工展にとって天気という条件は大きい。

2006年10月21日 (土)

一服して最終日を

明日で谷中M類栖/1f は谷中芸工展よりも一足お先に(一日早く)終了。
で、あと一踏ん張りということで、ちょっと一服って感じのエントリーを一つ(笑)

谷中M類栖/1f は芸工展マップでは38番という番号が割り当てられてるんだけど、一つ間を空けて40番のマクケノエンでは図画工作愛好家の佐藤直樹さんの粘土人形(?)が気持ちよさそうにお灸で一服中

2006年10月20日 (金)

芸工展マップを玄関先に

時すでに遅しの感もないでもないが、芸工展マップを玄関先に貼ってみることにした。展示が始まる前の午前中を利用して、なるべく他の参加企画も見に行くよう心掛けるようにしていたのだが、芸工展マップは地図が企画説明の裏面になっているため、町中で両方を照合するのに結構苦労することが多い。サイズが大きいので、マップを広げたときに風が吹くと思い切り煽られるし、細い路地や小さなお店のなかでも、広げるのにはちょっと向かないサイズなのだ。そんなとき、本部の蒲生邸脇や初音すまい研究所前にマップが貼ってあったのは非常に重宝した。この状態なら、企画説明の解説をマップを見ながらちゃんと確認できたのである。

2006年10月19日 (木)

一番高い芸工展ポスター

本日、谷中芸工展2006 の実行委員さんが見え、ひょっとするとうちのバルコニーの外壁に張られたポスターが今芸工展中、一番高いところに張られたポスターじゃないか?とのお話。なるほど、そんなことは全く考えたことがなかったけど、谷中は全体的に低い建物が多いので、その可能性は高いのかもしれない。加えてうちは谷根千でも最も海抜の高い立地にあるので、海抜で考えても一番高いのかもしれない(笑)

2006年10月15日 (日)

谷中M類栖/1f オープン

谷中M類栖/1f、なんとか告知した10月15日の14:00 までに片付け&展示作業を終え、無事オープンさせることができました。初日からお越しいただいた皆さん、大変ありがとうございます。ただ、せっかく初日にお越しいただいたのに大変申し訳ないことに、丸井金猊リソースの展示リストとプロフィールを記した用紙の準備が間に合わず、それをお渡しすることができませんでした。同用紙の PDF ファイル(2.7MB)をサーバ上にあげておきましたので、よろしければこちらからダウンロードしてみてください。

尚、以下は初日を終えての所感(以上で「ですます」調は終了)。

2006年10月14日 (土)

谷中坂町々会の回覧板

芸工展の準備をしていたら夕方過ぎに玄関からパサッという音が‥‥。
夕刊や郵便にはちょっと遅いだろうと思って見に行ったら、郵便受けに届いていたのは台東区谷中坂町々会の回覧板だった。今住む大阪のマンションはもとより、三鷹でも見たことなかったのに、さすがは下町・谷中と言うべきか?

しかし、中を見ると専ら広告が主でお知らせ事項はほんのわずかだった。
でも、可能であるなら、これにうちのDMを副えたい気分である(^^;)

tags : 谷中, ポスト, DM
by m-louis : 18:29 | trackbacks (0)

オープンは明日

本日、谷中芸工展2006 が始まりましたが、
谷中M類栖/1f「丸井金猊リソース ver1.0」は明日10/15(日) 14:00 からです。
本日ご訪問されても、まだ準備中ですので、お間違えのなきよう、、

tags : 谷中芸工展, 1f
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2006年10月13日 (金)

スタンプラリーは紫で

谷中芸工展スタンプラリー用の印肉、紫色のを大阪の100円ショップで買って行ったんだけど、少々色付きが悪い。やはり安物は安物ということか?(泪)

紫色を選んだのは、マップの地色に緑が多いので、そこから少々遠い色の方がよいかと思ったからだ。ただ、保護色の赤まで行くと行き過ぎかな?と。。
ちなみに私が押して回った中では黒が一番多く、そして一番しっかり発色していた。安物でない黒は家にあったので最初からそちらを使えば良かったとちょっと後悔。

2006年10月07日 (土)

丸井金猊「鷺圖 (仮)」

egret

これから会期までの間に今回展示予定の金猊リソースを何点か紹介していこうと思う。
まず最初に展示が確定しているものとして、この「鷺圖 (仮)」から取り上げてみたい。

「鷺圖 (仮)」は (仮) が示すようにタイトル不明、作品として完成しているのか、未完成なのかも不明なリソースである。「鷺圖」という仮のタイトルは分類のために私共遺族が仮に付けている。そうしないとタイトル不詳ばかりで整理が大変だからである。

サイズはW1,300×H1,300mmで、絹本に着彩の額装。ひょっとすると祖父は軸想定で描いたのかもしれないが、130cmの本紙に地の余白スペースを考えると相当横幅を広く取られることから表具屋さんのアドバイスにより額装となった。

2006年10月04日 (水)

丸井金猊プロフィール

portlait of my grandfather1909年愛知県に生まれる。本名 丸井金蔵。1933年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科卒業。'35年同校研究科終了。市立川村女学院美術科、埼玉県立浦和第一高等女学校教諭を経て、'47年東京美術学校工藝科講師。'48年より以後20年以上に渡って神奈川県立工業高校工芸図案科(のち産業デザイン科)教諭を務める。

和洋エジプト入り乱れた独特の画風で、学生時代より旺盛な創作活動を見せるが、30歳に差し掛かる頃、時代は戦争へと暗転。以後ほとんど自作品の創作に向かうことなく、晩年を迎える。神奈川工業高校退職後、「死ぬ前に一度個展を」と再び絵筆を握り始めるが、1979年心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて急逝(享年69歳)。

1930年国際美術協会主催第一回美術展覧会入賞主席。主な仕事として'35年愛国生命保険(のち日本生命保険)壁画製作、'37年には阪急電鉄の創業者である小林一三氏の委嘱により東宝劇場階段ホール壁画製作(火災により焼失)などを行っている。

2006年10月03日 (火)

丸井金猊リソース ver1.0

谷中M類栖の1階展示スペース名を「谷中M類栖/1f という名前」にしたわけだが、
谷中芸工展に参加するプロジェクトの企画名は「丸井金猊リソース ver1.0」としている。これについても幾らかは説明を加えておいた方がよいだろう。

リソースとは「resource=資源」の意味で、現在にあっては IT 関連用語としての認知の方が圧倒的に強まってしまった感がある。実際、私が Web制作関連書籍で唯一影響を受けたと言ってもよい『スタイルシート Webデザイン』の著者すみけんたろう氏のサイト名も「Ks Resource!」であり、そのサイト内では「ホームページ」という和製用語の使用を批判し、その代案として「リソース」という言葉を提唱している。

まあ、その場合の「リソース」という言葉はあまり広まらなかったようだが、私は今回祖父の創作物をなるべく「作品」とは呼ばず、「リソース」として取り扱いたいという考えから「丸井金猊リソース ver1.0」というプロジェクト名を名付けることにした。

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